-42章-
裂かれた道



 全員の荒い息遣いだけが聞こえてくる。
 皆、全身は泥と汗まみれで、傷もあちこちに見受けられるが、それよりも疲労感がひどかった。
 つい先ほどまで戦っていた相手が唐突に姿を消し、目標を失った彼らは呆然とするしかない。
「おい……どうなってやがるんだ」
 目つきの悪い、黒髪の男が肩で息をしながら言った。
「わかりませんが……気配は消えたようです」
 対して、白金の鎧を身に付けた金髪の美男子が答えた。
「うぅむ」
 最も激闘を繰り広げていた男が、困ったように唸る。
 黒髪の男の名はミレド。金髪の男はエード。そして残る一人はファイマという。
 仲間と共に魔界に渡るつもりだったが、妨害してきた『死神』を名乗る青年と戦い、仲間二人を先行させた。
 『死神』を足止めさせているつもりだったが、『死神』を名乗った青年からすれば、むしろこの三人が足止めをくらっていたのかもしれない。
 そして『死神』が消えたということは、足止めをする理由がなくなったということ。仲間二人――エンとルイナは無事に魔界へ行けたはずだ。
「ワシらも『魔界紋』へ向かってみるかのぉ」
 ファイマの提案に、二人が頷く。
 休みたい気持ちもあるが、それよりも確かめたいことが一つある。足止めをする必要が無いという事実は、一つの予想を導き出す。『魔界紋』の扉は、既に閉じられている可能性が大きく、予想よりも確信に近い。
 そしてそれは、現実となって目の前に立ち塞がる。
「――やはり、のぉ」
 ファイマが腕組をして近くの木に寄りかかった。
 魔界紋と思われるその入り口は、完全に元の形状とは異なっている。崩れ落ちたそれは、機能するとは到底思えない。
打ち砕かれた望みは、疲労に拍車をかける。自分の持つ『力』を解放したため、その疲労感はかなり身体を蝕んでいるのだ。気丈に振舞っていても、辛いものがある。
 本来在るべき『魔界紋』の使えず、かといってエンとルイナの姿も見えない。打つ手はなしだ。
「これからどうすんだよ」
 もう動きたくない、といわんばかりにミレドもその場に座り込んでしまう。
「ルイナさんの無事を、祈ることしか出来ないのでしょうか」
 エンの名前を出さないのはわざとであるが、本当にそれしかできないのは悔しすぎる。
 だからといって、何かができるわけでもない。
 ただ、時間が過ぎていくのみであった。


 ――世界が一変した。
 竜界という、清浄な空気に包まれた世界とは間逆の、瘴気に包まれた世界。
 その差は、激しい気温の変化の非ではない。
 今まであらゆる魔界に訪れたが、ここまで瘴気の濃い空間世界はなかった。
 呼吸さえ困難になり、その表情も厳しいものとなる。
「さすがに、きついな」
 エンの声も低く、そのために他の者も辛さが増している気になってしまう。
「ボクはちょっと気持ち良いかもぉ」
「私もです」
 と言ったのはホイミンとしびおである。
「変な冗談はやめてよ」
 イサが顔をしかめるが、ホイミンとしびおは魔物の肉体なのだから、魔界の瘴気が心地良いのは当然といえば当然だ。
「しかし、これは……」
 ラグドでさえこの瘴気の濃さには耐え難いものがある。それほどまでに魔界は瘴気が濃く、皆の不安を煽る。
 四人とも精霊の加護を身に受けているからこそかなり軽減されているが、これが生身の人間であれば数分とも持たない。ホイミンがもし人間の方に戻れば、すぐさま危険な状態に陥ってしまうほどではないだろうか。
 ラーミアは相変わらず飛び続けており、不死鳥はこの瘴気を何とも思っていないのだろうか。
「負けるかよ。こんなことで」
 まだ魔王がいる空間世界に訪れただけだ。対峙したというわけでもない。相手の陣地に乗り込んだだけで敗北などして堪るものか。
「ルイナ?」
 エンが不審がって呼んだのは、ルイナがおもむろに彼女の道具袋をあさり始めたからだ。
 どうしたのかと思えば、そこから丸薬らしきものが取り出される。
「『魔避ケール・Z』。飲むだけで瘴気を、中和でき、ます」
 久しぶりに出されたルイナの調合薬に、エンは思わず瘴気とは別の理由で顔がひきつった。
 本当に大丈夫なのだろうかと疑いもすれば、さすがに変な副作用を及ぼすものは今のタイミングでは出さないだろうという希望もある。
「背に腹は変えられんか」
 まずラグドがその丸薬を受け取り、口へ運ぶ。
 するとどうだろう、辛かった瘴気の影響が、全く感じられなくなってしまった。
 まるで、通常の世界にいるのと変わらないくらいだ。
「凄い!」
 イサも続けてルイナの調合薬を飲み、その効力に思わず声をあげた。
 効き目は抜群であり、それどころか身体も軽くなったように思える。
「本当に大丈夫なんだろうな」
 最後まで警戒していたエンも、渋々とルイナの調合薬を受け取って一気に飲み込む。
 確かに瘴気は全く気にならなくなり、重苦しい空気がどこかへ飛び去ってしまったかのようだ。
 これで、変な副作用が発生しなければもっとよかったのだ。
「――って、あれ?」
 エンの、そしてラグドとイサの顔が、血の気が引いていくかのように青くなっていく。
「おい、なんだよこれ」
 ラーミアの背から見える、大空の光景。それが何よりも恐ろしく思えてきたのだ。
 ルイナは、何かのメモ帳にこう記した。
 副作用として、一時的な高所恐怖症、と。


