天空物語 IN ストロス
:カデシュサイド:


 常に地鳴りが続き、壁に亀裂が生じ、やがては崩れて行く。
 空間そのものが壊れかけていた。爆発と魔法の影響で、空間からの出口すら異常が発生している。この場にいれば崩壊に巻き込まれるであろうに、運命は悲しいかな出口への道が崩落した。大多数の者は出口付近に辿りついたが、取り残された人物がいた。
「――…いや! いやよ、早く…早くこっち来てよ! こんなのってないでしょ!!」
 ドリスが涙を浮かべて、力の限り叫んだ。
 取り残された方――カデシュは微笑を浮かべて、皮肉めいた口調で言った。
「私が死ぬわけないだろう」
 ――ゲレゲレが危険を叫んで吼えている。
 出口は、もはや人一人がようやく通れるほど小さくなっていた。
 テンとサンチョが、まだ動こうとしないソラとドリスを無理矢理にでも出口へと引っ張って行く。
 カデシュはあからさまな殺気を感じ取り、落ちていた杖を蹴り上げて器用に拾った。すぐさま、もう一人取り残された人物――ヤグナーの攻撃を受け止める。
 ニ撃目は後ろに引くことで躱し、その際に、出口を見やった。テンと眼が合う。
 テンの眼は、カデシュ自身が認めるほど成長した男のものだった。だからだろうか、それとも安心しろという意味を送るつもりだったからだろうか、笑って見せた――。

「………!!!」

 ヴン、と虫の羽音のような音と共に、空間と空間を繋ぐ出口は閉じた。隔離された空間に残ったのは二人。死体をあわせれば四人か、三人と一匹か。
 出口が閉じた影響で、ただでさえ薄暗いこの空間は一段と暗くなった。見えないというわけではないので特に支障はないだろう。
「フ…二人きりだク……クククク……もうジャマは入ラナイ。入ラなイ!!」
 ヤグナーの眼は、もはや腐り切っていた。生きることも忘れ、獣や魔物と同じになってしまったかのような眼。執念もここまでいくと見上げたものだ。
「ああ、そうだな」
 それを見たせいか、カデシュはどちらかという哀れみの眼でヤグナーを見た。
「さあ……いこうか」
 それが、決着の合図だった。

