-43章-
炎の精霊王



 これは知っている気配だ。エンはそれを確信していた。
そもそも電流があちこちに流れているような場所である。その空間の主は、さすがのエンでもわかる。
 本来は侵入者の足止めをする仕掛けがあちこちにあるのだが、それらは全て解除されており、そうでなかったらエンは先に進むこと自体が困難になっていた。扉を潜り抜けた先、やはりそこにいた。
 その男は何かを待つかのように座っており、エンが踏み入ると顔を上げた。
「よぉ、また会ったな」
 エンが、火龍の斧を召還しながら笑って見せる。
「俺たちの前から逃げ出したくせに、よくそんなことを言えるな」
 黄色の髪に、銀の瞳。痩躯だが、その男に宿る狂気は膨大だ。
 死魔将軍が一人、雷魔将軍フォルリード。
 この魔王城で一度。そしてデュランの空間世界で一度。
 そしてこれが三度目の邂逅だ。三度目の正直、と云う言葉があるくらいなのだから、そろそろ決着しなければならない。
「だがラーミア復活はさすがに驚いたな。お前ら人間も、なかなかと酷なことする」
 フォルリードが皮肉な笑みを浮かべる。一度死に、人間として蘇ったフォルリードが言うのだから、その皮肉さは倍増だ。
「人の命を生贄にしてまで目的を果たす。命の尊さを語りたがる人間だが、本性は自分本位なんだろう?」
 フォルリードはエンたちがどうやってラーミアを復活させたか知っている。カエンとルイスが命を賭して、今は無き輝光の宝珠(シャイン・オーブ)深闇の宝珠(ダークネス・オーブ)となったことだ。
「オレたちがここに来られたのは、二人の犠牲があったことだ。それは認めるさ」
 その事実を隠す必要も無ければ、弁解するつもりもない。
 それでも、決定的に違うことが一つだけある。
「けどな、二人は選んだんだ。オレたちのために、道を切り開いてくれた」
 宝珠と化すことを、エンたちは望んではいなかった。それでも、カエンはそうさせてくれと願ったのだ。そしてそれは、悔いの無いことだと言った。
「詭弁だな」
 フォルリードがゆっくりと身を起こし、調子を確かめるように手を握っては開く。
「……ところで、戦闘体勢を取っているようだが戦うのか? これ俺と?」
 冗談だろう、と言い聞かせるようなフォルリードだが、エンの答えは決まっている。
「当たり前だ! そして勝つ!」
 フォルリードの後ろに、先に進むべき通路が見えているのだ。そこに立ち塞がるのならば、斃さなければならない。そうでなくとも、エン自身、フォルリードとは闘うべきだと思っている。
「勝つ? 勇者ロベルさえ超えた俺に『勝つ』?」
 フォルリードが笑いながらエンの言葉を反芻する。
 次の瞬間、フォルリードの雰囲気が変わった。
「無理だな」
 目を細め、エンを一瞥する。それと同時に放たれた言葉は底冷えするような声であり、思わず息を呑む。
「前みたいに尻尾を巻いて逃げ出せよ。これ以上邪魔をしないというのなら、命は助けてやる」
 フォルリードの殺気が、エンのみに集中する。気を抜けばそれだけで膝を屈してしまうほどだ。
「ああ、前は逃げたさ。けど、今回は違う」
 デュランの世界で死魔将軍と遭遇した時、エンたちは撤退した。エンとしては逃げるつもりはなかったのだが、いるはずの民たちがいないと言われたり、姿を見せていない死魔将軍もいたりと、あまりに訳がわからず逃げの一手を取った。
 しかし、今は違う。
 相手にするべき死魔将軍は一人。純粋な一対一である。
 ロベルに勝った相手であったとしても、むしろロベルに勝った相手だからこそ。
「オレは、ロベルを超えて見せる」
 勇者ロベル。その名前は世界に轟き、そして誰もが頼りにしていた人物である。エンも彼には色々と助けてもらった。その恩返しをする間もなく命を落とし、そして光の玉を譲り受けた。
この光の玉を持つ者として。ロベルを倒した相手を、斃す。
「できるものなら、やってみろ」
 フォルリードの身体に、雷が纏われる。
 エンとフォルリードが、同時に地を蹴った。


「『瞬速』のフレアード・スラッシュ!」
 フォルリードの素早さは、確実にエンを上回っている。それならば、龍具の力でそれを超える速度で一撃を叩き込むまでだ。
「甘いな」
