9.逃走少女



「助けて!」
 そう叫びながら、その少女は走っていた。
 少女の後ろには、大柄な大人たちが無数とも云えるほどの数で押寄せている。
 その大人たちの手には、火矢や剣、斧や包丁までも存在している。どう見ても、友好的ではない。全員の目は血走っており、それは湧き上がる怒りによるものなのだろうか。
「助けて! お父さん、お母さん!!」
「――」
 自分の名前を、母親が優しい口調で云う。
「お母さ……!?」
 嘘だ。間違いだ。そんなはずはない。
 だが、目に見えているのは現実。母親の手に、包丁が握られている。他の大人たちと同じだ。間違いなく、自分を殺そうとしている。
「っ!?」
 父を呼ぼうとしても、母親のすぐ隣にいるのが父親だった。その手には、斧が握られている。
「……だ、誰かっ! 誰でも良いから助けて! 誰か! 助けて、お願い!!」
 刃物が迫る。避けるなどという芸当はできない。これに刺されて、死ぬだけだ。でも、死にたくない。
「誰か―――!!」
 最後に叫んだ後、誰かがあたしを助けてくれた。


 最初に映ったのは、天井だった。
「……あ、れ?」
 まだ頭がぼーっとしており、現状が把握できない。
「大丈夫?」
 そう聞かれて、ビクンと身体が反射的に動く。他人というのを、生理的に恐れているのだ。声の主の方向を恐る恐る見ると、そこには同じ年齢代の、翠髪の少女がいた。

 イサたちが再び家の中に入ると、ホイミンの言う通り、確かに少女は目を覚ましていた。と云っても、ただ眼を開けているものだ。起きあがっているわけではない。
「大丈夫?」
 そう聞くと、少女はビクンと身体を震わせた。
「安心して。私の名はイサ。冒険者なの」
「冒険者……?」
 少しは警戒を解いたのか、少女は自分から聞いてきた。
「そう。後ろにいる大男がラグド、こっちの白銀髪の人はムーナ、このホイミスライムがホイミン。あなたは?」
 一人ずつ紹介していき、最後に少女の名を尋ねる。少女の方は名前を覚え切れていなかったようだが、自分の名を聞かれてハッとする。
「……コサメ」
 弱々しい声での返答が返ってきた。まだ警戒を解いていないようだ。
「イサ! 俺はもう帰っているぞ」
 外から聞こえてきたカエンの言葉に、了解の返事を返して、コサメと名乗った少女の方に向き直る。
「あなた、森の外で倒れていたのよ。どうしたの?」
 イサの言葉で、コサメは口を噤んでしまった。何か、言いにくいことでもあるらしい。
「あー、無理して言わなくてもいいからね」
「……ここは、どこですか?」
 警戒心たっぷりな口調は、イサたちを信用していないのだろう。
「ここ? ここはエルフの森よ」
 その言葉を聞いて、コサメは少しだけ安堵の様子を見せた。
「助かった……」
「え?」
「あ、いえ、何でも無いです」
 聞き取れなかったフリをしたのだが、イサに耳には届いていた。コサメは『助かった』と確かに云ったのだ。ここに着いた事で助かったのか、それとも別の何かなのか。どちらにしろ、コサメは何かを隠していることは確かだ。
「ねぇ、そういえば――」
「うぉお!? なんだ! 客人が増えてやがる?!」
 聞こうとした事を、元気な大声で阻まれる。
「ハーベスト!? アンタ、どこに行ってたの?」
「客人の朝飯用に、ちょっと狩って来ただけだ。ところで何で増えてるんだよ? 分身の術か?」
 ハーベストの言っている事は、ムーナのことだ。ここにカエンがまだいたら、もっと驚いていただろう。
「狩って来たって……朝からまた兎鍋?」
「あのな……んなわけねぇだろ。いくらなんでも朝は簡単なものに決まってんだろが」
 彼の手には、幾つもの果物が握られている。エルフの森特有の、とっても甘いフルーツだ。この森の名産品でもあるらしい。確か、メロンという名前だったはずだ。
「数は足りるから、適当に食ってくれよ」
 そういって、彼はまた外へと出ていってしまった。エルフを探してくる! という言葉を残して。

