-41章-
新たな世界



 ――彼女は、ひっそりとそこにいた。
 平和とも言える『今』を大切にし、それに歪が生じることを何よりも恐れていた。
 彼女自身も解っている。平和なる今は、仮初の平和だということに。
 仮初でもいい。少しでもこの平和が続いてくれれば……そのような願いは、しかしあっさりと斬り捨てられる。
 この世界に、正しき住人とは違う者が入り込んできた。
 これは、仮初の平和が終わるという狼煙なのかもしれない。
 そう思うと、彼女はゆっくりと瞼を開けたのだった。


 ラーミアの光に包まれている間は、旅の扉に入った時とは違う感覚が常に支配していた。同じこといえば、いつの間にか景色が全く変わっているということだろうか。
 つい先ほどまで砂漠を飛んでいたのだが、辺りは一変してしまっている。
「「寒い!」」
 と、エンとイサが同時に言った。
 ほんの数瞬前まで砂漠という灼熱の大地にいたせいで、本来なら涼しい気候なのだが、唐突すぎる気温の変化は厳しい。ラーミアの背がふかふかなので、その背に埋もれるようにして身体に順応させていくしかない。
「どこに飛んできたんだ?」
 エンが辺りを見回すと、もちろんそこは砂漠ではない。下は広大な草原が広がっているが、どこであるかを特定できるようなものはなく、ラーミアは何かを目指してひたすら直進している。
「この草原……」
 今の気候に慣れてきたイサも少しだけ身を乗り出して、地表を見下ろす。
 草原自体に見覚えはもちろんないのだが、何かが見えた気がしたのだ。
「何かいますね」
 イサの隣で地表を見下ろしていたラグドが言った。イサとしては気のせいかと思っていたくらいなのだが、どうやら自分の眼を信じて良さそうだ。
「何かって……何がいるんだ?」
「よく見えないけど、生き物みたい」
 エンの問いにイサは曖昧な答えを返した。
 ラーミアが飛んでいる高度があまりにも高く、その速度も意外に早いので確認する暇がないのだ。
 だが間違いなく、ぽつりぽつりとあちこちで見かける何かは、この世界の生物なのだろう。
 人間ではないのは間違いないのだが、その正体が何なのかまでは明確に分からない。
「目的地が、見えた、ようです」
 地表を見下ろしている三人に、ルイナが声をかける。
 下ばかり見ていた三人が同時に前を向きなおすと、ラーミアが向かっている先に巨大な山が見えているではないか。聳え立つ山々は、何かを守るかのようだ。ラーミアの翼がなければ、それらを超えるのは困難になるほど急斜面になっており、山というより巨大な壁とも思える。
 その山に囲まれた中心に見えるのは、巨大な城である。
 明らかにラーミアがそれを目指していた。
「なんだ、ここ?」
 やがてラーミアは山に囲まれた巨大な城の前に身を降ろし、翼を休めさせた。
 ラーミアが飛び立つ様子もないので、六人(四人と二匹)はその背から下りた。
「魔王の居城ってわけでもなさそうだしな」
 目の前の城は、かつて見たことのある魔王城とは異なるものだ。今まであらゆる国の城を見て来たが、最も威圧感と存在感が出ているように思える。
「うわぁ〜。おっきぃね〜」
 ホイミンがはしゃぐのも解かるくらい、その城の巨大さは目を瞠るものがある。
「ウィード城より大きいね」
 自分の故郷にそれなりの誇りを持っていたイサだが、目の当たりにしたそれを認めざるを得ない。外観の美しさも、ウィード城とは勝るとも劣らずといったところで、少し悔しい気もする。
「まったく、オレたちを何処に連れてきたんだよ」
 ラーミアを見上げてみるが、肝心の不死鳥は素知らぬ顔である。何も言わずに中に入れ、ということなのかもしれない。
 そもそもラーミアが飛び立たない以上、他に行く場所も無い。選択肢は一つしかないのだ。
 中に入っている間にラーミアが勝手に飛び立たないか不安ではあったものの、不死鳥は動く気配がなく「待っているからさっさと行って来い」とでも言っているかのようだったので、エンたちは放たれている扉を潜って足を踏み入れた。

