-39章-
闘士、決着



 カエンは一人旅の武者修行中に、とある噂話を耳にした。
 『輝きの風』という極意がある、というものだ。
 それが具体的に何なのかはまるで分かっていないのだが、だからと言って煙の無いところに火は立たない。案外、三界分戦の遺産がルビスフィアにもあるかもしれないのだから、興味はあった。
 そしてそれは、思った以上にあっさりとカエンの手に渡ることになる。
 北大陸(ノースゲイル)の山奥に、それは眠っていた。
 カエンが見つけたのは一冊の古びた本で、不思議な魔力を感じるその正体は魔書であった。
 それが魔法を媒体にするものだったなら苦労しただろうが、魔書は魔法の技術を必要としないものが多い。封じられている魔法が強力であればあるほど、使い手の魔道士としての実力が試されるが、幸いな事に中身は魔法を行使するものではなかった。
 魔法を受けるための魔書であったらしく、カエンはページをめくった途端にどうすれば中の魔法を受けることができるのかを自然と感じ取ることができた。魔書が教えてくれているのだろう。
 魔書の力を手にしたカエンはすぐに知ることになる。己が風の精霊を容易に扱えるようになっているということを。通常の精霊魔法とは違い、尚且つ知識と素質があれば魔書の力を得ていない人間でも、魔法が使えずとも扱えない事はない。
 風の精霊の力を自分の武闘術と織り交ぜ、完成したのが武闘神風流だ。
 他の精霊も扱えないか試してみたが、なんとか炎の精霊だけは応えてくれた。もともと火の神を崇めていたからだろうか。
 しばらく北大陸で修行を重ね続ける中途、ウィードに招かれた。その時が、イサとの始めての出会いだった。
 教えるだけ教えて去ったのは、まだやるべきことが終わっていないから。
 ルイスに会う事。
 会ってどうするのか、どうしたいのか、考えないようにしていた頃だ。
 『その時』は驚くほどあっさりと、そして両手を挙げて喜ぶことでもなかった。
 ベンガーナで出会った時は、嬉しくて堪らなかったが、長年の夢というには時間が経ちすぎていたのかもしれない。
 やはり生きていた。その事実だけで充分だったのだ――。


 カエンとルイスは対峙したままで、カエンの荒い息遣いが静寂を乱す。
 やはり先に大打撃を受けてしまったのは誤算だった。できれば、先手は自分が取りたかったのだが、ルイスの実力はカエンと同等かそれ以上なのだから、それが如何に難しい事か。
「――僕が『悪夢の雷』を手にした時、きっと君は『輝きの風』を手にしていると思ったよ」
 それぞれが対の存在。カエンとルイスも、ある意味では対の存在だったのかもしれない。同じ日に生まれ、何をするにも一緒でありながら、どこか相対的。それでも相手の事が手に取るようにわかる程、互いの理解は深い。
「元来、この二つの力は闘う運命にあったらしいね」
 淡々と語るルイス。その話はカエンも聞いたことがあった。神々と魔族がそれぞれ決着を終えずに魔書に封じた、という説もあるらしく、その真偽がどうであろうと、今こそが激突の瞬間である。
「さあ、決着の時だ」
 ルイスが再び戦闘態勢に入り、カエンもなんとか体勢を取り直す。こちらが守の奥義を使えない程度に痛めつけて、最後に大技を決めるつもりなのだろうか、未だにルイスは死龍の奥義を使ってこない。
 カエンの風王鏡塞陣を警戒してのことだろうが、それではカエンの目的は果たせない。
「そうだな。三界分戦時代の、神々と魔族が遣り残した決着とも言えるべき闘いだ。いっそのこと、互いに一撃で決めようじゃないか」
 これは賭けだった。何が何でもルイスに雷牙水死龍を使わせなければならない。
「そうやって僕に大技を仕掛けさせておいて、君は防御に回るのかい?」
 警戒するのは当然だ。ルイスが編み出したという防御技が風王鏡塞陣と似た性質というならば、その恐ろしさはルイス自身も知っているはず。そのような無茶に付き合えるルイスではないだろう。
 だからこそ、カエンは不敵に笑って見せた。
「いいや。俺も全力で攻めさせてもらう」
 ルイスがつまらなさそうに目を細めた。
「勝利をみすみす逃すというか」
 もちろん、風王鏡塞陣で迎え撃てばルイスを倒すことができるだろう。だが、それは闘いに勝ったとしても、本当の勝利とは違うものだ。
「ルイスよ。俺にとっての勝利は、お前を解放することだ」
