-52章-
折れぬ意志



 最初は耳鳴りかと思った。だが違う。暴れ狂う叫びは、心の奥底から沸き上がるかのようであった――。

 怒号が辺りを渦巻いている。
 自分で発している雄叫びも轟音の一部となっているのだろうが、それが本当に自分の声なのかも怪しい。
 ただ一体でも多くの魔族を斃さねばと必死になっていた。
 皆の希望、ロトルのために――。
「もう一丁ーー!」
 フェアーゴは巨大な斧を振り回しながら、魔族をまとめて二、三体ほど斬り飛ばした。フェアーゴは炎の四大精霊メイテオギルの力を駆使しているため、飛ばされた魔族は炎に包まれて灰塵と化す。
 これで何度目だろうか。楽勝というわけではない。かなりぎりぎりの線で戦っているのだ。少しでも判断を間違えれば、灰燼と化す運命は自分に降り注ぐ。
 舞台は乱戦状態になっていた。仲間たちもどこにいるのかが判断がつかない。
 低級の魔族などは、戦いに酔い痴れているのか魔族同士でぶつかり合っているほどだ。
 ちょうどフェアーゴがいる近辺は魔族ばかりで、神々の姿は見えない。
「皆とはぐれちまったか」
 途中までは同じく四大精霊の力を得ている他の三人と共に戦っていたはずだが、連続する乱戦の中で散り散りになってしまったらしい。
 ロトルの手助けになるには、やはり周囲の敵を斃すしかない。
 肩で息をしながらも、周りの魔族を睨みつける。魔族どもは疲弊したフェアーゴを見て、笑みを浮かべた。もうこいつも終わりだ、とでも思われているのだろう。だが、フェアーゴとてそう簡単にやられるわけにはいかない。
「次だ!」
「(――何が『次だ!』よ!!)」
 気合を入れるつもりで叫んだのだが、それをくじくような甲高い声が脳内で響いた。フェアーゴの中に宿る炎の精霊(メイテオギル)の声ではない。メイテオギルの声ではないのだが、フェアーゴはよく知っている声だ。
「(その声、トルナードか?!)」
 脳内から響くように聞こえてきたので、フェアーゴも自分の心の中に言うように問い返した。トルナードとは、風の四大精霊ウィーザラーの力を得ている人間の名である。
「(遠話の魔法よ。結構難しいんだからね)」
 難しいという割には、既に使いこなしているようだ。
「(お前は無事だったのか。他の皆は?)」
 トルナードとはこうして話しているので、彼女はまだやられてはいない事くらいわかる。問題は、他の仲間たちの様子だ。
 しかしフェアーゴの心配も、あっさりと打ち消される。遠くにいるはずのトルナードからあからさまな溜息が聞こえてきたからであり、その雰囲気がどことなく呆れているからだ。
「(無事に決まっているでしょ。あなた以外、皆ここにいるんだから)」
「なにぃ?!」
 驚きが思わず声に出てしまった。周囲にいた魔族は何事か不審に思っただろう。
「(どういうことだ?)」
「(どういうこともなにも、あんただけが敵陣に突っ走って勝手にどっか行ったんじゃない! ちゃんど集団行動を意識してよね!!)」
 呆れながら怒るトルナードの言葉に、フェアーゴは何も言い返せなかった。思い返せば、フェアーゴ自身が敵陣に走り込んで、そのまま奥へ奥へと来てしまったのだ。乱戦で散り散りになってしまったというより、自分自身で皆から離れてしまった事になる。
「(悪かったよ。それで、皆はいま――っ、どこに?)」
 フェアーゴが襲い掛かってきた魔族をまた一体、斬り飛ばしながら問いかけた。
「(地図情報をあなたに送るわ)」
「(そんなこともできるのか)」
「(風の精霊の力を舐めないでよね)」
 驚くのも束の間、一瞬でフェアーゴの脳裏に、辺りの地図と、敵の現在の配置情報が浮かび上がった。まるでずっと知っていたか、知っていて当然なほど鮮明に解る。どこに魔族の軍勢がひしめいているか、どこが手薄なのかが、はっきりとしているのだ。
