-66章-
破滅の足音



 ストルードの町は、昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡っていた。
 三日三晩は降り続くかとも思われていたが、一夜明けたらこの通りである。
「やぁっと解放されたなぁ!」
 暖かい日差しの中、エンは伸びをしながら全身で陽光を浴びた。
 エンとルイナ、ミレドにトチェス。ストルード城内で魔書暴走体と戦った者たちは、暴走体を斃した後、当然のようにストルード兵たちから尋問を受けることになった。非常事態とはいえ、城への不法侵入も問われた為、疑いを晴らすだけで一日が経っていたのだ。
 今は魔法で完治しているが、エンがど派手に怪我をしてまで暴走体を斃すのに一役買ったのも少しは効いたらしい。ミレドの推測では、もっと拘束されると思っていたのだ。
「それにしても、ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
 エンの問いは、盗賊ギルドの二人――ミレドとトチェスに向けられたものだ。
 魔書暴走体と戦っていた時は、必死になりすぎて何がどうなっているかを知る暇さえなかった。
 ストルード兵たちから受けた尋問に対しては、実は明確な答えはほとんどしていない。二人の発言は、盗賊ギルドとしての言葉として受け止められてしまうので、あたりさわりのないことしか言えなかったのだ。
「まとめて話す。全員集まってからだ」
 と、ミレドが答えた。
とりあえず仲間たちと合流しようということになり、エードの屋敷へ向かっていく中、トチェスも同行している。
 トチェスは最初に出会ったころとは違い、物悲しそうにほとんど喋らなかった。

「うわぁ……」
 エードの屋敷に着いての、エンの第一声である。
 暴走体の分身が強引に入り込んできた辺りの壁が、大砲の弾でも受けたかのように崩れ去っている。
「これはまた随分と派手にやらかしたな」
 瓦礫を片付けているコリエード家の使用人たちがそこここにいるので、中はさすがに落ち着いているようだ。未だに分身体が暴れている、ということはない。
 片付けている者の一人が、こちらに気付いた。
「お待ちしておりました。あなた方が見えたら、すぐにお通しするようにと」
 エードたちは城に向かわず、ここに残っていたのだ。入れ違いになることを恐れたのか、別の理由があって動かなかったのか。どちらにせよ合流はできるようだ。
 使用人に連れて行かれた部屋は、ファイマが多用していたティールームである。
「お連れしました」
 使用人の声で、中に座っていた者たちの視線が一斉に集まる。
「なんだよ、みんな暗い顔して」
 というのはエンの感想である。
 エンが言ったように、屋敷に残っていたファイマとエード、それからホイミンやしびおでさえ、表情は明るくない。
「……今、別の者から報告があったものでのぉ」
 ファイマが言い辛そうにしながら、ともかく主らも座れ、と促した。
 エンたちの無事を確認することや、エードとファイマは面識がないトチェスも眼中にない。
「む。そちらは……?」
 全員が席について、ようやくトチェスのことに気付いたようだ。ホイミンとしびおは会ったことがあるが、エードとファイマはこれが初対面である。
「こいつは盗賊ギルドのトチェス。今回の件に一枚噛んでやがる。こいつにもいろいろ問い質してぇことがあるから連れてきた」
 ミレドがそう説明すると、他の四人(二人と二匹か)が、曖昧な表情を浮かべた。どうも、盗賊ギルドというところに反応したようだ。
「それで、どうしたんだよ。まるで葬式みたいだったぜ?」
 エンがファイマとエードに向けて言うと、エードは目を伏せ、ファイマは深いため息をついた。
「そうじゃろうな。報告があったのは、マハリ殿の遺体が見つかった、ということじゃよ」
 その言葉を理解するまで、エンは十数秒を要した。聞き間違いかとも思った。
 だが、聞き間違いではない。
「マハリが……死んだ?!」
 『炎水龍具』が請け負った仕事は、裁判終了までマハリを護衛すること。命を狙われているマハリを守ることが最優先事項であった。
