-14章-
人魔、出現



「魔物……?!」
 村に近づくたびにツンと異臭が鼻をつき、その元を見た途端に気分が悪くなった。
 人の形を保っているが、その肉体は毒々しく腐敗しており、まるで死者が墓穴より舞い戻ってきたかのようだ。
「リビングデッド、か」
 生ける屍たる不死者の魔物相手に、ラグドは地龍の大槍ではなく、聖浄の槍を召還した。海岸から見えた不気味な赤い光は、リビングデッドたちの目に宿るものだ。リビングデッドたちは村を襲うわけでもなく、その辺りを不規則にうろついている。ただそれだけだ。
「村人達は無事……」
 なのか、と言いかけてエンは言葉を切った。
 僅かな明かりが、辛うじてリビングデッドの格好を認識させている。
「ねえ、あんまり言いたくないんだけど」
 イサの声は震えていた。エンが言葉を切った理由と同じ原因である。
 リビングデッドの肉体そのものは腐敗しているが、纏っている衣服はそうではない。そして、その衣服はクォートが着ていたような服と似ており、つまりはウミナリ村独特の衣類である。
「これって、村人が魔物になっている……?」
 信じたくない、だが目の前の光景は事実を告げている。
 村を襲う気が無い、ということではない。襲う対象がいないのだ。リビングデッドという魔物の本質は生者を獲物とするが、その生者そのものがいなければ、ただの集団に過ぎない。
 村人の全てがリビングデッドと化してしまっているのならば、最早ここは魔物の巣窟だ。
 そして、一体、二体と、リビングデッドが生者の気配を感じた。無論、エンたちだ。
「気付かれた!」
 暗いとはいえ、特に隠れていたわけでも、隠れる場所があったわけでもない。見つかるのは必然である。
「どうしよう?!」
「斃すわけには……いかねぇよな」
 元々が村人なら、昼間は普通だった。日が昇れば元に戻るのかもしれない。可能性の一つでしかないが、その可能性が残されている限り、むざむざ放棄するような真似はしたくない。
「とにかく逃げよう」
「逃げようって、どこに?」
「さっきに船に……」
「無理だな」
 エンが言いかけたのを、ラグドが遮った。
「なんで?」
「ろくな停泊作業をしていなかっただろう。あの場所を離れる頃には、既に流されかけていた。今はもう、すぐに乗ることはできないはずだ」
 殿のように最後尾を走っていたラグドは、船が波に飲まれていく所を目にしていた。船を停めた場所は、潮の流れが悪かったようだ。
「じゃあ突っ切る!」
 船が駄目だと分かった途端、エンは走り出した。村を抜け、ミラのいた湖まで行くことができれば少なくともここよりは安全のはずだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 イサの制止にも気を留めず、エンはリビングデッドたちの間を要領よく避けて走っていく。幸い、リビングデッドの動きはそこまで早くない。数が多いとはいえ、捉えられることはないだろう。
「もう……勝手に突っ走るんだから」
 取り残されたイサは、頬を膨らませつつも精神を集中させた。


 走る。
 走る。
 走る。
 走る。
 疲れた。
 でも走る。
「着いたー!!!」
 湖に到着するころには汗は滝のように流れ、息切れも激しくなっていた。
「お疲れ様」
「遅かったな」
「大丈夫、ですか?」
 イサ、ラグド、ルイナの順のセリフである。
「って、なんでお前らが先にいるんだ?!」
 エンはこれでも全力疾走したつもりだったのだ。もちろん、追い越された覚えなど無い。
「ルーラで来たの。さっき使って見せたじゃない。私がルーラを使えるって、忘れてたの?」
「(……忘れてた)」
 気が抜けたのか、一気に疲労が襲い掛かってきた。脱力感に加え、エンはその場に座り込んでしまった。
「エン……」
「ん、なんだよルイナ……って、なんだそれ?」
 彼女が取り出したのは、輪っか状の錠剤だ。
「疲労回復薬『Τ輪(タウリン)G(グレート)』、です」
