49.霊魔将軍


 黄金の魔力塔の、最上部。そこに佇むは一体の魔物。それもそこらに出没するような魔物ではない。ベンガーナで戦ったアントリアのように、幾体もの魔物を統一するような上位の魔物だ。それが見たこともない魔物だから、という理由ではなく、その魔物から発せられる瘴気がイサたちにそれを教えていた。
「あなたは……誰?」
 黄金の光のせいでよく見えないが、イサの問いかけに、魔物の口が裂けたかのように見えた。笑っているのだ。
「キラパンが『ネクロゴンド』って」
「ネクロゼイムだ馬鹿!=v
「ほぇ? あぁ、ネクロゼンマイと……」
 リィダも瘴気にあてられて混乱しているのか、それとも単純に名前が覚えきれていないのか。
「ネクロゼイム。死魔将軍から堕ちた魔物の将やね」
 出し抜けに背後から声がかけられる。聞き覚えがあるような、ないような、ともかく不思議な声。声の主は、エシルリム塔城地下でムーナにマジャスティスの魔書を渡した男だ。
「死魔将軍から、堕ちた……?」
「そうだとも。氷魔将軍ネルズァ、呪魔将軍マジュエル、岩魔将軍ガーディアノリス、雷魔将軍フォルリードの四人で構成された死魔将軍。本来はもっと多くの将軍がいたのだが、成り損なった一人がわたしだ。霊魔将軍ネクロゼイム……此度はエシルリムに眠る究極魔法を我が物にするべく参上した=v
 底冷えするような声で朗々と己を紹介するネクロゼイムは、それに影があることを隠してはいない。
 礼儀正しく、逆に恐ろしい。
 彼の背後で回転を続ける黄金の魔力がネクロゼイムを照らし、あまりの眩さに直視することは困難であったがようやく目が慣れてきた。そして、イサとリィダはあっと声をあげる。
「お師様に……」
「ラキエルペルに……」
「「マナスティス・ムグルのことを吹き込んだ魔物!!」」
 二人の声が同時に出される。イサたちの目の前にいるネクロゼイムこそ、ラキエルペルにエシルリムへの取り入れ方からマナスティス・ムグルの効果、応用方法など全てを教え込んだ魔物であるのだ。その姿やおぞましさは、ラキエルペルの魂の映像と一致している。
「ほぅ、そこまではさすがに知っていたか=v
「おいこらネクロゼイム。きさんの狙いは一体なんね! カンダタに風魔石ば盗ませたり、ラキエルペルをエシルリムに放り込んだり……リザードマンの増殖魔法装置もきさんやなかとね!」
 男がいきりたったかのように大声で問い詰める。リィダやキラパンを除くイサたちは皆、彼へ弾かれたように顔を向けた。大きな声に驚いたからではない。リザードマンの増殖魔法装置の件は、限られた人物しか知らないはずだ。この男は何者だろうと、今更ながらに思ったのだ。敵ではないようだし、なぜか共にいても、それが当たり前のように思えていた。
「チッ。やっぱりホイミン……あのホイミンじゃねぇか=v
 キラパンが呟くが、それはリィダにすら聞こえていなかったようだ。
「――全ては、これのためだよ。エシルリムに眠る真の究極破壊魔法を、再現させる=v
「真の……究極破壊魔法?」
 イサは、何故かその言葉を出す事さえ躊躇われた。決して人類に有益な存在ではないものだということが、それだけでわかってしまう。
「そうとも。かつて古代エシルリムはこの魔法を復活させようと躍起になった。そして完成したのだよ、世界そのものに影響を与える『ギガ・メテオ・バン』ではなく、物質そのものを消去し崩壊させる破壊の魔法『マダンテ・ギガ・ムグル』をな!!=v
 ネクロゼイムがその魔法の名前を口にしたとたん、皆を慄かせた。
 ――マダンテ。陸を海に変えてしまうという話があるが、それは陸を消し飛ばし、そこに海の水が流れてくるという結果らしい。つまり、その破壊の魔法は物質を滅する力を持っていることになる。
