Collapsing Rune
-三十四回目の奇跡-




 カラスっていうのは、どうも良い認識はされていないようだ。
 カラスがいると不吉だとか、ゴミ捨て場の天敵だとか、光物が好きな成金趣味だとか、とにかく良い噂を全く聞かない。おかげで、カラスだということだけで、人間たちに変な目で見られ、同じ鳥仲間である他の鳥類にまでバカにされてきた。
「やれやれまったく……」
 今日もまた、食料を探して飛んでいると、かわいい雀さんたちから「こっちに来ないでよ」と文句を言われ、こうして腹を空かせて飛んでいる。
「カラスの何がいけないんだろう。オレは何にもしちゃいないのにな」
 人間たちのゴミ捨て場を荒らした事もなければ、光物をかっぱらったこともない。とりあえず、善良な鳥として生きているつもりなのだ。
「あ〜ぁ、鳩がうらやましいよ」
 鳩なら神社やお宮に居座っても文句はいわれないどころか、エサまで貰えるらしい。カラスのように真っ黒な鳩でも追い出されることはまずない。
 特に、白い鳩なんて平和のシンボルだ。
「やぁ、空の散歩ですか?」
「いいや、腹を空かせているんで、エサを探し求めているのさ……って、え?」
 あまりにも唐突で、自然に話しかけられたので答えを返したが、すぐにおかしいと気付いた。カラスに話しかけるような鳥はいないし、同じカラスだとしたら羽音がするはずだが羽音はまるで聞こえてこなかった。きょろりきょろりと辺りを見回すが、鳥の羽一枚も見当たらず、幻聴か、と首をひねる。
「おっと、上だよ。頭上から失礼」
 言われて、上を見上げる。もっと驚いた。
「君は……猫、なのか?」
「犬にでも見えるかい」
「いや、そうじゃないけど」
 猫が飛んでいるのだ。姿形は至って普通の三毛猫である。いや、普通の三毛猫よりものほほんとした顔をしているようだがそれは関係無いだろう。翼で羽ばたいているようでもなければ、凄まじい跳躍で飛んでいるというわけでもない。明らかに飛行しているのだ。
「猫って、翼も無しに飛ぶ動物だったかい?」
「最近の猫は空を飛ぶんだよ」
「へぇ!」
「……冗談さ。僕は魔法を使える猫なんだ」
 三毛猫がクスリと笑う。
「魔法で空を飛んでいるのかぁ……」
「君、名前は?」
 三毛猫が聞いた。
「オレは、カー助。カラスだから、カー助。安易だろ」
「確かに安易だ。僕の名前はエントファッフェン。言いにくいだろ」
「確かに言いにくい……」
「エントフでいいよ」
「そうか、エントフ。ここで会ったのも何かの縁かな、オレはいろんな所に行ったけれど、空飛ぶ三毛猫魔法使いの噂なんて聞いたこともなかった」
 エントフがまたくすりと笑う。
「そりゃあ噂なんて流れないよ。僕はいっつも、誰に見られるわけもなく旅をしているからね」
 カー助がまた首をひねる。
「そいつはおかしい。だったら、なんでオレのところに現れたのさ」
 エントフがふるりと首を振る。
「てっきり仲間と思ったのさ。僕のような魔法使いは、だいたい独りでいるからね。君が独りでぽつんと飛んでいたから」
「……どうせオレはいつでも独りだよ」
 ふぅ、とカー助がため息をはいた。それを見て、今度はエントフが首をひねる。
「なんで独りなんだい?」
「カラスだからさ」
「カラスだと独りなのかい?」
「半分くらいは、そうかな」
 独りでいることが好きだということではない。本当は、皆と仲良くしたい。だが、カラスだからという理由で他の鳥たちから避けられ、同じカラスでも良い仲間には恵まれなかった。そうしているうちに、独りでいることが身についてしまったのだ。
 そのことをエントフに話したついでに、カー助は勢いで自らの夢も語った。
「生まれ変われるのならば、鳩になりたい。鳩になって平和のシンボルとなりたいんだ。そして、お宮でたくさんの鳩たちと友達になるんだ。オレはただ友達がほしいだけだからね。そりゃあ、お宮で人間たちがくれるエサにも興味があるけど……。でもそんなこと無理だよなぁ。いくら君が魔法使いだったとしても、オレをカラスから鳩に変えるなんてできやしないだろ」
「うん。できない」
 あっさりとエントフは認めた。頑張ればできるかもしれないけどね、と付け加えたが、それは危険な魔法になるので、魔法を使う側も使われる側も危ない目にあってしまうらしい。
「まぁでも、僕が今から行く場所では、ひょっとしたら可能になるかもしれないよ」
「本当かい! どこだい、それは」
「もうすぐ見えるよ」
 エントフばかりを見ていたカー助は、前を見ていなかった。もし、前を見ていたとしたら、明らかに不自然な浮かび方をしている雲があることと、それに突っ込んでいたことに気付いただろう。その雲が、エントフの作った空間移動魔法の入り口である雲だということにまで気付くのは、いくらカー助でもむりな話だ。
