-29章-
闘匠、再会



 沈黙が場を制していた。
 冷たい無音。それはどのような轟音や狂音よりも耳が痛くなるものだ。
 今、この状況を完全に制しているのはルイナである。誰もが、彼女の次の行動を予想し、見極め、こちらがどう動くべきかを必死に考えている。しかしルイナはただ佇むばかりで、そのせいか数秒の沈黙が何倍かの時間に感じてしまう。
 周囲の魔物を一瞬に氷付けにした冷気のため、寒いはずなのに、つつとラグドの額に汗が流れる。
「素晴らしい!=v
 最初に沈黙を破ったのはデュランであった。その歓喜に打ち震えた声は、場の静けさと相まってより響いて聞こえる。
「素晴らしいぞ!=v
 言葉を繰り返し、大股でルイナに近付き目の前に立つ。ルイナは無表情の中でも冷ややかな視線でデュランを見上げた。
「私はお前たち三人の中で、魔法に長けている者がいると薄々感じていたのだ=v
 この場にいる者たち――ルイナとラグドとフィンに聞かせるが如くの音量は、もともと声量が大きいのかそれとも興奮しているだけなのか。どちらにせよ、デュランは気にせずに続ける。
「最初に目をつけた者は論外であり、もう一人は確かに戦闘力を有しているが魔法に関することは並程度だった=v
 フィンとラグドのことだろう。一度だけデュランはフィンを一瞥したがその視線は蔑むかのようであり、強き者を好むデュランにとっては不快なほどだったのだろう。
 デュランはラグドもちらりと見やったが、フィンとは違って惜しそうな目だった。探していた者と似ていたが違っていたための、残念そうな視線だ。少なからずともデュランに戦闘力が認められているというのは、自慢にはならないが複雑な気分である。
「だがついに見つけた!=v
 両手を広げ、空を仰ぐように言う。
「お前がいれば、世界統一の計画は堅固なるものと化すだろう。私の下へ付けとは言わぬ。だが私は願う。切望する。どうか、私と共に闘ってほしい! さぁ!=v
 言って、デュランは手をルイナの前に差し出した。
 ルイナはその手を取ろうとせずに、何を考えているのかデュランを見据えるだけだ。
「私と共にくれば、お前の願いを何であろうと聞き入れ、世界統一の覇者となった暁には世界の半分をくれてやる!=v
 言葉だけならばどれほど魅力的なものだろうか。しかし、それを約束しようとしているのは魔物である。もし、ラグドが誘いを受けるとしたらまず断る。デュランのことを信用していないこともあるが、魔物同士の争いに巻き込まれるのは御免被りたい。
 何より、デュランの眼に怪しい輝きが宿ったような気がしたのだ。真っ当な光ではない、何か恐ろしい光。
 ルイナもそれに気付き、デュランの手を振り払うはずだ。そのはずだ、とラグドは自分に言い聞かせる。
 デュランはこれ以上何も言う気はないのか、ルイナの言葉を待ちじっと佇むばかり。
 またも、沈黙がこの場を制した。
「(ルイナ?)」
 ルイナは首を横にも縦にも振らず、思案している様子も見て取れないがそれは彼女の無表情の所為だ。それでも、返答をすぐに返さないということは、何かしらの考えが答えを遅らせているのだろう。
 何故か、ラグドは言い知れない焦燥感に襲われた。ルイナが答えを返さないことがそれを生み出したのか、それとも直感的にルイナの行動を予測してしまったからだろうか。どちらにせよ、背が焼けるような不吉と言う名の塊がラグドに圧し掛かる。
「ル」
「わかり、ました」
 堪らず彼女の名を叫ぼうとした瞬間である。
 ルイナは、手を差し伸べた。その手の先には、デュランがいる。
 ラグドはこの事態に大きく眼を見開き、彼女の名を呼ぼうとしていたための口が開かれたまま動きを止めてしまった。
 デュランは満足げに頷き、ルイナと堅い握手を交わす。その光景を、ラグドは夢ではないかと何度も疑った。だがどう考えても現実であり、目の前の光景が全てだ。
「(何を考えている……!)」
 宝珠(オーブ)を探すため、デュランの闘技場から出ようと提案したのはルイナである。それだというのに、まるで言ったことを忘れてしまったかのようだ。その上、仲間にならないのならば命を奪おうとした相手である。とても友好的な関係を気付けるとは思えない。
