-28章-
闘王、対決



 砂船を走らせるフィンの様子は、どうにもおかしかった。
 最初に出会った時かのように彼は楽天的で、まるで闘技場での一件がなかったかのようだ。つい先ほど、同じ空気を吸っているのも嫌がるかのように走り出した男と同一人物であるのか、甚だ疑問にさえ思ってしまう。
 その事について訊ねてみても、
「気にしてねぇよ。ちょっと驚いただけだ」
 と気楽に返されてしまった。記憶がなくなっているというわけでもないので、余計に不気味である。これでもし、闘技場での記憶がなくなっていた、ということならまだ納得できるというのに。
 ラグドが、ルイナが変な薬でも盛ったのだろうか、と思ってしまったのも無理はない。
「今は何処へ向かっているのだ?」
 もともとデュランの闘技場へは、補給地点であったはずで、偶然入り込んだだけだ。水と食料の補給は、闘技場から分け前を貰っているらしく十二分に積み込まれている。他の補給地点を目指しているというわけではないはずだ。
「お前ら、地神の宝珠(イエロー・オーブ)を探していたんだろ? 実際に見たことないけどさ、祀ってあったって場所なら知ってるから、そこに案内しようかなって」
「それはありがたいが……」
 これまたおかしい。イエロー・オーブの話題になったとき、フィンは険しい顔つきでどこかそれを拒絶しているかのようだったのに、今度はそれがない。
 フィンの妙な態度が不可解で、ラグドは嘆息しながらルイナを振り返った。彼女は壁に瀬を預けて目を瞑っている。瞑想でもしているのか、それとも軽く眠っているのか。それは判別できないものの、イサと比べると物静か過ぎる。
 今まで、常にイサと一緒であったからだろうか。ルイナがそこにいるのかどうかが目視しないと確認できない時がある。存在感がないわけではないが、静か過ぎるのだ。もしぱっと消えられでもしたら、すぐには気付けないかもしれない。
 そんなルイナの姿を見て、ラグドはもう一度だけ嘆息したのだった。
「見えてきたぞ」
 フィンの言葉で、再び前を見やる。
 ルイナも聞こえていたのだろう、ゆっくりと目を開けて、首だけを前の方向に変えた。
 前方に見えるのは、岩が三角形状に積み上げられた――ピラミッドである。
「あそこにイエロー・オーブがあったのか?」
「いや……あれはただの目印さ」
 言いながら、フィンは辺りをきょろきょろと見回した。何かを探しているようだが、目的のものが見つからず、その表情は複雑なものになる。
「おっかしいなぁ。この辺なんだけど」
 砂船の速度を落とし、フィンは注意深く目を細めながら遠くを見やる。何度か目印のピラミッドとの距離感を計るが、首を捻ってはまた辺りを見回す。
「……ルイナ。水神の宝珠(ブルー・オーブ)は何か反応していないか?」
 宝珠と宝珠は惹かれあうらしいことは、わかっている。それは空間世界を移動する際に反応するものだが、今でも何かしらの反応があるかもしれない。そんな期待を抱いての質問だったが、彼女は首を横に振った。
「あのピラミッドには、何も無いのか?」
 この辺りで存在している建物は見えているピラミッドのみだ。残りは砂ばかりで、それでもピラミッドに手掛かりが眠っているかもしれない。
「何も無い……と思う。オレも噂で聞いただけだったし」
「ならば向かおう。このまま砂漠を走っているだけでは、埒が明かん」
 噂というのはどうにもあてにならないものである。本当はピラミッド内にあったという可能性を否定できない以上、調べる価値はあるはずだ。
「それもそうだな」
 フィンは再び、砂船の速度をあげた。
 ぐんぐんとピラミッドとの距離が近まり、思った以上にそれが巨大であったことに気付かされる。大きな城がまるまる入るかもしれないというほどのそれは、この砂漠に相応しい風格を持っているではないか。
 これほどまでに大きなピラミッドならば、何か財宝が隠されていそうで、もしかしたら本当はここにイエロー・オーブが安置されていたのかもしれない。
 淡い期待を持ちながら、三人は内部へと進んでいった。

