〜選んだ道〜
魔王オルゴ・デミーラは斃れた。
過去に封印され、そして現世に蘇った魔王に再び封印された各地は深い闇の封印から解き放たれたのだ。
最大の功労者たる戦士たちの名前を、世界で知らない者はない。
今、彼らは――。
二人は再び冒険の旅へ。
一人はダーマ神殿で『職』の監視を。
一人は天空神殿で聖騎士の長として。
そして一人は、魔物の侵攻で傷ついた各地の復興。
これは、そのうちの一人の、物語の一部である。
「つまらない」
と言ったのは、まだ十を過ぎたかというほどの少年である。
幼い顔に、不満を隠す素振りは見当たらない。
少年の手元には羊皮紙とペンが置かれているが、書いてあるのは文字だけで、文章にはなっていない。その文字も達筆とは言えず、本来の文字とはかけ離れているものさえある。
「あら、パルタ。そんなに私の授業はつまらないかしら」
黒板の前に立っている赤毛の髪の少女。少年に比べれば歳はかなり上だが、それでもまだ少女と呼べるくらいだ。
「文字の勉強なんてつまらないよ。マリベル先生、冒険のお話をしてよ」
先生、と呼ばれるのにはだいぶ慣れていた――。
魔王オルゴ・デミーラを斃した英雄の一人、マリベルは魔物の侵攻で傷ついた各地の復興や振興に世界を飛び回っていた。負傷者を魔法で癒すこともあれば、各国の代表者と渡り合って民を援助する資金を供出させることもある。また、旅で得た叡智で文字を読めない者たちを教育もしている。
ここウッドパルナでも、望む者には学問所を開き、定期的に教えているのだ。
「あんたねぇ。文字くらい読めてないと、後で困るわよ」
学問所の唯一の生徒、パルタのわがままにマリベルが困ったように肩をすくめる。
ウッドパルナは農村で、この村で取れる農作物は良い物が多い。近隣に島国のエスタード島があるうえ、近海のダークパレス跡地が国際会議場として使われているのだ。自然とウッドパルナの島が流通の重要拠点となるので、今後は文字が読めるか読めないかが大きく響いてくる。
実際に目端の聴く商人などがウッドパルナと農作物の貿易契約を結ぼうと考えていたらしいが、肝心の契約書を読めるものが少なく、文字が読めてもその意味まで理解できるものがいなかったため話はなかったことに、などというのはよくある話だ。
そのため、早いうちから文字を読めるようにしておかなければ、世界に遅れを取ってしまう。
「後のことは、後だよ。それよりも、冒険の話がいいな」
そんな世界事情を説いても、少年が理解できるはずもない。マリベルは眉を寄せて少し考えてから、ため息をついて肩をすくめた。
「ちょっとだけよ」
その一言でパルタの顔が輝く。
マリベルは今までの冒険の話を、自分がいなければ、皆がどれほど困っていたかなどを(かなり脚色して)得意げに話した。
生徒のパルタは不満顔が何処へ消えてしまったのか、しっかりとマリベルの話に聞き入っており、いつもこれくらい真剣に授業を聞いてくれればいいのにと思ってしまう。
「マリベル先生、やっぱりボク、勇者になりたいな」
話が終わると、決まってこんな事を言い出すので、マリベルは既に予測済みだった。
「無理よ。あんたには素質もないし、これからの世界が求めるものは、もっと別のものなんだから」
あっさりと斬り捨てるが、真実でもある。世界を救った勇者――マリベルの幼馴染は、確かに世界から必要とされた。だがその役目を終え、世界が平和になったこの世の中に、その力は不必要なのだ。
今の世界が求めていることは、もっと自然に、当たり前に生きていく手段である。
「そのためにも、ちゃんと勉強しなさい」
ウッドパルナの学問所の生徒はパルタ一人だけである。年代的にも時間的にも適しているのは彼だけで、他の者は手に持っている仕事が忙しかったりする。そういう意味では、村の皆から期待されているのだが、残念ながら少年はその責任を感じてはいない。
「そもそも、あんたから教えて欲しいって言ったんでしょう」
学問所を開いても、マリベルは誰かを強制的に通わせようとはしなかった。マリベル自身、望んだからこその結果が今の自分なのだ。それを知っているがゆえに、望む者に教え、拒む者には無理強いはしない。
「そうだけど……」
パルタは自らが望み、ここに通っている。しかしこれくらいの年代の少年にとって、よほど勉強好きでない限り、夢物語のような大冒険の話に軍配が上がるのは当然と言えるだろう。
再びふくれっつらになったパルタに、マリベルは苦笑するしかない。
