-69章-
関係する者



 その建造物は星降りの山から半日ほど歩いた先にある森の中にあった。
 森に隠れてはいたが、随分と大きな館である。いや、小さな城と言っていい。
 周りの木々が高いために小さく見えるだけで、実際に入ればそうとうな広さだろう。
「ここに、仮面の魔導士が?」
 イサは隣にいる『ブレイクペガサス』たちに聞いた。ツバサがゆっくりと頷く。
「よく突き止めたわね」
 こんな場所があるなんて知らなかった。星降りの山には何度か行ったことがあるし、旅の扉が星降りの山に通じていた以上、近辺は隈なく調査されているはずだ。それなのに、これほど立派な建造物に気付かなかったのだ。存在感のなさは一級品だろう。
「これでも軍事国家の冒険者だ。なめないでもらいたいね」
 突き止めるくらいは当然だ、とでも言うつもりか。どうやら、聞くこと自体が失礼だったらしい。
 館の正面扉は開け放たれており、こっちに来いと誘っているかのようだ。
 普通にみれば単純な罠。入った瞬間に扉が勝手に閉じて……というような展開が目に浮かぶ。
 それでも、ここまで来たのに立っているだけでは何も始まらない。
 罠であるというのなら、それにあえて踏み込むしかない。
「行こう」
 ツバサたちが先に動いた。
 『風雨凛翔』のメンバーとセナスもそれに続く。ツバサたち『ブレイク・ペガサス』たちに同行させてもらっているのだ。行動の優先権くらいは、彼らに渡してやるつもりだ。

 館の中はひんやりとしており、人の気配のなさがその感覚を際立たせている。
 だが何年も使われていない、という様子はない。
 中央に二階へ続く階段が伸びており、左右対称の造りとなっている。
 中は広そうなので、手分けして手がかりを探すべきだろうか、とイサは辺りを見回したが、ツバサは正面を睨んでいた。
「ここにいるのだろう! 出てきたらどうだ」
 自信に満ちたその声は、相手の存在を疑っていない。
 やがてその音は聞こえてきた。
 コツ、コツとゆったりとした足音だ。二階へ続く階段の奥から、その人物は現れた。
「仮面の……魔導士」
 比喩やあだ名ではない。確かにそうとしか言えない風貌なのである。
 顔の上半分をすっぽりと隠し、唯一見えている口元は、思った以上に綺麗な肌をしているのが見て取れた。
 何よりイサたちが驚いたのは。
「女の人……?!」
 魔導士特有のローブを纏っているが、その膨らんだ胸や細い体の線は、見事な女性のそれである。
 ベンガーナという大国に宣戦布告をするのだから、よほどの修練を積んだ魔導士かと思いきや、若い女性だ。驚かない方がおかしい。ところが、『ブレイク・ペガサス』の面々は驚く所か、ついに見つけたと言わんばかりに睨みつけている。
「お前がベンガーナの吟遊詩人たちを攫ったのだろう。返してもらおうか」
 姿そのものはそうだとして、相手はまだ仮面の魔導士と決まったわけではないように思われたが、『ブレイク・ペガサス』たちの中では既に確定しているのだろう。
「……ベンガーナの者ばかりと思っていたが、別の者もいるようだな」
 ツバサの言葉の返答ではなく、仮面の魔導士の視線はイサたちに向けられていた。
 その声は美しく、どこまでも澄んでいた。凶悪な魔導士を想像していただけに、本当に彼女が仮面の魔導士本人なのか疑ってしまいそうになる。
「ここまで来るとはご苦労なことだ。攫った者たちを返したら、あとは私を殺して研究の続行というわけか?」
 口元だけだったが、皮肉めいた笑みを浮かべていることは分かった。
 ツバサの顔に、一瞬だけかげりができた。ベンガーナの思惑としては、まさにその通りなのである。所詮は一人の魔導士だ。吟遊詩人たちを取り戻し、仮面の魔導士を討伐さえしてしまえば脅威はなくなり、再び着手できる。
 表向きは、研究の中止を約束する代わりに吟遊詩人たちを返してくれ、という交渉にしてまずは人質を取り戻すつもりだったが、さすがにそう簡単にはいかない。
「取り戻したければ、勝手にしろ。生きて私の所に来ることができたらな」
 仮面の魔導士はくるりと踵を返し、奥へと向かって行った。
「待て!」
 すかさずツバサたちが走り出した。
 だが階段を昇り始めるより先に、その声がかけられた。
