-56章-
繋がった心



 風が、吹いている。
 心地よいその風を身に受けると、なんだか嬉しくなってしまう。
 それは風が心地よいからか、その風の吹き方が懐かしいからか。
 恐らく両方だろうな、と思っている彼女の足取りは軽い。
 ローブで全身を覆っているので顔も見せずに表情はわからないが、その内側は笑顔満開だ。
 隣を歩いている、同じくローブで全身を覆っている大男も、相変わらず無愛想だが気持ちは同じだろう。
「そこを動くな!!」
「!?」
 目的の場所がもうすぐという所で、鋭い声が飛んだ。その声に思わずびくりとしてしまったのは、決して彼女にやましいことがあるわけではなく、声の主が堂に入っていたからである。
 声の主は、彼女と男が歩いていた道を塞ぐように立っていた。いつの間にそこに立っていたのだろうか、隣には凶暴そうな魔物が控えている。殺戮の魔豹の異名を持つ、キラーパンサーという種族だ。そのキラーパンサーも殺意を見せており、それは声の主に対してではなく自分たちに、である。
 もし声の主が命令を下したら、その殺意は二人に襲い掛かってくるだろう。
「ここから先はウィード城の特別区域だ。許可のある者しか通すことはできない!」
 そんなことになっていたのか、と驚くと同時に、ついに噴き出してしまった。
「あら、じゃあ私は家に帰るのに許可が必要なのね」
「ふぇ?」
 彼女の言葉に、声の主は間の抜けた声を出す。
「仕方ありませんな。許可の申請をしなければならない決まりならば、それに従いませんと」
 隣の大男も、冗談と解っていながら話を合わせている。
「ふえぇ?!」
 声の主がさらに驚きを隠さず変な声を出したが、未だに信じられないのだろう。
「許可の申請って、どこでやればいいの? ウィード王族がオッケーって言ってもいいの?」
「そのような軽々しく発言しないでくださいよ」
 言いながら、イサとラグドはローブから顔を出す。
「イサさんに……ラグドさん?!」
「久しぶりね、リィダ」
 口をぱくぱくと魚のように開閉しながら、リィダは二人の顔を何度も見比べる。
「キラパンは最初から気付いていたようだがな」
 それでもあえて、リィダをからかうためにいつも通り威嚇していたのだろう。
 殺意は見せていたが、それが本物かどうかは二人からしてみれば容易にわかったことだ。分かっていなかったのは、隣にいたリィダ一人だけである。
 からかわれて哀れに思ったのか、驚き過ぎたのか、喜んでいるのか、リィダの眼に大粒の涙が溜まる。
「ふえぇぇぇぇ、あい、会いたかったっすぅ〜〜〜」
 ついには泣きだし、先ほどの鋭い声はどこへやら。いつもと変わらないリィダがそこにいた。

 一通り大泣きした後、リィダも少し落ち着いた。
「けど、二人とも人が悪いっす。姿を隠すなんて卑怯っすよ」
「うん、それはごめんね。でも、あまり人に見られたくなかったの」
 ウィード城が崩壊したとはいえ、城下町は無事なのだ。ウィード城下町でイサとラグドの顔は遠くからでも判別できるほど知られている。大騒ぎになるのを恐れてこうしてローブを全身に纏って旅人を装っていたのだ。
 効果はあったようで、誰も二人を自分たちの国の王女と、騎士団の団長とは思わなかったようだ。休憩に使った宿屋の主人には親子に間違われ、その理由がぱっと見た時の身長差によるものなのだから、イサが怒って正体を明かそうとした、という事もあったが、なんとか誰にも知られることなくここまで来る事が出来た。
 さすがにここまでくればローブで姿を隠していなくても大丈夫だろう。
「あれ? ホイミンさんは?」
「ちょっと別の所に行っているわ」
「あ、じゃあ合流はできたんすね」
 この場に、ホイミンはいない。いくら二人がローブで姿を隠しても、ホイミンはどうやっても目立ってしまうこともあるうえ、別の理由で今は別行動だ。
「それにしても、戻って来たってことは、魔王を斃したんすか?!」
 今更ながら、リィダはイサとラグドがウィードに戻ってきたという事が、何を意味するか気がついたようだ。
 興奮して笑顔のリィダとは対照的に、イサは曖昧な笑顔を作った。ラグドなど、読み取りにくいなりに渋い表情をしているではないか。
「うん。多分、ね」
「多分?」
 イサの意味深な言葉に、リィダはそのまま聞き返した。