 誰かが暮らしている闘技場と違って、当たり前だが内部は明かりが灯っておらず、松明の光を頼りにする探索となった。外部から差し込む光は一片もなく、松明が無くなれば暗闇に取り残されてしまうだろう。
「……仕掛け迷宮(トラップ・ダンジョン)になっているのだな」
 しばらく歩く中、何度目になるかわからないトラップを潜り抜け、ラグドは警戒するように言った。
 魔物こそいないのだが、敵は生物でなく、無機物だ。恐らくピラミッドに侵入した賊を撃退するものなのだろうが、さすがに罠つきの迷宮に慣れているラグドとルイナは、猛威の餌食にならずに済んでいる。
「内部構造が複雑な上に、めんどうな罠ばっかりだな」
 同意するフィンが、ややげんなりとしているのも無理はない。砂漠を横断するような冒険に慣れていても、細かな迷宮に入り込むのは初めてらしいのだ。二人がいなければ、途中で命を落していたかもしれない。
「ルイナは大丈夫?」
 女性であるルイナに気をかけてのことだったが、彼女も難なく罠を回避している。本当に気をかけなければならないのはフィン自身なのだが、彼なりのプライドもあるのだろう。
「……音が」
 フィンの質問に対する答えではなく、ルイナはぽつりと呟いた。
「音……? ああ、確かに」
 ルイナの言わんとしている事にラグドが気付き、前方に目を凝らしてみる。細長い通路の終わりが見え始めており、恐らく大広間に出るのだろう。そこに近付く度に音が反響しているのだ。
 そしてその予想は正しく、三人はピラミッドの中央部に当たる大広間に辿り着いたのだった。

「暗くてよくわかんねぇけど……広いんだなぁ」
 フィンの最初の感想である。広さは確かに感じるのだが、視覚的にそれを把握するのは難しい。ただ、明かりが届かない所まで壁や天井が無いため広く感じるのだ。
「もしかしたら、ここに何か在るかもしれないな」
 調査をしようにも、こうした場所にも罠が張られているかもしれないため慎重にならざるを得ない。特に、大きな場所であれば仕掛けも大掛かりになる可能性もあるので、下手に動けばどうしようもない事態になることもある。
「お宝とかもあるのかな?」
 嬉しそうに言いつつ、フィンは自分の分の松明を片手にさっさと歩き始めてしまった。
「待て、もう少し慎重に……」
「そんな必要ねーよ」
 ラグドが最後まで言い切る前に、フィンがそれを遮る。自信満々に言った彼は、振り返りもせず、その歩みを止めない。
「フィン……?」
 何か様子がおかしい。フィンの様子がおかしかったのはデュランの闘技場を出た時からだが、今は一段とそれが際立っている。彼の足取りは、まるでここの何度も訪れて構造を理解しているかのようだ。
「く、ははは」
 唐突に、彼は何も持っていない片手で目元を押さえて笑い始めた。その笑声は、堪えに堪えて、ついに耐え切れずに笑いを洩らしてしまったようなものだ。
「何がおかしい」
 ラグドは警戒して、地龍の大槍を召還した。隣ではルイナも水龍の鞭を召還して身構えている。二人とも、既にわかっているのだ。フィンが、最初に出会った時の彼ではなくなっていることに。
「さあ、なんでだろうな」
 ゆっくりとフィンが顔だけをこちらに向ける。目元を押さえている手のひらの合間から見える瞳――そこに不気味な赤い光が宿っているではないか。
 にやり、とフィンは口を歪ませたかと思うと、おもむろに懐から小さな笛を取り出した。暗さと遠さで解かりづらいが、その装飾は美麗とは言い難いものである。
 思い切り、フィンがそれを吹く。
 音は出なかった。だが、ラグドとルイナの二人は確かに感じ取る。音なき音が、この場を支配したということを。
「!」
 フィンの周囲に、赤い光が一斉に浮かび上がる。二対の等間隔に宿る光の数は、見ただけでは数え切れないほどだ。

