54.魔界剣士(ファイマ)


 それは壮絶な戦いであった。
 たった三人だけで、魔法銀(ミスリル)の肉体を持つ竜と互角に戦い、勝利を収めたのだから。
「だけどこれって……」
 その戦いを遥か上空から見ていたイサが不思議がるのも無理はない。
 今、自分たちは空に浮いており、全ての光景を見下ろしているのだ。自分の身体が空気に溶け込んだかのようであり、この感覚はかつてコサメの過去を見た時と似ている。
「いったい、どういうわけかねぃ」
 さすがのムーナも分らない様子で、皆が周囲にいるのだが、それより移動の仕方が分からない。簡単な身振り手振りはできるものの、それ以外はさっぱりだ。それに、いったいどうしてこのような光景を見せるのかも不可解である。
「星降りの精霊が『間違えちゃった、てへ』とか言いそうで恐いよねぇ〜♪」
 最近のホイミンの言葉は、何かと核心をついているような気がして冗談に聞こえないから困りものだ。
「――間違えちゃった、えへ=v
 姿は見えずとも、星降りの精霊の声が届いた。どうやら本当に間違えてこの時代、この場所に送ってしまったらしい。
「どうするのよ」
「まー良いんじゃない? 全く関係ないってわけでもないし=v
「それはどういう……?」
「そんなことよりもう一度ジャーンプ!=v
 視界が歪んで、もとに戻った時は何処かの処刑場のようであった。公開処刑というやつか、周囲には民間人が多数集まっている。そこに、やはりあの黒髪の若者二人と、中年男性の三人組が見かけられたのだが――。
「あら、ここも違うじゃない=v
 偉大な精霊として例えられる星降りの精霊にしてはいい加減な発言をして、再びイサたちは姿を消した。そういえば、処刑場に立たされていた男は、どことなくラキエルペルに似ていたような――それともラキエルペルがその男に似ていたような。一瞬でそれに気付いたのは、リィダだけであった。


「魔竜神?」
 ファイマの言葉に、ベクチャイルマンは重々しく頷いた。エルデルス西方部、後に武器仙人が住居として使う小屋で、皆は身体を休めていた。その中、ベクチャイルマンが話を切り出したのだ。
「魔銀竜ゼルファーディアを斃したのはわしらだ。だがなぁ、それだけではすまなかったようだ」
 部下を殺されて、魔竜神が怒り狂い、ルビスフィアに攻めてくるに違いない。それはついさっき知ったことで、早急に仲間に相談したほうがいいと判断したのだ。
「よく知っているな」
「おぅよ。わしらに魔銀竜のこと吹き込んだ青年から聞いた」
 そう言って、ベクチャイルマンは注いであった茶を一気に飲み干した。
「わたし達、いったい何をやっていたのでしょうね」
 ルミィが無くなったカップに茶を注いで、落ち込むように言った。その言葉に、二人の顔が曇る。
「あらやだ、わたし変なこと言ってしまって……」
「いいんだよ、ルミィ。オレ達はただ、騙されていただけなんだ」
 魔銀竜が人を殺めては楽しんでいるらしい――。全てはこの噂から始まっていた。その現場もファイマたちは目撃しているが、事情は異なっていた。魔銀竜を討ち取った時、竜は言ったのだ。
 人が竜族を殺めては辱めている――。どちらが先に仕掛けたのか、どちらが最初の被害者で加害者であるのか、誰にもわからなくなっていた。何もわからない中で生まれたのは対立で、噂が発端であった人と竜の戦いは、竜族の筆頭たるミスリルドラゴンの死で幕を引いたかのように思われた。
 どちらも噂のようなことをしてはいなかったのに、対立が長引くうちに現実化し、後に引けなくなってしまった。そして、魔銀竜は憎しみを持ったまま息を引き取った。それを知った魔竜神は、確実にルビスフィア世界に住む人間たちの抹殺にかかるであろう。
「ミスリルドラゴンを倒すだけでやっとだったんだ。これ以上、オレ達にどうしろというんだ? 答えてくれ、ベクチャイル!!」
 魔銀竜に勝ったのだから、魔竜神も倒せるのではないだろうか。そのような考えは微塵も出てこない。それほど、魔銀竜は恐ろしく強かった。それの上位たる魔竜神に対して、勝ち目はない。
「やっぱそうかぁ。ファイマ、お前が作った自称世界最強の剣に期待してもダメか?」
「当たり前だ! あれは確かに最高傑作だが、問題がある」
「問題があるのに最高傑作なの?」
 横からルミィが素朴な疑問をぶつけた。
「ルミィ、口を挟むな。これは男のロマンだ!」
 なんなのよ、とルミィが頬を膨らませて奥の部屋へと戻ってゆく。
 その様子を見て、ベクチャイルマンはからからと笑った。
「なんだ、変なふうに笑って」
「いやなに。告白するなら早いほうがいいぞぅ」
「オレは世界最強の剣を作ることだけで頭がいっぱいなの。ルミィなんかには興味はない」
「わしは別にルミィに、とは言っていないのだがなぁ」
「……この!」
 斬り刻んでやろうか、と腰を浮かすが、ファイマはそのまま座り直した。
「全く、もったいないなぁ」
「だから女なんかには……」
「そうじゃない。お前はどっちかというと武器より防具作りの方が向いている。それなのによぉ、世界最強の剣を自らの手で作りたいなんて夢を持っちまったから、問題のある最強の剣が出来たりするんだ。世界最硬の防具を作ったほうが後悔しないぞ」
「……オレは最強の剣を作って、誰にも負けない力を持って、大切なものを守りたいんだ」
 ファイマの漆黒の瞳は、ぎらぎらと輝いていた。その大切なものが何かまでは追求されるとファイマも困るので話を戻すように専念し始める。
「それと、話を逸らすな。魔竜神を相手に、どうするつもりだ」
「ふむ、方法がないわけではないのだが……」
 そう言うと思った。ベクチャイルマンは、常に何かしらの手段を得てから話を切り出すのだ。ただ救いを求めるだけのために、話をもちかけたりはしない。
「だが、これは一人が確実に地獄を見ることになる」
 ベクチャイルマンの妙な言い回しに、ファイマは目を細めた。


