-32章-
闘場、再訪
地獄の雷が迫り来る様は、さながら死神の鎌のようである。即ち、容易に命を奪い去るのだ。
全力を用いて防御に徹しなければ、背後のしびおと放浪者たちを巻き込んでしまう。
エンとイサはそれぞれ対抗するための術を放とうとするが、間に合うかどうかは甚だ怪しいものだ。いや、正確に言えば間に合わない。
「でぇぇぇぇい!」
刹那、エンたちとジゴスパークの雷の前に割り込んだ影が二つあった。
一人は、鈍い銀色の光沢を放つ剣でジゴスパークを切り裂き、それでも勢い余った雷は、もう一人が巨大な盾で防ぐ。
エンとイサは自分が五体満足どころか傷一つ負っていないことで、助かったという実感と共に、本当に危なかったことが本能的に感じ取れていたのか一気に汗が噴出した。
「何をやっている!!」
巨大の盾の持ち主に恫喝されるが、驚きのあまり、それにビクリとすることすらできない。盾の持ち主は茶髪が鼻先までぼさぼさに伸びているため目元は確認できないが、その眉間には皺が寄っているだろう。
「ラグド?! それに、ホイミン!!」
イサの狼狽に、ジゴスパークを切り裂いた銀髪の男が笑顔でふり返る。人の姿をしたホイミンの手に握られている剣を、イサは見たことがあるような気がした。あれはいつだったか、魔法戦士と戦った時、風を切り裂く風斬刀という武器に苦戦させられた。それと似ており、雷斬刃という武器であることを後に知ることとなる。
唐突な二人の登場にエンは戸惑ったが、すぐに意識を戦闘のものへと切り替える。
「よくわかんねぇけど、今なら」
フォルリードに対抗できる。そう思ったのだが、油断なく後退してきたラグドから全く逆の言葉が聞こえた。
「一旦退くぞ」
ラグドの提案というよりも命令に近いそれに対して、今度はエンが顔をしかめる。
「逃げるってのか?」
敵を、仇を、目の前にして逃げるという考えは、エンの中に微塵もない。
「状況が悪すぎる。ガーディアノリスの位置がわからない以上、この場で戦うのは危険だ!」
未だに姿を見せていない岩魔将軍を警戒しながら、勇者ロベルを上回る実力を有しているフォルリードと戦うのは困難の極みだ。もしかしたら他の死魔将軍もどこかに潜伏しているかもしれない。
「けど……!」
「ルイナが大変なことになっている」
「!?」
更に言い募ろうとしたらことを遮ったラグドの一言で、エンの顔が緊迫とは違う強張り方をした。それも一瞬の出来事であったが、彼の中で考えは変わっただろう。その機微をラグドは見逃していない。
ホイミンが爆撃呪文を唱え、巻き起こった砂煙でフォルリードの姿が隠れた。向こうから見れば、こちらも見えなくなっているだろう。
「今のうちだ。行くぞ」
「ちょっと待てよ。あいつらを放っておけないだろう!」
エンとイサの視線の先には、未だ動かない放浪者たちが座り込んでいる。このまま放っておけば、どうなるか解かったものではない。
だがエンの言葉に、ラグドは眉を寄せた。
「イサ様もはよう逃げんと!」
爆撃呪文を唱えるために前面に出ていたホイミンが戻り、躊躇っている二人に業を煮やしたのかイサの腕を掴んで走り出そうとする。
「ダメよ! 皆で逃げないと!!」
とは言うものの人の姿をしたホイミンの力は意外に強く、逆らえきれない。
「二人とも……何を言っている?」
今度はエンが驚く番であった。その言葉の意味が、想像したことと違って欲しい。そんな願いが胸中に訪れるが、次のラグドの台詞は確定付けるものであった。
「あそこには誰もいない!」
「そんなわけ……」
そんなわけない。そう言おうとしたが、ラグドが見落とすはずもなければ嘘をつくとも思えない。だが改めて見ると、やはり放浪者達の姿はそこに座しているではないか。
これは幻覚なのか。
エンたちは確かに放浪者たちと触れ合い、会話もしている。幻覚などであるはずがない。
混乱のせいもあって動けないエンの手が引かれた。ぐずぐずしてはせっかくホイミンが稼いだ時間が無駄になってしまうと言わんばかりに、ラグドが強引な手段に打って出たのだ。
それに逆らう事さえ躊躇してしまい、エンはそのまま走り出してしまった。
「そこだ」
長距離を走るわけでもなく、すぐにラグドは足を止めた。見れば、もとから用意してあったのだろう、複雑な紋様が地面に描かれている。
その魔法陣の中に入り、遅れてイサとホイミン、しびおが足を踏み入れた。
「そんじゃあ、行くばい!」
声をあげたのはホイミン。
彼は一度精神を集中させるためか大きく息を吸い、それに伴い足元の魔法陣が輝きだす。
