〜選んだ道〜
魔王オルゴ・デミーラは斃れた。
過去に封印され、そして現世に蘇った魔王に再び封印された各地は深い闇の封印から解き放たれたのだ。
最大の功労者たる戦士たちの名前を、世界で知らない者はない。
今、彼らは――。
二人は再び冒険の旅へ。
一人は天空神殿で聖騎士の長として。
一人は、魔物の侵攻で傷ついた各地の復興。
そして一人はダーマ神殿で『職』の監視を。
これは、そのうちの一人の、物語の一部である。
小鳥がさえずる、心地よい朝。
いつもと全く同じ時間に、ぱちりと眼を覚ました。
起きたくなったら起きているので、目が覚めたらもう眠くは無い。そう考えているので身を起こした。ぼさぼさの黒い髪を伸ばした、小柄な少年である。
「ふぁ〜」
大きな欠伸を一つして身体を伸ばす。その隣には彼の身体に合わせた寝台があるが、それはほとんど物置となっている。寝台で眠るより丸まって眠っていたほうが楽なので、毛布に包まって寝ているのだ。
『職』を司るダーマ神殿の一室で、ガボはいつもと同じ朝を迎えた。
ダーマ神殿に住むようになって、どれくらいの月日が経っただろう。魔王を斃すことさえ出来たのは『職』が与えてくれる力があったからだ。その『職』を授かれるダーマ神殿も、必然的に注目されることになる。
私利私欲で『職』を乱用する者がいないか監視するのが、ガボが見つけた新時代の役目だった。
魔物の『職』を極めたガボは、直接的な参考にはならないが、自分の力の使い方や、自分自身をよく解っているガボの存在はダーマ神殿の大きな助けとなっている。
今日もまた、新たな『職』を求めてこのダーマ神殿を訪れる者が大勢いるだろう。
ガボが自室を出た途端、目の前に大きな洗濯籠が現れた。いや、正確には洗濯籠を抱えたシャイナがちょうど通りかかっただけなのだが、小柄なガボから見れば視界がほぼ籠で一杯になってしまうので、彼からしたら洗濯籠が現れたという言葉が一番しっくり来るのだ。
さて、この洗濯籠を抱えた人物の名前をさらりと出したからには今回の物語の登場人物である。シャイナは神官服を着た修道女で、ダーマ大神官の補佐を務めている。また、今のように雑事もこなしており、何でもできると誰からも羨ましがられる存在だ。
「あらガボさん、おはようございます」
洗濯籠がぶつからないように少し避けたシャイナはまだ若く、皆からお姉さんと呼ばれるくらいの年齢とだけ書いておく。色んな事に気がつく頼れるお姉さんのシャイナは、それ目当てでダーマ神殿に訪れる人を増やすほど人気があるのだ。
「おはよーだぞ。相変わらずシャイナは朝が早ぇなぁ」
元気にガボも挨拶を返す。
洗濯の後は厨房に行って、その後は神殿の務め。シャイナが働いていない姿はあまり見た事がない。
「ガボさんも同じようなものですよ」
「そうかな」
ガボ自身は意識していないが、実際に彼の朝もかなり早い。朝食には毎回一番乗り、という食べ物が絡んでいるせいでもあるが。
「そういや、頼んでたもの用意してくれたのか?」
「ええ、今日でしたね。後で部屋に運んでおきます」
「よろしくだぞー」
そう言って、ガボは食堂に駆けて行った。
昼になる前にダーマ近辺の森を散歩するのが、最近の日課となっている。
魔王オルゴ・デミーラが現世に復活して以来、各地で魔物が出没するようになっていた。このダーマ近辺も例外ではなく、魔物が人を襲ったりしていないかの見回りも兼ねているのだ。
今日も森の中は至って平和なもので、魔物の影は見当たらない。
しかし――。ガボは森からも見える裏山を見上げた。あまり考え込んだりしない彼だが、今だけは難しい顔をして裏山を見続けていた。
どれくらいそうしていただろうか、ガボの腹がぐぅと鳴った。
「そろそろ昼飯かなぁ」
朝もかなり食べているはずだが、空腹になるものはなってしまうのだ。
戻ろうとした矢先、ガボの前に一筋の光が降り立った。
唐突に現れた光が収まると、そこには赤毛の髪を頭巾でまとめた少女が立っているではないか。
「マリベル?!」
「あらガボ。何を驚いているの?」
瞬間転移呪文のルーラでダーマの地に降り立ったマリベルは、まるでガボがそこにいるのを知っていたかのようだ。