 竜の軍勢。とはいえ、相手は五体のドラゴンであった。
「難しいわね。ただのドラゴンだったらいいものの」
 ルミィがドラゴンたちを眺めながらぼやく。緑の鱗が特徴たる典型的なドラゴンではなく、その色は橙に近く、ダースドラゴンと呼ばれる上位竜(ハイ・ドラゴン)の一種だ。
 ファイマも彼女の隣で、困ったように顔をしかめている。彼の背には、巨大な荷物袋が乗っていた。
「魔竜神の手駒だろうなぁ。一体ずつが魔銀竜以下とはいえ、あっちは五匹。こっちは三人。一人につき一匹倒してもまだ余る。さぁて、どうしたものか」
 エルデルス山脈中心部に限りなく近いこの場所では、人間は三人しかいない。他の生物は、魔物くらいのものだろう。
「考えるまでも無いだろう」
 ファイマの言葉に、ベクチャイルマンは軽く頷いた。
「そうだなぁ。お前も、自称最強の剣を持参しているわけだし」
「なに? それ剣だったの?」
 ルミィが驚くのも無理はない。ファイマは専ら剣を使うのだが、長剣(ロングソード)両手剣(バスタードソード)を主として、大剣(グレートソード)を使うところなど見たことが無い。しかし道具袋の中身が剣とするならば、それは間違いなく大剣なのである。
「使うことがなければいいのだがな」
 この剣に関する問題はまだ解決されていない。そしてこれを御することができるほど、ファイマは力をつけていない。
「無駄話はこれで終わりだ……来るぞ」
 ベクチャイルマンの言葉で、二人の顔つきが変わった。熟練した戦士の顔がそこに在った。

