-67章-
崩壊の序曲



 百発百中の占い師、というのが有名にならないのは二つの理由がある。まず一つは、実際は百発百中などではなく、堂々と嘘をかかげて客から料金をせしめるものだ。悪名でなら有名になるだろうが、長くは続かない。
 そしてもう一つは、本当に百発百中の能力を持っていても、それを悪用されることを恐れてあえて公開しない場合だ。
 北大陸に住む、近しい人間からは『占いばば』と呼ばれているその老人は、後者だったりする。本当に未来を見ることができるというのに、その力はめったに使わない。使うのは、生計を立てるにあたり、どうしても必要な時くらいだ。
 そもそも町はずれに住んでおり、最も近い町も盛んというわけではない。
 有名にならないのも、当たり前のようなものだ。
 ただそんな所にも来客はある。風の噂で聞いた者だったり、ただの新聞配達であったり。今日の来客は後者である。
 鉱山に篭って採掘でもやっていそうな男は、慣れた足取りでその『占いばば』の家に向かっていた。
 身体が頑丈そうに鍛えられたのも、配達の一環で毎回ここまで走ってきている賜物だ。
「おうい、ばあさん。新聞だよ」
 元気な声に呼ばれて、というわけでもないが、すぐさま扉が開いた。真っ黒なローブを纏った老婆は、『占いばば』の一般民衆のイメージをそのまま体現したかのようだ。
「なんだ、まるで待ち構えていたかのようなタイミングだな。それとも、得意の占いかい?」
 軽快に笑いながら男は新聞を渡した。
 占いばばは、ふん、と鼻をならしてひったくるように新聞を受け取る。
「俺のじいさんから聞いたが、じいさんの代からこの家に住む占いばばはすげぇんだって聞いてるぜ。代々ここにはすげぇ占い師しか住めないってな」
「あんたが毎回毎回、正確な時間に来るだけだろうが。家の前で待たせないようにしてやったんだから感謝しな」
「代金を多めにくれたら、これ以上にないくらい感謝する」
「帰れ!」
 もう用無し、と言わんばかりに新聞代を男に投げつけ、占いばばは扉を勢いよく閉めた。
 新聞配達の男は落ち込むどころか、今日も元気そうな占いばばの姿を見て安心し、次の配達へ向かうべく来た道を戻り始める。
 それをこっそり窓から見送っていた占いばばは、やれやれと手元の新聞に視線を落とした。
 北大陸を重点に書かれた記事とはいえ、こうした町はずれに住んでいると世間一般の出来事さえ分からないでいる。別に世捨て人となったわけではないので、世間的なことくらいは知っておきたい。
 こうして新聞を取っているとわかるのだが、なんだかんだと一日単位でいろんなことが起きている。それを見ているだけで、楽しくなってしまうので新聞は欠かさず取っていた。
「それにしても……」
 新聞を片手に、仕事場へと向かう。
 占いばばとしての仕事は、やはり占いである。未来を見通すことができる、というのが売りなのだが、前述のとおり滅多に使わない。
 仕事場に置かれた、一抱えはあるだろう水晶玉。これが占いばばを占いばばとしている所以である。
「すごい占い師、か。それも当然じゃないか」
 新聞配達の男が言っていた、代々のすごい占い師。全員、この水晶玉の恩恵にあずかってきただけだ。
 この水晶玉自体に、未来が映る力が宿っているのだ。
 先代から聞いたが、これは一種の魔法道具であり、かつて起きた古代の戦争、『三界分戦』の時代からあるものらしく、つまりそれは『三界分戦の遺産』だ。
 これさえ使えば、誰にでも未来が見える。もちろんこの魔法道具を起動させるために多少なりとも魔力が必要になるので、正確に言えば誰でもというわけではない。
 確実に未来を見ることのできる水晶など、もし悪用されれば恐ろしいことになる。だから、代々ここに住む占いばばたちはひっそりと暮らしていた。この水晶玉が流出しないように、守るためにも。
「おや?」
 水晶玉が、うっすら光り出したのだ。それは水晶玉の力を解放した時に発せられる光と同じものだ。
 力を解放したつもりはない。それでなくても扱うにはコツもいるし実は魔法力の消費も少なくはない。だが占いばばは魔法力が抜けていく感覚などなく、水晶玉は自動的に動いている。
「ど、どうしたことだい?」
 占いばばの席について長い月日が経つが、このようなことは初めてだ。先代もこのような現象を話したことはない。
