-71章-
魔道士の魂



 洞窟内に、リィダの慌てた声が響く。
「ど、どういうことっすか? 『願いの幸せ歌伝説』って、願いが叶って幸せになる話じゃなかったんすか?!」
 リィダの狼狽に対し、クラエスは低く呻いた。
「エシルリムの時と同じだろ。伝説が微妙に食い違って伝えられていたんだ。もしくは、都合の良い解釈だけが残ったか、だな=v
 リィダが読み上げた内容は、確かに願いが叶っている。『願いの幸せ歌伝説』は、願いの内容までは語られていないだけで、もしもそれが凶悪な願いであったとしても、間違いを伝えられているわけではない。
「とにかく、みんなに早く伝えないと!」
 仮面の魔道士が『願いの幸せ歌伝説』復活を阻止しようとしたのは、この事実を知っていたからではないだろうか。しかしそれならば、何故この事実を公表しなかったのか。
 自分一人とクラエスだけで考えても結論は出ないだろう。今は早々にイサたちと合流を果たすべきだ。
「で、どう行くんだよ?=v
 先ほどまでリィダの指示に従って出口に向かっていたら、洞窟の奥に来てしまったのだ。そのことがあるからか、リィダは決まり悪げに頭を掻いた。
「えぇと、クラエスに任せるっす。イサさんたちの匂いとか追えないっすか?」
「やってみるけどよ、保障はできないぜ=v
 洞窟の深部まで来ているせいか、風の匂いすら感じなくなってきている。先ほどの道を戻って行けば、風の匂いが分かるところに出るだろう。それを追えば出口にも出られるだろうし、外に出たほうが、洞窟内をうろうろするよりかはマシのはずだ。
 そう思い、クラエスは来た道を戻り始めた。


 イサとツバサとセナスの三人は、最初は声を出さずに慎重に歩いていたが、イサはもちろんのこと、他の二人も黙り込んでいる性格ではなかったらしい。
「ところで」
 口火を切ったのはツバサだ。
「どうせだから、シャミーユの昔のこと、聞かせて貰えないかな?」
 と、セナスに向けて聞いた。
「お姉ちゃんのことですか?」
 静かに進んだ方が良いのでは、と咎めることもなく、セナスはむしろ嬉しそうに昔を思い出しているようだ。
「私たちの両親はすぐに死んでしまって、私が寂しいって思った時はよく歌ってくれました」
「歌? お姉さんも歌が得意なの?」
 本当なら黙って聞き流すべきなのだろうが、それができるイサではない。
 面白そうだと思い、会話に参加しだした。
「はい。むしろ、お姉ちゃんのほうが上手なんですよ。お姉ちゃんの歌声はふわふわしていて、とても気持ち良くて、優しくて、寂しい気持ちなんか吹っ飛んじゃうくらい」
 それに憧れていたから、セナスは冒険者としての『職』に吟遊詩人を選んだという。イサからしてみれば吟遊詩人としての実力はセナスも中々だと思っているが、その本人が言うほどなのだから相当なものなのだろう。
「それはなんとなく分かるな。シャミィの声は、とても落ち着くんだ」
 かつて恋人同士だった頃のことを思い出しているのだろう。ツバサも懐かしむような目をしている。
「お姉ちゃん、そっちにいる時はどんな感じだったんですか?」
 セナスはむしろ最近の様子が気になるのだろう。逆に問い返した。
 当の聞かれたツバサは、何故かどう話そうか迷っているようだ。
「……シャミィと最初にあった頃、彼女は大怪我をしていてね。僕が保護したんだ」
 冒険者としての仕事の最中のことである。魔物退治を終えたツバサは、すぐ近くに倒れていたシャミーユを発見した。標的の魔物に襲われたのか、幸い助けることが早かった為に一命は取り留めた。
 怪我は回復魔法で癒すことができたが、後遺症で歩くことがままならず、シャミーユが動けるようになるまでツバサはずっと看病していた。一緒にいる時間のうちに二人の心の距離が縮まったのは、そう難しいことではなかった。
