62.風国新王(ラグドラス)


 戦場から離れて行くにつれて、イサは不安に顔を曇らせた。前を走る男を信用していないのではなく、ムーナのことが気にかかっている。『死神』を名乗る青年は死に瀕していると言っていたし、リィダの様子も尋常ではなかった。
「ほんとにこっちであってるの?」
 走りながらイサが問う。まだつかない苛立ちからの質問だったが、彼は律儀に答えた。
「もう少したい! つーか、見えてきたばい!」
 すぐにそれとわからなかったのは、そこが廃墟だったからだ。『棄てられた教会』とは言われていたが、せいぜい寂れた場所に立っているのだろうな、くらいにしか思っていなかったのである。
「地下に続く階段はっけーん! 下りるね?」
「当たり前でしょ!」
 見渡す限り、ムーナやラグドの姿がない。となると、残りは怪しい階段の先だ。
「そうね……んじゃ行くばい!」
 彼が、何故か暗い顔をしたのは何故だろうか。
 もしかしたら、既に何かを知っているのかもしれない。知ってしまったのかもしれない。ムーナの魔力を辿っていたらしいが、それが途切れているとしたら……。可能性がないではない。イサに階段を下りるか否かの選択を迫った時点で、ムーナの魔力が消えていたのだろう、そうでなければ聞く必要などないはずだ。
 だから、イサは覚悟した。階段を下りた先にある真実を知る覚悟を。
「ムーナ! ラグド!!」
 辿り着いた地下教会。そこに二人はいた。
 その姿を確認したイサは、ぴたりと足を止めてしまう。誘導してくれた男もそれに倣い、それ以上動かなかった。
 ラグドは、泣いていた。泣き叫んでいた。
 だが決して大声で泣いているわけでも、嗚咽を洩らしているわけでもない。
 動かないムーナを抱きかかえ俯き、その背中は声にならない悲鳴をあげていた。声をかけることを躊躇わせるほどに。
 それでも、最初にイサが呼んだことで気付いたのだろう、おもむろにラグドは向こうにある祭壇を見上げた。
「……」
 すぐにイサのほうを向かず、ラグドはそのまま立ち上がった。
「ラグド……? ムーナは…………」
 ムーナはぴくりとも動かない。その表情は安らかで、それでも、だからこそ、生きていないということが理解できた。
「嘘……」
 真実を知る覚悟はしていた。だがいざ現実を突きつけられると、否定したかった。
「嘘よ!」
イサ(・・・・)!!!」
 錯乱しかけそうになったイサを、ラグドの激昂が沈めた。彼がイサのことを呼び捨てにした事実ももちろんのこと、それでなくても彼の言葉には従ってしまった。
「今は、この時代のウィードを救うのが先だ。行くぞ」
 ラグドが歩き出す。その様子を、彼が横を通り抜けるまでイサは凝視することしかできなかった。
 ムーナの元へ駆け出したいのに、それができないでいる。
 彼女が言っているように思えたのだ。「アタイのことはいいから、ちょいと行ってきてよ」……と。
 階段を駆け上がっていく足音を聞いて、イサは流れそうな涙をこらえ、「ごめん」というと共にラグドを追い始める。
「……ごめんな」
 イサとラグドが離れたのを確認して、ホイミンはムーナに謝った。スタンレイスから受けた依頼には、ムーナを守ることも内容に入っていた。依頼人は既にいないものの、それでも守りきれなかったことには変わりない。
「せめて、お嬢ちゃんの亡骸くらいは守っとっちゃあよ」
 イサ様が戻ってくるまでやけどね、とホイミンは呟いてその場に残った。


