-24章-
英雄、再び



 エビルエスタークとはまた違った威圧感が、この場を支配していた。
 それというのも、猛威を振るったエビルエスタークをほんの一瞬で斬り崩す瞬間を目の当たりにしたからだ。あれだけの巨像を、しかも生半可な素材ではないであろう身体を斬ってもなお剣の光沢は失われていない。
「ロトル……!」
 旅の扉の中という奇妙な場所で出会った、三界分戦を生きた勇者。その人物が再び目の前にいる。その表情は穏やかで、前のことがなければ好青年にしか見えない。しかしその笑みが、どこか恐ろしく感じてしまう。
「また会ったね。まあ、僕が追いかけてきたんだけど」
 ロトルはふわりと跳んでエンたちの前に着地した。
「ちょっと気になることがあったんだ」
「気になること?」
「そこにいる、しびれクラゲさ」
 そう言って、ロトルはエンとイサに隠れるようにして浮いていたしびおを指差す。
 当の本人は表情を一片たりとも変えていないが、どこか重苦しそうだ。
「ふぅん。なるほどね」
 ロトルは目を細めると、何故か勝手に納得した。
「しびおが、どうかしたのかよ」
 ウミナリ村を訪れた時、そこで出会った巨大大王イカのネカルクから共に連れて行くよう頼まれたしびお自身は、あまり自分のことを喋らないため、エンたちとてしびおのことはよく解かっていない。
「お前は……何者だ=v
 唐突にロトルの背後から低い声が放つ。本来の姿に戻ったムドーだ。急に戦う相手がいなくなり、苦戦をしていたものをあっさりと打ち破ったロトルを警戒しないわけがない。
 ロトルは顔だけをムドーに向けて、薄く笑った。
「森王ムドーよ。僕の名くらいは聞いたことがあるだろう。僕はロトル……ロトル=ディアティスだ」
 その瞬間、ムドーに明らかな動揺が走った。嘘だ、と否定したくとも、本能が告げているのだ。彼の言っていることが真実であり、紛れもなく目の前にいる人物はロトルその人である、と。
「そのようなことが……!=v
 あるはずがない、と続けようとしたのだろうが、言葉に詰まってしまった。
 ムドーと同じく、エンたちも本当は信じたくないのだ。三界分戦の勇者が生きていて、しかも今は自分たちの敵を宣言しているということを。
「今日は引いておくよ。四大精霊の二人と森王だけならと思っていたけど、海魔竜の眷属がいるとなるとさすがに分が悪い」
 そう言ってロトルは肩を竦めて見せた。
「海魔竜? なんのことだ」
 ロトルから出てきた聞きなれない単語に、エンが眉を寄せる。
「知らないならそれでもいいよ。とりあえず、これは頂いていくからね」
 気が付けば、ロトルの手に何かが握られていた。彼の姿が薄れ始め、それが何であるかを認識し辛かったが、すぐに正体が解かった。その形で何かを知り、その色で把握できる。
「あれって……!」
風神の宝珠(グリーン・オーブ)か!?」
 イサが真っ先に気付き、次いでエンもそれを理解した。
 だがその瞬間、ロトルの姿は完全に消えてしまっていた。


