-61章-
前夜に立つ



 冷たい夜風が頬をなぶる。
 夜景が見られる場所として人気が高いこの場所も、さすがにこの時間帯は誰も通っていない。
 ついに明日か、と感傷にひたることもあれば、複雑な思いがこみ上げてはこの場から動く事を身体が拒否しているかのようだ。
 ストルードの夜景を見下ろせば心が落ち着くかと思っていたが、そんなことはない。
「随分とつまらなそうな顔をしているな」
 話しかけられ、声の主を見る。いつの間にいたのだろう、そこにいたのは、壮年と言っていい年代の男。がっしりとした体つきは、格闘家を思わせるほどだ。しかしこの男は格闘家ではなく、まったく別の仕事をこなしている。
「……親父」
 呼ばれた自分自身、無意識に言葉が出ていた。今、ある意味では一番会いたくなかった相手だというのに、もしかしたら一番会いたかったのかもしれない。
「頼んでいたことは無事済ませたのだろう。何故そんな顔をしている」
 父に言われて、顔をそむけた。
「確かに『法賢者』にあれは渡したよ。オレ達『白爪派』がギルドを掌握できる日も近いってさ」
 と、トチェスは『法賢者』から聞いた言葉を繰り返した。
 父は鷹揚に頷き、そしてくく、と笑う。
「やはりお前は優秀だ。さすがは私の息子だな」
 息子、という言葉がやや強調されて聞こえたのは、気のせいだろうか。否、トチェス自身が気のせいと思いたいのだ。
「明日は審判の下る日だ。お前もゆっくり休んでおけ」
 そう言って父は踵を返して夜の闇に再び消えて行く。
 どうやら、トチェスが仕事をこなしたかどうかだけを確認しに来ただけらしい。
 父を見送って、トチェスは嘆息して夜景を見下ろした。
 ざわついた心の波は、未だに収まっていない。
 その自身の心に苛立ち、歯を食いしばりながらぼそりと呟く。
「…………父さん。オレ、これでいいのかな」
 呼び方を変えた。この時、トチェスの頭の中に、先ほどの男の姿は映っていなかった。