「待たれよ」
 しゃがれた声で制止させたのは、サウンである。
 まるでそれが呪文であったかのように、ツバサとジェットの足が止まった。
 何故止める、とは聞かない。彼らは、サウンが止めたからには理由があることをよく知っているからだ。
「結界か……」
 忌々しそうにツバサが聞き、サウンがこくりと頷く。
 ジェットがおもむろに、指先に精霊力を宿らせた。赤い精霊力は炎となり、握り拳ていどの火球となる。火球呪文(メラ)だろう。
 確かめるにように火の玉を階段の方に打ち出すと、階段に届くより前に、空中で激しい音を立て、火球は弾け飛んで霧散した。どうやらそこを通ろうとしたものは、この結界に阻まれ、下手をすればその肉体がばらばらになってしまうらしい。
「よくわかったわね」
 と、素直にイサは感心した。
「結界魔導士だからな。結界には敏感なのだよ」
「結界の解除もできるのか?」
 聞いたのはラグドだ。だが、サウンは首を横に振った。
「想像以上に強力な結界のようだ。私の魔力ではどうにもならんよ」
 すんなり結界魔導士としての敗北を認める辺り、さすがは最年長といったところか。
「そうなると、別の道か」
 中央の階段が使えないとはいえ、左右対称に造られているこの建造物は両端から別の通路に繋がるようだ。
「って、あれ? どうしたんすか、セナスさん」
 見れば、セナスは仮面の魔導士が消えて行った方向を見つめ、わなわなと震えていた。
 幽霊か何かでも見つけてしまったかのように、自分で見たものが信じられないといった顔をしているではないか。
「どうしたの?」
 イサにも問いかけれ、ようやくセナスは口を開いた。
「あの人……」
「仮面の魔導士?」
 こくり、とセナスが頷く。
「私の……お姉ちゃん」
 セナスは自分で言ったことであるのに、それが信じられないと言いたげであった。


 最後に姉の声を聞いたのは、十年以上も前の話だ。だが、それでもしっかりと覚えている。優しく、澄んだあの声を。
 聞き間違えるはずなどない。何より、自分自身の身体中の何かが、あの人物が姉であることを告げている。それが何かはセナスには分からない。ただ言えるのは、仮面の魔導士は長年探し続けていた姉で間違いないということだ。
 それを聞いたツバサが、悲しそうな顔でセナスを見た。
「君の名前を詳しく聞いていなかったね」
「セナス=ルミトラスです」
 セナスのフルネームを聞いて、ツバサは少しだけ驚き、嘆息するように言った。
「そうか……シャミーユ=ルミトラスの妹さんか」
 今度はセナスが驚く番であった。
「お姉ちゃんを知っているのですか?!」
 セナスは姉の名前を言った覚えはない。姉を探しているのは本当だが、今の本当の目的は、世界を滅亡に導こうとしている者に会うことだ。姉探しは、ついでのようなものとなっていた。だから、姉探しを積極的に行おうとはしていなかった。
「知っているも何も……なあ?」
 ジェットが取り繕うとしたが、結局何を言っていいものかわからず、ツバサに判断を任せるように言った。
 ツバサは全員の視線が自分に集まっていることに気付き、ため息を一つゆるゆるとついた。
「隠していても仕方がないようだ。ああそうさ、僕はシャミィ……シャミーユのことを知っている。ここの仮面の魔導士が、シャミーユ=ルミトラスであることもね」
 ツバサの表情は悲しみに満ちていた。秘密がばれたことを悔やんでいるのではない。今のこの、運命の巡り合せに悲しみを抱いているのだ。
「シャミーユとは……いや、シャミィと僕は恋仲だった」
 いきなりの言葉に、イサたちを含めセナスも言葉が出ないほど驚いた。
 ベンガーナで暮らしていた時のことだ。ベンガーナお抱えの冒険者チームではなかった、まだ実力が伴わない頃に、ツバサとシャミーユは出会った。二人は恋に落ち、ツバサは彼女のために頑張ろうと実力をつけていき、ベンガーナ国に認められる冒険者まで上り詰めようとしていた。
 ベンガーナ国王が冒険者ギルドより一組のみをお抱えの冒険者として迎える、という通知があったことを知り、実力と自信を身に着けたツバサは、これに合格したら結婚を申し込もうと考えていた。もちろん、夢物語ではなく、その一組になれる自信はあった。