 鮮明に解るからこそ――。
「(どこを通ればいいんだよ!?)」
 敵に遭遇しない最短ルートを絞り込もうにも、遠回りになってしまったり、敵が大勢いる所を通らなければならなかったりしているのだ。
「(あっちの道を通って、んで、こっちを通れば……あぁ、そしたら遠くなるのか)」
 もともとフェアーゴは頭を使うほうではない。むしろ一般以下であると自分でも思っているくらいだ。
「(フェアーゴ、聞こえますか)」
 脳内の地図と見えない格闘をしているフェアーゴに、トルナードとは違う声が聞こえてきた。
「(オチェアーノか!)」
 水の精霊スベリアスの力を得た人間だ。そして、フェアーゴが密かに想いを寄せている女性でもある。
「(トルナードの力を借りて、あなたに話しかけています。良いですか、よく聞いてください)」
 淡々と喋るオチェアーノはフェアーゴと正反対だが、もしかしたらそこに惹かれたのかもしれない、とこんな事に下らないことを考える。
「(まず、今立っている一から、右を少し見て下さい)」
「(こうか?)」
 オチェアーノの指示に従い、身体を右に向ける。
「(はい。では、後は真っすぐ来てください)」
「(ってちょっとオチェアーノ! そこ敵の大群のど真ん中を通るじゃない!)」
 堪らずトルナードが焦った声を出す。トルナードの言うとおり、地図上では敵の大群がいるルートだが、皆への合流は最短で済むルートでもある。
「(フェアーゴなら、来られますよね?)」
 オチェアーノが遠くで微笑んでいるのがよく解る。天使の笑みか、悪魔の嘲笑か。
 どちらにせよ、フェアーゴにとっては好都合である。にやり、と口を歪ませる。
「もちろんだろ。それに、考えるのは俺の性に合わねぇんだ。こっちの方が俺らしくていいや」
 トルナードは向こう側で盛大な溜息を吐いているだろう。
「(じゃあ好きにしなよ)」
 と、むくれた声を最後に遠話の魔法の接続が切れたらしい。何も聞こえなくなった。
 戻ったら説教されるんだろうな、と苦笑いを浮かべながらフェアーゴは進行方向を睨みつけた。


「もう! 信じられない! なによあの能天気さは!」
 緑髪をツインテールにしている少女は地団駄を踏みながらここにはいないフェアーゴに文句を言った。
「あら、あなたも似たようなものではないですか、トルナード?」
 緑髪の少女――トルナードと呼ばれた彼女は唇を尖らせながら名を呼んだ女性を上目で見た。子供っぽいトルナードに比べたら冷静沈着な雰囲気を纏った彼女は、青い髪を揺らして微笑んでいる。
「でもぉ、オチェアーノぉ」
 オチェアーノと呼ばれた彼女は、優しくトルナードの頭を撫でた。
「フェアーゴはいつも通りですよ。いつも通りだからこそ、この戦いにも勝てる気がします」
 今まで勝ち残ってきた。だから、今回の戦いも勝てる。これが最後の戦いであったとしても。
「……敵は強大だ。皆の力を一か所に集めておかねばならないだろうな」
 そう言ったのは、フェアーゴよりも一回りも二回りも巨漢の、茶髪の男だ。
「ガイアーラ……せっかくオチェアーノが安心させてくれるようなこと言ったのに、なんでそれを否定するようなこと言うのよ」
 ガイアーラと呼ばれた男は、少し考えて納得するように頷いた。
「む。そういえばそうだな。すまん」
「遅いわ!!」
 すかさずトルナードが文句を言う。これはこれで、いつも通りの光景だ。
 オチェアーノに似たようなものと言われるのも当然である。
「でも……」
 トルナードの表情が、にわかに曇る。
「ロトルってばどこ行っちゃったんだろう。フェアーゴじゃあるまいし」
 皆のリーダーたるロトルは、今この場にはいない。今日の作戦は、ロトルと四大精霊の力を得た四人、合計五人で行動するはずだ。フェアーゴが敵を見つけた瞬間に突っ走って何処かへ行ってしまう心配はあったし、その不安は的中したが、ロトルまでいないのはさすがにおかしい。