 慌てて駆け寄り、水晶玉を見る。
 そこに映るのは――。
「なんだい、これは……」
 占いばばの顔色が、今にでも倒れてしまうのでは、というほど悪くなる。
 水晶玉が見せている光景。それは、人間界(ルビスフィア)だ。
 その人間界(ルビスフィア)が、崩壊していく。破滅していく。世界が、壊れゆく光景を映し出しているのだ。
「誰だい! こんな馬鹿な……世界を壊そうとする奴は!」
 占いばばの言葉に反応したのか、水晶玉は世界崩壊の光景から、人物像へと変わっていった。
「こいつ? こいつが、世界を破滅に導くというのか」
 占いばばの見る水晶玉に映るのは、炎を模した大斧を持つ、赤髪の青年である。
 占いばばはこの青年に見覚えがあった。だがすぐには思い出せない。どこだ、どこで見た。
 もっと詳しく、と水晶玉を手にしようとした瞬間――。
「な!?」
 水晶玉全体に、亀裂が走った。そのことに驚いたのも一瞬で、さらにそこから粉々に砕け散ったので驚くことさえできず、何が起きたのかを理解するまでに数秒を費やした。
 代々守られてきた水晶玉の最後は、よりによって不吉な未来を映したままその役目を終えたのだ。
 しん、とした静寂が、これは夢ではないのかと錯覚させる。
 むしろ夢であってほしい。夢であれ、というのは占いばばの現実逃避か。
「ばあちゃーん、ただいまー」
 その現実逃避から引き戻されたのは、若い女の声だ。透き通る声は、いつもなら心地よいものだが、今は占いばばの現実逃避の道を遮断させる警鐘音である。
「ばあちゃん、仕事部屋なの?」
 声が部屋の前で聞こえる。この部屋は占いばばしか入ることができず、世代を交代する時に初めて入ることが許されるのだ。
「さっき新聞屋さんとすれ違ったよ。ちょっとはおまけしてくれてもいいんじゃないか、だってさ」
 それだけを伝えて、声の主は部屋から遠ざかろうとする。
 だが占いばばは、その声の言葉に何かが引っ掛かり、ようやく思い至る。
「(新聞……そうだ新聞だ)」
 扉を勢いよく開けた。部屋の前から離れていた声の主が驚きながら振り向いたのだから、そうとう勢いよく開けたらしい。
 しかし今はそれに構っていられない。どうしたのかと問われるより先に、今までの新聞をため込んでいる書庫へと向かう。
「これじゃない、これでもない」
 昔の記事を漁りながら、占いばばは先ほど見た光景を忘れまいと強く念じていた。最後に映った青年の姿。あの姿は確かにここで――。
 西大陸のバーテルタウンでソルディング大会開催の記事よりも後のはずだ。
 風の大国ウィードの城が魔王軍の攻撃を受け壊滅、の近くだったような。
「これだ」
 占いばばが手に持った新聞は、 北大陸最強間近! という見出しから始まっており、ある冒険者チームのことが載っている。
 北大陸を中心に活躍する『炎水龍具』。彼らの実力は最早北大陸最強と言っても過言ではない。彼らはどこかの街を拠点にしているというわけではなく、もしかしたらあなたの街にも……。
 有名になってきている冒険者チームの特集のようだ。
 そこに、記事となっている『炎水龍具』のリーダーの似顔絵も載っている。
 赤い髪の、斧を持った青年。
 そこに描かれているエンと、水晶玉に映し出された青年は一致していた。

「……セナスや」
 じっと古新聞を眺めていた占いばばは、ようやく落ち着いたのか先ほどの娘の名前を呼んだ。
 孫くらいの年齢差があるこの娘――セナスは、血の繋がりなどない。若々しく、腰まで伸びる栗色の髪に、パナマ帽をかぶったその姿は、占いばばとは似ても似つかない。これでも師弟の間柄である。
占いばばは代々、弟子の一人にその名前を受け継がせ、水晶玉を守ってゆくのだ。しかしセナスが占いばばと名乗るには、まだ今の倍を生きても足りないくらいの若さである。
「どうしたの、ばあちゃん?」
「師匠と呼べといつも言っているだろう」
 セナスの言葉を窘めるが、占いばばも本気で徹底させるつもりはない。
「まあいい、お前があたしを訪ねてきたのは、姉を探すため……だったね?」
 セナスの表情にかげりができた。
 そう。セナスが占いばばの元へ訪れたのは、それが目的であったのだ。行方不明になったセナスの姉。それを占いばばならば分かるのではないか、と考えていたらしい。
