-27章-
闘王、交渉



 騒然とした闘技場は、随分と盛り上がったものだ。
 三人は連戦し、また連勝もした。サソリアーマーだけかと思われていたが、次々に魔物が押し寄せ、次第にその強さも変わっていく。サソリアーマー以上の強さを持つ魔物たちとの戦いは激しかったはずだが、フィンは正直よく覚えていなかった。
 自身も戦闘に参加し、危機にも何度となく立ったが、それよりもラグドとルイナの戦いぶりのほうが印象的であった。出会った時は、砂漠を何も知らない素人冒険者かと思っていたが、魔物との戦いはフィンこそ素人だと気付かされたのだ。

「ようこそ、我等が戦友よ」

 恭しい礼をしながら迎えたのは、人間である。あの闘技場で勝ち続けた三人は、とある部屋へと案内された。
 あの無骨な闘技場と同じ建物にあるとは思えないほど、そこ部屋は装飾品で彩られている。清潔感溢れる赤い絨毯や、銀色の光沢を放つ彫像。どこかの貴族の館にでも入り込んだような錯覚に陥ってしまいそうだ。
「貴公らは戦い抜き、我が主の戦友になる資格が与えられた」
 三人を迎えた人間――短い白髪に、顎を覆う白髭。刻まれたしわの深さや数で、ラグドたち三人の年齢を足しても尚足りないであろう年月を生きていたことが窺い知れる。老兵ではあるものの、未だに現役として戦線に立っていてもおかしくないほどの活気を感じるため、実年齢よりも若く見えるのは気のせいではない。
 その老将は部屋の、更に奥へ続くであろう扉の前で、その扉を守るかのようにして立っていた。
「悪いが、我々は旅の道中に偶然通りかかり、この闘技場に迷い込んだだけの旅人だ。はっきり言って、状況がわかっていない。説明を願いたいのだが……」
 ラグドが代表して申し立てるが、老将は表情を一片と足りとも変えず、ゆっくりと頷いた。
「例え迷い人であれども、貴公らの強さは実証された。我等が戦友に相応しい強さだ」
 説明になっていない。詳しい事を具体的に訊こうとしたラグドだったが、それよりも早く老兵が口を開いた。
「まずは、主に会っていただこう。詳しいことは、その場で解決させてもらう」
 何が何でも主とやらに三人を合わせたいらしい。ラグドはちらりと二人を見やったが、ルイナはいつも通り無表情で、フィンはどうでも良さそうな顔をしている。ルイナがどうかは解からないが、どうやら深く考えすぎているのはラグドだけだったらしい。
 老将が、一礼し、部屋の隅に避けると、数秒遅れて扉が勝手に開いた。
「……次は誰が出てくるんだ」
 分からないことだらけで苛立っているのか、フィンが面倒そうに呟く。
 開かれた扉の通路が続いているようだが、暗闇で判別することができない。壁に篝火がかけられているようだが、せいぜい通る者の足元を照らす程度だ。
 こつ、こつ、こつ、とやがて小さな足音が近付いてきた。
 その音は次第に大きくなり、奥の人物がこちらに向かってきているということが嫌でもわかる。ただし、ラグドはその表情を強張らせた。フィンは気付いていないのだろうが、ルイナも同様に、表情こそ変えていないものの警戒している。
「ようこそ、我が友よ=v
 最初に老将が迎えてくれた言葉と似たようなことを言いながら、『それ』は姿を現した。

 ラグドを越す長身。引き締まった赤銅色の肉体に直接、闇色の鎧を着込み、黒い外套が邪悪な印象と共に、威圧感が溢れさせている。頭部を覆う漆黒の兜から伸びる二本の角は飾りなのかそれとも下に角が生えているのかが疑ってしまうほどだ。
「私の名はデュラン。この闘技場の主だ=v
 デュランと名乗った者は不敵な笑みを浮かべた。人に近い姿をしているものの、そこから発せられる瘴気はそれを否定している。
「魔物、か」
 これで違ったら無礼極まりないが、ラグドは確信していた。人語を話す魔物は幾度と見てきていたが、それらと同じ気配がするのだ。間違えるはずが無い。
「その魔物の中でも秀でた種族であると、私は自負しているつもりだがな=v
「……聞きたい事は山ほどあるのだが」
「構わぬよ。答えられる事は答えよう=v
 言いながらデュランは腕を組んだ。身長の差で視線が違うため、デュランがラグドたちを見下ろす形になっている。余裕ぶっているようにも見えるが、これでいて隙というものがない。
 もし、いきなり襲い掛かろうとしても、一瞬にして返り討ちにあうだろう。
「先ほどそこの者にも言ったが、我々は旅の途中に迷い込んだだけだ。見慣れない建物の調査に入り、いきなり魔物との戦いを強要され、仕方なく戦った。自分の意思でここに来たわけではない」
 そもそも今でも状況がまるでわかっていない。いきなり戦友と呼ばれても困るのだ。
 それを聞いたデュランは、なんだそんなことかと言いたげに薄く笑った。
「そうか。ふぅむ……よし。では、私がこの闘技場で行っていることから話させてもらおう=v
 軽く考え込んだかと思えば、すぐに顔をあげてデュランは語り始めた。
 この世界について。そして、世界のこれからについてを――。