「いや、せっかくだけどいらねぇ」
 ルイナの調合薬は効果こそ覿面だが、副作用が恐ろしい。彼女は残念そうにした後――無表情だがエンにはわかった――、イサとラグドのほうを向いた。
「いかが、ですか」
「い、いらないよ」
「遠慮させてもらう……」
 ルイナの薬の特徴は既に知っていたため、どうも試す気になれなかった。
「それにしても」
 ずっと座りっぱなしというわけにも行かず、呼吸が整ってきたエンが立ち上がりながら嘆息した。
「これからどうしよう?」
 逃げてきたはいいが、解決になってはいない。考える時間があるだけましなものの、何が最良かは判断がつきにくい。
「朝まで待つ、とか」
 イサの提案は極普通なもので、朝になった時の変化を待つべきだろう。しかし、そうはいきそうになかった。
「その前にやることがあるようです」
 ラグドの視線の先。湖とは全く違う方向の、高く伸びた草が生い茂っている叢。そこから、生ぬるい嫌な風が吹き去った。
 いつからそこにいたのだろう。ラグドが言わなければ、全く気付かないほど気配がない。それどころか、目に見えているのに本当にそこにいるのか分からないほど存在感というものがなかった。
「クォート……」
 散々探し回って、ようやく出会えた相手に、手放しに喜ぶことが出来ない。それというのも、明らかに異常であると熟練した勘が告げているからだ。そこに立っているクォートは、昼間に会った彼とは別人のようであった。
「ウミナリの村が大変なことになってたぜ。お前は無事だったのか?」
 言葉だけ見れば相手を気遣う友好なセリフであるが、エンの顔からは警戒心が消えていない。
「…………村? ああ、大変か。大変だ。大きな変わり目だ。大いなる変化だ」
 言葉を発したクォートの目は虚ろで、返答もエンではなくどこか誰にもいない場所に語りかけている。その表情は恍惚としており、口調は冷静であるだけ逆に不気味だ。
「何か知っているのか?」
「それを聞いてどうする」
「なに、ちょっと依頼を受けたものでな。ただの調査さ」
「ふぅん」
 クォートが一歩、踏み出した。その一歩近づかれただけで、虚ろだった存在感が強大な威圧感に変わった。これ以上、距離を縮めたくないと身体が勝手に後退りしようとしたのを、必死で踏み止まる。
「調査して、どうするんだい?」
「場合によっては止めるさ」
 また一歩、クォートが進み出る。叢から抜け出し、その全身を露にしていた。何処も変化した様子はない。村人達のように部分的に魔物化でもしていたら、また彼も巻き込まれた被害者のうちだと納得できる。
 だが、何も無い。
 何も無いことが、不気味であった。
「困るなぁ。じゃあお前たちは邪魔者ってことだ」
 空を仰ぎ、両手を肩の高さまで挙げた。何をする気かと疑う前に、彼の足元から光が迸った。
 その光はクォートの足元を駆けずり回り、一瞬にして複雑な魔法陣を完成させる。魔法陣は淡い光を明滅させているかと思うと、徐々に光の量を増し魔法陣そのものが巨大に膨れ上がっていく。
「あれって、確か……!」
 最初は何かわからなかったが、イサは思い当たるものがあり絶句した。昔は魔法こそ使えなかったものの、城で魔法の勉学を行っていたため、知識は多少なりともある。その知識のうちの一つに、目の前に広がるものに該当するもの。
「召喚、魔法陣……」
 絶句したイサの言葉を継ぐように、ルイナが呟いた。それが正解だと証明するように、溢れた光から次々と新たな影が出現する。
「またこいつらかよ!」
 召喚されたのは、リビングデッドたちだった。それもやはりウミナリ独特の衣服を纏った――村人が魔物化したと思われる者が全てだ。
「行け」
 虚ろだったクォートの目が急に鋭くなる。短い号令に、リビングデッドは素直に従い、しかもその速度は村にいたときとは比べ物にならないほどだ。
「速い?!」
 余裕で躱せていたリビングデッドの動きを、紙一重の所で躱す。一対一ならまだなんとかなりそうだが、相手は集団だ。全てを躱すことなどできはしない。かといって、相手を傷つけていいものかは未だにわからない。