 ラグドの中で色んな考えが浮かんでは消えていくという整理が追いつく前に、デュランが身を翻しラグドを直視する。
「!?」
 その瞳が怪しく黄昏色を宿した。その光を認識した次の瞬間、ラグドは考えるということができなくなっていた。意識が、唐突に飛び、訪れたのは、深い闇のみ。


 暗い意識の片隅に、ふと映像が過ぎる。
 ルイナが行く手を阻み、敵意を見せるという悪夢だ。
 かつて、ラグドはイサと全力を持って戦ったことがある。その時は、イサの気持ちを踏まえた上での決断であったが、今度はどうだろうか。ルイナが何の考えもなしにデュランの話に乗るはずがない。
 その意図に気付けないままでは、戦うのは無意味どころか絶対に避けるべきことだ。
「……っ」
 そんなことを考えながら、ラグドは地面を見つめていた。いつの間にか意識を取り戻していたようで、爽快とはかけ離れた、鈍痛を伴った目覚めであった。
「(ここは……?)」
 何とか顔を上げて辺りを窺うが、薄暗い上に随分と埃臭い。両腕を鎖で巻かれ、壁に繋がれているので、そこは牢屋以外の何者でもなかった。
 ラグドの膂力を持ってしても、さすがに鎖を断ち切るということはできそうにない。
「厄介な事になったな=v
「(あぁ……)」
 まだ聞き慣れない声が心の奥底から響き、対して簡素な答えを返す。
 ラグドと共に在る大地の精霊(ヴァルグラッド)は、自ら話しかけてくるということが極端に少ない。エンの炎の精霊(メイテオギル)や、イサの風の精霊(ウィーザラー)はよく話しかけたりしているらしいが、ヴァルグラッドは随分と寡黙で、こちらから話しかけないと会話をすることはない。
 だからこそ、ヴァルグラッド自身から話しかけられた今、事の重大さを痛感してしまう。
水の精霊(スベリアス)に問うたが、反応がなかった=v
 そんなことをしていたのか、と驚くよりも、その結果にラグドは思案顔を作った。
 ルイナに何か考えがあって、それをデュランに聞かせないために彼女が何も語らなかったとしても、精霊間の会話は聞き取られる心配は無いだろう。スベリアスが何も伝えてこなかった所か、反応がないというのはおかしい。
「(まさか、スベリアスに何かあったのか?)」
「解からぬ。が、その可能性は高い=v
 何かしらの理由で、スベリアスの力が封じられているとしたら。
 それがルイナの行動に直結するとは言いきれないが、可能性が無いわけではない。
 あくまでも仮説だが、そんな曖昧なものにでも頼らなければ気持ちの整理はつかないだろう。ラグドは気持ちを切り替えて、今から何を成すべきかを考える。
 まずはここから脱出しなくてはならない。どうやって抜け出すか。
 それを考え出した次の瞬間、頭の中が真っ白になりそうだった。
「なんだ、こんな所でのんびりしていたのか」
 俯き黙考していたラグドに、静かな笑い声が降りかかる。
「なっ!」
 信じられないといった様子で、ラグドは勢い良く顔を上げた。目の前に立つ人物は、ラグドの驚愕と安堵、わずかばかりの感嘆を与えた。
 何故驚くのかといえば、この場にいるはずのない者の声だからであり、期待を持ったのはその声に聞き覚えがあったからだ。
「俺の弟子の相手は飽きたか?」
 皮肉げに笑う、その男は、赤い髪を後ろで束ねており、纏っているのは動きやすそうな武闘服だ。ラグドよりも年上の彼は、しかし随分と若く見える。
「え〜? ラグドさんに限ってそげんこつなかろうもん?」
 武闘服を纏った男の隣にいるのは、銀色の髪を腰の近くまで伸ばしている青年である。どこかの方言の訛りが強いが、もう一人の『彼』と比べたら話が進み易い。
 二人の事を、ラグドは知っている。
「カエン殿……それに、ホイミン!」
「久しいな」
「やっほ〜」
 かつて、人間界(ルビスフィア)で風雨凛翔の冒険者チームとして共に旅をしたホイミン。
 そして、イサに武闘神風流を教えた、彼女の師匠たるカエン。
 奇妙な組み合わせの二人が、そこに立っていた。
 人の姿をしたホイミンは剣を携えており、それを一閃させるとラグドを繋いでいた鎖が、渇いた音を立てて断ち切られれた。