 確かに、死力を尽くし、死闘の結果は四大精霊たちの勝利に終わった。
 今でも、その時の戦いの様子は鮮明に思い出せるし、魔王の最後の断末魔が幻想だったとは思えず、ついにやったのだと感極まったものだ。
 だが。
 あの戦いの直前に、霊魔将軍ネクロゼイムの名前が出てきたからか、気になることがあったのだ。

 魔王ジャルートは物質を消滅させる魔法では死なぬ。奴を消滅させるには――

 かつてネクロゼイムがエシリムルで言ったことだ。最後まで言ってはいなかったが、単純な方法では斃せないはずである。本当に魔王を斃すことができているのか、その疑問が残ったままだ。
 しかしそれを確認する間もなく、魔王城が崩壊を始めた。魔王の魔力が途切れたことで城全体を支えていた魔力がなくなったのか、それとも最後に弾けた魔力が城の大黒柱でも破壊してしまったのか、どちらにせよ脱出を余儀なくされた。
 全員が全力を出し切り、魔法力がほとんど尽きかけた状態で脱出呪文(リレミト)すら使えそうになかったが、脱出はルイナの水龍の鞭から放出した旅の扉の水で外に出る事が出来た。
 魔王城の外で待機していた不死鳥ラーミアの背に乗り、崩壊していく魔王城を背に空中に舞い上がった。
 これからどうするかを言うよりも、もっと重大なことが、皆を混乱させた。
 四大精霊たちの声が、聞こえなくなってしまっていたのだ。
 どれだけ語りかけても返事は無く、常に感じられた精霊力がまるでなくなっていたのだ。四大精霊の力を得る前の自分たちに戻ったかのような感覚――むしろその通りなのかもしれなかった。
 魔王を斃す為、随分と力を行使した。その影響で、四大精霊たちが深い眠りについたのか、それとも本当に消えてしまったのかは定かではない。だが、四大精霊の加護があればこそ、魔王ジャルートのいた空間世界の瘴気でもなんとか動けていたのだ。
 魔王を斃した直後は、ただの疲労と思っていたが、それだけではなかった。未だに濃い瘴気が、身体を蝕んでいたのである。
 呼吸することさえ難しいような状態で、のんびりと話すことなどできるはずがない。
 エンが、ラーミアへ「どこでもいいから楽な場所!」と随分と乱暴な注文をつけたが、ラーミアはそれに従って空間世界を移動した。
 浮遊感に包まれ、空間世界を移動。呼吸も楽になり、心地よい風に包まれたそこは、人間界(ルビスフィア)であった――。

