-33章-
闘鎧、激突
松明の光は心許なく、一歩を踏み出すたびに足元から闇に絡み付かれているように感じる。
エンたちはその間に何も喋らず、ただ黙々と前進していた。纏わり付く闇が緊張感を与え、心の余裕をなくしているのだ。
何人かがまとめて通れるような通路は一方通行で、曲がることなく直進のみ。ふと後ろをふり返れば、入ってきた扉から差し込む光が薄っすらと見えている。
歩き、歩き、また歩き。やがて全員の顔に、疑いの色が出てきた。
「長すぎない?」
沈黙を破ったのはイサだ。誰もが自分から口を開きたくないようにさえ感じていた中、彼女は恐れることなくその言葉をあらわにした。
「……途中から、あまり進んでいないように感じるな」
背後をふり返れば、やはりこの通路に入る際に開け放しておいた扉から差し込む光が確認できる。既にそれは見えてないほど歩いているはずだ。まだ光が見えているということは、距離が大して変わっていないのだろう。
「先ほど、壁に小さく傷をつけてみたのですが」
最後尾を歩いているラグドが前に進み出て、エンより少し奥の壁に手をつく。
「ここにあります」
ラグドはエンの前を歩いてはいない。それだというのに、壁の傷はエンの立ち位置より奥にあった。
「無限回廊ってやつか」
迷宮罠の一つだ。どれだけ歩を進めようとも、曲がった覚えが無いのに同じ道を延々と歩かされる。気が付かなければ、その通路で一生を終えてしまう可能性すらあるのだ。
来た道を戻れば脱出のみ可能、という型もあるが、逆戻りさえ許されない場合もある。エンは、後者であるような気がしてならない。もしそうであるならば、脱出呪文リレミトさえもこの回廊の中では効果を発揮しない。
「お前達なら何かわからないか?」
と、エンはしびおとホイミンに聞いた。
不思議な感じのする二人ならば、案外あっさりと出口を見つけてくれるかもしれない。
エンの問いに、しびおとホイミンがそれぞれ笑顔のまま器用に思案顔を作る。
「う〜ん、あっちかな♪」
「ふむ、あちらかもしれません」
そう言って、二人が指し示した方向。
「なんで二人とも真逆なんだよ!」
しびおは通路の奥を、ホイミンは元来た道をそれぞれの触手で示している。
「ごめーん。わからないからテキトーにやっちゃった。えへ」
「申し訳ございません。ただの勘です」
素直に謝る二人だが、態度が全く違う。それでも憎めないから不思議だ。
「とりあえず、戻ってみる?」
イサの提案に、エンは乗り気ではない。無駄なような気がするし、おめおめと引き下がるようで悔しいだけでもある。
「いっそのこと、壁ごとぶっ壊すか」
何気なくラグドがつけた壁の傷を眺めながら、エンはぼそりと呟いた。
「ちょっと、本気?!」
「ああ本気だ!」
「よせ、こんな狭いところで」
「知るか!」
ラグドの制止をも振り切り、エンは手に炎を宿した。周囲の埃を一瞬にして燃やし、炎は松明の光とは比べ物にならない光を見せる。
「まだ他の方法も――」
あるかもしれないから待って、と言いかけたイサだが、どうせなら無理をしてでもエンを抑え留めるべきだったかもしれない。
「ベギラマ=[!!」
エンの繰り出した閃熱呪文は高熱を撒き散らしながら壁にぶつかり、通路に大音響を響かせた。
破壊された壁は粉塵となって周囲に舞う。
「もう、ちょっとくらい、考えてよ!」
巻き起こった粉塵で咳き込みながらイサが文句を言った。目を細めても、その端には涙が滲んでいる。
「ごほっ、いや、でも……」
同じく咳き込みながらエンはベギラマにより破壊された壁の向こうを見て、思わず笑みを浮かべた。
「ふむ。別の場所には、出ることができたようだな」
何故か粉塵の中で平然としているのはラグドと、その後ろにいるしびおとホイミンだ。魔物二体はラグドが壁になったので無事だったのだろう。そのラグドも平然としているのは、こうなることを予想して、備えていたらしい。
壁の穴の向こうは異質な空間が広がっていた。
闇が全体を包み込んでおり、松明とは別の光源があちこちにちりばめられているのだ。縦横の感覚もほぼ無いに等しく、地面があることはこの空間に立つ事で認識できるのだが、それをしなければ地面すらないように見えてしまう。
