-65章-
最後の一撃



 威勢よく白金剣を分身体に向けたまではよかったが、さてどうしたものかとエードは考えた。
 魔書暴走体の力は、ドレシックがやられた時に目の当たりにしている。
 しかも、攻撃を仕掛ければ己に脅威を成すものと判断して反撃するというのだから、動いた隙を狙うと言うのも厳しそうだ。
「エードよ、ルイナが言っておった作戦で行くぞ」
「ルイナさんの……」
 まだ暴走体が分身する前のことだ。最初に攻撃を仕掛け、暴走体がそちらの反撃を行っている隙に別のところから暴走体へ攻撃を仕掛けるという、簡単にいえば囮作戦である。
「ワシが囮役となろう。あれだけの啖呵を切ったんじゃ、とどめはお主がさせよ?」
 ふ、と笑ってファイマはバスタードソードを召還した。
 とどめという大役を任せられ、普段のエードなら慌てふためいたかもしれないが、不思議とそんなことはなかった。やはり、自分で先ほど怒鳴ったことが影響しているのだろうか、やれる自身はあった。
「はい!」
 エードは返事をすると共に魔力を高めた。
 聖騎士の誇りと、自分自身の誇りにかけて。
「流れし風の精霊 輝きし光の精霊 自由を求めし風の精霊 闇を移ろう光の精霊 光を求めし風の精霊 風を求めし光の精霊 風の中にて眠りし破壊の精霊 光の中にて眠りし崩壊の精霊 汝ら、我が名に従え 我が名は聖なる騎士の其也 聖騎士の名において命ずる 我に従え、従わせるための契約と盟約 それは我が祈り 我が祈りが届き来たならば従うことを命ずる 我が祈りは 汝らに届く――」
 長い詠唱は本来、実戦向きではない。
 だが、分身体とはいえあの魔書暴走体に対抗できるとしたら、エードにはこれしかなかった。それに、習得したばかりの時とは違い、多少なりとも発動は容易くなっている。エードとて、ずっと何もしていないわけではなかったのだ。
 詠唱を完成させている間、ファイマが分身体に挑んだ。
 背後のエードに分身体の意識が行かぬよう、全力で注意を惹きつけなければならない。
「(これなら、絶好の餌になるじゃろうて!)」
 そう思い、ファイマはその目を見開いた。そこに眠る、異形の『力』が解放される。
 案の定、自分に害をなすものと判断したのか、分身体はファイマを狙った。
 片手に火球が宿り、打ち出される。
 極大火炎呪文(メラゾーマ)をも超える灼熱の火炎弾を、ファイマは武具を変換すると同時に斬り裂いた。
「エンと手合わせする時に使うつもりじゃったが……まあよかろう」
 ファイマの手にバスタードソードではなく、炎を模した片手剣が握られていた。見た目は炎の力を宿していそうだが、その逆で炎を切り裂く為の剣である。
 斬り裂かれた炎は背後の壁にぶつかり爆発した。さすがに家屋は耐えきれないようで、ここでこのような戦いを繰り返せばエードの屋敷が持たない。場所を変えようにも、そのようなことができる相手ではないのは明白だ。
 ならば、早急に斃すしかない。
「バイキルト+隼斬り=」
 筋力増強呪文を完成させると同時に、ファイマは分身体へ斬り込んだ。
「連破斬!」
 一瞬で二度の斬撃。分身体はよろめきこそしたものの、致命傷になってはいないようだ。
 それどころか、防御しようとする素振りさえみせず、代わりに両手で妙な印を切ると同時に魔力を集中させた。自分の身がどうなろうと、攻撃に転じようとしているのである。
「(まさかこやつ!?)」
 魔力の集束の仕方を、ファイマはよく知っている。己の得意呪文である爆発(イオ)系のものと同じなのだ。そして恐らくは極大爆撃呪文(イオナズン)を超える魔法を打ち出そうとしている。
「させぬ!」
 武具をさらに変換させる。
 ドレインソード。魔力を吸収する剣である。
「ヒャダルコ斬り+マホトーン=」
 ドレインソードに霊的な光が宿る。