 ラーミアは適当な場所に降り立ち、ようやく落ち着ける場所に出たかと思い、エンたちもその背から降りた。その直後である。エンたちが降りた途端、ラーミアが再び空を舞ったのだ。
 そのままラーミアは、自身に課せられた使命は終わったのだと告げるかのように、一際大きく鳴きながら天へと消えていき、あっという間に見えなくなってしまった。
 呆気にとられながらも、ようやく落ち着いたのだから、さてこれからどうしたものかという話になった時、エンたちはそれぞれ別の場所へ向かう事にした。
 エンとルイナ、それからホイミンとしびおは冒険者チーム『炎水龍具』のメンバーと合流するため、中央大陸クルスティカへ。
 しびおが海魔竜族が竜界へ帰る術を探すべく、『龍具』使いたる二人についていくのは分かるが、ホイミンも一緒に行くのは意外だった。理由を聞くと、「なんだか面白そうだから」の一言で片付けられている。
 そしてイサとラグドは、ウィードの様子を見に北大陸ノースゲイルへ。
 ウィード城が崩壊後でも、ウィード国の往来がぱったりと消えてなくなるわけでもなく、未だに旅人は多い。そのため、ローブで全身を包む者も珍しくなかった。
「けど、魔王を斃したんなら、ウィードを復興させるんすよね? だったら別に正体を明かしてもよかったんじゃないすか?」
 ここまで理由を話した後、リィダがこのような疑問を持つのも当然だ。ルビスフィアに戻ってきて、第一に優先させる事は崩壊したウィード城を復興させることである。そのためには、王族健在の存在が何よりである。
「でも、それだけじゃないの」
 現在のウィードの状況がどうなっているかを確かめる必要があったし、何より本当に魔王を斃すことができているのか疑問に思っているところがあるのだ。またすぐに旅立つかもしれない。そんな不安が解消されないまま、ウィード帰還を知らせても意味は無い。
「それで聞きたいんだけど、今のウィードってどういう扱いになっているの? 思った以上に城下町が安定していたのだけれど」
 ウィード城が崩壊したのだ。治安を守っていた騎士団もなくなり、国の象徴を失った国民たちはもっと混乱していると思った。しかし実際は治安も生活も全体的に安定しており、まるでまだウィード城が健在しているかのようであった。
「……さしずめ、他の国が吸収したといった所か?」
 押し黙っていたラグドが、厳しい口調で言った。
 城下町の安定は、それを取りまとめる組織があればこそのものだ。そしてそれができるのは、同じく国を管理している所、即ち別の国がウィード城下町を自分の領土として治めているのだろうと思った。
 これも、イサ達が正体を明かさなかった理由の一つに含まれている。既に別の国となってしまっている所に、ウィード王家が生き残っていたという知らしめると、それを火種に争いが勃発する危険がある。
 ラグドの予想通りだろうと思っていたが、リィダが少し表現に困るように眉を寄せた。
「うぅん、ちょっと違うんすよねぇ」
「どういうことだ?」
 思っていた事と違う返答に、ラグドが問いを重ねた。
「確かに今、ウィードを統治しているのはベンガーナっす。けど、ここはベンガーナ領地ではなく、ウィードの領地なんすよ」
「ベンガーナって、軍事国家の?」
 北大陸を代表する地名としてよく挙げられるのは、風の大国ウィード、軍事国家ベンガーナ、武器仙人が住まうエルデルス山脈である。その中のベンガーナには、『風磊』を求めて赴いたことがある。
 しかしリィダの言葉に、イサとラグドは首を捻った。ベンガーナが統治しているのであればベンガーナの領土になっているのと変わらないではないか。
「えぇと、イサさんたちがウィードを発ってから少し後のことっす」
 と、リィダはイサたちがいなくなった後のことを語りだした。


 心地よく晴れたその日、リィダは日課となっている武器のトレーニングに励んでいた。魔物狩人(モンスターハンター)の職が魔物を操る立場とはいえ、リィダ自身が強くならなければ意味は無い。キラパンに頼りっぱなしというのも気が引けるので、こうして少しずつ鍛錬を重ねているのだ。
「おうい、そこのアンタ」
「ふぇ?」
 呼ばれて振り向けば、見た目は随分と歳が言ってそうだが足腰はしっかりとしている老人が、重たそうな鞄を持ってそこにいた。見れば、胸元に冒険者ギルドの紋章をつけており、一目で冒険者ギルドの関係者であることがわかった。
「ここいらに、『風雨凛翔』のリィダって人がいると聞いたんだがね」
「あぁ、それならウチのことっすよ」
「ほぉ、アンタかい。手紙を一通、届いているよ。ここで受け取りのサインを貰ってもいいかね」
「あ、はい。御苦労さまっす」
 ギルド員の老人はリィダに手紙を渡した後、手慣れた手つきでサインをしまい込むと早々に立ち去って行った。ギルドの配達員なのだろうが、リィダ自身、まさか手紙の配達までしてくれるとは思っていなかった。
「誰からだ?=v
 のそりと茂みから出てきたのはキラーパンサーのキラパンである。さすがに彼は配達員の接近に気付いていたようで、姿を隠していたらしい。事情を知らなければ殺戮の魔豹と呼ばれる魔物が目の前にいるのだから、驚くどころか逃げ出してしまうだろう。帰ってギルドに報告して討伐隊など組まれたりしたら厄介なことこの上ない。
「きっと、ハーベストさんたちからっすよ。ウチ、あの人たちに手紙を出したからその返事だと思うっす」
 魔龍神失踪の理由を探していたハーベストたち。その真実を知った、リィダを含むイサたち。その真実を伝える為、そしてハーベストたちがいろいろと調べ回っている中に、キラパンを人間に戻す手掛かりがないかを聞く為に、会って話がしたい旨の手紙を書いていたのだ。
「ふぅ〜ん=v
 キラパンは手紙の様子を確かめるかのようにすんすんと鼻を鳴らした。その匂いで胡散臭さでもわかるのか、どこか疑うような目つきでリィダを見た。
「な、なんすか」
「別に……=v
 とは言うものの、キラパンは明らかに手紙を疑っている。そもそもイサたち風雨凛翔は手紙というものにあまり良い思い出が無い。挙句の果てに、不幸の塊であるリィダが受け取ったものだ。疑うなと言う方が無理なのかもしれない。
「変なキラパンっすねぇ」
 と言って、リィダは手紙を広げた。
 宛名は確かにリィダである。
 そして、差出人は――。