 砦まで退却はできたものの、それ以上どうにかなるようなこともなかった。
 現に、防衛線が今にも突破されそうだ。それが突破されることで、ザルラーバ兵たちは砦に攻め込み、この戦はザルラーバの勝利に終わり、そのまま戦争もウィードが敗北するだろう。
 疲労の溜った兵士の数は圧倒的で、リアッカ女王が不在である事も士気を低下させているのは明白だ。
 さらには雨まで降り出し、陰鬱になるのはキュア騎士団長も同じであった。
「ウィードは、負けてしまうのか」
 全部隊に指示を出す立場にあるキュア騎士団長は戦況を見極めることを優先するため、戦闘参加は消極的であった。しかしそれも最早、意味はなさそうなので、せめて一人でも多くザルラーバ兵に思い知らせてやろうと防衛線の戦闘へ向かう。
「弱気だね」
 思わず呟いてしまった弱音に鋭く聞きつけたラックスがため息混じりに言う。
 キュア騎士団長は、それに反論することも強がることもなかった。
「リアッカ様救助隊も未だ姿を現さず、か。オイラの作戦、これが成功することを前提に組んでいたんだよな……」
 リアッカ女王、そして『言霊』の存在。それがあれば、ラックスは勝つ自信があった。キュア騎士団長も同じである。しかし救出成功の連絡は届いていない。
「一矢報いてみせる!」
 ラックスの言葉には返答せず、キュア騎士団長は防衛線への戦闘へ向かった。ラックスもそれに続く。
 と、その時である。
「皆の者、聞けぇ!!!!」
 キュア騎士団長が開戦前に激を飛ばしたバルコニーに、一人の大男が槍を掲げて叫んだ。その轟音は雨音をもかき消し、戦闘中であった兵士の耳にも届いた。それほどまでに雄々しく、威厳のある声だ。
「あれは……!?」
 既死兵退治の協力を願った騎士である。しかし、その纏う雰囲気が若干変わっている。
「此度の戦、本来はウィードの勝利に終わるはずだった! しかし、歴史は塗り替えられ、ウィードは敗北を間近にしている。
だが、恐れるな! 私がついている! 我が名はラグドラス=レイ=ゼルム=ウィード! 遥か未来のウィード王が、この戦を勝利に導くために推参したぞ!!」
 戦場全てに、そしてザルラーバの砦にまで伝わるのではないかというほどの咆哮。魂の叫びのようにも聞こえたその言葉に、キュア騎士団長の心臓が高鳴る。
「これは……!」
 気分が高揚し、今なら何者にも負ける気がしないという気持ちが溢れ出る。
「まさに王家の『言霊』?!」
 負けるかもしれない等という弱気な考えが脳から一瞬にして消えた。負けるはずがない。勝てるのが当然だ。戦うための勇気が体中に漲る。
 そして、突発的に現れた王の言葉を疑う思考も消えた。王家の『言霊』を使えることが、なによりの証拠なのだから。
「へぇ。なんつーか、思わぬ伏兵だったね」
 彼の『言霊』はラックスにも作用しているのだろう。初めて受ける感覚に驚きながらも感心しているようだ。
 もともと、彼はイサたちのことを薄々感づいていたのだろう。
「勝てる! 勝てるぞぉ!!」
 声を躍らせながら、キュア騎士団長とラックスは敵陣に突っ込む。もう少しで突破できると高を括っていたザルラーバ兵たちはさぞ驚いただろう。袋のねずみにまで追い込んだウィード兵たちの動きが急激に変わったのだから。
「おおおおおぉぉぉ!!!」
 他の皆も、『言霊』の加護を受けて絶大な力を受けていた。今までの鬱憤を晴らすかのように、ザルラーバ兵たちを蹴散らしていく。その頭上を、一体の巨竜が駆け巡る。

 オォオォォォォオォン!

 その巨大な風の竜が、ザルラーバ兵たちを一飲みにした。高いところからそれを放ったのはイサであり、もちろん『風死龍』である。周囲に敵がいなかったために龍を生成する時間はたっぷりあった。
 相手が死なない程度に威力を抑えたつもりだったが、荒ぶる感情を吐き出すように放ったので上手く制御できたか確認できていない。
 風死龍を放った手を見やり、イサは拳を握ったり開いたりしてみる。手が震え、軋んでいるかのように痛むが、血管がちぎれて鮮血が溢れ出るということはない。『言霊』の加護のおかげだろうが、それを抜きにしてもイサはエルフの森の時より格段に強くなっていた。
「まだ、打てる!」
 震えを必死に押さえ、イサは再び風死龍を放つべく気を引き締めた。

