-34章-
闘激、炎水



 どこかの地下なのだろう。外に砂漠があるとは思えないほど涼しいのだが、あいにくとそれを満喫できるルイナではなかった。
 デュランに連れてこられた場所は暗闇が支配しており、周囲の様子がまるでわからない。認識できるのは圧倒的な威圧感を持つデュランの気配がすぐ隣にあるくらいのものだ。
「闇は嫌いかね?=v
 デュランの問いにルイナは答えない。そのことに関してデュランは何も言わずに、指をぱちんと鳴らす。それに反応し、設置されていた松明に次々と炎が灯った。暗闇だった空間に、お情け程度の光が溢れる。
幾つもの松明に照らされて、ルイナは己が大きな壁を目の前にしていることを初めて知った。それもかなり大きく、天井が高いので必然と壁の面積も広がっているのだ。
「……」
 その壁にはありとあらゆる文字や絵が刻み込まれている。だが、ルイナたちが使っている言語とは異なり、何と書いてあるのか読むことが出来ない。ただし、それはルイナが水の精霊の力を得る前の話だ。
「ここに描かれているのは人間の古代語だ。私は魔族の古代語ならば会得しているが、さすがに人間のものとなると未知の領域だ。だが、お前ならば読めるだろう=v
 ここで無理だ、と言うことは無意味だ。デュランはルイナの知識力を把握している。実際に読むことができるのだから、嘘をついてもすぐにばれそうだ。
 水の精霊はルイナにありとあらゆる知識を与えてくれている。そのため、こうした古代語も解読できるようになっているのだ。
「さあ、読み上げよ。ここに描かれた古代の記録を!=v
 デュランが待ちきれないといった様子で急かすように言う。
 ルイナは目を細めて、壁画の端からその内容を見て、読み上げた。
「ここ、に……辿り着きし、者、たち……に、捧げる……」
 ルイナの言葉がいつも以上に途切れているのは、解読はできるとはいえ同時に読み上げているのと、何より古い壁画のせいか掠れて読みにくかったりするためだ。それでもデュランは文句の一つも言わず、ルイナの言葉一つ一つを慎重な面持ちで聞いている。

 ――ここに辿り着きし者たちに捧げる。
 我らはラーミアの伝説を語り継ぐ者。
 我らの守り神ラーミアは、雄々しき不死鳥なり。
 だがラーミアはその不死ゆえに、永遠の命は永劫の檻と化す。
 来るべき時に備え、ラーミアは殻を纏い深き眠りについた。
 ここに辿り着きし者たちよ、汝らはラーミアの復活を願う者たちであろうか。
 もしそうでなければ、ここに記す事は一欠片の価値もない。
 だが、汝らがラーミアを求める者たちであるならば、我らは全てを伝えよう。
 六つの宝珠を捧げし時、ラーミアは再び目覚めるであろう。
 宝珠とは即ち、炎神の宝珠(レッド・オーブ)水神の宝珠(ブルー・オーブ)風神の宝珠(グリーン・オーブ)地神の宝珠(イエロー・オーブ)深闇の宝珠(ダークネス・オーブ)輝光の宝珠(シャイン・オーブ)
 宝珠は、ラーミア復活の時が近付くと互いに呼応する。
 時が満ちれば、持つべき者の手に渡るであろう。
 六つの宝珠を、大神殿に捧げよ。
 さすれば再びラーミアは大空を舞い、時空すらも駆けるであろう。
 願わくは、ラーミアを復活させる者の魂が清くあってほしい。
 願わくは、ラーミアを復活させる者の歩む道が光であらんことを――

 全てを読み終えたルイナは無意識に汗をかいていた。解読と読み上げることに、どれほどの労力と時間をかけたことがわかるというものだ。
 刻まれている古代語は読み上げたとおりに解読できるが、絵までは読むことはできない。とはいえ、たいていは文章の補足や、その絵を説明しているのが本文であったりする。描かれているのは、巨大な鳥の絵、大きな卵、六つの光が神殿のような絵の周囲に浮かんでいるものなどだ。
「くく、やはり不死鳥ラーミアに関する記述であったか=v
 ルイナの解読に満足したのか、デュランは満足そうだ。
「お前も持っているのだろう。復活の宝珠を=v
 デュランに見せた覚えも無いし、もちろん所持していることを伝えてはいない。それでもその言い方は、ルイナが宝珠の一つを持っていることを確信していた。
 隠す事はできないだろう。道具袋から、おもむろに水神の宝珠を取り出した。以前より、どことなく輝きが増しているように見える。それはデュランの先ほどの言葉と合わせれば、すぐにわかることだ。