その輝きで視界が遮られ、エンたちは不思議な浮遊感に包まれる。どちらの一瞬のことで、輝きも浮遊感も失せた頃には周囲の景色は一変していた。
転移したのは別の岩場の近くで、何かが住んでいそうなほど広い空洞が広がっていた。
周囲に死魔将軍などの気配はなく、ついさっきのことが夢かなにかのような錯覚にさえ陥ってしまいそうだ。
「え〜と、だな」
とんとん、と指でエンは自らの頭を軽く叩きながらようやく言葉を搾り出した。
エンの中での疑問は、幾つかある。
「まずは、お前誰だ?」
その視線の先には銀髪の男――ではなく間の抜けた顔をしているホイミスライムが好き勝手に浮遊していた。ここを訪れたのは自分とイサとラグドとしびお。そして銀髪の男だとエンは記憶していたが、その銀髪の男は見当たらず、代わりに見慣れないホイミスライムがアハアハと浮いている。
「ボクはホイミンだよ!」
元気よく返事する様は、無邪気な子供と変わらない。
「オレはエンだ」
その無邪気さにつられて、というわけでもないだろうがエンが律儀に自分も名乗る。
「私たちのルビスフィアでの仲間なの。しばらく別行動してたんだけどね」
横から補足いたイサは、適当な所に腰を下ろしている。久々にホイミンを見たせいか、張り詰めていた心が幾分か安らいだ気がした。
それにしても、しびおとホイミンが並ぶとやはりよく似ている。初めてしびおを見たとき、ホイミンと間違えたのも当然と言えるだろう。
「けど、よく合流できたね」
イサが感心するのも、複数あるという魔界空間の中で、目的の人物がいる空間へ辿り着くための術を知らないためだ。
「それは全くの偶然だったようです」
答えたのはラグド。偶然というよりは、幸運だったのかもしれない。
「じゃあ、師匠もいるの?」
イサの声がどことなく弾む。
「今は別行動中ですが、ホイミンと共にいらしたようです」
「ふ〜ん」
言って、そっとイサは胸をなでおろした。自身も強くなったつもりだとはいえ、やはり師には敵いそうになく、恐怖の対象であることには変わらない。心強い戦力が増えることは歓迎すべきだし、そうするようにしたのもイサだが、苦手なものは苦手なのだ。
「……師匠?」
事情を知らないエンが、首を傾げる。
「イサ様に、武道を教えた男だ」
ラグドはどことなく慎重に言葉を選んでいるかのようだ。イサが目配せすると、軽く頷かれ、どうやら名前を言うつもりはないらしい。何故そうするのかはイサには理解できなかったが、ラグドは何か云われているのだろう。
エンはそれ以上追求せず、次に疑問を口にした。
「銀髪の男は?」
「あれもホイミン。いろいろと事情が複雑なの」
複雑な事情を聞くつもりがないというよりも、聞いても理解できないのかエンは話題を変えるために軽く片手をあげる。
「んじゃあ、次の質問。あいつら、本当にいなかったのか?」
その言葉に、イサもラグドを軽く睨んだ。エンもイサも、あの放浪者たちの存在を確かに認識していたのだ。それなのに、ラグドは誰も居ないと言っていた。人の姿をしたホイミンも同じである。
二人の視線を受けながらも、ラグドは重たく頷く。その様が、嘘をついていないことを如実に語っていた。
それ以上ラグドを疑うほど、エンも愚かではない。
「なんだったんだろうな」
エンの独白は誰かに聞いている様にも、自問しているかのようにも聞こえた。だからイサとラグドは何も言えず、ホイミンは好き勝手にその辺りをふわふわしている。
「既に死んだ者の魂が具現化していた、と考えるのが妥当でしょうね」
沈黙が場を支配しそうになったところに、しびおが割って入った。
しびおも放浪者たちの存在を認識していたようだが、彼なりに何かを感じ取っていたのかもしれない。
「誰かに島の民の事を知ってもらうため、か」
「死んだことを知った上で、オーブを探し続けていたのかもしれないね」
エンとイサが言いながら、放浪者たちに黙祷するかのように目を伏せる。
「……えぇと、それでだな」
エンが目を開けて、頭を掻きながら言葉を続けた。
「ルイナが大変なことになっているっていうのは、どういうことなんだ?」
「まず、この空間世界に来た時から話そう」
ラグドは今の空間世界に訪れてからの経緯を簡単に話した。人間のフィンという若者に出会ったこと。『主』であるデュランの闘技場で、交渉を持ちかけられたこと。その後、誘いを受けずにオーブ探しに出た所をデュランに襲われ、そこでルイナがデュランの誘いに乗ったことだ。
「ルイナが、怒っていた?」
話の中で、エンが最も引っ掛かったのはその部分であった。
「ああ、間違いなくな」
鬼のような形相をしていたわけではない。だが、確実に彼女は怒りに満ち溢れていた。