 カエンの言葉に対して、ルイスは小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「解放? 解放だって。何から? 僕は何にも捕らわれなんかしていない」
「いいや、お前は自分自身を騙し続けているだけだ」
 カエンには一つの確信があった。ずっと前から、それこそヒアイ村にいた時から感じ続けていたこと。先ほどの違和感の正体。それに気付いたからこその確信。
「お前が分からないのなら教えてやる。そのためにも!」
 カエンの周囲で風と闘気が渦を巻く。荒ぶる風は龍の形状を成し、産声を上げた。
「真っ向勝負だ、ルイス!!」
 風火轟死龍では水の精霊を使う雷牙水死龍に分が悪い。ベンガーナでは引き分けとなった二体の風死龍――真極・風死龍を、即座に生成した。
「…………カエン」
 諦めたかのように目を瞑り、やれやれと首を振る。
「あの時は、まだ僕の力を全て出し切っていたわけじゃない。だから――」
 ルイスを中心に水柱が勢いよく立ち上がり、上空に舞った水は雷を纏いながら龍の形を取った。
「今から問答無用で、君の命を奪う」
 ルイスの水龍は黒く、どこか毒々しい。これが悪夢の雷の力を使った、真の水牙雷死龍なのだろう。死せる水、という単語が連想される。
「やれるものなら、やってみろ」
 安っぽい挑発だ。ここまで露骨になると、ルイスも警戒してくるかもしれない。
「(だが今のルイスなら……)」
 心の中で呟き、焦りを悟られないよう無理やり笑んで見せる。
「ああ、やってやるさ」
 やはり。今の彼ならば必ず誘いに乗ってくるはずだという考えは外れていなかった。ルイスは間違いなく、全力を出してくるだろう。気を抜けば、それこそカエンの命を一瞬で奪うほどに。
「「行くぞ!」」
 同時に叫び、声が重なった。それを合図に、二人は龍を操り、放つ。
「『水牙雷死龍』!!」
「っ!」
 ただの真極・風死龍ならば、相打ちどころではないだろう。恐らくは押し負けてしまう。
 だが、もともとカエンの目的は別の所にある。
 翳した掌を握りしめて、一度目を瞑りながら力を込める。
 勝負は一瞬。風死龍の、風の質が変わった。
「『死龍・マジャスティス』!!」
 水牙雷死龍よりも遅れたが、その差は微々たる物だ。風死龍の風は弾け飛び、中から無色の光を放つ龍が飛び出した。
「なに?!」
 カエンの放った龍は雷を纏った水龍に喰らい付き、負けじと水龍もカエンの龍を飲み込もうとするが、その力が急激に減じていく。やがて龍は二体とも同時に消滅した。
 ただ相打ちになったのかと思ったが、違う。全ての精霊力が感じられなくなっているのだ。水の精霊も、風の精霊も、炎の精霊も、雷の精霊も、そしてありとあらゆる精霊が沈黙している。ルイスはその不可思議な現象に惑わされて、迫るカエンに一瞬の遅れを取った。
「さあ、ここからはただの殴り合いだ!」
 なんの変哲も無い、だが鋭い拳がルイスを捉える。
「これ、は……」
 まともに一撃を受け、ルイスがよろめく。その隙を逃さず、カエンは更なる追撃に躍り出た。
 風の精霊や炎の精霊を纏わせていなくても充分な威力を誇る拳だ。何度も打ち込めば致命傷になるが、さすがにそこまでは許してくれなかった。攻撃を寸でのところで躱し、距離を取る。
「『マジャスティス』、だって? そんな高度な魔法を、君が使えるはず……」
 ない、と言いかけてルイスは止めた。悔しがりながらも皮肉そうな笑みを浮かべるその表情は、何かを閃いた時の顔だ。
「そうか。魔書の力」
「ああ、そうだ。とは言え、魔書単体を使いこなすことは出来なかったけどな」
 本来のマジャスティスは水の精霊に認められた者のみが使える魔法だ。魔法を習得していなくても発動が可能な魔書でも、その内容が高度あればあるほど使い手も熟練の魔道士でなければならない。
 しかし、今はこうしてその効力が発揮している。
「お前も知っているはずだ。ネクロゼイム……あいつの研究記録にあったのさ」
 カエンが人間界(ルビスフィア)でホイミンと共にネクロゼイムの研究所を探し回っていたのは、扱えない魔書を使用可能にする方法だった。
「まさか……」
 ルイスも一度ネクロゼイムに協力していたことがあったので、彼がどのような研究を主に行っているかを知っている。そのため、どうすれば高度な魔法の魔書を使えるかは必然的に想像がつく。