「誰かに殺されたのか?! それに『死神の心臓』は!?」
 マハリが盗賊ギルドに命を狙われている理由は『死神の心臓』を所有している疑いがあったためである。『死神の心臓』は所有者の命を奪った者へと所有者が移る。マハリが誰かに殺されたのならば、新たな所有者が生まれているはずだ。
「落ち着け。報告によると、他殺ではないらしいんじゃよ。雨で階段が滑りやすくなっておってな。転倒して運悪く打ち所が悪かった、というのが死因だそうじゃ」
 昨日の雨は視界が遮られるほどひどかった。すぐに助けが来ればもしかしたら助かったかもしれないが、誰一人として外に出ている者はおらず、助けなど来るはずがなかった。
「……本当かどうかは知らねぇが、『死神の心臓』を持っている奴が誰に殺されるわけでもなく死んだ場合、その力は誰の手に渡ることなく消えちまうらしい。仮に本当にマハリの野郎が持っていたとしても、もうこの世には存在してねぇよ」
 ミレドが面白くなさそうに説明した。ミレドはマハリが『死神の心臓』など持っていないと思っていたが、どちらにせよこれで盗賊ギルド内部の奪い合いはなくなるはずだ。
「ったく、さんざんストルード国をかき回しといて、自分だけ死んで逃げるたぁ盗賊ギルドの風上に置けねぇな。なあ、トチェスよぉ。お前もそう思うだろ」
 わざとらしくミレドがトチェスに話題を振った。
 トチェスは口を堅く結んでおり、何かに耐えるような顔をしている。
「そういや説明してくれるんだっけか」
 マハリの死という報告に動揺したが、この場はもともと今回の件についてミレドが話してくれるのであった。
 とはいえ、それもミレドの憶測である。トチェスに聞いて、それが事実のものに変わるらしい。
「まずテメェに聞きたいことは……『マナスティス・ゼニス』をこの国に持ち込んだのはテメェだな」
 トチェスの肩がびくりと震えた。それは肯定を意味しているのと同じだ。
「やっぱりな」
 ミレドはやはりトチェスの仕草を肯定とみなしたようだ。トチェスも反論しないので、間違いないだろう。
「……何故わかった」
 ようやくトチェスが発した言葉はそれだった。気付かれないようにずっと立ち回っていたし、ミレドとの接触もなかったはずだ。なのに、暴走体との戦いの場で、トチェスという名前を聞いただけで大体の事情を察することができたというのが不可解である。
「それはテメェ自身も分かっているだろ。テメェがトチェスだからだよ」
 ミレドの言葉にトチェスは反論できないのか、再び視線を下におろしたが、他の者はぽかんとした表情になっている。
「えっと……どういうことだ?」
「盗賊ギルドの仕事として、こいつが行動していたってことだ」
 エンの問いかけに、聞かれると分かっていたのかミレドは即答した。
 盗賊ギルド内で行動する時、名前は重要な意味を持つ。
 隠密行動をしている時でも、それが盗賊ギルドとしての行動の場合、仲間に邪魔をされないためにギルド内で知れ渡っている名前を使う。何かしら怪しい動きをしても、その名前で行動していることは盗賊ギルドとしての行動であるということを暗黙的に悟らせるためだ。もう一つは偽名を使う場合だが、こちらは邪魔をされても問題がない場合や、やむを得ない場合だ。
 トチェスは、盗賊ギルドの人間『トチェス=リール』として行動していた。何のための行動かは知らなくとも、盗賊ギルドの人間であればトチェスが何をしていようと放っておく。
 だから、例えトチェスが『法賢者』と接触しようと、誰かと接触しようと、盗賊ギルドから命令でも下らない限りは放置する。今回は、それに該当したのだ。
「そんで、盗賊ギルドの依頼の内容だけどよ……ドレシックが命じていたんだろう。『マナスティス・ゼニス』の魔書を盗み出し、『法賢者』に渡せ、ってよ」
 『白爪派』の代表を務めていた、ドレシック。トチェスの父親はそのドレシックだという。そこまではエンたちもトチェス自身から聞いていたが、もっと複雑な事情がある。
 トチェスには、二人の父親がいる。
 育ての親であり、今は形式上として親子関係となっているのがドレシック。
