53.風神精霊(ウィーザラー)


 ――瓦礫の山。
 かつて城であったもの、城の近くに点在していた家々であったのもの。
 何か強大な力に押し潰され、ただの瓦礫と化してしまった。
 荘厳さや美しさは無い。廃墟美さえ感じられない。
「みんなは、みんなはどこなの……」
 イサの悲痛な、か細い声が痛々しく耳に届く。それほど、風の音さえなく辺りは静寂に包まれている。
 危ないから、と調査に向かったラグドとムーナを待つことになったイサとホイミン、そしてリィダとキラパン。
 本当なら自分も行きたい。何が起こったのかを、自分自身の目で確かめたい。それなのにイサはここにいる。
 危ないから……そんな理由で留まっているのが、この事態になってもラグドとムーナがイサの身を案じているからだ。『王族の生き残り』として――。
「イサさん……」
 何か言ったほうが良いのかと思いリィダが口を開くが、何を言っていいのか分らずにまた黙ってしまった。
「やっぱり、私達も行こう」
「えぇ!? でも危ないって姐御が……」
「だったら、私一人だけで行く」
 こう言い出したらイサは止まらない。
「あ、イサさん!」
「イサ様〜待って〜〜。ボクも行く〜♪」
 リィダの引きとめは虚しく、イサは駆け出してホイミンはそれを追いかけた。
「ウチらも行くっすよ」
 キラパンを伴って、リィダは二人の後を追った。


「どうだい?」
「……」
 ムーナの問いに、ラグドは無言で首を振った。誰一人として生存者がいるとは思えないのだ。ただ単純な力に押し潰されただけではない。何かしらの力が作用していたのか、ただの崩壊ではなく消滅に近かった。
「誰一人、この辺りにいた者は助かっていないだろうな」
 このことをイサに報告しなければならないと考えただけで辛い。
「生存者なし、か……サーちゃんも、騎士団のみんなも?」
「あぁ……」
「ウィード王も?」
「あぁ……」
「残念なことだねぃ」
 残念、という表現はあまり適したものとは思えなかったが、彼女も気が動転しているのだろうとラグドは納得した。
「――ウィード王は、アタイがこの手で殺そうと思っていたのに」
 この呟きは、すぐ近くにいたラグドにも聞こえなかったようだ。
「ラグド、ムーナ!」
 二人の名を呼んでやってくるのはイサだ。
「イサ様……」
 まだ調査が終わっていないから危険です、ということを伝えようとしたが、やめた。それでおとなしくなるイサではないからだ。
遅れてリィダがキラパンとホイミンを伴ってやってくる。キラパンはダークパンサーの姿からキラーパンサーの姿に戻っていた。
「みんなは……どこ」
 この問いは無意味だ。それはイサ自身わかっていた。それでも聞きたかった。もしかしたら、という気持ちがある限り落ち着かない。きっぱりと言って欲しかったのだ。
「生存者は確認できていません」
「みんな……死んじゃったの?」
 人であったものと思われるものがそこらに点在しているし、それのパーツらしきものも落ちている。何より、全ては唐突に訪れたのだから逃げる暇などなかっただろう。それが意味することは、即ち死である。
「なんで、なんでこんなことに……!」
 誰も答えることはできない。答えはわかっているのだが、それを口にするのは残酷に近い。

