-1章-
魔界、到着



 半ば、意識を失いかけていた。
 それでも立ち上がったのは何のためなのか自分でもよくわからない。
 否、わかっているが、それを認めたくないのだ。
 ただ、あいつらの邪魔はさせない。そう思っただけだ。
 漆黒闇の短剣(シャドウ・ダガー)を構えはしたものの、『死神』の鎌が持つ効力のせいか立っているだけで辛い。このまま深い眠りについてしまいそうだが、それは死に直結するだろうと無意識に理解していた。
 あの『力』――調べ上げた結果、魔竜神の力だというが定かでは無い――を解放したファイマと、そして『死神』が戦っているのを傍観しているだけになってしまうが、それはエードも同じのようだ。
 自分が介入できるような戦いではない。まだ自ら動くような場面ではない。機会が巡ってくるまで、注意深く見ていることしかできない。
 エードも似た事を考えているのだろう、なるべく二人の動きを読もうと必死に視線を注いでいる。
「(わりぃな……限界かも、しれねぇ……)」
 素直に謝るようなことはしたくない、というのはミレドの意地であった。だからせめて心の中で謝罪したのだが、それが誰に対する謝罪なのかまでは自分でも考えないようにした。これで相手がエードだったら、プライド的に問題だ。
 今はそんなことに拘っている場合ではないのだが、それを考える前にミレドは地に伏した。
「ミレドさん?!」
 急に倒れたのだから、エードも驚きも当然だろう。立ち上がったときに無理をしている様子はあったものの、あれなら大丈夫だろうと思っていたのだ。慌てて駆け寄り、どこか負傷してしまっていたのか調べる。
「どうしたんです?! ミレドさん、ミレドさん!!」
 直接的な負傷は見当たらない。何が原因なのかさっぱり分からない。外部的損傷がないのだから毒かと思ったが、そんな症状ではない。あえて言うなら、魂だけを抜かれてしまったような――。
「呪い……?」
 思いついた答えはそれだった。ならば呪いを消し去る解呪魔法(シャナク)が効果的のはずだ。
「神聖なる命の精霊よ この者に纏わりし邪悪なる束縛を打ち祓う光となりて 健常なる人としての道を取り戻さん事を――シャナク=I」
 僧侶の『職』を経験した時に習得した解呪魔法は成功したのか、死んだようになっていたミレドが小さく呻き声をあげるとともに薄っすらと目を開けた。
「よかった……」
 ミレドと違って素直に安堵の言葉と共に微笑む。その様子を見て、ミレドは少しだけ悔しいと思い、そう思っている自分を恥じ、そして恥じている自分を悔しいと思った。
「動けますか?」
 そう問われて、ミレドは何か強がりの一言でも言ってやろうと思ったものの、口が上手く動かない。それに気付いてなんとか腕を動かしてみると、枷でもつけられているように重たかった。
「無茶はしないでください。シャナクの呪文は慣れていないので、完全に解呪できていないかもしれませんから」
「(本人にそんなこと言うか!)」
 心の中で噛み付くように文句を言ってみるが、それが届かないのが歯がゆい。
 舌打ちして悪態をつこうにもそれができなにのだから、これもこれで苛立つ。
 だが意識を取り戻すこともできたし、腕を動かすのは苦痛ながらもできるようだ。普通は逆じゃないかと思いつつ、腰にさげている道具袋をまさぐる。エードはそれを怪訝な顔で見ていたが、気にすることはない。
 取り出したのは、貨幣である。ルビスフィア共通の硬貨ではない。
「それは……」
 エードが目を瞠る。その家柄のためか広い知識を得ようとして彼は魔物の言語を習得しているが、その予備知識として魔物の文化なども知っていた。そしてミレドが持っていたものは、その時に得た知識に該当するものだ。
 この硬貨は、かつてエンとルイナがルビスフィアに飛ばされてきた当初、持っていた貨幣を質屋に入れたときのものだ。彼らの素性を調べるために入手したものであり、異世界の人間ということを裏付けた証拠品でもある。
 人間界(ルビスフィア)と異なる世界の硬貨。
「魔界で使われる貨幣ではありませんか?」
 ミレドは頷かなかった。その行為ができないためであり、それでもそれを見ている目つきは肯定を表していた。
「(変なことで迷うんじゃねぇぞ、馬鹿野郎……)」
 心の中で馬鹿と称した男。
 彼と、そしてその男に付き添う女性のために、三人は死ぬかも知れない戦いをここで演じている。
 自分の言葉が届けと言わんばかりに、ミレドは黙祷するように目を閉じた。


