-75章-
願いの為に



 その男は、一瞬してリィダの目の前に姿を現した。
「サウン、さん?」
 仮面の魔道士の部屋に突入する際に見たサウンとはまるで別人のようになっている。目は狂気に満ち、感じる魔力はなんの魔法も発動していないというのに身体を竦ませる。
「この仮面の魔力の片割れを持つ者よ。同じ魔力を持つからこそ、感じ取れたであろう、ワシの望みを!」
 他者を圧倒する結界魔道士。
 仮面の魔道士の魔力を利用し、歴史に名を刻まれるほどになる。それが、サウンの夢、サウンの望み、サウンの幸せ。
「そのために、ウチに入り込んだ仮面の魔力の片割れを……」
「さよう。我が幸せのため、貴様が解放させ、身にまとっている魔力を頂く」
「させるかよ!=v
 サウンが伸ばそうとした手に、横から割り込む猛獣の影が一つ。
「キラパン!?」
「リィダ! 逃げろ!!=v
「え?!」
 キラパンが逃走を促すことなど、滅多にない。だから聞き間違いかとさえ思ったが、リィダがキラパンの言葉を聞き間違えるはずがない。理解するのに数秒を要したが、キラパンの指示に従うべくリィダは踵を返した。
「『時間を稼いで』! 闇化=\―クラエス!!」
 魔物狩人としての『言霊』を発動させ、同時に闇化を行いキラパンはクラエスと化した。
 逃げなければやられる。リィダとクラエスの戦力では歯が立たないことが、感じ取れる魔力から嫌でも分かった。だからキラパンは逃走を促したのだ。
「逃げられるとでも思ったのか? 今のワシから」
 そう言って、サウンは手を一振り。
 それだけで、魔法の光が地面を伝い、複雑な紋様を完成させる。一瞬にしてそれは完成し、その範囲は広く、リィダの足では離れられない。
「乗れ!!=v
 魔法が完全に発動するより早く術者を狙うか、この結界から抜け出すしかない。前者はもし術者を仕留めることができなければ二人揃ってやられてしまう。だからクラエスは躊躇わずに逃げることを選んだ。
 クラエスの背を掴み、リィダが振り落されそうになりながら乗った。
「ふむ」
 パチン、とサウンが指を鳴らす。描かれた光の紋様は輝きを増した。紫に色に光るそれを身に受けた瞬間、クラエスの動きが鈍る。
「これは?!=v
鈍足結界魔法(ボミオルン)。ご自慢の速さもこの結界の中では形無しだな」
「クラエス! 早く! 『急ぐ』っすよ!」
「言われなくても解かって――ん?=v
 急ぎたいのは山々だが、結界魔法の中では思うように動けない。
リィダの命令に悪態の一つでもつこうとしたクラエスだが、すぐに違和感に気付いた。
 動きが鈍ってしまう結界魔法に捕われておきながら、先ほどのリィダの一声で身体が急激に軽くなったのだ。
「まさか今の……新しい『言霊』か!?=v
 リィダが新たな『言霊』を発動させた。そのことにも驚きだが、聞いたがことない『言霊』だったのでクラエスも戸惑ってしまった。しかし戸惑ったのも最初のうちだけで、今は急ぐための力が備わっている。これを利用しない手はない。
「ほう?」
 サウンも早々に気付いたようだ。
 悠長に歩いても追いつくはずであったのに、獲物の速度が一概には信じられないものと化したのだから、驚くなというのが無理な話だ。
 とはいえ、サウンとて長い年月を重ねた魔道士だ。予想外なことがあっても、その現実を受け止められるだけの理解がある。
「ならば、これでどうかな」
 サウンが素早く手で印を切る仕草をすると、新たな結界魔法陣が展開された。
 駆け出した獲物を囲むように、薄赤い光を纏った複雑な陣が描かれていく。
「こいつは?!=v
 クラエスその魔法陣を見て戦慄した。
 まだ鈍足結界魔法の中にいながら別の結界魔法に囲まれている。二重結界――その厄介さはこの上なく、一人で行えるような代物ではない。仮面の魔道士の魔力がそれを可能にしているのだろうが、クラエスが慄いたのは魔法陣の意味だ。