「あなたが私を呼んだんでしょう」
「いや、だってこんなところに来るなんて思わなかったし」
ダーマから少し離れた森である。森の中でも開けた場所とはいえ、街道からは離れている。ルーラで来るなら来るで、ダーマ神殿の前にでも降り立てばいい。
「人気者の辛い所よ。この前なんて、かなり大変だったんだから」
別の街に寄った時のことである。ルーラで唐突に現れたマリベルは、かなりの人間に注目された。魔法を知らない人からは女神と思われ(そう思われたことに対しては、悪い気はしなかった)、マリベルのことを知っている人からは引っ張りだことなった。世界を救った彼らの名前を知らないものは少ない。ちょっとした買い物の予定だったのだが、けが人の治療から子供たちの相手までに及び、休まる暇さえなかったのだ。
「だから、人目を避けてなるべく地味に行動しないとね」
まるでスーパースターか何かになったような気分だが、実はまんざらでもない。とはいえ、さすがに疲れてしまうのでこうして隠密の行動となっているのだ。
「そういうもんなのか」
と、ガボは感心しているがよく解っていないのである。
「それはともかく、こんな森の中で立ち話をする趣味は私にはないの。ダーマ神殿に行くわよ」
「おう。オイラも戻るところだったんだ」
「それなら私をちゃんとエスコートしなさい」
道も知っているし、マリベル一人でも問題なくダーマ神殿までは辿りつける。それでもエスコートを要求するのだから、マリベルも相変わらずであった。
「それで、相談って何なの? あなたからなんて珍しいじゃない」
ダーマ神殿の、ガボの自室である。
テーブルの上には、紅茶とクリーム菓子が並べられている。シャイナに頼んで、用意してもらった代物だ。以前、マリベルがガボを訪ねた時にお茶も何も出さなかったことがあり、その時に「こういう時はお茶を用意しておくものよ」と怒られてしまったからである。
今回はしっかりと用意していた為か、マリベルは上機嫌だ。
ガボの方からマリベルに相談がある、と伝えダーマ神殿にまで来てもらったのだ。もし足労願った上にお茶すら用意していなかったら頭を叩かれていたかもしれない。
「オイラだって悩んだりするんだぞ」
マリベルの口ぶりはまるでガボが何も考えていないかのようだったので、口を尖らせた。
「はいはい。それで、何?」
紅茶を一口飲みながら、マリベルは本題を促した。
――トントン。
ガボが口を開きかけた瞬間、部屋のノック音に邪魔をされた。
それが慣例になっているのか、返事を待たずに扉が開かれる。
顔を覗かせたのは、シャイナである。
「ガボさん、いますか――あら?」
シャイナは部屋にいるのはまだガボ一人だけだと思っていたのだろう。マリベルの姿を認めると、扉から手を離して軽く頭を下げる。
「マリベルさん、こんにちは」
「御機嫌よう、シャイナ。これ、あなたが用意してくれたのでしょう」
と、マリベルがティーカップを持ち上げる。ガボにこういうことはしっかりなさいとは言ったが、準備などの細かい作業をやってのけるとは思えなかった。ならば、頼れるのはシャイナくらいである。
「ちょうどよかったぞ。シャイナも一緒に聞いてくれねぇかな」
「私が、ですか?」
「ああ。裏山のこと、マリベルに相談しようと思っていたんだ」
きょとんとしていたシャイナの顔つきが、その一言で変わる。
どうやら、ダーマ神殿に関わる話らしいとマリベルは直感的に悟った。細かい話や説明などはガボが苦手とするところなので、シャイナがいてくれるのは心強い。
「それでは、私から説明しましょう」
シャイナもガボが説明役には向いていないと思ったのか彼女の方から口火を切った。
数日前からの話である。ダーマ神殿の裏山に、魔物が住み着いたのだ。
しかも、そこらで出没するような魔物ではなく、ドラゴン種であった。
今のところは人間を襲うような様子は見せず、ただそこに居座っているだけ。
そのドラゴンの対処法が、ダーマ神殿が抱えている問題であり、ガボがマリベルに相談しようとしていたことだ。
「魔物でしょう? 退治すれば良いじゃない」
あっけらかんと良い放ったマリベルに、ガボが明らかに不満顔を見せた。