「とりあえず、フェアーゴと合流してからですね」
 オチェアーノがあくまでに冷静に言った。彼女なりに不安を覚えているはずだが、他の二人の不安を煽らないようにしているのが目に見えている。
「うん、そうだね」
 だから、トルナードもそう答えるしかしなかった。
 もし、ここで皆が全力でロトルを探し出し、彼の行動を止めていれば、もしかしたら世界は三つに分かれていなかったかもしれない。


「突破ぁぁ!」
 炎を纏った巨大な斧を旋回させて、敵陣のど真ん中を突き進むフェアーゴ。どうやら主力ではないようで、フェアーゴはそこらの雑兵に後れを取るはずがない。敵も実力の差を見極めているようで、フェアーゴに襲い掛かるどころか蜘蛛の子を散らすように逃げている。
「なんだ! かかってこないのか!」
 そうやって挑発しているが、正直に言うとフェアーゴとしても襲い掛かってこないほうがありがたい。いくら実力差があって負ける気はしないとはいえ、数で来られると体力の低下の方が気になる。
 まだ主戦力とぶつかっていないのに、疲れ切ってしまっては足を引っ張るだけだ。
「半分くらいまで来たかな……」
 トルナードが送ってきた地図情報と周囲の地形を確認するとだいたいそれくらいだった。
「早く行って、ロトルを助けてやらないとな」
 今日は五人一組で常に行動するはずだ。今は自分だけが突っ走ってしまったので、それが崩れてしまっている。さっきの会話にロトルが割って入って来なかったということは、それほど向こうは向こうで切羽詰まっているということだろうか。
「って、あれ……?」
 快刀乱麻を断つが如く敵を蹴散らしていたフェアーゴがぴたりと止まる。
 ちょうど前に立ち塞がった魔族を斬り飛ばそうとした直前だったので、死を悟った魔族は逆に不審がる。
「(何か、おかしくないか)」
 まだ斃していない目の前の魔族になど気にも留めず、フェアーゴは自分の中に生まれた疑問に集中する。
 死を逃れた魔族の眼に、再び殺意の光が宿る。
 鋭い爪が、フェアーゴに襲い掛かった。
「うん、やっぱりおかしい」
 と、言いながらフェアーゴは魔族の攻撃を寸で避けてお返しとばかりに斧を振るう。これを無意識的にやっているのだから恐ろしい。斃された魔族も納得がいかなかった事だろう。
「(何がおかしいというのだ)」
 心の中に宿る炎の精霊――メイテオギルが問いかけてきた。
「さっきの遠話の魔法で、ロトルが何も喋らなかった」
「(それがどうかしたのか。わざわざ会話する暇がなかったのだろう)」
「トルナードやオチェアーノの様子から、戦闘しているってわけじゃなさそうだった。そもそも皆の合流地点の周囲に、敵陣情報なんてなかったし」
 遠話の魔法に割って入って来るのはトルナードに頼めば容易なことだし、オチェアーノやトルナードの様子からしてそれができないほど緊迫していた、というわけでもなさそうだった。ロトルの性格からすれば、何かしら一言くらいかけてくるものだ。
 そうでなければ、ロトルらしくない。それが無かったということは、遠話の魔法に入って来られない状況にあったということ。
「トルナード! おい、トルナード!!!」
 遠話の魔法自体は、フェアーゴは使うことができない。向こうが魔力の通信を切っている限り、こちらの声が届くはずがないのだ。それでも確かめなければならない。先ほどの遠話の魔法が繋がっている時の感覚を思い出しながら、大声で叫んだ。
 聞こえてくれ、と強く願いながら。
「トルナードぉぉ!」
 フェアーゴの身体から魔力が流れる。
 ぶつ、ぶつつ、と嫌な音が耳の奥で鳴り響いた。不快な雑音が脳を揺さぶり、苦痛で顔をしかめるが、その次に不敵の笑みを浮かべる事になる。
「(な、なに――これ――?!)」
 繋がった!