「ご苦労であった=v

 低く、重い声。
 それには聞き覚えがある。つい数刻前に警戒しながら聞いた声だ。早々に忘れられるはずがない。
「デュラン……!」
 屈強の肉体を持つ、人型の魔物。相対しただけで、その実力は計り知れないほどの重圧感を与えている。
「何故ここに、という質問なら答えは簡単だ。このフィンという若者に教えてもらったのだよ。先ほどの魔笛でな=v
 言いながら、デュランはフィンの傍らに佇んだ。そのフィンは、まるで尊敬している相手が傍に居るかのように歓喜の笑みを浮かべている。
「どうやってここに来たか、ではなく、ここに来た理由を聞きたかったのだがな」
「それも至極簡単なことだ=v
 デュランは外套をばさりと払い、不敵に笑う。
「我等が戦力と成り得る者を、外に出すわけにはいかぬ=v
「……他に奪われるくらいなら始末する、ということか」
「よく分かっているではないか=v
 やはりな、とラグドは内心でため息をつく。闘技場で無理やり戦力を見つけている割に、改めて共に戦うか否かが自由に選択できるということには何かあると思っていた。恐らく、デュランの話に乗らず旅を再開した者の末路は、全て決まっていたのだろう。
「それでは、戦友となれなかった者たちへ別れを告げよう=v
 ぱちん、とデュランが指を鳴らした途端、周囲の赤い光が動き出した。
 その赤い光は、種類雑多な魔物の瞳に宿る邪悪な光だ。一度揺らめいたかと思うと、一斉に勢いをつけて近づいて来る。
 闘技場で戦わせているような力を図る魔物ではなく、直属の精鋭たる魔物たちを引き連れてきている。デュランの憶測では、この魔物の群に善戦はしたとしても二人の人間は無残に殺されてしまうはずであった。
 この二人が、ただの旅慣れた者であれば、その憶測は現実になっていただろう。
「……部下への別れは、済んだのか?」
 至って冷静なラグドの声が、ピラミッド内部に響く。彼は息一つ切らしておらず、呻き声を上げているのは彼の足元に転がる魔物たちである。
「ほう……=v
 ラグドの地龍の大槍の餌食になった魔物たちは、デュランが直々に認めているほどの力を持つ魔物たちだったはずだ。それを難なく斃し、疲れも見せていない。
 しかも、人間二人に、ということでなく、斃したのは全てラグド一人だ。
 ルイナも水龍の鞭を召還して身構えていたが、彼女が戦闘に参加する間もなく魔物の殲滅は終わってしまっていた。それというのも、ラグドが一人突出してルイナを守るように戦ったからであり、ならばと援護に回ろうとしたルイナの出番がなかったのは、それをする必要がなかった為だ。
「なるほど。報告以上であったか=v
 デュランが知っているのは、あくまで闘技場で生き残ったという事実程度だ。はっきりとした実力は、今この場で初めて見ることとなる。そして目測ではあるが、デュランはラグドの強さを把握した。
「私が直々に相手をしよう=v
 デュランの手元が闇に覆われたかと思うと、そこから身長と同じくらいの長さを持つ奇妙な形をした大剣が引き抜かれた。銀の刃が、暗闇に一瞬だけ煌く。
「私が闘うのは久々だが……闘いは常に良いものだ。私の闘争心が、この身体の血を沸かし、肉を躍らせる!=v
 数歩、デュランは歩いただけだ。それだというのに……。
「(なんだ、これは)」
 デュランから発せられる闘気が、びりびりと肌を震わせる。まるで噂に聞く魔王と対峙したかのような錯覚にさえ陥った。かつて旅の扉で英雄ロトルと戦った時とはまた違う、魔物独特の瘴気。それを直に当てられて、ラグドはそれだけで眩暈を起しそうになる。
「ルイナ、下がっていろ!」
 だからと言って、ただ呆然と立っているだけでは意味が無い。前線に立とうとしたルイナを留めさせ、ラグドは地龍の大槍を握る手に力を込めた。
「ぬぅぅん=v
 まだ距離があったが、それは人並みはずれた跳躍で解消した。一跳びで一気に詰め寄り、大きく剣で薙ぐ。
 それを数歩下がることで躱し、大薙ぎの後にできる隙を狙ってラグドは行動に移した。
「『岩塵衝』!」
 地龍の大槍をデュランの足元に突き立て、その衝撃で地面が爆発。いくらデュランといえども、まともな足場がなければ戦えまい。
「『岩砕槍』!」
 目にも留まらぬ五連突き。足元が狂った隙を逃すわけにはいかない。その五回に渡る高速突きは、確かな手応えがあった。だが――。
「なに?!」
 五回目の突き。それで更に揺らいだ相手に強力な一撃を叩き込む岩閃発破を放とうとしたが、それを遮られた。デュランは、片手で地龍の大槍を握りしめていたのだ。高速で突き出した槍を受け止め、それを返さないようにするとは、いったいどれだけの握力が必要だというのだろう。
 それでも、デュランは止めて見せている。
「……!」
 このまま制止したままでは危険だ。そう咄嗟に判断して、地龍の大槍を一度精神に戻す。さすがにそこまでは掴んだままではいられないため、デュランの片手は宙を掴んだ。
 しかしその瞬間こそ、デュランが狙っていたものなのだろう。気付けば崩れた足場も落ち着いており、持っていた剣は大上段に構えられていた。
その刃が振り下ろされる。今から武具を召還していては間に合わないだろう。ラグドは横に転がるようにそれを避けた。ついその数瞬間前に立っていた場所を、デュランの大剣が粉砕する。
「(強い……!)」
 仕掛けられた魔物たちと比べると、その差は絶大なるものだ。戦力など増やさなくとも、デュランの腕一本で世界を牛耳ることもできるのではないだろうか。
「(だが俺も負けるわけには行かない)」
 エンの代わりに、ルイナを守る。恐らくエンはイサと同じ場所におり、自分の使命の代わりを果たしているだろう。だから、逆にエンが守るべき相手を今は自分が守らなければならないのだ。
「おおおぉぉお!」
 再度、地龍の大槍を召還。そのまま頭上で槍を旋廻させて、重い一撃を放つ。
「『岩閃発破』ぁ!」
「むん!=v
 地龍の大槍がデュランの胸元に届くより先に、下段から鉈を切り上げられた。その合間も一瞬で、回避のことを考えていなかったラグドは、身体を捻りながらも突きをやめなかった。
「く!」
「ム?!=v
 ラグドの鎧に亀裂が走り、デュランの右胸に地龍の大槍が突き立つ。
 鎧によりダメージこそ軽減されたが、ラグドも肉体が切り裂かれていた。死に至るほどではないにしろ、放っておいて良いようなものではない。
 手応えや突き刺した地龍の大槍の深さから、相手にも同じことが言えるはずなのだが、デュランは勝利を確信した笑みを浮かべた。
 その笑みにより見える歯の奥から、ちろちろと今までに無い光が漏れる。ラグドは、その光に思い当たるものがあった。
「まさか!」
「カァァァァァ!=v
 ごぅっ、とデュランの口から灼熱の炎が吐き出される。盾に武具変換する間などなく、その直撃をラグドは身に受けた。
 幸い、身につけていた鎧は熱や冷気を軽減する魔力が備わっているため、一瞬にして燃え尽きるということはなかったが、それでも痛手には変わりない。転がりながら炎を消し、しかしすぐに立ち上がれなかった。
「ふぅむ=v
 その様子を見たデュランが、おもむろに手を挙げる。
 ふ、ふ、と次々に暗闇に赤い二点の光が宿った。先ほど斃した魔物たちとは、また別の魔物たちだ。今なら数で押し切れると判断したのだろうが、それは正しい。また一対一ならば、こちらの攻撃が当たればデュランとてダメージは受けるのだ。
 単純な人海戦術――この場合は魔物海戦術か――で攻められることこそ、今のラグドにとって最も不利なことである。
「行け=v
 デュランの言葉は、死刑の宣告と同等であった。
「っ!」
 魔物たちが殺到する。弱った獲物に飛びつくかのように。