話の中では、エンとてルイナが怒る要素を見つけることが出来なかったらしい。何かが詰まったかのようにエンは腕を組んで考え込み出した。頭の上を疑問符の『?』がくるくると回転していそうだ。
「……すまなかった。俺がルイナをしっかりと守っていれば、敵の手に落ちることもなかっただろう」
ラグドの謝罪に、エンが思い出したようにはっとした。顔から疑問の表情が消え去り、その変わりように今度はラグドが戸惑う。
「それだ!」
「な、何がだ?」
「お前、ルイナを守ろうとしたんだろ?」
「あ、あぁ」
エンの問いの真意が掴めず、曖昧ながらもラグドは頷いた。
「やっぱりな。物事には限度ってもんがあるだろ」
「私はわかった気がするー」
ラグドのことを知っているイサだからこそ、思い当たるものがあるようだ。それに気付けず、また自分だけ理解できていないためラグドは複雑そうな表情をして次の言葉を待った。
「あいつだって、そこらの町娘なんかじゃない。立派に戦えるだけの力を持ってるんだ」
ラグドはルイナを守ろうとする気持ちが逸り、戦いに巻き込まないようにさえしていた。それは、ルイナにとって信用されていないと感じられただろうし、侮辱の域に達していたのかもしれない。
そうなれば、機嫌を損ねるのも当然と言えるだろう。
「けど、それだけでデュランの所にいくわけもないよなぁ」
あの時点でルイナが怒っている理由が解かっても、だからと言ってデュランの誘いにわざわざ乗るほどのことではないはずだ。ルイナが意地を張っていただけ、ということはさすがにないだろう。
「やっぱり確かめに行くしかないな」
「行くって……どこへ?」
立ち上がったエンに、イサが問いかける。
「決まってるだろ。デュランのいる場所だ。そこに、ルイナもいる」
そう言って、エンはラグドを見た。
「場所は解かってるんだろう?」
「……北東の方角にある建物が、先ほど話したデュランの試練場だ」
言いながらラグドも立ち上がった。今はラグドとホイミンたちだけでなく、イサもエンもいる。再び集った仲間がいれば、これほど心強いものはない。正直に言えば、ラグドとてデュランと戦う事は避けたかったのだ。
下手をすれば同時にルイナとも戦わなければならないのだが、今は最も彼女を理解しているエンがいる。説得の余地もあるはずだった。
「そういえば、ムドーに報告でもしておく?」
「あいつらはあいつらで勝手にやるだろ。オレたちも同じさ」
「ムドー?」
今度はラグドが首を傾げる番であった。エンは自分たちの話をほとんどしていないことに気付いた。
「こっちも大変だったんだぜ」
ムドーとジャミラスの戦いのことや、英雄ロトルと再び邂逅したこと、そのまま風神の宝珠が取られてしまったことなどを話した。
話し終えたところで、はたと気付く。
「向こうではロトル、こっちでは死魔将軍。色んな奴が少しずつ集まってきているのか」
世界の『主』も、ムドーは味方と言えるがデュランは別だ。敵は多い。
「それだけ、魔王に近づいているってことなのかもね」
「もしかして放っておいたらラーミアの力が無くてもジャルートの所に行けるんじゃねぇのか」
世界が結合を続けているのならば、いずれは魔王ジャルートの世界とも結合するはずだ。それならば、魔界空間を行き来できるというラーミアの復活を待たずして、魔王の元へ辿り着ける。
だが、ラグドはため息をつきながら首を横に振った。
「魔界全体が結合したら、支配している戦力が強大になる。その力を行使されると厄介だ。まだ世界が弱いうちに斃す必要がある」
「う……そうか、そうだよなぁ」
自分では妙案のつもりだったのだろう。エンはこっそりと落胆し、苦笑いを浮かべた。
避難していた岩場は、デュランの試練場から抜け出した後に時機を窺うために隠れ家として使用していた場所だ。そこでしばらくどうするかを考えようとした所に、大地震が訪れた。
人の姿をしたホイミンが『イサの魔力を感じる』と言い出したので、ラグドとホイミンは合流呪文リリルーラによりエンたちの前に姿を現したのだ。戻る際は、魔法陣を残しておく事により移転呪文ルーラの応用で帰還した。
かつてムーナが魔法陣を残しておく事で簡易的なルーラ、リルーラを使用していたことがあったが、それとほぼ同じものであるらしい。そして、それと同じ方法が取れる魔法陣を、デュランの試練場から抜け出す際に目立たない所に描いてきている。
デュランの試練場を訪れるには、半刻と要しなかった。
「これが噂の闘技場か」