 魔法についての知識は、勝手にこの魔物の姿が与えてくれた。今囲まれている魔法陣は、炎の呪文に多用される紋様だ。
「厄介な足にはご退場願おう」
「リィダ! 掴まるなよ!!=v
「え? ふえぇ?!」
 しっかり掴まっておけ、と言われたのかと思ったが逆だった。リィダはそのことに驚き、驚きのあまりクラエスの意図や状況を理解せず言われるまま手を離した。
 と同時に、クラエスが大きく前に転ぶようにして背中を上げた。
 手を離して不安定な状態で乗っていたリィダはそれだけで振り下される。
 振り下されるというより、振り飛ばされた。
「う、ああ、わ」
 キラパンに乗っている時に転げ落ちることはよくあったので受け身の取り方は慣れている。リィダは不幸にも打ち所が悪く――ということにはならず、無事、とも言い難いが着地できた。同時に、鈍足結界魔法の外に出ることができたのは幸いか。
「クラエ――?」
 いったい何が起きたと言うのか、ようやくリィダが振り返った瞬間、言葉が途切れた。
 その光景を目にしてしまったから。なぜクラエスがリィダを振り飛ばしたのか。
 リィダの数メートル先で、つい先ほどまでリィダがいた位置で。
 クラエスは炎に包まれていた。
 周りの魔法陣から吹き荒れる炎が、全方向からクラエスに向かっている。
 クラエスは叫び声を上げることもなく、否、叫ぶより先に喉が炎で焼かれているのだ。
 吹き荒れる炎はすぐに止んだが、残ったのは炎で黒こげになったクラエスの姿――。体格が一回り小さくなっている。闇化の魔法も解けてしまった。クラエスではない、キラパンの、生命力を感じさせない姿。
「キラ……パン……?」
 倒れ行くキラパンが、ひどくゆっくりと見えた。
閃熱結界魔法(ベギランド)。八方から襲い掛かる炎による攻撃特化の結界魔法だ。まともにくらっては生きていまい」
 サウンはクラエスがこの魔法を感じ取り、リィダを全力で助けるだろうと考えた。自分の身を呈してまで、リィダを守るであろう、と。結果、彼の予想通りであった。クラエスは魔法陣の意味をいち早く理解し、そのままただ逃げようとしていればリィダの命も失われていた。
 だから、リィダだけでも助けようとしたのだ。
「キラパン、キラパン!!」
 いつものようにすぐに立ち上がらないキラパンに、リィダは何度もこけそうになりながら傍に駆け寄った。
「キラパン!! 起きてよ、キラパン!」
 リィダは自ら鈍足結界魔法に再び踏み入り、キラパンの顔を持ち上げる。
「……リィ……ダ……=v
「キラパン!? まだ生きてるっす! はや、早く治療を!」
「いい、から……逃、げ……ろ……=v
「そんな」
 治療といっても、リィダは回復薬を持っていなければ回復魔法を唱えることもできない。
 最善の手は、逃げることだけだ。
 逃げていれば、もしかしたらサウンに追いつかれるより先にイサたちと合流できるかもしれない。
 仮面の魔道士の魔力を得たサウンとリィダでは戦力差が明白だが、イサたちと合流できればその戦力差は大きく変わるはず。
「逃げ……ろ……=v
 リィダはこんなにも弱々しいことキラパンの言葉を初めて聞いた。
 こんなにもボロボロで、今にも死にそうなキラパンの姿を初めて見た。
「無理っすよ、ウチだけで逃げても、逃げ切れるはずがないっす。だったら、せめて、キラパンと一緒にいたい」
 リィダは瞳に涙を浮かべながら、キラパンの顔を抱きしめた。
「そうだ。逃げられるはずがない。そうやって大人しく、我が幸せのための礎となれ」
 勝ち誇ったサウンが、ゆっくりと近づいてくる。
「幸せ……?」
 幸せ。リィダはその単語に反応した。
 目の前のキラパンが、今にも息を引き取りそうな姿になってしまったというのに。
 幸せ。しあわせ。シアワセ。幸せ?