「……北大陸連合……?」

 読み上げて、硬直した。
 なんだこれは。自分の知らない言語で書かれているのか、本気でそう思ったし、そう信じたかったが、間違いなく共通語でリィダ自身にも読める。
 手紙の内容は、要約すると出席状だった。
 北大陸の代表者を集め、ウィード城崩壊について話し合う会議を行うのだが、その会議にリィダも出席するようにと書かれているのだ。出欠席は任意のようだが、明らかにリィダが出席しなければいけないような書き方があちこちに目立つ。
「ふ、ふぇぇ?! なんすかこれぇぇ!?」
 ウィード城の今後を決めるような重大な会議であるらしいのだが、なぜリィダの名前がそこに載っているのか。リィダがウィードに残ることなど、ほとんどの人間は知らないはずである。そもそも知っている人間は魔界へ旅立っているので、いないに等しい。
 わけがわからず、しかしこうしてリィダ宛てに出席状が出ている。
 なにかの夢か。幻か。狐に騙されたのか。幻術を使う魔物でも出没したのか。
「落ち着け=v
 混乱に大粒の涙を溜めて今にも泣きだしそうになったリィダを宥めるように、キラパンが身体を寄せる。
「あぅぅ、キラパン……どうしよう」
「どうしようもなにも、行けば良いじゃねぇか。ここ、任されているんだろ=v
 こうして手紙が届いた理由も、リィダが呼ばれた理由も、実際に手紙を出した張本人に会わなければ解からないのだ。キラパンの言う通り、行くしかない。
「うぅ、分かったっす」
 手紙に記されている会議の場所はシルフの町だ。知らない道のりではないし、そこに辿りつくまでの日程に余裕もある。
「ちょっとは綺麗な格好して行った方が良いっすかね?」
「いや、それは要らねぇだろ……=v
 そして、リィダは会議に出席すべくウィードを発った。