「あれが魔法の島、ルビルスだよ」



 多くの木々が並ぶその島は、上空から見ると、二つの大きな泉があることがわかった。『8』の字を横にしたような形をした島だ。そこまで大きい島というわけではないが、何故か大きく見えてしまう。
「これが魔法の島……。ていうか、いつの間にこんな場所に……」
「空間移動の魔法さ」
 驚きのあまりにカー助はただ目を瞬かせることしかできなかった。
「ルビルスは、願いの竜……パッピーが住んでいる島なんだ」
「願いの竜?」
「どんな願い事をも叶えてくれる」
 エントフは嬉しそうな顔をしている。
「……エントフは、どうしてこの島に来たんだい? 君も鳩になりたいの?」
「まさか! 僕はただ、冒険がしたいだけさ。だからいろんな場所を旅しているんだよ。僕の願いは、新しい冒険さ」
 それで彼は嬉しそうな顔をしているのだな、とカー助は納得した。今からの冒険に胸をときめかせ、純粋な少年のように興奮しているのだ。
「ルビルス、だっけ。魔法の島。どんなものがあるのかな?」
「何度か来たことがあるんだけど、そうだな……。あ、人間の魔女がいるぞ。草や花がお喋りする時もあるし、口うるさい虎もいたかな。人間みたいに大きなカマキリもいるから気をつけたほうがいい」
「魔法の島っていうか、危険な島じゃないか……?」
「安全すぎる場所で冒険なんてできやしないよ。それに願い事を叶えるためには、それなりの努力がなくちゃね」
 エントフの言い分は最もだが、こちとら普通のカラスである。しかも、身に覚えがないというのに同族からも嫌われるカラスである。そんな危なそうな島に入り込んで、生きて出られるかな、と不安になった。
 不安がっているカー助に気付いたのか、エントフはふふと笑う。
「大丈夫。僕の魔法で君を守ってあげるよ。いつも僕一人だったから、今回の冒険は君と一緒か。いつもと一味違う冒険が期待できるよ」
「あんまり期待してほしくないんだけど……」
 それでも幾分かは気が楽になった。エントフは何度もここに来ているというではないか。ならば、そこまで危ない目にはあわないだろう。それに彼は魔法使いだ。飛行と空間移動の魔法は使えるという彼は、他にどんな魔法を使えるか知らないが、とりあえず安全だろうとたかをくくった。
 その時である。
 びゅう、とやや強い風が吹いた。それは強さを増して、強風ではなく、暴風、このさい狂風とでもいうかのように荒れ狂った風が流れた。
「な、ななななんだぁ!」
「あぁ、忘れてた。ビッグストームだよ。この風に巻かれたら、どこかに弾き飛ばされる」
 のんびりと緊張感ゼロでエントフが答えるが、カー助は風に巻かれないように必死だった。
「ど、どうしたらいいのさ!」
「風の魔法を使ってビッグストームと気流を一緒にするのさ。同化してやり過ごすんだ」
「オレは魔法なんて使えな――!」
 カー助は最後まで言い切ることができず、更に強くなった風に巻かれて吹き飛んだ。どーんと飛ばされて、ルビルスのどこかに落っこちる。それを見ていたエントフは、やや呆然としていたがすぐに納得する。
「あぁ、ごめん。君は魔法が使えないんだったね。忘れていたよ。いやぁ、ついつい君を仲間と思ってしまってねぇ」
 謝る相手は既に吹き飛ばされてしまっているにも関わらず、とりあえずエントフはその場でカー助に謝った。その謝罪の声はもちろん、カー助に届くことはない。ぽつりと残されてしまったエントフは、さてどうしようと悩み、やはりここはカー助の所に行くべきだろうと判断して、彼が飛ばされてしまった方向に進路を変えた。



「う〜〜ん」
 まだ頭がぐらぐらする。お星様が見えるような気さえしてくる。
「ここは……?」
 辺りを見まわすと背の高い木が周囲を囲んでいる。上空から見た時は森のように見えたが、こうして下から見るとジャングルのようだ。しばらくして、ビッグストームとやらに吹き飛ばされたんだと思い出した。
「お〜い、エントフ!」
 カラス独特の大声を出しながら三毛猫の魔法使いを呼んでみるが、返事はない。彼が魔法で守ってくれると言うから安心していたのに、肝心の彼がいなければ、魔法の島と名のつく危険な島に一人でいるのは心許ない。
「エントフ、エントフぅ!」
 キョロキョロと方向を変えながら何度も叫ぶが、やはり返事は無い。
「……どこに行ったんだろう」
 どこかへ行ってしまったのはカー助のほうなのだが。
 とりあえず飛んでみようかと翼を広げるが、その前にガサリ、と草の揺れる音が聞こえた。
「エントフ?」
 カー助は希望の眼差しで音が聞こえた方に振り向く。
 がさ、がさがさがさり。
「エン……トフ?」
