7.風火激突



 朝。
 昨夜の魔物の襲撃から、エルフのことなどすっかり忘れてしまったかのように眠ったら、もうこのような時刻になっていたのである。眠った、とは言え、イサとラグドで交代しながら見張を続けていた。魔物の襲撃があるかもしれないし、もしかしたら少女が目を覚ますかもしれなかったからだ。
 だが、予想に反し、魔物の襲撃もなかったし、少女も眠り続けたまま、朝を迎えたのだ。
「ん〜〜〜! やっぱり外の空気っておいしい!」
 伸びをしながらイサは新鮮な空気を肺いっぱいに溜める。それをゆるやかに吐き出し、軽い準備体操を始めた。自分は今、王女ではなく冒険者なのだということが、よほど嬉しいらしい。
「イサ様……」
 同じく新鮮な空気を味わっていたラグドが、深刻な顔をして――髪で見えにくいが――イサに話しかける。
 昨日のエルフ、ヴァンドとリシアについてのことだ。親書(?)は送り届けたし、いきなり勝負を仕掛けられたが、勝敗は引き分けだろう。場外反則というものがあればイサたちの負けだろうが、そんなことは聞いていない。
「目的は果たしたんだし、一度ウィード城に帰ろうかしら?」
 とは言ったものの、イサの本心ではない。せっかくここまで来たのに、もう城へ帰るなどはしたくないのだ。どうせなら、このまま放浪の旅を続けたって良い。
「賢明な判断ですな」
 ラグドのほうは一刻も早くウィードに帰りたがっているようだ。
 反論しようにも、単純に城に帰りたくないだけである。ワガママの一言で発言力が無に帰す。仕方なく、イサは城へ帰還することを決心した。
「ホイミ〜ン! ハーベスト〜!」
 城へ帰るということと、別れの挨拶をするため、一度は外に出たイサたちは再び『家』の中へと入る。
 だが、そこにグースカ眠っているホイミンはいても、ハーベストの姿はなかった。
「あれ? さっきまで、そこで寝てたのに……」
「朝食の調達にでも行ったのではありませんかな?」
 だとしても、一言くらい言ってほしいものだ。まぁ、昨日に出会った相手にそこまでする義理もないだろうし、いくら間違いで襲われたからと言って、そこまでされる事もない。
「ま、いいか。とりあえず帰城の準備、始めるわよ」
 荷物をまとめて、ホイミンを起こす。ちなみに、ホイミンを起こした時に「もう食べられないよ〜」という月並みではあるが珍しい台詞を聞く事が出来た。

 ――ドゥン!

「な、なに?!」
 何かが落下したような音が、衝撃と共に伝わった。慌てて外に出ると、そこには人間が二人。どうやら、移転呪文でここまで来たようだ。
「やっほ〜。久しぶり〜!」
 呑気で、朗らかな声。イサやラグドにとって、知らないわけがない声である。
「ムーナだぁっ!」
「ムーナではないか!?」
『風を守りし大地の騎士団』に所属する、魔道士団団長のムーナ=ティアトロップ。ラグドの同僚であり、冒険者仲間でもある。イサは再会に蔓延の笑みを浮かべ、ラグドは何故ココに?と言いたげである。
合流呪文(リリルーラ)は成功したようだねぇ〜」
 移転呪文かと思われたが、どうやら仲間と合流するための合流呪文を使ってココまで来たらしい。なるほど、それならば的確にイサたちの目の前に来ることができるわけだ。
「で……そっちは? ――って、え?!」
 ムーナは一人、男を連れて来ている。その男は、燃えるような赤い色の髪を後ろで一つだけ結び、あとは無造作とも言える髪形をしている。それでも凛々しいのだから、風格がある。そして、手には手首から指の第一関節までを覆っているグローブ。着ているは身軽そうな、赤い武闘服。
 ――確認して行く度に、イサの顔から血の気が引いていく……。
 理由は簡単だ。この人物を知っており、尚且つ恐れているから。あまり会いたくないトップ10の中にランクインするくらい、この出会いは避けたかった。
「し、しょ……カ……ン……し……エ……?!」
「久しぶりだな、イサ……」
 混乱して何を言っているか解らないイサの言葉を遮り、その男は鋭い目をイサに向けたまま口を開いた。それだけで、イサの身体は畏縮してしまう。
「…………カエン、師匠…………」
 イサに武闘の道を教え、技を伝授したのは、この男なのだ。
 武闘神風流の師匠。その人物が、目の前にいる。