 胸の傷のことがなければ、ヤグナーなど取るに足りない相手だった。ちょうど、身体の調子はよく、すんなりと決着はつくように思えた。だが、それは甘い考えだったことを、身を持って知ることになる。
 ヤグナーの剣は、一撃一撃が重く、鋭い。単調な動きしかしないものの、狂ったかのような攻撃は思わず舌打ちをしたくなるほどだった。
 死を恐れず、生に固執しなくなった人間は、時に恐ろしい力を発揮する。
 カデシュ自身、そうであった。死んでもおかしくないような傷。それでも尚生きることができたのは復讐という負の感情を活力としたからだった。
「――メラ!」
「こんなものぉッ!!」
 打ち出した火弾を、ヤグナーが剣で弾いて軌道を逸らす。
「何度テメェの攻撃見たと思ってやがるぅぁ!」
 そのまま突進すると同時に剣を振り下ろした。
「チ……」
 杖で受け止めるものの、単純な力の強さではやはり向こうが上である。
 ――地響きが少しずつ激しくなってきた。長引けば、胸の痛みが再発するかもしれない。
 カデシュは一度身を翻し、階段を駆け降りた。ヤグナーが叫びながら追い駆けて来る。
 広い空間……ストロスの杖が安置されていた大空洞に辿りつき、カデシュは魔力を集中させた。ヤグナーがやや遅れて入ってくる。
「メラミ!」
 メラの数倍の威力を持つ魔法は、しかしヤグナーにあたることはなかった。軌道がそれたのだ。そのため、壁の一部を大きく破壊することしかできなかった。
「な――!」
 意図したことではない。身体が動かなかった。右腕が焼けつくように痛み、麻痺してしまったのだ。その原因は、魔物。テンの電撃魔法によって死滅したと思っていたエンプーサのエンプルが、身体を黒焦せながらも辛うじて生きていた。しかし、その眼は魔物本来の悪意を剥き出しにし、理性を失っているものだ。
 エンプルの吐いた焼けつく息の影響で、右腕が麻痺している。それが分かってか、ヤグナーが奇声をあげながら攻撃をしかけてきた。
 それをなんとか躱すが、攻撃を受けてしまうのも時間の問題だ。
 ヤグナーは、もはや自分が何者であるかも忘れてしまったのだろうか。理性を失い、ただ勝利に固執し、生きるという概念を捨てている。
「(このままでは)」
 勝てないだろう、とカデシュは素直に悟った。
 そう、『このまま』ではダメなだけだ。
「がラぁァアぁ!!」
 声を荒げて、ヤグナーが無茶苦茶に剣を振るう。杖で攻撃の軌道を逸らし、カデシュは隙を狙って蹴り飛ばす。足場の悪さも影響してか、運良くヤグナーは見事に吹き飛ばされた。
「メラ!」
 エンプルが迫っていたことにも気付いていたので、すぐさまメラで迎撃。打ち出された火弾はエンプルそのものを打ち抜くことはできなかったか、着弾した時の爆風で吹き飛ばすことができた。
「……」
 魔力を集中させる。
 死を恐れない相手に勝つには、自分も死を恐れなければ良い。
 この魔法は、身体に負担がかかるであろうから、一度も使ったことがなかった。しかし、今ならば打てると確信している。カデシュの周囲に、魔力が渦を巻き始めた。それはカデシュの口から漏れる言葉と共に集束し、一つの形を形成して行く。
「デルタ・デルデリス・フィムラグクォ・ゼィルズムァ・ゲンフェソル・イグヴェニトミ・フレイアーク・トポ・クリムロジェン――」
 詠唱を終えて、ヤグナーとエンプルを見据える。態勢を立て直して、再びカデシュに迫ろうとしていた。
 この魔法の初級でさえ、船一つ沈めるほどの威力がある。もしかたら、異次元の隔たりさえも貫くかもしれない。それ以前に、自分の身体がこの魔法に堪えられないだろう。
「(それでもいい……)」
 肉体の死を、カデシュは覚悟していた。
 ただ、心までは。この心までは死ぬことはない。魂だけの存在となっても、この世界に存在し続けるのだ。だから、確実に相手を仕留められるこの魔法を選んだ。ヤグナーとも長いつきあいだ。最後くらい、全身全霊で答えてやろう。それがせめてもの手向けだ。たとえメラゾーマを使ったとしても、位置的にはどちらか一方しか倒せない。だからこそ最大の威力を発揮する広範囲のこの魔法。それは――

「――ベギラゴン!」

 かつて、密売の船を沈めた閃熱呪文のギラ。それの最上位に位置するベギラゴンは、大空洞そのものを破壊するかのような威力を発揮した。ヤグナーも、エンプルも、そこらに倒れていたシャクバすらも巻き込んで、空間そのものが爆発するのではないかというほど。
 爆弾と電撃呪文の影響で崩れ掛けていたこの空間が、ベギラゴンの魔法によりに一気に崩れ落ちる。
 もちろん、カデシュもそれに巻き込まれてしまう。
 だが、何故だろうか。
 厳かな雰囲気を持ち、半透明な羽が美しく、髪の長い、厳かな雰囲気を持つ女性を、着を失う前に見えた気がした。
 あれは、精霊ストロスであったのだろうか――。