 それからは、戦いの連続であった――。

 一体のダースドラゴンを倒し、もう一体のダースドラゴンを追い詰めた頃には、新しく別のダースドラゴンがルビスフィア世界に送り込まれていたのだ。そしてその送り込まれる数は、時間が進むたびに増加してゆく。
 その間に三人が全く無事であるはずもなく、短い期間で用意した道具やトラップを駆使してもなお、時間の経過とともに傷の数は増して、魔法力や体力は減少していく一方であった。
「ミスリルドラゴン相手に、全部使い切るんじゃ、なかった、よね……」
「あぁ……だが、そう、しなければ、オレ達は、既に死んでいただろうよ」
「わしも、同意見だ」
 みなの言葉が途切れ途切れなのも、呼吸が荒く肩で息をしているためで、疲労の限界が近づいていた。
 ダースドラゴンたちは容赦なく火の息を吹きかけ、太い腕を繰り出し鋭い爪で裂こうとする。
 ファイマはそれを剣で受け流そうとするが、剣のほうにも限界が来ていたらしい。根元から砕けるように折れて、受け流せなかった爪が肩を抉る。
「ぐぅ!」
「ファイマ!」
 ルミィがすかさず回復呪文(ベホマ)を唱えるが、焼け石に水の感があり傷口は塞がっても助かったようには思えなかった。それほど体力を消費しているからであり、ルミィの魔力が減衰している証拠だ。
「なにやってる! それでも武器職人か!!」
「わかっている!!」
 すかさず別の剣を取り出して、一振りで手になじませる。
「馴染ませるのだけは得意だな」
「だけとはなんだ!」
 軽口が叩けるうちならまだ行けるな、とベクチャイルマンとファイマは同時に言ってやった。とはいえ、この軽口にも死力を使っているようなものではあるのだが。
 それに気力はあっても体力はそれに追いついてくれなかった。
 避けることのできていた攻撃は尽く回避できず、防御か受け流すかになり、その際の衝撃は確実に身体を蝕んでいく。
「負けられない、よね」
「当たり前だ。オレ達が始めてしまったことに、けりをつけないとな」
「わしらは、とことん馬鹿な役回りだな。歴史に残らないような戦いを、死に物狂いでやっている」
「けど、それが」
「オレ達だ!」
「おぅよ!」
 三人は互いに互いを支え合いながら、ダースドラゴンの群へと向かっていく。


――だけれども。
「なんで……なんで私たちは見ていることしかできないの」
 戦いを見守っていた、というよりも見せられていたイサは、泣きそうな声で言った。
「星降りの精霊……一体、何を考えているんだろうねぃ」
「しかし何故ファイマ殿がこの時代に……」
「しかもあのファイマさん、なんかおかしいっすよねぇ」
 姿はかつて遭遇したファイマと同じだ。しかし、目だけは違う。瞳が見えないほど目が細く、閉じているのではないかと思える彼であったが、そこにいるファイマは黒い瞳が両目ともに見える。
「一応ね、知っておいてもらったほうがいいかなって思って=v
 心の中に星降りの精霊の声が響く。
「この戦いは誰にも知られていない。知っている当人は誰にも語らない。そして記録にも残さなかった=v
 あなた達はまず『知ること』を『知って』ちょうだい、と星降りの精霊は言った。
「だからって、見ているだけだなんて。あんなに辛そうなのに!」
 三人は体力の限界を気力だけで誤魔化しているようなもので、精神が肉体を凌駕しているのか、疲労困憊で動けないはずなのに動いている。
 彼らの周囲に残っているダースドラゴンは二匹。そう、あれだけ増えたのに、残りの二匹まで殲滅したのだ。
 そして、戦場となっていた山の隣には、彼らが倒してきた数の三倍はいようという数のダースドラゴンが待機していた――。


 周囲に残っていた最後のダースドラゴンを倒すと、その途端に三人は倒れた。
 気が緩んで、疲労が押し寄せたのだろう。魔銀竜と戦った時と同じ、いやそれ以上に疲れていたのかもしれない。あの時は、倒した後に一言くらいは会話できる余力があった。しかし、今はそれすらない。
 極寒地帯であるエルデルスであることも忘れて、深い眠りに入ったのだ。とはいえ、戦いの影響で雪は溶け、雪雲は弾け飛び、精霊力による気候が狂い、ここがエルデルス山脈の一部であることを忘れてしまうほど暖かいのだから爆睡してしまうのも無理はない。
 彼らは、それこそ死んでしまったのではないかと疑うほど深く眠っていた。深く、深く――。
 最初に目を覚ましたのはファイマで、身を起こすと視線を一点に集中させた。姿は見えずとも、気が微かに感じられる。ダースドラゴンが、また送り込まれていることを直感的に悟ったのだ。
 他の二人を見ると、まだ深い眠りに入っているのか気付いてはいないようだ。
 先ほどの戦いでは使わなかった大剣を道具袋から取り出し、それを背負って歩き出すが、すぐに足を止めて、まだ眠っているルミィに近づく。
「……大丈夫、安心して眠っていろ。後は、オレに任せろ」
 彼女の頬に軽く口付けすると、ファイマはダースドラゴンの群がいるであろう方向に走り始めた。