 マハリの潔白証明裁判が明日という日になっても、特に問題が起きたわけではなかった。
「意外とあっけないもんだな」
 というのはエンの素直な感想である。このままだとあっさりと明日を迎え、あっさりと裁判が始まり、あっさりと事態が収拾しそうなものだから無理はない。
「まあ、他の奴らも手を出し難いだろうからな」
 エンの呑気な言葉に対して、ミレドも緊張感なさげに欠伸をしながら答えた。
「なんで?」
「護衛しているのが俺様たちな上に、場所が場所だからだ」
 マハリがエードの屋敷にいる以上、狙われにくい理由は二つ。
 一つは北大陸最強と呼ばれる冒険者チーム『炎水龍具』が護衛しているという事。一介の盗賊が、単純に敵う相手ではないのだ。盗賊ギルドらしく裏をかけば暗殺も可能かもしれないが、その手の内を知り尽くしているミレドがそれを全て防いでいる。
 そしてもう一つ。ここがコリエード家の屋敷という点だ。
 コリエード家はストルードでも、というよりかは世界でも有名になっているほどの資産家で、それだけに敵に回せば死よりも恐ろしい社会的抹殺が下される。事実、エンたちと合流した日に窓の外から狙った人間はその日に捕まっており、投獄されている。
 誇り高きコリエード家に刃を向けたという罪で、もはや人間扱いされていないという。
 ありとあらゆる機関や場所にパイプがあるコリエード家は、ある意味では盗賊ギルドよりも精通している面があるのだ。
 さらに言うなれば、盗賊ギルドとの繋がりもある。盗賊ギルドがコリエード家に依存している、とまではいかないだろうが、その繋がりを断たれるとギルドも立場が危うくなってしまう。
 マハリはコリエード家の客人としてここにいる立場だ。その客人に刃を向けたということは、コリエード家に刃を向けたも当然なのだ。下手に手を出してコリエード家の反感を買うわけにもいかず、結局は手を出せないまま見ているしかない。
「だったら、マハリは大丈夫だとしてもさ。その『見る』ことができる奴が狙われるかもしれないんじゃないか?」
 今まで疑問に思わなかったが、証明できる人間がいなくなれば潔白証明裁判が行われることもない。裁判が終わる前にマハリを殺すことが難しいのならば、その裁判自体をできなくすればいいのだ。
「それもないだろうな。『見る』ことができる奴は、国の要人だ。さすがに今回の件に関してストルード国が関係を把握しているからな。もし不自然な死や、殺されでもしたら全力で盗賊ギルドを潰しにかかるだろう」
 ストルード国の影響力は、世界でも上位を争う。もし本腰を入れて盗賊ギルドを潰そうとすれば、盗賊ギルドは世界中の国々を相手にしなければならなくなる。その危険性を考えると、やはり内部で処理したほうがいいのだ。つまり、マハリの命を取ることである。
「だからマハリのじじいが前みたいにふらふらしねぇ限りは、大丈夫だって、言ってんのによ……」
 ミレドががりがりと頭を掻きながらこめかみをひくひくさせる。目に見えて怒っているのが分かり、エンはそっと席を立った。
「なんであのじじいはまたいつの間にいねぇんだよ!!」
「探してくる!」
 ミレドが怒鳴るのと同時にエンは部屋を飛び出した。
 マハリを二人一組で見張っていれば大丈夫だろうという案は、狙われた日の夜から決行している。さすがにずっと見てればマハリも勝手にどこかへ行かないだろうと判断し、それはこの二日間、効果を現していた。
 エンたちが合流する前は一日にしょっちゅう姿を消していたマハリだったが、その手法を取ってからは大人しくなっていたのだ。
 今日も、ついさっきまでマハリはその場に座って茶をすすっていたはずだ。だが、ミレドとエンが一瞬だけマハリを見なかった間に姿を消した。
 ついに潔白証明裁判が明日だというのに、ここで殺されでもしたら意味がない。
「あのくそじじい、いい加減にしろってんだ」
 と、ミレドは悪態をついた。目を離したのは失態だったが、まさかその一瞬で逃げだすとは思ってもいなかった。とりあえず仲間たちにも協力を仰ぐ為、エンとは逆に屋敷内の部屋を回る。
 仲間たちに事情を説明し、捜索のために外へと考えていたが、エードだけは捕まらなかった。自室にいなかったのと、誰に聞いても知らないという言葉しか返ってこない。
 どうにも前から避けられている節はあったが、この数日は極端すぎる。あの日から一切喋っていないのだ。
「こんな時に、あいつは何やってんだよ」
 ルイナが呼べばひょっこり出て来るのではないだろうかと考え、頼んでみようかとも思ったが止めた。今、無理やり引っ張りだしたら余計に面倒なことになると直感が囁いたのだ。
「なんじゃ。お主ら、喧嘩でもしたのか」
「してねぇーよ。つーかしたなら俺様が勝つに決まってるだろ」
 実際にエードはミレドに苦手意識を持っているので、ちょっと脅せばすぐに引くだろう。
「そんなことより、事情はさっき話した通りだ。すまねぇが、よろしく頼む」
 ルイナとファイマ、そしてホイミンとしびおが頷き、屋敷の外へと飛び出していく。
 ファイマとルイナはマハリが行きそうな場所に見当をつけているらしく、任せても安心だ。ホイミンも、ああ見えて裏ではかなりやっていることをミレドは把握していた。それについていくしびおも大丈夫だろう。問題は、エンである。
「あいつ飛び出して行ったけど、何処に行ったんだ?」
 エンがマハリの行きそうな場所を想像できるとは、到底考えられなかった。