 こちらも晒したのだから、そちらも見せてもらおうか、とでも言うようにルイナはデュランを横目で見据えた。
「これで、この地には二つの宝珠が集ったことになる=v
 デュランの目の前に小さな闇の渦が出現した。どこか別空間に繋がっているのだろうか、無造作に手を突っ込み、デュランの腕はまるで闇に吸い込まれたかのようだ。そんな感想を抱いたのも束の間、すぐに引っ張り出すと、その手には黄色の光を宿す宝珠が握られていた。
地神の宝珠(イエロー・オーブ)……」
「そう、かつて島々の世界の『主』が所持していたものだ=v
 ルイナはいつも通りの無表情だったが、内心では大きく反応していた。
 島の住人であったフィンの話では、イエロー・オーブは祀られていたが盗まれたということだった。それが今、ルイナの目の前にある。元々の所持者はフィンが住んでいた空間世界の主ということだが、彼はそのことを知っていたのだろうか。
「今、ここに復活の宝珠が集おうとしている。持つべき者――即ち、私だ=v
 ここまで見事に自分が選ばれし者だと言われると、本当にそんな気がしてくる。宝珠は誰かが一つずつ持っているのだから、実際に全てを持つべき者などわからない。もちろん、ルイナがデュランに従っている以上、実質二つの宝珠を所持していることになるのだろうが。
 デュランは憧れを目前にした純粋な少年のように興奮していた。もちろんそんなことを口に出したらどうなるかわかったものではないが、そんな感想を抱いたのがほんの数瞬ということもあった。
「鼠が、入り込んだようだな=v
 唐突に目を細め、その瞳には邪悪な光が宿る。それは先ほど抱いた純粋な少年という感想を幻にさせる狂気。
「鼠……」
「この世界は広い。鼠の一匹や二匹はどこにでもいるであろうが……ふむ、早々に駆除しておくか=v
 最初は面倒そうに言っていたデュランは、しかし最後には笑みを浮かべていた。
 それは邪笑というべきで、その笑みのままデュランはルイナを一瞥した。
 何か、とてつもなく嫌な予感がしたのは、気のせいであって欲しい。


 旅の扉を抜けた先は、またも息の詰まりそうな場所であった。
「暗闇の次は迷宮(ダンジョン)の中か?」
 そろそろ太陽の光を浴びたい、と言いそうになったがこの世界の太陽は日差しが強すぎる。砂漠のど真ん中に放り出されるより、室内の中のほうが安全ではある。
「ここは……」
 ラグドが膝を突いて地面に手を置き、何かを念じるように黙り込んでしまった。
「どうしたの、ラグド?」
「いえ……」
 その様子を覗き込んだイサの呼びかけにも曖昧な返事をするだけだったが、その姿勢のまま何かを考え込んだかと思いきやすぐに顔を上げた。
「なんだ?」
「間違いない。ここはこの前のピラミッド内部だ」
 ラグドとルイナがフィンの案内で訪れ、そしてデュランと戦ったピラミッド。以前とは全く別の通路のようだが、建物自体は同じなのだ。
「そんなことわかるの?」
「はい、大地の精霊の力です」
 その土地に存在する精霊に干渉し、現在の場所を把握する。もしかしたらできるかもしれないと試したのだが、案外あっさりと可能であった。
「なんか、似たような呪文なかったっけ?」
位置把握呪文(フローミ)、ね」
「盗賊の呪文だったよね」
「ラグドさんは盗賊だったのですね」
 エンが問いかけ、イサが答え、ホイミンが余計なことを言ってしびおが便乗する。ラグドは反論する気にもなれず、微妙な表情をすることしかできなかった。
「それにしても、盗賊か……。あいつら元気かなぁ」
 横に並べば二人程度でしか歩けないほどの通路を進みながら、先ほどのやり取りの中で出てきた単語の一つに対してエンがぼやいた。
人間界(ルビスフィア)に残してきた仲間の事?」
「ん、ああ。お前らは知ってるんだっけ。ミレドってやつなんだけど、こうしたダンジョンのトラップの見つけ方がうまいんだ」
 ピラミッド内部には侵入者を防ぐ罠があちこちに設置されている。幸い、どれも作動していないのか滞りなく歩を進めているが、厄介な罠にかかれば面倒なことになりかねない。もしこの場に彼がいたら、仮に罠にかかりそうになっても事前に対処できるはずだ。
 やがて一向は、長い通路を抜けて広い部屋へと辿り着く。
「広くなったけど、ここがお前の言っていた所なのか?」