「サイレンスコールド=I」
 ヒャダルコの氷により動きを鈍らせ、マホトーンの効力により集束する魔力がその動きを弱めた。消え去ったわけではない。あくまで勢いが弱まっただけだ。
「(いかん、このままでは)」
 この館ごと木端微塵になってしまう。
「ファイマさん!」
 名を呼ばれたはっとした。
「避けて下さい!」
 今から起こるであろう爆発からか、と思ったが違う。
 エードの声は目の前の危険を知らせるものではない。
 背後から来るものの危険を警告したのである。
 咄嗟にファイマはその場を飛び退いた。
 それと同時に、エードの祈りが、精霊たちに届き形を成す。
「祈りの十字よ魔を祓え! グランド・クロス!!」
 激しい十字の光の波動が、分身体を飲み込む。分身体が侵入してきた場所よりも更に広範囲を破壊しながら――。

 激しい息切れと、外の豪雨が煩く耳に残る。
 グランド・クロスは確かに魔書の分身体を捉えていた。
「やった、のか」
 グランド・クロスの光が収まり、そこには、グランド・クロスを受ける前の姿勢を保ったまま全身が炭のようになっている分身体が存在していた。
「……動きは止まったようじゃが……」
 ファイマはまだ緊張の糸を切らしてはいない。何かがおかしい。こうして炭と化した分身体が動き出さないのは、その活動を停止させているということなのだろうが、違和感があるのだ。
 途端、分身体の目の部分が怪しく光った。
 それと同時に、グランド・クロスの直撃を受けたとは思えない速度で、エードへ向かった。
 その両腕には、何者をも斬り裂くような爪を生やしている。グランド・クロスを放った反動と斃すことができたのかと思っていたエードは、ただその攻撃を受けて自身の首が跳ねるのを待つしかなかった。
「むぅ!」
 刹那、注意深く見ていたファイマが分身体よりも速く動き、エードと分身体の間に入り込んだ。
 分身体の爪と、ファイマの剣がぶつかり合い高い金属音を奏でる。
「く、やはりまだ生きておったか……」
 分身体の爪を受け止め、分身体は確実に弱っているのは確かだと感じた。魔法に頼らず、こうして直接的な攻撃に出たということは、相手もそれなりに消耗しているのだろう。
「あのエードがあれだけ意気込んだのじゃ、ここは大人しく斃されておいてはくれぬかのぉ」
 ファイマの言葉を理解しているとは思えないが、分身体の力が一層強まった。
 消耗していたとしても、さすがというべきか、侮れない。
 押し返すことができず、むしろこのままだと力負けしてしまうかもしれない。強引に振り払うことはできるかもしれないが、後が続かずこちらの態勢が整うころには向こうも持ち直しているだろう。せめて、あと一人が後続で攻撃に転じる事さえできればいい。
 その様子を、エードは呑気に見守っていたわけではない。
「(動け、動け――)」
 加勢しなければ、と思っても身体がついていかないのだ。グランド・クロスに全ての魔力と魔法力を込めた。その反動で、白金剣を握る手が震えている。満足に剣も握れないままでは、ファイマの足を引っ張るだけだ。
「(もう少しなんだ、動けぇ!)」
 あと一撃。ファイマが分身体の動きを止めている今は、絶好の機会なのだ。それをみすみす逃すわけにはいかない。
「(――行け!)」
「?!」
 聞こえるはずのない声がした。それは懐かしい、兄の声だ。
 それに驚くと同時に、力が湧いてきた。まるで魔法力が回復したかのように、全身に力が漲る。
「ファイマさん!」
 白金剣を握り締め、エードは分身体に斬りかかった。
 エードの声に気付いたファイマが、力を込めて全力で分身体の姿勢を崩す。
「おぉぉおおぉぉお!!」
 気声と共に、白金剣を振り下ろし、分身体を袈裟がけに斬り裂いた。

 ――――!!