 そして、生みの親が『黒羽派』の盗賊ギルドにいるというのだ。
 まだ派閥争いなどがなかった時代、トチェスの生みの親はろくな生活ができないために、できた子供を切り離そうとした。それをドレシックが引き取ったのだという。
もともと生みの親はトチェスを捨てるは本意ではなかったため、育ての親を買って出てくれたドレシックのもとで育つトチェスと何度も交流があった。トチェスはどちらの親にも懐いていたらしい。
ドレシックの元で育ったトチェスは、やがて有能な盗賊となっていった。
 それを知ったトチェスの生みの親は、何度もトチェスを返してくれないかと交渉していたらしい。
 結局その話はドレシックの立場がものを言った。『白爪派』を代表できるほどの、言わば幹部クラスだ。それに対し、トチェスの生みの親はギルド内での地位を持っていなかった。結果は明白、トチェスはドレシックの子のままとなった。
 当然、ドレシックのためにトチェスは働くことになる。トチェス自身の意思とは、無関係に。
「……どっかで聞いたことあるような話だな」
 ミレドから聞いた話と、エンたちがストルードに来る際に見た、メーテルス劇団の内容が似ているのである。
 そういえば、エンたちがウィード城に忍び込んだ時にも、それとほとんど同じ劇の内容を行い、噂を完全に劇の話にすり替えてしまったりしたこともあるのだから、もしかしたら彼の劇団の話は何かと運命的なものがあるのかもしれない。
 もっと強引な解釈をすれば、エンたち自身が最初に演じた劇も、ルイナが魔物側になってエンと戦うという構図は、魔界での闘王デュランの空間世界で同じことが起きている。
「と、まあ『法賢者』にマナスティス・ゼニスの魔書が渡ったまではドレシックも予定通りだったはずだ」
 エンの回想は無視して、ミレドは説明を続けた。
「ドレシックと『法賢者』は手を組んでいやがったんだ。マハリの裁判で『白爪派』を勝たせる代わりに、マナスティス・ゼニスを寄越せってな」
 だが、『法賢者』は裏切った。何故裏切ったかまでは知らない。ミレドなりに思うところは、『法賢者』のようにプライドの高い人間は、盗賊ギルドという低俗な人間たちと同等な立場にあることを拒んだのだろう、ということだ。この国の性質である。だがそれも所詮は憶測だ。その憶測を確かめようも、『法賢者』はもうこの世にはいないのだ。確かめようがない。
 しかし別の憶測なら確かめることができる。自分の仮説が正しいとは思っているが、本当にあっているかを確かめなければならなない。
「トチェスよぉ。テメェ、『法賢者』が裏切るかもしれないって知ってやがったな?」
 全員の視線が、話しているミレドから再びトチェスに移る。
 トチェスはやはり答えない。ただ口を堅く結んで視線を落としているので、もはやそれは肯定の証であることを誰も疑わなかった。
「それをドレシックに伝えていりゃあ、もしかしたら『マナスティス・ゼニス』を盗賊ギルドの手で奪い返すことになっていたかもしれねぇなぁ」
 そこまで言って、ミレドは一度言葉を切った。
 沈黙がこの場を支配する。
 トチェスが口を開くまで、ミレドは待つつもりだった。
 実際には短い時間だったが、この沈黙は耐えがたい。エンが何か言おうと口を開きかけたその瞬間、トチェスが顔を上げた。
「わかっていたさ。ギルドに『マナスティス・ゼニス』を盗み出したことを報告することも、親父に『法賢者』が裏切ろうとしていると伝えることも、できていたんだ。それをやらなかったのは、自分の責任だ」
 トチェスは知っていた。『法賢者』が裏切るであろうことを。『法賢者』が裁判の場で『マナスティス・ゼニス』の力を自分の物にしようと企てているということを。
「誰から聞いた?」
「いきなり現れた、変な奴に……」
「変な奴?」
「人間じゃなかった。顔は人間なんだけどな、大きな鎌を持った、腹に口がある――」
 トチェスの言った特徴に、『炎水龍具』のメンバーは戦慄した。
「それって!」
「……『死神』か」
 エンが声を荒げ、ファイマが続けた。
「ああ、そう名乗っていた」