 聳え立つ魔城。
 そんな言葉がしっくりとするような所に、魔王の城はあった。
 聖邪の宝珠の強大な魔力により、ルビスフィアの上空を走ることまでやってみせた城は、今は魔界の大地に根を下ろしている。
 ラーミアはしばらく魔城の上を飛び回った後、防壁の外へと降り立った。どうやら結界が張ってあるらしく、直接乗り込む事は叶わないらしい。
 堅牢な防壁の前に、全員が降り立つ。
 その中で三人ほど、まだ青い顔をしているが、ようやく足が地に着いたために、気も落ち着いた。
「ついにここまで来たんだな」
 以前、勇者ロベルが破壊した痕跡などは見当たらず、むしろ頑丈さが増しているようだ。
 魔界に訪れて、随分と長い時間が経ったように思える。魔王を斃す為に魔界へ来たというのに、肝心の魔王がいる空間世界になかなか来られなかったのだから仕方が無い。
「……皆さんに、これを」
 ルイナが道具袋から何かしらの丸薬を取り出し、他の三人に渡す。先ほどの瘴気を緩和する調合薬とはまた別のようだ。
「なんだこれ?」
 エンが訝しがりながらもそれを受け取る。
「何かあった時に、使用して、ください」
「『何か』とは具体的にどういう時なのだ?」
「使うような、時です」
 ラグドの問いに返って来た答えは、それ以上なにも教えてくれそうに無かった。
「とりあえず、危なくなったら使えばいいんでしょ」
 イサは素直に受け取り、自分の道具袋に移した。飲むものなのかそれともまた別のものなのかも分かっていないが、どうにかなるだろう。
「それじゃあ、突入するか」
 改めてエンは高い城壁を見上げた。魔城の威圧感は以前に訪れた時の比ではない。やはり、瘴気が立ち込める魔界にあるからだろうか。
「でもどうやってはいるの〜?」
「難しそうですね」
 ホイミンとしびおが城壁を見上げたり触ったりしている。ここを突破できる仕掛けでもあれば別だが、そんなものを探す必要はない。
「なぁに、簡単さ」
 かつて、勇者ロベルが使った侵入方法。それは至って単純明快なことだ。
「せっかくだ。派手に行くぜ!」
 言うなり、エンは魔力を集中させた。
 エンの周囲に膨大な魔力が渦を巻き、何かをやらかすのだと感じた仲間達が一定の距離を取る。
「――暗黒の闇よりいでし 力在りし炎の精霊よ 我が名の盟約により深淵の焔を灯し 我が魔力と汝の力を持ちて 破滅の道を開かん 我掲げるは炎の紋 我捧げるは焔の紋 我望むは破壊の紋 我守るは闇の紋……」
 四つの炎が、一つに重なる。エビルエスタークに向けて打った時は魔法を吸収されるという結果に終わったが、今回はその心配は無い。これ以上、派手な突破方法もないだろう。
「我放つは――ビッグ・バン=I」
巨大な炎球が城壁に吸い込まれるように伸びる。
続いて、死者も目覚めるような轟音の大爆発。
堅牢に見えた城壁はいとも簡単に崩れ落ちていった。
「これほどの威力とは……」
 あっさりと城壁を破壊したビッグ・バンを目の当たりにしたラグドが、思わずそう呟いたくらいだ。
「へへ、オレもこんなに威力が増してるとは思ってなかったぜ」
 エンは危うく自分の打ったビッグ・バンに巻き込まれるところだったのだ。もう少し距離を詰めていれば、危なかった。
「でも少しは自信がついた。今なら、あいつにさえ勝てる気がする」
 あいつ、とはもちろん魔王ジャルートだ。そのために、ここまできたのだから。
「勝てる気、はダメよ。絶対に、勝たないと!」
「ああ、そっか。そうだな」
 イサの言葉に、重くエンは頷いた。
 そう、勝たなければならないのだ。
 勝利する為に、来たのだから。