 城の中には門番の類はおらず、むしろ人の気配がまるでしない。そして、人間が住むにしては明らかに広すぎる造りとなっていた。とにかく無駄に広いのだ。
「巨人の館にでも入り込んだみたい」
 というのはイサの感想である。
「案外、巨人の城だったりするのかもな」
「ボストロールやギガンテスとか?」
 巨人の肩書きを持つ魔物を思い浮かべたが、どれも城を造ったりする習性も知恵も無さそうだ。さすがにないか、とイサは自分で言ったことを否定した。
「当たらずとも、遠からずかもしれません」
 逆に、ラグドがそんなことを言った。
「どういうこと?」
「あの時と似ていましたので」
 ラグドの言葉にイサは首を傾げたが、すぐに思い当たる。
「ああ、ナジミの洞窟ね」
 言われて見れば、感じる気配が似ていた。
「ナジミの洞窟?」
 当然、エンとルイナは知らない。ルイナは水の精霊が与えてくれる知識で知っているかもしれないが、間違いなくエンにとっては聞き覚えのない名前だ。
「うん、ルビスフィアの東大陸、エシルリム国にある洞窟の名前なんだけど……」
 その辺りのことを説明しようとしたところに、妙な音が聞こえてきた。

 コォォォ、コォォォォ――。

 規則正しく聞こえる、風の音。それでイサとラグドは確信した。
「その洞窟にね。いたの」
 奥へ進む度に気配は濃くなり、風の音も大きくなる。
 階段を登った大広間。この城で最も広い部位になるのではないだろうかという部屋に、それは佇んでいた。
「こんな風に、大きな竜が」
 うずくまるように、巨大な竜が目を開いてエンたちを見下ろしている。巨竜の大きさはナジミの洞窟で見た戦母竜(バトルレックス・マザー)よりも一回り大きいが、それでも恐ろしいという気はしない。戦母竜もそうだったが、殺意の欠片も感じないのだ。闘いになればその恐ろしさを見に受けることになるだろうが、こちらから何かをしでかさない限りそのようなことはないはず。
 聞こえてきていた風の音は、この竜の呼吸音だったのだ。
「……こんなのと闘ったのか?」
 エンの口ぶりは、感心というよりもこの竜が暴れる姿が想像できないといった感じだ。
 もちろん、イサとラグドも実際には闘っていないので首を横に振った。
「――=v
 目の前の竜が、ゆっくりと何事かを言った。何を言ったのか理解できず、ともかく人間の言葉ではない。
 竜は再び目を閉じて、また重たげにあげる。
「人間と精霊が、この世界を訪れるとは……=v
 今度は通じる言葉で話しかけられた。もしかしたら、先ほどの言葉は竜族独特の言語だったのかもしれない。
「我は竜の女王。この世界、竜界を統べる者也――=v
 竜の女王と名乗った巨大な竜は、威厳と優しさに満ち溢れていた。