「ウチにとっての幸せは」
 今まで不幸続きだったリィダ。幸せとは縁遠い体質の彼女は、その運命を、その人生を恨んだことはない。使える力を存分に振るいたいとも思わないし、この不幸を誰かに分けたいとも思わない。幸福な人間を見て、自分が不幸なのにと妬んだりしない。
「キラパンたちと一緒に、イサさんの帰りを待ったり、イサさんたちと暮らしたりしながら、姉御のお墓を守ること。それだけができれば」
 大それた夢などない。ただ、平和に暮らすことができればいい。
 それが不幸の体質を持つリィダの、幸せだった。もちろん、日々に小さな不幸はいつもリィダが被っている。それでも、リィダにとっての幸せはささやかな暮らしそれ一つだ。
「アンタとは違う。アンタにとっての幸せ、幸せになる方法のために、キラパンがこんなことになって良いはずなんてない!」
 涙を堪えきれず、流れるに任せ、リィダはサウンを睨んだ。
 そのように訴えて考えを翻すような相手ではないが、それでも言わずにいられなかったのだ。


 キラパンたちと一緒に――。
 そう聞こえた。
「(あぁ、リィダの声が聞こえる……)」
 キラパンは薄れゆく意識の中で、リィダの声が近いようで遠くに聞こえた。
「(なにしているんだよ、さっきから早く逃げろって言っているだろ)」
 心の中で怒鳴っても、言葉が口から出ていない。漏れる声はとても細く、弱々しい。
 薄らと見えるリィダの顔もだいぶぼやけており、どのような表情をしているのかも判断できない。
 ただ、ぽつりぽつりと彼女の頬を伝って涙の雫が落ちてくるのを感じた。
「(リィダ、泣いてんのか……)」
 彼女は泣き虫で、よく泣く姿を見ている。だから、リィダが泣いているのはいつものことだ。
 いつものことだが、いつものことであるはずが。
 キラパンは心の中で、何か納得できない靄がかかったようなものを感じた。
 この状況下で泣いているということは、きっと自身がこのようなことになってしまったからだろう。
 自分のせいでリィダが泣いている。
 そうわかった瞬間に、キラパンは心の靄の正体を知った。
「(あぁ、リィダが泣いているの、やだなぁ……)」
 自分のせいで泣いているのが、嫌なのだ。彼女を泣かせたくない。
 こんなところで、死にかけているわけには、いかない。


「いいはずがない……から、どうしたというのだね? まさかワシを倒すとでも言うか? 無理な話だろう」
 サウンが嘲笑するように、リィダ一人の力では無理だ。
 そう、リィダ一人の力では――。
「(キラパン!)」
 一際強い想いを込めて、リィダはキラパンを抱きしめながら心の中で叫んだ。
 この心の叫びが彼に生命力を与えよと言わんばかりに。
 そして。
「これは?!」
「え?」
 サウンの狼狽と、自分自身の身に起きたことに驚いたリィダの声が続いた。
 リィダの身体の周囲を闇色の魔力が渦巻いている。サウンが発動させている結界魔法とは異なる、別の魔法。リィダにとって、それは親しみのある思案と安らぎの闇。
「これ、ウチの闇の魔力?」
 初めて闇化を使った時と同じ感覚がリィダに訪れた。
 自分に宿った仮面の魔道士の魔力も反応しているのだろうか、新たな心の声の囁きが聞こえる。
 心の声に従え。
 この闇を恐れるべからず。善と悪を間違えたなら、それは魔物と同義。されど光と闇は別である。闇だから悪、光だから善ではない。善なる闇。善の力は、己の強力な魔法という仲間となる。
「――漆黒の精霊たちよ 安らぎと共に静寂を支配する精霊たちよ」
 自然と声が流れた。心の声に従い、詠唱していく。