「何を迷ってやがる!=v
「メイテオギル?!」
 心の奥底から、炎の精霊の恫喝が飛び驚いた。こちらから話しかけない限り、滅多に会話することはなかったので珍しかった。
「やらなきゃこっちが殺られるぞ=v
「(けど――)」
 リビングデッドが再び腕を振り上げ、襲い掛かる。
「ちっ」
 大きく後ろへ跳んで距離を取ったが、すぐに詰められるだろう。
「戦うしかないのか」
「本気で言ってるの?」
 非難するようにイサは言ったが、彼女とてそれしか方法がないと思っている。気が付いたら、背後にもリビングデッドたちが回りこんでいるのだ。
「ルーラで逃げられないか?」
「どこに逃げるのよ」
 ネカルクの話によれば、ヒアイ村やミカガミ村は同じ魔界とはいえ別空間だ。ルーラは空間までも超えることは出来ない。ウミナリの村は残っているリビングデッドでいっぱいだろう。
「逃がさない」
 クォートとリビングデッドたちの意志が繋がっているかの如く、魔物たちは一斉に踊りかかった。
「皆こっちに寄って!!」
 イサの指示に従い、彼女を中心とすると、イサは両手を地面に叩きつた。
「ウィーザラー! 力を貸して!!」
 その瞬間、風が吹いた。
 風は渦を巻き、巨大な竜巻へと変化していく。
聖風呪文(バギマ)か」
 イサたちを中心とした防御を兼ねたバギマはうまく効果を発揮したようで、リビングデッドたちも迂闊に飛び込めないようだ。だがそれでも、お構いなしに突っ込むリビングデッドがいた。危険という概念がないのだろうか、激しい風に千切られ、その身を崩した。
「なに!?」
 その崩れたリビングデッドはどろどろの液体になったかと思うと、それがびくんびくんと脈動し、次第に動きは激しくなり、やがてそこから二体のリビングデッドが出現した。
 死なないどころか、増えて蘇る。かつてイサたちは既死兵という既に死んでいる肉体を持つ兵士と戦ったことがあるが、それを髣髴させた。
 しかし、聖風呪文でも死なないという点は既死兵よりも厄介だ。
 それを見たから、というわけでもないだろうが、動きを止めていたリビングデッドたちが次々と自らバギマの竜巻へ踊りこんでいった。
 ぶちゃり、と腐った肉が弾ける音が四方八方から聞こえてくる様は不快以外のなにものでもない。しかも一体が弾け飛んだ後には二体に増えている。その数はおぞましいことになっていく。
「そろそろか」
 ただ静観していたクォートが手を振り払うような仕草をすると、イサの足元から青い光が噴出し、彼女の全身に纏う。光が消えたかと思うと、イサは急な脱力感に襲われた。同時に四人を守っていたバギマの竜巻が唐突に消失する。
封印呪文(マホトーン)……?!」  バギマの竜巻が消えて、これ以上リビングデッドが増えることはないだろうが、今度は増えたリビングデッドたちに囲まれているではないか。竜巻が無くなり獲物が無防備になった事を理解したのか、奇声をあげながら何体ものリビングデッドが襲い掛かる。
「武闘神風流『風連空爆』!!」
 風の精霊を集め、圧縮し、一気に放つ。風の爆発は、襲い掛かってきたリビングデッドたち全てを遠からず吹き飛ばした。ウィーザラーの力のためか、いつも以上に強力だ。
 だがそれも一時凌ぎにしかならない。
「クォート! どういうつもりだ!!」
 司令塔の役割をしているクォートを何とかするしかない。そう思いエンは彼に言葉をかけてみたが、返答は言葉ですらなかった。
 クォートはおもむろにエンたちを指差し、にやりと笑った。
「……マズイ!」
 真っ先に気付いたのはラグドだ。気付いたが、対抗する暇は無かった。
 精霊力が圧縮され、爆発。イサの風連空爆のように吹き飛ばすだけの爆発ではない。魔法によって引き起こされた爆発は肌を裂き、肉を焼き、骨を砕く。
爆撃呪文(イオラ)、だとぉ……」