 分身体が叫んだわけではないが、無音の悲鳴を確かに聞いた。
 それこそが分身体の断末魔だったのだろう。
 エードがとどめをさしたことにより、魔物殺(モンスターバスター)としての効力が働きその場で貨幣に変わる。
 今度こそ、斃すことができたのだ。
「や、やった」
 まだ手が震えているが、それは歓喜の震えと言う事にしておこう。
「うむ、よくやったな」
 ファイマの労いに、エード素直に頷いた。
「ありがとうございました。あの特訓のおかげ、ですね」
「む、むぅ……」
 ストルードに来てからエードに課した特訓を引き合いに出されて、ファイマはなんとも複雑な表情を作った。
「(単純に腕力をつけさせようとしただけ、とは言わぬほうがよいかのぉ)
 エードの持つ白金剣は見た目以上に軽く、剣を振るための力がつきにくい。そのため、重めの剣を持たせて素振りをさせていただけなのだが、それをわざわざ言って水を差すこともないだろう。
「しかし……」
 話を逸らす為でもあり、そして本心から気になっていたことがあった。先ほど感じた違和感の正体でもある。
「貨幣に変わったのぉ」
「それは、私が斃しましたからね」
 魔物殺(モンスターバスター)はその特殊能力で、斃した魔物を貨幣に変える力がある。
 エードがとどめをさしたのだから、そうなるのは当然だ。
 だがファイマが気にしたことは、その事実そのものだ。
「魔物、ということじゃな」
 魔書暴走体の分身。その元となった魔書が、ゼニスの名を冠するものだったので、もしかしたら魔物ではない別のものかとも思ったのだ。こうして貨幣に変わるということは、やはり魔物なのだろう。
「(エンたちは無事じゃろうか)」
 崩れた壁は雨のせいで視界が悪い。ストルード城がある方向を見ても、豪雨で何も見えない状態になっていた。
 雨は、余計にひどくなっていくように感じた。


 ――雨の中を走り抜け、ようやくストルード城が見えた。
 晴れていればもっと遠くからでも確認できただろうが、この豪雨だ。かなり近付かないと、建造物の区別すらつきにくい。
 ストルード城の門は開いており、門番は見当たらない。この豪雨で門番も中に入ったのか、それとも中で何かが起きたのか。できれば前者であることを祈りながら、エンたちは城門をくぐった。
「暴走体はどこにいるのでしょうか?」
 隣を走るトチェスが聞いた。城内に異常が起きていたとして、それを聞こうにも兵士の姿が見当たらない。
「たぶんこっちだ」
 と、エンは足を止めない。
「なぜ?」
「勘だ!」
 これで魔力を感じる、とでも言えば格好がついたものの、エンの場合は本当に勘である。しかし、何の根拠もなかったが、こういう時の勘はどうにも外れないらしい。
 玉座の間、とでも言うのだろうか。やたら広い部屋の奥に豪奢な椅子が置かれている。
 何事も起きていなければ、それは一種の芸術の様な部屋ではあるものの、生憎とその彩りに目を向けている暇はなさそうだ。
 玉座の前に存在するそれは神々しくありながらも禍々しく、威圧感は並大抵のものではない。
 魔書の暴走体の本体が、そこにいた。
 それを囲むようにしている兵士と、豪奢な服を纏っているのはストルード王か。誰もがこの異常事態に戸惑っているようだ。
 既に暴走体に攻撃を試みた者がいるのか、床の一部が焼き焦げている。恐らく、手を出したものは一瞬で灼熱の炎に飲み込まれたのだろう。包囲はしているもののどう対処していいかが分からず、硬直状態にあるらしい。
 暴走体を囲む中に、ミレドの姿もあった。
「ミレド!」
「遅ぇよ!」
 彼の名を呼ぶと、ミレドは振り返りすらせずに文句を言った。
 暴走体がストルード城にいるとわかった以上、誰かがこちらに来ると判断していたのだろう。
「状況は?」
「見てのとおり最悪だ」
 本体よりも弱いと思われる暴走体の分身ではなく、本体そのものがこちらに来てしまっている。ストルード城内の人間は裁判での出来事を知らない者が大半のはずだ。いきなりこのような魔物が襲ってきたら、戸惑うのも当然である。
 ストルード城兵士の実力では到底太刀打ちできない事は証明済みだ。