 イサたちの旅が間に合わなかった。

 それが答え。風磊が全て揃う前に、魔王軍からの攻撃を受けたのだ。魔王復活の狼煙として。
「イサ――! それ」
 ムーナの言葉に、イサは恐る恐る下を向いた。腰に結わえてある道具袋が光っているのだ。いや、道具袋の中に入っているものが輝いている。
「風魔石が……」
 中から取り出した風魔石が翠色に光を放っていた。
 光は風魔石から離れると、ふわりふわりと千鳥足のように動いて、やがてゆっくりと移動を始めた。
 ついてこい。その光がそう言っているかのように思えて、皆は黙って光を追っていく。
 どれくらい歩いたのか、すっかり地形が変わっているので感覚が掴み辛かったがどうやら風神石が納めてあった宝物庫の場所らしい。ここも無残に崩れ落ち、宝という宝はその姿の原型を留めていないだろう。
「光が……」
 収束して、そして形を造る。
 裸体の女性のような形だが、髪から肌まで色は全て翠色で半透明だ。
「あなたは、誰?」
 ヒュウ。
 イサの問いかけに風が吹いた。
「風? 風だって? 風の精霊力が根こそぎないのに」
 ウィードを襲った力が風の精霊力――他の精霊力もろとも全て消滅させているのだ。風が吹くはずがない。
「わたしは…………ウィーザラー。実体を持たない、持てない存在……=v
 目の前の女性――ウィーザラーの言葉にイサたちは、はっと息を呑んだ。
 ウィーザラーといえば、三界分戦にて人間軍に参加した四大精霊の一人だ。そしてウィードではウィーザラーを祀っている。言わば、ウィードの住人にとってウィーザラーは神なのだ。
「この姿も風魔石と風神石の力で、ようやく保てる風の下位精霊の姿……=v
「あぁ、どうりで見覚えのあるもんだとは思っていたよ」
 神に等しいウィーザラー相手に、あくまでムーナはいつも通りだ。
「風神石の力って……風神石は無事なの!?」
 ウィーザラーの言葉にイサは食いついたが、彼女は首を横に振った。
「安置されていた場所に力が溜まっていただけ。風神石はいまや塵と化してしまった=v
「そんな……」
 風磊は全て揃わないと魔の王に対抗することはできない。それなのに、一つは行方不明で、もう一つは塵と化した。前者ならばまだ探せば見つかりそうだが、後者そうもいかない。
「風魔石の力も、残留思念のようなもの。わたしをわたしで在るべくするために、お願い……助けて……=v
 助けてほしいのはこっちだ。故郷が無くなり、親しい人々が大勢亡くなったのだから。
 それでもイサは、震える身体を自分自身で強く抱きしめて震えを沈めてウィーザラーに問うた。
「どうすればいいの?」
 助けを求められている。今はそれを考えよう。みんなのことを考えていたらいつまで経っても沈んだままだ。そうしないと、哀しみに呑み込まれてしまいそうだから。
 ネクロゼイムがエシルリムで言った言葉――究極魔法を目前として、押さえられぬ興奮を別の興味対象もって打ち消さねば、発狂してしまいそうだ――。状況は違うけれど、抑えられない哀しみは別の何かを持って打ち消さないと発狂してしまいそうだ。こんなことで共感してしまうのは悔しいが、それでもいい。
「結界を……『永久への風結界(エターナル・ストーム)』を……=v
「エターナル・ストーム?」
 イサが聞き返すが、ウィーザラーの姿が薄れていく。消えてしまう前兆なのだと、直感で悟った。
「星霊山へ……星降りの精霊に会って……!=v
「あ、待ってよ!」
 その要望は聞き届けられず、ウィーザラーは弾けたように消えてしまった。

「星霊山って……星降りの山のこと?」
 以前、パデキアの花を求めてムーナとホイミンの三人で登った山だ。
「そうですよ」
 ラグドも、星霊山が星降りの山であることを知っている。レイゼンの話では、五百年前はそういう呼び名であったらしい。
「でも、星降りの精霊って五年に一度しか姿を見せないんじゃなかったっけ?」
 ムーナの言う事も最もで、それは星降りの精霊自身が言っていたことだ。今はまだ、あれから一年も過ぎていない。
「行けばわかるよ!」
 ここであれこれ悩んでいても何が起きるわけでもない。ならば、行動するしかないのだ。
 一刻も早く星降りの山へと急がねばなるまい。
 しかし、星降りの山へは城の地下室にある『旅の扉』から行ったのだが、今は地下への道も埋もれている。そしてルーラやキメラの翼は、風の精霊力がなければ使用できない。
「んと? あれ?」
「どうしたの、ムーナ?」
「なんかね、風の精霊力を感じるなぁって」
「先ほどまでは感じないと言っていただろう」
「たぶんウィーザラーが仮にもこの場に現れた影響だろうね。ルーラ、使えそうだよ」
 その言葉に、イサは力強く頷いた。
 ルーラを唱えて向かう先は星降りの山。
 かつて、コサメを救うべく登った山。

 一度は登ったことがある故か、障害になるような魔物はたいして強くないように感じた。前は三人だけだったし、装備も龍具の複製ではなかったからかもしれないが、それを抜きにしてもイサはあの頃より強くなっている。
 ――やがて頂上につくその様子を、遥か上空から眺める青年がいた。
「エシルリムでは中々と楽しませてもらったけど……『神風の王女』、君は覚悟できているのかなぁ。そうでないと、時の狭間に縛られることになるのに……」
 心配していそうで、しかしその顔は面白そうに笑っていた。
「僕のこと嫌いになるかな? なるだろうなぁ。けど、良いんだ」
 恍惚の笑みを浮かべて、イサたちを見下ろす。
「『神風の王女』のために、教えておこうかな」
 君たちの中の一人は、確実に死ぬってこと――。
 青年の姿は、いつしか消えていた。