 草の合間から見えたもの。それは、確かに動物で、猫っぽい。だが、猫とは次元が違う。猫よりも危険で、でも猫科らしい。仮にそれがエントフだったとしても、彼の眼光はこれほど殺気に満ちてはいない。じゃあなんだろう、とカー助は落ち着いて考えようとしたが、落ち着けるはずがない。カー助は、そこに潜むものが何か、すぐに思い当たるものがあったのだ。つつ、と嫌な汗が流れる。
 こいつはやばいぞ、と飛び立とうとした刹那、それは飛び出した。
「うわぁぁ!」
 叫び、驚きと恐怖とその他諸々の理由で反射的に逃げようとしたが間に合わず、カー助は飛び出してきたそれに捕まってしまった。大きな前肢で地面に抑えつけられたのだ。
 グルルル、と唸るその動物はカー助の予想通り、虎であった。
「うわ、うわわ、うわぁぁぁ!」
 喰われる! としか思えなかったカー助は、とりあえず叫んだ。それでどうにかなるわけではないが、もしかしたら虎が驚いて手を引く――この場合は肢を引くというのだろうか――かもしれないと願い、暴れたりもしてみた。しかし、その努力も虚しく、虎は力を緩めさえしない。
「うるさいカラスだね!」
 カー助以上に大きな声で虎は文句を言った。その声だけで、カー助は竦んでしまう。
 そういえば口うるさい虎がいる、とエントフが言っていたが、これは口うるさいというよりも単に声が大きいだけではないか、と場違いなことにエントフへの文句をカー助は思いついた。これも、もはや死を覚悟したための悟りなのかもしれないな、などと心の中で笑う。人間、どうしようもなくなると笑うしかないというらしいが、これはカラスにも適応されるらしい。今度、これをテーマに論文でも書いてやろうか……と、これはもう現実逃避であり、できるはずことのないことを妄想しているのが、カー助の現在の思考状態である。
「なんだ、うるさいカラスと思ったら今度はだんまりかい」
 虎は普通に話しているつもりだろうが、カー助にとっては大声だった。周囲の草なんて、虎が何かを喋るだけでびりびり震えている。
 だがおかげで、カー助は激しい妄想から脱し、現実に戻って来た。現実に戻ったはいいが、やはり助からないのは変わらないと実感する。
「だってお前さん、オレを喰うんだろ。さんざん抵抗して、ダメだったんだ。こうなったら、素直に諦めちまったほうがいいかと思って」
「なんだい。アタイがあんたを喰うと思ったのかい?」
 その言葉に、カー助は希望の光を見出した。
「オレを喰うんじゃないのか!」
 ぱぁ、とカー助の顔が明るくなる。
「アタイは喰わないよ」
 虎が断言する。
「よかったぁ」
 安堵の息を吐いて、カー助は虎に感謝した……のは束の間である。
「アタイじゃなくて、アタイの子どもたちが腹を空かせているんだ。だから、子どもたちに喰わせるのさ」
「やっぱり喰われるんじゃないか!」
 喰われることには変わり無いらしい。カー助は今一度、虎の前肢から逃れようと暴れてみるが、やはり変化は無い。
「久々のお肉だからねぇ、子供たちも喜ぶよ」
「こんな真っ黒なカラスなんて、おいしくないだろうし、それになにより栄養もないと思うんだけど」
「肉は肉さ」
 虎が喋る度にカー助は目を閉じた。耳を塞げるならば、まずはそれをしたい。普通に会話しているのに、この大声。カー助など、捕らえられているので真上からその大声が聞こえてくるのだ。気を緩めたら気絶でもしかねない。
「ま、待ってくれよ。じゃあさ、オレがもっと上質で、腹がたんまり膨れる肉を紹介してやるよ!」
「……どうやってだい」
 突発的に出た言葉だが、虎は少し信じたのか、話の続きを促した。
「そこにある木、柿の木だろ。あの柿は、魔法の柿なんだ!」
 カラスはずる賢いというが、カー助は死の淵に立ってそれに開眼したのだろうか、もちろん出任せである。
「その魔法の柿をオレが取ってきてやる」
 これでどうだ、とカー助はこっそり相手を見た。なにやら思案顔である。
「逃げたりしないだろうね?」
「もちろんさ!」
「逃げようとしたら、アタイが大声をあげるよ。アタイの大声は、像でさえ失神するほどの大きな声なんだ。カラスのアンタなんか、耳が潰れちまうかもね」
「逃げやしないよ。柿を取ってくるまではね。だから、その後は見逃してくれよ」
「魔法の柿なんて、本当かどうか分からないから、魔法の柿が本物であるかどうかが証明できれば、まぁ許してやるさ。ほら、お行き!」
 やっとのことで前肢をどかしてくれる。やれやれ、おかげで肩が凝っちまった、とカー助は自分の翼をさすりながら、すぐに羽ばたいた。柿が生っているというのは、本当だ。カー助が先ほど頭上を見上げた時にそれは確認していたのである。こんな場所に柿なんて普通は生らないと思うのだが、それはここが魔法の島だからかな、とカー助は勝手に納得して疑問を振り払った。
 問題はここからだ。