 急激に強さを持ったウィード兵に、ザルラーバ兵たちは次々と打ち倒された。
 相手も『言霊』の加護を受けているが、それ以上に強い『言霊』が皆に宿っている。その上、本来ならば相手の弱点を突くような戦法を取っていたのだ。対等な条件に立てば、負けるはずがなかった。
 勝てる、とキュア騎士団長は不敵の笑みをこぼした。
「なんだ、私がいなくても大丈夫のようではないか」
 急に背後からかかった言葉に、キュア騎士団長は目を丸くした。
「え!?」
 振り向いた先に、戦装束に身を包んだ女性が毅然として立っているではないか。
 唐突な登場に、キュア騎士団長は魚のように口を開けたり閉じたりしている。
「えーと、誰?」
 ラックスに問われて、ようやく平静を取り戻す。
「リアッカ様?!」
「おう。キュア騎士団長、上手くやっているか?」
 イサに似た女性――キュア騎士団長たちから見ればイサが目の前の女性に似ているのだが――は、キュア騎士団長の驚愕を楽しそうに見てから気軽に答えた。
「よかった。救助隊は成功したのですね」
「はぁ? なんのことだ」
「え……?」
「誰も助けに来ないから、自力で脱出してきたわ。ザルラーバ兵も思ったより軟弱よのぉ」
 呵々大笑するリアッカ。勘弁してください、と言いたいかのように目元を押さえるキュア騎士団長。
「だからって護衛兵もつけずに戦場に来るなど……!」
「護衛兵ならつけてきた。なぁ?」
 リアッカの後ろに控えていた人物が、手に持った弦楽器を鳴らしながら姿を見せる。
「やぁ。キュア騎士団長、元気にしているかい?」
 リアッカと似たようなことを聞いた人物は、頭にターバンを巻いており皮の鎧の上から白外套を羽織っている。見た目こそは旅人風情だが、キュア騎士団長は目の前の男を知っていた。
「とび殿……って、貴公は宮廷楽士だろう! 何故戦場に!!」
 吟遊詩人としてウィードを訪れ、しばらくの間だけという条件で宮廷楽士となっている彼は、にこやかに笑顔で返答する。
「いや、だからリアッカ様の護衛としてだって」
「戦場で楽士に護衛兵が務まるか!!」
 そう怒鳴ったキュア騎士団長を、ラックスは悲しげな目で見た。鍛冶師であるのに兵士の一人として数えられている彼の心は複雑にもなるだろう。
「オイラはどうなるの……?」
 その視線と言葉にはっとして、どうにか取り繕うとしたらしいが結局黙ってしまった。
「えぇい! 何故貴公なのだ!!」
 普通の兵士ならばここまで喚きもしなかっただろうに、リアッカもなかなか酷なことをするな、というのはラックスが口に出さなかった感想である。
「ん〜。話せば海より深く、天より高い理由があるわけで……」
 手にしている弦楽器をぽろんと鳴らし、とび宮廷楽士は語り始めた。


 それは、戦える『風の騎士団』が砦へ向かってしまった後のことである。
 城を守る警備兵の数は少なく、それほどまでに戦に投入しているのだ。
 閑散としている城内を歩き、時折に見える窓からの風景は暗くて重い。
 もうすぐ雨でも降るのだろう。
 とび宮廷楽士はそのような空を見上げて、吹き抜ける冷たい風が頬をなぶり、あることを思った。
「(……キムチ鍋、食べたいな)」


「というわけでここにいるのだよ」
「意味のない回想をするなぁぁぁ!!!」
 キュア騎士団長の怒鳴りは、もはや悲鳴に近かった。
 とはいえ、とび宮廷楽士の話もあながち間違いではない。
 それというのも、ザルラーバから自力で脱出してきたリアッカはまず城に戻ったのだが、既に『風の騎士団』は出撃した後であった。残っていた大臣から「リアッカ様のお力がなければ勝利は危ういのです」と云われ、戦装束に着替えて勇んで戦場に向かおうとした。
 護衛兵を誰にしようかと迷っている大臣を放って、その時ばったり出会った、キムチ鍋のことを考えていたとび宮廷楽士を「今からお前が私の護衛兵だ」となかば強引に引っ張ってきたのである。
「そういう時は普通に断ればいいだろう」
「でも、リアッカ様が今のおれの主だし? それに――」
 気軽に笑うとびの表情が微かに変化する。
「音にしても歌にしても何にしても、良いモノを創るには人生経験が必要だ。戦場なんて滅多にお目にかかれないから」
 どこか憂いているような表情だった。
 その顔を見て、キュア騎士団長はそれ以上追求することもなかった。
「自分の身を守るくらいはしろよ」
「わかってる」
 返事に合わせてまたぽろんと弦楽器を鳴らす。雨の中でも奏でられるその不思議な弦楽器は、トゥーラというものらしい。
「自分の身って……その人、女王様の護衛役じゃないの?」
「……見ていればわかる」
 ラックスの疑問に、キュア騎士団長はげんなりとした顔つきで答えた。
「それってどういう――」
「さぁ行くぞ!!」
 最後まで言うこともできず、リアッカの声にかき消された。雨音にも負けない力強い声は、なるほど王としての貫禄はある。
 そしてリアッカは、どこに持っていたのか手甲を両腕につけた。その手甲から伸びる鉤爪は竜の爪から精製された、とも云われている。竜爪の手甲(ドラゴンクロウ)を装備したリアッカが、敵陣に突っ込む。
「へ?」
「はーーーはっはっは!」
 大笑しながら、リアッカはたった一撃でザルラーバ兵数人を吹き飛ばし、再起不能にさせる。
 それでも飽き足りないのか、次々と蹴散らしていくでないか。そりゃもうちぎっては投げ、ちぎっては投げ、と云う言葉でも表せないほどで、快刀乱麻を断つが如し。
 あっという間に、キュア騎士団長たちが立っていた辺りのザルラーバ兵たちは全滅していた。
「うん。さすがはリアッカ様だよね。良い歌が創れそう」
「武勇伝なら幾つもできるだろうな」
「なんなんだあの人……」
 とび宮廷楽士、キュア騎士団長、ラックスの順の発言である。
 イサとリアッカの共通点は、姿だけではなかった。リアッカもまた、優れた武術の使い手であり、実力の程は囚われの身から自力で脱出したことに加え、ご覧の通り。強いのである。それが『言霊』の加護を受けているので、こうもあっさりと勝負がつく。
 元来、『言霊』を操る側に立つべきリアッカだが、ラグドが『言霊』を発動させたことにより、指揮官としての立場から解放されている。滅多に外に出してもらえないことを憂いていたのも同じらしく、この機会にとことん暴れてやろうという魂胆なのだろう。
「あれが、キュア騎士団長の主君?」
「そうだ……」
 認めたくないが、と言いたそうな顔で肯定する。
「強すぎない?」
「私も困っている……」
 その腕一本でウィードを統一した、という異名を持ったなら、確実に武力が真っ先に思い浮かぶほど、リアッカが纏う雰囲気は強者のそれである。
「ウィードの女性って、勇敢な人が多いんだね」
「それを言うな……」
 余計恥ずかしくなる、と言いたげにキュア騎士団長は肩をすくめた。
 ともあれ、ウィードがザルラーバに勝利するのも時間の問題であった。