 なんとか包囲するだけはしているが、暴走体が動き出したらものの数瞬で全滅していただろう。
「とりあえずこっちの戦力は、これだけってことか」
 ミレドが横目で少しだけエンたちを見た。エンとルイナがこちらに来て、あと一人の知らない顔があるが、見た所、冒険者のようだ。覚悟したような顔をしているので戦力に数えていいのだろう。
「これだけって……マハリはどうしたんだ?」
 この場にマハリがいない。盗賊ギルド幹部を務めるのならば、戦闘力もそれなりに高いはずだ。
「……またどっかに行っちまったよ」
 ミレドが呆れた口調で言うが、それは無理やり作ったような声だった。
「だったら、オレたちでやるしかねぇな」
 エンはミレドの言葉をあっさり信じたようだ。ミレド自身、無理があったと思っていたがどうにも彼は疑わない性格らしい。
「俺様が引きつける。なんとかしろよ!」
 数が揃えば、囮作戦が使える。だからこそミレドも待っていたのだ。
 あえて危険を引き受けたのは、ミレド自身、躱す速さには自信があったのと、ミレドの攻撃では致命傷を与えられないと自分で判断したからだ。『龍具』の使い手二人ならば、太刀打ちできるだろう。
 シャドウ・ダガーを両手に握り、殺気を暴走体にぶつける。
 暴走体は自身に害を成そうとするものに反応する。ストルードの兵も、それで返り討ちにあっていた。
 案の定、暴走体の標的はミレドになったようだ。
 暴走体の殺気が、びりびりとミレドの肌を震わせる。
「ジャッジ・クルス!」
 二対のダガーを交差させ、暴走体の首筋を狙った。常人ならそれで首と胴体が別れを告げ、この世からも去るのだが、生憎と暴走体はそう簡単にいかない。刃は最後まで通らず、しかし目の前で止まるわけにはいかずそのまま駆け抜ける。
 背後でおぞましいほどの魔力を感じた。
 暴走体はその宿した魔力を炎に変えて、ミレドに向けて打ち出した。
「チィッ」
 その迫る炎は、死が迫っているのと同義だ。
 躱すことに全神経を集中させる。
「(速すぎだろ!?)」
 一度ドレシックがやられているところを見ているのと、エンたちがここに到着する前にストルード兵が犠牲になった時の惨状を見ていたおかげで、その攻撃方法は躱せると思っていたが、甘かった。
 直撃は避けることができたが、体力をごっそりと奪われる。ぎりぎりとはいえ当たってもいないのに、立つことさえ難しくなっていた。追撃されれば、間違いなくそれは死を意味する。
 だが、これでいいはずだ。どうやら一度標的とみなしたものを滅さない限り、すぐに標的を変えるということができないらしい。ミレドに気を取られている今が、暴走体を攻める最大の好機なのだ。
 ルイナが水龍の鞭を繰り出し、暴走体を水の鞭で絡め取る。
 それをする間にも、エンは動き出していた。
「『束縛』のフレアード・スラッシュ!」
 火龍の斧から発生した炎が、暴走体の動きを更に封じた。しかしこれでは。
「何やってんだ! バカか!」
 これでは、暴走体にとどめをさす人間がいなくなってしまう。ミレドは『龍具』の力を持つ二人を当てにしていたのだ。その二人が動きを封じる役目に回ってしまっては、誰がその役を果たすと言うのだろう。
「トチェス! お前がやれ!」
 エンが叫んだ。
 ミレドは度外視していたいが、トチェスも戦力の一つとしてエンは見ていた。それは、ストルードでの旅路の中で、トチェスも立派に戦えるだけの力を持っていると確信していたのと、親の仇を取らせてやりたいと思ったからである。
 それは、トチェスにも伝わっていたのだろう。
 エンが叫ぶころには、トチェスは暴走体に斬りかかっていた。
 二つの『龍具』で拘束されている暴走体は、無防備にもその斬撃を受けることになる。
「はぁっ!」
 気合一閃、トチェスが大上段から勢いをつけて暴走体を斬った。
 紫の鮮血が、辺りを濡らす。
「何をしている! 好機ぞ!」
 よく通る声が響いた。ただ呆然としていたはずのストルード王その人である。
 彼の声ではっとした周囲のストルード兵たちが、慌てて一斉に攻撃魔法を打ち込む。遠距離からの攻撃に頼っているのは、やはり暴走体に近付くのは危険ということだろう。
