-26章-
闘場、開戦



 ラグドとルイナの二人だけの時は、渇きはどうにかなっていた。水が欲しい時は水龍の鞭から飲み水を出せばいいのだが、飢えはどうしようもない。食料を少しだけ携帯していたが、それに頼る前にフィンと出会った。
 フィンの砂船には幾つかの食料が詰まれており、それを食しても問題はないという。ルイナには幾らでも食べてくれと勧めていたが、ラグドに対しては、言うまでも無いだろう。食うなとまでは言わなかったが、それでもかなり制限されている。
 とはいえ、ラグドにとっても問題がない程度の量を提示されたので、ありがたく頂いておく事にする。
「ま、いいんだけどな。もうすぐ補給地点だし」
 砂船に積まれている食料は、砂漠の所々に存在しているオアシスに実っているとのことだ。赤い果実のようだが、水分を豊富に含んでおり、尚且つ砂漠の長旅にも耐えるらしい。
 トマトかとも思ったが違うらしく、どうやらこの世界独特のもののようだ。
「いや、その前に一仕事かな」
 舵を握っていたフィンが、目を細めながら腰元を確認した。そこには、至って普通の剣が納められている。
 どういうことか、などと聞く必要はない。ラグドとルイナも、とうに気付いていた。
「囲まれているな」
「ああ」
 砂船は走り続けているが、気配の位置は変わらないどころか近付いてきている。向こうも走っているのだろうが、砂船より速いのだろう。
 すぐに肉眼でも確認できる位置に相手は近付いてきたが、それでも解かり辛い。それというのも、砂と同色なのだ。保護色なのだろうが、もし気配を消されていたら全く気付かない内に接近を許してしまっていただろう。
「魔物……死のサソリか」
 ただのサソリならばまだよかったが、船の周囲を走っているのは比べ物にならないほど巨大なサソリである。虎視眈々とこちらを狙っているのがよくわかる。
「さっさと追っ払うか。一旦船を止めるけど、あんたらはここにいろ」
 フィンは腰から剣を抜き、その刀身を煌かせた。
「我々も協力しよう」
「武器を持ってないだろ。鎧だけじゃ死のサソリは相手にできねぇーだろ」
 ああそうか。魔界には武具召還の技術は存在していないのだ。この技術がいつの時代からあるのかは知らないが、もし三界分戦以降なら伝わっていないだろうし、三界分戦の頃からあっても、それが現代まで存続されていないかもしれない。事実、フィンは何も知らないようだ。
「武器ならある。ここにな」
 少し気障っぽいか、と思いながらもラグドは手を己の胸に当てた。
 そして、武具召還を目の当たりにしてフィンが目を丸くしたのは、言うまでもないことである。

 数多い魔物、とはいえラグドたちの敵ではなかった。一介の魔物に遅れを取るほどの実力とは自分でも思っていないし、何よりルイナの援護が的確であった。彼女は水龍の鞭を操り、尽く死のサソリの行動を制限させていったのだ。あとは、ラグドが一撃で仕留めるだけ。
 フィンも予想以上に戦えることが解かり、ラグドほどではないが多くの死のサソリを屠っていた。彼の剣技は独特なもので、一度手合わせをしてみたいと思ったほどだ。
「あんたらすげーな」
 死のサソリの掃討が終わって、船を再び動かしながらフィンは言った。その言葉に偽りはなく、素直に賞賛を送ってくれている。
「旅の目的が目的だからな。ただの魔物にやられる訳にはいかん」
「そうかいそうかい」
 軽く流しているようにも聞こえるが、以前のような棘々しさはない。どうやら、ラグドも少しはフィンに認めてもらえたらしい。ルイナは既にその容姿で気に入られていたが、やっとラグドともまともな会話が臨めそうだ。
「お、見えてきたぞ」
 次の補給地点。砂漠のオアシスとのことで密かに楽しみにしていたのだ。
 どれどれ、とラグドとルイナが砂船の先頭から先を眺める。だが、すぐに違和感に気付いた。
 フィンも、自分の見たものが間違っていたことに気付き、次いで表情が固まる。
「どういうことだ」
 フィンとラグド、どちらが発した言葉なのかは互いにわかっていなかった。とりあえず、台詞からしてルイナではないことは確実である。
「フィンよ。俺には、城のようなものが見えるのだが」
「オレもだ。前に通った時は、オアシスだったんだけどな」
 砂船が向かう先。そこに、不自然なほど大きな城――要塞にも見える建物――が聳え立っていたのだ。
 このまま通過するわけにもいかないため、砂船はその城の前に止めた。
 黄土色の煉瓦で積み上げられているのだろうか、思ったよりも頑丈そうだ。入り口は空いているが、門兵などは見当たらない。勝手に入っていいものなのかと不審に思ったが、ただじっとしていては埒が明かない。
「入ってみるか……?」
「怪しいけどな」
 中は薄暗く、入り口からでは中の様子はまるで分からないようになっているのだ。調べるならば、中に入る他に術はない。
「……行き、ましょう」
「ルイナ?!」
 慎重すぎる二人に業を煮やしたのか、ルイナがさっさと中に入る。もし、この場にエンがいたら同じ行動を取っていただろう。それも着いた途端に何あるのか入ってみようと言い出すに違いない。
 ルイナはエンにただ従っているだけかと思っていたが、もしかしたら彼女自身がエンと同じ考えをしていたのではないだろうか。ただ、皆を引っ張っていけるほどの統率力に欠けていただけなのだ。
「ルイナを一人でいかせるわけにはいかねー」
 さっきまでの慎重さは何処へやら。フィンも何も恐れずに城へと入っていった。
 ルイナはエンと常に一緒にいたことで、彼に影響でも受けたのかもしれない。今の彼女なら、立派に他人を引き連れていける気がする。
「まあ、いいか」
 ラグドは一度だけ背後の砂漠を見渡して、すぐさまルイナとフィンの後を追った。