 戦う理由がある。
 こんなにも必死になってでも、戦う必要がある。
 三人が三人とも、それぞれの夢を追っていた中で衝突した代償。
 その中で生まれたさらなる悲劇。
 ファイマはかつて、最強の剣を求めた。存在する剣の噂では、どうも最強というイメージが湧かなかったのだ。だから、造り続けた。ありとあらゆる武器を。自らの手で。
 そして試し斬りは、最強と実感できる相手でなければならない。魔物を相手にするべきであったファイマは、別の考えに辿り着く。魔物殺という職業があるからには、人間のほうが魔物より強いのではないか、という考えであった。
 故に、ファイマは人を斬り続けた。強いという噂を聞けば勝負を挑み、作り上げた剣の威力を試す。相手をどれだけ早く死に至らせることができるかを追求したのだ。剣を造っては人を殺め、人を殺めては剣を造り、そうして得た物は……
 ただの空虚感と自己嫌悪だけであった。
 間違いに気付いたファイマは絶望した。どれだけ人を斬っても無意味だったのだ。それで最強の剣が誕生するわけがない。誕生したとしてもそれは最凶である。どれだけ屈強な人間であろうと、同じ人であったのに、ファイマは己の夢のためとして殺人を美化していたのだ。
 そんな中、ルミィに出会い、ベクチャイルマンに出会った。二人ともファイマと同じく罪人であった。ファイマがどのような罪を犯したか知る者はいない。知る人間は全て死んだのだから。他の二人も似たり寄ったりのものであるらしいことだけは、何となくわかった。
 それから三人は何となく行動するようになり、己の犯した罪を償うべく人のためにその腕を振るった。魔銀竜と戦ったのもそれが発端であったのだが、なんてことはない。何かに騙されていたのだ。その結果、ルビスフィア世界に魔竜神が侵攻する状況を招いてしまった。
 だから三人は戦ったのだ。騙されていたとはいえ、自分たちが招いた結果を清算するために。それしかできない、それしか方法が思い浮かばない、不器用な三人であった。殊更に不器用であるのは、ファイマであっただろう。仲間と言っていい二人を置いて、単身でダースドラゴンの群へと立ち向かっているのだから。
「我が最強の剣、今こそ試してやる」
 大剣を取り出し、柄を握る。
 この剣を使うには、味方が邪魔なのだ。だから一人で来た。勝ち目のない戦いかもしれないが、ここまで来て自分の夢に魅入ってしまった。この剣が、どれだけのダースドラゴンを倒し、二人を守ることのできるかを試してみたかったのだ。
 ファイマの眼が、まるで変貌したようだった。漆黒の瞳は窪んだ昏い不気味な闇と化している。
 ファイマは地を蹴り、ダースドラゴンに斬りかかった。


「……起きろ、ルミィ!」
 怒鳴られてルミィはまだ痛む身体を反射的に起こした。
「どうしたの?」
「ファイマがいねぇ!」
「うそ!?」
 ルミィが周囲を見渡すが、ファイマのファの字も見当たらない。
 代わりに、遠くから咆哮が聞こえた。聞きなれてしまったダースドラゴンの断末魔の声と酷似しており、それは同一のものと考えていいだろう。
「あのバカ!」
「なんで眠っていたのかしら」
「あいつが眠り粉でもふりかけたんだろ、わしらが起きる前に!」
 ベクチャイルマンはそれだけ言うと駆け出した。ルミィも慌ててそれを追う。
 起きたばかりだというのに二人は全速力で走り、その足取りも確かなものである。さすがに歴戦の戦士であるとともに、それほどまでにファイマのことが心配であることもまた確かなことだ。
 駆けて、駆けて、辿り着いた時、二人はその光景を目の当たりにした。
 ダースドラゴンに立ち向かうファイマはぼろ布のような姿で、血で濡れていない箇所を探す方が難しいほど全身は血だらけ。倒れてもおかしくはない、いやそれよりも倒れていないとおかしいほどの出血であるのに、彼は行動を停止させてはいない。
 怒り狂った眼は、既に痛みを身体が感じていないことを示していた。