 エンたちを魔界紋で邪魔したあげく、エンとルイナ以外のメンバーを魔界へ行かせないようにした張本人である。ファイマたちはその『死神』と戦い、その戦闘は唐突に終わった。
 まさか、ここでその名前を聞くとは思ってもいなかった。
「最初は信じなかったさ。けど、なんでだろうな……。あいつの言うことが正しく思えてきて、それでもやっぱりそんなどこの誰とも分からないやつの情報なんてあてにならないと放っておいたんだ」
 もし『死神』の言葉を信じて、ギルドかドレシックに報告していれば、結末は変わっていたかもしれない。
「情報源が怪しすぎるってのも理解できるけどよ、本当はそうじゃねぇだろ」
 ミレドも『死神』の名前には驚いたが、トチェスに聞きたいのはそこではなかった。それをトチェスもわかっているのか、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「そうだな。親父が死ぬことをどこかで望んでいた。帰りたかったんだ……父さんのもとへ」
 トチェスは父の呼び方を変えた。彼にとって、その呼び方こそが二人の父の区別する方法だったのだ。
 判断を誤ったトチェスと、そして『マナスティス・ゼニス』を『法賢者』に渡すように仕向けたドレシック。盗賊ギルドが起こした今回の魔書暴走は、ギルドの責任として処理しなければならなかった。だからこそ、とどめはミレドとトチェスで刺そうとした。
「それにしても、よくそこまでわかったな」
 ミレドはトチェスの名前を聞いただけだ。それだけで今回の一件の裏を把握できるとは、さすがミレドというべきなのか。エンが素直に賞賛する。
「トチェスとドレシックの関係はギルド内じゃ有名だからな。そんでもって、『マナスティス・ゼニス』のことを教えてくれた奴が、魔書が暴走した途端に消えやがった」
 ミレドはあからさまに不機嫌な表情になり、この場にはいない『眼殺』を詰った。
 『黒羽派』代表として裁判に参加していたはずの『眼殺』は、ミレドに『マナスティス・ゼニス』のことを吹き込み、いざとなったら姿を消していた。それで、この件は盗賊ギルドが関わっているとミレドも気付いたのだ。
「あの野郎、はなから俺様たちにごたごたを処理させるつもりだったんだろうぜ」
 ミレドに任せておけば勝手に処理してくれる、とでも思っていたのだろう。それほどまでに能力を高く評価していてくれたのか、それともミレドが死んでいたら勝手に責任を押し付けてトカゲのしっぽにでもするつもりだったのか。
 それを問い質してもまともな答えが返ってくるとは思えないので、ミレドも追及するつもりはなかった。
「魔書暴走体、か。そういや、読みが外れたよな。なんで本体がストルード城に行ったんだ?」
 マハリの予測では、エードの屋敷に三界分戦の遺産が眠っているために、暴走体の本体がそれを排除しに行く、というものだった。だが実際にエードの屋敷を襲撃したのは分身体である。
「それだけどよ、まだあの城には何かあるはずだ。だから一度ここに戻ってきたんだ」
 一介の盗賊ギルド員と、冒険者だけではストルード城に隠されている『何か』を突き止めることは不可能だとミレドは判断していた。
「ま、ストルード国でも指折りのコリエード家のお坊ちゃんでも連れていけば口を割るだろうよ」
「私を交渉材料にするつもりですか?」
 エードが不服そうにミレドを見る。
「なんだよ、文句あんのか?」
「あ、いえ……」
 分身体に立ち向かった時の勢いはどこへやら。ミレドに睨まれたとたん、エードはあっさりと引き下がった。
「盗賊ギルドの内面の話もしてやったんだ。今度はてめぇの番だろ」
 ミレドなりに、エードを信頼しているのだ。エードは交渉材料ではない。立場を利用して交渉する役目だ。それに気付いたのか、エードは意を決したように立ち上がった。
「わかりました。それでは、準備がありますので皆さんは先に外へ出ておいてください」
「準備だぁ? さっさと行こうぜ」
 まどろっこしいことが嫌いなミレドが早速不満顔になる。ミレドが言わずとも、エンも同じことを言おうとしていた。しかしそう考えていたのは、この二人だけだったようだ。他の者は、何かしら察したらしい。