 ラグドとデュランが闘い、ルイナがデュランに従うことを決めた場所。そこもまたピラミッド内の大広間だった。
「いや、違う。だが……」
 あちこちに掲げられている篝火のおかげで、部屋の全体が真っ暗というわけではない。その中央に視線を向け、ラグドは喉から声を搾り出すように続けた。
「待ち構えている相手は同じだな」
 部屋の中央に存在する者。
 両腕を組んで仁王立ちをしている姿は、一見は肉体の引き締まった大柄な人間のようにも見える。そこから感じられる威圧感は、話に聞いていた以上のものだ。初めて相対するエンとイサは、無意識に緊張感が高まった。
「初めまして、とでも言うべきかな=v
 口の端を笑みで歪め、デュランがよく通る声で言った。
「お前がデュランか。オレの用件はただ一つだけだ」
 エンが見た目は臆することなく、歩を進めながら声を上げる。一歩近付く度にその歩みを止めたくなるが、それでもエンは前に進んだ。
「なんだね? 私は強者には寛大だ。場合によれば、願いを叶えさせよう=v
「ルイナに会わせろ」
「何故?=v
「オレの仲間だからな。大切な仲間に会いたいだけさ。理由なんて、それで充分だろ」
「なるほど、人の道理だな。しかし――=v
 デュランの笑みが、質を変える。
 それと同時にエンは歩みを止めた。これ以上近寄るのは危険だという判断もあれば、充分に互いの表情が見えるほど近付いているためでもある。こうして近付いてみると、ラグド並の巨体でありながら、その姿は身軽そうだという印象が芽生える。
「その前に聞いても良いかな=v
 エンが怪訝そうな顔を向けるが、デュランは気にした様子など微塵もない。
「持っているのだろう。復活の宝珠の一つを=v
「なんでそれを!?」
 一瞬だけ、ルイナが喋ったのかと思ったが、違う。エンも、どことなく同じことを思っていた。目の前の相手は、宝珠を所持している。なんとなくそんな気がしただけで、確証も何も無かった。
 デュランにとっては、その感覚だけで充分だったのだ。
「今、我が手に宝珠が集まりつつある=v
 そう言いながら、デュランはその手に持っている物をエンに見せた。遠巻きに見ていたイサやラグドたちも、それが何であるかがすぐに理解する。
 黄色の輝きを帯びた宝珠、イエロー・オーブ。島の民たちから失われ、彼らが捜し求めたものだ。
「言っとくけど、これをお前に渡す気なんてないからな」
 相手も見せたのだからこちらも見せるのが筋だろう、とでも言うかのように、エンはレッド・オーブを道具袋から取り出しデュランに見せ付けた。
「ならば、非常に単純な手段を使わせてもらう=v
「複雑な事をされると、オレも面倒だ」
 エンが苦笑し、デュランが邪笑を浮かべる。
「力ずくで。そう、所謂――殺してでも奪い取る=v
 デュランが片腕を天井に向け、大きくぱちんと音を響かせた。それが合図だったのだろう、背後に闇が渦巻く。
「現れよ、我が最強の戦友!=v
 闇の渦は別の空間に繋がっていたのか、そこから一人の人間が姿を見せる。
 歩く度に青い髪を静かに揺れ、その表情のない顔はしかし懐かしいものだ。
「ルイナ……」
 後方で見ていたイサとラグドは、やはり、という気持ちと未だ信じられないという疑念が絡み合っている。エンはどうなのだろうかと見ても、二人の位置からエンの顔は見えないためにどんな表情をしているのかはわからなかった。
「大切な仲間と、思う存分に闘うが良い=v
 ルイナを含め、唯一エンの表情を見ているデュランは邪笑を一層深くし、そう言った。

 デュランにとって、この闘いは観客気分で楽しむつもりでいた。強者同士の闘いは見ていても興奮するうえに、場合によっては新たに現れた人間の実力をその眼で確かめる意味合いもある。もしルイナが敗北するようであれば、自らも戦線に立ち、大いに暴れる予定だったのだ。
 だが、全てが予定通りに行くというわけではない。
「――デュラン様」
 別空間に繋げたままの闇から、一人の人間がこの地に入ってきた。頭にターバンを巻いた青年――フィンを、デュランは侮蔑するように睨み付けるが、彼はそれに動じた様子はない。
「なんだ?=v
 その声は明らかに苛立っており、不機嫌さを隠そうとしていない。それでもやはり、フィンは淡々と続ける。
「会談の申込みが入っております」
「後にしろ=v
「……『オーブが欲しければ来ることを勧める』、という伝言も言付かっております」