 だが占いばばも、なんでもかんでも引き受けるわけにはいかない。近くの街の住人程度なら、そこそこ評判の占い師として通っているので多少なら問題はない。問題は、このように噂だけで頼りにされた場合である。
もし水晶玉の噂が必要以上に広まりでもしたら、大変なことになる。水晶玉の力を行使してもいいかどうか、それを見極めるためにも、セナスを弟子として近くに置いた。いずれは占いばばの座を譲ることになりそうなら、それはそれで弟子を探さなくて済む、という魂胆もないわけではなかった。
 だが、今はもう意味がない。守るべき水晶玉は砕け散り、同時にセナスへの約束は果たせなくなってしまったのだから。
「もうあたしに完全な未来を見る力はなくなってしまった。こっちへおいで」
 占いばばはセナスを連れて、仕事場へと戻った。
 砕け散った水晶玉はやはり砕け散ったままで、不思議な力により再生、ということはないようだ。
「これは……」
 セナスは初めて入る仕事場の惨状に目を丸くした。
「これが、占いばばが占いばばである所以だったものだよ」
 占いばばが水晶玉の欠片を手に取って様子を見てみる。なんの魔力も感じられず、ただのガラスの破片と化している。
 そして占いばばは語った。
 水晶玉の秘密を。
 代々占いばばの役割を。
 セナスを弟子とした理由を。
 約束が果たせなくなってしまったことを。
 そして、最後に水晶玉が見せた最悪の未来を。
 最後の呼びかけに答え、水晶玉が見せた男の姿のことを。
 一通り語った占いばばは、嘆息した。
「そういうわけだ。お前はもうここにいる理由はない。どうせ未来は破滅らしいからね。姉を探すのも止めにして、残り少ない人生を楽しんだらどうだい」
 いずれ来るだろう破滅の未来。それを知ってしまった占いばばは、既に諦めていた。
「ばあちゃん、どうしてそんなこと言うの? その未来を壊そうとしている人に会えば、もしかしたら未来が変わるかもしれないじゃない」
 水晶玉の未来は覆らない。占いばばはそう思っていた。それは今まで、見えた未来に従っていたからだ。その未来を変えようと試みたことはなかった。
「もうあたしにそんな事ができるほど動き回れないよ。今さら未来を変えるために動こうとは、思えないくらいに枯れてしまっているのさ」
「だったら、私を頼ればいいじゃない」
 さも当然のようにセナスが言った。
「あたしとお前は師弟じゃなくなるんだ。そんなこと……」
「師匠は私と離れようとして全部話してくれたんだろうけど、逆だよ。こんなこと聞かされたら、師匠のために何かしたいと思っちゃうんだから」
 占いばばはセナスの言葉に目を細めた。
「こんな時にだけ師匠と呼ぶとはね」
 占いばばが首を振りながら、手に持った古新聞を渡す。そこに、先ほど占いばばが見つけた『炎水龍具』リーダーの似顔絵が載っている。
「北大陸最強と謳われるようになった冒険者チームのリーダーだ。一筋縄じゃ行かないだろうが、頼んだよ」
「うん!」
 セナスはやる気に満ちた顔でそれを受け取った。
「あ、でもどっから探そう」
 『炎水龍具』はどこかの街を拠点にしているわけではない。どこの街に行けば会えるかもしれない、ということがないのだ。
「仕方ないね。水晶玉ほどの力はないが、占ってやろう」
 占いばばも、何も水晶玉がその力の全てというわけではない。当たるも八卦、当たらぬも八卦。それが本来の占いだが、必ず当たるのが水晶玉の力であった。だが今、それはもうない。占いばば自身の力しかないのだ。
「風の大国ウィードの城に吉あり、と言ったところか。まあ、あれだけでかい国ならもしかしたら何かいい話が聞けるかもしれないね。ただ、あくまで姉を探している体裁で調べな。破滅の未来に映った男を探している、なんてこと言っても信じてもらえないだろうし、信じられたらそれはそれでことだ」
「うん。それにしてもウィードかぁ」
 北大陸に住む者で、その国の名を知らぬ者はいない。魔王軍の攻撃により有名な死と守りの大嵐(デスバリアストーム)が消え去った、というニュースは北大陸全土を震撼させた。
 今は北大陸の連合がウィードを管理していると聞く。
 昔とは違うが、それでもウィードが風の大国であることに変わりはない。