「何にも悪いことしてねぇーし、害はなさそうなんだ。わざわざ殺さなくても……」
問題は、対処の仕方で意見が分かれていることだ。
下手に手を出したら、ドラゴンが暴れ、仲間を呼んでダーマを攻めるかもしれない。もしくは仲間を殺された事を知った他のドラゴンたちがダーマを標的として認める可能性もあるのだ。
そうした懸念を持って、こちらから何もしなければ向こうも何もしない。『静観』派と、マリベルが言ったように退治すれば良いと思っている『討伐』派の二つに分かれている。
『討伐』派の意見としては、今はドラゴンが何もしていないとはいえ、暴れだして被害が出てからでは遅い。いつ人を襲うか解らないのだし、すぐ裏手の山に危険性を秘めたドラゴンを置いておくわけにはいかない。被害が出る前に退治しなければならない、というものだ。
そしてその代表に立っているのが、ガボとシャイナである。
「私は、いつ襲ってくるかもしれない魔物は、早急に対処すべきと思っています」
と、強くシャイナは主張した。
ガボは『静観』派。シャイナは『討伐』派だ。
ガボのよき理解者であるシャイナでも、こればかりは譲っていない。
「なに? あんた、派閥争いにでも巻き込まれているの?」
そうしたものとは無縁と思っていたガボが、珍しい立場に立っているのがどうにもおかしかった。
しかし、ガボが『静観』派としての考えを持っているとは思えない。意見としては『静観』派なだけであり、発言力があるが故の立場なのだろう。ガボにはガボなりの考えがあるはずだ。
「どうしたら良いのか、マリベルに聞きたくて呼んだんだ」
「ふぅん。そういうことって大神官が決めるもんだと思っていたわ」
ダーマに関わる大問題である。判断を下すのはダーマ大神官が普通だが、大神官は『職』の転職儀式でそれどころではない。この件に関してはガボとシャイナに一任してあるのだ。
「(フォズだったら、寝る間も惜しんで一緒に考えてくれそうなのにね)」
と、過去のダーマ大神官のことをふと思い出す。彼女ならばこういう時、一緒に協力してくれそうなものだが、時代は違うというべきか。
「まあ、どっちも正論よね。下手に手を出してそのドラゴンの種族とダーマの全面戦争の可能性もあるわけだし、さっさと退治して何もなかったらそれはそれで良いわけだし」
結論が出ないまま、放置しておくわけにはいかない。答えを出すためにマリベルを呼んだわけだが、マリベル自身はどちらも正しいと思った。ただし、と心の中で付け加える。
「ガボ、あんた本当に『静観』派としての意見を持ってそっちにいるの?」
じとりと半眼を向けると、ガボは下唇を噛んで俯いた。
「前にあいつと同じようなことで喧嘩したことがあったんでしょう。それがあるから?」
ガボはいたずらが見つけられたような子供のような表情で顔を上げた。それは、マリベルの考えが当たったことを示している。
マリベルの言う、あいつ、とは世界を救った勇者であり彼女の幼馴染だ。
石版世界でのオルゴ・デミーラを斃した後、ガボは彼と一緒に石版を巡る旅を続けていた。その一つに、ルーメンという村がある。そこの村長が、懐いた魔物を愛玩動物のように飼い慣らしていた。彼は魔物を殺すように主張し、ガボは様子を見ようと主張した。そこで喧嘩別れして、ガボはしばらくルーメンに留まり様子を見たのだ。魔物は猫に追われて怪我をするほど無力なもので、安全と判断したガボもまた別の地に旅立った。
ところが、しばらくして経過を見に行くと、魔物は子を生み繁殖し、その子が凶悪に成長して村を襲っていたのだ。ガボが必死に戦って村を救ったが、犠牲は多かった。
そんな過去があったから、今度こそは、とガボは考えたはずだ。
状況が違うのは、ダーマには屈強な神官戦士もいること、ガボがずっとダーマにいられること。ルーメンの時はずっと村にいる事もできなかったが、今回は違う。
今度こそは、何かあっても守ることができる。
しかし、本当にそれでいいのか。過去にも失敗した通り、将来の禍根を経つ為に早急に退治した方がいいのではないか。
そんな考えが、ガボを揺らして悩ませている。
「悪いけど、どうするべきか、なんて私が口出しすることじゃないわね。これはダーマ神殿の問題でしょう? あなた達で解決しなさい」