 本当は柿を取るふりをして逃げるつもりだったが、像でさえ失神するらしい大声を出されると、カー助は飛べなくなってしまうだろう。それは、先ほど真上で普通の大声(?)を出されていたカー助自身がよくわかっている。虎も、それがわかっているから安易に放してくれたのだろう。
「さてはて、どうしたものか」
 本当にこれが魔法の柿ならなぁ、と期待したが、どこからどうみても普通の柿だ。カラスならば柿で充分に飢えを凌げるが、虎となると柿では満足しないだろう。悲しいかな種族の差。
 とにかく柿を嘴で取って、虎のもとへと戻る。
「なんだ、普通の柿じゃないのかい!」
 ぎろり、と虎が睨む。しかしカー助は虎の大声に顔をしかめて、耳を塞いでいたのだ。それでも虎が何を言ったか判然としているのだから、それほど大きな声であるということが嫌でもわかる。
「いいや、魔法の柿さ」
 虎の言葉が終わったのを確認。虎が何かを言いかけようとするが、それを遮って、カー助は柿を差し出して説明を開始した。
「この魔法の柿は、どんなものにでも変身するんだ。もちろん、大きさだって変わる」
「そんな都合のいいもの、本当にあるのかね」
「あるさ! ここは魔法の島、ルビルスだよ。この柿は生っている時のものを取らないと魔法を発揮しないんだ。あんたは虎だから、生っている柿なんて取ったことないんだろう」
 初めて来たやつの言葉ではないが、虎のほうは納得してくれたらしい。
「よし。いいかい、まず、この柿に手を乗せる。あぁ、お前さんの場合は前肢だね。片方で良いよ」
 しぶしぶ虎が従う。柿相手に、犬が『お手』をしているようにも見える。
「次に、目を閉じて……そう。あとは、変身してほしいものを想像するんだ。鹿の肉とかでいいんだろう」
 こくり、と虎が頷く。
「じゃあ、子供たちが満腹になるほどのでっかい鹿肉を想像して。それを、五分くらい続ける」
「長いよ!」
 唐突な大声の文句に、耳を塞ぐのを忘れていたカー助は思わず失神しそうになった。
「も、文句なら魔法の柿に言ってくれよ。魔法を手軽に使えるんだ、五分くらい我慢しな」
「…………。しょうがないねぇ」
 しんなりとした声だが、充分すぎるほどの音量である。
「五分の間、動いちゃいけないよ。そう、そのまま、そのまま、そのまま……」
 そのまま、と言う度に、カー助の声が小さくなる。それは虎の聞こえ方で、本当は、カー助は少しずつ後ろに下がっていたのだ。飛び立っては羽音で逃げるのがばれてしまうので、一歩一歩、遠ざかっているのだ。
 やがて速度を徐々にあげて、何度も虎を確認する。まだ目を閉じて、柿相手に『お手』をしている。
「成功だ」
 もう大丈夫だろう、という場所で、カー助は羽ばたいた。
 虎の声は聞こえてこない。助かったのだ。もちろん、あの柿は魔法の柿なんてものではなく、何の変哲もないただの柿である。もしかしたら、嘘から出た真、本当に魔法の柿だったかもしれないが、それならそれで虎も満足というものだ。
「よかった。あとは、エントフを探さなきゃ」
 ジャングルの上を飛んでは、さっきの虎に気付かれるかもしれないと木の間を縫ってカー助は飛んだ。飛び続けるが、エントフの姿は影すら見えない。
 やがて、一つの大岩を見つけた。休憩にはもってこいの大岩だ。飛び疲れ、その岩に着地。ふぅ、と一息ついて汗を拭った。
「もしかして、動かないほうがいいのかな」
 探し回ってあちこち移動するよりも、エントフが見つけてくれるのを待っていたら安全な気がしてきたのだ。そこここに叫んで、また虎なんかを呼び寄せたりしては命が幾つあっても足りない。
「おや?」
 晴天だった空。それなのに、急に影が差したのだ。
 どうしたのだろうと上を見てみるが、太陽は出ている。曇ったわけではないが、カー助は陰の下にいた。太陽を遮っていたのは、巨大な生物だ。その大きさに、カー助はぽかんと口を開けて、物事を認めることがすぐにできなかった。
「これまた、でっかいカマキリだなぁ。ハハハ……」
 笑ってみるが、笑える状況ではない。エントフの言っていた、人間みたいに大きなカマキリ。これは本当だった。強いて言うなら、人間よりも大きな、と言った方が正確だがそんなことはどうでもいい。カー助は虫と喋ったことはないし、喋られるものとは思っていない。基本的に動物としか会話はできないのだ。時にはエサとなる昆虫の声など、聞いたことはなかった。
「や、やぁ。こんにちは」
 とりあえず挨拶してみる。だが、その声は震えているし、ガタガタと身体も震えている。それというのも、カマキリの鎌がギラリと光って、いつ自分を捕らえるかと思うと恐怖心が煽られるからだ。
「良い天気ですね。お散歩日和だ」
 友好的に、あくまでご近所さんに接するように話しかけてみた。
 巨大カマキリは答えない。
「それにしても君は随分大きいな。何を食べたらそんなに大きくなるんだい?」