 ちょっと楽しみかも、とセナスは不謹慎ながらもそう思った。



 そしてこちらはそのウィード領の、さらに言えばウィード城跡地の近く。
 イサの手には、いくつかの書類が束ねなれていた。
「なんかこうして見ると、ちょっとわくわくしちゃうわね」
「依頼書が多いということは、困っている民が多いということですよ」
 咎めるようにラグドが言った。
 イサたちは今、リィダが住まいとしている小屋で暮らしている。ウィードに戻ってきて数日が既に経過しているが、まだウィード王族の帰還の報告はどこにもしていない。リィダの話によれば、援助を受けながら国の復興に務めることができるということだが、それはまだするつもりはない。
 魔王は倒れたが、まだ何かが起こる気がするのだ。ただの杞憂であればいいのだが、その不安が薄れるまで、冒険者生活でもしていよう、というのが結論である。
 とはいえ、ウィード領でイサやラグドの姿が発見されたら、たちまち発見されて大騒ぎになるかもしれない。ここに来るまでの道のりはばれずに済んだが、ちょくちょく出歩けばそれだけ見つかる可能性が高くなってしまう。
 そのため、冒険者としての依頼書をリィダが持ってきて、ここでどの依頼を受けるかを吟味する、というのが今の状態だ。
「『風をまもりし大地の騎士団』が行っていたことも依頼内容に見受けられます」
 ラグドの手にも依頼書がいくつかまとめられている。ウィード城が崩壊する前、まだ『風を守りし大地の騎士団』が健在だったころの任務内容が、そっくりそのまま依頼に来ていることもある。やはり、ウィード国民にとってウィード城崩壊はそうとうな痛手だったようだ。
「ウィード城跡地の整地要因募集か……私たちがしたほうが良いんだろうけど、それで正体がばれちゃいけないし……。物探し……これは探索魔法がないと辛いよねぇ」
 依頼書は豊富にあるのだが、現状に見合う仕事というのが少ないように思えた。そもそも街の住人との接触を避けようとしているのだから、そうなると仕事の依頼内容は限られてくる。
「東街道で急増している魔物の討伐……」
 それを見たとき、流し読みだったイサの手が止まった。
 こういった内容であれば人の接触は少ないだろうし、何より住民に被害が及びそうなことは排除したほうが良い。
「ああ、それなら依頼書を貰う時に、ギルドの人ができればこれを優先してほしいって言ってたっすよ」
 冒険者ギルドとしてもこの内容は捨て置くことができないのだろう。こういった仕事は以前ならば『風を守りし大地の騎士団』が請け負っていたため、ウィードを拠点としている冒険者にとって経験が浅い。積極的に依頼を受ける者は少ないはずだ。
「だったら、これにしよう」
「ちょうど『あの子』も周囲の偵察に戻ってくるころだから、東街道の様子を聞いてみるっすね」
 そう言って、リィダが窓を開けた。今から戻ってくる『あの子』のために、こうしておかなければならないのだ。
「お、噂をすれば……」
 開けた窓から、一匹の魔物が滑り込んできた。大きさはホイミンくらいか、黒いスライムに羽と尻尾が生えたダークスライムと呼ばれるスライム族である。
「おかえりっす」
「ピー」
 スライム独特の鳴き声と同時に、ダークスライムの体が光に包まれる。すると、色はただのスライム――つまり青に変わり、羽も尻尾もなくなった。要はただのスライムに変わったのだ。体もかなり小さくなり、リィダの肩に乗るくらいだ。
「こうしてみると、魔物狩人として板がついてきたって感じね」
 スライムを肩に乗せたリィダを見て、イサが感慨深げに言う。
「いやぁ、これでもまだまだキラパンに怒られたりするっすよ」
 とはいうものの、キラパン以外に従える魔物を増やしていたのだから少しくらいは誇ってもいいと思う。
 イサたちがいない間、冒険者家業をほそぼそとやっている間に仲間にしていたらしい。
 先ほどのダークスライムの姿は、リィダの『闇化』の力でこのスライムをダークスライムに変えていたのだ。空を飛べるため、偵察などによく役立っている。元がスライムなので、戦闘要員としてはあまり期待できないのだが、リィダは気にしていない。
「東街道の様子はどうだったっすか?」
「ピー、ピピー」