「仕事から戻ってきた時に、ただ一言『おかえり』って言ってくれるだけで随分と癒されたものだよ」
 それだけにシャミーユの突然の失踪はツバサの心に大きな傷となった。
「もう一度その優しい声を聞くためにも、頑張らないとね」
 決意を新たに、ツバサは前を見据えた。
 まだまだ洞窟は続きそうだ。
 幸い、魔物の気配はないので、セナスを庇いながらの戦闘などは避けられそうかと考えた矢先のことである。

「――止まれ」

 その声はツバサのものではない。セナスのものでなければ、イサのものでもない。
 だが聞き覚えはある。つい先ほど聞いた。
 イサたちの前の空間に、いきなり移動してきたかのようにそれは姿を現した。
 女性用の魔道士のローブを纏い、顔の上半分を仮面で覆い尽くした――仮面の魔道士。
「シャミィ……」
「お姉ちゃん……」
 ツバサとセナスがそれぞれ呟く。
 対して、仮面の魔道士は表情を変えた様子はない。
「ねぇ、お姉ちゃん。シャミーユお姉ちゃんなんでしょ?!」
 ようやく見つけることができた姉を前に、セナスの声は少し震えている。
「――あいにく、私はお前が求めるような人物ではない」
「嘘! その声はお姉ちゃんだよ! 私には分かる!!」
 必死に食い下がるセナスに対し、仮面の魔道士は動かない。
「シャミィ」
 泣き出しそうにすらなっていたセナスを押さえ、ツバサが進み出た。
「僕のことも分からないのか」
「何度も言わせるな。私はお前たちが望む人物ではない」
「そうか」
 ツバサは残念そうに目を伏せた。
「……僕のことが分からないとか、忘れたとか、そういう類だったらまだよかったんだけど。妹さんにもそういう態度を取るなら、許せないな」
 ツバサが伏せた目を再び開いた時の眼光は、何かを決意しているかのように鋭い。
「僕は君がシャミィであることは分かるんだ。だけど、君はそれを違うと言う」
 言いながら、ツバサは手元を光らせた。冒険者特有の、精神力を武具に変換する力。武具召還である。
「君がシャミィなら、僕は君と戦いたくない……とは言わないよ。シャミィでないなら、僕は『ブレイク・ペガサス』として仮面の魔道士討伐の仕事を完遂させるだけだし、君がシャミィであったとしても、話をしてくれないなら、まずは君を倒して事情を聞き出せてもらう」
 ツバサが召還したのは、鳥の翼を模した柄から細身の刃が伸びた『隼の剣』。
 相手がかつての恋人だったとしても関係ない。ツバサは全力で仮面の魔道士に挑むつもりだ。
 眼光の鋭さは決意の証だけではない。その目は、激戦を潜り抜けた戦士の目である。
「私と戦うか」
「もちろん」
 ツバサが隼の剣を構える。
「多勢に無勢で卑怯って思われるかもしれないけど」
 イサも飛龍の風爪を構えてツバサの横に並ぶ。今は目の前にいる仮面の魔道士を倒さなければならない。
「……残念ながら、私は戦うつもりなどない。お前たちに一つ、言っておこう」
 仮面の魔道士の言葉に、ツバサとイサが怪訝そうな顔をする。
「この件から手を引き、自国へと帰れ。そして全て忘れろ」
「……できるはずがないだろう」
 例えツバサやセナスが仮面の魔道士と個人的な関係がなかったとしても、ベンガーナは伝説の研究を行っていた関係者を多く失っている。その首謀者が目の前にいるのだ。はいそうですかと引き下がれるわけがない。
それに、ツバサにはベンガーナ国冒険者としての義務もある。
「忠告はしたぞ」
 洞窟内だというのに風が吹いた。仮面の魔道士を中心としたその風は、彼女自身に収束するかのように吹いている。
「(風……?)」
 イサが感じたのは、この風は決して攻撃的な風ではないということだ。かといって、癒しの風というわけでもない。はっと気付いて、道具袋をあさり、あるものを取り出す。
「お姉ちゃん!」
「待て!」
 セナスとツバサが叫んだ。風に包まれた仮面の魔道士は姿を消しつつある。姿が薄れ、この場から去ろうとしていることが目視できた。