 奥に進むと、一際大きな扉があった。
 その両端に、全身をローブに包んでいる者が二人並んでいる。
「……よくぞ参られた」
 片方のローブを纏った者が、低くしゃがれた声を出した。恐らくは男の声なのだろうが、顔が全く見えず、判別しづらい。
「我が主は例え人間であろうと強き者であれば快く歓迎いたす。さあ、その力を思う存分に振るうが良い」
 言いながら、もう片方の者が扉を開けようとする。
「待て。我らはただの旅人だ。偶然通りかかっただけで、ここがどういうところか知らない」
 ぴたり、と二人の動きが止まる。すると、いきなり値踏みするようにじろじろとこちらを見始めた。
「「……中に入ればわかる」」
 二人は顔を見合わせたあと、同時に喋った。
「しかし……」
 ラグドが言いかけるが、二人はこれ以上の会話は無用とでも言いたげに、扉を開いた後はじっとして動かなくなってしまった。話しかけても、何の反応もない。まるで石にでもなったかのようだ。
「……戻るべきではないか?」
 ラグドはフィンに訊ねたが、あまり良い結果になるとは思っていない。彼がよほど慎重派であれば、ラグドに賛同してくれていただろう。だが、疑っているとはいえ好奇心旺盛の性格のようだ。中に何が在るのか、ラグドとて知りたくないわけではない。とはいえ、はっきり言って怪しいのだ。
「いや、行こう」
 フィンとて訝しんでいるはずだが、やはり好奇心が勝ったようである。
 ルイナも無言ながらも歩を進め、必然的にラグドもついていくことになる。
 扉の奥はまた通路で、所々に設置されている篝火が明かりの全てだ。
 通路は至る所に枯れ蔦が覆われており、それがこの建物の存在いている年月を物語っている。そうとう古いものなのだろうが、フィンが言うにはほんの数日前までここはオアシスだったらしい。そのほんの数日で、これほどまでの建物ができるのだろうか。
 通路の先、ようやく出口らしき場所から光が差し込んでいることがわかり、同時に何やらざわめきが聞こえてきた。そのざわめきは、どこかで似たようなものをラグドは聞いたことがあった。
 これは――そうだ、ベンガーナの時と似ている。

 ――オオォオォォォオオオオ!!