 イサたちはそのスライムが何を言っているのかは分からないが、リィダには分かる。ただし、キラパンのように完全に聞き取れるわけではないらしい。
「歩いて、いた……人間の、女の、人が……一人で……?」
 しどろもどろと言葉を訳していたリィダの顔が青くなる。
「大変! 東街道って今は魔物が急増しているんでしょ!」
 ちょうど今、東街道は魔物急増による討伐依頼が出るほどになっていることを知ったばかりだ。
 その人が知らないのか、はたまた一人でも大丈夫なほどの冒険者なのか。
 もし前者なら、放っておいたら魔物の餌食になってしまうかもしれない。
「助けに行きましょう!」
 イサが立ち上がり、それに従うようにラグドも立つ。
「あ、えっと、それじゃあこの依頼の登録をしに街まで」
「そんな暇ないわ。討伐依頼なら別にして、とにかくその人を助けないと」
「そ、そうっすよね」
「なんでも形式通りにすりゃあいいもんじゃねぇだろ=v
 キラパンにまでダメ出しされて、ようやくリィダは自分自身がそうとう慌てていることに気付いた。今、リィダにできることはもっと別のことだ。
「スラリン、案内を頼むっすよ」
 肩に乗ったスライム――スラリンに声をかける。
「ピーィ!」
 元気のいい返事が返ってきた。
 任せてくれ、と言っていたのは、なんとなくイサたちにも分かった。

 ところが――。

 東街道に入った直後に、キラパンが急に止まった。いや、今はキラパンではなくダークパンサーのクラエスである。リィダとイサとラグドの三人くらいなら乗せて移動ができるので、リィダが『闇化』を施し、一気に東街道を駆け抜けようとしたのだ。
「どうしたっすか?」
「……こっから先に、行きたくねぇ=v
 クラエスは不機嫌そうに言った。不機嫌なのは、行くべきなのはわかっているのに身体が拒否しており、その理由がまるで分からないという苛立ちからくるものだ。
「なんかわからねぇけど、嫌なんだよ=v
「嫌って言われても……」
「どうしたのだ?」
 クラエスとの会話は他の者には聞こえていない。リィダの言葉で何が起きたのかを判断するしかないのだが、それも難しいのでラグドが聞いた。
「それが、なんか分からないけど行きたくないって言っているっす」
 リィダが困ったようにクラエスの言葉を代弁した。
「スラリンも、なんか不安そうな顔をしているね」
 イサがリィダの肩を見ると、そこに乗っているスライムもなんだかここから先に進むことに対して怯えているようだ。
「仕方ないっすね。クラエスとスラリンは、先に小屋に戻っているっすよ」
 いいっすよね、とイサとラグドに同意を求める。
 もちろん、二人も二匹に無理強いをさせるつもりはない。ここまで来れば、後は一本道のはずだ。
「悪ぃな=v
 珍しく謝って、二匹は元来た道を駆け出した。その後ろ姿が逃げるように見えたので、そうとうここから離れたかったらしい。
「さ、私たちも行きましょ」
 ここからは徒歩だ。東街道を一人で歩いているという女性が、まだ魔物に襲われてなければいいのだが、不安な気持ちを抱えながらイサたちは東街道を進んだ。


 どれほど進んだだろうか、速足だったのと、焦りで正確な距離はわからないでいる。
 その不安が一気に吹き飛んだのは、向かい側からやってくる、一人の女性の姿が発見できたからだ。
「あれね」
 魔物に襲われて逃げてきた、というようには見えない。誰もいない街道を、呑気に歌を歌いながら歩いているではないか。
 向こうもこちらに気付いたらしい。歌うのを止めて、顔が見えるくらいまでの距離になると、栗色の髪を腰まで伸ばしているパナマ帽を被った女性は、ぺこりと会釈した。
「こんにちは」
 透き通るような声は聞いていて気持ちがいい。遠くから少しだけ聞こえてきていた歌声も、美しいものだった。
「こんにちは。私たち冒険者なの。この東街道は魔物が急増していてね、それなのに女性が一人で歩いているのが目撃されたって聞いて」
 イサが全員を代表して経緯を話した。
「まあ、私のこと? 心配してくださってありがとう。でも、大丈夫よ」
「あなたも冒険者なの?」
 この街道を一人で歩いている理由は、二つに一つ。単に魔物急増のことを知らないか、手練れの冒険者であるかだ。もし前者だったら、と気が気ではなかったが、どうやら違うらしい。