 だが――。
「なに?」
 ぱたりと風が止んだ。
 薄れていた仮面の魔道士の姿が、はっきりと残る形となった。
 このままでは逃げられてしまうとばかり思っていたツバサやセナスも驚いたようだが、仮面の魔道士自身も、意図していない風の止まり方に動揺しているようだ。
「お前か」
 仮面の魔道士が恨みがましい声音で視線を向けた先は、ツバサとセナスの後ろ。
「私の前で風を使って逃げようなんてしないほうがいいよ」
 ツバサとセナスが仮面の魔道士の視線を追って振り向くと、そこにはイサが片方の飛龍の風爪を仮面の魔道士に向けるようにしていた。そこには、魔力の風が集中しており、飛龍の風爪には先ほどまでなかった石が嵌め込まれていた。
「風の精霊の完全支配か……。さすがだな」
 仮面の魔道士はすぐに冷静な口調に戻ったが、内心苛立っているだろうことが容易に見て取れる。
「逃がすわけには行かないからね」
 と、イサは不敵な笑みを浮かべた。
 笑みを浮かべつつも、実はそうとうな無理をしている。
 イサが使ったのは、風神石ではない。風魔石である。悪意の風さえも含まれるこの力は、魔を御するには最適なのだ。
 暴れ出しそうな真っ黒い感情に押し潰されないように平常心を保とうと必死になっているのだが、それを顔に出すわけにもいかない。
「ならば、お前を倒すまで」
 仮面の魔道士の周囲に、風の精霊力とは異なる魔力が収束する。
「無駄よ。バギ系の魔法はもちろん、今の私はメラ系だろうとヒャド系だろうと、大いなる風の魔力で打ち返す」
 自信満々に言い放つことができるほど、今は自身の魔力を感じることができる。
「……――」
 攻撃呪文を唱える、というわけではなく、仮面の魔道士は大きく息を吸い込んだ。
 放たれたのは、イサを標的とした攻撃魔法ではない。
「――――……♪」
 整った声での、旋律。仮面の魔道士は、唄った。
 聞いていて心地よいほどの綺麗な歌声。それゆえに、集中力が乱れ、意識が遠のきかける。
「これ……は?」
 炎や氷などの魔法なら魔力の風で防ぐことができる。だが、歌声に乗せられた魔力は、防ぐ手立てはない。
 瞼と身体が急激に重くなる。気を抜いたらその場で倒れこんでしまいそうだ。
「イサさん!」
 セナスの力強い声に、イサはびくりと肩を震わせた。それと同時に、襲い掛かっていた身体の重さがなくなる。
 気が付けば、セナスも唄っていた。彼女の歌声が、仮面の魔道士の歌声を乱しているのだ。
 漣の歌。人を眠りに誘う歌を、仮面の魔道士は唄っている。
 それに対抗してセナスが唄っているのは、人を眠りから呼び覚ます目覚めの歌。
 二つの魔法的な作用を持つ歌は、互いを打ち消しているようだ。
「今のうちに!」
 最も早く動いたのは、ツバサである。
 隼の剣を振りかざし、イサ以上ではないかというほどの素早さで仮面の魔道士に迫る。
「ふっ」
 隼の剣の軽さを利用した二連攻撃。しかしそのどちらの攻撃も、仮面の魔道士に届かない。唄いながらも仮面の魔道士はツバサの攻撃を寸での所で躱したのだ。そう簡単に見切れるものではないはずだが、それを成した仮面の魔道士は接近したツバサに対して右腕を突きだした。
「!」
 突き出した右腕から閃熱が走り、ツバサに直撃する。閃熱呪文(ギラ)だ。
 ギラ程度の呪文で、ツバサが引くはずがない。それは仮面の魔道士も承知している。目的は、別にある。
 ギラの閃熱をツバサが振り払う。その振り払った直後に、仮面の魔道士は準備していたもう一つの魔法を解き放った。
「集いし精霊たちよ、弾けよ――イオラ=I」
 イサが魔法を跳ね返せるのは、あくまで自分の範囲だけだ。イサから離れ、術者と近距離にいるツバサまで守ることはできない。
 爆音が、洞窟内を揺るがした。


「今、揺れなかったか?」