 デュランと出会った部屋は闘技場の中でも上層部に位置するのだろう。現在、ラグドたちがいるのは中層部に当たる部分で、そこかしこからの雑言で賑わっていた。それというのも、ここが食堂の役割を担っているからだ。
「納得できねぇ」
 目の前に置かれたスープに手をつけようとせず、フィンはその不機嫌さを隠さずに言った。
「……何がだ?」
 ラグドが鳥の腿肉を手に取りながら聞き返す。フィンと同様に手をつけず、ラグドは料理を警戒していたのだが、隣のルイナが何の躊躇いもなしに食事を始めたため安全だと思ったのだ。
「何もかもだ」
 拗ねるようにフィンは答えを返した。それもそうだろう。ラグドやルイナはこの世界の仕組みについて大体のことは知っているが、フィンは何も知らないのだ。言うなれば、エンやルイナがルビスフィアに来る前に、いきなり魔界の仕組みについて知らされるようなものだ。
 デュランの話は、ラグドとルイナが予想していたことを確定付けるものであった。
 ここが魔界の多岐に渡る空間世界の一つであるということ。その世界が、元に戻ろうとしていること。それぞれの世界には、『主』というべき魔族がおり、結合した世界の主導権を得るために争っているということ。その争いは、来るべき時――魔界の総統合に備えて、魔界を支配するための戦いを行っているということ。
 デュランはその戦いに備えて戦力を欲し、闘技場を設置して強者を集めているということだ。その施設に迷い込んでしまった、というのがラグドたちの現状であった。
「ここが魔界だって? そんなこと、あるもんか!」
 フィンが言うには、彼が砂漠を旅する前は魔物など見たことが無かったらしい。ヒアイ村と同じく魔物の生息率が異常に低かったのだろう。フィンが信じられないのも頷ける。
 しかし、他の空間世界と結合したことで、魔物が急増した。
 魔物が出現した事実は、フィンとて受け入れている。そうでなければ、砂漠の魔物に脅え惑うだけだ。
 信じたくない。そうであってほしくない。そんな願いがフィンの胸中に渦巻いている。
「お前達は信じるって言うのか?! あんな変な話」
 独白するだけだったフィンが、ラグドとルイナに話題を振る。
 それに対してラグドは自分たちのことを言うべきかどうかを逡巡して、ちらりとルイナを見やる。彼女は表情一つ変えずお茶をすすっていた。決断はラグドに任せるらしい。
「……フィンよ。黙っていて悪かったが、我々はこことは違う世界――デュランの言っていた別の空間世界からやってきたのだ」
 ふて腐れていたフィンの顔が強張る。それもそうだろう、いきなり知らなかった世界の仕組みについて知らされ、それに追い討ちをかけることを申告されたのだから。
「それでも魔界の現状を把握しているわけではないのだが……」
 フィンの話を聞いたときに、もしやと思っていたことが確定付けられたことは確かだ。
 魔界が一つになろうとしている事実。そうなってしまっては、分散されていた魔界の総力が集結してしまう。それは何としてでも阻止しなければならず、世界結合の原因が魔王ジャルートなら早々に斃さなければならない。
「……!」
 ガタリ、とフィンが勢い良く立ち上がり、椅子が倒れそうになる。自分の考えに入り込んでしまっていたラグドは、目を瞬かせながらフィンを見た。彼の表情は、哀れなほど歪んでいる。
「ふざけんな……」
 弱々しく、フィンは呟いた。彼は、既に目の前の二人を人間として見ていない。
「フィン!」
 ラグドが制止するように彼の名を叫ぶが、呼ばれた本人は踵を返して脱兎の如く走り出した。
 すぐさま彼の姿は見えなくなり、三人いたテーブルはラグドとルイナを残して、周りの雑言が音として割り込む。だが隣のテーブルの雑言さえ遠くに聞こえ、まるでラグドたちのテーブルのみが空間から孤立したようになった。
「……それでは、行きま、しょう」
 お茶を飲み終えたルイナが、まるでフィンが最初からいなかったかのように言う。
 それとも、今の状況になるであろうことが解かりきっていたのかもしれない。
「何処へ?」
宝珠(オーブ)探し、にです」
 ルイナが立ち上がると、彼女の青い髪が少し揺れた。
「デュランとの話はどうする? 魔界が結合していく中、その世界の『主』の所にいれば情報が入ると思うのだが」
 ラグドたちが求められているのは、他の空間世界の主と戦う時に戦力となることだ。このままデュランと結託し、形式はデュランの下で戦うことになっても、いずれ結合していく世界の情報をいち早く知ることが出来る。
 エンとイサに合流できるかもしれないし、ラーミアがおらずとも魔王ジャルートと対決できるかもしれない。それなりのメリットはあるはずだ。
「……気になる事も、あるので」
 それだけを言って、ルイナは黙り込んだ。その様子を見て、ラグドは諦めたように首を振る。
「ならば俺も同行しよう。ルイナ一人に、任せるわけにもいかんからな」
 苦笑を浮かべ、ラグドも立ち上がる。イサほどではないが、やはりこの男が立ち上がると相手がこぢんまりとして見えるから不思議だ。
 デュランは、強者には寛大で、闘技場を生き延びた者は自由にしているらしい。
 そのまま闘技場に残ってデュランの下につく者もいれば、話に乗らず旅を再開する者もいる。
 出て行っても文句は言われないだろうと、二人は闘技場の出口を目指した。