 ムドー軍とジャミラス軍による魔物同士の闘いは、ジャミラスが倒れたことで終わった。
 ジャミラスの死を知ったジャミラス配下たちは、早々に争いを止め大人しくしている。実際にジャミラスを斃したのはロトルだが、その事実を知る者はその場にいた者たちだけである。
 そのため、ムドーがジャミラスを斃したことが事実となったのか、ジャミラス配下の魔物たちはムドーの支配を受け入れていた。
「君たちには、礼を言わねばならんな」
 また人間の姿を取っているムドーは、しかし哀愁が漂っていた。
 今エンたちがいるのは、ムドーの館だ。かつては人間たちが暮らしていた土地だが、ムドーはあえてここに居住している。
「礼って言われても、たいした事はしてないんだけどな」
 ムドーの依頼は、古代兵器を起動させる魔法装置の破壊だった。だが、古代兵器であったエビルエスタークは実際に起動してしまったうえ、それを破壊したのもロトルだ。
 エンが言った通り、礼を言われるような事はしていない。
「数多い魔界空間の中で、君たちがこの世界を訪れた結果を見れば、やはり礼の一つでも言いたくなる」
 人間の姿を取っているムドーは、エビルエスタークと対峙した時の姿が信じられないほどだ。その差もあってか、妙な感覚を抱いてしまう。
「しかし残念なことだ。君たちに渡すはずであった物は、勇者に奪われてしまった」
 そのことを口にした途端、エンたちの表情も険しくなった。勇者ロトルが、グリーン・オーブを持ち出して消えてしまった……。その事実もあれば、ロトルとの因縁を思い出せば当然のことだろう。
 本来、グリーン・オーブはジャミラスが所持していたものらしい。ムドーが、今回の依頼が成功すれば答えは出ると言ったのもその為だ。
「あの場で戦いにならなくてよかったけどな」
 と言って、エンは苦笑を浮かべた。実力の差は前に思い知らされているうえ、今は仲間も散り散りになっている。今のまま勝負を挑まれては、勝てる気がしない。
「変なことも言ってたよなぁ。海魔竜がどうのって……」
 ロトルは海魔竜の眷属がいる、と言っていた。ムドーに心当たりはないらしく、やはりあれはしびおのことを指していたのだろう。だが、当の本人は答えようとしてくれない。
 その横で、イサが首を傾げては視線をあちこちに漂わせたり、手を額にやったりと妙な行動を繰り返している。
「……なにやってんだ、イサ?」
「うぅん、何か思い出せそうで……海魔竜、海魔竜……?」
 と、イサはぶつぶつ言ってはまた首を傾げた。
「あ!」
 ようやく何かを思い出したのか、エンがムドーに視線を戻した途端に声を上げる。
「どうした?」
「思い出した! 戦母竜と、戦竜神と、魔銀竜と、それから魔龍神よ。海魔竜となんだか似ている!」
 イサがかつてエシルリムの洞窟で、ハーベストという仲間と共に出会った巨大な竜から聞いた話。その中で出てきた竜の名前は、ロベルが言っていた海魔竜と関係がありそうな気がしたのだ。
「ネカルクってもしかして、海魔竜なんじゃないかしら?」
「竜? イカだったぞ?」
 今度はエンが首を傾げたが、イサは彼がそう言うだろうとなんとなく解かっていた。
「ムドーみたいに、姿を変えていたとしたら」
 有り得ない事ではない。そう思い、確かめるためにしびおを振り返るが、固定された笑顔は崩れる素振りを見せていない。
「さあ、よくわかりません」
「あなたのことでしょう?」
「わからない事は、わからないのです」
 とぼけているのか本当なのか、彼の表情から読み取ることはできない。またこうしてはぐらかされるのか、と渋々イサは諦めた。
「……まあ、今後のこともあるだろう。今、部下達に君たちが言っていた他の世界に繋がっていそうな場所を探させている。それが見つかるまで、ゆっくりしていくがいい」
 魔物だらけの場所ではゆっくりできないかもしれないがな、とムドーはおどけて見せた。薄く笑う彼は、やはり人間と同等に思える。本来の姿が、あのようなものであってもだ。人間であるはずのロトルのほうが、よほど恐ろしく感じてしまう。
 妙な考えが脳裏を過ぎ去りながらも、この場は解散となった。

 ムドーが提案した通り、エンたちはしばらくのんびりと時を待つことにしていた。新たなオーブを入手することはできなかったが、オーブ同士が引かれ合っていることは確かなのだ。
 今までと同じように、別の魔界空間へ行ける場所がどこかにあってもおかしくはない。それを探してくれるというのだから、その厚意を甘んじて受けた。
「あれ……?」
 とは言っても、館に閉じ篭っているだけというも退屈なので外に出たら、予想外の人物に出くわした。彼はイサよりも背が低く、大半の面積が髭と髪で覆われている顔に蔓延の笑みを浮かべている。
「よぉ」
「ダガカじゃないか」
 エンたちがこの魔界空間へ来て、初めて出会ったホビットである。彼はエンたちをムドーに差し出したが、そのことを怒るつもりは毛頭ない。彼としても、仲間を救うためだったのだから。
「お前達、ムドーにワシを仲間の所に帰すように言ったらしいな」
「ん、まぁな」
 エンは復活の宝珠の在り処だけでなく、ダガカを自由にするということを条件に追加していた。案内役のスターキメラに伝言を頼んだだけだったが、どうやら伝わっていたらしい。
「その礼を言いに来たんだ。けどな、これからもワシはムドーの下で動くつもりだ」
「え!?」
「なんで?」
 イサが驚き、エンが訊ねる。その反応は予想していたのか、ダガカは照れた笑いを浮かべて続けた。
「ムドーは、ジャミラス軍との戦いの時に、ホビットの集落に被害が行かないように全力を尽くしてくれたんだ。それに応えてやりたくてな」
 気恥ずかしそうに言うダガカは、どこか嬉しそうだった。彼なりのやりがいでも、みつけたのかもしれない。
「そっか。そうなんだ……」
「それじゃあな」
 これ以上この場にいることを面映く感じたのか、ダガカは早々に退散した。
 その背を見送ると、エンとイサ、そしてしびおも何気なく歩を進めた。この世界に初めて訪れた時と何処か違う気がしたのは決して気のせいではなく、心地よい風が吹いたからだ。
 それはまるで、ここが魔界であるということを忘れさせるような風であった。


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