「なんだろうな、ここ」
砂漠の闘技場の中とは思えない、まさに別の『空間』そのものだ。
「なんだか、夜の海の中にいるみたい」
「夜の海中ってこんな感じなのか?」
エンの問いに、イサが逆にぽかんとしてしまった。
「ネカルクに会いに行った時、小船ごと入っていったでしょう。覚えてないの?」
「あぁ、そんなこともあったな」
どうやら忘れていたらしい。
「けど、今は海の中ほど穏やかな場所にいるわけじゃないみたいだな」
エンの視線の先。そこには、ぽつりと何かが佇んでいた。
目を凝らしてみると、全身を鎧で覆った人間である。人間と判断できたのは、唯一首から上が露になっていたからだ。短い白髪に顎を覆う白髭――その姿にラグドは見覚えがあった。先ほどまでいた通路の前の部屋、つまりデュランと出会った部屋にいた老兵である。恐らくデュランの側近の類だろう。
「お前は」
「神聖なる場所にまで踏み入るとは、無礼な輩よ」
ラグドが口を開くがそれを遮るように老兵が顔を上げた。こちらが近付くまで目を閉じまるで動かなかったため、その唐突さに思わず全員が黙ってしまった。
「特にそこのお前。デュラン様が目にかけていたにも関わらず逃げ出すとは」
これはラグドに向けられた言葉だ。さすがに既に監禁から逃れていた事はばれているらしい。
「だからと言って、牢に閉じ込める相手とは友好的になれそうにない」
「考えを改めて我らの戦友になりに来た、と申せば良かったものを……」
老兵がゆらり、と蠢く。
「オレたちはデュランとルイナを探している。今、どこにいるんだ?」
エンの問いに、老兵が目だけを動かしてエンを見た。
「今から死にゆく者が、知ってもどうしようもないであろう」
老兵が言うなり、唐突に瘴気が湧き上がった。小脇に抱えていた兜を被り、盾に腕を通す。足元に置いていた鉾槍ハルバードを手にしたその姿は、中身が老人であるなどとは思えないものとなった。
鎧と兜は中央を境に金と銀色に別れ、兜の角飾りのみが同色となっている。顔のほとんどを覆い隠した兜は目しか見えず、髑髏の紋様がおぞましい盾と相まって不気味としか言いようが無い。
「アーマー系の魔物か!?」
その姿にラグドは思い当たるものがあった。鎧や盾自身に意志が宿り、装備者がいないにも関わらず動き出す魔物の部類だ。中には、装備者の生気を吸って従来以上の力を発揮するというのもあるが、まさにそれだろう。中の人間が若々しい印象を受けたのは、実際に年齢が見た目よりはるかに下だったからだ。
「我等が戦友となれなかったことを、死の淵で悔やむが良い!=v
鎧の奥底から聞こえてきそうなくぐもった声になり、鎧の魔人はいきなり襲い掛かってきた。だが、そのまま大人しくハルバードの餌食になるほどエンたちも愚かではない。
「こっちは急いでるんだ。多勢に無勢が卑怯だって言うなよ?」
大きく後ろに跳躍しながらハルバードの一閃を躱した。そのままエンは精神を集中させ、ほぼ一瞬で火龍の斧を召還する。
「まとめて葬られるほうが幸せだろう。一人、また一人と朽ちていく姿を拝まずに済むのだからなぁ!!=v
鎧の魔人が盾を翳すと、描かれた髑髏の口が蠢いていた。目の奥に虚ろな青白い光がぼうっと宿る。それと同色の光がエンたちに纏いつき、妙な気だるさを与えた。
「守備減退呪文ルカナンだ。気をつけろ!」
「敵の攻撃に当たらなきゃ良いんだろ!」
ラグドの警告に対してエンはそう答えながら鎧の魔人へと向かう。
確かにいくら守備力が下がろうとも相手の一撃を受けなければ問題はない。エンは火龍の斧を横振りに構えて地を蹴った。だが、その動きが唐突に鈍る。
「なっ!?」
「魔法を使う盾の主が、呪文を唱えぬとでも思ったか=v
盾がルカナンを放ったことばかりに気を取られていた。鎧の魔人もまた、別の魔法を使っていたのだ。その呪文を受けた者はあらゆる行動が減速してしまう鈍足呪文ボミオスだ。エンはまともにそれを受けていた。
「まず一人=v
鈍足呪文の影響で回避行動が取れず、迎撃も難しい。ルカナンの効果が持続されている今の状況で鎧の魔人の一撃は命取りだ。死を宣告するかのようにハルバードがエンの喉元めがけて振り下ろされ――。
