Many Collapsing II
-Soldat-


 暗い森の中。人も獣も、深く寝入る程の頃合い。
 その男はその場で力尽き、ぐたりと倒れ込んでしまった。身体には、幾つもの傷が見受けられる。
 男は傭兵だった。
 とある土地で、黄金の女神像を狙われているという村に頼まれ、男は雇われた。ある日、黄金の女神像が壊され、魔物が村を襲ったのだ。その時、男は奮闘した。誰よりも数多く魔物を倒したが、傷も生存者の中で最も多かった。治療をする前に、強制転移呪文を身に受け、見知らぬこの土地まで飛ばされたのだ。
 このまま朝日が昇る頃になれば、自分は魔物か獣などに喰い殺されてしまうだろう。それが解っていながらも、男は動かなかった。否、動けなかったのだ。深手を負って、ロクな治療も施さず、ただの薬草では効果は得られないほどの傷になってしまっている。
「(……これもまた運命か)」
 男は朝になるまで待った。腹を空かせた魔物や獣が自分を喰らい尽くすだろう。ならばせめて、自分を喰い殺す相手だけでも見ておかないと、運命と割り切っても悔いが残ってしまう。
 しばらくして、やがて意識が朦朧とし始めた。同じ頃に、朝日が昇り始めたのか、一筋の光が見えた。朝飯を探して、獣たちが動き始めるだろう。
 それを証明するかのように、激しい足音が聞こえた。
 足音のリズムからして、駆けているように聞こえる。複数なのか単体なのかは区別がつかないが、とりあえず人間ではないのだろう。
 足音は次第に近づいてくる。
 もう、死は恐れない。恐れたところでどうにもならない。
 ならば、堂々と生存競争に貢献してやろうではないか――。
「おい君! 大丈夫かね?!」
 足音は近くで止まり、何故か人間の声がした。
 あぁ、そういえばあの足音は馬に似ていたな、と男は思って意識が遠のいた。

 あの日から、六年が過ぎた。
 レガード・ラッツ。それが倒れていた男の名前だ。
「レガード、レガードはおらぬのか」
 国王の呼びかけに、数分でレガード本人が玉座の間へと駆け込んできた。
「お呼びでしょうか」
「うむ。実はな、昨晩、あの時のことを夢にみたのじゃ。それで、またお前がケガでもしておるのではないかと心配になってな」
「お心遣い誠に感謝いたします。私は、ほらこの通り、ぴんぴんしておりますよ」
 六年前、レガードの前に現れたのは、この国王だった。意識を失い、生死を彷徨っていたレガードを助けたのも、また国王である。この国は魔法に優れており、国王自身も魔法の使い手で、レガードの傷もベホマという完治呪文で癒されたのだ。
 国王は一度だけ大笑いをすると、
「これだけを確かめたかったのじゃ。すまぬな、変なことで呼び出して」
 とレガードに対しての用件は終了してしまった。
「いえ、お慈悲の心、感動の極みでございまする。ではこれにて」
 レガードはレガードで、このことに対して、言葉通り感動している。普通なら、勝手気ままな迷惑オジサンだな、と思うところだが、レガードの忠誠心にそのような考えは無い。
 国王は王という身分でありながら、魔道を操り、傭兵である自分の命を救ってくれた恩人である。その寛大さに心を打たれ、レガードは傷が治るとすぐに城兵に志願した。
 魔法国家と呼ばれ、魔法戦士しか収容していないこの国でレガードのような完全肉体派の兵が認められたのは、その忠誠心と王に対する恩義の心があってこそだ。
 しかし国王のお気に入り、という点もあり、そのせいかレガードを良く思っていない者は少なく無い。
「おや、魔法国家の兵士なのに、初歩呪文(メラ)も唱えられないレガードじゃないか」
「おいおい。いくら力で王様を脅したって噂があるレガードだからって、そんな言い方は無いだろう」
「ふん。たかが傭兵め」
「無知であって、さらには気品がないね」
「身体を鍛えるより、魔法について勉強していたほうがためになるってのに」
 こんな数多くの小言がいつも聞こえてくる。
 だが、レガードはそれらを相手にしなかった。自分は自分なりにできることで、この国を守るのだ、と堅く信じていたから。
 魔法国家、マーディラス。隣国ラグラーズとの冷戦が、いささか怪しい雲行きになってきた頃合の時代だ。