 フォルリードの嘲笑と共に、高い金属音が響いた。
 いつの間にやらフォルリードは斧を手にしており、その形は火龍の斧と酷似している。
「次は、俺から行くぞ」
 フォルリードの斧は、エンの火龍の斧と姿は酷似しているが、色が全く違う。あまりにも違うせいで、似ていることがすぐに解からなかったくらいだ。
「斧は使い慣れていないが……面白い技を見せてやろうか」
 構えるフォルリードの姿は、あまりに様になっていなかった。使い慣れていないというのは本当だろう。
 エンが警戒するよりも早く、フォルリードの姿が消えた。
「なに?!」
 瞬間的な斬撃。威力こそ落ちていたが、それはまさしくエンの放った『瞬速』のF・Sと全く同じだ。
「オレの技を……!」
「くく、面白いものを持っているじゃないか」
 斧を持たない手をエンに向けると、幾つもの火球が浮かび上がった。
「まさか?!」
「メラズ=I」
 複数のメラを同時に打ち出す呪文、メラズ。エンが偶発的に習得したオリジナルの魔法のはずである。それをフォルリードの前で使ったことなどない。
「『防炎』のフレアード・スラッシュ!」
 眼前に防御の炎壁を立て、メラズの直撃を避ける。威力自体はやはりメラなので、なんとか持ち堪えた。
「なら、これはどうだ」
 思わずエンは目を瞠った。
 フォルリードの周囲に、巨大な炎球が四つ出現したのだ。詠唱も無しに、それほどの芸当ができるのならば賞賛に値する。だが素直に賞賛しているだけでは、自分の命が燃え尽きてしまうだろう。
「こんな所で使ったら、お前まで巻き込まれるぞ!」
 フォルリードが放とうとしている魔法は、強大な爆発を生むことになる。その範囲は、この部屋だけでは収まりきれない。
「それもまた一興」
 そう一笑に付すと、四つの炎球が一つに合わさった。それが打ち出されれば、仮に威力を抑えられていたとしても危険極まりない。
「させるかぁ!」
 フォルリードが放つよりも早く、エンが呪文を打ち放つ。
 複数の火球呪文が、同時にフォルリードに降り注いだ。
 しかし、フォルリードは気にした様子もなく、多少のダメージと引き換えにその呪文を放とうとしている。
「(たかがメラなど……)」
 今から自分が放つ呪文に比べれば、受けてやっても良いくらいだ。
 だが、いつもの自分なら扱えない強大な魔法が使えるという高揚感が、フォルリードの認識を甘くしていた。
「(違う! これは?!)」
 今こそ撃ち出さんとした瞬間、身に降り注ごうとしていた正体がメラではないことに気付いた。
「チィ!」
 舌を打ちながら、集中していた魔力を防御の方へ回す。火球が着弾する度の衝撃は、苛立つほどに激しい。
 結局、放とうとしていたビッグ・バンは失敗に終わり、巨大な炎球も消失してしまった。
「どうだ。オレを甘く見るなよ」
 と、エンが強がって見せるが正直な所、危なかった。
 無我夢中で放ったメラズだったが、その威力は火弾呪文(メラ)を超え、大火球呪文(メラミ)の炎球となって打ち出されたのだ。さすがに炎の精霊力を行使したメラミを同時に複数も受けるとなると、フォルリードとて守りに回らざるを得なかった。
「なるほどな。だが、それも使わせてもらう」
 すぐに体勢を整え、また仕切り直しとなる。
 そして、フォルリードの言葉から一つだけ確信できた。
「オレの力を、そのまま使えるみたいだな」
 この場で習得した魔法さえも使えるようならば、リアルタイムで敵の能力を得ているということになる。
「……『ツウシャドス』。変身呪文(モシャス)の上位呪文だ」
「それでロベルを倒したのか」
 勇者ロベルがそう簡単に負けるとは思えない。フォルリードが勝利した事は事実なので、その要因は必ずあるはずだ。
「くく、さすがにあいつと同じ間違いはしないか。勇者ロベルは、自分の父親の力を俺が手にしたと思い込んでいた」
 フォルリードは過去にロベルの父、勇者オルテガをその手で抹殺している。斃した相手の力を得る、というほうが、すぐに思いつくのも当然だろう。
 そのまま父の力だと思っていたロベルは、オルテガが完成しえなかった最終奥義で挑んだ。
 対してフォルリードも同じ技を放ち、ロベルが驚愕したその一瞬こそ、勝敗を分けたのだった。
いつでも、混乱と迷いは人を鈍らせる。