「魔法道具と人間の融合。魔書を自身とすることで、俺はこの力を得た」
 ネクロゼイムはありとあらゆる合成の研究を行っていた。合成魔獣や、魔霊病を人間との合成。その中に存在していた、マジャスティスを扱えるようにする不完全ながらも唯一の方法。
 実際に発動させるのは初めてだったので効果が顕れたことはよかった。
 問題は、これからだ。
「行くぞ!」
 高らかに宣言し、カエンが突っ込む。
 咄嗟にルイスが身構えて受けようとするが、一瞬だけ躊躇い、すぐさま姿勢を変えて攻めに転じた。
「!」
「っ」
 二人の拳が互いに打ち込まれる。
 精霊力を用いての技などではない、ただの打撃。それでもやはり互いの攻撃力は半端なものではない。よろめきながらも、もう一度拳を握り締める。
 ルイスが先にカエンの腹部に強打を打ち込んだかと思えば、カエンがそこから振り下ろした拳がルイスの頭部を打つ。
 また拳かと思えば蹴りが横から飛び、それを受けてでも相手を殴りに行こうとする。
 防御を考えない、ただの殴り合い。
 それがどれほど続いただろうか。
 互いにあちこちが打撲傷で醜く晴れ上がり、吐血も繰り返している。身体がボロボロになりながらも、互いの眼光の鋭さだけは保たれていた。真っ直ぐに相手を見据え、逃さない目。
「いい加減に、負けを認めたらどうだい」
 肩で息をしながら、ルイスがぽつりと洩らした。それというのも、段々とルイスが打ち込む回数が増えているのだ。このまま続ければカエンが負けるのは必至。対して、カエンは何も言わずに再び拳を繰り出した。
 ルイスはそれを躱し、痛恨の一撃とも言える強打をカエンに叩き込んだ。
「何がそうまでさせる? 何でまだ向かってくる? 僕を助けるため? 仮にそうだとしたら、君は勘違いしている!」
 よろめいたカエンを逃さず、ルイスは追撃に躍り出た。
「僕はずっと憎かったんだ。君さえいなければ僕が一番になるはずだったんだ」
 カエンは人形のように殴られるだけになり、それでもルイスは手を休めない。
 カエンがいなければヒアイ村で一番の存在になっていた。そのはずだったのだ。彼の存在が、常にルイスを二番手のような扱いにしていた。
「これは闇の力に捕らわれたからじゃない。僕の本心だ! それを救う? 僕が救われる方法は君が負けを認め、その存在を失くすことだ!」
 堰が外れたかのように連続で叫びながら殴り、蹴りを繰り返す。その度にカエンが打撃を受けたほうに跳ねる。それでも、まだ気は失わず、その眼は真っ直ぐにルイスを見つめていた。だからこそ、ルイスも攻撃を止めず、言葉も止めなかった。
「あの日だってそうだ! 君が火口に落ちそうになったとき、あの時――僕は君が落ちて死ねば良いと思ったんだ!!」
 一際力を込めて、ルイスが拳を振るう。その直撃を無防備に受けたカエンが、文字通りに吹き飛ばされた。床に転げ落ち、仰向けに倒れる。ルイスもそれで力を使い果たしたのか、息を切らしてその場から動かない。
 激しい呼吸音のみが地下の静寂を打ち破る中、カエンは起き上がらず、その生死は定かではない。ルイスの立ち位置からではカエンが目を開けているか否かさえ分からないのだ。ただ、起き上がってくる様子がないのを見れば、カエンがどういう状態にあるかは想像がつく。
「……どうだい。もう分かっただろう。僕を救うなんて言葉は、筋違いだってことさ」
 吐き捨てるように、ルイスは言った。カエンが気を失って聞いていなかったとしても構わなかっただろうが、カエンの耳はしっかりと届いていた。
 一度瞼を下ろし、カエンは大きく息を吸い込み、吐いた。
その深呼吸の後、口元は笑みを浮かべる。
「やれやれだな」
「な……!?」
 起き上がれるはずが無い。そう思っていただけに、ルイスは信じられない光景に対して驚きを隠せていない。
 それがどうだろう。カエンは立ち上がり、ふらつきながらも向かってくる。
「有り得ない」
 何度も打撃を打ち込み、常人ならとっくに死に至っているはずだ。仮にカエンという強靭な肉体を持つ武闘家でも、防御もなしに連続で攻撃を受けたのだ。立ち上がりことなど、できるはずがなかった。
 だからだろうか。カエンが目の前に再び来るまで、ルイス自身が動く事さえできなかったのは。
「言いたい事は全部言えたか。そろそろ俺にも言わせてくれよ」
 ゆっくりと、拳を振り上げる。その動作そのものはゆっくりであったのに、ルイスはそれを見ているだけしか出来なかった。