 巨大カマキリは答えない。
 答えない代わりに、鎌を振り上げた。
「あ、アハハ。鎌を振り上げるのって、友好の証だよね……だよ、ね?」
 巨大カマキリは答えない。
 答えない代わりに、キシャァァと奇声を上げた。同時に鎌を、カー助の首目掛けて振り下ろす。喋ってくれると期待していたが、それは叶わない願いだったようだ。
「だぁぁぁ!」
 反射的にそれを回避。ついでに回避した勢いで羽ばたいた。空を飛んで逃げるが、そういえばカマキリって空を飛べるんだろうか? 昆虫だから飛べるのかもしれないと後ろを振り返るが、あのカマキリはどうやら飛ばないらしい。
「エントフぅ、どこ行ったんだよぉ」
 泣きながら飛んで、飛んで、飛んで、飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで。回りはしないがとりあえず飛んだ。

 休める場所は無いのか、と不安になりながら、カー助は一つの大きな泉を見つけた。上空から見えた泉の片方だろう。ということは、島の半分の中間にいるのだ。
「もしもし、そこのカラスさん」
 呼びかけられて、驚きつつカー助は声のする方を振りかえった。誰もいない。
「ねえねえ、そこのカラスさんや」
 またもや謎の声。きょろりと見回してみるが、やはり誰もいない。
「なあなあ、そこのカラスさんよ」
 幾度もあの声。歩き回って探してみたが、そこには誰もいない。
「やあやあ、そこのカラスさん!」
 四度目の声。どうしたものだろうかと困ったが、誰もいない。
「したした、カラスさんの下だよ」
 言われて、下を向いた。そこには、草と花しかない。しかし、普通の草と花ではない。草と花には口があり、目があり、鼻がある。花に鼻というのはどうかと思うが、その辺りは無視。
「なんだ、草と花が喋っているぞ」
 自分で言って、思い出した。エントフが言うには、草と花が喋る時があるらしい。今がその時なのだろうか。
「ここは魔法の島、ルビルスだよ。別に草と花が喋っていても、おかしくはないでしょう」
 花が穏やかに言った。
「そうそう。それともなにかい、草が喋っていたらダメなのか?」
「そうは言わないけど……」
 草の方はややひねくれているらしい。
「それよりもカラスさん、随分とお疲れのようですね」
 花の優しい声に、カー助はそれだけで癒されるようだった。
「うん。声の大きな虎に喰われそうになったり、身体の大きなカマキリに首をちょん切られそうになったりでね」
 普通にカラス生活を送っていたカー助にとって、これだけで一年分は苦労した気になっていた。
「それは大変でしたね」
「大変だったね」
 花の言葉に草が便乗する。
「あ、そうだ。そこの泉の水をお飲みなさい」
「君のようなカラスさんでも、元気になるよ」
「『でも』って言葉がなんか引っかかるなぁ」
 不思議な言い回しの草に疑問を感じながら、花に言われた通り泉の水を口に含んだ。そのまま飲み込むと、不思議と疲労感が消えて行く。これなら、世界を一周飛んでも疲れない気がしてきた。
「凄いや。それに、甘くておいしい」
 いつも飲んでいる水とは違って、それは砂糖を混ぜたように甘い水であった。それに、不思議と空腹感も消えた。
 ついでにもう一杯、と口に含む。
「うむ、甘い」
 ごくりごくり、またごくり。
「甘い、甘い」
 ごくんごくん、またごくん。
「こんなにおいしい水は初めてだ」
 ごきゅんごきゅん、またごきゅん。
「甘くて、まったりしていて、とろりとしていて、しょっぱくて、辛くて苦くて……」
 その味を言葉で表現しているうちにおかしいことに気付いた。気付いた時にはもう遅い。そのあまりにまずい、泥水の方がまだマシのような水になっていることに気付いたカー助は、既に深い眠りについていたのだ。ちょっとやそっとのことでは起きない眠り。
「これで、よろしいのですか」
「これでいいんだろぉ」
 花と草が、確認を取る。
「あぁもちろんさ。ご苦労だったね」
 それに答えた第三者の声は、随分としわがれていた。
「じゃあ約束通り、普通のお水を下さいな。めっきり雨が降らないから、カラカラですわ」
「カラカラだぞぉ」
 花と草の言葉に頷き、第三者はぱちんと指を鳴らす。すると雨雲が唐突に現れて、心地良い程の雨が落ちた。雨降りの魔法であった。



 そこは濃霧に覆われたような空間で、遠いような近いような、はっきりしない幻想のようであった。すぐに、これは夢なのだなと理解する。夢なのだから、とうぜん自分は眠っている。
 早く起きなきゃ、と思ったが、その前に視界をかすめるものがあった。濃霧の中に見え隠れする、金色の光。
あ、待ってよ
 その光を何も考えずに追いかけるが、光は待ってくれない。それどころか、どんどん遠ざかって行く。
待って、待って――!