 勢い良く飛び出し、走りに走った。走って、走って、はたと気付く。
「あれ? どこ探せば良いんだ?!」
 時間は既に遅く、夜の帳が辺りを包み込んでいる。さすがにこの時間帯に歩き回る人間はおらず、走り易かったがために疲れ切るまで疾走し続けてしまった。
「それに……ここどこだよ?」
 無我夢中で走ったせいで、知らない場所に出て来ていたのである。
 道を訪ねようにも、辺りは寝静まっているため聞けるところはなさそうだ。
「う〜ん、あそこなら」
 エンは辺りを見回して、少し上に街を見下ろせそうな造りになっている場所を発見した。
 道なりに進めば、どうやら辿りつけそうだ。
 あの場所から見下ろせば、知った道が見えるかもしれない。そうでなくても、コリエード家の屋敷は大きいのでだいたいの位置はわかるはずだ。マハリはまだ見つかっていないが、仮に見つけても、道が分からなくて戻れなくなった、では笑えない。
 しばらく道なり進んで、途中で人の気配がしたが気のせいだっただろうか。
 ようやく先ほどまで見えていた場所に辿り着くと、そこには先客がいた。
 男が一人、街を見下ろすように立っていたのだ。
 その背中がやたら寂しそうで、そもそもこんな時間に一人でこんな所にいるのが不自然だ。相手からすればエンも同じだろうが、エンは道に迷っただけである。その男は、望んでその場に立っているかのようだった。
「(邪魔しちまったかな)」
 幸い、男はエンに気付いていない様子だ。このまま気付かれないように去ろうと考えたが、どうやらそれは叶わない願いのようだった。ちょうど踵を返そうとした時に、小石を蹴ってしまったのだ。静かな夜にその音は、静寂をかき消すには充分すぎる役割を果たした。
 当然、立っていた男がはっとして振り返る。
「よ、よぉ……って、あれ?!」
 愛想笑いを浮かべて内心どうやって謝ろうかと考えていたが、男の顔を見ていろいろな考えが吹っ飛んだ。
「エン、さん?」
「トチェスじゃねぇか。何してんだ、こんなところで?」
 立っていた男はこのストルードに来るまでの道中を共にしたトチェスだったのである。
 服装が別れた時の剣士風ではなく、楽な格好をしていたので街の人間かと思ってしまった。
「数日ぶりだっけ。そっちは上手く行っているのか」
 知っている顔だったので、エンは先ほどの配慮はどこへやら、トチェスへと駆け寄った。
「え、ええまあ」
 曖昧に答えたトチェスを見て、はたと気付く。
「あ、悪ぃ。もしかして一人のほうが良かった……よな?」
 明らかにトチェスは一人でいることを望んでいた。駆け寄ったエンは今更ながら軽率すぎたと反省した。
「とんでもない。エンさんにもう一度会えて、嬉しいです」
 トチェスが笑うが、無理に笑っているように見えた。
「それに、考え事をしていたのですが、どうしても一人だと良い結果は出せないようで」
「考え事?」
 反射的に聞き返してしまい、心の中で再び反省。これでは野次馬根性でしかないじゃないか。
 それに考えることは苦手だ。相談に乗ったからと言って、解決できる自信はない。
「実は……請け負った仕事が、自分の父親に絡むのです。成功すれば、もちろん父のためになる。だけど、ちょっとしたことで裏切ることになる……僕は、心の奥底でそれを望んでいるのでは、と思ってしまって」
 どうすればいいのか分からず、ここで悩んでいたのだと言う。
 仕事の内容や何をすればそうなるのかに触れてないところを見ると、そこは聞いてはいけないのだろう。
 うぅん、とエンはどうしたものかと頬をかいた。トチェスの言葉から状況が想像できないのだ。もし自分だったら、というように置き換えようにもどういう状況なのかが分からない以上、考えようがない。
「え〜と、つまり、例えたら……父親から魚を買って来いって言われてて、もちろん魚を買うつもりだけど、実は牛肉買って帰ろうとして、そうしたいかもしれないって思っているわけだよな?」
 変な例え話になってしまったが、これでもエンが必死に考えた結果である。
 トチェスもまさかこのような例えにされるとは思ってもいなかったのだろう、きょとんとしている。
「そんなもん、好きにしたらいいじゃないか」
 自分の分かり易いような例えにできたからだろうか。エンはあっさりと言いのけた。
 エンのあっけらかんとした言い草に、トチェスは目を瞬かせる。
「冒険者ってのは、それだけで立派な大人みたいなもんだ。仕事だって、どうするかは自分自身で決めるものだろ。何かしたいならそうするし、できないならできないってはっきり言えば良いし。自由な職業だろ、この冒険者ってのはさ」
 もちろん契約に縛られることもあるが、それも含めて自分がやりたいようにやればいい。
 エンは軽い気持ちで言ったつもりだったが、トチェスは深刻な顔つきでその意見を吟味しているかのようだ。
「あ、あんまし深く考えるなよ。オレってバカだからさ、なんか全然違うこと言っているかもしれないし」
 慌てて弁解するが、トチェスがやんわりとした笑顔で遮る。
「いや、一つの参考意見とさせていただきますよ」
「だからそれはやらないほうが……」
「ではこう言いましょう。誰かに聞いてもらって、随分と気が楽になりました。ありがとうございます」
 そう言われてしまっては、エンもこれ以上は何も言えない。
「それでは、私はもう戻りますね」
 軽く会釈して、トチェスがその場を離れる。
 それを見送りながら、エンはトチェスの背中に声をかけた。
「その……なんだ、頑張れよ!」
 トチェスが振り返り、力強く頷く。
「はい!」
 その表情に、迷いはなかった。