「はい」
「あ、どうも」
 イサの渡したフルーツを、おどおどとした手つきでコサメは受け取った。その様子を見て、警戒心の他に何かあると直感で感じ取る。しかも、イサにとって、コサメの眼はどことなく自分に似ているように見えた。
 城から出る事が叶わず、ラグドのような臣下はいても『友達』といえる相手がおらず、ずっと孤独だった。そのような人物がする瞳と、コサメの瞳は似ているのだ。
「ねぇ、コサメ。あなた、友達とかいるの?」
 それは、もう核心をついた質問だった。誰かが言い出さなければ、事情が解らずに日が暮れてしまう。イサは話題を切り出したのだ。
「えと……いない、です」
 フルーツを食べる手を休めて、視線を下に向けながらに言う。答えるには、やや抵抗があったらしい。
「じゃあ、私と同じだね。よかったら、友達にならない?」
 手を差し伸べて、イサは堂々と云った。ただそれだけである。活発な少女そのものの口調で、寂しがったことなど無いと言う様に。その元気らしさが、コサメにも影響したのだろうか。
「いいの、ですか?」
「もちろん!」
 思いっきりの笑顔で、誰にも負けないくらいの笑顔。誰が見ても羨ましいと思われるほどの笑顔で、イサは答えた。
 コサメは思う。もし、この人と友達になれたら、自分も笑うことができると。
「……」
 無言ではあったが、コサメは初めて笑顔を見せた。柔らかい、良い笑みだ。そして、差し伸べられたイサの手を握り返す。
 ラグドやムーナは、それを見守ることが仕事であるかのように、じっとそのやり取りを見ていた。
「よろしくね、コサメ!」
「はい、イサさん」
「あら。私たちは友達よ? イサでいいわ」
「……うん。こちらこそ、よろしくね、イサ!」
 イサにも負けないほどの笑顔。そんな顔で、コサメは笑っていた。

 それからというもの、あまり会話がなかった空間が逆転し、常に喋り声が続いていた。とはいえ、主にイサやムーナ、ホイミンやラグドの声である。コサメは自ら喋るのではなく、相槌を打ったり、驚くばかりである。冒険者の活動のことや、つい先ほど師匠に殺されかけたこと、イサは自分がウィード国の王女であることも云った。王女だということについて、コサメはまた畏まってしまったが、イサはあくまでも対等な立場を望んだ。それにコサメも応え、また普通の友達として会話を始めたりもした。
 イサの話に、コサメが感想、ムーナが便乗、ラグドが諌め、ホイミンが意味不明の発言をするという会話は、昼近くまで続けられた。このころになると、次第にコサメ自身も発言数が多くなり、笑う回数も増えた。
「あ、そうそう。ベホマと光の波動をかけたから、体調は良くなっているはずよ。どう?」
 イサに云われ、コサメは自分の身体を確かめる。
 まず、最も酷かった足を見た。黄土色や紫に変色し、マメが潰れてしまっていた、この年代では考えられないほど酷かった足はすっかり血色を取り戻しており、ケガも治っている。
「凄い……」
 あれで歩いていたのだから、そうとう辛かっただろう。だが、今はそれがない。普通に歩けるはずだ。
「まぁ、拾った状態が状態だったから、まだ休んでいたほうがいいわね」
「あ、それだけどさぁ、イサ……」
 まだここ留まる気配だったイサに対し、ムーナが居心地悪そうに手を挙げる。
「なに?」
「今日の夜までに帰れって命令下されてんの。ここに居られるのは、夕方までだかんね」
 その言葉に、イサは固まり、ラグドはただに「そうか」と言い、ホイミンは相変わらずアハアハと言い、コサメは不思議そうな表情を作った。
「そんな!」
 イサはいきなり立ちあがると、ムーナに食いかかりそうな勢いで言った。
「コサメのケガは治ったけど、まだ体力とかは回復してないんだよ? それに、せっかくこんな所まで遠征に来たのに、もう帰るだなんて! ハーベストにお礼とかも言ってないし、エルフの二人にも勝ってないのに!!」
「それでも、命令は命令だよ」
 早口で捲くし立てたイサの言葉に、ムーナはさらりとした口調でそう云った。王の命令は絶対である、と断言したのだ。
 少しの間、沈黙が流れる。
 コサメは気まずそうにしており、ラグドとムーナはイサの発言を待った。
「……コサメも連れて行って、城で養生させる……」
 それを条件に、イサは帰ることに決断を下した。
「オッケー、わかった。帰れるんなら何でもいいよ」
 既に日は傾きかけている。ハーベストは一向に帰る雰囲気が見られず、置手紙と、使わないだろうが礼金を残してイサはエルフの森を発った。ウィード城へは、移転呪文で一瞬のうちに帰還することができるで、夜に近い時刻になっていた。