「文字も読めない勇者なんて、かっこ悪いわよ」
マリベルが古代文字を読めるようになった知識は、『職』が与えてくれたものだ。しかし、ダーマ神殿と関わりの無いウッドパルナの住民は、自らが学ぶしか手段は無い。
パルタは少し考えた後、確かにかっこ悪い、と気付いたのかしぶしぶペンを持ち上げる。
「じゃあ先生。文字の勉強もするから、剣の稽古もしてよ!」
突拍子も無いその言葉に、今度はマリベルが不満顔をする番だった。
「あいにく、私は剣なんて振るったことなんてないわ」
「そうじゃなくて、英雄メルビン様とか、勇者様にマリベル先生からお願いして欲し……」
パルタの台詞が途中で途切れたのは、マリベルが盛大に噴出したからだ。
唐突なことに、思わずパルタは目を瞬かせて首を傾げる。
「あらやだ。あいつが『様』付けされるなんてね」
マリベルの幼馴染は、確かに世界を救った勇者である。マリベルもそのことは認めているが、実際に『様』などと付けられているとついつい笑ってしまう。
マリベルも先生なんて呼ばれてるじゃないか、と彼がこの場にいたら苦笑いしながらそんなことを言っただろう。
「でもね。あんたが持つのは剣じゃなくてペンよ。今後の世界は、ペンは剣より強いんだから」
魔物の数が減り、剣が不必要な世界となりつつある。そんな世界で必要なのは、やはり優れた知性なのだ。
そのことをまだ理解できないのか、パルタはまだ納得できないように口を尖らせるばかりである。
まだ勇者の名が轟いているこの時代に、憧れる少年は少なくない。英雄や勇者という言葉は、とてつもない魅力を秘めているのだ。しかし、だからといってそう簡単になれるわけでもない。英雄や勇者と呼ばれる人間が極端に少ないからこそ、その魅力が増すのだ。
マリベルは少し考えて、ふと何かを思いついた。
「ねぇパルタ。あなたに、どうしても守りたいものってあるかしら?」
唐突な台詞に、質問されたパルタはきょとんとしている。マリベルの真意がわからなかったのだろう。
「えぇと……」
何かあったとしても、それを堂々と口にするのは気恥ずかしいのか。パルタは口をもごもごさせるばかりである。
「……準備しなさい。村の外で、野外授業するわよ」
黒板の周りを手早く片付け、さっさと準備を進める。何事かと疑問に思う前に、パルタもその勢いにつられてペンと羊皮紙をまとめた。野外授業など初めてのことで、パルタ自身、あまり村を出たことがない。
マリベルはどこか機嫌がよさそうで、幼馴染が隣にいれば、「また変なこと思いついたの?」と苦笑顔で言われたに違いない。
マリベルとパルタが向かったのは、村の南である。
魔王が現世に蘇った頃は魔物も出没していた為、村の外は極めて危険な場所だった。そのためパルタは未だ抵抗があったようだが、今では魔物の数は減り、その魔物たちを打ち斃してきたマリベルが隣にいるのだ。恐がっている様子がありありと見えても、なんとかついて来れていた。
「ここは……」
パルタが目を丸くして、マリベルは懐かしそうに目を細める。
緑や茶の色ばかりが目立つ森の中で、咲き誇る花畑。
何百年の時を経ても未だに残っているこの場所を見ると、マリベルも胸の奥が熱くなるのを感じる。
「すごい――。こんなところがあったなんて」
この花畑の由来を知っているのは、村の人間ですらいないだろう。
何百年も前に、今の時代を生きる少女が渡した花の種が始まりなどとは、誰も思わないはずだ。
「私はね、この花畑が大好きで、大切な場所なの。でも、ずっとここにいるわけにはいかないわ。パルタ、あなたにここを守る事ができるかしら?」
マリベルの言葉に、夢中になっていたパルタがはたと背筋を伸ばす。
不思議そうに花畑とマリベルを見比べ、やがてしっかりと頷く。
「うん! ボク、守って見せるよ」
少年は顔を輝かせ、今は騎士にでもなったような気分なのだろう。だとしたらならば、マリベルはその主で、騎士には剣を与えなければならない。
「頼むわよ」
優しくパルタの頭を撫でる。パルタは気恥ずかしそうにしているが、その心には自信という心の剣が備わったはずだった。
その夜。
マリベルは他の各地を回らないといけないため、ウッドパルナを出た。パルタはもちろん、ウッドパルナの自宅である。この年代くらいの者にとっての就寝時間はとっくにすぎて、そろそろ大人たちも床に着こうかという時間。
ぱちっと、パルタは目を覚ました。
寒さや寝苦しさで目覚めたのでなければ、尿意で目が覚めたというわけでもない。