 ホイミンは言った。『ムグル』は、人間の言葉に表す事ができないが、イサの……というかカエンの『真極』に近いという。真極・風死龍は通常の風死龍の数倍ほどの威力を誇る。ならば、マダンテにも同じ効果が作用されるとしたら。
「なんで、そんな恐ろしい魔法を!」
 イサの言うとおり、恐ろしいの一言だけでは片付きそうにないが、悪夢の魔法であることには変わりない。
「簡単さ。復讐だよ、魔王ジャルートに対する、な=v
「え――!?」
 言葉に詰まったイサの代わりに、ラグドが一歩進み出る。
「お前は、死魔将軍ではないとはいえ魔王傘下の一人ではないのか?」
「かつてはそうであった。だがどうだ、死魔将軍という名誉はあの四人にのみ与えられ、わたしには何一つ有益なものがなかった。街を滅ぼし、絶望で満たし、魔王に貢献したつもりであったのに……=v
 ネクロゼイムは言った。魔王は、それどころか彼を魔界へ還そうとしたのだと。
「他の死魔将軍は同じように人々を恐怖に陥れていた。だが、わたしがした事とどう違ったのだ!=v
 死魔将軍の脅威はイサも知っている。だからこそ、ネクロゼイムが疑問としていることも、イサたちにもわからない。魔王の真意がつかめないのだ。ネクロゼイムはこの場に魔王がいるかのように、そしてそれに向かって刃向かうように言葉を続けた。
「挙句の果てにわたしを追放した。そのような要素などなかったはずだ。あぁ、思い出すだけで忌々しい! 所詮は、魔王という名を持つ臆病者であったのだよ。そのようなものを頭に頂くなど、願い下げだ!=v
 魔王を臆病者呼ばわりしているのは、もしかしたら何かしらの問答があったのだろう。そしてネクロゼイムは魔王ジャルートが臆病者であるという結果に至った。それが何故かということまでは、ネクロゼイムは語ろうとしなかった。
「物質そのものを消滅させるマダンテ・ギガ・ムグルを用いて世界を先に壊す。これがわたしの魔王に対する復讐だ!=v
「ちょいと! 魔王に復讐するなら魔王相手にその魔法ぶつけてよね。アタイらは関係ないじゃん!」
 ムーナの言葉に、ネクロゼイムは皮肉げに笑った。
「魔王ジャルートは物質を消滅させる魔法では死なぬ。奴を消滅させるには――=v
 唐突に、黄金の魔力が轟音をかきたてて言葉が遮られた。それを振り返ったネクロゼイムは恍惚とした表情らしきものを浮かべている。
「おぉ、間もなく復活するぞ。ルームロイをかつて分断大陸へと変貌させた究極の破壊魔法がな!=v
 その途端、空気そのものが有害になったかのように感じた。あまりに強い魔力が瘴気との間で不協和音を奏でている。
「やっぱし、分断大陸に変えたのはマナスティス・ムグルじゃなかったみたいだねぃ」
 顔を青ざめさせながら、ムーナの唇は震えていた。
「知らなかったのか? いやなに、全てを理解したうえでここへ来たと思ったのだが……=v
 再び黄金の魔力から目を離し、ネクロゼイムはイサたちを見回す。
「かつてエシルリム国はマダンテ・ギガ・ムグルの復活に成功した。未発動のままであったが、その力の片鱗が広大大陸を分断大陸へと変えた。その破壊力は己らにも危険が及ぶことを悟った人間たちは、大急ぎで封印しようとしたのだよ。『人柱』を建てることによって、その封印は成功した。その『人柱』だが……たかが人間の命や魔力程度で封印できるほどマダンテ・ギガ・ムグルはやわではない。そのため、時を同じくして復活させていたマナスティス・ムグルを使用したのだ=v
 マナスティス・ムグルは漂う魂を捉えた魂の分だけ魔力が使える。それを用いて、その時代の人々は人間の身でありながら強大な魔力を手に入れた。
「死者を酷使する様は悲惨であったらしいぞ。それだけでなく、魂の魔力を集めるという名目で、その場にて大量虐殺ともいえる魔力回収を行ったのだからな=v
 だから過去のエシルリムの人々は忌事として壁画に残したのだ。魔力を集えさせる術が他になく、死者の――魂の存在にその場で変えることにより封印のための魔力をかき集めた時、その死者は数え切れないものであったのだろう。