 暗闇。
 どうなったのだろうか。
 最後は光を見たような。
 静寂。

 ――風に頬を撫でられ、カデシュは目を覚ました。
「ここは……」
 どこかの草原だろうか、草の匂いがする。風が心地良く、澄んだ空が見える。自分は今、仰向けで倒れているようだ。
 ゆっくりと身を起こす。その際に、胸の傷が少し痛みを感じたが、気を失いそうになるほどではなかった。
「……」
 不思議と、大した外傷は負っていないようだ。衣服が所々破れていたりしているが、特に気にする程度ではない。
 辺りを見回すと、そこは見覚えのない場所であった。ストロス領土で、このような場所を見た事がない。たまたまカデシュが見たことがなかっただけかもしれないし、年月の影響で自然にできたのかもしれない。だが、本当にここは何処だろうか。
 ベギラゴンを使った時に、空間に偶然にも穴ができたのかもしれない。そうでなければ、外にいるということ自体が不思議なことだ。ヤグナーやエンプルがいないところを見ると、自分だけがここにいるらしい。
 考えるだけでは埒があかない。
 そのため、カデシュは歩き出した。まずは、ここが何処なのかを知ることが先決だ。
 キメラの翼を手に入れることができたならば、グランバニアへ行くこともできる。もし町や村を見つけられることができれば、情報も入るだろう。
「生き繋いでしまったか」
 肉体の死を覚悟でベギラゴンを放ったのだが、別に死にたかったわけではない。
 偶然でも奇跡でも、生きていたことがよかったと思えたのは、カデシュにとって初めてのことだったかもしれない――。


 ようやく町を発見した頃は夕方になっていた。目を覚ました時は、まだ太陽が高かった。そして確信する。街があるということは、ストロスではないのだ。
 情報を仕入れるために、商人などに目をつける。ちょうど武器屋らしい店が、外に出ていた。
「旅の者だ。ここは何処辺りになるのか教えてくれないか?」
「んん? ここはフレノールの町さ」
 聞いた事のない名前だった。
「フレノール……?」
「そうさ。ちょいと前にサントハイムの姫様がこの町にいらしたんだ。あんたも、それを聞いてやってきたクチじゃないのかい?」
「……いや、違う」
「そうかい。ま、姫様のおかげでこの町も随分と賑わっているから、立ち寄って行く価値はあると思うよ」
「急ぎの身なのでな。すまないが、グランバニアへの道を知らないか?」
 カデシュの言葉に、こんどは店主がぽかんとした顔になってしまった。
「グランバニア? 聞いた事のない場所だなぁ」
「なに……」
 道を知らないと言われる覚悟はあったが、地名を聞いた事がないと言われるとは思ってもいなかった。グランバニアはそれなりに有名な国のはずなのだが。
 その後も、店主との話に食い違いがあっても、幾つかの情報を知ることができた。

 夜。
 カデシュは目的もなく歩いていた。
 フレノール武器屋の店主から聞き出した、有名な国というと――
「(サントハイム、バトランド、エンドール、ソレッタ、ガーデンブルグ……)」
 どれも聞いた事のない国であった。代わりに、カデシュが知っているような国――ストロスはもちろんのこと、グランバニアも、ラインハットも、サラボナも、テルパドールも、店主は知らなかった。
 だが、カデシュは聞いた事がなくとも、それぞれの国を知っていた。
 かつて天空の勇者が救った世界。その伝記に書いてあった国々が、店主から聞いた国名と一致していたのだ。
「(ここは、過去なのか……)」
 ストロスは時を司る女神。何かしらの影響で、時空を超えても不思議でないと言えば不思議ではないのである。
「……ッ!」
 唐突に胸の傷が痛み出し、呻き声を上げることさえできずにカデシュは歯を食いしばった。膝をついて、気を失いそうになるのを必至で堪える。命こそ続いたものの、大魔法の負担は身体に深刻なダメージを与えていたようだった。
「(もう、長くないか……)」
 夜は続いていた。いや、目の前が真っ暗になっただけなのだろうか。判断はできない。
 判断できることは、放っておけばすぐにでも死にそうな身体になっているということくらいだ。
「(精霊ストロス……)」
 今、この世界にいること。まだ、生きていること。
 これには意味があると思った。だからこそ、精霊ストロスは自分を生かしてくれていたのだ。自分が生きている限り、ストロス国は死なない。生きている証こそが、ストロスが存在したという証明。いや、たとえ死んだとしても、ストロスがなくなるわけではない。自分が存在していたという事実が、ストロスを永遠のものとする。