 レガードは、己を信じてくれている人物を最低三人だけ知っている。一人目は、もちろん国王だ。一番と云っても良い。
 彼は兵士訓練場に足を踏み入れ、いつもの稽古を始めようとした。
 百人の兵士が訓練を行っても大丈夫なくらいの広さで、剣の訓練をしているのは十本指で数えられる程度の人数しかいない。
「おぉ、レガードではないか」
 声をかけたのは、信頼してくれている人物の二人目、レガードが所属している隊の騎士長である。
「これは騎士長。貴方も訓練ですか?」
「うむ。最近の若い兵士は、『魔法、魔法、魔法』と来たものだ。我が国の『魔法戦士』という誇りを守るためには、剣の修行も欠かせぬというのにな」
 その言葉に、レガードは少し躊躇いを感じた。
 『魔法戦士』。
 この国が誇る、最強の兵士軍団である。兵士は全員が魔法を使うことができ、しかしレガードは魔法を一つも使うことができない。それに劣等感を抱く時が無いとは言い切れないのだ。
「だがしかし、お前のような若者がいてくれれば、きっと剣の素晴らしさも解ってくれるだろう。これはレガード、お前にしかできない重要な役割だぞ?」
 今度はその言葉に救われた。尊敬に値する人が、自分に期待してくれることが何よりもの褒美に感じるレガードにとって、これは最大級の褒め言葉だった。
「はっ。お任せ下さい!」
「うむ。では、さっそく久々に稽古をしようか」
「はい!」
 レガードは剣を抜き、騎士長も同じく剣を抜いた。そして、その刃と刃がぶつかり合う音が、訓練場に響いたという。


 兵士が全員、城内で寝泊りをしているわけではない。宿舎もあるのだが、自宅へ帰る兵も少なくなかった。レガードは住んでいる家に帰るほうが肩身狭い思いをせずに済む。宿舎にいると、寝ている時にも起きている時にも悪口が聞こえてくるので寝覚めが悪いのだ。
「おかえりなさい!」
 笑顔で出迎えてくれた女性は、レガードが知っている信頼できる人物の三人目であり、婚約者のエンゼラである。長い栗色の髪に、漆黒の美しい瞳。美しさはマーディラスで一番! ……というのはさすがにレガードの考えである。
「やぁ、ただいま」
 にっこりと笑って、レガードはエンゼラを抱きしめた。
 エンゼラと出会ったのは、レガードが兵士になって二年目の時である。森を散歩していたら、魔物に襲われている女性を発見した。レガードは魔物を倒し、助けられた女性に恋心を抱いたのだ。そしてまた、助けられた側の女性も、命の恩人である相手に惹かれた。その女性がエンゼラであることは、言うまでもない。
「式まであと一週間ね」
 と彼女は日付を記した紙を眺めた嬉しそうに言った。彼女の言う式とは、レガードとの結婚式のことである。予定日は今日でちょうど一週間前になる。
「やはり、少し早すぎではないか?」
 苦笑しつつも、レガード自身、その日を何よりも楽しみにしている。
 だが、兵士団の中で評判の悪いレガードが結婚式を挙げるとなると、周囲の目は一層厳しくなる。特に、未だに縁が巡ってこない独身の兵士を中心に、だ。
 せめて、自分の実力を周囲に認めさせてからにしたほうが良いのだ。
「そう? 私は今すぐにでも挙げたいな」
 無茶を言う婚約者の頭を撫でて、エンゼラから離れるとレガードは夕食に取りかかった。
 生きていく中で、幸せな時間が流れていた。