 日程に余裕があるとはいえ、リィダである。
 道中、魔物に襲われたり、財布をすられたり、かなり遅れてしまった。
 会議が行われる、シルフの街にある最も大きな教会に辿りついたのは会議開始ぎりぎりの時間である。
「こんなことならキラパンに乗せてもらばよかったっす」
 ウィードを発った時に最初からそうしていれば余裕だったものを、まだ時間に猶予があるからと途中まで徒歩だったのが遅れた原因でもある。もしくは、リィダであるということ自体が遅刻の原因か。
 警備の人間らしき兵に出席状を見せると、すんなり通された。
 そして会議に使われる大広間に入ると、やはりほとんどの出席者は揃っていたらしい。その人間たちの視線を一斉に集める事になってしまった。
 だが、恥ずかしがるよりも驚きのほうが感情を上回った。
「って、え?」
 と、思わず声に出たくらいである。
 会議出席者は、北大陸に存在する街などの代表者たち。それらはリィダも知らない顔ばかりだが、知っている顔が重役席に座っていた。イサたちが『風磊』を探求する際に戦った、軍事国家ベンガーナの王、クルマッティカ。こちらは北大陸の代表者が集まる会議なのだから出席していて当然なので理解できる。だが、その隣に座っているのは――。
「久しいな、守護神殿」
 東大陸の魔道国家として名高いエシルリムの王、クレイバークがそこに座っていたのだ。
「く、クレイバーク陛下?! な、なんでこんな所に!?」
 リィダはその事実に目を白黒させた。
「我々も驚きだったよ。北大陸連合として会議を開くつもりではあったが、どうやってこのことを知ったのか、いきなりこの会議に参加したいと申し込んだ上に、君を参加させたいと言ってきたのだ」
 ベンガーナ王クルマッティカが肩をすくめながら言った。
「どうして……?!」
 未だ混乱がおさまっていないのか、リィダはクルマッティカを見たりクレイバークを見たりと忙しい。
「……先日、この手紙が我が城に届けられた」
 そう言ってクレイバークが取り出したものを、リィダは見覚えがある。
「ウチが出した手紙……!」
「何故か我が城に届いたのだよ。差出人が、守護神殿となっているからには無視もできなかったものでね。失礼して中身を読ませてもらった」
 恐らく、いつもの不幸で行き先が間違われたのだろう。しかしよりにもよってエシルリム城に届くとは、リィダの不幸は国を超えるのか。
 手紙にはリィダの近況と、ハーベストたちと直接話がしたいという内容しか書いていない。イサがウィードの王女だということは触れていないはずだ。
「見れば、滅んだウィード城近郊を拠点にしていると書かれているではないか。そこへ、ウィード領の今後を決する会議が行われると聞いたからには、貴女を参加させるべきだと思ったのだよ」
 どこでこの会議の事を知ったのかは語る気がないのか、その辺りはどうもはぐらかしているようだ。
 しかしこの場にいるということは、参加が認められているのだろう。
「それでは、全員が揃った所で始めるとするか」
 かなり低い声で、しかし全員に行き渡るような凄みある声。その声の主は、クルマッティカの隣に座っていた老人から発せられたものだが、雰囲気がまるでその一言でがらりと変わってしまったかのようだ。
 その老人、実は盗賊ギルドの幹部なのだが、リィダの知る由ではない。
「さて、ウィード城が滅び、治安問題と民の生活支援の問題についてだが……ベンガーナ王クルマッティカよ、お主に案があるそうだな。言ってみよ」
 老人に名指しで呼ばれ、クルマッティカが一礼して立ち上がった。
 これから彼が何を言うのか。一瞬静まり返った間に、何人が固唾を飲んだ事だろうか。
 特に恐れていたのはリィダである。魔物に操られていたとはいえ、もともとベンガーナはウィード領を奪おうと企んでいたのだ。ベンガーナにとってこれは絶好の機会である。場合によってはウィード領まるごとをベンガーナの領土にできるのだから。
「その前に、一つ確認させてもらいたい」
 クルマッティカの視線が、一人の女性に向けられる。もちろん、リィダである。
「ウィードには旅をしていた王女がいたはず。今回のウィード崩壊に、巻き込まれたのか?」
 その問いにリィダは慌てて首を横に振った。
 ウィード帰還の直前だった。目の前で城が崩壊し、危うくイサたちも巻き込まれるところだったが、違う。まだイサたちは生きている。
「ならば、戻ってくる可能性があるというわけか」
「もちろんっす!」
 何も考えず反射的にそう言った。今は魔界へと赴き、ウィードを本当の意味で守る為、魔王に戦いを挑みに行っている。そこで命を落とすかもしれない危険な戦いをしているのだが、それでもリィダは信じている。必ず、戻ってくると。
 さすがに魔王を斃す為に魔界へ行っている、とは公言できなかったが。
 それでもリィダの言葉に嘘はなさそうだとクルマッティカは判断したのか、鷹揚に頷き、他の皆を見渡した。
「我が案としては、ウィード王女が戻るまでベンガーナ国でウィードを管理、支援を行って秩序を守り、ウィード王女が戻り次第、元来ウィード領であった場所を返還することを提案する」
「え……?!」
 思わず口に出したのは、リィダである。どうことか、すぐに飲みこめなかったのだ。
「つまり、国としての管理はベンガーナが行うが、ウィードの王族が戻ればまたウィードに戻すということか」
 すぐに理解できなかったリィダに解かり易くするためか、老人が噛み砕いた内容で繰り返した。
 クルマッティカも、重々しく頷く。
「我が国からも、可能な限りの物資と資金援助をさせてもらおう」
 そう言ったのはクレイバークである。
 終始、険しい顔をしているのは会議の開始を知らせた老人である。しかし彼はこの状況を良く思っていないわけではなく、何かを見極めようとしているがために表情を厳しくしているだけだ。
「……おめぇさんはウィードとは国交もほとんどないはずだろう。何故、そこまで支援しようとする?」
 老人はクレイバークに問いかけた。
 その眼で見られただけで背筋が凍りそうなほどの雰囲気を醸し出している。直接見られているわけでもないのに、リィダはぶるりと震えてしまったほどだ。
 だが、その視線を直に受けているはずのクレイバークは飄々とした表情で向き合っている。
「我が国は一度、そこの守護神殿に救われている。その守護神殿が守ろうとしている国だからな」
 嘘だ。と、リィダは直感した。
 もちろん、クレイバークの言葉自体は本当の事だろう。しかしそれだけでウィード一国を支援するほどではないはずだ。恐らくだが、クレイバークは気付いている。エシルリムを救った、イサたちがどういう存在なのかを。
 あくまでイサは王族という身分を隠していた。クレイバークも、それに合わせてくれているのだろう。
「ふん、そうかい」
 納得したように老人が言った。
「まあワシは構わんぞ。軍事国家の者だけではなく、魔道国家の者の意見も一致している。でっけぇ二国がそうとなっちゃあ反対する奴なんぞいねぇだろ」
 と、老人が今度は朗らかに笑った。厳しい雰囲気が一瞬でなくなっており、不思議な老人である。
 他の皆はこの老人の最終決断がどうなるかを最も重大なものと考えていたのか、次々に安堵の息をもらす者が目に見えた。
「それでは、ウィードの王族が再びウィードの地に戻るまで、かの大地を守る役目を全うしてくれたまえ」
 と、クルマッティカはリィダに向けて言って手を差し伸べた。
「あ、あぅ」
 まだ理解が追い付いていないリィダは言葉に詰まってすぐにその手を取る事が出来なかった。
「しっかりしろよ。お前が任されるんだぞ=v
 隣にいるキラパンの声でようやく平静を取り戻したのか、リィダは強く頷く。
「もちろんっす!」
 固い握手を交わし、その瞬間に全体が拍手で包まれた。
 この時を持って、リィダはウィードを任されたのだ。