 防御する間もなくまともに受けたが、まだ辛うじて動けるようだ。ルイナがとっさに水龍の鞭から回復の水を放出させる。おかげで追撃が来る前に傷が癒えたが、周囲を見れば、エンたちの近くにいたリビングデッドたちもイオラの巻き添えをくらい、焼け焦げていた。
「まさか!」
 焼け焦げた魔物たちはその身を保つことができず、ぐちゃりと崩れる。その後、リビングデッドたちは数を倍にして蘇った。
「別の何かが魔力を与え、不死身にしているはずだ。その元を叩け=v
 再びメイテオギルの言葉が心から脳に直接響き渡る。
「その元って、やっぱり……」
 クォート。彼がこのリビングデッドを操っているのだろう。
「ここは任せた!」
 言うなりエンはクォートめがけて走り出した。幸い、イオラの爆風でリビングデッドの包囲が緩和されているが、それでも容易に抜け出せそうに無い。
「エン! 跳べ!!」
 いつの間にか聖浄の槍を地龍の大槍に変えていたラグドは叫びながら、槍を地面に叩きつける。エンは何が起きるかなど全く分からなかったが、何も疑わずに指示通りに跳躍した。それと同時に地面が隆起する。大地の精霊を操って足がかりを作ったのだ。
 その隆起した地面に着地、さらに跳躍することでリビングデッドたちの頭上を飛び越えて、一気にエンはクォートの目の前に辿り着いた。
「よぉ、ぶっ飛ばしに来たぜ」
「ぶっ飛ばされに来たの、間違いだろう」
 クォートは、不敵に笑った――。



 ――その建物は清浄な湖の中心にあった。
 周囲には人が乗れるのではないかと思われるほど巨大な蓮の花が多く浮いており、より神秘さを増している。
「本当に行くの?」
 建物へ続く橋。その出口付近の手すりに寄りかかっていた彼女は、不安そうに聞いた。腰まで伸びた栗色の髪を自分でいじりながら俯くその姿は愛らしいものだ。
「もちろんだ」
 答えた黒髪の青年は、しかしその愛らしい仕草に気を留めた様子もない。ただ足を止めて、彼女を見ることもなく素っ気無い返事を返した。
 その事に、そして彼の返答に対して、彼女は表情を暗くさせる。前までは、このような関係ではなかった。彼はもっと優しく、そして常に正しかった。勇者と呼ばれることが、相応しいほどに。
「間違っているとは思わないの?」
 重ねた質問は、昔の彼に戻ってほしいという願いも込めてのことだ。だが、変わってくれないことを承知している。それでも、ただ何もしないのは悔しかった。
「僕は自分の信じる道を行くだけさ」
「その道の先に、私はいるの?」
 彼女は泣きそうになりながら訊いた。
 彼が返したのはただの無言であった。
「もう行くよ」
 止めていた足を動かし、その場を去る。建物の扉は見た目より軽い音を立てて開いた。
 そこにあるものは、青と銀の光が絶えず渦を巻き続ける旅の扉である。
「ロトル!」
 彼女は彼の名を叫んだが、今度はそれに反応すらせず、彼は旅の扉に飛び込んだ。
「馬鹿……」
 ロトルの姿が消え、誰の気配も無く、ただ神界の空気だけがこの場を支配するようになり、彼女は悔しくもどかしく悲しく虚しく、涙を流した。

 そんな映像が流れ、急に途絶えた。
「……着いたか」
 神界を旅立つ前の光景。最後に交わした会話の夢を見ていたらしい。未練も何も無いはずだが、それでも夢に見てしまうことに彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「魔界、か。確かに神界とも人間界(ルビスフィア)とも違うな」
 時間は昼だろうが辺りは暗く、立ち込めた暗雲は決して雨雲の類ではない。
 そんな暗がりの中、淡い光を放つ物があった。それに気付いた彼は懐をあさり、おもむろにペンダントを取り出した。それを見た彼は、満足したように笑みを浮かべた。
「紋章が反応している。宝珠(オーブ)が近いのか、それとも……」
 彼の瞳が、笑みを絶やさないまま鋭くなる。
四大精霊(エレメンタル)どもがいるのかもしれないな」


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