-50章-
勇者の武具



 それから、どれくらい経ったのだろう。
 ひんやりとした感触で、目が覚めた。
「イサ様、そろそろ起きてよぉ」
「……ホイミン?」
 冷たい感触は、ホイミンの触手がイサの頬に触れていたからだ。
 身を起こすと、そこには同じく身を起こしたばかりのエンの姿があった。横に、しびおがふよふよと浮いている。
「よぉ、お前も目が覚めたか」
「エン! 無事だったの?」
 鎧はボロボロに崩れ落ち、その残骸も血に濡れていない個所を探す方が難しいほど汚れている。しかし、エン自身の身体の傷は消え去っているようだ。
「なんとか、な。結構危なかったらしいけど」
 戻ってきたホイミンが完治呪文(ベホマ)を使わなければ、そのまま死んでいてもおかしくはなかったという。そのような話を笑いながらするエンだが、さすがに冗談で笑い飛ばせる状態ではなかったらしい。
「けど、なんで戻って来たんだよ。フォルリードを任せたはずだろ」
 ホイミンたちが戻ってこなければ死んでいたかもしれないということを忘れたかのような言葉に、ホイミンたちは嫌な顔一つせず、ホイミンなどはあはあはと笑っている。
「迷っちゃった♪」
「申し訳ありません。途中から、追っていた魔力が途切れたのです」
 ホイミンとしびおが交互に言うが、魔物の姿をした時のホイミンはどこかいい加減だ。
「おかげで助かったけどな。そんじゃあ、とりあえずここから出るか」
 霊魔将軍ネクロゼイムの研究室。まだ何かありそうな部屋だが、今の目的は魔王ジャルートを斃すことである。いつまでもここでのんびりしていられない。
「ホイミン、いいの?」
 イサが聞いたのは、ホイミンにとってここは人間に戻るための資料が残っているかもしれない場所だからだ。今ここを離れれば、再び戻って来られる保証はない。むしろ、二度と訪れることはないだろう。
「うん。あっちのボクも、良いってさ」
 ホイミンなりに、決意した事があるのだろうか。少し憂いがあるような表情を浮かべるホイミンは珍しい。
「そっか。それなら、行こう」
 少しでも早く、他の皆と合流しなくては。一人だけでも、二人だけでも駄目なのだ。
 あれほど疲労するほど力を無理やり使わされていたのだから、他の二人のことも心配だ。誰かと闘っている途中でなければ良いのだが、さすがに確認する事は出来ない。
 とりあえず奥へ歩を進めようとした、その時にふと気付いた。
「ちょっと待って。エン、あなたそのまま行くつもり?」
「そのままって……ああ、こりゃひでぇな」
 最初は何の事か解らなかったが、イサがエンの身体を疑うように見て気がついた。纏っていた鎧は襤褸同然で、その機能の役割を果たしていない。今から魔王に挑もうとしているというのに、防具がないのは心許ないにも程がある。
「けど、そこらへんに鎧が転がっているわけじゃないんだし」
 洞窟や遺跡なら、古代の鎧が宝箱の中に安置されている場合もあるが、ここは魔王の城の中である。あったとしても、魔物専用であったり、何かしらの曰くつきの物であったりするだろう。
「そこらへんに……」
 エンが言った事に、イサは目を瞬かせて、背後を振り返った。
「転がっているよ」
「マジで?!」
 エンも振り返ると、そこには目も覚めるようなマリンブルーの色彩を持つ立派な鎧が、文字通り転がっていた。
「ロベルの……」
 つい先ほどまで、ロベルが身につけていた鎧だ。
 ロトルの鎧。勇者の武具として扱われ、選ばれた者にしか装備する事が出来ない伝説の鎧である。
 持ち主であったロベルの肉体が消滅したため、そこにぽつねんと置かれている。
「大丈夫なのかな」
 勇者の武具であるそれを、果たして装着できるのか。
 選ばれた者以外は、触れる事さえ許されないのでないだろう。
 不安がりながらも、エンはその鎧に触れてみた。
「どう?」
 イサが横から聞いた。提案した彼女自身、心配なのだ。
「触った瞬間に電撃が流れて弾かれる、ってわけじゃなさそうだな」
 エンはそう言って、今度はしっかりと持ち上げた。
「これは……」
