8.死龍咆哮



 武闘神風流の技の全ては、『攻』と『守』の類に分けることができる。しかしただ『攻』と言っても、ただ『守』と言っても、それぞれ数多くの技が存在し、攻守混合の技も存在する。
『攻』は、荒れ狂う風の如く。『攻』の最終秘奥義である『風死龍(かざしりゅう)』は、その象徴を具現化したようなものである。先ほどのカエンの説明通り、魔法ではないので魔法反射鏡(マホカンタ)魔法障壁(マジックバリア)は無効。無敵の防御を誇る鉄化防御呪文(アストロン)を唱えても、風の死龍は鉄ごと相手を砕く。
 『守』は、何人も寄せ付けぬ嵐の如く。また、返し技と呼ばれるいわゆるカウンター技は『守』に含まれるが、同時に攻撃するという『攻』との混合技でもある。その『守』の最終秘奥義である『風王鏡塞陣(ふおうきょうさいじん)』は、己の身を守ることはもちろん、この奥義の真髄は相手の強さ。相手が強いほど真価が発揮されるのだ。
 
 武闘神風流『守』の最終秘奥義である『風王鏡塞陣』。この秘奥義を完成させないと、イサは死ぬだろう。目の前にある『風死龍』によって。
 ……いや、防御に徹すればまだ生き延びることができるかもしれない。
 師も、それを踏まえて『攻』の最終秘奥義を使ってくれるはずだ。
「――」
 だが、防御の態勢を取ろうとしてイサに、絶望的な言葉が投げかけられた。
「……死への恐怖が足りないな。防御に徹すれば生きられると思ったか?」
 思っていたことをズバリと当てられ、しかしイサは何も言わずに身を守るための態勢を取る。
「……確かに、『風死龍』は一撃必殺だが……防御に完全集中すれば生き延びることはできるだろう……」
 負けても良い。生きていれば、まだチャンスがある。ここで風王鏡塞陣に失敗して命を落すくらいなら、生きて次の機会を待つべきだ。あえて未来を潰すようなことはしたくない。――それだけの想いが、イサの中で飛び交う。
 カエンはイサの思っていることを簡単に見抜いていた。イサが生きようとするのも解るし、風王鏡塞陣を完成させる確率が限りなく低いことも知っている。だが、ここで成長せねば、『次』はないこともカエンは知っていた。
「……生き恥を晒すくらいなら、ここでお前の命を絶つ。他の誰でもない、この俺がだ――」
 同時に、ゴウッ、と何かが燃え盛る音を出しながら、カエンから更なる気が溢れ出た。
「なっ!?」
 カエンの、心の奥に潜む怒りを表わすかのように、風の龍が、渦巻いている龍が炎に包まれた。風と同化しているその炎は、炎の竜巻とも言って良い。
「一年間、俺が何もしていないと思ったのか? これが『風死龍』に改良を加えた『風火轟死龍(ふうかごうしりゅう)』だ。風、気、炎の三属性を合成した時、更なる『力』が生じる。それが、コイツだ」
 炎に焼かれ、風に裂かれ、気に喰らわれる。防御に徹した所で、最早その防御の意味は皆無。完全必殺の奥義。
「そんな――」
 風王鏡塞陣ならば、これすらも跳ね返せるだろう。しかし、防御に徹するか、他の防御技を放った所で、イサは絶対の確率で死んでしまう。
「死を選ぶか、可能性を選ぶか……。――行くぞイサ!」
 風炎の龍が咆哮を上げて、威嚇するようにイサを見下ろす。
 このままでは死んでしまう。いや、この大奥義では、ラグドやムーナ、眠っている少女にまで影響が及ぶ。エルフの森の一部が、完全に消滅さえしてしまうだろう。イサの責任で、イサの判断で、イサの選択で――。
「――っ!!!」
 イサの『気』に変化が訪れる。
「……」
 カエンはまだ仕掛けない。風王鏡塞陣を完成させるには時間がかかるのだ。特に、一度も成功させていなければ、力量も少ないイサならば、創り出すのも一苦労だろう。
「ぐ――ぎ――ぅ――つっ」
 歯を食いしばり、力を込め、漏れた言葉は低い。それほど力を消費しているのだ。
「う、あぁ――」
 気が次第に膨れ上がり、渦巻く。貯め込み高めた『気』は、一連の流れを作り出して行く。風と同化しつつ、それは形を創り始めた。
「……イサ……?」
 カエンが驚くような表情を見たのは初めてだった。だが、イサはそんなことに気をとめている場合ではない。力の消費が激しく、制御に失敗すれば、自ら創り出したモノに喰われるのは必須ということが解っているからだ。
「うっあぁぁあああああ!!!」