「だがその分、効果はあった。封印の六芒星を作る事により、マダンテ・ギガ・ムグルを封印したのだからな=v
 壁画に描いてあった白と黒の羽。それは陰と陽を表す六芒星を表していたのだろう。ならば、この渦巻いている魔力は、かつてマダンテ・ギガ・ムグルを封印した魔力であるはずだ。その封印を解き放ち、ネクロゼイムは世界を壊そうとしている。復活の報告がありながら動きが消極的な魔王ジャルートよりも余ほど性質が悪い。
「エシルリムの影を暗躍していたのは……」
「それもこのためだ。ラキエルペルを使い、エシルリムの魔法兵団を封印の中心部たる塔城に集めることにより、さらなる魔力を得ることができる=v
 マダンテ・ギガ・ムグルは一般の精霊魔法とは異なるのだろう。壁画には三界分戦終了後初期らしき一節があったし、魔族が使う魔法と記されていた。ならば、その時代に魔族が使っていた魔術魔法なる、魔力のみで構成する魔法のはずだ。
「そしてぇ、最後は封印の末裔の命こそ封印の鍵だ。命そのものを結界に使うとは、人間はたまに恐れ入る=v
 くく、と喉の奥でネクロゼイムは笑った。最初はそれがどういう意味か解からなかったが、まさかと思い目を凝らすと、渦巻いている黄金魔力の中心部に人影のようなものが見えた。それに気付いてしまうと、何故今まで気付かなかったのか不思議なくらい、くっきりと人の形が見えてくる。
「クレイバーク陛下!!」
 ラグドの狼狽にその人影が反応する事はなかったが、やはりその人物なのだろう。最後の鍵こそ、現在のエシルリム王クレイバークであるのだ。
「さて人間どもよ。霊を司るわたしは、虚ろな存在。時に容赦なく、時に礼儀を重んじている。今の気分は後者だ。究極魔法を目前として、押さえられぬ興奮を別の興味対象もって打ち消さねば、発狂してしまいそうだ=v
 口まで裂けるかのような笑みを浮かべつつ、ネクロゼイムは言葉を続けた。
「チャンスを与えよう。シャンパーニ、アープ、ナジミ、ガルナ、デモンズ、ライドンの六ヶ所にて、ここと同じように黄金の魔力塔が立ち上っている。こことは原理が異なり、人間でも太刀打ちできるだろう。そこにある魔法装置を壊せば良いだけなのだからな=v
 それがどうかしたのか、と問う前にネクロゼイムがくくっと笑う。
「それぞれを壊せば、復活は失敗に終わる。だが、守護役を任せた魔物などがいるがな……それらを倒し、復活を止めて見せるか? 時間はあまりないが、そうしたいのならばするがいい。どうせマダンテ・ギガ・ムグルが発動すれば、ルビスフィア世界の半分はそれだけで消滅するのだから、悪あがきでもしてみたらどうだ=v
 ふざけよってからに、と例の男が吐き捨てるように言った。
「と、止めなきゃ!」
 少しでも希望が見出せたためか、イサは反射的言って、六本の塔を見た。北、南西、南東、南、北西、北東の六ヶ所には、依然として黄金の塔が見える。遠いせいか、それともネクロゼイムの話のせいか、心なしかここより光が劣っているような。
「ネクロゼイムの言い分じゃあ、時間がないみたいだよ。どうする?」
「一本ずつ潰すのが無理ってことか?」
 今まで警戒するだけで会話に参加していなかったハーベストが汗を流しながら尋ねた。彼も多少なりの魔法を扱う身として、この場にいるだけで辛いのだろう。
「じゃあ、別れて行動しましょう。アタシとヴァンドとハーちゃんはライドンの森へ向かうわね」
 言うなり、さっさとルーラを唱えて三人は行ってしまった。エルフの二人は魔力に敏感で、この場にいるだけでイサたちよりも気分が悪かったのだ。
「ルーラが使えるっぽいね」
 了承を得るまでもなく移転した三人いた跡を、ムーナはなるほどと頷いた。ナジミの洞窟から脱出した時には使えなかった魔法が使えるようになっている。もしかしたら封印が解かれ始めたことに影響しているのかもしれないが、それを追及している場合ではない。