 イサが産まれる前、カエンはウィードを訪れていた。放浪の旅をしていたとかで、ウィード王に謁見を求めた際に、武器仙人と遭遇。武器仙人はカエンの実力を見抜き、ウィード城で働かないかと誘った。カエンは一応承諾したものの、いつでも旅に出るということを条件にしていた。
 そして、イサが産まれ、彼女に武闘神風流の全てを教え込むと、どこかへ消えてしまった。まるで、後継者が現れて、目的を果たしたかのように。
「それが、なんで今更……?」
 カエンが姿を消して、そろそろ二年くらいだ。久しぶりと言われれば、確かに久しい。
「王の頼みだ。これから、お前の実力を試す」
 言うなり、カエンは構えを取った。イサが嫌いなのは、カエンが常に冷静(というか冷めている)であり、コミュニケーションが取りにくく、挙句の果てに最強。イサは過去に一回たりとて、彼から一本だけでも取ったことがない。
「え、ちょ、待ってくださいよ! なんで闘うことに?!」
 ヴァンドとリシアの時もそうだった。何故か、力を試すと言われて、いきなり闘わされたのだ。勝敗は引き分け(だと思う)だったが。
「……お前の旅に関係がある。王は、エルフの二人組、そして俺のどちらか……もしくは両方に負ければ、お前に冒険者を辞めさせる口実ができる」
「なっ?!」
 やっと冒険者の職につくことを認めてくれたと思ったのに、コレである。イサは憤怒こそしたものの、怒りの矛先を元凶(?)の父親に今は向けることができない。この場にいないので当たり前である。
「やっぱり、父上は私に冒険を止めさせたがっているの……」
 自問するかのように、ぽつりと呟く。しかし、カエンの次の言葉は、イサに希望を持たせるものだった。
「……逆だな。王は、お前が勝つことを望んでいる。あの二人と俺を超えて、立派な冒険者になることを、だ。負けたならば、そこまでということだ」
 イサの怒りが、次第に違う感情へと変化していく。
 この勝負、負けるわけにはいない。
「あの二人とは引き分けだったようだな」
「知っているの?!」
 バシルーラで森の外まで飛ばされて、勝敗は決着せずに終ったのだ。
「ああ。だがまぁ、よかったな。今のお前たちの実力ならば、確実に負けていただろう」
 ということは、あれは『引き分けた』のではなく、『引き分けてくれた』のだ。あのまま勝負していればイサたちは敗北し、冒険者を辞めることになっていたかもしれない。
 それにしても、引き分けてくれた、というのは侮辱もいい所だが、実際に実力が違いすぎるのだ。むしろ、感謝すべきなのかもしれない。今の所は、だ。
「この勝負に勝って、あの二人にも勝ってみせる!」
 一つ、目標ができた。
 強くなる。
 己が師にも、格上の相手にも、闘う相手全てに勝つように、強くなる。そのために、この勝負にも勝つ。
 イサは風の爪を両手にはめて、構えを取った。
「……それでいい。手加減はしないから、俺に傷の一つでもつけてみろ。そしたらお前の勝ちにしてやろう」
 細くて鋭い、とても深い瞳で見られると、イサの身体は無意識に震えた。そこから垣間見える殺気に、身体が反応しているのだ。
「――行きます!」
 ダッと地を蹴り、イサが先制攻撃を仕掛ける。高速で移動し、イサは小さな跳躍で加速をつけてカエンに突進した。
「武闘神風流――『颯突(さくづ)き』!」
 超高速の鋭い突き。走り抜ける際に攻撃をする、威力は低くても確実に先制攻撃ができる技の一つだ。
 ――フォン。
 風の音が、一瞬だけ大きく聞こえる。その間に、イサは走りぬけてカエンの後ろへと立っていた。無論、攻撃も仕掛けた。
「……手応えが……ない?!」
 避けられたのかと思ったが、何故か手首に軽い打撃の跡が見える。
「……最初の一撃は右肩。大抵の人間は右利きが多いので、まずはその機能に不備を生じさせる。正しい判断だが……型にはまり過ぎているな」
 背後を、カエンの方を見ると、彼の右腕が裏拳をした後の構えで立っていた。
「(――受け流された)」
 イサの考えは間違いないだろう。それと同時に軽い打撃を受けたのだ。武闘神風流ではない。ただの『受け流し』だ。
「だったら――武闘神風流『風陣烈羽(ふうじんれっぱ)』!」
 跳躍、そして風の精霊魔法を全身に纏わせて上空から攻撃する奥義技だ。全身に風を纏っているので、素手で受け流そうとすれば手がちぎれるほどの痛みに襲われる。
「(これなら――!!)」
 だが、これも躱された。
 気付けば、着地した場所にカエンがいないのだ。気配は後ろから感じる。
「いつのま――っ!」
 振り向こうとして、イサは身体が動かないのに気付いた。しかも、よく見れば、今イサが立っている場所の足元を見ると、先ほどまでカエンがいた場所ではないことが解る。
 避けられたのではない。イサが勝手に移動したのだ。
「これって?!」
「武闘神風流――『風流(かざなが)し』。懐かしいだろう。お前がよく失敗していた技だ」
 最近は成功するようになった、と自慢してやろうかと思ったが、今はそれどころではない。早く硬直状態から回避せねば、一発でやられてしまう。
 風の力が作用しているので、それを消せばいい。要領はわかっているので、実行に移すだけなのだが、カエンの作った風は強く、回避に少し時間がかかってしまった。
 ようやく風の硬直から逃れると、後ろを振り向き様に、間合いを取るため数歩引いた。
「……っ!?」
 殺気を感じるだけで気付かなかったが、カエンの方を見ると、そこには強大な『気』が渦巻いていた。何か、大技を出すつもりなのだろう。気合、殺気、闘気、魔力、その他もろもろがカエンの周囲で渦巻いている。
「イサ……まだ武闘神風流を全て極めていなかったな。この奥義を、防いで見せよ」
 カエンの言う通り、イサは武闘神風流の技を全て使えるわけではない。まだ十四、五歳なので、焦る事はないとカエンにいつも言われていたし、武闘神風流はいくら資質はあっても簡単に極められるようなものではない。
 多くの実戦を積んで、初めて使えるようになるのが普通だ。実戦経験の浅いイサにとって、実際に使える技は半分以下なのだ。
「『この奥義』って……嘘でしょ……。それって――」
 いつしか消えていた身体の震えが再来する。しかも、今回は尋常ではない。距離を取って見守っているラグドやムーナからも解るほど震えているのだ。
 死ぬかもしれない。嘘であってほしい。あらゆる思考が頭の中を飛び交い、顔は引きつった笑顔となる。
「それって――!!」
 泣き出しそうな声でイサは言った。
 カエンの周囲で渦巻いていた気は、風と同化して形を作る。そしてそれは目で確認できるほどの、巨大な型を完成させた。