「ちょっと待てぇぇ!」
 ぱちと目を覚ましたカー助は、煮えた湯の中に放り込まれそうになっていた。
 慌てて叫んだおかげか、何かに持ち上げられた。
「おやおや、目を覚ましちまったのかね」
 しわがれた声。カー助の足を持って逆さ吊りにしているのは、しわくちゃの老婆だった。鼻が長く、腰が曲がり、紫紺のローブを纏っている。世間的に言う、『魔法使いのおばあさん』をそのまま絵にしたような人間だった。
「な、なんでオレがこんな煮え繰り返った鍋の中に入らないといけないんだ」
 カー助が放り込まれそうになった鍋は、これまた大きなもので、人間が軽く五人は入るのではないかというほどのものだ。
「あたしの魔法実験に付き合ってもらうのさね」
 なんでそんなことを聞くの、と逆に言われているような気さえしてくるほど、さも当然と老婆は言った。
「魔法実験? もしかしてあんたは魔女なのかい?」
 エントフの言っていた、人間の魔女。それに該当するのは、目の前の老婆だろう。
「そうさね。西の魔女と言えばあたしのことさね」
「『西』の? 東の魔女もいるの? 北とか、南とかも」
「北と南にはいないだろうね。東にあたしのような魔女がいるかどうかは知らないけど」
 そういえば、ルビルスは『8』の字を横にした形をした島だ。ということは、カー助は西側にいるのだろう。ビッグストームで飛ばされた時は、自分が島のどこに飛ばされたかすらわかっていなかったのだ。とはいえ、現在位置が多少わかったところでどうしようもない。今は魔女に捕まっているのだから、何とか抜け出してエントフを見つけなければ。
「質問は終わったかね? それじゃあ、さっそく実験の再開さね」
「うわ! 待った待った! なんでオレなのさ」
「昔から魔女が調合するのは相場が決まっているからね。カラスの羽と、ライオンのしっぽ」
「それを言うならコウモリの羽と、トカゲのしっぽだよ!」
「それは世間一般のだろ。ルビルスでは違うのさね」
「そんな……。あ、羽なら一枚かあげるよ! だからオレを丸ごと入れなくてもいいだろ?」
 魔女は首を横に振った。
「じ、じゃあ三枚」
 魔女は首を横に振る。
「商売上手だね。五枚でどう?」
 やはり横に振る。
「ちょいと見てくれよ。大切にしてきたこの艶やかな羽も一緒につけるよ」
 ちょっと眺めて、横に振る。
「羽も六枚!」
 カー助もそろそろバナナの叩売りでもやっているかのようになってきた。それを見かねてか、魔女はふぅとため息をついた。
「残念ながら、あたしが今からやろうとしているのはとっても大きな魔法だからね。羽だけだったら足りないのさね」
「なんでオレなんだよぉ」
「この島に紛れ込んだ時に目をつけていたのさね。外部のカラスなら、きっといい結果が出ると思ってね」
「虎に食われそうになったり、カマキリに襲われた時に、オレが死んでいたらどうなっていたんだい」
 島に入って来た時から目をつけていたということは、この魔女はカー助が虎とカマキリに襲われたことを知っているはずである。しかし、魔女は首を傾げるが、すぐにあぁと納得する。
「そんなことがあったのかね。残念ながら、あたしはカラスがこの島にやってきたということしか知らなかったのさね。虎とカマキリというと、あの凄く声の大きい虎と、あたしよりも大きなカマキリのことだね」
 こくこくとカー助が頷く。
「へぇへぇ。あいつらから逃げ出してきたってことは、良い素材って証拠さね。良い結果が出るだろうさ」
 結論。どういいわけしても逃してもらえないらしい。それにこの魔女、なんとなくだがルビルスのことを熟知しているようだ。直感ではあるが正しいだろう。虎の時のように嘘をついて逃げ出すことは不可能だ。
「……あのぉ、つまらぬことをお伺いしてもよろしいですか?」
 もはや逃げられないと悟ったカー助は、何故か敬語で魔女に聞いた。
「なにさね?」
「このもの凄ぉく煮えている鍋。ひょっとしてもしかして、この中に入ってもオレは死なない、なんてことになったりしない? 魔法の力で」
「残念ながら即死さね」
「あ、そう……」
 最後の希望も打ち砕かれた。
 どうやらこのまま死んでしまうらしい。どうせ死ぬなら、その後は生まれ変わって鳩になりたい、と願ってカー助は死を覚悟した。諦めたともいっていい。
「短いカラス人生だった。楽しいことも、辛いことも、悲しいことも嬉しいことも……。さようなら、オレは魔女の手にかかって魔法の礎となるらしい……」
 誰に向っての遺言か、カー助は沈鬱な表情で一切の抵抗をなくした。どんどんと鍋との距離が短くなってくる。
「ニャー」
「ニャー?」
 途端に、カー助は地面に下ろされた。いや、落された。いや、むしろ投げ飛ばされた後に、重力に従って、ぼとりと落ちる。ちょうど落下地点が鍋の中ではなかったからよかったものの、無造作に落され頭をぶつけてしまったので痛いのなんの。もっと優しく落してくれよ、と心の中で文句を言った。
「これは、これはどうしたことかね!」
 震えている甲高い声、それを発したのは魔女である。
 魔女が見る先には、一匹の三毛猫。魔女が三毛猫を見て驚いているのだ。
「なんで! ちゃんとお前さんの命は奪ったはずだよ。ほら、そんな顔をしないで。あ、肉かね? 肉がほしぃのかね?」
 老婆が必死に三毛猫を宥めている。カー助は、あまりに不思議な光景を前に呆然としていた。
「百獣の王様が、こんなところにいるのは似合わないね。ちょっくら眠っていてもらえないかね? そしたら、もとの場所へ帰してさしあげるさね」
 ますますおかしい。三毛猫が、百獣の王様?