「というわけで、今でもウィードはウィードっす。イサさんたちが旅から戻り次第、王権はイサさんたちに移るっす。その後も、復興までに援助してくれることになっていて――ってぇ、イサさん? どうしたんすか?!」
 話し終えたリィダが言葉の途中で驚いのは、イサがぼろぼろと涙を流していたからだ。
「え、あ、あれ? どうしたのかな」
 リィダが驚くまで自分で涙を流していることに気付いていなかったのだろう。拭ってもすぐに零れ落ちる涙は、イサの今の心を忠実に表している。
「なんかまずかったすか?! ウチ、なんか変なこと言っちゃったすか?!」
 どこまでもネガティブ思考なリィダに対して、イサは首を横に振った。
「違うの。私たちの旅が、無駄じゃなかったんだって思えたら、急に……ね」
 ウィードを脅かすであろう魔王の進攻に対して、イサたちは風磊を集めようとした。しかし、その風磊探求の旅は間に合わず、結果ウィード城は崩壊してしまった。だが、それでも、その旅が無意味などではなかった。
 あの旅があったからこそ、こうして人と人が助け合える輪を作り、心を繋げることができたのだ。
「助けてくれる皆のためにも、ウィードを元通りにしなきゃね」
 涙を拭いて、イサはとびきりの笑顔で決意した。
 ラグドがそれに重々しく頷く。
 リィダもそれに笑顔で返した。


 だが、しかし――。


 こことは別の場所。別の次元。別の、どこか。
 どくん……と、一際大きく、何かが脈打った。

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