「登城するわけですからね。予定外の登城は禁じられていないものの、報告の義務がありますから父に話してきます」
 言って、エードは父のいる書斎へ向かった。


 暴走体の分身に破壊された窓周辺は、簡単な補修がすでに終わっていた。とはいえ、その爪痕はあのことが夢ではなかったことを思い知らされる。
 エードはペロンの書斎の前に立ち、一度深呼吸する。
 この部屋に入るのは、正直にいうと怖い。ペロンそのものがもともと尊敬と同時に恐怖の対象であり、しかしペロンの姿に失望した自分が、まともに父と会話することができるのだろうか。その不安な気持ちが怖い。
「父上、入ります」
 止まっていては進めない。エードは意を決して扉を開けた。
 ペロンは扉に背を向けて座っており、エードの入室に対してこちらを見ようともしない。
「……父上、私たちはストルード城に行ってきます」
 エードの言葉は聞こえているはずだが、やはりペロンは背を向けたままだ。
 何故か、その背中が小さく見えた。幼少の頃や、旅に出る前はとてつもなく大きな背中だと思っていたというのに。今はまるで、悪戯がばれて縮こまっている子供の背中を彷彿させる。
「それでは」
 これ以上は何も言っても無駄だろうと判断し、エードは踵を返した。
「……待ちなさい」
 ペロンの、絞り出したかのような声に、エードは部屋を出ようとした足を止めた。
「そこに、一つの指輪があるだろう。持っていきなさい」
 ペロンは相変わらず背を向けたままだったが、エードは自然とそこに目が行った。
 テーブルに置いてあったそれは、銀色をベースに、黒線で複雑な模様が描かれている。見た目はただの指輪だ。
「これは?」
「この家が襲われた理由は、おそらくそれだろう」
 エードも既に自身の家が狙われた推測の話は聞かされている。つまりこれが。
「これが、三界分戦の遺産?」
 エードとて精霊魔法を使うことはできる。そのため、魔法的な物には何かしら感じるものがあるはずなのだが、この指輪からは一切の魔力を感じることができなかった。
 ただ、父も何かしらの思いがあってこれを託してくれたのだろう。
「頂戴します」
 実際に手にとっても特別な力は感じられず、しかし丁寧に扱った。
「……エード」
 ペロンはポピュニュルペという名前では呼ばず、エードと呼んだ。
「強く、なったな。必ず戻ってこい。お前は、コリエード家の跡取りなのだから」
 兄をいないものとした父。この期に及んでもまだそれを貫き通そうとしているのか、と前なら思っただろう。だが、父の言葉に隠された意味を、自然と理解できた。
 兄がいようがいまいが関係ない。エードを、コリエード家を継ぐ者として相応しいと認めてくれたのだ。
 エードの名前を呼ばずにエードと呼んだのは、昨夜の激昂がまだ尾を引いているのか。
「行ってきます」
 入室時はあれほど堅かったエードの表情は、どこか柔らかくなっていた。


 あの雨の中――。
 マハリは言った。
 もう、疲れちまった。派閥だとか、『死神の心臓』だとか、うんざりなんだ。盗賊ギルドにいるのは、もう嫌なんだよ。だから、オレは死を望む。ただ死ぬだけなら簡単よ。だがな、これはオレのわがままよ。盗賊ギルドを嫌いながら、盗賊ギルドの人間のまま死にてえんだ。愛着ってやつかな。まあ実のところ、オレにもうまく言葉にできねぇんだ。
 だがやりてぇことはわかっている。盗賊ギルドの人間に殺されて、盗賊ギルド幹部マハリ=T=ユニウォッカとして死ぬ。それがオレの求める人生の終着点よ。
 けどまあ今のこの状況じゃあ、オレが誰かに殺されりゃあ派閥争いの材料にしかならねぇ。そこで、だ。盗賊ギルドよりよっぽど楽しそうな生き甲斐を見つけた、テメェに殺されてぇんだよ、ミレド。
 ――俺様は『黒羽派』だぞ。
 なぁに言ってやがる。事を荒げないために適当な箱に収まっただけだろ。テメェは次代ギルド長が誰になろうと興味はねぇはずだ。なんたって、楽しそうに冒険者活動やっているじゃねぇか。
 ――楽しそう? 俺様がか?