あまり馴染みの無い感覚。胸のうちに宿る、真っ黒い何か。
言葉にするなら、そう――何か嫌な予感がする。
そんなことを思った途端に、パルタは再び眠りに落ちるどころか目が冴えてきた。
嫌な予感に混じって、何度もあの花畑が脳裏を掠める。
「行か、なきゃ」
何故だか行かなければならない気がしたのだ。理由などはわからない。
今行かなければ、後悔すると思った。
こんな衝動にかられて行動するなど、今までになかった。
起き上がり、服を着替え、早足で家を、そして村を出る。
その途中に誰ともすれ違わなかったのは、それほど遅い時間だということ。
ウッドパルナの朝は早いので、夜になってしまえばほとんどの者が割合あっさりと床に着く。
まだ明かりがついているのは、宿屋くらいのものだ。
パルタは村を出て森に入り、覚えている方向へ駆けた。
昼間はマリベルに案内されたため迷うということはなかったが、一度だけみた景色は昼と夜では全く印象が違う。今走っているのが、本当に昼間の道なのかと疑うには充分すぎるほどである。
途端に、パルタの足が震え出す。村の外にもあまり出たことが無い子供にとって、夜の森は言い知れない恐怖感があった。まるで、何も知らない世界にいきなり飛ばされてしまったかのようにさえ思えてくる。
だがパルタは、たった一つの言葉を頼りに足を前へ進ませた。
やがて、昼間見た花畑が見えてくる。
「よかった……」
安堵のため息は、無事に花畑に辿り着くことができたのと、不安だった何かが現実のものになっていないことの両方だ。
夜の帳に包まれた花畑は、昼間とは違う美しさを誇っていた。
思わず見惚れてしまいそうで、無事だと分かった途端に胸の不安もどこかへと消えしまっている。
しかし――。
帰ろう、と身体を村の方角へ向けた瞬間である。
ウォオォォォォン――!!
びりびり、と肌が痺れた。巨大な咆哮は、すぐ近くから聞こえてきた。
「え――」
竦みあがり、おそるおそるそちらを振り返る。
そこ立つものは。
「あ、あ、あぁ……」
パルタの顔は歪み、声は言葉になっていない。後ずさろうとしたが思ったように歩けず、無様に尻餅をついてしまった。それでもそのまま一歩でも遠くに行こうとする。
考えなど無い。自分の本能が、逃げなければならないと警鐘を鳴らしているのだ。
「ウグルルルルル=v
森の木陰から唸り声を上げながらのそりと這い出してきたのは、魔物。
小柄とはいえ、真っ白な鱗に包まれた、竜。
なんでこんなところに、こんな魔物が。あらゆる考えが同時に押し寄せ、それでも一つだけ解かるのはここから逃げ出さなければならないということ。
「あ、あっちいけよ」
がたがたと震えながらそう言って、簡単に魔物竜がどこかへと行ってしまえば苦労はしない。
獲物を見つけた魔物は、慎重に襲い掛かるタイミングを狙っているかのようだ。
「あっちに行けってば!」
顔は恐怖で歪み、全身の震えは止まらない。ここで死んでしまうという未来しか予測できない。
先生が話してくれる勇者様や、先生自身は、こんなにも恐ろしい魔物に立ち向かっていた。そのようになりたいと、自分もなってみたいと望んだのはパルタだ。だが現実はこんなにも恐ろしく、立つ事さえままならない。
それでも、パルタは。
薄暗い森の中を恐がりながらも歩けた時や、今も心の中にある、たった一つの言葉。
先生から託された『頼む』という一言。
自分はここを任されているのだ。
大好きな先生が、大切な場所と言ったこの花畑を、守るのは自分の役目なのだ。
地べたについていた手に、こつりと堅い感触があった。ちょうど拳大の石くらいで、パルタは無意識にそれを取る。
ウッドパルナ。英雄パルナにちなんでつけられた村の名前だ。パルタは、そのパルナのようになれるようにと名付けられた。だから、勇者や英雄に憧れた。だから、文字を習おうと思った。
村を救う、英雄になりたいと願ったから。
「ルグァァァァア!=v
「うわぁああぁああああっ」
魔物が咆哮をあげながら飛び出すのと、パルタが喚きながらも手に取った石を魔物竜に目掛けて投げたのは同時だった。
魔物は大口を開けて真っ直ぐパルタに向かい、投石は弱い力で放たれたので効果は期待できない。
どん、と鈍い音が聞こえた。
パルタは、自分の身体の一部が食い千切られた音かと思った。だがどこにも痛みはなく、あまりの痛みにそれを感じていないのだろうか。
目を閉じ、頭を抱え、うずくまる。
どれほど、そうしていただろう。