「あの時は、わざわざあいつの勘違いに合わせてやったが……今は思う存分、使わせてもらう!」
「っ!」
 フォルリードが地を蹴り、突進しながら斧を振るう。
 後退しながら火龍の斧で受け止めるが、その力は対抗できるものではなかった。エンの身体能力をそのまま上乗せしているならば、自身の腕力に加えフォルリードの力が同時に襲い掛かってきているのだ。
 単純な力比べでは、どうやっても勝るはずが無い。
「(それでも!)」
 だからといって逃げ出すわけにもいかない。不利な条件化の中でも、勝たなければならないのだ。
 それに、気になっていることが一つだけある。
「(お前も根性見せろよ、メイテオギル!)」
 自分の中に宿る炎の四大精霊に語りかけ、返事の変わりに身体が熱くなる。周囲に炎の精霊力が凝縮されているようだ。
 ボッ、と空気を焦がすような音と共に、一抱えはあるような火球が浮かび上がった。
「我が声に従う炎の精霊たちよ、無数の飛礫となりて、大いなる軌跡を描け――炎球流星(メラズ・メテオ)!!」
 先ほどはほぼ無意識で放った魔法を、今度は意識的に放つ。打ち出された呪文は、狙い通りの効果を現し、複数の炎球が同時にフォルリードに襲い掛かった。
「俺も同じことができるのを忘れたか!」
 フォルリードが遥かに短い魔力の集中だけで、エンと同じ魔法を放つ。
 数は同じで、軌道も同じである。全ての炎球はぶつかり合い、相殺されてしまう。
「まだまだぁ!」
 完全に相殺されてしまったが、フォルリードの接近を許す前にエンは再び同じ魔法を放った。
 メラズ・メテオの炎球が、再びフォルリードへと向かう。
「無駄だ!」
 また、フォルリードがそれを相殺する。
「メラズ・メテオ!!」
 それでも尚、エンはもう一度メラズ・メテオを放った。
 フォルリードが、やはり同じ魔法で迎撃し相殺する。
「メラズ・メテオ≠ァぉ!!」
 ビッグ・バンほどではないとはいえ、魔法力の消費は普通の呪文とは比べ物にならない。エンの息遣いも段々と荒くなるが、それでも構わずに連続で魔法を叩き込む。
 いい加減に鬱陶しく感じてきたフォルリードだが、だからといってそれを受けながらでもエンとの距離を縮めるという選択肢を取る事は躊躇われた。ツウシャドスの効果でメラズ・メテオを扱えるようになっているため、その威力も充分に把握しているからだ。
 何度やっても結果は同じなのだから、エンの魔法力が尽きるのを待つくらいしかない。
 そう思いながら、フォルリードはまた迎撃しようとした瞬間だった。
「なに!?」
 エンが放った炎球を全て相殺することが出来ずに、幾つかの炎球が残ったまま襲い掛かってきたのだ。
 舌打ちをしながら手にある斧を振るい、なんとか直撃を避ける。
 少しでも反応が遅れていれば、少なからずダメージを負っていたはずだ。
「どうだ。炎の精霊王を、舐めるなよ」
 エンは肩で息をしながらも、にやりと笑って見せた。
「俺が、魔力で押し負けた……だと?」
 自分のことであるのに、まだ信じられないといった表情で呟く。
 エンが気付いたのは、魔力の差である。
 元々、エンは膨大な魔力を持っているのだ。それこそ、魔王に匹敵するほどの。
 腕力などの身体能力は魔力で強化できるため、ツウシャドスの魔法効果でフォルリードがエンの身体能力を上乗せすることはできるだろう。では、それを可能にする魔力自体はどうなのか。
 フォルリードがビッグ・バンを放とうとしていた魔力を持って、エンのメラズ・メテオを防御していた。ビッグ・バンとは遥かに劣るはずの魔法を、その魔力全てを使って打ち消したのだから、魔力には差があるのではと思ったのだが、どうやら、正解であったらしい。
 それに、フォルリードはツウシャドスという魔法を維持したまま、別の魔法を使っているのだ。魔法力の消費も、エン以上のはずである。
「ふん。やはり魔法の正体が知られてしまえばこの程度か……まあいい、元々実験みたいなものだったからな」
 フォルリードがそう言いながら、手に持っていた斧を放り投げる。斧は地面に落下し終える前に薄らぎ、やがて消えた。
「なんだ。負けた言い訳か」
 エンの挑発にフォルリードは何も言わず、片手を挙げた。そこから雷が現れ、球体のような形を保ったそれはあっという間に肥大化していく。