 翌朝、レガードは数名の兵士と共に巡回する日だったので、武装を整えて家を出た。後ろでは婚約者のエンゼラが見送っている、
 巡回と言っても、周囲の森をぐるりと一周するだけの、気分転換の散歩のようなものだ。
 決まっていた人数の兵士が揃ったので、彼らは一団となって街の外へと赴く。
「どうせラグラーズは攻めても来ないような臆病者ばかりだから、巡回もあまり意味がないと思うぜ」
 兵士の中にも、こう考えている者がいるのだ。マーディラスは敵国に攻め入ることはしないが、とにかく守りを固めて諦めるのを待つというのが現国王の方針である。そのために、魔法に着目し修行を続けているのだ。
「けどなぁ、あの悪名高いラグラーズだ。もしかしたら、そろそろ攻めてくるかもしれんぞ」
 真っ当なことを言っている割に、その兵士はへらへらと笑っていた。それらしいことを言って脅し、楽しむような奴だ。正論を言うのだが、それが緊張感に変わることはない。
「ハハハ。あのようにか?」
 笑いながら、話し相手の兵士は指を向けた。その先に、黒い塊がある。勢いで云った自分の言葉の意味を、遅れて理解し始めた。
「って、おい……あれって……」
 自分で指を指しておいて、今更ながら事態に気付いたようだ。
 黒い塊は、よくみれば人間である。それも、大人数の。黒い塊に見えるくらいの数であり、その漆黒の鎧はラグラーズ兵のものだ。
「ラグラーズ兵だ!!」
 人数の多さ、武装、距離、向かってきている速度、これらを考えると、辿りつく考えは一つ。いや、考えというより真実だ。
「ラグラーズ兵が攻めてきやがった?!」
 一人の兵士が青ざめながら狼狽した。
「ち、武器を振り回すしか能の無い蛮族め! ココで追い返してやる!」
 一人の兵士が、魔法の詠唱を始めた。それに見た他の兵士も、続いて魔法の詠唱に入った。
「皆! 城に報告に行くべきだ!! 我等の役目は迎撃することではないぞ!」
 レガードが全員に呼びかけたが、誰一人としてレガードの意見に賛同する者はいなかった。本当は同じ考えの者もいただろうが、レガードの意見に賛同してたまるか、という意地があるのだろう。
「ベギラマ!」
「バギ!」
「メラミ!」
「ヒャダルコ!」
 次々に魔法が飛び、先頭にいたラグラーズ兵士を数名行動不能状態へと陥した。
「よし!」
 と喜んだのも束の間。数名の後ろには大軍がまだいるのだ。
 倒れた兵士を踏み越え、進軍してきている。
「く、他の兵士を呼び集めよう!」
 魔法で合図を送り、他の兵士を呼び寄せた。その間にルーラで一度街の近くまで戻り、相手が街へ入ろうとした時に一網打尽にしようということになった。街への入り口が狭いため、いくら大軍とはいえ通る時に小人数になってしまう。そこへ魔法を立て続けに打ち込めば、追い返せるはずだ。
 この作戦に、レガードは不必要だった。
 そのせいか、それとも『魔法が使えないからこんなことになるだ』とでも言いたかったのか、ルーラで全員が街に戻り、レガードは一人、その場に残されてしまった。
「こんな時にまで……!」
 その場でじっとしていると、当然ラグラーズ兵に殺されるだろう。仕方無しに、レガードは森の茂みに飛び隠れ、他の道から走って街を目指した。


 身体が重い。それも当然だろう、なにせ鎧を着け、盾を持ち、剣を帯びたままの疾走なのだから。しかし、重いからという理由だけで足を止めるわけには行かない。世界を渡り歩き、故郷と呼べる場所を知らないレガードにとって、この国は故郷となる場所なのだ。
 そんな大事な国の危機に、自分が楽をしてはだめだ。
 もうすぐ街に入るところで、身体が熱くなってきた。走っているから火照っているのだろうと思ったが、それは違った。森を抜け、街を目の当りにしたレガードは、その足を無意識に止めてしまう。
 その色は赤。熱を持った緋色の悪魔。
 生活に不可欠でありながら時として牙を向けてくる大きなソレは、炎。

 街が燃えているのだ。

 炎は家を焼き、人間を焦がし、草木を燃やしていた。
「くっ!」
 まだ燃えていない所からレガードは街へ入り、迎撃中の魔法戦士の団体を発見した。
 彼等の見る先にはラグラーズ兵と、燃える家々。そして、魔法戦士の死体。
「これは……どうしたことだ?!」
 まだそんなに時間が経ってないというのに、兵士の数は減り、ラグラーズ兵に街への侵入を許してしまっている。さらには火攻めまでも受けているではないか。