「るぉぁぁぁああぁあっぁぁぁぁああぁぁぁ―――!!!!!」

 ダースドラゴンの咆哮ではない、人の、ファイマの、人間らしからぬ咆哮。その叫び声だけで何も知らないような一般人は失神してしまうほどの怒りの感情がそこにあった。
「あいつ、あの剣を使いやがったな!」
「問題があるやつ? ファイマのバカ!」
 ルミィの声にも、ファイマは何一つ反応しない。ただ、また一体のダースドラゴンを屠っただけである。先ほどまで三人でも苦戦していた相手を、ファイマはいとも簡単に斬り捨てている。それほどまでに、ファイマの剣は強力なのだ。
 人にとって最も強い感情――それは怒り。その怒りを最大限にまで引き出し、身体能力を高めることができたら……。ファイマはそう考え、造ったのだ。全てを崩壊に導く屍魄の刃をもとに、ある道具を埋め込んだ。
 信じる心という、人間不信になった者の心を癒したと云われる宝石がある。そして精神に影響を与える宝石は多数存在し、その中の一つに『怒れる心』という喜怒哀楽のうち怒を特化させるものもあった。ファイマはそれを使い、それぞれの素材にさらに手を加えた剣を完成させた。
 神怒(イラドール)の剣。その刃に劣るものなし、持つ者を最強の心に支配された狂戦士へと変貌させる、まさに最強の剣だ。問題は、今のファイマの通りである。あまりの怒りに支配され、物事が見えなくなるのだ。己が何者かさえも、己が何を斬っているのかさえも、ただ目の前にある何かを斬り、溢れる怒りのままに行動をしている。
 刃は魂ごと肉骨を引き裂き、持つ人間は膨大な怒りに何もかもを忘れて腕を振るう。
 時間の経過ごとに増えていく血溜りはファイマのものかそれともダースドラゴンのものか、区別はできない。
「ファイマ、やめろ!」
 ベクチャイルマンの声は、しかしファイマには届かない。完全な怒りに支配されてしまっているのだ。神怒の剣を持つ時間が長すぎたのだろうか、それとも最初からそうだったのだろうか。どちらにせよ、ベクチャイルマンは呼びかけを続けた。
「ファイマ!!」
 ルミィも張りのある大声で叫ぶが、無意味なのかファイマは止まらない。ダースドラゴンを斬り倒しては、別のダースドラゴンへと向かっていく。たった一人で、幾多ものダースドラゴンを倒してしまうのだから、確かに最強の剣を手にしていると言っても良いだろう。
 しかしそれは、ベクチャイルマンとルミィの望まぬことであったのだ。
 二人の必死な呼びかけも――否、途中からルミィの声が途切れ、全く聞こえなくなったのだからベクチャイルマンの呼びかけといった方が正しく――効果はなかった。
 最後のダースドラゴンを倒し、ようやく現在エルデルスに派遣されていたダースドラゴンを全て倒したことになった。
 そこでファイマは倒れ、剣を手放した。
 今までの行いが全て剣に操られていたかのように、それはあっさりと終わった。
「起きろ……起きろ、ファイマ! 起きなくても起きろぉぉ!!!!」
 ベクチャイルマンの激昂で、ファイマはぴくりと身体を動かす。完全な疲労困憊で動けないだろうが、ベクチャイルマンの声が無理やり活気を与えたかのように、辛うじて意識を取り戻した。
「――う……オレは、生きて、いるのか」
「当たり前だ。お前、奇跡の剣の刃も素材にいれていただろ。斬るたびに身体が治癒されていくやつ」
「そうか……どうりで疲れているわりには、痛みはたいした事はない……」
 皮肉な笑みを浮かべることができるほど、ファイマはまだ無事であったらしい。
「イラドールの剣は、まだ問題があったのだろう」
「ああ。だけどな、それの解決方法として最高に『守りたい気持ち』がないと剣が抜けないように細工してみたんだ。結局、戦っている間は記憶が吹っ飛んだみたいだけどな」
「……お前、『アレ』を見てまだそんなことが言えるのか?」
 ベクチャイルマンは笑っていなかった。安堵の表情も見せていなかった。静かな怒りと、哀れみの表情であった。
 彼がアレと形容したものに、ファイマは視線を向けた。
 そこにあるものが何であるかを認識した途端、ファイマの身体は石になったかのように動かなくなり、微かに震えていた。
 ダースドラゴンの死骸の数々はほとんど見当たらない。ファイマは魔物殺(モンスターバスター)であるために、倒した魔物は貨幣と変質するからだ。だが、倒すまでに撒き散らした鮮血は残っている。真っ白な雪にぶち撒かれた真っ赤な塗装。
 ダースドラゴンの血であり、ファイマの流した血であり、そして第三者の血も大地を塗らしていた。

