5.遠縁約束



 息切れが、激しくなる。
 ここはどこだろうか。一体、どこまで歩けば良いのだろうか。
 足はマメだらけ。水はもうない。食料も。幼い身体で旅をするなんて、無謀な事だったのだ。いや、もうこれは旅と言えるものではない。言うなれば、逃亡だろうか。それともただ彷徨っているだけなのか。
 足の感覚はもうない。そういえば、今は歩いているのだろうか?
 ――痛い。痛い。痛い。苦しい。誰か、助けて……。
「あ……」
 朧気に見えていた地面が、急速にその距離を縮める。『あ』っと言う間に、地面に倒れ込んでしまった――。


 森の妖精。彼等は人間を嫌い、自然の中で生活するためか長寿である。それがエルフ。
 今、イサたちの目に前にいる二人――男性のほうはヴァンド、女性のほうはリシア――は、そのエルフである。
 警戒を解いて、今では座談できるような状態だ。
「先ほど、兎を『狩らせている』と言ったが……あれはどういうことだ?」
 ラグドの質問に、ヴァンドとリシアはホイミンと一緒に眠り込んでいるハーベストを見た。
「ベクチャイルマンからの遺言だ。孫の手助けをしてほしい、とな」
「あの子、狩りの実力って本当はあまり持ってないのよ」
 幸せそうに眠っているハーベストは、全く起きる様子がない。目の前に目標としていたエルフがいるというのに。
「ベクチャイルマンからの遺言って……あれ?」
 ヴァンドとリシアの見た目は、どう見ても二十代の年齢だ。ベクチャイルマンが亡くなったのは、二十年以上前である。
 イサの疑問を察したのか、ヴァンドがクスリと微笑みながら答えた。
「言っておくが、俺達はこう見えても百歳を越えている。人間の数え方だとな」
「そ、そんなに……?」
 永遠の美貌を保つと言っても過言ではないかもしれないエルフを見て、イサは羨ましいとも思った。
「あれは、約四十年前のことだ……」
 おもむろにヴァンドが目を閉じ、昔語りを始めた。イサとラグドは、じっとそれに耳を傾ける。詠うような、昔の隠れた伝説に……。

 ――約四十年前。
「ヴァンド? ねぇ、ヴァンドってば!」
 今よりはいささか背の低い、金髪の女――リシアは、前を歩くヴァンドを引きとめようと必死だった。
「なんだ?」
 あまりのしつこさに、ヴァンドはリシアの方を向いて殺気篭もった目で睨む。
「人間と関るとロクなこと無いの解っているんでしょう! だったら、なんで行くのよ?」
 この時代、エルフの森は人間が入ることは許されていなかった。だが、もの珍しさに入る者が少なくは無い。それ故に、人間を追い出す役目を負ったエルフが数名だけ任命される。ヴァンドはそれに選ばれてはいなかったが、戦闘能力は並のエルフ以上だと自負していた。
「ロクな事にならない人間を追い出して、何が悪い?」
「なんでアンタが行くのよ。ラウランとか、メルビィとかに任せとけばいいじゃない!」
 ヴァンドは何かを言いかけ、しかし何も言わずに歩き出した。森の外側へ。
「ちょっと! なんなのよ、もう! 最近、森の中でも魔物が増えてきてるし、帰りましょうよ〜!」
「魔物……か。ちょうどいい、俺の剣の腕を試してやろう」
 その言葉の意味に、リシアもすぐ気付いた。
 殺気が迫ってきている。エルフ独特の感知能力で、魔物の接近が解ったのだ。
 ヴァンドは剣を抜くと、魔物が向かってきている方向へと構えた。リシアの方はヴァンドの後ろ側である。彼のように武具は持ってきておらず、しかし森の中なら魔法が仕えるので、それで援護しようとしたのだ。
 ガサ――と揺れた後は、瞬間の世界だった。牙獣族の魔物、キラータイガーが茂みの中から飛び出し、いきなり襲いかかったきた。
 いくら感知能力があっても、さすがに不意打ちまでは防ぐ事はできなかった。キラータイガーの爪はヴァンドの右腕を引っ掻き、牙は後ろにいたリシアの左腕に噛み付いた。
「しまっ――」
 剣を落してしまい、リシアは間合いを取ろうとしたが混乱のためかつまずいてしまう。
 マズイ状況だ。早く剣を持たないと、魔物に喰い殺されてしまう。
「く、そぉ!」
 剣と牙。どちらかが先に決まれば、どちらかが勝つ。だが、牙のほうが一瞬速い――。
 ――ザクッ。
 牙が、ヴァンドの身体に届く前にピタリと一瞬止まった。その一瞬での逆転で、ヴァンドは剣を拾うと同時に斬り上げたのだ。
「ハァ……ハァ……」
 まだ血が滴り落ちている右腕を抑えながら、ヴァンドは地に膝をつけた。魔物一匹に、そうとう疲労してしまった。しかも、勝ったのは自分の力ではない。誰かが援護してくれたのだ。でないと、キラータイガーが動きを止めるはずが無い。
 リシアが援護してくれたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
 見れば、キラータイガーの背中に幾つもの矢が突き刺さっている。
「カエイル家伝統弓術、疾風舞(はやてまい)。刹那の瞬間に数本の矢を射て、敵を仕留める技也」
 リシアでも、ヴァンドでもない第三者の声。それは矢を討った本人であり、またその人物こそベクチャイルマン=カエイルだったのだ。