 ――レガード以外の魔法兵士は町の入り口に集結し、魔法の詠唱を始めた。戦場が町の入り口という、極めて危険な所だが、相手を追い返すにはこれしかない。魔法の詠唱が終るころ、ちょうどラグラーズ兵が魔法の効果範囲に足を踏み入れた。
「ベギラマ!」
「メラミ!」
「バギ!」
 数人の兵士が同時に魔法を使い、また他の魔法が一度にラグラーズ兵へと飛んだ。聞こえるのは断末魔の叫びや、苦渋の声、悲鳴、しかし誰も敵に情けはかけなかった。連続で魔法を駆使して、敵の侵入を防いだ。
 このままいけば、簡単なものだと思っていたのだ。

 ヒォッ。

 風の音が聞こえたと同時に、魔法を使おうとした兵士の一人がいきなり倒れ込んだ。
 見れば、喉元に一本の矢が突き刺さっている。
 即死だった。
「……」
 仲間の唐突な死を見て、兵士たちは呆然となってしまった。そこに、さらに矢が飛んできた。
 最期の声を上げることすら叶わず、次々と兵士が倒れ、死んでいった。
「や、矢の届く範囲から離れるんだ!」
 その声で、兵士たちは我に返り、弓矢の範囲から退却し始めた。退却と言っても、向かう先は、街の中しか残されていなかった……。


 ラグラーズの兵隊は、予定通りに歩を進めていた。
「進め進め! 多少の犠牲は構うな! 数で攻め立てろ!!」
 兵士長の激に、兵士たちは怒号の声を荒げる。
 既に街の中へと踏み入れ、家に火を放ち、形勢は有利と言えよう。
「兵士長。この国は魔法国家と呼ばれる故、街民も魔力を有しているやもしれません。民に思わぬ反撃を受ける前に、殺してはいかがでしょうか?」
 参謀格の男が兵士長に耳打ちすると、彼は頷き、兵士に命令を出した。
「いいか! 女、子供を問わず民をも斬り捨てろ!!」
 兵士は燃えていない家に踏み入り、中にいる民を殺し、外で逃げている民にも容赦はしなかった。

 一人の兵士が家の中に入ると、赤子を抱えた女が逃げようとしていた所だった。しかし女は腰を抜かしたのか、その場に座り込んでしまった。
「どうか! どうかこの子だけは!!」
「ふん。魔を駆使する邪悪なる民め!」
 命乞いに対して、罵りながら兵士はその女を斬り殺した。
 喉に剣を突き刺し、妙な感触が手に伝わる。剣を抜くと、大量の鮮血が流れだし、その返り血を浴びた兵士はニタリと笑みを浮かべる。理屈を無理矢理つけたが、楽しんでいるのだ。この状況を、人を躊躇い無く殺せる事を。
 何も知らないような赤子だが、自らの危険を感じ取ったのか泣き出した。五月蝿いほどの声量である。殺人衝動が動く。ラグラーズ兵士の大半に宿る、危険な本能。
「赤子だからこそ、魔力がおかしく発動するかもしれんな」
 泣いている途中の赤子に、母親と同じ場所の喉に剣を突き立てた。見た目よりも多い血飛沫が宙を舞い、母親の亡骸を更に紅く染める。
 泣いていた赤子は最後に変な声を出して、永遠に泣く事は無い状態へと変貌したのだ。
 兵士は他に人間がいないことを確かめると、その家に火を放ち、他の家へと踏み入っていった。
 他のラグラーズ兵を含めて、その行為は殺戮と言っていいような光景である。
 至る所から断末魔、命乞い、悲鳴、叫び、苦渋、泣声、狂声、怒号、燃える音、崩れる音、壊れる音、潰れる音、折れる音、ぶつかる音、などが聞こえる。まさに地獄を再現したような光景だ。燃える家々がその印象を一層深めてしまう。
「我々の目的は殺戮ではないというのに……」
 殺戮的行動を指示した兵士長とは違う部隊の兵士長が、この有様を見て呟いた。
「我等は城へ向かう! 行くぞ!!」
 数人の兵士を引き連れて、その隊は城を目指し、進軍を開始した。