 聞こえていたざわめきは、騒然とした声に変わっていた。
「なんだ、これは」
 通路を抜けた先は、巨大な広間だった。円形の広間を、中心に見下ろす壁が周囲に立っている。その壁の向こうでは幾万という者たちが歓声を上げているではないか。さながら闘技場(コロッセウム)だ。
 高慢的なフィンといえども、その顔色はよくない。それというのも、この観客のような幾万の者たちは、ほとんどが魔物なのだ。中には人間も混じっているようだが、明らかに魔物の比率が高い。
「新たな挑戦者よ。栄えある試練に望めることを光栄に思い、勝利したならば我等が主にお仕えできることを至福の喜びとするがいい!!=v
 どこからともなく、低い声が響く。その声が流れると、周囲の魔物たちは一層賑わった。
「やはり戻るべきだったな」
 厄介な事に巻き込まれた。直感でラグドはそう悟った。フィンも同じだろう。こんなに多くの魔物に囲まれたのは初めてなのか、全身に嫌な汗をかいている。
「だが弱き者は要らぬ。貴様達が弱者であれば、死を持って償え!=v
 わぁ、と周囲が湧きあがる。どちらかというと、周囲の者たちは後者を望んでいるようだ。つまり、挑戦者たちが無残にも死に逝く姿を見たがっている。
「さあ、まずは小手調べだ。その命を奪い合い、勝者と成れ!!=v
 ドオォン、と鐘の音が鳴り響いた。それと同時に、ラグドたちの向かいから魔物が数匹、その姿を現す。
「どうやら、魔物との闘技場のようだな」
「マジかよ」
 ラグドたちが入ったのは、挑戦者用の通路だったのだろう。入り口は一つにしか見えなかったが、他にもあったのかもしれない。
「来ます」
 ルイナの警告で、フィンははっと腰の剣を抜いた。相手の魔物は、またサソリである。だが、死のサソリではない。ただの巨大なサソリにも思える死のサソリとは全く違い、その全身を金色の鎧で固めている。鎧と言っても、外皮の形が鎧に見えるだけなのだろうが。
 昆虫系統の魔物でも上位種に入るサソリアーマー。その群が、がちがちと両腕の鋏を鳴らしながら接近してきている。
「仕方ない。ここは勝って、この場を凌ぐぞ」
 言いながらラグドは地龍の大槍を召還した。ルイナは既に水龍の鞭を出している。
「あ、ああ」
 フィンはよほど動転しているのか、その構えは覚束ない。これはフィンを守りながらの戦いになるか、とラグドは心の中で計算する。高い攻撃力と防御力を持つサソリアーマーの攻撃をまともに受けては致命傷になってしまう。それが群をなして襲ってくるのは厄介な事だ。
「オオォ!」
 気合一閃。ラグドが地龍の大槍を、サソリアーマーがこちらに到達する前に地面に突き立てた。
 地龍の大槍から放たれた気は、大地を構成する精霊に干渉し、振動を与える。
岩塵烈槍(ガジンレッソウ)
 砂に近い地面であるものの、大地が吹き上がりサソリアーマーたちの行軍を妨げることが出来た。技としては岩塵衝に近いものだが、その範囲は比べ物にならない奥義だ。その派手さから、観客から歓声が沸きあがる。
 今が好機とばかりに、ルイナが水龍の鞭を振るう。持ち主の意思により動きを変化させる水の鞭が次々にとサソリアーマーを打ち据えた。
 それでも、やはり数が多い。被害が最小限であった魔物たちは、その行軍を止めずに押し寄せてきた。
「オレも、負けてられねぇな」
 フィンもようやく落ち着いたのか、その立ち振る舞いに咎めるような所は見当たらない。
 迫ったサソリアーマーに立ち向かい、きらりと刃が一閃した。サソリアーマーから尾の針が斬り落され、次いでがらがらと鎧が砕け落ちる。
 体液を撒き散らしながらそのサソリアーマーは死に至り、フィンは確かな手応えに剣を握り締めた。見れば、ラグドとルイナも他の相手と戦っている。
「(おかしな奴らだよな)」
 今、このような状況下においてこの感想を持ったということは自分でも余裕があることか、と安堵した。しかしあながち間違いというわけでもない。死のサソリと戦った時もそうだが、二人は人間離れした強さを持っている。そもそも武具をどこからともなく出したことから驚きであったのだ。
 人間離れした――。人間ではない、何か。人間であると信じたいが、今までフィンが生きた世界のせいだろうか疑ってしまう。
「フィン!!」
「え」
 考え込む時間が長すぎた。いつの間にかサソリアーマーが背後に回っていたのだ。恐らく地中を潜ってきていたのだろう。そうでなければ、さすがに気付く。
「う、あ」
 動けない。いつものように、剣を振るうことができない。自分でもよく解からなかった。
 あまりにも急な接近に、身体と精神が萎縮してしまっているのか。これが、恐怖というものなのか。
 サソリアーマーの鋏が、フィンの首を捕らえる――ことはなかった。
 ぴたり、とサソリアーマーが動きを止めたのだ。もちろん、己の意思ではない。他の要因によるものだが、その要因とは見たら解かるものである。魔物は氷漬けになって、その場に固定されてしまっている。
「ルイナか!」
 援護に向かおうとしていたラグドが彼女を振り返る。ちょうど、呪文を唱え終わった後に残る魔力の光が消えるところであった。ルイナがヒャダルコを唱え、フィンを襲おうとしたサソリアーマーを氷漬けにしたのだ。
「た、助かったぜ。ありがとな、ルイナ」
「いえ……」
 それだけを言うと、ルイナは目を伏せた。
 気が付けば、サソリアーマーは全て斃していた。


次へ

戻る