「ムーナ、皆を下ろしながら全部回れる?」
「無茶言わないでよ。それにアタイ、アープの川とデモンズの遺跡は行ったことないんだよ」
 そういえばそうだ。エシルリムに来て行ったのは、リィダの故郷であるガルナの山と、北のシャンパーニの砦と、ナジミの洞窟だけだ。ライドンの森も行ったことがなかったのだが、それはハーベストたちに任せて大丈夫だろう。
「ウチなら、アープの川に行ったことあるっす。キメラの翼、貸してください!」
 リィダが、珍しく強気に見えたのは気のせいだろうか。
「大丈夫? キラパンがいるとはいえ……」
「大丈夫っすよ。ウチだって、故郷のために戦いたいっす。お師様のことで、いろいろ迷惑かけちゃったから……」
「リィダ……」
 イサの顔が曇ったのを見て、リィダは苦笑した。その代わり、ムーナは厳しい顔つきでキメラの翼を彼女に差し出す。
「アタイたちは迷惑だなんて思っちゃいないよ。もしこのまま死んだりしたらその方が迷惑だ。死ぬんじゃないよ!」
「はい!」
 リィダはそれを受け取り、天高く放り投げる。封じられているルーラが発動し、リィダとキラパンは光となって飛んでいった。不幸にも行き先を間違えるなんてことにはなっていませんように。
「ラグド、シャンパーニの方、任せるよ」
「心得た……しかしどうやってだ?」
 さっきのキメラの翼は、ムーナが所持している最後の一個であったはずだ。
 ルーラでシャンパーニの砦へ行ってまた別の場所へ移転するのか、それだと、いくら人数が減ったとしても彼女に負担がかかる。それをラグドは聞いたのだが、ムーナは無視して呪文を唱えた。
「風の精霊さんたち、緊急事態だ アタイの魔力、かの地へ運ぶと共に、それに乗りし騎士と舞え――!特定人物移転魔法リバシル・ルーラ=I」
 キメラの翼も使用してないのに、ラグドは光に包まれ北へ飛んでいった。
「今の……」
「ほら、前に『特定人物召還』のリリリルーラ見せたでしょ。あれをバシルーラに応用したの。ルーラよりも使う魔法力がずっと少ないんだ」
 もうずいぶんと前の話だが、そういえばそのような魔法をムーナは作っていた。
「あとはガルナの山と、デモンズの遺跡ね。だけど、私もムーナもデモンズの遺跡には行ったことないよ?」
「……アンタはどうなんだい、謎の男さん?」
 すっかり忘れされられていたかのように俯いて突っ立っていた彼は、呼ばれてようやく顔を上げた。
「ん〜。自分も行ったことなか」
 聞くだけ無駄であったらしい。
「あぁもう、どうしたもんかね――いっ!」
 ムーナが顔をしかめ、額を押さえる。
「どうしたの? 『エネルギー切れ』? ローブから栄養剤を出しておこうか?」
「いや、違う……なんか、声が……」
「声?」
 こんな忙しいときになんだい、と文句を心の中で言いながらも、ムーナはその声に耳を澄ませた。心の声ではない、明らかに外部から来ている声だ。ナジミの洞窟であった、バトルレックス・マザーとの会話に似ているような、そうでないような。あえて言うなら、あの会話が不完全に行われているために不都合が生じている感じだ。
「――つな……た? ………が…な? お……しもし……! きこ……ますか〜?=v
 徐々にだが声が明瞭化していくようだ。この声は、誰だろう。聞き覚えのある声であることは確かなのだが。
「あー、あー、聞こえますか=v
「(聞こえてるよ!)」
 ようやく聞き取れたので、ムーナは口ではなく心の言葉で返した。この方が伝わりやすいかと思ったからであり、向こうも満足したような雰囲気が伝わってきた。
「こちら『マナ・アルティ』のレムティーにございます。えぇと、繋がってるのはどなたさんでしょ?=v
「(『マナ・アルティ』!? アタイたちをリザードマンの群から助けてくれた……)」
