-25章-
闘戦、予兆



 灼熱の太陽が、じりじりと大地を焦がす。雲ひとつ見当たらない中の日差しは強く、辺りは暑いという言葉を通り越して熱いくらいだ。
 ルイナとラグドは、黙々と歩いていた。ルイナが東へ行くと言い出し、それ以降は会話らしい会話もしていない。もともと口数の少ないラグドに、放っておけば一日黙っているようなルイナの二人だ。こうも静かになってしまうのは必然的にさえ思える。
「……そろそろ、休憩できる場所が欲しい所だな」
 隣を歩くルイナをちらりと見やって、すぐにラグドは前方を確認しながら言った。
「…………」
 返答は無言。それでもラグドは、彼女がそれを欲しているのだということは顔色でわかった。表情こそいつも通りだが、無理をしているのはとうにばれている。水の精霊の力を持つ彼女にとって、この熱砂は辛いものがあるのだろう。その反対に、ラグドは大して疲労が溜っていない。
 もともと昔は砂漠の民であったこともあるのだろうが、大地の精霊の加護もあるのだろう。
 しかし、いくら望んでいたとしても、休めるような場所はない。辺り一面は砂だらけであり、腰を下ろして寛げるような場所は見当たらなかった。ルイナを信じて東へ向かっているものの、一向に何も見えてこない。
 だからだろうか。
 進行方向からこちらへ向かって来ている砂煙を、蜃気楼かと思ってしまったのは。

 遠くから見えていた砂煙は段々と近付き、やがて不安が期待と安堵に変わる。
「船……?」
 見間違えかと思ったが、それは確かなものだった。砂煙を上げていたのは、紛れもなく船であった。普通の船と違うのは、砂漠を走っているということだろうか。
 船は一人で勝手に動いていたわけではない。それを操船している人物は、もちろんいた。
「こんな所で人たぁ珍しいな」
 ラグドたちの目の前で船は止まり、それに乗っている男が頭上から話しかけてきた。無駄に声が活発的で、ある意味ではこの灼熱の砂漠には似合っている。
「お前は誰だ?」
「んんん?!」
 ラグドの問いに、男は奇声で返した。彼は船を飛び降りると、ルイナの前に着地。歳はルイナと同じぐらいだろうか。褐色の肌、真っ白な髪にターバンを巻き、服装は軽装だが腰に剣を帯びているところを見ると、砂漠を旅している者なのかもしれない。
「こいつぁは美しいお嬢さんだ。どうだい、オレと一緒に来ないか?」
「……俺の質問に答えて欲しいんだが」
 いきなりルイナを口説き始めた男に、ラグドは多少むっとしながら言う。それに気付いた男は、いい所なんだから邪魔するなと言わんばかりの剣幕でラグドを睨みつけたが、すぐにルイナの方へと視線を戻す。
「オレの名はフィン。お嬢さん、お名前は?」
「…………ルイナ」
 やや間が空いたが、ルイナがぽつりと洩らす。人に会うときは大概エンと一緒で、いつも彼が彼自身とルイナを紹介していたからだろう。彼女が自身を名乗るのは珍しく思えた。
「俺はラグドだ」
「あんたには聞いてねーよ」
 フィンは刺々しく言ったが、ラグドは別段怒るわけでもなかった。彼が団長として率いていた風を守りし大地の騎士団には、こういった人種も珍しくなかったからである。これくらいの人間がいて当たり前、とさえ思っているくらいだ。
「ルイナも旅をしているの? どこから?」
 ぱっと表情を変えて、フィンはにこやかにルイナへと話しかける。こちらかも色々と聞きたい事はあるのだが、ラグドが尋ねるとフィンは答えようとしない。ならばルイナなら、というのは無理な相談である。
 フィンの積極的かつ機関銃のような質問攻めに対して、ルイナが流れを切って自分から質問攻めにする、というのはどうも想像できない。更に言うならば、それをやったらやったで不気味である。
 かくして、フィンの質問のレパートリーが終わるまで、長い一問一答は絶えず繰り返された。