 闇色の魔力はリィダの声に歓喜したかのように踊り、そしてキラパンにも吸い込まれていった。するとどうだろう、キラパンの火傷がみるみる内に癒されていく。
 キラパンの姿はものの数瞬で元通りとなった。まるで、完治呪文(ベホマ)をかけたかのようだ。
 意識がはっきりしてきたのか、薄らとキラパンは目を開け、首を動かさず目だけでリィダの姿を見た。
 リィダの涙でぐしゃぐしゃになっていながら嬉しそうな顔が見えて、キラパンは安堵したと同時に、自分の身体に降り注いでいる力を理解した。だから、そのまま笑みさえ浮かべ、リィダに話しかける。
「いくぞ、リィダ=v
「うん! ――安らぎを司る闇の精霊たちよ 全てを闇と化し新たな光を創造せよ! ここに降り注げ! 魔よ、人よ、新たなる力をものとせよ――闇化(ダルド)・ムグル!!」
 キラパンとリィダが闇色の魔力に包まれ、その空間は何も見えない完全な闇に閉ざされた。
「一体、なにが……」
 サウンはただ目の前で繰り広げられる光景を見ているしかできなかった。
 闇の魔力が収束していく。
 そこに、キラーパンサーと不幸少女の姿はなかった。
「なんだ、貴様は?」
 代わりに、人間の男が一人。肌黒い上半身を露わにし、鋭い眼光は虎を彷彿させる。
 その目は爛々と生命力に溢れており、虎視眈々とサウンを獲物として捉えていた。
「魔物はどこへ行った?! あの女は!」
「ここにいるだろ」
 その男が言った。
 慣らすように握り拳を作っては解く。
「オレはクラエスであり、リィダだ。ま、身体はオレのものだけどな」
「まさか……魔物と人間の、融合だと?!」
 今の姿は、かつてキラパン――クラエスがネクロゼイムに捕われる前の、人間であった頃の姿だ。
 そしてリィダは――。
「(大丈夫っすか)」
 クラエスの心に直接語りかけてくる。精神と同化したリィダの声だ。
「(あぁ、問題ない)」
 リィダの声に、クラエスは心の中で返事をした。
 リィダの『闇化・ムグル』は、キラパンを人間の姿に戻し、リィダ自身は彼の心となる力を発揮した。今の二人はこの魔法の効力がはっきりと分かる。知っていたのではない。闇の精霊が与えてくれる力が、知識も与えてくれているのだ。
「さっきはさんざんやってくれたな。仕返しってわけじゃねぇけど、覚悟しろよ」
 そう言ってクラエスは両の腕を構えた。
 その手には武器も持っていない。もともと彼は魔物殺(モンスターバスター)だ。その場に応じた武具を召還できる冒険者ではないため、今は素手だ。
「ふん、たかが一人」
 迫力に気圧されかけたが、相手は一人だ。しかも徒手空拳なのだから、遠くから攻撃すれば恐れることはない。そして今のサウンは、瞬時に結界魔法が発動できるのだ。負ける要素など、何一つない。
「再び業火に飲まれよ」
 先ほどと同じ赤い光が陣を描く。閃熱結界魔法の陣はすぐに完成した。
「ベギランド=I」
 八方から吹き荒れた炎が、再びクラエスに向かう。
 しかしその炎が到達するよりも早く、クラエスは逃げるわけでなく、慌てる様子もなく拳を地面に叩きつけた。
烈破砕陣(れつはさいじん)!」
 その瞬間、ベギランドの炎が消失した。炎だけではない。ベギランドの結界そのものと、クラエスを捉えていたボミオルンの結界さえも消し飛んだ。
「結界魔法を吹き飛ばしただと?!」
「驚くことでもないだろ。格闘家を極め、バトルマスターを極め、この拳で闘うことを極め続ければ、あらゆる魔法に対する答えもこの拳一つで解決させられる」
 クラエスは涼しげに言うが、そのようなことができるまでの道のりは険しく、生易しいものではない。しかし今のクラエスは、かつて人間であったころのクラエスは、それを成し遂げていた。勇者ロベルたちの影に隠れてしまったが、彼と相棒は間違いなく二人だけで世界一の冒険者チームとなったのだ。