 何度も慣れた感覚――などではなかった。
 ルーラや旅の扉とはまた違う、似ているが違和感のある浮遊感に包まれて、四人はその場に辿り着いた。
「あぁ〜、なんか頭、痛くなりそう……」
 ぐるぐると捏ね回されたような感じで、イサは頭を抑えた。
「何度も体験したいものではありませんな」
 ラグドも似たような感覚に陥っているのか、珍しく不満顔だ。
 そこは、森の中であった。
「ここが魔界?」
 イサは周囲を見渡した。森の木々は温かく、空は青い。まるで人間界(ルビスフィア)と変わらないが、これがあの魔界なのだろうか。もっとホイミンに詳しいことを聞いておけばよかったが、あいにくこの場にはいない。
「なんというか……」
「おい!」
 今まで黙っていたエンが、イサを遮って怒鳴った。ルイナはともかくエンまでが黙り込んでいたのはさすがにおかしかったのだが、だからと言っていきなり怒鳴られてはたまらない。
「な、なによ?」
「おまえ今、なんて言おうとした」
 エンの目つきは鋭く、苛立っているようだ。
「なんてって……」
「ここが魔界だからって、禍々しいとでも言おうとしたのか!」
「そんなのじゃない! むしろ、魔界っていう割には空気が綺麗だなって」
 イサの言うとおり、予想に反してこの地は清浄であった。むしろ心地よいくらいだ。
「いったいどうしたっていうのよ?」
 わけもわからず怒鳴られたのだからイサとしても納得できない。
「……本当に、ここが魔界なのか」
 明確な答えは返さず、エンはそっぽを向いた。
 一体何がどういうことなのかわからず、イサはラグドを見てみると彼も肩をすくめて首を振り、続いて二人はルイナを見た。それに気付いた彼女は軽く頷き、口を開く。
「間違いなく、ここが魔界、です」
 いつも以上にゆったりした言葉だった。まるでエンに浸透させるかのように。
「ここが……?」
 ルイナの言う事ならたいていは信じるエンのはずだが、珍しくまだ疑っているようだった。それも、自身で気付いていないほどに。
「ルイナを疑うの?」
 だからあえてイサはそう言った。やはりエンはルイナを疑っていることに気付いていなかったらしく、はっとして、その後は考え込むように下を向いた。
 とりあえずはエンも落ち着いたのか、問題は次である。
 ここが魔界であることに違いないとしても、次はどうするべきかだ。
「これからどうしようか」
 全く知らない世界なのだ。行動しようにもどこに行けば良いのかわからない。とはいえ、この場に留まっているだけでは何の変化もないだろう。
「……なあ、あんた。イサ……だったっけ?」
「え、えぇ」
 まだ悩んでいる節はあるようだが、さっきとは打って変わって穏やかな声に戸惑いながらイサは頷いた。
「んで、そっちのでかいやつがラグドだったな」
「そうだ」
「……オレの後についてきてくれ」
 それだけを言うと、エンは、向かう先を知っているかのような足取りで歩き出した。
「どこに行くの?」
 イサの問いに、エンは答えない。一度だけ静止して、また歩き出した。それに従ってルイナも彼の後を追う。
 イサとラグドは顔を見合わせ、互いに何が何だかわからないといった具合に肩をすくめると、二人の後を追った。どこに向かうべきかわからない以上、エンについていくしかない。
 彼がどこに向かっているのかわからないにしても、だ。
「……あ、忘れてた。ラグドは大丈夫だろうけど……イサ、あんたは歩いている途中に何か痛みを感じたら言ってくれ。激痛じゃないかもしれないけど、とにかく痛みがあったらだ」
 エンの歩きながらの忠告に、イサは首をかしげた。
「どうして?」
「この辺、毒草が生えてる」
「毒……?!」
 何気なく出てきた単語に、イサとラグドは周囲を見渡した。見た目は至って普通の草や気しかないが、もしどれかが毒草なら安易に近寄ることはできない。
「大丈夫なの?」
「ああ。いざとなったら解毒剤もある」
 その言い方は、聞いている者を安心させるほど堂々としており、だからイサは歩くことに決めた。
 そして、少し歩いたくらいだろうか。エンはルイナに振り返り、
「解毒剤、ある……よな?」
 と、不安そうに聞いたのだった。


 そこに着くまで、ほとんど誰も喋らなかった。まるで、その場所に近づくにつれて言葉を発することが許されない空気に包まれたかのようであったのだ。
 だが着いてしまった。森を抜けて、道を歩き、辿り着いたのは村だ。
 魔界であるというのに、それは人が住むような村であった。
 人間界と同じ感覚かはわからないが、太陽も存在しており、それは傾きかけている。
 そんな日に照らされて、人工の家が建ち並んでいる。
「ここは……?」
 イサとラグドのどちらかが発した言葉だ。もしかしたら両方かもしれない。
 エンとルイナは、知っていたのだろうか。ここにこの村があるということを。知っていったのだろう。でなければ、こうもしっかりとした足取りで辿り着くはずが無い。熟知している者としての進み方であった。
「ああ、着いた」
 エンが懐かしそうに目を細め、ルイナが何かを想うように目を伏せる。
「ここはヒアイ村。オレとルイナの……故郷だ」


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