 火球呪文(メラミ)が、爆撃呪文(イオラ)が、閃熱呪文(ベギラマ)が、氷結呪文(ヒャダルコ)が、聖風呪文(バギマ)が、次々と放たれる。城内の王の間に、轟音が鳴り響いた。
「やる気になってくれたのはいいけどよ、やりすぎだぜ」
 と、ミレドが舌打ちした。数々の魔法が撃ち込まれたせいで、その光によって視界が遮られ、暴走体の様子が分からないのである。
 それに、懸念すべきここともある。
 暴走体の魔書は、ゼニスの名を冠する魔法である。つまり神だ。神は精霊を使役する。神そのものに、精霊魔法が通用するのかどうか。分身体ならともかくとして、暴走体の本体は神に限りなく近い体性を持っているのではないのだろうか。
 舞い上がった煙が、薄くなっていく。
「嘘だろ」
 ミレドがいち早く、暴走体の状態に気付いた。他の連中はまだ見えていないのか、目を凝らしている。
 トチェスの斬撃によってできたはずの暴走体の傷が、なくなっていた。
 それどころか、先ほどの連続した魔法攻撃の魔力を蓄えているようだ。どうやら、精霊魔法は暴走体に取って餌であったらしい。
「余計なことやりやがって」
 ストルード兵たちが魔法攻撃を行わなければ、もしかしたら斃すことができていたかもしれなかったというのに。
「ミレド! わりぃ、も一回行けるか?」
「ふざけんな! つーかテメェが殺っていればよかったんだよ!」
 ミレドが思い描いていた通り、エンの攻撃ならば回復の隙を与えず勝っていた。それを、エンはどういう事情か知らないがトチェスという男にとどめ役を譲ったのだ。
「(トチェス……?)」
 ふと、ミレドの脳裏にその名が浮かんだ。力不足だった野郎、という認識から、全く別の事に変わる。
「おい、トチェスってまさかトチェス・リールか!」
 ミレドの声に、トチェスの顔が引きつる。それだけでミレドは肯定とみなした。
「(なるほどな)」
 ミレドの頭の中で、今回の件が一つの線として繋がった。
「エン! 今度はテメェが囮になれ。俺様がとどめをさす!」
「何を言って」
「やらせてくれ!」
 ミレドに反論しようとしたエンの言葉の途中、ミレドは強引に言った。
「盗賊ギルドがやらかしたことは、盗賊ギルドでけじめをつける。それだけだ」
 ギルドを嫌っていながら、こうやってギルドの一員としての役目を果たそうとしている。なんとも滑稽だな、と自嘲気味に心の中で笑う。
「トチェス、テメェも損な役回りだよな」
 ミレドがトチェスに皮肉な笑みを浮かべたまま笑いかけ、対して彼は何故か怯えたようだ。
「なあトチェスよぉ。テメェ、ギルドは楽しいか?」
 こんな時に何を、と言いたげにトチェスはミレドを見た。その視線を受けて、ミレドも自分でこんな時に何を言っているんだか、と自身に呆れている。
「俺様は、気付いちまった。盗賊ギルドの役割は果たすとしても、俺様自身は好きに生きてやる。盗賊ギルドなんて息の詰まる場所じゃねぇ、もっと楽しい居場所でな」
「『風殺』……」
「お。俺様も随分と名が知れ渡っているみてぇだな。まあテメェほどじゃねぇとは思うけどな」
 ミレドがシャドウ・ダガーを構えた。視界には、目標を入れる。
魔書暴走体。奴は、盗賊ギルドの失敗が生みだした化物だ。
「あぁ、それとな」
 ミレドは魔書暴走体を見据えたままトチェスに言った。
「俺様は『風殺』のミレドじゃねぇ。ましてや、『眼殺』の弟子のミレドでもねぇ」
 じゃあ誰だ、と言わんばかりにトチェスが眉を寄せた。
 実際にトチェスの表情を見たわけではないが、どういう顔をしているか、ミレドは手に取るようにわかった。あまりに容易に想像できるので、笑えて来るくらいに。
「俺様は『炎水龍具』の盗賊、ミレド様よ!」
 ミレドは叫ぶと同時に、地を蹴った。

 ミレドが暴走体に向かうのを見計らって、エンは魔力を最大限まで高めた。囮になるためには、暴走体が危機を感じるまでの力を向けなければならない。炎の四大精霊メイテオギルがエンの中から消えていたとしても、この魔法はもともと対魔王用のものだ。