 黒髪の女性。身動き一つせず。血に染まり。ただ淡々と。儚く。その場に。座り込んでいる。

 ルミィは、物言わぬ亡骸と変貌していた。

 どれくらいそうしていただろう。二人は、特にファイマは目に映るものが信じられないのかただただじっとそれを見つめるだけで動かない。時が止まってしまったかのように、動かない。二人、亡骸を含めれば三人の時間だけが止まってしまったかのように動かない。
 時が動いている証は、ちらほらと降る雪だけである。
「おれが……やったのか……」
 低く、掠れた声で呟いたのはファイマ。
「……そうだ」
 事実を伝え、それ以外は口にしなかったベクチャイルマン。
 そのやりとりだけで、また二人は黙り、時が止まったかのように動かない。

 目に映る者は仲間だった。今はただの亡骸。

 その女性を愛していた。だが単なる肉塊と化している。

 ただ自分の夢を追っていた。そして最愛の女性を自分で殺した。

 赤 。 紅 。 赤 。 紅 。 赤に染まり、紅に染まっている。

「……ベクチャイル。魔竜神を封じる媒体……オレが、やるよ」
「……そうか」
 彼女の名を叫びはしなかった。発狂もしなかった。
 実感がないのか。それとも妙に冷めてしまっているのか。否、あまりの悲しさに全て潰されてしまった。感情を封じ込めて、自分が自分ではなくただの人形と化してしまったかのような、そんな感じだ。
「今すぐやろう。できるよな」
「あぁ、ダースドラゴンの軍勢が途切れた今なら、可能かもしれないな」
「なぁベクチャイル……本当はお前が媒体になるつもりだったんだろう」
「……あぁ」
 ファイマはただ座り込み、ベクチャイルマンはそれを中心に魔法陣を描いていく。
 消え去りたい。
 それがファイマの望みであり、ベクチャイルマンはその痛みを深く理解してしまったために、あっさりと媒体役を交代させた。
「ありがとう」
 だから、ファイマは礼を言ったのだろう。謝られるよりもよほど辛い。謝られたら、思いっきり怒鳴ってやるつもりだった。予想に反して、というよりも妙な期待通りに彼は礼を述べた。
「始めるぞ」
 複雑かつ巨大な魔法陣はすぐに完成された。