 トチェスと別れた後でも、そうとう苦労することになった。
 確かにストルードを見渡すのには最適な場所だったのだが、どこがどうなっているのかまるで分からなかったのである。街の中央にあるストルード城と大聖堂は見ることができたものの、肝心のエードの屋敷がどれか分からなかったのである。
 結局、勘を頼りにストルード中を走り周り、ようやく見覚えのある道に出たころは薄らと朝日が見え始めていた頃合いだ。
 エン以外の仲間は既に屋敷に戻っておりあれだけ探していた、マハリの姿もそこにあった。
「それで……どうしてこんなことになっているんだ?」
 エンの視線の先には、マハリが縄でぐるぐるに縛られた状態で転がされていた。とても要人扱いに見えず、むしろ牢獄行きに見えてしまうそれは、ミレドがやったのだという。
「こうでもしねぇとまた何処かに行っちまうからな」
 当然だ、と吐き捨てたミレドの機嫌は相当悪い。
 話を聞くと、マハリは外に出ていたわけではなく、屋敷内をうろついていただけらしい。
 街の心当たりをいくら探しても見つからず、他の仲間が見つけていないか一度屋敷に戻ったら、呑気に茶を飲んでいたのだ。捜索に出たことが全くの無駄であったのだから、ミレドの不機嫌さも納得がいく。
「なんであんな消え方したんだよ」
 さすがに目を離した隙に消えたとなっては、また外に出たと思わざる絵を得ない。
「そっちのほうが面白そうだったからな」
 からからとマハリが笑う。
 その笑い方で、ミレドの不機嫌さが更に募るのが感じられ、エンは苦笑するしかなかった。
「それに、面白いもんの気配がしたからな」
「面白もの?」
 エンが問い返すと、マハリは縛らていることを気にしていないかのような、にまにまとした笑みを浮かべた。
「そうよ。この縄を解いてくれたら教えてやる」
「よし任せろ」
「任せられるなバカ野郎!!」
 がんがん、と二発殴る音が鈍く聞こえた。エンに一撃、マハリに一撃、ミレドが脳天目指して拳骨を落としたのである。
「いってぇ! ミレド、おめぇ盗賊ギルドの幹部を殴るたぁいい度胸じゃねぇか」
「うるせぇ!! ぐるぐるに縛られている状態でよく言えたものだな」
 一応、マハリを幹部扱いしていたミレドも、さすがに堪忍袋の緒が切れたらしい。
「うぅ、ここまで強く殴らなくても良いじゃねぇか」
 これはエンの主張である。油断していたこともあり、ミレドの怒りに任せた一撃はかなり効いた。
「テメェは黙ってろ」
 言葉を重ねようものならミレドの不機嫌さが更に募ることは明白なので、エンは渋々言われた通り黙る事に徹した。
「……でもさぁ」
 黙る事に徹する意志を固めた数分後、エンはあっさりと口を開いた。気になるものはしょうがない、と自分の中で勝手に納得しておく。
「気になるじゃないか」
 マハリの浮かべた笑みは、他の者が知らないことを己だけが知っている時に得られる優越感に満たされていた。誰も知らない何かを知っている、というだけで、興味がわいてしまう。
「この屋敷にはお宝がごろごろ眠ってやがるンだ。何か一つくらい曰くつきのもの出るのが当然だろ。いちいち気にしてたら、この屋敷まるごと探索するはめになるぞ」
 さすがにミレドはマハリが言おうとしていたことに薄々感づいていたらしい。マハリの表情を見れば、なんとなく面白くなさそうな顔をしているのでミレドが思っている通りなのだろう。
「ったく、面白くねぇやつだなぁ」
 と、マハリが口を尖らせた。
「面白くなくて結構。俺様はただ仕事をこなすだけだ」
 そう言って、ミレドは窓の外を見た。
 朝日が、その姿を見せていた。