 鉄の所為で腕が痛むが、すぐに収まるだろう。手首をさすりながら、ラグドは感嘆の意を込めて二人を――というカエンを見る。
「よかった。ホイミンと合流できたのですね」
 イサとラグドが、魔界紋へ赴く際のことだ。ホイミンには、ある使命を担ってもらった。
 これから魔王と戦おうというのだから、その戦力は大きければ大きいほど良い。その為、カエンに一緒に来てはもらえないだろうか、ということになったのだ。だが、どこにいるか解からないカエンを探す時間はなく、急がなければこちらがエンとルイナに合流することができない。
 その結果、ホイミンに任せて二人は魔界紋に赴くということになり、彼は別行動を取っていた。
 ハーベストたちも加わって欲しかったのだが、さすがに目的の違う旅をしている二人を世界中から探すのは困難を極める。一定の場所を拠点としている冒険者ならともかく、カエンもハーベストも常に放浪しているのだから途方も無い話だ。
「しかし、どうやってここへ?」
 魔界紋を通ったとしても、辿り着くのはヒアイ村のはずだ。それとも、あの魔界紋は繋がる魔界空間が常に同一ではないのだろうか。
「魔界へは、ネクロゼイムの遺跡を漁っている時に旅の扉を見つけた。あとはそこの男に聞け」
 興味なさげにカエンは言い、ラグドの視線は自然とホイミンに移る。
 待ってましたといわんばかりに、人の姿をしたホイミンがにんわりと笑った。
「こっちはこっちで、いろいろあったっちゃん」
 ここまで来るのも、一苦労だったと言いながらホイミンは経緯を話し始めた。


 まず、最も重要なカエンとの合流は案外すんなりと成功した。そこから共に闘ってくれるように頼む交渉はホイミンに任せてしまったが、人の姿のホイミンは信用できる。というのは、同じく風雨凛翔のメンバーであったリィダの談である。
 どういう会話があったのかは語らなかったが、カエンは戦力になることを約束してくれた。
 その代わり、というわけでもないだろうが、カエンはカエンなりの目的がある旅をしていたのだ。それが一段落してからということを条件に、今は亡き霊魔将軍ネクロゼイムの研究施設を巡っていた。
 カエンの目的を明確にしなかったあたり、ホイミンも詳しくは知らないのだろう。
 かくして奇妙な二人旅が始まり、数あるネクロゼイムの研究施設を虱潰しに探していった。
 その中で、カエンが目的としていたのを見つけ、偶然にもその研究施設は魔界に繋がっている旅の扉が存在していた。旅の扉が魔界に繋がっていると確信できたのは、ネクロゼイムが残していた資料を頼りにしてのことであったが、そうしたことに関しては信じざるを得ない相手だ。
 カエンとホイミンの二人は魔界へ赴いたが、複数ある魔界空間の中で、ラグドたちがいる魔界へこれたのは、あながち偶然というわけではない。
「ラグドさん、なんか持っとったやろ。ほら、魔龍の晶杖の欠片」
 言われて、ラグドは懐から小さな布袋を取り出した。
「これか」
 かつての仲間の形見である魔龍の晶杖。それに嵌め込まれていた宝玉の一部を、お守り代わりに持っていたのだ。
「自分も似たようなもんを持っとったっちゃん」
 と言って、ホイミンはラグドが持っているものとは違う宝玉の欠片を見せた。
「それは……?」
 どこかで見たことがある気がする。しかしすぐに思い出せず、眉をひそめる。
「魔道師の杖についとったやつ、って言ったら思い出す?」
 ホイミンがからかうような口調で言った。だがその一言で、思い当たるものが出てきた。
「そうか。それもムーナの……」
 『風雨凛翔』として活動を開始したてのころだ。武器仙人にエルデルス山脈に呼ばれ、そこで『龍具』の複製を託された。その際、魔物殺(モンスターバスター)であるイサとムーナは武具をその場で交換したのだった。その後の、元々装備していた魔道師の杖の行方は知らなかったが、こうしてホイミンがその欠片を持っている。
「持ち主が同じやったけん、それが惹かれ合ったっちゃろ」
 その後は、ホイミンが知っている魔力を感知して辿ってきたらしい。
 そして辿り着いた先に、ラグドが幽閉されていたということだ。