 何年も掃除されていないのか、埃臭さが鼻をつく。
 そんな通路を、二人は歩いていた。闘技場の出口に繋がる場所で、最も近かった道がここだったのだが、整備もされていないために歩くのはやや鬱屈だ。
「……あれが、普通の反応なので、しょうね」
 特に会話もなく歩いていたラグドとルイナだが、唐突に彼女が口を開いた。
 ルイナが自ら話しかけてくることが珍しく、つい気後れしてしまったため、何のことを言っているのかすぐに理解できなかった。
「フィンのことか?」
 ゆっくりとルイナは頷く。
 ルイナ、そしてエンの二人は、今まで魔界と知らずに魔界に住んでいた。分類は魔界とはいえ、ルビスフィアに近く、されど魔物が平然と生き残っているルビスフィアと違い、魔物はスライム程度に、魔法も御伽噺となってしまっているほどの世界だ。ある意味では廃れてしまっているものの、別の意味で発展したのではないのだろうか。
 そんな世界に、ずっと住んでいた二人。唐突にルビスフィアに飛ばされ、身をもって知らなければ、ただ言われただけで納得などできるはずがない。それこそ、フィンと同じような反応を示すほどだ。
「最初は、私も驚くばかり、でした」
「そうか」
 無表情な彼女がいうと説得力が無いうえ、魔書で知る限り早々に馴染んでいたように思えたのだが、それでもラグドは認めた。表情が無いだけで、感情はしっかりと持っているのだから。
「しかし、ルイナからそんなことを話すなど珍しいな」
「……そうで、しょうか」
「ああ」
 ルイナ自身、気付いていなかったのだろうか。旅をする中で、自分自身が変わってしまっていたことに。
「だがな、人は善し悪しに関わらず必ず変わるものだ。俺は、良い変化だと思うぞ」
 変わらない者などいない。人は生きている限り、何かしらの選択をしなければならず、その選択で大なり小なり変わってしまう。もちろん変わらないこともあるが、全てがそのままであるということは決してないのだ。
「……」
 そんなラグドの言葉を最後に、また二人の間には沈黙が発生した。
 元より自ら語ることの少ないラグドに、会話に消極的なルイナの二人だ。こうなるのは必然的に思えるが、だからと言って重苦しい雰囲気ではない。
 それはきっと、今の会話があったことはもちろんのこと、根本的な何かが似通っているからなのかもしれない。
 そんな考えがラグドには浮かび、ただただ苦笑するのだった。

「そういえば、移動手段はどうする?」
 通路に掲げられた篝火とは違う、出口から差し込む太陽の光が見え始めた頃、ラグドが訊ねた。
 フィンはもう、砂船には乗せてくれないだろう。まるで魔物を見るかのような目で二人を見ていたのだ。話しかけるだけで拒絶してしまうかもしれない。
「……」
 ルイナがラグドの問いに返答することはなかった。それは決して、何も考えていなかったとか、思いつかないとかではなく、目の前に広がる光景を目の当たりにしたからだ。だからラグドも返答が貰えなかったことをどう思うわけでもなし、彼もその光景を目にして驚いた。
 闘技場の出口。灼熱の太陽光が燦々と降り注ぐ砂漠に、彼はいた。
「よぉ、遅かったな!」
 砂船の準備を済ませたフィンが、二人を迎え入れたのだ。


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