 頂上につきはしたのだが、やはり変わらない景色があるだけだ。あの時は夜になると流星が降り注いで形を造り、精霊が姿を現した。だが今は昼であり、星降りの精霊が現れるということは考えにくいため、どうしても疑ってしまう。
「ほんとにここでいいのかな?」
 前に来た本人が言ってしまってはどうしようもない。
「良いみたいだよ、ほら」
 ムーナが指差した方向に、光の渦が発生していた。旅の扉の類ではなく、明らかにその場に何かが具現しようとしているのだ。風魔石から現れた光がウィーザラーを造ったものと似ている。
「――=v
 祈るような姿で現れたのは、長い髪の女性だった。かつて出会ったときは光が強すぎて見えなかったのだが、光に包まれていない状態の姿が今のものなのだろう。荘厳で、優しげな声を出すそれは、ゆっくりと目を開けてイサたちを見回す。
「――やっほい!=v
 どど、っと皆が一斉にひっくり返った。
 荘厳なイメージしかなかったのにその精霊は親指を立てて何とも呑気に挨拶をしたのだ。そりゃ誰でもこけたくなる。
「あ、あなたが星降りの精霊……?」
「そうよ。ほんとは五年に一度しか目覚めないから……ふぁ〜あ、あらごめんなさい=v
 精霊が欠伸って。
「まだ眠いんだけどね。ウっちゃんのためだもの、仕方ないわ=v
「ウィーザラーのこと?」
「当たり前でしょー。友達なのよ=v
 精霊の間に友好関係などあるのだろうか。相性というのは存在しているが、精霊からしてみるとそれが友好関係になるのかもしれない。
「あの、私たちウィーザラーに『永久への風結界(エターナル・ストーム)』をどうにかしろって言われたんですけど」
「もしかして全部聞いてないの? もう、いくら死にかかってるからって説明まであたしにさせなくてもいいじゃない!=v
 イサたちに文句を言われても仕方が無い。
「エターナル・ストームが何なのかも知らないよ」
「魔道士なのに知らないの?=v
 ムーナが顔をしかめるが、星降りの精霊には悪気は無いようだった。
「おっとごめんなさい。知っているような魔道士は、三界分戦初期辺りだわ。今の時代なら忘れ去れて当然ね=v
 三界分戦の研究もムーナはしてはいたのだが、詳しい事にまでは届いておらず、しかし言い訳のようで悔しかった。
「時の流れによって完成する結界のことよ。そうねぇ、今から軽く五百年前に種を仕掛ければちょうど風神石を守れるくらいかな=v
「五百年……しかも風神石を守れるって……どういうことだい?」
 ムーナの問いに、星降りの精霊はどこからともなく種を取り出してイサに手渡した。
「エターナル・ストームはね、この特殊な種――『風種(かざだね)』を使うことによって発生する超強力な結界のこと。それを使えば、ウィードが崩壊する前に風神石が砕けるのを防げるってわけ=v
「五百年前というのはどういうことか?」
 ラグドの顔つきが、いつの間にか厳しくなっていた。何かの単語が彼を刺激していたのだろう。
「わたしの力であなた達を過去にぽーんと飛ばすから、それを植えて来て=v
「過去へって……そんなことできるの?」
「このわたしを誰だと思ってるの? 人に願いをもたらす星降りの精霊よ=v
「過去へ戻れるなら、ウィードが崩壊する前の頃合に飛び、風神石を取り出すなり、城の者達に警告するなどをすべきではないのか? もしくは風神石を再生させる事も……」
 時空を超えることができるならそれは可能なはずだ。そうしたら、みんなが助かることになる。
 しかし星降りの精霊は明らかに嫌な顔をして首を振った。
「わかってないわねぇ。そんなことしたら歴史改変になっちゃうでしょ。大犯罪よ、そんなこと=v
 精霊の中にも犯罪という概念が存在するのだろうか。恐らく身近な例えにしてくれているのだろうが、それでも何だかおかしく感じてしまう。
「いい? 今ある『ウィード崩壊』という事実は正史として成り立っているの。それを変えることが起きたらあらゆる現象がパニックを起こすわ。それと、風神石を過去から取り出すのも再生するのもだめ!=v
「なんで?」
「風神石の守りがあったから、ウィード城近郊が壊れるだけで済んだの。風神石がなかったら、あれはウィード領地が全部吹き飛んでいたわね。それを過去から取ったら……どうなるかわかるわよね?=v
 イサたちはこくこく頷いた。
 街のみんなはまだ生きている。それをわざわざ無かったことにするようなことはできない。
「んで、再生できるもんならとっくにわたしが再生させてるっつーの。詳しい事が知りたい? めんどくさいからやーよ。簡単に言うなら精霊の干渉が届かないような力で壊れちゃったんだからチョー無理なだけ。エターナル・ストームを使えば、守れるけどね=v
 まくし立てるように言う星降りの精霊は、以前会ったときの荘厳さの微塵も感じられないのは何故だろうか。なんだか泣いてしまいそうなほど気楽だ。
「風神石に結界を張って守っておくくらいならオッケイだから、それをしようってわけ=v
「とにかく、過去に行って風種をまいてくれば良いんだよね?」
「そうそう。あ、でもねぇ、風磊全部の力がないとダメだから、それ=v
 その言葉に、全員が目を丸くした。
「意味無いじゃん!!」
 風龍石は行方不明だ。そしてなにより風神石を守るために、ということなのに風神石は塵と化している。
「だーいじょーぶ。力っていっても蓄積された情報だけでいいし、風神石なら過去に行けばあるんだし=v
 確かに、過去へ飛べば過去の風神石があるだろう。
「ほら、色が三分の二だけ緑色で、残りは白でしょ。蓄積されている力の情報なのよ。ていうか風神石の情報は既に入っているっぽいし、風魔石も入っているわね。後は風龍石だけど……=v
 星降りの精霊は、う〜んと悩んで、何かを思いついたように手をぽんと叩く。
「これも過去に行ってもらいましょ=v
「はぁ……?」
 イサが曖昧な返事をしたのも無理はない。何がどういうことなのかが、さっぱりわからないのだ。
「向こう行って、てきとうに風龍石見つけて、風種翳して! それ終わった頃合見計らって、違う過去に飛ばすから!=v
 そう言うと、星降りの精霊はイサたちに手を向けた。景色が歪んでいるのに気付いたときにはもう遅い。自分たちがこの世界の時空から消えようとしていたのだ。そして別の時代へ送り込まれようとしている。
「アタイはまだ聞きたいことがあるんだけど!」
「まだ心の準備が!」
「ウチも行くんすか!?」
「うわ〜い」
「大丈夫なのかよ=v
 ムーナ、イサ、リィダ、ホイミン、キラパンの順だが、ラグドはただ黙っていた。
「あなた達の旅に幸あれ。グッジョブ!=v
 星降りの精霊の奇妙な祝詞を後に、不安がるイサたち『風雨凛翔』は、すぐに姿を消した。