「カー助。こんなところにいたのか」
「エントフ!」
 三毛猫は、どこからどう見てもエントフと相違ない。
「静かに。今、魔法で魔女にライオンの幻覚を見せているのさ。ここの表にライオンの死体が置かれていたのを見つけたものでね」
 魔女はさきほど、カラスの羽とライオンのしっぽと言っていた。ならば、ライオンもしっぽだけではなく、カー助同様に丸ごとに近い形で鍋に放り込まれたのだろうか。
「魔法は先にかけた方が有利なのさ。まだ魔女は魔法にかかったことに気付いていない。向こうが気を取られている今のうちに逃げよう」
 エントフがさっさと行ってしまったのだから、カー助は慌ててそれについていった。
 魔女はといえば、ライオンがさっさと表へ出ていってしまったので、拍子抜けしてしばらくぽかんと立つだけで、ようやく幻覚の魔法にかけられていたことに気付いた。
「悔しい! エントファッフェンだね。カラスにも逃げられた!」
 悔しがるころには、エントフとカー助は既に遠い場所に逃げていた。



「助かったよ」
 ようやく生きているのだという実感が沸きあがってきたカー助は礼を言った。
「いやいや。僕が君を守るなんて言っておきながら、危ない目にあわせてしまった」
「うん……。でも、どうしてオレが魔女のところにいるってわかったんだい?」
「花と草に聞いたのさ」
 カー助は花と草に勧められた泉の水を飲んで眠りについたのだ。あれは魔女の罠だったのだろう。エントフの話によると、普段はただのおいしい水らしい。魔女が魔法で妙なことをしていたようだ。
「僕が冒険を求めてきたのに、君のほうが大冒険みたいだったね」
 くすり、とエントフが笑う。
「オレはただのカラスだからね……。だけど、なんだか楽しかったかもしれないな。エントフの気持ちが少しわかるよ」
「冒険はいいものだよ、カー助」
 たたた、とエントフが身軽に走り出す。カー助はそれを追った。
「ここは?」
 エントフとカー助の目の前には、洞窟があった。いかにも曰くありげな洞窟だ。
「この奥に、願いの竜パッピーはいるはずだよ」
 といって、エントフは先に入っていった。カー助も洞窟の中に入り、きょろきょろと辺りを見回す。
「へぇ、凄いなここは!」
 洞窟内が淡い光で包まれているのだ。鳥目なので暗い所は見えないと不安だったカー助でも、普段とあまり変わらないくらいに見えるほど明るい。
「こっちだよ。……本当はルビルスをぐるりと回ってからこの洞窟に来たかったんだけど、君のほうがそろそろ限界みたいだからね」
「そうか。悪いな、オレのせいで……」
「いいさ。それにビッグストームに飛ばされそうになった君をすぐに助けることができなかった、僕の責任だよ」
 ぐねぐねと曲がりくねった洞窟を進み、やがて広い場所に出だ。
 ここが洞窟であるということを忘れそうなほど、とてつもなく広い。
「おーい、パッピー!」
 エントフの声が響いて返ってくる。
 しばらくすると、金色の光がすぅぅと現れた。光は形を作り、それが実体化していく。
「やあ。エントフじゃないか」
 実体化した光は、嬉しそうに言った。
「これが……パッピー?」
 願いの竜パッピー。どんな竜だろうとどきどきしていたカー助は、期待外れだったのかあまり嬉しそうではない。真っ白な毛皮に覆われ、どちらかというと犬っぽい。犬だけど竜。竜だけど犬。そんな感じだ。
「久しぶりだね、パッピー」
 やはりこの犬っぽい竜がパッピーのようだ。
「久しぶりだ。今度の冒険はどうだったんだい。宝島に行ったんだよね?」
「ノアの箱舟の見学だよ」
「あぁそうか。宝島はその前だった。君はたくさん冒険しているからねぇ。次はどこに行きたいんだ?」
「ちょっと待って。先に、カー助の願いを叶えてやってくれよ」
「カー助?」
 エントフに促されて、カー助はパッピーの前に出た。
「ど、どうも初めまして」
 竜なんてものには本当に初めて会ったので、どう話していいかわからず、とりあえず挨拶。
「初めまして。……珍しいな、エントフが誰かをつれているなんて」
「え、そうなのかい?」
 パッピーの言葉を聞いて、カー助はエントフに聞いた。
「うん。言っただろ、僕はいつでも一人で旅をしているって」
 そういえばそんなことを言っていた気がする。
「ふぅん。あ、ところでパッピーさん」
「さんはいらないよ。普通に話して」
「じゃあ、パッピー。どんな願い事でもいいの?」
「もちろんさ」
 カー助の願い。それは、純白の鳩になりたいということ。
「……そういえば」
 カー助が言うより早く、エントフが口を開いた。
「どうしたの?」
 パッピーが首を傾ける。やはり犬っぽい。
「カー助は虎やカマキリや魔女に襲われたんだよ。いつもなら、こう立て続けに襲われることなんてないだろ。どうかしたのかい?」
 カー助のように連続で危ない目にあうのは、ルビルスといえども異例らしい。
「そのことか。ルビルスは今、食糧不足でね。虎おばさんや、カマキリちゃんや、サリーも困っているんだ」
「サリー?」
 虎やカマキリはわかるが、その名前にいぶかしんだカー助は目をぱちぱちと瞬かせる。
「あの魔女の名前だよ」
 こっそりとエントフがカー助に耳打ちした。
「じゃあ、魔女の言っていた魔法実験って……」
「食糧難を凌ぐための魔法実験らしいよ」