「城への報告は誰か行ったのか?!」
「こんな状態で誰一人抜けるわけにはいかぬだろう!?」
 レガードの問いに対して、逆に兵士たちが怒鳴った。城にはまだ数多くの兵士がいるのだが、一人でも防戦する人数が減れば、たちまち今よりも酷い状態に陥ってしまう。
 兵士の援軍が来ない所を見ると、城には何も伝わっていないのだろう。このままでは、城までもが不意打ちに遭ってしまう。
「ならば、私が行こう!」
 走ってきたレガードは、再び走り始めた。目指すは、マーディラス城。

「頼む!」
「ここは我等がくい止める!」
 ――という労いの言葉は、かけてもらえなかった。

「逃げるのか!」
「チッ。その剣は飾りか?」
「臆病者が!」
 聞こえてきたのは、罵声の声だった……。
「(私が、何をしたというのだ……)」
 自分にできることをしようとして、後ろから聞こえるのは声援や希望ではない。恨みや妬み、嫌悪の声である。走るレガードは、泣いていた。場違いではあるが、止めようとしても止まらなかった。涙は流れ、顔が歪んでしまう。
 これが、あいつらが、大好きな国の兵士なのか。素晴らしき国の兵士なのか。共に闘う仲間なのか。あんな奴らでも、共に笑い過ごせる日があると信じている。そう、今でも信じている。
 だが、流れる。悲しみという感情が延長した、涙というものは流れてしまう。
 あんな奴らのためになど、走っていない。走っているのは、国のため。このマーディラスという、偉大な国のためにレガードは走っているのだ。
「……?」
 ふと、違う場所でも火の手が回っているのを見つけた。
 嫌な予感。予感というより考え。考えというより推測。推測というより、真実。
「エンゼラ………。……エンゼラァあアぁぁああぁァ!!」
 エンゼラとレガードが同居していた家が、燃えているのだ。扉付近で倒れて、その身体に炎が纏わりついている人物が一人。既に焼け焦げて、元がわからないがレガードには確信できた。
 エンゼラも家と同じく燃えていたのだ。斬られた後に燃やされたのか、逃げようとして逃げ切れなかったのかはさすがに判断できなかったが、死んだことには変わりはない。
 そう、彼女は死んだのだ。何千人という人口の中で、唯一己を信じてくれる三人の一人が。愛する女性が。今日の朝まで、幸せに会話を交わした人が。幸せな時を共有できる人が。

 殺された。

 近くに、この行為を犯したと思われるラグラーズ兵が目に付いた。
「……貴様らぁぁぁあぁぁああ!!!!」
 剣を抜いて、レガードはラグラーズ兵の一人に襲いかかった。不意をついたからだろうか、一人目は簡単に斬り飛ばせた。その兵士は倒れ込むとそれ以上動く事はない。死んだからだ。
 レガードは狂ったように剣を振るった。相手も呆然としたまま斬り殺される阿呆ではない。咄嗟に剣を繰り出すが、レガードの盾に受け流され、態勢を崩してしまった者はレガードの剣によって地に伏した。
 返り血を浴びてもなお、レガードは猛攻を止めなかった。
 エンゼラを殺した。こいつがエンゼラを殺した。こいつがエンゼラを殺して火をつけた。こいつがエンゼラを殺して火をつけた兵か。こいつが、こいつが、こいつが――。
「うぉあぁぁぁあぁぁぁらぁぁあっぁああ!!!」
 最早、その声は雄叫びでも気声でもない。ただの叫びだった。
 声が裏返り、同時に兵士を斬り殺す。やがてその隊は、全滅してしまった。
 魔法戦士という貧弱な兵士しかいないと思っていたラグラーズ兵士の彼らは、己の肉体を鍛え上げ、さらに怒りという感情に支配されたレガードを侮っている間に、全てが終わったのだ。


 はっ、と我に返る。
 エンゼラを失った悲しみが深い爪痕を残しているが、早く城へ報告に行かなければ。
 レガードは再び走ろうとして、自分の行動の跡を見た。
 まだ眼が開いている兵士、瀕死状態で口をパクパクさせている兵士、腕が無い兵士、足が無い兵士、首が無い兵士、首だけの兵士、泣いている兵士、呻いている兵士、一切動かない兵士、痙攣している兵士。皆、血に塗れていた。レガードの剣もまた。
 感情に支配されたとはいえ、この光景はいつまでも見たくは無かった。エンゼラが死んでいることを忘れたわけではない。その証拠に、レガードの眼には、先ほどとは違う理由で涙が流れていた。