「俺を憎んでいたとか、いなけりゃいいと思っていた、なんてさ。まるで俺が何も知らないみたいにいいやがって」
 カエンが、言葉と共に拳を下ろす。
「そんな事とっくに知ってたんだよ馬鹿野郎!」
 今までのどの拳よりも重い一撃。それが正確に、ルイスの顔面を捉える。
「な……」
「俺も同じさ。だがオレは、お前を羨んでいた」
 続け様に、カエンの拳がルイスに打ち込まれる。
 あらゆる局面に対して冷静でいられるルイスのことが羨ましかった。ルイスのようになることができれば。そんなことをいつも考えていた。
「君は、僕の居場所さえ奪おうとしていたっていうのかい」
 よろめきながら、血を吐くような声をルイスは絞り出した。
「気付けよ。皆が村で一番だって思っていた男が、常に誰を頼りにしていたかを」
 ヒアイ村の皆は、まずカエンを見る。だがカエンが一人の考えや単独の力で解決したことなど、一度たりともないのだ。決断の時は、その隣の存在に助けを求めていた。
「それにな。一番になりたいってのは、男なら誰でも思うことだろ。オレがいなけりゃ一番になれたって考えは、当たり前のことだ」
 誰しも訪れる、自分が一番でありたいという願い。そんな当たり前の感情に、ルイスは戸惑ってしまったのだ。
 カエンが再び拳を振るう。
「お前は優しすぎるんだよ。だから当たり前の感情でも、罪の意識を感じてしまった」
 ルイスは避けることができずに、その攻撃をまともに受けてしまった。
「そんなことは……」
 ない、と言いかけたところにカエンの更なる追撃が打ち込まれる。
「あの時。火口に落ちそうになった時――。お前はオレに手を差し伸べてくれたじゃないか」
「ちが……う。僕は、君を、突き落とそうと」
「それこそ違うな。オレを助けようとしてくれた。そして助けられず、少しだけあった憎しみを理由に、罪の意識を闇に委ねることで紛らわしたんだ」
 カエンを憎いと思ってしまったこと。助けられなかったことを、ルイスは悔い、その罪の贖い方を知らなかった。だから、闇の力に溺れ、最初から憎しみしかなかったと自分自身に納得させようとしたのだ。
 違和感の正体。今でも、こんなことをしたくないのに続けているという矛盾。止めどころが解からず、最後まで突き進むしかない。
 ルイスの膝が、がくりと折れる。
 だが先ほどのカエンと同様に、その瞳だけは逸らしていない。
「そんなことが解かるっていうのかい」
 人の心を、そうそう簡単に理解できるはずなどない。ルイス自身が違うと信じて疑っていないことだというのに、そうであると決め付けることはただの想像でしかない。
「解かるさ」
 カエンは、薄っすらと笑みを浮かべた。
 その笑みに、ルイスは脅える。
 何故、まだ向かってくる。
 何故、まだ信じようとする。
 何故、理解できたというのか。
「俺とお前は、親友だからな」
 止めの一撃とばかりに打ち込んだカエンの拳を受け、ルイスが先ほどのカエンと同じように吹き飛ぶ。
 仰向けに倒れ、起き上がる気力も体力も無く、身体の一部を動かすことすら間々ならない。カエンはこの立ち上がれたというのに、ルイスは動けない。やっぱり敵わないな、と思いながらも、もっと別の感情が胸中に渦巻く。
「僕は……」
 ルイスの頬に、一筋の涙が流れた。


 どれほどの時が経っただろうか。
「カエン……僕は、どうすればよかったんだ」
 静寂を打ち破ったのは、ルイスのそんな言葉だった。
「『悪夢の雷』の力は、僕を確実に蝕んでいる。今さら、君たちと共に闘うなんてことはできやしない」
 自嘲するような、悔しがるような口調のルイスは、感情をなくしてしまったかのように無表情で淡々と続ける。
「闇の、憎悪の力から、もう僕は抜け出せない。今はマジャスティスの効果と君のおかげで清々しい気分だけどね。きっと時が経てばまた君を殺しに来る」
 物騒な事を軽く言うので、言った本人も苦笑してしまう。
「もう必要ない力なのにね」
「闇の力が、必要な時もある」
 ルイスの言葉を、カエンが切り返した。
 その自信ありげな台詞に、ルイスが続きを促す。
「――……」
 カエンの説明は至って簡単なものだった。
 それを聞いたルイスが、思わず笑ってしまうくらいに。


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