 リシアが目を覚ますと、そこにはヴァンドと見なれない人間が居座っていた。
「あれ? ここ……」
 そこはリシアの住まいにしている場所だった。
「目が覚めたか」
 ヴァンドのいつもと変わらない冷めた口調で、リシアははっきりと覚醒する。
「……なんでアタシこんなとこに?」
 魔物が来て、それを倒そうとして、ヴァンドが不意打ちをくらって剣を落して、そして自分は牙に襲われて――。ここで記憶が途切れていた。
「ほっほっほ。どうやら、あのキラータイガー、毒を持っとったらしいわい。珍しいやつよのぉ」
 本来キラータイガーは毒など持ってはいない。もしかすると、最近の魔物急増と関係があるのかもしれない。
「この老人がお前を助けてくれたんだ。俺は治癒魔法が使えないからな」
 ベクチャイルマンはこの時、既に老齢だった。頭髪は真っ白で、刻まれたしわも深い。
「そっか。それじゃ、なんかお礼しないとね」
「……人間とは関りたくないんじゃなかったのか?」
「あら。この人は良い人そうよ」
 見かけだけの判断、というわけではない。一応(あくまでも一応)、リシアにも人を見分けるコツぐらい知っているのだ。
「ほっほっほ。エルフの恩返しか、こりゃまた珍しい」
 ヴァンドもこの老人に恩義を感じていた。キラータイガーとの一戦で、本当は死んでいたのかもしれない。いや、死んでいたのだろう。故に、ベクチャイルマンは命の恩人とも言える。
「それじゃあ、頼みを一つ聞いてもらおうかの」
 この時、全国に名を知らしめたベクチャイルマンという伝説の狩人は、一瞬にして普通の好々爺に戻った。
「数十年後に産まれる、儂の孫の面倒を見てはくれんか? きっと狩人を目指すじゃろう。それの手伝いをしてやってほしい」
 こうして、ヴァンドとリシアはベクチャイルマン=カエイルの孫、ハーベスト=カエイルの世話をするようになったのである。


 昔語りが終わると、ヴァンドは目だけをハーベストへと向けた。そこまで小さくは無い音量で話しているのだが、一向に目覚める気配は無さそうだ。
「でも、なんでベクチャイルマンは孫が狩人を目指すってわかったの?」
 イサが当然とも言える疑問を口にした。
「誰かから、そういう予言をもらったらしい。当るのかどうかは疑っていたが、実際にハーベストが狩人を目指しているからな。約束は守る」
 今はまだ、ふ〜ん、としかイサは思っていなかった。この『予言者』とは、いずれ相対することになるとは全く思ってすらいなかったのだ。
「それより、ヴァンド殿。我等はエルフ族の長老に、ウィード王から書状を持ってきたのだ。村へ案内してはくれまいか?」
 ラグドがイサから譲り受けた手紙を、ヴァンドの前へ証拠とばかりに差し出す。
「あぁ、構わない」
 もっと警戒するかと思ったのだが、彼は快く引き受け、リシアも別に嫌そうな顔をしていない。
 まるで、こうなるのを知っていたかのように。