何も感じず、もしかしたら既に死んでしまったのか。それにしてはまだ自分の動悸が激しく聞こえる。
「………………?」
ゆっくりと顔を上げると、そこには何もいなかった。
魔物竜の影はなく、それがいたという痕跡すら見当たらない。
「あ、え……」
辺りを見回しても、パルタ一人がいるだけである。
全身の汗が噴出し、どっと疲れが押し寄せる。
途端に眠気が襲い掛かり、緊張の糸が切れたのかその場でぱったりと横に倒れて眠りに落ちた。
そんなパルタの様子を、木の影から見守る姿が一つ。
「眠ったみたいね」
マリベルである。
「うがぁ、マリベルぅ。横から打つなんてひでぇじゃねぇか」
情けない声で不満を洩らすのは、パルタと同じくらいの年齢の小柄な少年だ。黒髪をぼさぼさに伸ばした少年――ガボの右腕は、火傷を負っていた。
「あんたが手加減なしに食いつこうとするからよ」
「ちゃんと寸での所で止めようとしたぞ」
「ガボにそんな器用な真似、できるわけがないでしょ」
白い魔物竜は、ガボが竜変化呪文で変身した姿である。何人も背に乗せる巨大な竜になることもできれば、小柄な竜になることもできる。変身の種類が増えたのは、ダーマ神殿に居座るようになってからだ。
マリベルはガボに頼み、あえてパルタを襲わせた。もちろん命を取る等という物騒なことは考えていないが、ガボの迫真の演技により本当に大事に至りそうだったので、マリベルが横から火弾呪文を打ち込んだのだ。
ガボとしても予想外な攻撃をまともに受けて吹き飛び、パルタから見れば急に消えたかのようだっただろう。
さすがにマリベルもやり過ぎたかなと思い回復呪文ホイミを唱え、ガボの火傷は瞬時に消える。
「……ガボ。あんたは信じられる?」
もう姿を隠す必要がない上に、パルタはそう簡単には起きないだろう。少年を抱き起こしながら、マリベルは聞いた。
「私が初めて見た魔物は、スライムだったわ。初めて石版世界に来て、自分の知らない世界で知らない生物に出会った。その時、私は悲鳴をあげて震えるだけだったわ」
ガボは信じられないかのようにきょとんとしている。彼がマリベルに出会った頃、彼女は既に鞭を振り回して魔法を駆使しながら魔物に立ち向かう強気な女性だったのだ。それが、最も弱いとされるスライムに脅えていた等と、誰が思うだろう。
「でも、パルタは立ち向かって行ったわ」
スライムよりも凶暴な、竜に。震え脅えて助けを待つのではなく、どれだけ無様であろうとも立ち向かおうとしたのだ。手に石を持ち、可能な事を試みた。
夜の森は、これくらいの子供にとっては異世界のようなものだ。そんな中を、一人で。
マリベルの故郷、フィッシュベルの男達は大きく分けて二種類。大海原に飛び出していく者と、ただそれを見るだけに留める者。立ち向かうか、否かだ。そうした考えがマリベルにもあるので、パルタが立ち向かう人間であったことが素直に嬉しかった。
ぐっすりと眠っているパルタを、このまま少年の寝台に戻したら先ほどの出来事が夢だと思うだろう。竜が出たと騒がれても困るし、そちらの方が良い。
「ちょっと生意気だけど、この子は強くなるわよ」
「楽しみだな。いつかオイラも戦ってみてぇ」
あらゆる魔物の『職』を極めたガボと戦うには、かなりの時間が必要になるだろう。それに、強くなるというのは、決してそういう意味だけではない。
これからの世界を生きていくうえでの、再び闇の精霊が凶悪化しないための、強さ。
この立ち向かう強さを持つ人間がいる限り、いつの時代も平和でいることができるはずなのだ。
これは、余談である。
かつて人々を救った英雄の名から取った村がある。
その英雄の名によく似た青年が、名前負けすることなく村の発展に大きく貢献し、第二の村の英雄として謳われることになった。
青年は語る。
自分の望みに立ち向かうことができた時、人は強くなれる――と。
〜fin〜
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今さら過ぎる注意書き的なあとがき:
・今回の話、エニックス及びスクウェアエニックスから出版されている小説DQ7のその後のノリです。
なので、その小説の内容があることが前提の話になっていますので注意してください(遅い
でも、7主人公の名前は一切出していません。
今回の主役はあくまでマリベルとパルタ少年です。
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