マリベルはそう言い放った。決して逃げているわけではない。自分の意見でダーマの重大決定を下すことは良くないと思ったのだ。
「けどね、今のガボとシャイナなら私はシャイナを支援するわ」
「マリベルも、退治した方が良いと思ってるのか?」
「私自身はね。でも、それだけじゃない」
肩をすくめて、ガボに半眼を向ける。
「答えの出し方は、いつもあいつが示していたはずよ。だから、よ」
あいつ、とはもちろん彼女の幼馴染のことである。
話はこれでおしまい、とでもいうかのようにマリベルは席を立ち上がった。
「お茶、美味しかったわ。それじゃあ頑張ってね」
「待ってくれよ。もう一つ教えてほしいことがあるんだ」
「まだあるの?」
さすがにマリベルも眉を顰めた。
そのことが何なのか、シャイナは気付いたようではたと思いだしたように手を叩いた。
「そうそう、ガボさんにそれを伝えに来たんですよ。彼女たち、今日も来ていますよ」
「うぅ、やっぱりか」
ガボが違う悩ましい表情を見せたのだが、一向に話が見えてこない。
「なんなのよ、教えてほしい事って」
話を促すと、ガボは言いにくそうに、頬を掻いた。
「人のあしらいかたを教えてほしいんだ」
ダーマ神殿の大広場は、いつでも賑わっている。『職』を求めてくる人や、その人々相手に商売している者もいれば、休憩中の神官と談笑に興じる者もいる。
現代にダーマが復活したばかりの時は閑散としていたのが、嘘のようだ。
広場に足を運んだガボとシャイナとマリベルの三人だが、ガボは誰かの視線を恐れるかのようにおどおどしながら辺りを見回した。
挙動不審な行動は逆に目立つし、何よりガボとシャイナはダーマの有名人である。必然的に、人々の視線が集まる。
「ガボ様ぁ♪」
その視線の一つが、高い声音で襲い掛かってきた。いや、襲い掛かってきたというは言いすぎかもしれないが、それほどの勢いがあったのだ。
「エリス……」
苦虫を噛み潰したような顔でガボはその少女の名を呟いた。年の頃はまだ少女と呼べる、ガボより少し年上と言った所か、ガボ以上マリベル以下くらいだ。栗色の毛をツインテールでまとめ、愛くるしい顔立ちの少女はいきなりガボに抱きついた。
「もう、どうしてすぐ来てくれないんですか。会いたかったですぅ」
語尾にハートマークでも付きそうな言い方の少女を見て、マリベルは笑いをこらえるのを必死だった。
聞けば、エリスという少女がガボにぞっこんらしく、いつもガボに付き纏っているらしい。随分とモテモテになったものだと、マリベルは心の中で爆笑した。
「エリスが来てるってことは、やっぱり」
すぐ近くにいるだろう、と探そうとするがその必要はなかった。
ガボのすぐ目の前に、目つきの悪い青年が立ちはだかった。
「よ、よぉラジ。元気か?」
苦笑いしながら聞いてみるが、さすがに穏やかな雰囲気ではない。
「元気か、も何もあるか。すぐに離れろ」
ラジと呼ばれた青年は、マリベルより少し年上といった頃合いで、鋼の鎧に鋼の剣を吊るした風貌は戦士そのものである。ただし、鎧は微妙に身体と合っていないため、少々不格好だ。
「そんなこと言っても、エリスの方から……」
「てめぇが誑かしているんだろうが! さっさと離れろ」
今にも腰の剣を抜きそうな勢いの彼は、エリスの兄である。戦士を『職』としているようだが、ちょうど板についてきた頃合いと見える。一番、過剰な自信を持ってしまうような時期だ。
「(なんか、前にも似たようなことがあったわね)」
その様子を見ていたマリベルは、ふと石版世界のダーマの事を思い出した。そこで出会った姉と弟と、名前まで似ている。違うのは、姉を心配する弟ではなく、妹を心配する兄という点と、相思相愛ではないという点か。
なんとかしてガボはこの状況から抜け出したいと思っているらしく、それもマリベルに相談したいことの一つであった。
確かにガボはこうした状況には慣れていないだろう。それに比べてマリベルは、男に言い寄られても躱すことに長けている。ガボが頼りたくもなるだろう。
「こんなときどうすりゃいいんだよ」
ガボがマリベルに助けを乞うが、マリベル自身はそれを面白そうに眺めるだけだ。