「暗黒の闇よりいでし 力在りし炎の精霊よ 我が魔力と汝の力を持ちて 破滅の道を開かん 我掲げるは炎の紋 我捧げるは焔の紋 我望むは破壊の紋 我守るは闇の紋――」
 爆撃破壊魔法ビッグ・バン。本来なら城内という狭い場所で放つようなものではないし、こんなところで打ったら自分たちまで巻き添えだ。しかし暴走体を消し飛ばすほどの威力はある。
 狙い通り、暴走体の意識がエンに向けられた。
「(よっしゃこい!!)」
 真っ直ぐ向かってくるミレドに目もくれず、魔書暴走体はエンに手を伸ばした。エンの炎に対する耐性は他の者より高い。また火炎球を打ち出されても耐えられると思っていた。だが――。
「な?!」
 暴走体の腕から闇色の刃が現出し、ミレドが暴走体に近づくよりも速く、エンの体を貫いた。
「エン!?」
 予想外の攻撃方法に、ミレドの足も止まりかける。
「大丈夫だ! 行けぇ!!」
 エンは叫びながら大量の血を吐き、刃の刺さった個所からは鮮血が迸る。幸い、急所は外していたようだが、放っておいていいものではない。
「ルイナぁ!!」
 エンが叫ぶと同時に、ルイナはエンの意図を理解していたのか、準備していた完治魔法(ベホマ)を発動させた。刃が刺さったままでは傷はふさがらず、常に血を流し続けてしまうが、回復が同時に行われることで致命傷は避けられる。
「囮はオレに任せたんだろ!」
 エンの言葉にミレドは再び暴走体に向かった。
「(バカが!)」
 心の中で吐き捨てて、ミレドは目標を一点に絞る。ミレドの攻撃力では暴走体を斃すまでにはいかない。先ほどの囮が成功したのは、それ以上に殺気を間近でぶつけたからだ。
 だからこそ、ミレドは最後の手段を使った。
 魔書暴走体とは言え、もとは人間である。そして、魔書が暴走体というのは発動対象の人間がまだ生きている。その人間である部分を殺してしまえば、魔書はただの道具と化す。
 ミレドは中の人間の、死を望んだ。その怨念だけで殺してしまうのではないかというほどに。
 そして、間合いに入った瞬間。たった一瞬で駆け抜ける。
 シャドウ・ダガーで、粛清の十字を刻みながら。
 気が付けば、ミレドは暴走体の背後まで駆け抜けていた。
 暴走体は動かない。
 すぐ後ろに、己を殺そうとしている者がいるというのに。
 何が起きたのは遠巻きに見ていた者たちはわからなかっただろう。魔書暴走体でさえ、分からなかったかもしれない。
 分かったのは、エンに刺さっていた闇色の刃が消えたこと。
 そして次の瞬間、暴走体がどさりとその場に倒れこんだことだ。
「……やった、のか?」
 エンの問いかけは、全員のものだった。
「完全じゃねぇよ」
 答えたのはミレドである。
 暴走体は煙をあげながら一瞬で風化したように塵と化した。暴走体がいた場所に残ったのは、人間の白骨と、一冊の本だ。白骨は『法賢者』のもので、本は『マナスティス・ゼニス』だろう。
「完全にやるには、この魔書を消し去るしかねぇ。こいつは、存在しちゃいけねぇ代物だ」
 言いながら、ミレドはトチェスを見た。
「テメェはどうする。テメェがやらねぇなら、俺様がやる」
 誰もがトチェスの行動を待った。
辺りは沈黙に包まれ、トチェスがやらない場合は自分でやると言ったミレドでさえ、無言で待ち続けた。
「……もし」
 静まり返っていた空間では、トチェスの言葉は呟きに近いというのに誰の耳にも届いていた。
「もし、盗賊ギルドではないどこかで生まれ、あの人たちではない誰かに育てられていたら、運命は変わっていたのだろうか」
 その言葉に、エンとルイナは聞き覚えがあった。
 そしてトチェスは短剣を魔書に突き刺し、ある呪文を唱える。
 なんの魔法かは知らない。ただ、魔書を消滅させる暗号の呪文のようなものだったのだろう、『マナスティス・ゼニス』の魔書が一瞬だけ光を放ったかと思うと、炎に包まれた。
 炎はあっという間に魔書を燃やし尽くし、そこに本があったという痕跡さえ残さなかった。
 『マナスティス・ゼニス』の魔書は、消滅したのだ。

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