 ――オオオォォオォオオォォオオオオォォオォォォォォオオオオオオオ

 叫び声と共に、龍が咆哮を上げた。
「……『風死龍』、だと――?」
 イサは『守』の最終秘奥義の風王鏡塞陣ではなく、『攻』の最終秘奥義である風死龍を創り出したのだ。
「ハッァ、ハっ、ァ、ハっ、ハっ、ハっ――!!」
 激しい息切れと共に、全部を持って行かれそうな疲労に襲われる。龍の形を維持しているだけで、身体中の力が、かなりの勢いで抜けて行くのだ。それでも、これで闘うしなかい。


「イサ様……」
 遠くから見守っていたラグドが、泣き出しそうになる。あんなに小さな身体に、巨大な龍の力が負担しているのだ。それに堪えているイサの姿を見ているだけで、ラグドの涙腺は緩む。
「――マズイね」
 ムーナがいつもの朗らかな口調ではない、真面目な口調で淡々と言った。
 龍の真下にいるイサは気付いていないのだろうが、遠くから見ているラグドとムーナにはすぐに解った。
「イサが創った龍……カエンさんのより小っちゃいよ……」
 見て解るほど、イサの龍は相手のソレより小さい。それでいて、カエンの方には改良が加わっている。このままでは相殺どころでは無く、イサの龍は吸収されて、そのまま襲いかかるだろう。
「イサ様……!」
「やめな、ラグド!」
 飛び出しそうになったラグドを、ムーナが止めた。真面目口調のムーナには、逆らってはいけないが、ラグドはそれでも勝負を止めに行こうとする。
「アンタ、イサの家臣だろ。だったらイサを信じてな。あの子は、大丈夫だよ……」
「ムーナ……」
 この口調の時、ムーナは人が変わったような性格になる。いつもニコヤカにしている笑顔は消え、細い目は細いままながらも開かれている。そこにある漆黒の瞳で見られると、ラグドは黙ってしまった。
「……」
 ムーナに言われた通り、自分がイサを信じていなければならないのだ。この勝負を止めに入るということは、イサを信用していない証になる。
「……負けんじゃないよ、イサ……」
 ぼそりと言ったムーナの声は、近くにいるラグドにも聞こえていないようだった。