「さあてね。いっそのこと、その子と付き合ったら?」
「そうですよガボ様。あたしをお嫁さんにして!」
「あぁ?! なんだよてめぇは!!」
マリベルの提案に、当然ラジが食らいつく。
「名乗るほどでもないわ。私は関係ないから、よろしくやっておいて」
と、適当にあしらってくるりと背を向けた。どんな様子かを見たかっただけなので、もともともう帰るつもりだったのだ。面白い物も見られたので、収穫としては充分だ。背を向けたまま手を振ってその場を離れる。
そうやって敵意をあっさりと受け流したマリベルを、ガボは羨ましそうに、むしろ恨めしそうに見ていたのだった。
その夜。
がんっ、と鈍い音が鳴った。怒りのままにその当たりのものを蹴飛ばした結果ではあるが、ラジは夜道を不機嫌そうな顔をして歩いていた。
「畜生!」
妹がへんちくりんなガキに惚れこんでしまっている。それをなんとかしたいと思っていても、肝心の妹のエリスは言う事を聞いてくれないのだ。
しかも今日現れた女には
彼女いわく、
「あたしは強い男の人が好きなの! 強い人の言う事なら、聞くかもね」
とのことだった。遠まわしに兄であるラジのことを弱いと言っているようなものだ。
か弱い妹を守るために、戦士となった。そして強くなったはずなのに。
あんな小さな少年に、ラジ自身は負けるとは思っていない。
それもそのはず、ラジはガボがどれだけの実力を持っているか全く知らないのである。
ダーマに住んでいる少年、くらいにしかガボのことを知らない為、いつか負かしてやると思っている。ガボに勝負を挑んでも、ガボがちょうど忙しかったりしているため、一度も勝負らしい勝負はしていない。それがラジの目には、負けるのが怖いから逃げている、というように映っているため、尚更だ。
手っ取り早く、妹に自分が強いと証明できることは何だろう。ガボを倒すことか、それとも……。
と、ラジは空を見上げた。星空の元、ダーマでも話が持ち切りの裏山が視界に入る。
ガボとシャイナを筆頭に、問題の解決を話し合っていることをラジも知っていた。
「あいつができないことを、オレがやってやりゃあ」
腰にある鋼の剣の具合を確かめる。
つい先日、戦士として『凄腕』の称号を得たばかりであるラジは、いっぱしの戦士としての自信があった。本当の魔物とは戦ったことなどないが、訓練の相手が人間ではないだけと考えれば問題は無い。むしろ、人間相手は知識や知恵も駆使して戦うが、魔物はただ単調な攻撃しかしてこないだろう。
ラジは、裏山へと足を向けた。
「なぁエリス。今日はもう帰ったほうがいいぞ」
昼間からずっとガボの傍を離れないエリスに、さすがのガボもうんざりしていた。
「だってガボ様の傍にいる時が幸せなんだもの。ずっとこうしていたい!」
「もう夜だぞ」
「あら、夜の営みをご希望なの?」
エリスは頬を朱に染め、代わりにガボは青くなった。
「シャイナ、助けてくれ」
ちょうど通りかかったシャイナに助けを求めるが、彼女はその様子を暖かく見守るだけだ。
「よろしいではないのですか。結婚式は、大神官も含めて盛大に行いましょう」
「素敵!」
「がぅぅ、やめてくれ……」
さすがに冗談だろうが、シャイナが言うと洒落にならない。
「でも、あたしも帰ろうにもお兄ちゃんがどっか行ったままなのよ」
そう言えば、ラジの姿が見えない。
二人はダーマ近くの宿泊施設に長期逗留しており、毎日ダーマと往復しているのだ。
「シャイナ、知らねぇか?」
「いえ、私も見ていません。他の人に見ていないか、聞いてきますね」
と、探しに行こうとしたところに別の所から声がかかる。
「あ、シャイナちゃーん」
見れば、ダーマのよろず屋だ。
「はい?」
「裏山、解禁されたんなら言ってくれよ。あそこの薬草、うちの売上けっこう占めてるからさあ、通れるようになったらすぐ行きたかったんだ」
裏山の魔物問題の影響で、現在は裏山への通行を全面禁止している。それは、今も同じのはずだ。
「あの、どういうことでしょうか?」
「あれ? まだ解決してなかったの? なんか、うちで鋼の鎧を買ってくれた青年が裏山に登っていくの見たんだけど……」
それを聞いて、ガボとシャイナとエリスの三人は顔を見合わせた。
「まさか!」