「(繋がったのか! やってみるもんだな)」
「(その声、フェ……ゴ? なに……れ? あんたも、遠話――魔法使……るの?)」
 繋がりはしたが、やはり不完全らしい。声の大きさもばらばらで、遠くから聞こえているような、近くから聞こえているような、ぶつ切りになったり無音になったりと、とにかく聞こえ辛い。
「(気合でなんとかしてみた)」
「(どおり……接続が悪いと……ち……と待って)」
 一度、雑音が全て消えた。
「(はい、どうしたの?)」
 どうやらトルナードの方から繋ぎ直したらしい。さすがに、もう声も明瞭に聞こえるし、ぶつ切りになることはなくなった。
「(ロトルは今そこにいるのか?!)」
 叫ぶように問いかけ、その大声が直接響いたのか向こう側でトルナードが顔をしかめる。
「(ロトル? いないよ)」
「(なんで?!)」
 ロトルならばフェアーゴと違って勝手に突っ走ってはぐれるということはしないはずだ。
「(私たちも知らないわよ)」
 どこか不安そうなトルナードの声が伝わってきた。
 彼女も、いや、他の仲間たちも不審に思っているのだ。
 それを聞いたフェアーゴは、どす黒い靄が全身を満たしたような感覚に襲われる。そしてその靄の正体は、不安という言葉に置き換えられる。
「(ロトルがいる場所はわかるのか)」
 トルナードから脳内に直接送り込まれた地図には敵の位置情報と仲間の位置情報が記載されていた。その情報把握を応用すれば、ロトルだけを見つけることができそうなものだが、フェアーゴの期待はあっさりと打ち砕かれる。
「(解るならとっくにやっているわ。あなたみたいに遠話の魔法で確認しようにも、繋がらないの)」
 つまり完全に音信不通というわけだ。
「(……悪い、ちょっと合流が遅れる)」
 そう言って、フェアーゴは進行方向と別の方角を見た。
「(え、フェアーゴ? ちょっと、フェアーゴ!!)」
 トルナードの声がだんだんと薄れていく。遠話の魔法の回線が切れていっているのだ。やがて、トルナードの声は完全に聞こえなくなった。別にトルナードが魔力の回線を切ったわけではない。
 フェアーゴが、自らの意思で遠話の魔法を遮断できるかどうかを試みたのだ。
 結果はこの通り、驚くほど簡単に遠話を拒否できるようだ。
 ロトルに遠話の魔法が繋がらないということは、繋がる状況にないということ。既に首を取られたという可能性もあるのだが、ロトルに限ってそれはないだろう。彼がそう簡単に死ぬわけがない。否、『運命の意思』が、彼を生かすはずだ。
 ならば、フェアーゴが思いつく可能性は残り一つ。
 彼は単独で、事を成そうとしているのだ。仲間たちを巻き込むまい、と。
「あの野郎……」
 どこにいるか解らないロトルに対して文句の一つでも言いたい所だが、今フェアーゴがいるのは敵陣の真っ只中である。のんびりはしていられない。
「あっち、かな」
 仲間たちの合流先とは別の方角。
 確証があるわけではない。ただの勘である。ただの勘であるからこそ、フェアーゴは自信を持った。こうした時の己の勘は、当たるものだ。
 ロトルがいるであろう方向に向かって、フェアーゴは走り出した。
 当然、襲い掛かる魔族を打倒しながらである。


 ロトルは一人であった。
 仲間たちには申し訳ないと思っているが、今から自分が成そうとしていることは、仲間たちを危険に晒すことは必至。だからこそ、ロトルは一人で来た。
 信頼しきった仲間であるからこそ、危地でも共に戦う。戦ってきた。だが、今回ばかりは、共にいることは許されない。
 それに、こうして一人でここまで来られたのも、仲間たちを信用している結果である。
 他の仲間たちが敵陣と戦ってくれているからこそ、ロトルは一人でもここまで来られたのだ。
 とはいえ、どう言ってもロトルの我がままだ。フェアーゴやオチェアーノ、トルナードとガイアーラ、そして共に戦ってきた皆が不満不平を言ってロトルを糾弾する光景が目に浮かぶ。
 どうして一人で行くのかと。今まで共に戦ってきたではないかと。どんな危地でも、共に行かせてくれと。
「……ごめん」
 だから、ロトルは眼を伏せながら呟いた。
 謝罪はするが、決心は変わらない。
 目を開けて、ロトルは正面を見据える。
 その瞳には、決して折れない強い意志が宿っていた。


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