 持ち上げた瞬間、エンは妙な感覚に襲われた。全身の血が歓喜で震えている。まるで、その鎧がもともと身体の一部であるかのように。
 持って解ったのだが、鎧は予想以上に軽い。
「そんなに軽いの?」
 エンがあまりにも軽々しく持ち上げるので、イサに興味がわいたようだ。
「ああ。持ってみるか」
「うん――って、なにこれ?!」
 気軽にイサへ手渡すと、彼女は持つ事が出来ずに鎧を落としてしまった。もともと身長が低いため、落とすというよりも乱暴に置いたに近い。
「重すぎるわよ!」
「そんなことないだろ」
 イサは持ち上げることさえ叶わず、しかしエンはあっさりと持って見せた。
「鎧に選ばれたのよ、きっと」
 急に重い物を持った手を振りながら、イサが言った。
「オレが……?」
「当たり前でしょ」
 勇者の武具に認められるという事が、どういう事なのか。
 その責任は、重大である。
「でも、剣とかは使えねぇぞ」
 残っている勇者の武具は、剣と盾もあるのだ。もともとエンは斧を使うので、剣など扱ったことがない。盾にしても、エンはほとんど攻撃を主にしているため、扱いには慣れていないのだ。
「でも、ここに置いて行くわけにも……あれ?」
 エンが持っている鎧は別として、まだそこに取り残されていた剣と盾が、淡い光に包まれていた。
「今度は何だよ」
 光はやがて金色の光となり、それは武具召還の光とよく似ている。
「剣と盾が!」
 金色の光は粒子となって消えていき、それに伴って剣と楯も消えていったのだ。
 鎧だけは残ったものの、残りの二つはこの場から消え去ってしまった。
「どういうことだ?」
 エンの問いに答えられる者は、誰もいなかった。


 ラグドが倒れていたのは、岩の紋の空間を通り抜けた先であった。
「今のは、なんだ?」
 よろめきながらも立ち上がり、だんだんと意識が回復してくるのが解る。
 ガーディアノリスとの戦いの疲労がここに来て限界に達してしまったのかと思ったが、意識が遠のく前の感覚はそれを否定していた。
「強引に力を引き出されたようだ=v
 普段は寡黙な大地の精霊(ヴァルグラッド)がぽつりと漏らした。それだけでラグドは大体の事を把握できる。
 戦いの最中ではなかったという事が救いだろう。
「イサ様は無事だろうか……」
 もちろん、他の仲間も心配なのだが、どうしてもイサのことを最優先にして考えてしまう。
 つい先ほど、主を守る騎士としてのプライドを賭して戦っただけに、その気持ちはいつも以上に強い。
 ラグドがいるのは他の紋との合流地点になる部屋らしいのだが、他には誰もいない。待つべきか進むべきか。
 ガーディアノリスとの戦いで苦戦を強いられたとはいえ、そこまで時間がかかったというわけでもないはずだ。そうなると、ここは他の仲間がそれぞれの紋を通り抜けてくるのを待つしかない。
 まだ疲労も残っているので、ラグドはその場に腰を下ろした。
 それから数分もしない内に、扉の一つが反応を示した。
「イサ様!」
 反射的に立ち上がって姿勢を正したが、そこから出てきた人物はイサではない。
「残念、でしたね」
「ルイナ……いや、すまない」
 いつもと変わらない表情、つまりは無表情なのだが、そのような顔で言われては肩身が狭くなってしまう。
「エンは?」
「まだ来ていないようだ」
「そう、ですか」
 ルイナの声音が、少し変わったように思えた。それも当然だろう。以前、この場に訪れた時はエンだけが先行してしまい、その結果エルマートンを復活させてしまったのだから。今回も同様に、エンは闇の紋を通り抜けてしまったのでは、と考えてしまうのも無理は無い。
「先に進んでみるか?」
 ラグドの提案に、ルイナは不思議そうに首を傾げた。
「魔王への最短ルート……闇の紋を通り抜けていた場合、既に魔王と対峙しているはずなのだろう。それがエンかイサ様かは解らないが、もしそうなら手遅れになる前に合流できる」
 もしどちらかも他の紋を通り抜けている最中ならば、それこそ合流できる可能性は低くなる。しかしエンとイサも、それなりに時間が経過して他の姿が見えないとなると先に進むような性格だ。