「二人は、魔界の構造をどこまで?」
「それを聞いてきたということは、恐らく同じ程度の知識だろうな」
 魔界に来て初めて知った、この世界の成り立ち。 古代の三界分戦で、ルビスフィアの一部分が切り離され、そこが魔界となった。分離・増殖を繰り返し、複数の空間世界が在るようになった魔界に、今は結合という新たな要素が加わっている。
 話を聞くと、カエンの言うとおり二人の知識はラグドが持っているものと変わりはなかった。どうやら、魔界の成り立ちはネクロゼイムの資料で知り得たらしい。
 ラグドは復活の宝珠を探していること、英雄ロトルと邂逅したこと、そこでイサと別々になってしまったこと、そして今に至るまでを話した。
 その過程でエンとルイナの名が出てきた時に、カエンはほんの少しだけ眉を動かしたが、気のせいかと思うくらいに小さな動作で、それ以降は何も無かったかのように聞いていたので見間違えかと思った。
「……お互いの情報交換はこれくらいでいいだろう。今から、何をすべきかだ」
 カエンが腕を組んで壁によりかかる。ずいぶんと寛いでいるようだが、ラグドとしてはなるべく早急にここから抜け出したい思いがある。牢から抜け出したことが知られれば、面倒なことになりかねない。
 それに、ルイナから真意を聞かなければならないだろう。
「ルイナと秘密裏に話す場があればいいのだが……」
「ま、ここにおっても埒があかんってことやね」
 肩を竦め、ホイミンがからからと笑う。確かにこの場に留まるのは無意味だ。
 カエンを先頭に、三人は牢屋から脱出するべく出口へと歩き出す。
 牢屋である割に、見張りなどは居なかった。ただし、その辺りに転がっている貨幣がルビスフィアの物であったため、既に魔物殺であるどちらかに斃されたのだと推測する。
「……カエン殿」
 あっさりと牢屋を抜け出し、別の通路へ続くだろう階段を進む中で、ラグドは言うべきかどうかを迷いながら口を開いた。
「……」
 呼びかけに対する返答は無言。しかし背中越しに、聞いているからさっさと話せという雰囲気が伝わってきた。
「カエン殿、あなたの――」
 息子に会った。それを言いかけて、言葉に詰まる。
 魔書で知った、エンとカエンの関係。ただの同名で、他人の空似という可能性がないわけではないが、彼の故郷であるヒアイ村でもカエンのことを聞いていたのだ。そこから導かれる結論は、確かなものである。
 しかし今、それを言う事は憚られた。
 カエンが、こちらを振り向き笑っていたのだ。
 その笑みは、決して喜ばしいものではない。
 涼しげな笑みだが、はっきりと哀しさが伝わってくる。
 それ以上、言わないでくれ。口に出されたわけではないが、確かにカエンはそう言っているようだった。
「カエン……殿?」
 その意図がわからず、ラグドは訊くような口調でカエンの名を呼んだ。
「知れば欲してしまうこともある。何を犠牲にしてでも、だ」
 そう言って、カエンは再び視線を前に戻す。
「……申し訳ない」
 言い言葉が見つからず、ラグドはそれだけを言った。
 既にホイミンと何かしらのやりとりがあったのだろう。カエンは恐らく、エンとルイナがどのような存在かを知っている。しかしその関係を知らなければ、今はまだ他人だ。そう思うことで、自分の感情を抑制しているのだ。
 親が子に会いたいという感情は当たり前の事だろうが、それでもカエンは否定している。
「全くも〜。ラグドさんってばデリカシーがないよね♪」
 何故か楽しそうに言うホイミン。その唐突な言葉に、苦い顔をしながらラグドは横を見た。
「お前……いつの間に」
 横にいるのは、気が付けば人の姿をした彼ではなく、いつものホイミンに戻っていた。
 言うこと成すことが緊張感のないものばかりで、だがそのおかげで妙に重たくなってしまった空気がいくらか和らいだ。もしかしたら、ホイミンなりに緊張をほぐそうとしているのかもしれない。

 やがて、暗い階段は終わりを告げ、新たな光が見え始めていた。


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