 ああそうさ。なんだてめぇ、気付いてなかったのか。テメェはもう、盗賊ギルド『風殺』のミレドより冒険者チーム『炎水龍具』の盗賊ミレドってほうが似合っているんだよ。なあだから死にたがっている老いぼれの頼みだ、オレを殺せ――。


 あの豪雨もあって、ミレドからすれば事故死に見せかけるのは容易なことであった。そして、そのことを誰に伝える気もない。例えそれがミレドの師であったとしても。面倒なことにもなるだろうし、そして何より、マハリがそれを望んでいないように思えたからだ。
「(あいつも相当なバカ野郎だな)」
 ちょっと集中しただけで溢れ出てくる闇の力。これは、マハリを手にかけた時から感じている。その力を最大限まで引き出して相手にぶつけた時、それは死に至る。それはすでに実戦で試している。魔書の暴走体とはいえ、もとは人間である。暴走体の特徴は、魔書を使用した人間に取り憑いて動くものだと聞いている。ならば、取り憑いている人間を殺してしまえば、魔書は一旦離れるのだ。幸い、他の人間に取り憑く前に処分できたからよかったものの、もう少し遅かったら危なかった。
「お待たせしました」
 昨夜のことをぼんやり考えていたミレドは、エードの声にふと現実に引き戻される。
 エードを待って、全員外に出ていた。父への報告を終えたエードと共に、ストルード城へ向かうのだ。
「そんじゃ行くか」
 エンを先頭に、ストルード城へ歩き出す。
 エンと、ルイナと、ファイマと、エードと、ミレド。今はホイミンとしびお、それとトチェスも一緒だが、『炎水龍具』のメンバー全員が揃って、歩き出す。
「(楽しそう、か)」
 確かにそうかもな、といつも目つきの悪いミレドでさえも、ふと笑みを浮かべた。
「ってそっちじゃないぞ、ケン!」
「オレはエンだ!」
 エンがあまりに堂々と歩き出したから全員それにつられてしまったが、エンは堂々と道を間違えていたようだ。


  ストルード城へと向かう道すがら、ホイミンとしびおはやや遅れて移動していた。とはいえ、遠くもなく近くもなく、ただ二人の会話が他の者には聞こえないくらいの距離である。
「ホイミンさん、名乗らないんですか?」
 何を、とはホイミンは聞かない。ホイミンのもう一つの人格。いや、本来の人格のことは、しびおも知っている。そしてその素性も。
「ボクに言われても分からない〜♪」
 と、なぜかホイミンは楽しそうに言った。
「でもね、あっちのボクは、もうここに戻る気はないんだって。最後の気がかりになっていたことも、なくなったんだってさ」
 他人事のように喋るホイミンに対して、しびおは、そうですか、とだけ言ってそれ以上は何も言わなかった。
「エードさんの昨日の姿を見て、安心したみたいだったよ♪」
 そう言って、ホイミンは移動速度を上げてエードの隣まで行った。
「エードさぁん」
「な、なんですかホイミンさん?」
 エードがホイミンに対して少し弱気なのは、兄と同じ名前だからだろうか、それとも最初に斃すべき魔物と勘違いして斬りかかろうとしたことをまだ気にしているのか。おそらくは両方だろう。
「君のお兄さん、ホイミン=コリエードさんから伝言だよ」
「兄上を知っているのですか?!」
 エードは唐突に出された兄の名前に狼狽した。
「うん。えっとね、『コリエード家を頼む』ってさ」
 今のエードになら。
 今後を託していける。ストルード国の全体を変えることができるかもしれない。
 それは、ホイミンのもう一つの人格がそう思っているだけだが、それでも。
「……」
 エードはその伝言に目を瞬かせた。ホイミンはいつもどおりにこにこ笑顔で、それから更に何を言うわけでもない。その笑顔を見ていると、自然とエードの気持ちも落ち着いた。