 カデシュは歩き続けた。
 何かに導かれるように。
 何処を歩いたか分らず。
 ただひたすらに歩いた。
 何日を歩いたか分らず。
 
 どれくらい経ったのだろうか。
 気がつけば、ひんやりとした空気が心地良い場所に出た。
 周囲の様子すら分らないほど、目は衰えていた。だが、はっきりと見えるものが、目前にある。
 一本の剣。柄は龍を模しているのか、吸い寄せられるように美しい。
 カデシュはその剣に見覚えがあった。
 忘れもしない。かつて追い求めていた存在。
「――天空の、剣……」
 時代が違っても、一目で分かった。それが、天空の剣であるということが。
 天空の剣に触れようとする。しかし、手が届く前に、無意識に身体が倒れた。
「(ここまで、か……)」
 思えば、ここまで来れたことが奇跡に等しい。
 あの空間の中から生きていたこと、この傷で生き長らえていたこと、テンたちに出会ったこと。ほんの小さな奇跡が重なり合って、自分はここまで来たのだ。ストロスは、今この時のために、自分を生かしてくれていたのだろう。
「(私の身体は、もう死んでしまうだろう。だが、この魂……天空の剣へと――)」
 走馬灯だろうか、両親や、同郷の民たちの顔が浮かんだ。
「(今、そちらに行きます……)」
 ストロスの者たちは消え、テンたちの笑顔が浮かんだ。その中でドリスが、泣いている。帰って来るんじゃなかったのか、と怒りながら泣いているようだ。
「(心配するな。時が経てば、いずれ――)」
 いつしか、何も見えなくなっていた。
 暗闇。



 ――宝物庫に二人の子供が入り込んだ。金髪に青い瞳、双子だろうか、顔がよく似ている。子供のほかには魔物が数匹。しかしいずれも、邪気を失った魔物たちのようだ。
 二人とも旅装しており、何かに追われてこの宝物庫に辿りついたのか息を切らしている。
「とりあえず、かくれ場所見つけたから、きゅーけー」
 子供――男のほうが、鬼ごっこでもやっているような顔で言った。
「……ここ宝物庫じゃない? 忍びこんで平気かな……」
 女のほうが不安げに辺りを見回している。こういうことに慣れていないのだろう。
 一息ついた男が、宝物庫の中心に安置されていた剣に目をとめた。何かしら不思議な力に吸い寄せられたのか、それに目をつけたのは偶然か必然か……。
「剣だ! ちょーどいいや、持っていこー」
 楽天的に、その剣へと近付く。
「だ…だめよ。この剣の話、聞いたことあるわ!! パパスおじいさまが見つけた伝説の剣らしいんだけど、すごく重くて大人二人でやっと持ち上げられるぐらいだとか……。きっと呪われてるのよっ」
「へーー、おもしろそーっ。ますますほしいや」
 女の宥めも虚しく、男はむしろ興味を増したようだ。
「やめなさいよ! テンには無理よ!!」
 その言葉を無視してか、テンと呼ばれた男は剣の柄に手をつけた。あとは、身体が勝手に動いたというべきなのだろうか。
 ふわりと、本当に剣を抜いたのかさえ怪しいほどに、薄暗い宝物庫には似合わない光を伴って、それは刀身を露わにした。
「テン!!」
 剣を抜いたことに驚いたのか、剣から光が溢れたことに驚いたのか、聞いた話とは全く違うことに驚いたのか、それ以外にも驚く要素があったのか、おそらく全てが原因で、女は狼狽した。
「な…なんだ? 羽みたいに軽い…!! ――手に伝わってくる力の波…。それに……」
 力が圧倒的だったか、それとも何かを感じ取ったのか、テンは何処か震えていた。
「――それに、すごくなつかしい感じがする……」
 テン自身、理由は分らなかっただろう。
 だが、昔に別れた仲間と出会った時のような感じが、胸を満たしていた。そのために流れた一筋の涙は、しかしすぐに消えたので誰もその存在を知ることはなかった。
 ただ、テンは何かが聞こえた。空耳かもしれなかったが、それはテンの耳に届いていた。

「(久しぶりだな、テン。我が友よ――)」

 その声が、のちに仲間となる銀髪の魔法使いの声であることに気付いたかどうかまでは、
記すまでもないことである。

Fin

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