-10章-
人魚、邂逅



 北を目指せ――。
 占い師の言葉に従い、エンたちは北へ旅を続けていた。
 そこに何があるのか、誰も知らない。
「エンたちは北に出たことは無かったの?」
「北っていうか、ヒアイ村から出たことなんてなかったなぁ」
 イサが不思議がるのも当然で、城を抜け出してはあちこちに冒険に出ていた彼女としては、どこかへ行かないということ自体が信じがたいものであった。
「なんだか閉鎖的ね」
「仕方ないだろ。出る必要なんてなかったし」
「でも、旅に出ようとする人とかいなかったの?」
 まだ自分の知らない世界を探求するため。未知であることが許しがたい衝動に駆られて、人は旅に出る。
「さすがに昔のことは知らないけどさ、オレが知る限りだと、一人もいないな」
 ふとエンはルイナの方を向いた。彼が言わんとしていることが通じたのか、彼女は首を振る。
「私も知り、ません」
「村の中で生活が完結しているのか」
 ラグドの言葉に、エンは軽く頷いた。
「ルビスフィアに飛ばされるまでは、どっかに旅に出るなんて考えつきもしなかったからなぁ」
 それでも、他の土地があることくらいは知っている。ヒアイ村にも度々、行商人が訪れていたからだ。また、お金が必要なのもそのためで、必要になりそうな商品は購入し、逆にヒアイ村の資材などを行商人が買い取る。
 ヒアイ村では、自分達の仕事と行商人が持ってくる物資で生活が成り立っているのだ。
「今でも、村に戻ったらそのままずっと村にいたい?」
 もう、昔のエンではない。旅を経験した彼は、どう思うだろうかと疑問を抱いた上の質問だ。
「……どうだろうな」
 少し間を置いて、エンは曖昧に答えた。
 イサが更に言い募ろうとする前に、ルイナが何かに気付いたように顔を上げる。
「どうした?」
 いち早くそれに感づいたエンが聞いた。エンはルイナの前を歩いていたはずで、ルイナの様子は見えなかったはずだが、よく気付いたものだ。 「水の、音です」
「水?」
 言われて、いつの間にか涼しくなっていることに気付かされた。


 まず目に付いたのは、至る所で水車が回っていることだ。
 川を中心としている村なのかその数は膨大で、ヒアイ村にも水車はあったが、こことは比べる気にもなれない。
 それから、釣り糸を垂らしてそこかしこに腰を下ろしている人間もいる。今日の食料の獲得に勤しんでいる中、邪魔をしては悪いと近寄りがたかったが、かなり老齢な釣り師の一人がこちらに気付いた。温和な眼差しでにこりと笑い、ゆっくりとした動きで歩み寄る。
「行商人以外の旅人とは珍しい」
 一人が気付くと、他の者が何事かと意識を向け、そこからまたどうしたのかとこちらを見る者が一人また一人増えてきた。みんな驚いたようで、どう対応してよいかわからないといった様子で遠巻きにエンたちを眺めている。
「(それも当然、か…・・・)」
 エンからしても、ヒアイ村にいた頃は、村に訪れるのは行商人くらいだった。物々しい武装をした旅人が訪れれば珍獣を見つけたように驚くだろうし、どうすればいいか困り果ててしまうだろう。その場合はともかく村長を呼んで、という流れになるだろうが、この村ではどうだろうか。
「水湖の村ミカガミへ、ようこそ。私はこの村の長をやっている者です」
「ミカガミ……」
 当然、エンはその名前は知らない。もともとヒアイ村以外の土地名などは聞いたことがなかったのだ。ルイナは知っていたのだろうか。
「北へ進めって、ここに行けってことだったのかな?」
 イサの疑問は限りなく正解に近いように感じた。もし途中で方角を間違えていなかったのならば、北に位置するのはこの村のはずだ。
「もっと北という可能性もあります」
 あくまで通過点でしかないのかもしれない。だが、一つ目の目的地であることに違いはないはずだ。
「オレたちは南にあるヒアイ村って場所から来たんだ。そこで、北を目指せって言われたんだけど」
 エンの言葉に村長は考え込むように下を向いた。
「北、ですか」
「ここには何かあるのか?」
「見ての通り清浄な水が自慢の、水辺の民でしてな。これと言って特別なことは……」
 村長は首を横に振った。
「じゃあ、こっから北には何かあったりとかは?」
 村長はまた考え込み、やがて顔を上げた。
「井戸、ですな」
「井戸?」
 井戸ならどこにでもあるだろう、と思ったがどうやら違うらしい。
「水神様が住まうとされております。小さな祭壇もありましてな、年に一度だけ『水祭り』という行事もそこで行っておりますぞ」
 ここにも崇める神があり、ヒアイ村と同じく祭りもあるようだ。ヒアイ村の『火祭り』と似た内容なのかが気になったが、そこまで聞く必要もないだろう。手がかりは掴んだのだから、まずは行ってみるしかあるまい。
「行ってみてもいいかな」
「もちろんですとも」
 素朴な笑みを浮かべて村長は頷いた。村の大切な場所だろうが、いきなりあった旅人にあっさり許可を与えるというのはやや無用心か。それとも、その長い人生経験から心配ないと判断したのだろうか。
「ところで、旅で疲れておりませんかな。休憩の止まり木くらいにはなりましょうぞ」
 村長が直々に進めてくれたこともあって、調査には明日赴くことにし、今日は一泊していくことにした。
 旅人が珍しいということもあって、その夜には多くの人が集まった。最初はあれだけ警戒していたというのに、村長が心配ないと判断したためか、気さくに話しかけてくる者のほうが多かった。
 それぞれが酒や自慢の料理を持ち寄り、ささやかながら宴会のような騒ぎになったのだが、それほどの珍事だったのだろう。ヒアイ村でも、旅人などが訪れたら同じことになるかもしれない。
 水辺の民らしく、出た料理は魚などがメインになっており、魚の質はやはりヒアイ村よりはよかった。
「(でも、山菜はこっちのほうが上だな)」
 と思ってしまったのはエンが料理当番を務めていた性か。