エンが見上げると、つられてイサも闘技場の天辺までを見上げた。身長差はあれど、闘技場の高さとなれば二人ともほぼ首を真上に上げなければならない。
こうして見ると闘技場は古い建物でも造りは立派なもので、空間世界の『主』が住まうに相応しい。
「……闘技場に参加しちゃダメかな?」
見上げていたエンとイサがラグドを見る。思う存分に戦えるその場は、二人にとって最高の修行場でもあるうえ、単に好奇心も刺激された故でもあるだろう。
「冗談だって。そんなに睨むなよ」
「睨んでいるわけではない」
そもそもラグドの目は鼻先まで下りた茶髪でほとんど見えないのだ。睨んでいるかどうかなど、髪を上げない限り判別することなどできない。
「私は冗談にするつもりないんだけど」
「イサ様……」
ラグドが困ったように窘めると、イサはえへへと軽く笑う。
五人――三人と二匹――は、以前ラグドとルイナが利用した出入り口から中へ入った。そこならば、闘いの間に通じていないはずだ。
埃臭い通路はどこも似たようなもので、ラグドの記憶だけが頼りだったが、易々と間違えるはずも無い。
見張りや他の者と合うこともなく、ラグドたちがデュランと初めて会った部屋の前まで辿り着くことができた。
「随分とすんなり来れたな」
「ああ、罠の可能性が大きい」
ラグドたちがここまで案内されてきた時に立っていた老兵もおらず、辺りは静けさに満ちていた。闘いの間から離れているため、止まない歓声の怒号の欠片も聞こえてこないのだ。とはいえ、誰一人遭遇しないのはさすがに怪しすぎる。
「けど、行くしかないよね」
イサの言うとおり、この場でじっとしていては埒が明かない。
身構えながら扉を開ける。
だが――。
「なんだか拍子抜けするな」
デュランと会話した部屋。そこも、誰もいない部屋だったのだ。エンとしては、扉を開けた瞬間に激しい戦闘が繰り広げられることを予想していた。だが相手がいなければその予想が現実のものにはならない。
「だが、前と違う点がある」
一方、ラグドはエンとは違って警戒心を解いていなかった。彼の見つめる先はこの部屋の奥で、立派な扉が備え付けてある。デュランが通ってきた扉だ。
その扉は大きく開いており、しかしその奥は暗闇に覆われて判別することはできない。そのためか、その扉そのものが大口を開けた魔物にも見えてしまう。
「入って来い、ってことなのかな?」
「どっちにしたって進むしかないだろ」
他に怪しい場所があるわけでもなし、最も怪しいのは開け放たれた目の前の扉だ。
「気をつけろ。ここから先は未知の領域だ」
「オレにしたら、もうとっくに未知の領域だよ」
ラグドが緊張感を高めるように言ったことを、エンは軽く笑って返した。
そのまま部屋の奥へと踏み出し、そして――闇が彼らを包み込んだ。
エンたちを包んだ闇とは、異なる闇が辺りに充満している。
「報告と違ったぞ」
その闇の中に、複数の影が存在している。そのうちの一つが、不満を隠そうとせずに別の影に言った。
「発見したのが水の精霊と大地の精霊であるだけで、他の精霊どもがいないとは一言も言っていないはずだが?」
答えた者は特に悪びれた様子もなく、むしろお前が勝手に突っ走っただけだろうと言いたげだ。
二人の他に、二つの影が存在しているが会話に参加する意思はみせていない。
最初に言葉を発したのは雷魔将軍フォルリードである。それに答えたのは、呪魔将軍マジュエル。二人は互いに幾つか言い分を示したが、結果的にフォルリードが先走ったことなので不承不承黙り込んでしまった。
「それで、これからどうするつもりなのだ?」
沈黙していた影の一つ――氷魔将軍ネルズァが頃合を見計らって言った。
「この世界での用は済んだ。闘魔人デュランは我々との協力を拒んだからな」
「精霊どもを放っておくのか?!」
マジュエルの言葉にフォルリードが割り込む。
「そうだ。我々の目的はあくまでデュランを取り込むこと。それを成しえなかった今、精霊どもに構っている暇は無い」
「俺たちに楯突こうって奴らだぞ。潰しておくべきだ」
フォルリードの主張に、マジュエルは眼を細めた。
「放っておいても、この魔界そのものが奴らを潰してくれるだろうよ」
それでも更に言い募ろうとしたフォルリードより先にマジュエルが言葉を重ねる。
「それに、奴らは我々とは違って魔界空間を自由に行き交うことはできない。既に――」
マジュエルは薄く笑みを浮かべた。無駄な事を行っている相手を嘲るかのような笑みだ。
「――ラーミアの復活の宝珠が、六つのうち二つは存在しないのだから」
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