「もし伝言を返せるようでしたら、伝えてください。任せてください、と」
 何かしら思い当たることがあったのか、エードが答える表情も堂々としている。
「(みんな、変わっていくんだなぁ)」
 エンはホイミンとエードのやり取りを見ていてそんなことを思った。以前のエードだったら、ただ困惑するだけだったかもしれないというのに。
 それに、ミレドも。このメンバーの中にいることが、嬉しそうに見えたのだ。
 それはエンが勝手に抱いた感想なので、本当のことかは分からない。
 だが、この仲間たちとなら、これから先、どんな困難も突破できると思えることができた。
 そう思った矢先――。
「はいはいそこまで。ちょっと止まってねぇ」
 先ほどまでは全く感じなかった気配を、全員が感じた。
 そしてその声は、しびおを除く全員が聞いたことのある声だ。
 気が付けば、周りからストルードの人間が全て消えている。大雨の後片付けをしている者や、晴れてさっそく出かけている者が、さっきまでそこかしこにいたというのに。
 まるで、エンたちだけ空間を切り離されたかのようだ。
「お前は!」
 全員の前に立ちふさがったのは、不気味な笑みを浮かべる青年である。大きな鎌を持ち、腹に鍵のかけられた口がある――。
「『死神』?!」
 エンとルイナ以外の魔界行きを邪魔し、トチェスに『法賢者』の裏切りを教えた張本人。
「なんでこんなところに」
「ボクはいつどこにだって現れるよ。『炎の精霊』クン? いや、今は違うか」
 エンの中にいたはずの炎の精霊メイテオギルは呼びかけに答えなくなって久しい。しかしそれを知っているのは、話したメンバーだけのはずだ。
 『死神』はくつくつと笑い、全員に値踏みするような視線を向けた。
「本当はもっと早く君たちの前に出ようかと思ったんだけど、事が事だったからね。『死神の心臓』がどうのこうの言っている時に、『死神』であるボクが出てきたらややこしいだろ?」
 からかうような口調で『死神』が言った。『死神の心臓』の伝説は、この男とは無関係だということか。
「テメェ、何しに来た?」
 エンは火龍の斧を召還しようと構えた。
「戦う気はないよ。構えを解きな」
「信用できるか!」
「本当さ。ボクはこれを、見せようと思っただけだからね」
 ぱちん、と『死神』が指を鳴らすと、『死神』のやや後ろの空間に鏡のようなものが出現した。そこに映るのは鏡にようにエンたちではなく、常にぐにゃりぐにゃりと色彩が変化するだけである。
 その絶え間ない変化が、やがて少しずつ形状を持つようになる。声を、伴って。
「――ン! 聞こ――! 返事を――、ルイ――、エ――!」
 ぶつ切りで聞こえてくる声は、エンとルイナには聞き覚えがあった。ホイミンと、しびおにも。
「その声……イサか!」
 魔界で旅を共にした、風の精霊ウィーザラーの力を持っていた少女。
 鏡に映るその姿も、ぼんやりとだがイサのように見える。
「繋がっ―の? 今、ストルードなんだよね?!」
 イサの声もだんだんと明瞭になってきた。姿は未だよく見えないものの、会話だけならできそうだ。
「ああ、そうだ」
「お願い! そこの国に持ち込まれた魔書『マナスティス・ゼニス』の発動を止めて!」
「え、それ」
 既に発動した挙句に暴走しちまったんだけど、とエンが言い終る前に、それを知らないイサが続ける。それと同時に、鏡にヒビが入り、唐突に割れた。
「そうしないと、人間界(ルビスフィア)が、滅んじゃう!!」
 イサの、物騒な言葉と共に。

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