「そうはさせない!」
刹那、横から突風が、いや風の爆発が巻き起こりハルバードの軌道が大きく逸れた。
風連空爆を打ったのは当然、イサである。彼女はボミオスの効果を受けておらず、自慢の速度を失わずに済んでいたのだ。
そのまま鎧の魔人とエンの合間に割り込み、再び風連空爆を放つ。至近距離からの風爆を受け、鎧の魔人は体勢を崩しはしなかったものの後方へ吹き飛んだ。
「突っ走るからそんなことになるのよ」
「お前に言われたくねぇ」
助かったのは事実だが、何かと前衛に出たがるイサに言われるとは心外だ。苦笑して言い返すと、すぐにエンは意識を鎧の魔人へと向けた。風の爆発で飛んでいったとはいえ、直接的なダメージを与えたわけではない。すぐに別の行動をしかけてくるはずだ。
鎧の魔人はエンを仕留め損なったのが悔しいのか、恨みがましい目つきでイサを見ている。次の標的は、決まっているようだ。
当然、イサも鎧の魔人の視線に気付いている。あえて挑発するように飛竜の風爪をちょいちょいと動かした。鎧の魔人がイサに迫り、対してイサは攻撃を仕掛けようとせずに構えるのみ。その様子を見て、エンとラグドはイサが何をしようとしているかを把握した。
「去ねぃ!=v
イサは避けようともせず、真っ直ぐに鎧の魔人を見据え、意識を一転に集中させた。
「――『風流し』!」
ふぉんっ、と一際大きく風の音が過ぎる。鎧の魔人はその風に巻かれ立ち位置が変わり、ハルバードは虚しく空を斬った。そして、それだけではない。
「今よ!」
風流しの効力は相手の攻撃を空振りにさせるだけでなく、その風の束縛により動きそのものを封じるのだ。狙い通り、鎧の魔人は予想外の出来事に身動きが取れていない。その隙に、エンとラグドが迫る。
「『岩閃発破』!」
ラグドが地龍の大槍を回転させ、遠心力を上乗せした一撃を放ち、
「『重・爆・連』――フレアード・スラッシュ!!」
エンが重い爆発斬りを連続で打ち込んだ。
「ぬぅぅぅ=v
二人の攻撃をまともに受けた鎧の魔人が、さすがに揺らぐ。金と銀の鎧は今にも罅が入りそうになり、髑髏の盾はどことなく苦しみの表情をしているかのように見えた。
「一気に畳み掛けるぞ」
鎧の魔人が体勢を立て直す前に、エンは火龍の斧を持っていない手の周囲に複数の火球を浮かび上がらせた。威力こそ低いが、今の鎧の魔人ならば時間稼ぎくらいにはなるだろう。
「メラズ=I」
複数の火弾呪文が同時に打ち込まれる。案の定、致命的なダメージこそ与えなかったものの、体勢を直しかけていた鎧の魔人を今一度揺るがせた。
そこへ、イサが飛び込む。
「『颶爆烈撃掌』!!」
風連空爆を拳に乗せ爆発的な一撃を与える奥義は、鎧の魔人が持ち上げた盾――というよりも盾が勝手に動いたかのように見えたそれにより阻まれた。しかし盾そのもの亀裂が走り、そのまま砕け散る。鎧の魔人を守る髑髏の盾がなくなった。
「こ、このようなことが!=v
鎧の魔人は狼狽し、数歩後ろによろめいた。
とどめとばかりに、力を溜めていたラグドの鋭い一撃が鎧の魔人を貫く。とうとう鎧にも亀裂が生じ、中の者は戦えるほど力は残っていないだろう。鎧の魔人は両膝をつき、そのまま動かなくなった。
「さて、ルイナとデュランの居場所を教えてもらおうか」
火龍の斧を担ぐように持ち、エンは鎧の魔人の前に立った。鎧の力を信じきっていた相手は、それが打ち破られて意気消沈しているようで、戦意の喪失した鎧の魔人は、落ち武者か何かに感じてしまう。
「……ここより奥の、旅の扉の先だ=v
負けを認めたのだろう。沈痛な声で、鎧の魔人が答えた。
「そうか。なら」
行くか、と言いかけたが、エンはその言葉を飲み込んだ。鎧の魔人は、闘志こそ欠片も感じられないが、鎧の下でくつくつと笑っているではないか。やがて不自然な哄笑となり、全員が奇異な視線を鎧の魔人に向ける。
「何がおかしい?」
「くはは、デュラン様に栄光あれ!=v
鎧の魔人に異質な魔力が渦を巻く。魔力とは別の力が混ざり合い、その威圧感は全員を恐怖で震わせた。魔力とは異なる力は、ほぼ残っていないであろう鎧の魔人の生命力そのもの。しかし、その僅かな生命力は、全てを破壊する呪文へと昇華される。