「レイゼン殿! こ、これはどういうことか!!」
 ザルラーバの王、ラストーラは恐怖と怒りに身を震わせながらレイゼンを問い詰めた。
「お前が協力すれば、余は勝てるのではなかったのか」
 既死兵もいない。追い詰めたと思ったウィード兵たちが急激に強くなり、手痛い反撃を食らってそのまま追い詰められているのはザルラーバのほうであった。
「我輩はあくまで可能性を示したのみ。それを使いこなせなかったのは貴公であろう」
 ただの責任逃れの言葉にしか聞こえなかったが、レイゼンはそれすらもどうでもいい事だとしている。
 レイゼンの目的はウィードの勝利でもザルラーバの勝利でもない。ラグドに王として生きる道を歩ませるためだった。
 そしてそれは叶い、それに比べるとやはりどうでもいい事でしかない。
「最後の仕上げだ」
 にやり、と顔を歪ませ、レイゼンはその場から姿を消した。
 ラストーラは老騎士が消えた跡の虚空を忌々しげに睨み、だが聞こえてくる戦いの音で我に返る。
「まだ、余は死ぬわけにはいかぬ!!」
 砦の隠し通路から逃げ延びる手段もあるし、身代わりを立てておくこともまだ可能だろう。
 まだ死ぬわけにはいかない、と自分で言う割には、別に重大な使命を背負っているわけでもなく、果たしていない約束がある、という美談は一切ない。ただわが身可愛さからくる死への恐怖だけ。
 このような王のために戦っているとなると、ザルラーバ兵たちも哀れである。
 だから――。
「だから、ザルラーバは滅び、ウィードが統一するべきなのだ」
 唐突に現れたその男は、ザルラーバ兵の鎧に身を包んでいる。だがその全身から溢れる殺気は、主君であるラストーラに向けられていた。
「ピッド……騎士団長……?」
 ザルラーバの『地の騎士団』の中でも最強の名を冠する騎士である。
「おぉ、お前がいるのなら安心していいのだな」
 ピッドの言葉を聞いていなかったかのように――聞こえていたはずだ――、ラストーラは勝手に信用を押し付ける。
「まさか、お前が裏切ることなどないのだから。なぁ?」
 同意を求めるが、相手は首を縦には振らなかった。
「先に裏切ったのはあなただ。何がウィードには和平の心を持って統一を促す、だ。戦争を仕掛け、民を苦しめるあなたの考えに賛同することはできない」
 ピッドは美しい装飾が施された剣をラストーラに向けた。
「や、やめ――!」
「お覚悟を!」
 他人を慈しむ心もなく、己の事しか考えない哀れな王は、部下から殺害されるというなんともあっけない末路であったという。
 この瞬間、ザルラーバ兵たちに与えられていた『言霊』の加護はなくなり、戦うための勇気を与えてくれるそれがなくなった為に、戦意を喪失するものが続出した。
 これでウィードの勝利が、確かなものとなったのだった。

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