「ハッ、アァッ、ハッ、ハッ――!!」
 この状態が続けば、イサは自ら自滅してしまうだろう。それを自己理解しているので、イサはカエンを睨みつける。仕掛ける瞬間の計りをしている場合ではない。とにかく打ち込まなければならないのだ、
「――あっぅ、ッ――!」
 イサの腕から、鮮血が溢れ出た。強過ぎる風の力が、血管を千切ったのだ。
「――――武闘、神風、流……最終秘奥義! 『風死っ龍うぅぅうう』!!!!」
 少量の血を吐き出しながらも、叫び、龍を操り、動かした。
「――この馬鹿弟子がぁっ! 『風火轟死龍』!!!!」
 ゆっくりと動き始めたイサの龍と違って、カエンの龍は勢いよく動き出した。
 龍と龍がぶつかりあり、荒れ狂う。大きさ、力、速さ、完成度、全てをとってもカエンのほうが何枚も上手だ。最早、解り切った勝負のようなものである。
 二匹の龍が、咆哮を上げてぶつかりあい、互いを喰い荒らす。
「――?」
 イサは気付いていないが、カエンにはその違和感に気付いた。カエンの創り出した風火轟死龍の『風』が消えかけているのだ。それも急速な速度で、だ。
「まさか!?」
 見れば、イサの風の龍が大きくなっていくではないか。カエンの風炎龍の『風』が無くなる速度に比例して、イサの風龍の『風』が膨れ上がっている。
「(俺の風を吸収している? ――ウィード王家特有の『精霊力を従えさせる力』か!?)」
 他に気を配れば、カエンの龍だけではない。周囲に存在する風の精霊の『力』が、全てイサの龍に収束されていっているのだ。
 やがてイサの風死龍はカエンの風火轟死龍よりも大きくなった。

 ゴォオオオォオオオオォォォォォオォォオオオオオオオオオオ。

 龍と龍の激しい闘い。暴れ狂い、その爪で相手を引き裂き、その牙で相手を喰らい、その巨体で相手を吹き飛ばす。そんな『守り』がない、攻撃一辺倒の闘いは、すぐに終った。

 ――。

 無音。

 先ほどまでの轟音が嘘のように静まり返っているのだ。
「相殺か……。――いや……」
 龍同士の闘いは、周囲に激しい熱風をもたらした。その中の豪風で、小さな石ころや軽い木の枝などは数多く舞いあがった。それの一つが、カエンの頬にあたり、当った場所が尖っていたのか、切れて血が流れている。
 イサの方を見れば、その場に倒れ込んでいる。力の制御もできずに、体内の『気』を無尽蔵に放出したため、死の一歩手前を彷徨っているはずだ。
「イサ様!」
 さすがに、これにはラグドもムーナも飛び出してきた。ホイミンを引きつれて、三人は主君の周囲に集まる。
「ベホマ〜!」
 ホイミンがベホマを唱え、イサの体力を極限にまで回復させる。だが、いくら完治呪文とは言え、今のイサの状態に、それが通じるものなのだろうか?
「――ぅ……」
 小さな呻き声だが、カエンはしっかりとそれを聞いていた。
 どうやら、まだ回復呪文が効く程度の疲労だったらしい。下手をすれば、ザオリクでもないと回復できなかっただろう。

 体力が少しは回復したおかげで、イサは立ちあがることができた。それと同時に、カエンの方を見る。合格か、不合格か――。
「……見れば解るだろう?」
「え?」
 カエンに言われて、イサは初めて気づいた。カエンの右頬に、小さな傷があるのだ。カエンは、傷の一つでもつければ合格にすると言っていた。つまり、合格であり、まだ冒険者が続けられるのだ。
「やった!」
 イサが喜んだの同時だろうか。

 ――ドサッ。

「ムーナ?!」
 秘奥義を使ったイサでもなければ、それを越えるモノを放ったカエンでもない。ただ傍観をしていたムーナが、いきなりその場に倒れたのだ。
「あぁ……緊張解けたら……何だかね……。あ、アレをぉ……」
 イサが慌ててムーナの懐から『栄養剤』なるものを取り出した。
 ただの『エネルギー切れ』である。ムーナは魔道師としてはウィード王国一番なのだが、体力が無い上に、普通に行動しているだけで、このような『栄養切れ』状態になるのだ。身体が弱い、と自称するのも当たり前だ。
 危うい手つきで栄養剤を飲み干し、ムーナは元気な状態に戻った。

 驚くようなことは、やはり同時に起きるものなのだろうか。
「そういえば! ねぇ、イサ様〜。あの女の子、目を覚ましたみたいだよ〜」
 ホイミンが、そう告げたのだ。

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