 まだ深夜である。ハーベストは本格的に深い眠りについたのか、イサたちが出て行こうとしても全く気付いていない。ホイミンはまだ眠そうな目でふらふらと浮遊していた。
「ルーラで行くわよ」
 リシアが精神を集中させると、イサたち三人とエルフ二人は光に包まれ、その光が消えるころには周囲に風景が変わっていた。
 そこは、大きな木の中だ。ハーベストが寝床にしているのと形状が似ているが、大きさは比較にならない。リシアとヴァンドは入らず、イサたち三人だけが中に通された。
「ウィードからの使者だそうで」
 ハイエルフと呼ばれるエルフ族の長老に、ラグドはウィード王から預かった手紙を受け渡した。この時、巨漢のラグドが少し震えていたのは気のせいか。
 長老は頷きながら手紙に目を通し、やがて読み終えると近くのエルフに、ヴァンドとリシアを呼ぶように伝えた。
 不思議に思ったイサは、何かを言おうとしたのだが、長老が手を挙げた為に遮られる。
「今から、汝らの力が見たい。ヴァンドとリシアの二人に、勝利して見せよ」
「……え……?」
 訳の解らないままイサたちは長老の家の外へと出た。相手の二人はあまり驚いていた様子はなく、むしろ願ったり、というような顔だ。
「ねぇ、これ……どういうこと?」
「私には解りませぬ」
「あの手紙のせいかなぁ〜?」
 三人が慌てている――いや、ホイミンだけは能天気のままだ――間に、ヴァンドは剣を抜き、リシアは矢を構える。
「行くぞ、人間!」
「容赦しないからね♪」
 こうなっては仕方ない。戦う他に、道はないのだ。
 イサは風の爪を取り付け、ラグドはグラウンドスピアを召還した。ホイミンは、一応戦闘への参加意識はあるらしい。
「闘うなら闘うで、こっちも容赦しないんだから!」
 イサが地を蹴り、ヴァンドの方へと向かう。しかし、違う方向から――つまりはリシアのほうから声が届いた。
「バシルーラ♪」
「ほぇぇっ?!?!」
 イサが、光に包まれるとどこかへ吹き飛ばされてしまった。
「イサ様?!」
「もう一度バシルーラ!」
「ぬぅぉ?!」
 巨体のラグドも、その重量など意味が無いかのように光の彼方へ。
「あれ〜?」
「君もバイバイ♪ バシルーラ!!」
「あ〜」
 ホイミンは何の抵抗もなく、グッバイサヨナラホームラン。
「……リシア、あまり意味の無いことをするな」
 せっかくの戦いの場を、リシアは奪い去ってしまったのだ。これでは、意味など全く無い。
「あら、意味はあるわよ。あの子たちは負けたのよ。こんな状況くらい、切り抜けないと!」
 そういう問題か? という質問は、ヴァンドの溜め息一つで抑え込められた。

 三つの着地音。
「いったぁ〜い……」
 そこまでの負傷はないものの、やはり着地した時の衝撃はかなりのものだった。強制転移呪文と名付けられるのも、よく解る気がする。
 ラグドもホイミンも、もう既に立ちあがっている。ラグドは不満顔をしているが、ホイミンは『おもしろかった』とでも思っているのだろう。
「もう、もう一回行くわよ!」
 リシアがルーラで集落まで飛んだのだから、今ならまだルーラで飛べると思ったのだ。
 しかしその前に、不自然な物に気付く。
「って、あら?」
 ここは森の外なのだが、近くに黒い物体が落ちている。よく見れば、それは旅人用のローブだ。落ちているものと思い、イサはそのローブを拾い上げようと――したが重い。拾い上げるのが無理なので、抱え込んで見ると、今度は思ったより軽く、そして温もりがあった。
「……な……!?」
 風が吹き、ローブが捲くれると、そこには人の顔があった。イサが拾ったのは、身をローブで包み込んだ人間だったのだ。
 しかも、イサと同じくらいの年齢の少女である――。

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