 要は、ただきっかけが欲しかったのだ。
 そして、彼らはベンガーナが用意した試験に合格し、晴れてベンガーナ国直属の冒険者チームとなった。
 だが、その夜。
 シャミーユは姿を消した。
 彼女の字で、理由は聞かないでほしい、という置手紙を残して。
 ツバサは必死で彼女を探した。冒険者にとって人探しも仕事の内だ。見つけられないはずがない。そう思っていたが、ついにシャミーユは見つからなかった。
 ベンガーナとの契約を蹴って、彼女の捜索に生涯を費やそうとも考えた。だが、ここまで付き合ってくれた仲間や国の信用を裏切ることになる。既に、ツバサには責任という枷がついていたのだ。それを放り出してまで彼女を見つけても、きっと彼女は「私のために皆を裏切ったのか」と罵るのではないか。
 ならば、せめて自分の役割を果たそう。
 そう思うことで、ツバサは自分の悲しみを抑え込んだ。
 だが、その日はやってきた。
 仮面の魔導士の宣戦布告。調査を請け負った『ブレイク・ペガサス』は、いやツバサは、送られてきたという手紙を見て確信した。
 シャミーユの字だ。
 一見しただけで、それは分かった。
 何故こんなことをしているのか、それは分からない。しかし唯一見つけた手掛かりだ。どんなことをしてでも見つけ出す。
 ベンガーナ国としての決定は、最終的に彼女を死刑にすることだ。他の奴らに任せていては、それをただ眺めるだけになってしまう。そんなことはさせない。先に見つけ出し、彼女も吟遊詩人たちも救いださなければならないのだ。

「君を初めて見たとき、似ているんで驚いたよ」
 ツバサがセナスを見たときにぎょっとしたのはそのせいだった。
「お姉ちゃん……なんでこんことに」
「それは本人に聞かないと分からない。だから、進むしかないんだ」
 ツバサの眼差しには決意の火が灯っていた。ようやくここまで来たのだ。彼女の真意を知るためにも必死なのだろう。
「進むって言ってもね」
 イサは仮面の魔導士――シャミーユが消えて行った方角を見た。強力な結界が、彼女の後を追うことを拒否している。
 やはり、左右の別通路から進むしか、方法はないようだ。
 どちらから進んでも同じようなものだろうが、もしかしたら片方は途中で行き止まりか、罠でも仕掛けられているかもしれない。
「別れて進もう。君はどうする?」
 と、ツバサはセナスに聞いた。
 セナスはどちらのメンバーでもない。最初は見知っているイサたちの同行を望んだが、今は姉のことを知っている人物がそこにいる。
 少し考えて、セナスはイサたちを見た。
「わかった。そっちがいいんだね」
 まだ何も言っていないが、無意識にイサを頼ったことから、『風雨凛翔』と共に行きたいと思っていると判断したのだ。
「セナス、私たちから離れないでね」
 言って、イサは身を屈めた。戦闘スタイルを取ったイサに驚くことなく、ラグドが地龍の大槍を召還する。キラパンが唸り、セナスとリィダがどうしたのかと目をぱちくり瞬かせる。
「そっちは、任せたよ」
 言ってツバサは二対の剣を召還し、ジェットも杖を構えた。光輪を模した装飾が先端の青い水晶を囲むようになっているそれは、光の杖という『伝説級』に部類される武器だ。
 そしてサウンも結界魔法を使うべく、精神を高めた。
 人の気配は相変わらずなかった。仮面の魔道士が奥へ引っ込んでから、本当に人がいるのかと錯覚するほどだ。だが、別の気配がそれぞれの通路の奥から近寄っていた。破壊衝動にまみれた、危険なそれを、よく知っている。
殺気に満ちた、魔物の気配である。


 赤銅色の鎧が、盾と斧を持ってがしゃりがしゃりと近づいてきた。兜の奥底には昏い光が灯っているだけで、中に誰かがいるというわけではなさそうだ。館などのダンジョンでよく見かける、鎧の魔物である。
「こういう相手って苦手なのよね」
 不満を言いながらも、イサは地を蹴って先制の一手を取る。鎧を着た生身の身体がある相手ならば、鎧の隙間から攻撃すればよいのだが、中身がなければ単純にそこに宿る魔物の生命力を削るしかない。
颶爆烈撃掌(クバクレツゲッショウ)=I」