 カー助が落ちた場所はジャングルのようであり、上から見た時も緑が多かった。それに柿も生っていたのだから、食糧不足というのは、にわかには信じ難い。それを問うと、ルビルスの植物は大半が食べられないらしい。カー助の取った柿も同様だという。
「さぁさぁ。こんな話はもう終わりにしよう。願い事は何かな?」
「あ……」
 パッピーに聞かれて、言葉に詰まった。鳩になりたい、ただそれだけを言えばいいのに、カー助はいざとなると何故かそれが言えないでいる。
「……一つ、聞いていいかな」
 カー助はパッピーではなく、エントフに聞いた。彼は頷く。
「オレと君は、もう……その……友達、かな?」
 真っ黒な顔が、少しだけ赤らんだ。
「何を言っているんだい。当たり前だろ。僕はそのつもりだったんだけどな」
「そうか。それじゃあ、願い事はなくなった」
 カー助がえへへと笑う。
「どうして? 鳩になりたかったんじゃないのかい?」
「オレは過程より結果を大切にするんだよ。鳩になったら、友達ができる。オレは友達がほしいだけだ、って言っただろ。別に鳩にならなくても、その願い事は叶ったんだ」
「ふぅん。ということは、僕は記念すべき最初の友達ということか」
「だめかな?」
「いいや、僕も嬉しいよ。君と一緒だと、とても楽しいからね。でもせっかくだから、何かを願いなよ」
 確かに、ここまできて何も願わないというのも勿体無い。
「うぅん、そうだなぁ」
 パッピーのほうを改めて見ると、向こうは待ちくたびれたのか大きな欠伸をしていた。
「願い事は決まったかい?」
「……ルビルスは今、食糧不足なんだよね」
「そうだけど」
「うん。じゃあ願い事は決まったよ。『ルビルスの食糧難が、消え去りますように』! 大丈夫?」
 カー助が聞くと、パッピーは目をぱちぱちと瞬かせ、エントフはうんうんと笑っている。
「大丈夫だよ。だけどそうか、気付かなかったなぁ。なにせ自分自身の願い事は叶えられないからね。誰かがそう願ってくれば、ルビルスの食糧難は確かになくなる」
 パッピーが嬉しそうに言う。
「それじゃあ、これで……え〜と、三十三回目の――」
「三十四回目だよ」
 エントフが訂正する。
「あ、そうか。三十四回目の願い。『ルビルスの食糧難が、消え去りますように』!」
 パッピーが黄金の光に戻る。そういえばこの光、魔女のところで見た夢に出てきた光と同じだ、とカー助は思い出した。
「三十四回も、今までに叶えてきたの?」
「そうだよ。僕がパッピーと会ったころには、十五回くらい叶えていたかな」
「さすがは願いの竜……」
 光となったパッピーは、洞窟全てを真昼のように照らすほど強く輝いた。目を開けていられないほど眩しくはあるものの、熱くなく、暖かな光だ。ごぉぉ、と大きな音が一つしたかと思うと、光は消えた。恐る恐る目を明けて見ると、そこには犬っぽい竜の姿をしたパッピーがいた。
「これで、食糧不足は解消された。きっと外ではおもしろいことになっているぞ」
 パッピーがふふふと笑う。
「それにしても、虎もカマキリも魔女も……。食糧不足で困っているならパッピーを頼ればいいのに」
 こんなにも簡単に解決するなら、カー助の言う通り、パッピーに頼ったほうがいいだろう。
「そいつは無理だね。島の住人はパッピーのことを知らない」
「そうなの?」
「うん。身近すぎて、逆に気付かないんだ」
「エントフはパッピーのこと教えてあげないの?」
「うん」
「なんで」
「ちょっとね。ルビルスの島のみんなとは、敵同士みたいなもんだからなぁ」
 とにかくいろいろあるらしい。
「さて、じゃあパッピー、また来るよ」
 よいしょ、とエントフが腰を上げる。
「もう行くのか。君の願い事はいいのか?」
「今度にする。しばらくは、カー助と一緒にいるよ」
「そうか。それじゃあね」
 パッピーはまた金色の光と化して、何処かへ消えてしまった。
「行こう、カー助」
「うん!」
 洞窟を抜けて、外へ出る。真っ青な空と、暖かい太陽が迎えてくれた――。

 ――ここで、三毛猫の魔法使いと鳩になりたがっていた普通のカラスによる物語の一部が終わる。今後、仲のよさそうな三毛猫とカラスを見かけたならば、その時はきっと、新たらしい物語を紡いでいる最中だろう。



-Fin-

あとがき:
 コンセプトは「誰もが楽しめるように。」
 冒険という言葉に憧れた時代があったら、その時代を思い出せるように。
 幼いころは、近くの草むらにいたカマキリを取るというだけで大冒険だった。
 野良猫を追いかけるのも、一つの大冒険だった。
 小さな頃に体験した大冒険の感覚を、カー助たちと一緒に体感できるように。
 少しでも読みながらわくわくしてもらえたら、それ以上の喜びはありません。
 ところでいくつかパロディネタをいれているのですが、
 飛んで飛んで飛んでの部分、知っている人いるのかな…。


   もしこれを読んで、下記の言葉に魅力を感じたならば、よろしい、作者にこう伝えなさい。
  「二人の冒険を、もっと見たい」と。

 -続編予定目次-
 ・お願い、エントフ
 ・魔法の島、再び
 ・探検、ルビルスの東
 ・対決、サリーとエントフ
 ・カー助、魔法使いになる


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