「竜界……?」
 竜の女王が発した言葉で、エンは首を傾げた。
 エンたちが知っているのは人間界、神界、魔界くらいのもので、また違う世界の名を出されてしまっては困惑するのは当然である。
 もしかしたら自分だけが知らないのかも、とエンはイサとラグドを振り返ったが、あいにく二人も知らないらしく、すぐに首を横に振った。
 ルイナならばと思って彼女を見ると、無表情のまま巨大な竜を見上げている。エンの視線に気付いて目が合うと、また竜のほうに視線を戻す。この竜から話を聞け、ということだ。
「竜のみが住まう竜界。この世界は、そなたらの世界と隣り合わせにあるのだ。其処に存在している世界は、互いに触れ合うこともできず、互いに目視することもできない。似たような世界を、そなたらは存在を確認しているのであろう=v
 そう言われて、エン以外の人間がはっとした。
「そっか、精霊界みたいなものなんだ」
 当たり前の存在として認識していたのですっかり忘れかけていたが、三界分戦によって分かれた世界のほかに、もう一つの世界が存在している。目に見えない精霊たちが住まう精霊界である。
 精霊は万物に宿り、その精霊自身が住まう世界として、ルビスフィアに確かに存在している。
 それと似たようなものなのだから、ある意味では精霊界に踏み込んだと思ってしまえば納得が行く。
 ラーミアの背から見えていたのは、あれば全て竜だったのだ。
「そう。そなたらの世界と最も近しく、しかし接触することはほとんどない世界――。だが時折、何かの弾みで繋がることもままあるようだ=v
 竜の女王の表情は、どこか悲しげだった。
「竜の魂だけがそなたらの世界に赴くこともあれば、竜その者が行く時もあった=v
 その視線は、エンとルイナに向けられた。
「『龍具』のことか!」
 竜の力を持つと云われる『龍具』。その『龍具』は世界に二つしか存在しないと言われている。竜の女王の話を組み合わせるならば、竜の魂が二つだけ彷徨い、それが人の精神に宿っているのだろう。
 人に宿った時にその竜は魂の形を変え、『龍具』の力も変わってくる。
 『龍具』はその名の通り、竜の力を持っていたのだ。
「時には、それが争いになることもあった=v
 視線はイサとラグド、そしてホイミンに向けられた。
 竜界、という言葉を聞いたときから薄々気付いてはいたのだが、その視線を受けてイサとラグドはやはり、と思う。ホイミンはどうか分からないが、人間の方の彼なら同じく気付いていただろう。
魔銀竜(ミスリルドラゴン)と、魔竜神のことね」
 何かの折で魔銀竜がルビスフィアに訪れ、そこで人間たちに討ち取られた。それを知った魔竜神が怒りに狂い、人間を滅ぼそうとしていたのだ。
何故気にならなかったのだろう。魔竜神の眷属であるダースドラゴンなどがルビスフィアに送られてきていたが、それがどこからということに。
 いや、魔界から送られてきたのだと勝手に納得していた。
 だが違う。全ては、この竜界からだったのだ。
「本来、平和に住まう竜ばかりなのだが=v
 それでも仲間が勝手に殺されて怒らないはずが、憎まないはずがない。
 それが好戦的な性格の竜であれば尚更だ。その魔竜神も、時空の彼方に追放されている事をイサたちは知っている。
 久しぶりに聞いた魔竜の名前で、ふと気になることがあった。イサの視線は、自然とホイミンの横にいるしびおに向けられる。
 それに気付いた竜の女王は、懐かしそうに目を細める。
「海魔竜の眷属か……=v
 ジャミラスの操るエビルエスタークと戦った時に、英雄ロトルが口にした海魔竜。その眷属だというしびおを問い詰めた時ははぐらかされてしまっていたが、今回はどうなのだろうか。
 適当に誤魔化すのかと思いきや、しびおは恭しく頭を垂れた。
「我等が女王よ。このような姿で失礼致します。我ら海魔竜の一族は、海の魔物の魂に宿りて生き長らえております。常日頃から竜界の帰還を心より願っておりますが……」
「よい。そなたらはそなたらの思うままに生きよ=v
 しびおの言葉を遮り、竜の女王は言った。
 何のことか解からない、という顔をしているのはラグドとホイミンだけだ。ルイナは無表情なだけだが、内心では驚いている。
「やっぱりネカルクって海魔竜だったんだね」
「イカじゃなかったんだな」
 身体は大王イカだったが、それに宿る魂は海魔竜だったのだろう。しびおは、いずれ海を治める身だとネカルクが言っていたが、もしかしたらこのしびれクラゲの魂は名だたる竜なのかもしれない。
 それを聞こうかと思ったが、やめておいた。しびおはしびおだ。何かを聞いても、今さらとしか考えられない。
「なんで黙ってたんだよ?」
 なんとなくしびおの顔をふにふにと両手でいじりながらエンが聞いた。
「いえ、その、まあ、いろいろありまして……」
 曖昧な返事をしたしびおは、エンに良いように弄ばれている。
 実際には、本来なら極秘事項だったのだ。海魔竜たる海を統べる魔竜が、ただの魔物の身体に魂を移してしまっていることが広まれば、その権威は多大な影響を被る可能性が高い。むしろ、海の支配を狙って戦を仕掛ける者もいるかもしれない。
 海の社会にも複雑なことがあるので、しびおとて公言できないのだ。
 さすがに竜の女王を前にして隠し事はできない上に、しびおがエンたちの旅に同行した理由の一つとして、竜界に通ずる道を探すという事もあった。竜の魂が宿った武具、龍具の持ち主と共にいれば、いずれは竜界へ行けるのではないかという判断である。
 事実こうして竜界を訪れることができたが、あくまでラーミアの力によるものなので、海魔竜の一族が竜界に帰還できる日はまだ遠い。
「風の少女よ、こちらに=v
 しびおが下がると、竜の女王は視線をイサに向けた。
 唐突に呼ばれて、イサは目を瞬かせる。
「私?」
「これを、受け取りなさい=v
 目の前に光が浮かぶ。風の精霊力を表す翠色の光だ。光は形を作り、やがて具現化する。まるで冒険者の武具召還のようだが、そこに具現化したものは武具ではない。
「これって……!」
 イサが受け取ったのは、小さな石である。大きさはかなり小さいが、形状や感じる力は、良く似たものを、イサは二つ所持している。
「魔竜神が消えた際に、我が城に持ち込まれたのだが……=v
 風龍石。
 魔竜神が所持していたという、強き龍の風の力を宿す『風磊』だ。
 かつて探し求めていた風龍石が、今こうして目の前に在る。
「これが、風龍石」
 他の二つの風磊とは違う。まるで石が生きているかのように、生命の鼓動を感じる。
「どうやらそなたに持っていてもらいたいようだ=v
 ついに『風磊』が全て揃った。風の精霊ウィーザラーの力も、完全に解放できるというものだ。
 イサは、強く風龍石を握り締めた。
 そこには色んな思いが渦を巻くが、今は風龍石を手にした喜びを噛み締めたい。
「そして、赤き戦士よ=v
 竜の女王の視線が、エンに向く。
「なんだ?」
「そなたの持つ『光の玉』……。どのようにして手にした?=v
 竜の女王の雰囲気が変わった。
 大幅に一変したというわけではない。だが、返答の次第によっては危険な事態になり兼ねないということだけは解かる。
 イサやラグドやしびおとホイミン、ルイナでさえ一度身震いする。
「知り合いから、譲り受けたんだ。魔王を倒す時に、役に立つからってな」
 かつて、魔王城で勇者ロベルの死を間近で見取った時に受け取った『光の玉』。ずっと大切に保管していたそれを、何故竜の女王が存在を認知しているのかというのは気にしないでおくことにする。竜の女王は目だけで視ているわけでないのだろう。
「『光の玉』は元来、竜族の秘宝。人間界に渡った理由は解からぬが……まあよい=v
 竜の女王を包んでいた不穏な空気が、元の優しいものに戻る。
「確かに『光の玉』は闇を払い、封ずる力が在る。魔王を討つのに役立つことだろう。だが、約束して欲しい。その役目を終えた時、この竜界の在るべき場所に戻すということを=v
 竜の女王の視線を真正面から受けていたエンは、しっかりと頷く。
「ああ、わかった。約束するよ」
 その返答に竜の女王が微笑んだように見えたのは、気のせいだったのだろうか。