 風の爆発を起こす風連空爆を打撃に乗せるこの一撃は、鎧をも砕く。だが、それは魔物の盾によって阻まれた。
 すかさず、イサが後ろに跳ぶ。ちょうど、イサのいた位置に斧が振り下された。ぼうっとしていれば斧の餌食になっていただろう。
「キラパン! ガンガンいくっす!」
「おうよ!=v
 続いて『言霊』の力を得たキラパンが大きく息を吸い込み、氷の息を吐いた。冷気には耐性がなかったのか、鎧の魔物は動きを鈍らせる。関節が凍り、思うように動かせないようだ。
「ラグド!」
「承知」
 イサと入れ替わるようにラグドが前に出る。
 地龍の大槍を頭上で回転させ、勢いに乗せて一撃を放った。
 鎧の魔物はラグドの一撃をまともにうけてしまい、後方に吹き飛ばされ、壁に激突した。壁が壊れてそのまま外に出るのではと思われるほどの衝撃だったが、壁に跳ね返されたかのように鎧の魔物が前に倒れる。どうやら壁事態に特殊な結界でもかけられているようだ
 鎧の魔物が再び動き出すことはなく、宿っていた生命力が途切れ、鎧ごと消滅してしまった。
「こっちはなんとかなったわね」
 イサたちが向かおうとしていた通路から出てきた魔物は斃すことができた。魔界で経験した戦闘に比べれば、まだ余裕がある。
 『ブレイク・ペガサス』たちはどうだろうか、と振り返ると、まだ魔物は斃していなかった。それどころか、まだ戦闘に入っていなかったようで、どうやらこちら側の魔物のほうが早くにイサたちへ突っ込んできたらしい。
 手助けすべきだろうか、とも考えたが、彼らとて一流の冒険者だ。そんなことをしたら侮辱の域だろう。
「お手並み拝見ですね」
 隣に立っていたラグドが小声で言った。彼もイサと同じ考えだ。
 ツバサは剣士で、ジェットは魔法使い。サウンは結界魔導士と言っていた。
 彼らがどのように戦うか、イサはそれが見られることに不謹慎かもしれないがわくわくしてしまっている。
 通路の奥から現れたのは、イサたちと戦った魔物と同種族の、鎧の魔物である。
「ジェット!」
「任せとけ」
 ツバサの言葉に、ジェットが光の杖を鎧の魔物に向けた。
「精霊たちよ 我が声に従え――メラミ=I」
 火炎弾呪文を放ち、鎧の魔物に命中した。
「ヒャダルコ=I」
 鎧の魔物が火炎弾呪文でよろめいた瞬間、足元が氷漬けになる。
「イオラ=I」
 冷氷呪文(ヒャダルコ)の氷が具現化しきる前に、爆発が鎧の魔物を襲った。
 爆煙がおさまると、そこに鎧の魔物は存在していない。
 結局、ジェット一人だけで魔物を斃してしまった。
「……速い」
 イサが、いや、戦い慣れている『風雨凛翔』のメンバーは全員、驚きのあまり目を見張っていた。
 ジェットが詠唱らしきものを唱えたのは、最初の一度だけ。その後は、呪文の効果が出るよりも早く、次の魔法を放っていた。詠唱なしで魔法を使える者もいるが、それにしても速すぎる。
「ジェットの特技、『即発動』さ。魔法使いは、一度魔法を使ったら次の魔法を使うまで時間がかかるっていう常識を覆したい一心で、彼が身に着けたんだ」
 ツバサがイサたちの心中を見透かしているように言った。魔法は魔力の集中に、精霊力の昇華など、時間がかかるのは確かなはずだ。それをこの速さでやるのだから、彼の努力は桁違いなのだろう。
 もしくは、さすがはベンガーナ一の冒険者というべきか。
「さあ、ぐずぐずしていられない」
 そう言って、『ブレイク・ペガサス』たちは自分たちが向かう通路へ駆け出して行った。
「私たちも負けてられない! 行こう!」
 何も勝負をしているわけではなかったが、イサたちも進むべき道へと向かう。


 二つの冒険者チームが別々の通路を進んでいく様子を、彼女は見ていた。
 館の、とある一室。
 そこかしこに置かれた鏡は、普通の鏡のように目の前の物を映しているわけではない。魔力の宿っているそれは、館の内部の、あらゆる場所を、あらゆる角度から映し出している。
 そこに映っているのは当然、『ブレイク・ペガサス』と『風雨凛翔』たちだ。
 あてがった魔物たちは悉く斃され、彼らの快進撃を止めるには力不足だ。
「……」
 彼女は、それぞれの鏡の中で、一人の人物を見ていた。『ブレイク・ペガサス』たちが進む鏡の中ではツバサを。『風雨凛翔』たちが進む鏡の中では、戦闘に参加していないセナスを。