「まさか!?」
最早、戦意はないと思っていた。だが、甘かったらしい。鎧の魔人は、己の命を捨ててまで、エンたちを亡き者にしようとしている。
「全て消え去れ! 勝者もいなければ、敗者もいない! 我はデュラン様に仕える者として、デュラン様の誇りに傷を付けることは許されない!=v
その魔法の発動を食い止めようと、エンが火龍の斧を振りかぶり、ラグドが地龍の大槍を突き出そうとし、イサが飛竜の風爪で鎧の魔人を狙う。
それらよりも速く、鎧の魔人は最後の呪文を解き放った。
「メガンテ!!=v
術者の命と引き換えに、絶大な破壊力を与える自爆の呪文。その威力はビッグ・バンをも凌ぎ、魔法の影響下に置かれた者の命を確実に奪う。
悪夢のような魔法が発動し、暗闇の空間に似合わない命の光が充満した。鎧の魔人を中心に魂の爆発が起こり、エンたちを飲み込んでいく――ということはなかった。
メガンテの効果が現れる前に、命の光が急速に縮まり、あっさりとその輝きは失せてしまった。
「これは!?=v
狼狽した鎧の魔人は、何故メガンテが効果を現さなかったかを知る事はなかった。その直前まで鎧の魔人に向かっていた三人の攻撃をまともに受け、意識は深淵の淵へと沈み込んでしまったからだ。
「間に合ってよかったな」
完全に動かなくなった鎧の魔人を見下ろしながら、エンは冷や汗を拭った。あと一歩遅ければ、確実にメガンテの直撃を受けていたのだから、恐くないはずがない。
「……あのメガンテの方が早かったはずだが」
エンはメガンテが発動する前に鎧の魔人を斃せたかのように思っているようだが、ラグドは気づいていた。間違いなく、メガンテは三人の攻撃が届く前に発動していた。
「んも〜。危なっかしくて見てられないよぉ」
と、緊張感の欠片もない声でふよふよ寄ってきたのはホイミンだ。
「沈黙呪文マホトーン、使えたの?」
イサも鎧の魔人が先にメガンテを使ったと思っていたので、もうダメだと覚悟していたくらいだ。
「凄いでしょ。褒めて褒めて〜♪」
「凄いです。さすがですね」
ホイミンが調子に乗り、しびおが真面目に褒め言葉を送る。
「ちょっとしびお、あんまりホイミンを調子付かせないでよ」
すぐ付け上がりそうなホイミンだが、しびおが称えなくとも調子付くのはいつものことだ。それを解かっているのか、ラグドはため息をつくだけで視線を別の場所に移した。エンも、同じ方向を見ている。
「奥のほうって言っていたな」
鎧の魔人の言葉が真実ならば、この先に旅の扉があるはずだ。そして、そこにデュランとルイナがいる。
「行こう」
エンは短く言って、歩き出した。
周囲の光景はほとんど変わらず、鎧の魔人の言葉が実は偽りだったのでは、と疑い始めた頃だ。暗闇の空間に、薄っすらと異質な光が混じっている場所を発見した。青と銀の渦を巻きながらその場に留まる光は、間違いなく旅の扉である。
「さぁて、この向こうは何処に繋がってんのかな」
エンが何とか笑って見せようとするが、その表情はぎこちない。エンも彼なりに不安なのだ。この扉を潜った先で、起こり得る現実を。そんなことはないだろうと一笑に付すこともできない。
「何処だろうね」
「海とかがいいなぁ〜♪」
「同感です。海はいいものです」
「お前ら……」
ホイミンが緊張感を台無しにするような事を言うのはいつものことだが、しびおまでがそれに加わるとさすがにラグドも咎める気が失せる。もしかしたら、彼らなりに自分らの緊張感をほぐそうとしているのかもしれない、というのは考えすぎだろうか。
「海だったら泳ぎたいな♪」
「浜辺でスイカ割もしたいですね」
どうやら考えすぎのようだ。間違いなくこの二人はわがままを好き勝手に言っている。
「入ってからのお楽しみだな」
エンは軽く笑って、視線を旅の扉へと戻した。
そして、表情を引き締めて旅の扉へと飛び込む。
次々にイサやラグドも飛び込み、すぐに全員が旅の扉へと入っていった。
静寂が訪れた暗闇の空間にぽつりと残る旅の扉。
しかしその扉は、しばらく時間が経つと思い出したかのように忽然と光を消した。
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