「見つけたぜ、エルフ!」
 ハーベストは狩人の大剣を召還し、それを二人のエルフに向けた。
「……見つかってやった、の間違いだ」
「ハーちゃん、ちょっとは私たちを楽しませてくれるわよね?」
 ヴァンドとリシアの二人である。
 彼等は集落の近くで対峙していた。
「じっちゃんを超える狩人になるために、今ここでお前等を狩る!」
 また馬鹿なことを言っている、などと云えるような状況では無くなっていた。まだ子供扱いをしていたハーベストは、自力でエルフの集落を見つけ出したのだ。人間には見つからないように結界を何重にも張っている中を突破して、である。
「まだ子供とばかり思っていたが……。まぁ、こうなっては仕方が無いな」
 ヴァンドが剣を抜く。使い込まれた剣は、新品同様の光沢を放っていた。魔法が掛かっている特殊な剣の証である。
 森妖精の剣(エルヴンソード)。エルフに伝わる、最強武具の一種だ。
「全く、いつのまにこんなに強くなったのかしらね」
 リシアが弓を構える。矢は存在しない。エルフ独特の魔法力をエネルギー化して打ち出すのだ。これも魔法が掛かっている。
 森妖精の弓(エルヴンボウ)。最強武具の一種である。
「行くぜ!!」
 ハーベストの剣が弧を描いて、二人のエルフに向かって行った――。


 ゴォオォオオオォォォォォォオオオオォォオォ。
「ふふん♪ 彼女はウィードに行っちゃったかぁ。良いねぇ、とっても良いよぉ。思った通りに駒が動いた時ほど、良いって思う瞬間はないよねぇ」
 その若者は、遥か上空から、死壁嵐(デスバリアストーム)を見下ろしながら嬉しそうに云っていた。
「さぁて、ウィードのお姫様はどうでるかなぁ?」
 腹に大きな口が蠢いている青年は、薄気味悪い笑顔を浮かべて、その場から消えて行った。まるで最初からいなかったように、蝋燭の火を吹き消すかのように一瞬で消えた。
 ちょうど、死壁嵐(デスバリアストーム)の嵐が薄れて、イサたちが帰還している途中だった。

 ――。
 「助けて!」
 そう叫びながら、コサメは走っていた。
 少女の後ろには、大好きな街の人たちが無数に押寄せている。
 手には、火矢や剣、斧や包丁までも存在している。どう見ても、友好的ではない。全員の目は血走っており、それは湧き上がる怒りによるものなのだろうか。
「助けて! お父さん、お母さん!!」
「コサメ」
 自分の名前を、母親が優しい口調で云う。地獄に神がいたか、全てを救ってくれるような、優しい声。
「お母さ……!?」
 嘘だ。間違いだ。そんなはずはない。だが、目に見えているのは現実。母親の手に、包丁が握られている。
「おいで、コサメ……殺してアゲルから」
 他の大人たちと同じだ。間違いなく自分を殺そうとしている。
「っ!?」
 父を呼ぼうとしても、母親のすぐ隣にいるのが父親だった。その手には、斧が握られている。
「……だ、誰かっ! 誰でも良いから助けて! 誰か! 助けて、お願い!!」
 刃物が迫る。避けるなどという芸当はできない。これに刺されて、死ぬだけだ。でも、死にたくない。
「誰か―――!!」
 そう叫んだ瞬間――。
「ヒドイなぁ。『誰か』じゃなくて、僕を呼んでよ。まぁ、でも、しかし、だけどね」
 訳の解らないことを言う青年だ。大人達の叫びの中、この青年の声はコサメにしっかりと届いていた。
「今が初対面だから仕方ないよね『消去』ちゃん?」
 笑っている。姿は見えない。姿が見えないのに、青年が『青年』である事と笑っている事はコサメに解った。声からの推測ではない。声が、決定的な確信をコサメの意志に投げつけているのだ。
 人間ではないが、青年と呼べる『何か』。
「面白そうだから、助けてあげるよ」
 そう言う青年は――。彼は、本当に面白いモノを見つけたかのように愉しそうだった。

「っ!!」
 夢だ。
 そう、夢に決まっている。あのような風景、夢に違いない。
 ここはどこだろう。
 答えは、周囲の物品が教えてくれた。自分のような貧困の中で生まれた人間とは一生かかっても関りそうに無い、高そうな部屋であり、ベッドであり、風景だ。
 そうだ、自分はイサに連れられて、ここまで来た。噂に名高い、風の大国『ウィード』。イサは自分のために、よく休める部屋を用意してくれた。王女というのは、嘘じゃなかった。
「でも、やっぱり……」
 自分が居てはダメな気がする。イサに迷惑がかかる予感がする。何かがそう確信させているから――。

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