「それじゃあ行くぜ!」
 入り口から入るなり、エンが先頭を走り出す。他にも通路はあるのだが、何の躊躇いも無く直進を選んだ。
 先ほどのビッグ・バンで襲撃の事実は隠し切れないだろう。侵入者を排除する罠も仕掛けられているかもしれないが、以前も似たような方法で入ったのだ。警戒するよりも、突っ切る方を選んだ。
 ちょうど後ろから質量を伴った音が響き、振り返ると天井が下りてきて頑丈な壁と化していた。
「走り抜けて正解だったな」
「油断しないで。前から来るよ!」
 まだ走ることを止めていなかったが、イサに言われて前を見る。そこには炎の固まりに顔を貼り付けたような燃え盛る炎の魔物が何体も立ち塞がっているではないか。
「ここは私とルイナに任せて!」
 魔物たちの目には既に殺意が宿っており、侵入者に対して容赦はしないはずだ。
 イサとルイナが前に躍り出て、まずルイナが水龍の鞭を振るった。
 水の鞭は唸るように伸び、次々と魔物を打っていく。完全に斃すことはできなかったものの、イサが駆け抜けると同時に飛竜の風爪で止めを刺す。
 それでもなお生き残った魔物は、エンとラグドの二人が各々の武器を振るって斃した。
「さすがに手強いか」
 以前は、精霊力を入手する前の自分達でもあっさりと突破できていたのだが、今は精霊力を持っている四人でも力を団結しなければまだ苦戦していただろう。
「やっぱり、光の玉は効力を未だに発揮してないんだな」
 ロベルが光の玉を使い、瘴気を吸収していたからこそ、魔物たちもその力を出し切ることができずにいたのだ。だが今はそれがなく、魔物たちは濃い瘴気により通常の何倍という力を得ている。
「しかし斃せない事はない」
 ラグドの言う通り、まだ苦戦らしい苦戦はしていない。ただの魔物相手になら、負ける気はしなかった。
「……来ます」
 次は冷気を纏った魔物である。氷河魔人やブリザード、他にも種類雑多な魔物が前を埋め尽くしている。
「次はオレが行く!」
 手にした火龍の斧を振りかざし、エンが魔物の群に飛び込んだ。
「『連・獄・炎』フレアード・スラッシュ!」
 激しい炎が溢れ出し、その獄炎は連続して魔物たちを飲み込んでいく。さすがに炎に弱かった魔物たちは、それだけでほとんどが消滅した。
 まだ残っていた魔物は他の三人が討ち斃す。
 更に走り抜け、エンとルイナにとっては見覚えがある大広間へと辿り着いた。


「ここは……」
 構造自体はあまり変わっていなかった。未だに残っているこの大広間も、あの時のままだ。
 かつて、英雄四戦士と雷魔将軍フォルリードが死闘を繰り広げた空間。
 魔物たちもここには寄り付かず、一時の休息としては絶好の場所だ。
 そしてここを通り抜けた先のことは、今でも鮮明に思い出される。
「エン、大丈夫?」
 イサが横から顔を見上げると、エンの表情は険しい。
「ん? ああ、大丈夫だ」
 無理やりに笑って見せるが、そんな嘘に騙されるイサではない。
 無意識にこの空間がトラウマにでもなっているのだろう。エンは何度かかぶりを振ると、先に伸びる通路を毅然と見つめた。
「少し休憩を挟むべきではないか。ここは、魔物も寄り付かないのだろう」
 魔書の知識でエンとルイナが体験したことはあらかた知っているため、かつてここで休息を取ったことも知っている。その時は、魔物の襲撃は一度も無かったのだ。
「前と同じだったらな」
 以前との違いは、勇者ロベルがいない事と、光の玉の効力が発揮されていないこと。ここにも少なからず瘴気が漂っている。無防備な休息はできそうに無い。
「では、進みま、しょう」
 と、ルイナが言った。
「そうだな。今のオレたちは、前進あるのみだ」
 恐れる必要はない。ただ、進むだけだ。
 魔物たちと戦ったとは言え、まだ余力は充分にある。例え死魔将軍が待ち構えていたとしても、負けるわけにはいかない。
 覚悟を決めて、エンが先頭を歩き出す。
 大広間を出て、しばらく歩いても魔物と遭遇する気配は一向に感じられなかった。
 その辺りは、前と同じだ。
「そろそろ来るかな」
 来るなら来いとさえ思ってしまう。以前、この辺りで仲間達と分断され、それぞれが違う魔物と相対していた。その時、エンは魔王ジャルートと直接対峙していたのだが、今回はどうだろうか。