 しかし次の瞬間、その脅威たる爪牙が、ラグドに至ることはなかった。

 刹那の出来事だった。魔物たちが、一斉に向かってきた方向とは逆に弾き飛ばされた。
 ラグドもデュランも、飛ばされた魔物たちでさえ、何が起きたかを瞬時に理解できていない。
 その誰も分かっていないことも刹那の内の一つであり、次はもう起きていた。
 キン、と甲高い音がしたかと思うと、弾き飛ばされた魔物たちが瞬時に氷の中に閉じ込められたのだ。その効果範囲から外れていたラグドとデュラン……そして後方で見ていたフィンは目を瞠るばかりで、魔物たちは自分たちの身に何が起きたのかさえ理解していないだろう。
 それとほぼ同時に、ラグドの火傷が癒えていた。そのことすら、気付けないほどラグドも動転しており、出現した氷のせいか、辺りに冷気が漂い肌寒く感じる。
 そしてようやく、全員の視線が一点に集中していく。
 そこには、水龍の鞭を片手にしたルイナの姿。
 周囲の冷気と相まって、その表情は冷たいように見えるのは気のせいだろうか。
「(いや、違う……)」
 気のせいではない。決してそれは気のせいなんかではないのだ。
 いつも無表情とはいえ、それは眠たげにしているような無表情であり、しかし今は冷たいと付け加えてなければならないほどだ。無表情の中に明らかな冷たさが在る。
「(ルイナ、まさかお前……?)」
 ふと、ラグドの脳裏に考えが浮かぶ。表情からは読み取れないし、雰囲気で察するのはエンの専売特許だ。だが今なら、ラグドにもその雰囲気で感じ取ることができた。
 予想よりも確信がラグドの中で生まれる。そしてその答えは真実である。

 ルイナは、怒っていた。

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