 極寒の地、エルデルス山脈。約八〇年前――。
 ちらほらの雪が舞うその雪道をかき進む冒険者の姿があった。
 まだ若い黒髪の男女が一組。そろそろ中年になるであろう男が一人。
「こっちでいいのか?」
 黒髪の男が問う。
「もちろん。情報に間違いは無い」
 中年男性は得意げに答えるが、他の二人は不安げだ。
「ベクちゃんがそう言う時は、たいてい外れるのよ。自覚してる?」
「おぅよ。だから、今回はあやふやな情報で来てやったぜ!」
「もっとダメじゃないかぁ!」
 黒髪の男に、このままここで凍え死ぬという選択肢が脳裏を掠めた。
「誰の情報なの、それ」
「よくわからん笑う青年!」
「ルミィ、ベクチャイルに頼んだ時点で間違いだったんだ」
「いまさらそんな文句言わないでよファイマぁ」
 ルミィと呼ばれた女は、泣きそうな声で答えた。寒さには強い方だが、エルデルスの中心部に向かって歩いているのでは、いくら寒さに強くても耐えられるものではない。ベクチャイルと呼ばれた――名をベクチャイルマンという――方は、この寒さの中でも平気そうな顔をしているが。
「そうそう、文句言っている場合ってぇわけにはいかんみたいだぞ」
 ルォォオオオォォオオオン――。
 風の音とは明らかに違う咆哮が、周囲に轟いた。
「なんだ、まさか当たりか?」
「雪が降るわ!」
「もう降っているがな」
 ファイマの意外そうな言葉にルミィが便乗して、ベクチャイルマンが豪快に笑う。
「雪どころじゃない。ヤツが相手なんだ、槍が降るぞ」
「ブレス攻撃の間違いでしょ」
「お出ましか。魔竜銀(ミスリルドラゴン)!」
 各々が武器を構えると、上空から巨大な竜が飛び立ってきた。見た目こそは陶芸品のように美しく、しかしそれから溢れる殺気はその美麗さを別のものに変えさせる。
 その殺気に恐れもせず、三人は果敢にも立ち向かっていった。

 それが、イサたちが最初に見た光景であった――。

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