「ええ、私の名はセナス=ルミトラス。冒険職は『吟遊詩人』……冒険者としての経験値自体は少ないけどね」
 と、セナスと名乗った女性はいたずらっぽく笑った。
「それでさっき歌を」
「あらやだ。やっぱり聞こえていた? ちょっと恥ずかしいかも」
 一人だとばかり思っていたので、人目を気にせず思いっきり歌っていたらしい。
 しかしそれほど目立つことをしておきながら、魔物に一切襲われなかったのが不思議だ。
「……魔除けの歌」
 何やら考え込んでいたラグドが、ふと思い出したように言った。
「うん。そこの大きいお兄さんの言う通り。私たち吟遊詩人が扱う魔法の歌には、魔物を近寄らせない効力を持つ歌があるの。それをさっきまで歌っていたのよ」
「あぁ、それでキラパンたちが近づきたくないって言ってたんすね」
 キラパンは元が人間とはいえ、今は魔物の身体だ。身体そのものが魔除けの歌に反応して、本能的に近づくことを嫌ったのだろう。キラパンでさえそれなのだから、スラリンが怯えるのも当然だ。
「キラパンたち?」
「ウチは魔物狩人やっているんす。仲間の魔物が、途中からここに近づきたくないって」
「それは可愛そうなことしちゃったわね」
 キラパンを遠ざけるほどなのだから、冒険者の経験値が少ないという割には吟遊詩人としてのレベルが高いらしい。
「そうだ。あなた達、ウィード国の冒険者よね? 良かったら、ウィード城跡地を案内してくれない?」
 セナスの申し出に、イサは怪訝な顔をした。
「いいけど……今は何もないよ?」
 跡地、と言ったのだからウィード城が今どうなっているかは知っているのだろう。そこにわざわざ行く必要などないはずだ。それに、イサたちにとって跡地は今、気軽に行ける場所ではなくなっている。
「私の師匠がね、そこに行くのが吉だっていうから、一応行っておこうと思って」
 セナスは旅の目的を語った。
 昔に生き別れた姉を探していること。
 そのために占いばばに弟子入りしていたこと。
 その占いばばから、ウィード城を目指すよう言われたこと。
「お姉ちゃん、かぁ」
 姉を探しているというセナスのことを聞いて、イサが思い出したのは、かつての仲間のことである。いつも笑顔を絶やさなかった彼女は、実はイサの姉であったのだ。
 そしてイサだけではなく、ラグドとリィダも何か思うことがあったらしい。
「あ、やっぱりダメ?」
 イサたちの表情を拒否と受け取ったのか、セナスが困ったように聞いた。
「あ、ううん。大丈夫、案内してあげる」
 慌ててイサが取り繕い、まずは拠点としている小屋に戻ることになった。
 キラパンたちを待たせているし、本能的に進みたくないという状態に陥った理由を知りたがっているのは本人たちだ。知らせに行かなければならない。
 セナスを加えた『風雨凛翔』は、東街道をウィードに向けて歩き出した。


 来る時は闇化してクラエスとなったキラパンに乗っていたので速かったが、帰りは徒歩だ。
 拠点としている小屋が見えてくるころには、日が暮れ始めていた。
「今日は一度休んで、ウィード城に行くのは明日にしましょう」
 セナスも今日まで歩き通しだったのだ。その提案には快く承知した。
「あそこに仲間の魔物さんがいるの?」
「先に帰っているはずっす。キラーパンサーだからちょっと大きくて怖いかもしれないけど、良いやつっすよ」
 キラパンが聞いたら呆れてそっぽを向きそうだ。
 それにしても、リィダの気配を察知してのそのそ出てきそうな彼だが、一向に姿を見せない。セナスの存在を警戒しているのか、それともまだ帰ってきていないのか。
「キラパーン、戻ったっすよー」
 リィダがキラパンを呼ぶが、やはりまだ姿を見せない。
「あれ? おかしいっすね」
 先に戻ってそのまま眠っているのだろうか。いや、キラパンがそれほど無防備なことをするはずがないし、加えてスラリンも来ないというのがおかしい。
「キラパ――!」
 さすがに不安になって辺りをきょろきょろと見回し始めたリィダが、名を呼ぶ途中で息を飲んだ。
 キラパンは、小屋のすぐそこにいた。
 ただしその姿は、傷だらけで気を失った状態であった。

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