 静的なラグドやルイナとは違い、その行動に迷いはないだろう。
 もしかしたら、既に先に進んでいる可能性すらあるのだ。
「わかり、ました。行き、ましょう」
 ルイナも頷き、二人は奥へと向かった。
 魔王の、祭壇へ。
「そういえばルイナ。つい先ほど、精霊力が強制的に引き出されなかったか?」
 通路を奥へ進む最中、気になっていた現象について、もしかしたら知っているのかもしれないと思い聞いてみたのだが、彼女は頷くだけで原因までは知らなかったらしい。
 ルイナによるものではないとすると、エンかイサか、もしくは別の何か。
「たぶん、エンだと思います」
「何か根拠はあるのか?」
「いえ……ただ、そう感じた、だけです」
 エンに関することなら、ルイナ以上に解っている者などいない。そのルイナが言うのだから、不思議とラグドも納得してしまった。それに、エンならば何かをやらかしかねない。
「それが死魔将軍と戦っている時によるものなのか、それとも既に魔王と戦っている時なのか……答えはこの先か」
 通路の奥に見えてきた闇の塊。行く手を阻む闇の蓋である。
 心なしか、以前に見た時より闇が濃くなっているように見える。魔王が聖邪の宝珠で絶大な魔力を手に入れていることの表れだろうか。
「突破できるか?」
 確か、ルイナ達が通った時は勇者ロベルのギガスラッシュ≠ナ闇を引き裂いたのだ。
 今ではそれ以上の力が必要になりそうだった。
 現に、ルイナは即答さえせず考え込んでいる。
 精霊力をぶつけてどうにかなるようなものなのか、見ためだけでは判断できない。スベリアスが与えてくれる知識を持ってしても、答えは容易に出てきたりしないのだ。
「あー! いたいた!!」
 だしぬけに背後から聞き覚えのある声が飛んできた。振り返れば、エンとイサ、そしてホイミンとしびおが走ってきているではないか。
「イサ様! ご無事でしたか」
「なんとかね。よかった、二人も無事で」
「ひでぇじゃねぇか。置いてくなんてよー」
 やっと追いついたエンが唇を尖らせながら言った。
「仕方ないだろう。以前お前は闇の紋を通って直接魔王の祭壇へ行っていたのだから、今回もそうではないかと思ったのだ。そうでなくても、お前なら先に突っ走って行ってしまっている可能性も考えられたからな」
「うぅ、それを言われると何も言えねぇ」
「それに先ほど妙な感覚に襲われたからな。もしかしたら先行して魔王と戦っているかもしれぬと思ったのだ」
「あぁ、それなら……」
 エンは気まり悪げに頬を掻いた。その妙な感覚とは、精霊力が強引に引き出されたことなのだろう。
 その様子を見て、ラグドは嘆息する。
「やはりお前だったのか」
「まあな」
「まあそれはいい。しかし、その鎧はどうしたのだ」
 ラグドが不思議がるのも当然で、エンは今、皆と別れる前に装備していた鎧とは全く違う鎧を着けている。眼の覚めるようなマリンブルーの、胸元に不死鳥の紋章が彫り込まれている鎧は、神秘的な雰囲気を纏っている。
「エンってば凄かったんだよ!」
 答えたのはイサである。まるで自分のことのように興奮しているが、これだけでは伝わらない。
「凄かったかどうかはわかんねぇけどな。簡単にいえばロベルに貰ったんだよ」
「勇者ロベル殿に?」
 ラグドは狐につままれたような顔――と言ってもラグドの表情は髪で隠れて見えにくいが――をして聞き返した。勇者ロベルは既に世の人ではない。ましてや魔界にいるはずがないのである。
「話すと長くなりそうだし、後でゆっくりな。今はそれより、この先だろ」
 彼らの目の前にあるのは、触れようとする者を全て拒む闇の壁。勇者ロベルでさえ、勇者にしか扱えない剣技でやっと突破したのだ。そう簡単に破られるとは思えない。
 その闇の壁を見上げたイサが、ふと気付いた。
「あれ……何か、聞こえない?」
「何かって?」
 エンが聞き返すが、イサ自身が気のせいかと思ったくらいだ。しかし、言葉を返す間もなくそれは聞こえてきた。
 ずずん、と低い音が、不規則に響いている。