硫黄の匂いが鼻を突く。
ドラゴンが住む所にはたいてい、このような匂いが漂っているものだと聞いた事がある。
「ここか」
その匂いが人間でも認識できる所は、すでにそのドラゴンの縄張りの中である。夜だから眠っているかもしれないが、ラジに気付いて、起きだしてくるかもしれない。もし眠っているのだとしたら、そのまま寝込みを襲えば勝利は確実のはずだ。
裏山の、ちょっとした穴倉になっているそこに、気配はあった。
ごくり、と固唾を飲んで鋼の剣を抜く。何故か、手が震えているではないか。
「武者震いさ」
そう言って、ラジは洞穴の中に入って行った。
生温かい空気が、全身に当たる。
奥に入ると、それはすぐに見つかった。
巨体を動かしにくそうに蠢かし、苦しそうに呼吸をしている。緑色の鱗は、湿っているかのような色で、羽が巨体の割には小さい。
ギガントドラゴン。ドラゴン種の中でも上位に位置する魔物である。
そのギガントドラゴンの瞳はしっかりと開かれ、侵入者たるラジを捉えていた。
「う、ぁ」
ラジは手だけではなく足まで震えていた。魔物の殺気を直に受け、その威圧感に押し潰されてしまっている。
こんなことがあるのか。魔物一匹くらい、と思っていたのは誰だ。こんなにも、怖いなんて。
がぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!
ギガントドラゴンがのそりと立ち上がり、咆哮する。
「ひぃっ!」
殺される!
ラジは鋼の剣を投げ捨て悲鳴を上げながら洞穴から抜け出そうとした。足がもつれ、こけそうになるなど見っともない姿を晒しながらも、逃げなければと本能が告げている。
なんとか洞穴から抜ける。冷たい風に当たると同時に、ついにラジは無様に転んでしまった。
「はぁっ、はっ」
肩で呼吸をしながら、恐る恐る洞穴の入り口を見る。
どしん、どしん、と地面が揺れているのが嫌でも解った。
「(く、来るな! 来るなよぉ!!)」
必死に祈るがその祈りは叶わず、ギガントドラゴンが洞穴から這い出て来る。
標的と認識したラジを発見した途端、その瞳が狂気に染まる。殺す気だ。
「ラジ!」
「お兄ちゃん!」
そこへ、ちょうどガボとエリスとシャイナが現れた。
「お前ら、な、なんで」
「お兄ちゃんを見かけた人がいたの! もう、何やってるのよ!!」
その場にへたり込んでしまっているラジに、エリスが駆け寄る。
「やはり、こうした事態にも備えて早急に退治しておくべきだったのです」
と、シャイナが言う。
「そうは言ってもよぉ」
ガボが反論しようとするが、今はそれどころではない。
ギガントドラゴンは縄張りを荒らされたことに怒り狂っているらしく、このまま穏便に済みそうにない。
「結局、こうなっちまうんだな」
ガボも退治した方がいいとは薄々ながら思っていたし、こうなる予感もしていたのだ。
「おいらも、選らばねぇとな」
ここまで来て様子を見るべきだ、などと言えるはずがない。
ならば、ここで決着させるだけだ。
マリベルが言っていた答えの出し方。それを間近で見ていたはずのガボは、その事に気付いていなかった。いつでも、『彼』は答えを見せていたはずだ。
「仕方ねぇ、エリス、シャイナ、行くぞ!」
「二人の共同作業ね!」
「私もいるのですが……」
ラジから離れたエリスが嬉しそうに言って、シャイナは微笑みながらそう主張した。
「ってぇ待て! エリス?!」
ラジが狼狽するのも当然だ。妹がギガントドラゴンに挑もうとしているのだ。
だが、その驚きは別の驚きに変わる。
ギガントドラゴンが灼熱の炎を吐いた瞬間、シャイナの防護呪文が完成していた。ブレス攻撃を軽減するフバーハの衣が、前衛の二人にかぶさり、炎による痛手はほとんどなかった。
「ガウゥウゥ!」
オリハルコンの牙を加えたガボが俊敏な動きでギガントドラゴンの腹部を裂く。
揺らいだそこへ、エリスの少女とは思えない鋭い打撃が連続で合計四度、叩き込まれた。
それだけではギガントドラゴンはまだ斃れず、巨体から腕を振るう。狙いは、ちょうど至近距離にいたエリスだ。
「はっ!」
気合一声、エリスはそれを避け、お返しとばかりに腕を蹴り飛ばす。
ウォオォォォン!!!