 その言葉で、さすがにデュランの表情が変わった。
 顎に手をやって逡巡すると、やがてにまりと口の端を笑みで歪める。
「ならば誘いに乗るか。ルイナよ、ここは任せたぞ。もちろん、わかっているだろうな?=v
「……はい」
 ルイナはゆっくりと、しかし明確に頷いた。
 それを見届けるとデュランは踵を返し、開いていた闇の通路へと大股で入っていく。それに続いてフィンも中へと入り、やがて闇が縮み出したかと思うと、まるで最初からなかったように唐突に消えた。
「ルイナ」
 この場にはデュランはいない。何故ルイナがデュランの下へ行ったのか、話すことができるかもしれないと思った。そう思ったからこそ、エンは何も警戒せずに駆け出そうとしたのだ。
 それが、一歩間違えれば死に繋がるとも知らずに。
「?!」
 エンの首のすぐ横を、何かが高速ですり抜ける。エンとてこれまで激戦を潜り抜けてきたのだから、戦いの直感や反応は並大抵ではない。本来は首の根元を狙われていたものを、無意識的に躱していたのだ。
 回避が成功していなかったら、エンはその鋭い水状の鞭の餌食になっていただろう。それを考えただけで背筋が凍る。
「エン……」
 ルイナが、いつも通りの声で囁くように言う。
「ルイ……ナ?」
「火龍の斧を、構えて、ください」
 いつも通りの表情。いつも通りの声。いつも通りの雰囲気。違うのは、行動の根本的な部分。
 このまま呆然と見ていては、ルイナに命を奪われてしまう。エンが火龍の斧を召還し、それを力強く握る。
「行き、ます」
 ルイナが水龍の鞭を持つ手を振るう。それに合わせて、幾つもの枝分かれした水の鞭がエンに降り注いだ。
「オレと、本気で闘うみたいだな」
 その幾つかを躱し、幾つかを火龍の斧で斬り裂く。
 ルイナは答えず、水龍の鞭を操るのみ。
「エン! どうするの……ルイナと、闘うの?!」
 後方で待機していたイサが、どうしたらいいか分からずに声を上げた。ラグドも、そしてホイミンやしびおでさえ、どのように動けばいいか迷っているようだった。
「オレに任せてくれ」
 エンは振り返らずにそれだけを言った。
「そんな……」
 イサ達からはエンの背中しか見えないが、それでも彼の言葉はしっかりと届いていた。
 ルイナはエンと闘うことを極端に嫌っていたはずだ。イサとラグドは魔書での知識だが、それは間違いなく真実。それなのに、今はこうしてルイナ自身がエンと闘っている。
「なぁ、ルイナ。お前の目的はなんだ?」
 油断無く火龍の斧を構えながら、エンが問いかけた。
「見ての、通り。エン……あなたを、倒すこと、です」
 片手で水龍の鞭を繰り出しながら、空いた手でエンの足元を指差す。青色の光が明滅したかと思うと、一瞬にして凍える冷気が吹き荒れた。
「ヒャダルコか!」
 魔法の氷が出現する前に大体の予想が出来ていたエンは大きく跳躍し、呪文こそ躱したが、ほんの数瞬遅れて伸びてきた鞭に打ち据えられる。幸い、鎧に当たったためにダメージは軽減できたが、鎧越しでも伝わってきた衝撃に、思わず苦痛の表情が露になった。
「これくらい……」
 倒れず、ルイナに立ち向かおうとするが、彼女はその接近すらも許さない。水龍の鞭を巧みに操り、エンを一方的に打ち据えていた。ある時は躱し、ある時は火龍の斧で迎撃するが、それでも襲い掛かる水龍の鞭の攻撃は防ぎきることはできない。
 さらにルイナは攻撃呪文も併用し、その魔力が枯渇する様子もまるでない。
 エンは防戦のみで、後方で待機しているイサたちの目にはあまりにも一方的な闘いにしか見えなかった。
「ルイナ……オレはさ、お前に嘘はつけねぇ。もともと嘘なんて苦手だし、お前にはすぐばれちまうからな」
 しかし気が付けば、エンは徐々に間合いを詰めていた。身体のあらゆる箇所から血を流し、凍傷もあちこちに見られる。
「けどな――」
 それでもエンは前に進み、ルイナのすぐ目の前に立った。それこそ、今にも抱き合いそうなほどの距離だ。
「オレも、同じなんだぜ。お前の『嘘』は、オレには通じない」
 エンが真正面からルイナを見つめる。互いの瞳の中に映る自分が見えるほどの距離で、瞬き一つせずにいたが、ほんの一瞬だけルイナが揺いだ。
 その一瞬だけで、エンにとっては充分だった。


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