「あの魔法陣の形は……召喚の類だねぃ」
 上空で見守っていたイサたちもずっと無言であったが、ムーナが最初に口火を切った。
「さぁて、勝負は一瞬だからちゃちゃっとやってよね!=v
 星降りの精霊の声が響く。彼女の陽気な声も、今の状況では浮いてしまう。どうせなら荘厳な雰囲気の方がよかったのだが、文句を言っても仕方ない。
「勝負は一瞬って言われても……」
 どうすればいいのだろうか。
 考えているうちに、魔法陣が光を発した。その光はエシルリムで見た黄金の魔力と酷似しており、似ているが別の性質の魔力だろう。
「今よ! 風種を翳して!=v
「う、うん!」
 言われた通りに、イサは風種を取り出して魔法陣に向けた。白色だった部分が、翠に染まる。
「これって、どういう?」
「イサ! あれ!!」
 ムーナに呼ばれて魔法陣のほうに意識を向けると、光は別の色に変化していた。何色でもなく、全ての色であり、形容できない色。ぐにゃりぐにゃりと絶えず変化していく歪んだ空間が発生し、その中で吸い込まれていく人間が一人。
 漆黒であった瞳が紅と化しているファイマが、悲鳴をあげつつ歪んだ空間に取り込まれていく。
 その悲鳴は先ほどの叫びとも違い、ダースドラゴンの咆哮とも違い、もっと別の何かを思わせた。
 そして――――消えた。
 残ったのは、ベクチャイルマンとルミィの亡骸。後は、人間とドラゴンの、戦士たちの血だけである。
「なにが、どうなったの……」
「あなたなら解かるでしょう? 魔道士さん=v
 ムーナが指名され、彼女はゆっくりと頷いた。
「どういうことだ?」
 ラグドの問いに、信じられないよと言いつつ頭を掻いた。
「魔竜神を召喚して、ファイマさんに憑依させた。それで、『時間の歪み』を作り出してその無限次元空間に放り込んだんだ」
「時間の歪みって……時の精霊でも召喚したんすかね?」
 一応は魔道士としての知識があるリィダが、それらしい精霊を挙げるが、ムーナは否定するように首を横に振った。
「魔法陣をわざと一部分間違えていた(,,,,,,,,,,,,,,,,,,)んだ。魔竜神ほど大きな召喚はちょっとした間違いで違うものが召喚されたり、実行しただけで術者の命が奪われたりするけど、意図的な間違いで時間の歪みを生み出すなんて、なんて人だい」
「さすがは伝説の狩人……あれ? 狩人なんだよね」
「明らかに大賢者リリナを上回っているとしか思えないねぃ」
 伝説に残るほどなのだからただの狩人ではないと思っていたが、魔法にもかなり通じていたのだろう。ムーナは、ベクチャイルマンが使っていた魔法が精霊魔法ではなく魔術魔法であることにも気付いていた。
「あ〜れ〜? ボクたちがあったファイマさんはぁ?」
「あぁそれね――=v
 星降りの精霊は何かを知っているらしく、それを聞かせてくれた。
 ベクチャイルマンたちは先手を打って、魔竜神を媒体に憑依させたまま時空の歪みに放り込んだ。通常ならば人の魔力で魔竜神を召喚することは叶わないだろうが、魔竜神は人間達に報復するためにルビスフィア世界へ行きたがっていたのだ。だが魔竜神ともなると容易にルビスフィア世界に行く事は叶わず、されども召喚されれば別だ。
 喜んで食いつき、そして召喚と同時に時間の歪みに落とされた。
 これが、魔竜神が失踪した理由である。
 その後、時間の歪みの中では時という概念はあれども通常とは異なり、あらゆる作用を齎したのだ。それが魔竜神と人間の完全融合であったのか、それとも別の何かまではわからない。魔竜神の力は小さくなり、ファイマの身体に埋め込まれた。そしてそれだけでは時の作用は収まらず、彼の身体は縮んでいった。完成された肉体ではなく、青年から少年へ、幼児へ、乳児へと変貌し、時の歪みは気まぐれにファイマを追い出したのだ。
 その時代は数十年後のエルデルス山脈。そこで武器仙人に拾われ、育てられた。彼は、それが何者かを知っていたのだろう。ベクチャイルマンは魔竜神に関わる記録を一切残さなかったが、一番弟子たる武器仙人だけには話しておいたらしい。
 もしかしたらいつの日か、時間の歪みから吐き出されるかもしれない男の事を。
 武器仙人は赤子に同じくファイマと名付け育てた。その際に武器仙人の口調がうつってしまったらしい。
 魔物殺から新しく冒険者になったファイマが育っていく過程で、かつての記憶はあるものの彼の目だけは開かなかった。しかし閉じていても視えるという異能は、既に魔竜神の力が影響しているためだろう。片目だけでも開ければ、それはそれでそちらのほうがよく見える。そして両目を開けると、片目は紅くなっており、魔竜神の力が解放された。それを制御する事は難しく、尚且つ怒りの感情が溢れ出して来る。これは魔竜神の怒りなのか、ルミィを殺した過去の自分への怒りなのかは解からない。
 後に、ファイマは武器仙人の弟子となり防具を作り始めた。武器も作った。身の守りだけでは守れないものがあると知っているからだが、決して自らの防具を突き破るもの以上の武器は作らなかった。
 この辺りから、武具マニアとして心に目覚めたらしいのだが、そんなことはどうでもいい。
 ファイマ、という名前自体は過去でも有名であり、再び現れた魔法戦士ファイマはその姿が瓜二つであったためか、あらゆる噂が流れた。魔界へ行って生還してきた、魔物との間に生まれた子、魔界の住人……そうして誕生した『魔界剣士』という噂は、まるで皮肉であった。
 神怒の剣は、ベクチャイルマンがルミィの墓を立てるとその隣にファイマの墓標のように置いていたが、墓荒らしにでもあったのか誰かに持ち去られていた。それから一体どのように流れてしまったのか、その時代で武器収集を趣味としていた大富豪ルルルルック=コリエードに引き取られたことを知る人間は少ない。
 そして現代に至る。

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