 洞窟内を進んでいたラグド達は、かすかな地響きを感じて足を止めた。
「ああ、精霊力が一瞬だけ収束されるのを感じた。あんたらの仲間に、爆発呪文を使う奴はいるのかい」
「いや」
 ジェットの問いに、ラグドは首を横に振った。
 一応、リィダは魔法使いの経験があるとはいえ、イオ系統の魔法をまともに操るレベルではない。
「だったら、誰かが仮面の魔道士と交戦しているのかもしれねぇな。ツバサは魔法戦士だけど、爆発呪文は使えないし」
 相手が仮面の魔道士かどうかは定かではないが、ラグドもそう考えている。
 それというのも、洞窟内をいくら進んでも魔物の気配がしないのだ。そのような場所で戦う相手と言ったら仮面の魔道士くらいしかいない。
「それにしても、精霊力の収束など解かるものなのか?」
 ジェットが先ほど口にしたことだ。当たり前のように言ったので、聞き流すところだった。
「まぁね。『即発動』は特性上、そこに存在している精霊力を把握する必要があるからな」
「ならば、だいたいの方向で加勢に迎えるのではないか」
 今度はジェットが首を横に振った。
「無理だな。方向はわかっても、そっちだ」
 ジェットが指差した方向は、一面壁である。今、ラグドたちが進んでいる道に、その方向へ向かえる通路はない。
「俺達は俺達が行ける道を突き進むしかねぇよ」
 と言って、ジェットは肩を竦めた。彼も行けるなら精霊力の収束を感じた所へ向かいたいのだ。
 いっそのこと壁を壊しながら精霊力の収束を感じた方角に向かうかとも考えたが、むやみに洞窟に穴を掘るわけにもいかない。
 ならばせめて、通路の分岐点があればそちらに近い方を選ぶくらいだ。
「いくら精霊力を把握する能力が他人より良くても、こういう肝心な時に役に立たないからショックだわー」
 落ち込んでいるようには思えない口調でジェットが言うが、彼なりに気落ちしそうなのを立て直しているのかもしれない。
「俺は精霊魔法を詳しく知らないが、そんな人間から見れば充分すぎる能力だと思うぞ。教えを請いたいくらいだ」
 かつて仲間だった魔道士がいたら別の意見もあっただろうが、ラグドにとっては素直な賞賛のつもりだった。
「そう言われるとありがたいね。なんなら、いつか精霊魔法の特別授業でもしてやろうか」
「それは助かる。今の我らのメンバーは魔法の分野で詳しい人間がいないからな。時間ができた時にでも頼もうか」
「まあ、特別授業は女の子限定だけどな。お嬢ちゃんと魔物使いのねーちゃんだけに教えてやる」
 ジェットの口調もずいぶんと軽くなっていた。
 そこに横やりを入れたのは、少し先を行くサウンである。
「ジェット」
 老人の声は、ほぐれたジェットと反対に堅い。
「我らの目的を忘れるなよ」
「わかっているよ。冗談の一つや二つ言わせてくれたっていいじゃないか」
 ジェットの抗議に、サウンは一瞥するとすぐに前を向いて歩き出した。これ以上、会話をするつもりはないらしい。
 ジェットはラグドに肩を救って見せ、お喋りはここまでだ、と手振りで伝えた。
 また先ほどと同じように、三人は黙々と進み続けるだけの時間が続くようだ。
 だが、先を行くサウンをラグドは注意深く見た。
 先ほどの一言が、妙に気にかかっている。
 何も気にしなければ、調子に乗ったジェットを軽く叱咤しただけのように聞こえた。しかし、言葉と同時に何故か背中が凍りつくような感覚に襲われたのだ。まるで殺気を直接向けられたような感覚に似ている。
 ただ、それも一瞬の出来事で、気のせいと思ってしまうくらいのものだ。
「(考えていても仕方ないな)」
 とにかく、今は前に進むしかない。
 誰かが仮面の魔道士と交戦しているなら、もしかしたらそれはイサやリィダかもしれないのだ。
「(他の皆は無事だろうか)」
 ラグドの気がかりは、そちらのほうに移って行った。