 巨大な、風の龍。

 人工とは言え、最強と謳われる龍。
「ああ、そうだ。武闘神風流、『攻』の最終秘奥義……『風死龍(かざしりゅう)』。風の属性を持ちながら、『気』で作られているため属性防御を無視、魔法でもないので魔法反射鏡(マホカンタ)でも魔法障壁(マジックバリア)も無意味と化す。鉄化防御呪文(アストロン)を唱えたところで、この龍は鉄をも砕く。防御は不可能に近い究極の奥義だ」
 カエンに従うように、風の龍は咆哮を荒げた。
「そんなもの受けたら……死んじゃうよぉ」
 もはや敬語を使っている場合ではない。泣き出しそうな、震えた声でイサが言う。
「……不可能に『近い』と言ったはずだ。不可能ではない。武闘神風流、『守』の最終秘奥義を使えば、助かる」
 嘲笑うかのように、カエンは口の端を持ち上げて見せる。
「……『守』の最終秘奥義……。『風王鏡塞陣(ふおうきょうさいじん)』……」
 エネルギーの塊と言っても良い風の龍をぶつける『風死龍』は攻めの最終秘奥義。対する守りの最終秘奥義である『風王鏡塞陣』は、全ての攻撃を相手に返すことができるのだ。無論、風死龍の龍すらも防ぐことが出来る。
「風王鏡塞陣ができればお前の勝ちとなるだろう。だが失敗すれば――」
 口元から笑みが消える。カエンは本気だ。
「――負けどころでは無い。命すら失うと思え……」
 龍が、動き始めた。全てを破壊するために。イサの命を狙うために。
 やがて、龍の咆哮が、エルフの森に響き渡った――。

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