 あと少しで城への桟橋だ。レガードはこの周囲に火の手が回っていないことに安心した。まだ城へは攻められていないのだ。
「ぐっ!」
 走っている途中に、左肩に激痛を感じた。
 見れば、左肩に矢が突き刺さっている。その後ろには、ラグラーズ兵。
「(闘うには、不利だな)」
 先ほどとは違い、肩に傷を負ったため両腕を同時に使いこなすというのは無理だ。さらに、怒りに任せた凶荒もあってか、かなり疲労している。
 それに、返り血まみれと激情のせいか気付いていなかったが、レガードも傷を多く負っていた。矢の痛みに気付くと、知らなかった傷の痛みがどっと押寄せてきたのだ。
「(せめて城へ!!)」
 矢のことは気にせず、レガードは走った。もはや盾は要らない。剣も使わない。二つを捨てて、レガードは走りつづけた。
 一歩動かす度に、受けていた傷口に負担がかかり、鮮血が迸る。
「(この事を伝えるまで、死ねぬわ!!)」
 死ぬ時はいつも、これもまた運命、と割り切ってきたレガードだが、今ばかりは死ぬことを恐れていた。せめて、役割を果たすまでは、死を恐れていたのだ。そう、騎士長の云ってくれた言葉。
 いつか自分を皆に認めてもらい、マーディラス国家の『魔法戦士』の意味を気付かせるのだ。
 桟橋を渡り切り、涙が流したままの顔で、震えている身体を必死に動かし、大声で怒鳴った。
「――敵襲ゥウウウゥゥウウア!!!!!」
 力の限り、叫んだ。最期の力とばかりに、伝えた。
 最早、視力がなくなりかけている。もうすぐ、死ぬのだろう。よろよろと歩き、城から数十名の兵士たちが駆けつけてくるのをレガードは確認した。
「レガード、大丈夫か!? どうしたのだ!」
「ラグラーズ軍が攻めて……」
「なんだと?! 街は今どうなっている!」
「騎士長、ラ……ラグラーズ軍の兵は恐ろしい数です! 街も既に……ほぼ制圧さ、れ……」
 そこまで口にしたレガードは、最後まで伝えることができなかった。後ろからまた矢を射られ、それが背中に突き刺さったのだ。生きているのが不思議なくらいだったレガードは、これが止めになったのか、絶命してしまった。
「レガード……レガード?!」
 彼の手を取った騎士長の手は、震えていた。持った瞬間、彼が死んだことはすぐに解った。
 呆然としかけた騎士長だが、レガードの頭にぽんと手を乗せた。
「嘘だろう……レガード? ……お前は優秀な部下なんだぞ……?」
 その声に、哀しみが含まれている。乗せている手は見てわるほどに震えている。
「今まで辛かったろう……。だから、起きてくれ――」
 身体も声も震えながら、騎士長は笑みを作った。恐らく、レガードはココに来るまで、また非難されたのだろう。そう考えると、目元に溜まった涙が溢れそうになる。
「……お前は、立派なマーディラス兵団の一員なんだぞ」
 それは、レガードが一番望んでいた言葉だ。この言葉を聞くために、レガードは必死に頑張っていた。死んだ後に聞かされるというのは残念だが、それで一番の褒め言葉には変わりない。
 しかしレガードは、騎士長の賞賛に答えることはできなかった。


 ――この後、騎士長も命を落とし、偶然にも外に出ていたマーディラスの王子ゼッペルを捕らえたラグラーズ軍はマーディラスに服従を誓わせた。戦争は、ラグラーズが勝利したのだ。
 この戦に、何の意味があったのだろうか。燃えた家々、流れた民の血、無念のうちに逝った兵士、ただ普通に生きていた人々。この光景を見て、誰が喜ぶというのだろう。誰が幸せになるというのだろう。
 争いは多くの悲劇と崩壊しか生み出さなかった。

 そして、この世界が闇へ閉ざされるための歯車は動き出した。

 これは、余談である。
 本来は丁重に弔われる兵士の亡骸だが、レガードの亡骸は無造作に崖下へと放り捨てられた。
「テメェの報告が遅れたから戦争に負けたんだよ馬鹿野郎!」
 という、生き残った兵士の罵声と共に。


〜fin〜


戻る