ガボが吼え、ダメージを負ったギガントドラゴンがびくりと見を竦ませた。
シャイナがバイキルトの呪文を唱え、その光はエリスに注がれた。
エリスは懐から短剣を取りだし、一気にギガントドラゴンの懐に潜り込み、切り上げた。
「ヤァ!」
その鮮やかな斬撃は、まるで龍が立ち上るかのようだ。
ドラゴン斬り。竜種族に対して効果的な斬撃はギガントドラゴンの止めとなったようだ。
ギガントドラゴンは、ついに斃れた。
「ふぅ、無事だったみてぇだな」
戦いが終わって、ガボたちが腰を抜かしたままのラジの元に集まる。
当のラジは、まだぽかんとしていた。
「エリ、ス……?」
自分の妹が、守ってあげなければならないと思っていた妹が、凶悪な魔物に立ち向かっていたのだ。そのことが、まだ信じられなかった。
「なんだ、知らなかったのか? エリスはもう、『バトルマスター』を極めているすげぇ奴なんだぞ」
開いた口が塞がらないとはこのことか。ラジは、口を金魚のようのパクパクさせて何かを言いかけるが結局何も言葉は出てこなかった。
自分の知らない所で、妹はずっと努力していたのだ。この年齢でバトルマスターという上位の職を極めるほどに。
「なん、で」
ラジが必死に絞り出したなんで、には色んな意味が含まれていただろうが、エリスは誇らしげに腕を組んだ。
「あたしが自分で選んだことだもん。その事を後悔しない為に、全力を尽くしていたらいつの間に、ね」
その言葉に、ガボが頷く。エリスも、シャイナも、選んでいた。選んだ事に対して、全力を注いでいたのだ。それは、世界を救った勇者もしていたことだ。彼は世界を広げる旅を選択し、それを後悔しないようにしていた。その姿を、ガボは見続けていたはずだ。
だから、ガボも選んだ。魔物を斃すと決めた以上、全力を尽くす。
「とりあえず、裏山はもう安全のようですね」
今は、である。もしかしたら、このギガントドラゴンの同種族が、仲間の死を知って復讐してくるかもしれない。
その時はまた戦うことになるだろう。だが、それが自分たちの選んだことなのだ。
これは、余談である。
ダーマ神殿には、屈強な戦士が揃っている。
特に有名なのは、四人の人物だ。
一人は、聖なる魔物さえ『職』としている黒髪の狼のような男。
一人は、『天地雷鳴士』たる優しげな女性。
そして二人の『ゴッドハンド』の職を極めた兄妹。二人は兄妹ということもあってか、神の両手、として知られていた。
四人はダーマの守り手となり、いつか誕生するだろう勇者を、心待ちにしている。
彼らの実力ならば、勇者にも成り得るのだが、あくまで勇者の誕生を見守る側としている。
何故、と聞いた者も少なくない。
決まって彼らは、こう答えるのだ。
「それが、自分で選んだ事だから」
〜fin〜
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今さら過ぎる注意書き的なあとがき:
・今回の話、エニックス及びスクウェアエニックスから出版されている小説DQ7のその後のノリです。
なので、その小説の内容があることが前提の話になっていますので注意してください(またか
でも、7主人公の名前は一切出していません。
前作と同じで、今回の主役はガボたちです。
作中でも少し書きましたが、ラジとエリス。過去ダーマのザジとネリスを意識してます。
実は、この兄妹の話をメインにしようとしていました。
ところがシャイナと裏山に住み着いたドラゴンの話がメインになった気が……。
もともと、ラジが魔物にちょっかい出してやられそうになってエリスが倒して、という流れの予定でした。
設定上、魔物が極端に減っている現代でそれをするには、と考えた設定がこれ。
ちょうど、ガボが失敗した過去の経験(ルーメン)のことも活かしたかったので、
とかいろいろ設定を追加したら……うん、初期設定の話の1.6倍になってましたとさ。
ところで作中に書いたのですが、ぞっこんってもしかして死語……?
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