 ――マハリの潔白証明裁判まで、残り数時間。


 所変わって、ここはエードの屋敷のとある一室。
 置かれた彫像品は埃をかぶっており、机も放置されたままだ。手入れがほとんどされていないまま、何年も過ぎ去ったこの部屋は、普段は誰も入ろうとしない。掃除役の者でさえ手をつけないのは、父がここの立ち入りを一切禁じたからだ。
 ――ここを取り払う以外の要件で入るべからず。
 その父の命令通り、誰も立ち入らなかった。もし入ることがあれば、それはこの部屋を処分することを意味するのだから。コリエード家に仕える執事やメイドは、ここを処分したくないがために、放置と言う手段を取った。恐らく、母も同じなのだろう。
「……」
 それでも、エードはこの部屋に入って想いに耽っていた。
「あ、こんな所にいた〜♪」
 不意に声をかけられ、エードの肩がびくりと震えた。
「あなたは……!?」
 見ればそこに、ホイミスライムがふよふよと浮いているではないか。
「ホイミンさん……でしたね」
「そうだよ、ボクはホイミン!」
 ホイミンが元気よく答える。
 一度斬りかかろうとした身としては、ホイミンのことをよく知らないせいもあって気まずい。
「どうしてこんな所に?」
 エードは人知れずこの部屋に入っていたはずだ。見つかる筈がない、と思っていたのだ。
「えぇ〜。それボクのセリフだよぉ。どうしてこんな所にいたの?」
 くるくるふよふよと浮きながらホイミンが聞き返す。
 その様子を見ながら、エードはひどく情けない顔をしているのだろうなと自身でわかった。
「……ここは、行方不明になった兄の部屋なのです。ここに来れば、兄の気持ちが、強さが、優しさが……少しは解かるかと思いまして」
 父にいつも反発していた。それでも、弟である自分や母には優しかった。そして、誰よりも強いと信じていた。
 その兄のようになりたい。昔からそう思っていた。
 旅のきっかけも、最初は兄に戻ってきてもらう為、兄を捜す旅だった。もし戻ってこない場合は、自分がコリエード家を受け継ぐのだから、そのためにも強くなる旅でもあった。
 旅を通じて、仲間を得た。好きな人もできた。そして憧れていた聖騎士の『職』にもなれた。
 そしていざこの家に戻ってきて、思い知らされた。
 父の圧倒的な、強さ。凶悪な魔物との戦いには慣れたが、それとはまた違う強さが必要だった。
 父の前に、心の膝を屈した。兄は、いつでも立ち向かっていたというのに。
「……しかし、やはり私には兄のようにはなれなかったようです」
 自嘲気味に笑い、嘆息する。なんというバカな話をしているのだ、自分は。
 誇り高きコリエード家の人間が、よく知りもしないホイミスライムに自分の弱さを吐露するなど。
 エードは首を横に振って部屋を出ようと決めた。
「不思議ですね。なんでこんな話をしてしまったのか……。きっと、ホイミンさんが兄と同じ名前だからでしょうね」
「そうなの〜?」
 兄の名はホイミン=コリエード。偶然にも、目の前のホイミスライムと同じ名前なのだ。だから最初に名前を聞いた時は正直驚いていた。
 だがあの兄がホイミスライムであるわけがない。
「ここは本来立ち入り禁止です。誰に見つからないようにお願いしますよ」
「うん、わかったぁ♪」
 何故か楽しそうなホイミンを尻目に、エードは兄の部屋を出た。

 その数秒後、そこにホイミスライムの姿はなく、銀髪の男が一人。
「……随分とまあ、情けなか顔しとったねぇ」
 そう呟いた男の表情も、何かを憂鬱そうな顔であった。
 気がつけば日は随分と昇っており、窓から入り込んで来た日差しは、やや強かった。


 ――マハリの潔白証明裁判、開始時刻。

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