 ヒョォォォオオォォォ――。

 妙な風の音と共に、どこからともなく青と銀の光が渦を巻き、エンたちを包み込んだ。
「やっぱり来たか!」
 唐突に現れた『旅の扉』は個々に纏いつき、全身を覆う。全員が一瞬だけ意識を失ったかと思えば、その場から消え去っていた。


 意識が覚醒すると、周囲には誰もいなかった。あの時と違うのは、真っ暗な空間に飛ばされたわけではないということだ。
「魔王とはまた別の場所か」
 真っ暗な空間を突き進んだ時、魔王ジャルートと直接対峙することができた。だが今回は違う。
 できれば前と同じが良かったのだが、そういうわけもいかないようだ。そもそもあの時は魔王自信がエンに用があったのだから当たり前である。今回は完全な侵入者である。その排除は違う者がするのが当然だ。
「それにしても、なんだここ?」
 しばらく進んでみると、機械だらけの部屋に出た。所々に青白い電流が走っており、謎の機械は稼動している。電流が流れている、と云う点でエンは一つだけ思い当たるものがあった。
 それを証明するかのように、覚えのある気配を前から感じた。
 炎の精霊エン、Cルート『雷の紋』。


「……また、ここ……」
 ルイナは無表情ながらも、心内ではうんざりとしていた。
 以前訪れた時も同じ場所であったのだ。無駄に暑いこの空間は、苦手意識しかない。もっと別の場所が良かったと思うし、エンなどがここに来るはずではないのだろうか、という思考が蘇る。
 たまに壁から炎が噴出すという仕掛けは前に一度見ているので難なく躱し続けているが、それでも暑いものは暑いので、汗が滝のように流れる。呼吸するたびに喉が焼けそうなほどである。
「……前より、暑い……」
 熱量が上がっている。水の精霊の加護を受けているというのにこの熱さだ。生身で来た時よりも、相当違っている。
 それは、この空間の本来の主がいるからに他ならない。
 ルイナの前に、影が立ち塞がった――。
 水の精霊ルイナ、Bルート『炎の紋』。


「う〜ん……うん。寒い!」
 一人で納得して、一人で怒っているのはイサである。格闘服は基本的に薄着なので、氷張りのこの空間は肌寒い、などというものを通り越している。地面は氷で出来た滑る床であり、壁も氷か何かで出来ているのか冷気は尋常ではない。
「なんで、エンが、いないのよ!」
 と文句を言われても困る。エンなら簡単に炎を出せるので、この場限りでは彼の力が羨ましく感じてしまう。
「イサ様頑張ってよ〜」
「子供は風の子ですよ」
「そうは言っても、むしろ冷たい……ってあれ?」
 両腕で自身を擦っていたイサが、ふと後ろを振り返る。
「ホイミンにしびお! あなた達もこっちに来てたの?」
 てっきり一人だけと思っていただけに、二人がいたのは驚きであった。
「そうみた〜い♪」
 そういうと、ホイミンが触手に優しい光を宿らせイサに向ける。
 するとどうだろう、寒いと思っていた冷気がだいぶ緩和されたようだ。
「これ『フバーハ』? ありがとう、だいぶ楽になったわ」
 冷気や熱気から守る呪文はイサを包み込み、これで少しはまともに動けるというものだ。
 しかし、それを嘲笑うかのような視線が、常にイサを追っていた。
 風の精霊イサ、Dルート『氷の紋』。


 歩き難い。
 まず思うのはそれだ。悪戯に岩をあちこちに置いたら、こんな道になるのだろう。まるで子供がちらかした玩具のように法則性の無い道である。
 騎士団の訓練で岩だらけの道を進むということも経験済みだが、だからと言って楽に勧めるというわけでもない。それに、今はそうした道専用の装備もないので、なるべく歩き易そうな場所を選ぶくらいだ。
「岩だらけ、ということは……」
 今から自分が闘う相手が、何となく想像できる。死魔将軍のうち、岩魔将軍の異名を持つガーディアノリス。
 その姿を見たことはないのだが、相手が誰であろうと負けるわけにはいかない。
「(早くイサ様たちと合流しなければ、と思うことがまた激怒される要因なのだろうな……)」
 以前、何が何でも守ろうとしたことでルイナの怒りを買ってしまった。その対象がイサでもルイナでも同じだ。未だに主従の関係は保っているとはいえ、今は共に闘う仲間なのだ。その仲間を信じることが出来ないとは、侮辱に値する。
 まず自分が生き残れることを考えなければ、と決意を改めた途端、想像と違う相手がラグドに襲い掛かった――。
 大地の精霊ラグド、Eルート『岩の紋』。


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