 それからどれほど歩いただろう、三人は広い部屋に出た。洞窟内を歩いていたのだから、広い空間と呼ぶべきなのだろうか、そこが部屋と思わせたのは、古びた家財が置かれていたからだ。手入れもされておらず、しかし配置はまるでそこで生活したいたかのように、机があり、椅子があり、棚が置いてある。
 そして中央に、ぽつんと場違いに置かれた。
「宝箱?」
 その宝箱だけは他と歴史が違うかのように綺麗な光沢を保っている。
「結界が張られているな」
 結界魔道師のサウンがいち早く気付いた。なるほど、それで保存状態もいいわけだ。結界で守られている宝箱は、その状態を維持しているものが多い。
「開けられるのか?」
 魔法による封印が施されているなら、ラグドに出番はない。開けることができる可能性があるのは、二人の魔道士だ。
 当然、この宝箱に罠が仕掛けられていることも警戒しなければならないが、見過ごすわけにもいかない。
「う〜ん、まあ、やってみるか」
 自信がなさそうな声を出しながらも、ジェットとサウンが宝箱に近付いた。


 爆撃呪文(イオラ)の爆炎と煙が収まる。
 そこには、一人が凛として立ち、一人は膝を付いていた。
「僕を、甘く見すぎていたようだね」
 立っているのはツバサであり、仮面の魔道士は怪我を負って膝を付いている。ツバサは爆発によるダメージは見受けられず、むしろ術者であるはずの仮面の魔道士がイオラの直撃を受けているようだ。
「……魔法反射鏡呪文(マホターン)、か。私の閃熱呪文(ギラ)を、振り払ったのではなかったのだな」
 フェイントのつもりで仮面の魔道士はギラを放ち、ツバサはそれを振り払ったかのように見えたが、違う。ギラによる炎を無視して、あらゆる魔法を一度だけ跳ね返すマホターンを使ったのだ。一定時間、魔法を跳ね返すことができる魔法反射壁呪文(マホカンタ)に比べれば、一度だけである代わりに発動が早い。
「ギラを使おうとした瞬間に、君が後ろで別の強大な攻撃魔法を立て続けにするだろうと予測したんだ。勘、だったけどね」
 それでもその勘は当たっていた。一瞬の間に、仮面の魔道士の行動を先読みしていたのだ。
「君の圧倒的な魔力は、国中の吟遊詩人を一晩で攫うことができるほどだ。だけど、直接的な戦闘の経験が足りなさすぎるんだよ」
 大がかりな魔法を使うことができるのと、実際に戦うことができるということは必ずしも同じになるわけではない。激戦をその身で潜り抜けてきた者と、そうでない者に差が出るのは当然だ。
「お姉ちゃん」
 セナスが膝を付いている仮面の魔道士に傍らに立った。セナスの呼びかけに、仮面の魔道士は顔を上げようともしていない。それをセナスが悲しげに見下ろす。
 やがて、セナスは何かを決意した表情となった。
「……――♪」
 セナスは一度、目を閉じたかと思うと歌い始めた。
 聞きなれない、しかし心地よい旋律だ。風魔石の襲い掛かる心の闇に耐えようとしていたイサは、急に身体が軽くなったかのように感じた。まるで、風魔石の影響がなくなったかのようだ。
 仮面の魔道士はどうだろう。
俯いたまま、黙りこんでいる。
「……うまく、なったわね」
 ――俯いていた仮面の魔道士が呟いた。その言葉を聞いて、セナスも歌うのを止める。
「お姉ちゃんが、よく歌ってくれたよね。私が泣きそうになった時や、悲しい時に歌ってくれて、そうしたら私の不安が全て吹っ飛んでいた」
 心の闇を振り払い、安らぎを与える歌だ。
「でも、まだまだね。二つ目の一節は半音上げるのがポイントよ」
 仮面の魔道士が薄く笑い、すくりと立ち上がった。
「やっぱり、お姉ちゃんなんでしょう?」
 セナスの問いに、仮面の魔道士は即答せず、じっとセナスを見つめた。どれほどその時間が続いただろうか、実際の時間は数秒のはずだが、何時間もそうしていたように感じる。
「……えぇ、そうよ。私は紛れもなくシャミーユ=ルミトラス。セナス、あなたの姉であり――」