「戯けたことを!」
 さすがに拳一つで魔法を防がれてしまうというのには納得がいかなかったのか、サウンが更に結界魔法を張り巡らせる。
 今度はクラエスを囲むのではなく、サウンの前方に点在する形で展開された。その数は四つ。
「召喚結界魔法四精霊竜咆哮(エレメンタルドラゴン)=I」
 それぞれの魔法陣から霧のようなものが吹き出したかと思えば、そこから竜の首が出現した。赤い鱗の竜、緑の鱗の竜、青の鱗の竜、黄の鱗の竜だ。赤の竜は炎を吐きだし、緑の竜の息吹は鋭い風の刃となり、水の竜は凍てつく冷気を放ち、黄の竜は大地を揺るがした。
「どんな結界魔法だろうと無駄だ!」
 クラエスはそれぞれの竜が繰り出す攻撃をその身に受けながらも結界の魔法陣に近づき、再び拳を振るう。
 一つ、二つ、三つ、四つと連続で叩き、火傷と凍傷と切り傷と足の感覚が狂いながらも全ての召喚結界魔法を潰した。
「やはり構成する陣に近づかないとその技は使えないようだな」
 サウンはクラエスの行動でそれを見切った。ボミオルンとベギランドは魔法陣の中にクラエス自身がいたためその場で結界を破壊できたが、さすがに離れた結界魔法陣を破壊することはできないのだ。
「それがどうした!」
 クラエスとサウンの距離はさらに縮まり、その拳がサウンに届けば、魔道士たる彼は耐えきれるはずがない。
「こうするのだよ!」
「(クラエス! 後ろっす!)」
 サウンが手を頭上の上げたと同時に、クラエスの中に在るリィダの意識が警告してきた。
 後ろを振り返ると、再び四体の竜が召喚されている。先ほどのやつらは確実に葬り去ったはずだ。単純に、サウンが再び結界を張ったのだ。
「ちぃ!」
 先手必勝とばかりにクラエスが再び結界を潰しにかかる。無視してサウンに殴りかかろうにも、さすがに背後から集中攻撃されては敵わない。
 だが、四つを叩き割るまでに確実にクラエスもダメージを受けてしまう。蓄積されていくダメージは決して軽視していいものではない。
「さっさとくたばってしまえ! 我が幸せ! 我が願いのために!」
「幸せだ、願いだぁ?! ふざけんな!」
 サウンの言う幸せという言葉にリィダが反発したように、クラエスもまた牙を剥いた。
「てめぇの幸せはリィダを泣かせる。オレを怒らせる。それを願いだって言うんなら、オレの願いも聞いてもらうぜ」
「貴様の?」
「そうさ。てめぇをブッ飛ばすって願いだ!」
 言いながらクラエスはまたも竜の息吹を受けつつ魔法陣を潰した。
「笑止! 貴様の願いは我が願いに食い潰される運命よ」
「さぁて、どっちの願いが強いのかねぇ!」
 強がっていても、クラエスの動きは確実に鈍り始めていた。だからこそサウンは勝利を確信している。
 クラエスは声だけでも気勢をあげた。
 また召喚竜の結界を潰し終えたと思ったら、今度は四体の竜が二種類ずつ召喚されており、合計八体の竜が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
 一体を倒す頃には二体に増えており、きりがないどころかこのままではやがてクラエスの体力が尽きてしまう。
「(強がってみたはいいけど、こりゃ厳しいかな)」
 正直に言えば辛い状況である。
「(クラエス……)」
 リィダの不安そうな声が心に語りかけてくる。
 クラエスの心情は、一体化しているリィダに直接伝わるのだ。
「……なぁ、リィダ。オレの夢、オレの願いはよぉ」
 心に思うだけでリィダに伝わるのだが、クラエスはあえて口に出した。