「……」
 仮面の魔導士は諦めたように首を横に振る。
「宜しいのですか?」
 仮面の魔導士に、一人の執事風の男が問いかけた。場所が館なだけに、その風貌は妙に似合っている。年の代は『ブレイク・ペガサス』のサウンよりは若いだろうが、それでも白い髪と整った白髭は長い年月を生きた証だろう。老いているとはいえ、ぴんと伸びた背筋が、彼をまだ若くに見せている。
「お知り合いなのでしょう」
「……構わないわ、やってちょうだい。『私』の使用も許可する」
 仮面の魔導士の言葉に、老執事は悲しげな眼を向けた。
 返事がないことに対して仮面の魔導士が老執事を見やると、彼はやっと目を伏せて深々と頭を下げる。
「御意」
 そう言って、姿を消した。
 彼が姿を消して、この部屋では仮面の魔導士一人となった。
 いくつも置かれている鏡のうち一枚が、ここを映し出している。いや、その鏡には魔力がこもっておらず、ただ自分が映っているだけだ。魔導士のローブを纏い、顔を隠す仮面をつけた自分が。
「大丈夫。私はあなたの明日≠歌い続けるわ」
 その声は、どこか寂しげであった。


 館の内部へ進む道の途中、幾つか部屋はあったもののそれらは無視している。
 魔物たちが通させまいとしているのが、通路の先だからだ。
 それに、部屋の一つを調べたときに怪しそうなものはなかった。
構造的に二階へ通じる道は、この通路の奥にあるはずだ。
 何度目になるか分からない戦闘を終えた後、イサは汗を拭いながらセナスを見た。
「さすがは吟遊詩人の『職』を持っているだけはあるね。助かるわ」
「それほどでも」
 と言いながら、セナスは照れているのか顔を赤くしている。
 吟遊詩人の特技として『戦いの歌』というものがある。味方の士気を鼓舞し、身体能力を一時的に飛躍させる効果があり、セナスはそれを歌った。おかげで、戦闘はかなり楽になっている。
 今の戦うメンバーが揃いも揃って物理攻撃を得意とする者が多く、その分『戦いの歌』の恩恵は最大限に活かすことができる。問題は、魔法使いがいないので実際に仮面の魔導士とぶつかったときなのだが、だからと言ってこの歩みを止めるわけにはいかない。
 そう意気込んでいたが、さすがにその人物の前では止まることを余儀なくされた。
「止まりなさい」
「仮面の魔導士?!」
 魔導士のローブに身を包んだ、仮面の魔導士。それが、イサたちの前に姿を現した。
 驚くのも無理はない。姿を消したはずの彼女が、今こうして現れたのだから。
「キラパン? どうしたんすか?」
 唐突な仮面の魔導士の出現に皆が戸惑う中、彼はすんすんと鼻を鳴らして首を傾げた。
「いや……=v
 気のせいなのか、とキラパンは自問し、しかし答えは返ってくるはずもない。
 それをよそに、セナスが仮面の魔導士に近づこうとする。
「お姉ちゃん……お姉ちゃんなんでしょ?」
 セナスの声は震えている。当たり前だ。喜びと不安が入り交じり、期待と恐怖に押し潰されそうになっているのだ。だが、それだけではない。仮面の魔導士から感じる圧倒的な魔力が、後者の感情を支援している。
「……これ以上進むのはおやめなさい」
 セナスの問いかけを無視して、仮面の魔導士は言った。
 対して、イサたちはいつでも飛びかかれるように構えを取った。
 それというのも、仮面の魔導士から感じる魔力が、さらに増幅したからだ。そこにあるだけで危険なほどに高まった魔力は、いつ打ち出されて自分らに降り注ぐか分からない。
「セナス。あなたのお姉さんとの会話は、ちょっと大人しくさせてからでもいいよね」
 魔力の矛先はイサたちに向けられている。どのような魔法が襲い掛かってくるか分からないが、ぼんやりとしていたら命を落としかねないということだけは分かった。
 姉がそのようなことをしようとしている、という事実がセナスは信じられない。
 だから、さらに一歩踏み出した。
「シャミーユお姉ちゃん――!」
 叫ぶように彼女の名を叫んだ瞬間のことである。
 イサたち全員の視界が、闇に沈んだ。


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