 もちろん、それは空耳なんかではない。
「英雄ロトル、だろうね」
「もう魔王と戦っているのか」
 イサが憶測で口にした名前に、エンがやや悔しそうな口調で言う。エンとしては、ただ遅れを取ったくらいにしか思っていない。
「さっさとオレ達も行かないとな」
「簡単に言うが、かつては勇者ロベル殿のギガスラッシュ≠ナ道を切り開いたのだろう。その時よりも頑丈そうに見えるぞ」
「心配いらねぇよ。これくらいのことやれなきゃ、魔王を斃すことなんてできないだろ」
 そう言って、エンは火龍の斧を召還した。
 勇者を超えない限り、魔王を斃す事などできはしない。それを、ロベルと戦った時に気付かされた。だったら、ロベルが突破したこの闇の壁も、乗り越えなければならないのだ。
「せぇぇぇぇっの!」
 特別なF・Sを使ったわけではない。だが、エンの声に呼応するかのように火龍の斧が炎に包まれ、振り下ろすと同時に眩い光となった。
 分厚い闇の壁にぶつかると火花を散らし、辺りの暗闇が照らされる。
 一瞬で易々と切り裂くとまではいかないが、あっさりと弾かれるということもない。まるで力が拮抗しているかのように、火龍の斧は壁の途中まで食い込んでいる。
「らぁっ!」
 最後のもう一押しとばかりに声を出しながら力を込めると、ついに闇の壁は音を立てて崩れ去った。
 後は、奥へと続く通路が伸びているだけだ。
「よし、これで進めるな」
 いつの間にか噴き出していた汗を拭いながら、エンは笑みを浮かべた。しかし、その笑みもさすがに強ばって見えた。

 慎重に進む必要は無い。恐らく、闇の壁こそ侵入者を阻む最後の仕掛けのはずだ。故に、エンたちはただ早く辿りつくために通路を走っていた。奥に進むにつれ、遠くからかすかに聞こえていた振動は、確かに近づき、重みをましてくる。
「あそこか」
 通路の終わりが見え、奥には魔王の祭壇があるはずだ。
 ついに、エンたちは祭壇まで辿りつき、『その光景』を目の当たりにした。

 そこでは、英雄ロトルと、魔王ジャルートが激闘を繰り広げていた。
 ただ言えるのは、見ただけでもわかるほど、死魔将軍を斃すのに苦労していた自分たちとは、次元が違う。
 ロトルが放ったギガデインは、一点のみに集中されていたはずだが、対してジャルートの闇の魔法障壁がそれを防ぐ。いかに強力な魔法とはいえ、それが届かなければ意味がない。お返しとばかりに、魔王が腕を振るうと同時に闇の波動が死をまき散らしながら迫るが、英雄は輝く剣でそれを引き裂いた。
 すかさず、ジャルートが爆発の呪文を唱え、直撃したかと思ったが、爆煙は一瞬にして消え去り、そこには無傷のロトルが不死鳥の盾を構えた姿で立っている。
「エン! あれって」
「やっぱりあいつが持っていたのか」
 ロトルが持っている剣は、不死鳥を模した柄から白銀の刃が伸びた雄々しい剣――先ほどまで勇者ロベルが持っていた勇者の剣である。そして片腕に通している盾もまた、ロベルが所持していた不死鳥の盾だ。もともと勇者の武具はロトルがかつて装備していた神器なのだ。勇者ロベルが亡くなり、本来の持ち主の手元に戻っただけだ。
 最後の神器、光神の鎧は今でこそエンが装備しているが、本来ならばこれもロトルのものなのだが、何故かこれだけは残ったままだった。
 ロトルは光神の鎧がなくとも、魔王と対等と戦っている。
 両者の戦いが恐ろしく感じたのは、嫌なことに気付いたからだ。
「あいつら、本気出してねぇな」
 激闘を繰り広げている、と言っても過言ではないはずなのに、両者はただ探り合いをしているだけだ。ロトルがこれはどうだい、と言わんばかりに速度を上げれば、ジャルートがその速度に合わせる。逆もまた然り。
 ちらり、とロトルの視線がこちらを向く。エンたちの存在を認めると、その表情が変わった。
 それは、念願を目前にしたような、歓喜の笑みであった。
 そして、表情こそ変えなかったものの、魔王ジャルートもそれと同じ雰囲気を纏っていた。


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