「願いを叶えてくれる竜を探し出すことだった。『願いの幸せ歌伝説』って聞いて、もしかしたら関連があるんじゃないかって思っていた……」
 結果的に何の関係もないどころか、歌は一種の呪いのようなものであり、死に至るものだった。
「オレは願いを叶えてくれる竜を探し出して、何を願おうとしていたのかさっぱり思い出せねぇ」
 いつしか、クラエスは願いを叶える竜を見つけること自体が目的になっていたのだ。
「けどよ、『今』の願い事ならある」
 サウンを倒すこと。否――違う。
 もちろん目の前のサウンを倒したいのは今の最優先事項だが、その先にある願い。それこそが、クラエスの本当の望み。真の願い。偽りなき幸せ。
「(オレの願い――それは)」
 こればかりは口に出すことが憚れたのか、クラエスは心に強く刻んだ。自分自身を奮い立たせるために。
 それに呼応するがごとく、クラエスの心の奥から力が湧くのを感じた。
 魔道士が心の声を聞き、新たな魔法を使うのと同じ感覚だ。
「(あぁ、そうか。願いを叶える竜は、こんなにも近くに在ったのか)」
 今の状態なら放てる、究極の技。
 サウンとクラエスの位置は直線上にあり、魔法陣は背後にない。背後を気にする必要がない今なら、突き進めるはずだ。
 クラエスの身体が闇の炎を纏った。
「行くぜ、リィダ!」
「(うん!)」
「まだ倒れぬか!」
 クラエスが地を蹴ると同時にサウンがまたも召喚魔法陣を展開する。今度はクラエスの目の前だ。
 クラエスの進攻を阻むように展開された魔法陣は、しかしクラエスが通ろうとすると闇の炎に吸い込まれて消失した。
「なに?!」
 消失しただけではない。吸い込んだ闇の炎は魔法陣に込められていた魔力を吸収したのか、さらに強大になり形を変えていく。その姿はまるで龍を彷彿させる。
 龍の黒き炎を拳に乗せ、虎のように駆け、その拳を放つ。
「虎竜・黒天爪牙ぁぁぁ!!」

 ――オォオォォォォオォン!

 その一撃はまさに龍と虎の咆哮。
 サウンの反応速度を超え、魔法陣を突っ切られ、クラエスの拳は確実にサウンに入った。
「ばか、な……」
 倒れ逝くサウンは、最後に何を思ったのだろうか。
 ただ一人立つクラエスに対して、崩れ落ちゆくサウン――。
 彼の老いた瞳に、涙が見えたような気がした。


 地に沈んだサウンの姿を見ていたクラエスの動悸は激しく、呼吸も肩で息をするほどだった。最後の一撃を放つためにかなりの力を要したらしく、終わったと思えた瞬間に疲労がどっと押し寄せてきた。
 ふと意識が遠のいたかと思うと、急に視界が地面に近くなった。
「……あれ?=v
 倒れてしまったのかと思ったが、違う。この視界の高さは、ここ何年も見慣れてしまったものだ。
「キラパン……」
 横にはリィダが寄りかかっている。魔法の効果が切れ、もとのキラーパンサーに戻ってしまったのだ。
「よぉ、無事か=v
「うん。キラパンの、おかげっす」
 しかしリィダの声は弱々しく、というより今にも眠りそうな声だ。
 キラパンの方は、元の姿に戻ったせいか、先ほどの疲労感が緩和されている。
「ほら、しっかり乗れよ。寝ていていいからよ、移動するぞ=v
「うん」
 寄りかかっていたリィダが、言葉に甘えることにしたのか、寝そべるように乗った。
「えへへ」
「あ? どうした?=v
「キラパンの願い、聞いちゃった」
 リィダは眠そうにしながらも、無邪気に嬉しそうに、幸せそうに呟いた。
「そうかよ=v
 キラパンが人の姿のままだったら、頬を赤く染めていたに違いない。


 オレの願い――それは、リィダと一緒にいることだ。


次へ

戻る