「この前は逃げられたが、今度は外さなねぇ」
 地獄の雷という名を冠するに相応しい雷の塊。
しかしそのジゴスパークは、前に見た時の印象に比べ見劣りするような気がした。
 エンは火龍の斧を構えて、問いかけた。
「お前……気付いてないのか?」
「なんだと?」
 フォルリードは苛立った表情をしただけで、エンの問いかけの意味に気付いていないようだ。
 ならば、エンも勝機はある。
「もういい。この場で消え失せろ!」
 フォルリードの苛立ちを表すかのように、ジゴスパークの雷が暴れ狂う。
「ジゴスパーク=I」
 強大な雷が、ついに放たれた。
 それに対してエンは、真正面から突っ込む。
「『雷斬』のフレアード・スラッシュ!」
 『龍具』の力を信じ、自分の確信にかけての一撃。通常ならば、雷を司るフォルリードのジゴスパークに真っ向から立ち向かうのは無謀の極みである。
 しかし、今の状態ならば――。
「――馬鹿な?!」
 フォルリードが信じ難い表情と共に狼狽する。
 エンはジゴスパークを切り裂き、二つに割れた雷の塊は左右の後方へ飛び散り、誰も居ない場所で炸裂した。
「有り得ない……俺の雷を……」
 夢を見ていると教えられたらすぐに信じてしまいそうなほど、フォルリードは困惑していた。
「やっぱりな。お前、何回オレになって(・・・・・・・・・・)魔法を使ったと思っているんだ?」
 エンが火龍の斧の先端をフォルリードに突きつける。
「言っただろ。炎の精霊王を舐めるなって」
 エンが使う魔法は、どれも魔法力の消費が激しい。膨大な魔力と魔法力を持つエンだからこそ、その魔法を行使できるのだ。
 ツウシャドスの魔法効果でエンの魔法を使用可能になったとしても、消費する魔法力は変わらない。ツウシャドスは同じ魔法が使える分、同じだけの魔法力を消費させているのだ。
 魔力と魔法力の関係は腕力と体力に似ている。幾ら腕力が強くとも、体力がなければその力も減退してしまう。魔力も同じで、少ない魔法力では魔法が弱まるのも当然である。
「それが、どうしたぁ!!」
 どこからともなく雷鳴の剣を取り出し、エンが突きつけていた火龍の斧を払う。
 その行動が何となく予想できていた。
 エンはそのまま火龍の斧を強く握り締め、狙いを一転に定める。
「『爆・連・砕』――フレアード・スラッシュ!!」
 連続した爆発音が、雷を纏う部屋に轟いた。
 まともに受けたフォルリードが、がくりと膝をつく。
「が、はぁあ、あ――」
 未だに信じられないといった表情のままフォルリードは自分の身体を見下ろす。それは魔力で強化されているものの、人間の身体である。
「人間に、生まれ変わったんだぞ。人間の強さを求める心を手に入れたはず、なのに――」
「ああ、お前は強くなっていただろうさ」
 死魔将軍が人間として蘇生されたのは、人が持つ強くなりたいという意志を持つためだ。魔物は本能として自分以上の能力は求めないが、人は常に上を目指す。その人間特有の心を手にし、強くなりたいと願えば、その意志に見合った強さを得ることも出来た。
「けど、人間の弱さも一緒に手にしてしまったんだろ」
 一度満足し、高慢になった時の人は脆く、弱い。フォルリードは勇者ロベルを倒すことに満足し、上を見ることを止めてしまったのだ。
「く、くく……俺を殺すか? 俺は、『人間』だぞ?」
 エンが再び火龍の斧の刃をフォルリードに向けた瞬間、彼は笑った。たとえ精神が魔物であっても、確かにフォルリードは人間なのだ。エンとて、人を殺めることはしたくない。
 弱っているフォルリードには、恐らくエンの攻撃を防ぐ手立てはないはずだ。だからこそ、己が人間であることを盾としている。本来は魔物であるフォルリードにとって、それは屈辱なのだから。
「卑怯な手を使いやがって」
 それでもエンは斧を引く事はしなかった。ここで迷わず振り下ろせば、確実にフォルリードの息の根を止めるだろう。しかし、振り下ろす事が躊躇われる。
 ――その迷いの数秒が、決定的となった。

 雷の紋の部屋が、轟音に包まれたのだ――。

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