 竜の女王の間を辞して、四人と二匹は城の外――ラーミアの元へ戻ってきた。
 ラーミアが勝手に飛び立っていた、という事はなく、戻ってきた皆の姿を確認するとぴぃぃ、と嬉しそうに鳴いた。
「結果的に、ここに来て良かったんだよな?」
 城を振り返り、エンがそんなことを言う。
「竜界の存在に、風龍石の入手。魔王と戦う前に、むしろ訪れるべきだったのかもしれんな」
 ラグドの言うとおり、直接魔王城に乗り込んでいたら風龍石の入手は叶わなかったはずだ。それに、光の玉の正式に使用許可を得たのだから心置きなく使える。
 しびおが何か隠していたことも、竜界に来た事で判明したのだ。  ラーミアが勝手に訪れたとしても、もしかしたらこの不死鳥はこのことを見越していたのだろうか。
 そう思ってラーミアを見上げてみても、視線が合うと不思議そうに首を傾げられた。
「それにしても、こうして竜界に来た人って、やっぱり私達が初めてなのかな?」
 竜界からルビスフィアへ、ということはあったらしいが、竜の女王の話ではその逆はなかったとのことだ。それならば、未知の世界への到達と云う偉大な一歩なのかもしれない。
「『人』っていうのか? オレたち、精霊みたいなもんだぜ」
「そうだけど……」
 あまり実感がないのだが、精霊力を手にして四大精霊を宿しているのだ。見た目は今までと変わらない人間だが、存在自体は精霊と同等だ。そういう意味では、まともな人間はこの場にいない。
 ホイミンが人間側に戻れば、ある意味では最初の存在になるかもしれない。
 そう思うと、なんだか妙な気分だ。
「とにかく、今度こそ魔王の城まで連れて行ってくれよな」
 そう言ってエンはラーミアの背を叩きながら乗り込んだ。
 他のメンバーもそれに続く。
 ラーミアは全員が乗り込んだ瞬間に力強く翼を広げて、羽ばたいた。
 風が全身をなぶる。それほどまでに早く、強くラーミアは飛び出したのだ。
 魔王の城に向けて――。


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