 仮面の魔道士――いや、シャミーユは仮面をつけたままだがツバサの方を向いた。
「ツバサ、あなたが愛した人間その人よ」
 シャミーユの言葉に、セナスは嬉しそうな顔を浮かべ、しかしツバサは心苦しそうな面持ちのままだ。
 それもそうだろう。セナスは姉に会いに来たのが目的であり、ツバサは仮面の魔道士を討つためにここにいるのだから。
「シャミィ、君は何故こんなことを?」
 聞きたいことは山ほどある。しかし、彼女はその全てを答える余裕がなさそうだった。
 彼女はかぶりを振って、ツバサとセナスを見た。
「さっき言った通りよ。全部忘れて、国へ帰って」
「君が本当のシャミィで、そんなこと言われて、はいそうですかって引き下がれるものか!」
「お願いよ! 私が『私の意識』であるうちに、早く!」
 シャミーユの声は焦燥感に溢れており、悠長に事情を聞けそうにない。
 まずは、彼女を落ち着かせなければならないだろう。
 だが、彼女の混乱に追い打ちをかけるかのように、この場に乱入した者が一人。
「あぁ! イサさんを見つけたっすぅ!」
 いや、一人と一匹であった。キラパンとリィダが、通路の奥から現れたのだ。
「リィダ?!」
「ようやく会えたっすぅ! 寂しかったっすよぉ」
 リィダは涙目になっており、自身で言った通り寂しさで泣き出しそうになっていたようだ。そのせいか、最初はとりあえず安心できるイサの顔しか見ていなかったようで、周囲にいる人物が誰であるかは把握していなかった。
 キラパンから降りようとしながら、ようやく他の人物にも目が行き、そこに誰がいるかを確認した。
「って、えぇぇぇえ!? 仮面の魔道士?!」
 仮面の魔道士がそこにいるのだから、驚くのは無理もない。
「なんでここに仮面の魔道士がいるんすか!? せっかく逃げて来たのに! 逃げるっす! とりあえず逃げるっす! あぁでもイサさんを置いていけないっす!」
 リィダはシャミーユとは別の意味で激しく混乱している。
 そのせいか、中途半端にキラパンの背から降りようとしていたリィダはものの見事に転んでしまった。
「うぅ、いてて」
 変な落ち方をして頭や腰を強打する、ということはなさそうだった。さすがに転び慣れているだけはある。ただあまり自慢にはない。
 リィダの慌てっぷりを見て、本人以外はぽかんとしており、仮面の魔道士――シャミーユでさえ、先ほどの慌て様が嘘のようにリィダを見ていた。仮面のせいで表情は見えないが、目を丸くしているのだろう。リィダのこれ以上にない慌て姿が、冷静さを取り戻すきっかけになったようだ。
「シャミィ、落ち着いたかい?」
「え、えぇ……」
 ツバサに問われ、シャミーユはまだ呆然とした様子で答えた。
「僕がついている。だから、安心して話してくれないか」
 『僕ら』と言わない辺りが妙に気障っぽくはあったが、それほどまでに自信があるのだろう。
「え。え? どういうことっすか?」
「リィダ、ちょっと黙ってて」
「あぅ、はいっす……」
 唯一状況が把握できていないリィダは、イサの一言で混乱からは解放された。
 そして、全員の視線がシャミーユに集まる。
「仮面の魔道士って、一体なんなんだ?」
 聞きたいことは山ほどある。シャミーユも何から話していいか迷っているようだったので、ツバサが率先して質問を投げた。
 シャミーユは、慈しむかのようにそっと己の仮面に触れながら答える。
「この仮面に宿っている、三界分戦後期の魔道士の魂そのもの」
「三界分戦の魔道士? じゃあその仮面って」
 その言葉にイサが反応した。イサが言わんとすることがシャミーユにも分かったのだろう。
「えぇ、そうよ。この仮面は、三界分戦の遺産なの」
 彼女は頷きながらそう言った。


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