 隣で様子を見ていたラグドは、さすがにうんざりといった顔をしていた。それというのも、フィンの質問はプレイベート的なものにまで及び、それが尽きる様子を見せてくれないのだ。
 一人の女性に対してこれだけ熱心になれるのは、ある意味では天才というべきだろうか。だが天才と称されることがあるルイナは、フィンの質問に嫌な顔一つせずに答え続けている――とはいえ、いつも通り無表情なだけなのだが。
「好きな色とかは?」
「…………青」
「じゃあ好みの男性のタイプとか」
「…………秘密、です」
「またそれー?」
 そう。ルイナはフィンの質問に対して五割ほど答えをはぐらかしていた。フィンも深く追求するつもりはなさそうなのだが、その代わりに他の質問が多すぎる。
「……こちらから、聞いても、いいですか?」
 フィンの言葉が途切れた瞬間、ルイナはその隙を見逃さなかった。
「うん、いいよいいよ。どーんとなんでも聞いて」
 嬉しそうに言うフィンは、それだけでこちらの喋る時間を奪いかねない。
「あなたは、何をして、いる人ですか?」
 ルイナに質問するばかりで、フィンは最初に名乗る以外、自分のことを何も話していない。ルイナは無表情ながらも、彼を疑っているのだろう。
「前は運び屋をやってたんだけど、今は探し屋さ」
 フィンの言い草はどこか自嘲めいていた。
「探し屋?」
 ラグドが聞き返すと、今度はないがしろにしなかった。もしかしたら、無意識のうちに心境が変わっているのかもしれない。
「昔は海を渡っていたんだ。陸と陸の間で物資の取引とかがあったとき、それを運ぶのがオレの役目だったのさ。今は、この砂漠で気ままに自分の探し物をしている。この……」
 言いながら、フィンは彼自身が乗っていた船を軽く小突く。
「相棒と一緒にな」
 心なしか、無機物であるはずの船が挨拶しているようにさえ見えた。それほどまでにフィンがこの船に愛情を注ぎ、信頼をしているからだろう。
「探し物か……我々も探し物があるのだが、見かけた事はないか? 不思議な力を宿している宝珠を」
 いっそさわやかとさえ言えていたフィンの表情が、いきなり険しくなった。ラグドを邪険に扱う時とはまた別のもので、今までに見たことがないほど怒りと憎しみと悲しみに満たされている顔だ。
地神の宝珠(イエロー・オーブ)のことか?」
「知っているのか?!」
 ラグドの期待と驚きに対して、フィンはふて腐れたように腕を組んで船に寄りかかる。
「見たことはないけどな。存在は知っている」
「それがある場所は知っているのか」
 フィンは首を横に振ると、ルイナを一瞥してまたどこでもない所へ視線を移ろわせる。
「……いいや。在った場所なら知っているけどな」
「『在った』……?」
 前にも似たような台詞を聞いたな、と思いつつもラグドはフィンに続きを促した。まさかあの時と同じではないだろうな、と願ったが、その願いはすぐに裏切られることになる。
「誰かに盗られちまったんだよ。ほんのちょっと前にな」
 またか、と思ったのは当然ラグドだけである。以前、人間界(ルビスフィア)で風磊を探索している時、風魔石の在った場所に赴くまでは良かったが盗まれた後だった、ということがあった。今回もまた同じである。
「それからすぐだ。こんな砂漠が現れ始めたのは」
 言いながら、フィンは地平線を見渡した。
「砂漠が、現れ始めた?」
 またもラグドは首を傾げた。ここまで砂漠と言えるほどの砂漠が、すぐにできるものなのだろうか。
「オレだってわからねーよ。まるで別の世界がオレたちの世界にくっ付いた感じだし」
「……そうかも、しれませんね」
 ほとんど会話に参加していなかったルイナがぽつりと呟いた。
「どういうことだ?」
 話す回数が少ないルイナの発言だ。よほどの意味があるに違いない。
「他の魔界空間と、結合したの、でしょう」
「そのようなことが。いや、しかし……あぁ、そうか」
 ラグドは一人で逡巡し、結論に至る。魔界が分裂や増殖を繰り返すのは、増えすぎた魔物に対して世界が狭すぎたからだ。恐らく、全ての魔物を支配できる実力を持つ魔族がいなかった為に争いは続き、世界は新たな空間を創った。だとするならば、その全ての魔物を支配できる実力を持つ者が現れたのだとしたら、魔界は空間世界を新たに創る必要はなく、元の形に戻ろうとするのかもしれない。
 魔界が、分裂したあらゆる魔界空間と結合しているのだ。
「やはり、魔王ジャルートの存在か」
 こくり、とルイナが頷いた。
「さっきから何をこそこそ言ってるんだ」
 フィンがつまらなさそうに言う。ルイナとラグドの会話は、彼に聞こえていなかったようだ。とはいえ、聞こえない程度の声で喋っていたのだから当たり前である。
「なんでもない。では、お前の探している物とは?」
「なんだっていいだろ。話す義理はない」
「私は、知りたい、です」
「ルイナの頼みなら仕方ねーなぁ」
 態度の急変具合にラグドはついていけそうになかったが、ルイナにとっては扱いが容易であった。似たような人間が、かつての仲間にいたからだろう。
「この砂漠に願いが叶う神殿があるって聞いてさ。それを探してるのさ」
 そのような都合のいい物があるのだろうか。疑ってしまうが、それが本当なら探す価値はあるだろう。
「……私達も、ご一緒して、良いですか?」
「ルイナ?!」
 思わず狼狽したラグドを隣に、ルイナの提案に対してフィンが複雑な表情を一瞬だけ見せたが、すぐに軽い笑顔になる。
「オッケーオッケー。ルイナと一緒に旅ができるなんて嬉しいよ」
 フィンの、複雑な表情の理由は、確実にラグドだ。フィンとしてはルイナだけで良いのだろうが、ルイナの提案にはラグドも含まれていた。かといって断ることも惜しいので、仕方ない、と言ったところだろう。
 そろそろこちらも文句の一つでも言いたくなるな、と言いたげにラグドは嘆息を一つ。
 しかし、気になることもあった。
 イエロー・オーブを盗んだ者。何を目的にして盗んだのだろうか。この世界にラグドたち以外に復活の宝珠を狙っている者がいると考えただけで、行く末が不安になってしまうことが、杞憂で終わることを心から望んだ。


 フィンの砂船に乗り込み、合計三人を乗せた船は勢い良く砂漠を走り始めた。
 どういった原理で動いているのか、操船者のフィンでもよく解かっていなかったが、どうやら船自身が地の精霊に働きをかけて動いているらしい。大地の精霊王(ヴァルグラッド)を宿しているラグドだからこそ、それが解かった。
 ラグドとルイナは東を目指していたが、フィンは違う方向に船を走らせていた。ルイナが東へ向かうと言った理由はフィンの船のことであったらしく、行き先は彼に任せるようだ。
 その様子を、遠くの上空から眺める姿が一つ。
「……水の精霊と、大地の精霊か」
 赤色の肌を除けば少女のような体型をしている者は、翼もなしに空に浮いていた。魔物であるものの、姿形はまるで人間だ。その表情はルイナに劣らないほどの無表情だが、無表情でもそこに不気味さが混在している。
「魔王様に、報告しておくか」
 その魔物の名はマジュエル。魔王ジャルート配下、死魔将軍の中で呪魔将軍の異名を持つ魔物である。


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