 翌日、泊めてもらった村長に礼を言って四人は北へ向かった。
「いい場所だったね」
 その道中、イサが素直にミカガミ村の感想を述べた。
 いい場所であった――。ここが魔界である、ということを忘れさせるくらいに。
 果たしてここが本当に魔界なのだろうか。ルイナは間違いなく魔界だと断言していたし、ヒアイ村の村長と占い師の話を聞いても、三界分戦を境に分裂した世界の一つだということだ。しかし、魔界は瘴気に満ちた地獄のような場所ではないだろうか。だがここはその逆だ。
 空も澄み渡り、水も清浄。大地は肥え、風は爽やかに吹いている。
 例えヒアイ村の村長と占い師の話が本当だったとしても、もしかしたらそれはもう一つの世界を示しているのではないだろうか。
 神界。もしここがそうだとしたら、ルビスフィアよりも住み心地が良いのも納得がいく。
 しかしそうなると納得できないことが一つだけ浮かび上がる。エンとルイナが、魔王ジャルートの画策によりルビスフィアに呼び寄せられたことだ。魔界の王とはいえ、神界の住人に介入できるのだろうか。
 全く解らない事だらけだ。ラグドも似たような事を考えていたのか、メンバーの後ろを歩く顔は深刻そうだ。
 この世界の住人たる二人はどうだろうか。何気なくイサはエンに視線を向けた。ルイナはいつも通り無表情なので読み取ることが難しいからであり、エンならばと見たのだが、こちらも同じく深刻な面持ちだ。
「さすがに魚の質は向こうのほうが良かったな」
 うぅん、と唸りながら、どうやら村の特産物を比べていたらしい。
「おしかったもんね」
 心配して損した、という気持ちになりながらも相槌を打つ。
「もう少し塩加減を減らすべきだと思いましたが」
 お前もか!
 ラグドの言葉に驚きつつ、彼なりにこの場に合わせたのだろうと勝手に納得しておく。
「見え、ました」
 唯一、魚料理談義に触れなかったルイナが、いち早くそれを発見した。
 小さな祭壇ということだったが、確かにそこまで大きくない。井戸を中心にして、質素な飾りがしてある程度だ。
「北にある村の北にある井戸、か。占い師のばあちゃんが言っていたのはこれかな?」
 覗き込むと、きらりと光が反射しており、どうやら水はたっぷりあるようだ。
「あれ?」
 きらきらと光っていた水面が、不自然にゆらりと歪む。
「ねぇ、それ……」
 水面ばかり見ていたので、イサの声を聞くまでわからなかった。彼女が『それ』と言ったことが何なのかわからなかったのだが、さすがにエンにも『それ』が視界に入ってきた。
「なんだ?」
 エンの持っていた道具袋。それが赤く光っている。いや、中に入っているものが発光しているのだ。
 それと同調するかのように、井戸の水も赤く光る。紅の輝きを見せる井戸に戸惑っていると、いつまで経っても行動を起こさないのを見かねたように道具袋から炎神の宝珠(レッド・オーブ)が飛び出した。
「あ、待て!」
 レッド・オーブが自ら、井戸の中に飛び込もうとしたのだ。それを掴もうとしてエンは身を乗り出し――。
「ちょっと!」
 危ない、と言おうとしたのも遅かった。
「っ!」
 そのまま落下。大丈夫かと覗き込むが、エンの姿はない。下は水なので死ぬことはないだろうが、水音もなしに消えたのはさすがにおかしかった。まだ赤い輝きは放たれている。
「消えた?」
「まさか……旅の扉では?」
 ラグドの推察どおりならば、水音もなく姿を消したことも頷ける。
「……追います」
 言葉は少ないが行動は早く、ルイナはすぐに井戸へ飛び込んだ。
 取り残された二人は、顔を見合わせると頷き、井戸へと飛び込む。
 落下感覚から、いきなり浮遊感覚に襲われた。旅の扉独特の浮遊感は、どこへと運んでくれるのだろうか。


 まず、その寒さで目を覚ました。ヒアイ村は暖かく、ミカガミ村は涼しかった。だが、ここは肌寒い。
 風に乗って、潮の匂いもかすかに感じた。海が近いのだろうか、しかし潮風はそこまで気持ちよくない。
「ここは……」
 先ほどは打って変わって空がどんよりとして重い。
 やはり旅の扉だったのだろう、周囲は一変しており、先に飛び込んだエンとルイナの姿もそこにあった。
 二人が同じ方向を見ているので、何かあるのかとイサとラグドも視線をそちらへ向ける。どうやら湖があるようだ。その湖から露出している岩の上に、ぽつねんと座る女性が一人。
「え」
 ミカガミ村の川を見たばかりか、その湖の水はお世辞にも綺麗とは言い難かった。
 だが、その女性は。
 妖艶な雰囲気が漂うその女性は、上半身は裸に近く下半身は人間のものではなく、魚のそれであった。


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