「おやおやぁ。もしかしてあの時の冒険者さん? えっと『風雨凛翔』だっけ=v
「(そうだよ、アタイの名はムーナだ。だけど、なんだいこれは)」
「ムーナさんね。これはね、あたしの特殊能力みたいなもんかな、魔法だけど。『遠話』の魔法ね。まぁ繋がる人は不確定だけど、たいていは魔力が豊富な人に繋がるかな。アールスやレヴィナが言うには魔力に含まれるワリワク周波数の波長の相性とかも――=v
「(悪いけど、今はのんびり魔法談義してる場合じゃないんだよ!)」
 それでなくてもこの遠話の魔法とやらが今は不安定なのか、ムーナは頭痛にも襲われている。文句を言いたくなるのは当たり前のことだ。
「あたしたちも驚いているのよ=v
「(だから魔力の波長なんか知った事じゃ――)」
「違う、違う。いきなり現れた黄金の魔力塔よ=v
「(アンタたちも知ってるの!?)」
 そういえば『マナ・アルティ』はリザードマン異常増殖の謎を追ってエシルリム近郊を探索していたのだ。
「思いっきり怪しいエシルリム塔城のほうにさ、連絡繋がる人がいるかもしれないと思って『遠話』の魔法を試してみたの。何か知ってる? あなたは今、エシルリム塔城にいるのよね? あたしたちはデモンズの遺跡を調べようとしたらいきなりどーんだもん。びっくりしちゃった!=v
 音が割れながらも聞こえてきた言葉は、苦渋の表情を浮かべていたムーナの顔に笑顔を戻した。
「(ちょうどよかった! 訳は後でちゃんと話すからさ、そこにいるはずの魔物ぶっ倒して、魔力塔を作っている魔法装置があるはずだからそれ壊してちょうだいな!)」
「えーと……うぅん、まあいいか。わかったわ、やってみる!=v
「(助かるよ!)」
 彼女も熟達した冒険者だ。エシルリムが――世界そのものが直面している危険を感じ取ったのかもしれない。迷いはしたようだが、ムーナの言葉に従ってくれるらしい。
「ムーナ、大丈夫?」
「……デモンズの遺跡は『マナ・アルティ』が引き受けてくれたよ」
 イサの心配に、ムーナは笑顔で答えた。残るはガルナの山とナジミの洞窟だ。イサとムーナがそれぞれ向かえば、間に合うかもしれない。
「ちーと待ちんしゃい」
 ムーナがリバシル・ルーラでイサを送ろうとしたのを、あの男が止めた。
「なにさ」
「こまいお嬢ちゃん、あんたは残っとき」
 地下ではお嬢ちゃんと言った時にムーナを指していたが、どうやら今はイサをさしているようだ。
「私……?」
「ナジミの洞窟やったら自分行ったことあるし、ルーラも使えるけんさ」
「でも、なんで私が残るの?」
「ネクロゼイムはこすい手ばぁっか使いよるけんくさ。自分らが魔物倒して、魔法装置壊しても何かして己の勝ちに進めると思うっちゃん」
 もしかしたら最初から負けの決まった勝負でもやらされているのかもしれない、と彼は続けた。
「今のままやったら後ろの魔力ば扱って、手強いやろうけんさ、自分らが魔法装置壊したらあの背後の魔力もちょこっと薄れるはずやけん、王様ば救って、ネクロゼイムを叩いてほしいとよ」
「アンタが残るのはダメなのかい?」
 ネクロゼイムのことを何かしら知っているのは確かな男だ。予備知識もなく戦うはめになる可能性があるイサの身を案じての言葉だったが、男は苦笑を浮かべた。
「それでもよかっちゃけどさ。こまいお嬢ちゃんの手であいつば斃したほうが良いと思うっちゃん」
「それってどういう……?」
「……魔霊病≠スい」
 その一言を聞いただけで、イサは全身が逆立ったかのような思いに駆られた。
「ネクロゼイムは何の罪もなか村ば実験台にしくさって、赤ん坊に悪魔の病気ば植え込んだりもしとったとって」
 何故、男がその魔病のことを知っているか、イサがそれに関わっていることを何故知っているか。
 ネクロゼイムの行動に詳しいので、もしかしたら被験者たるコサメのことを知っており、その後としてイサとの出会いも知っているのかもしれない。
 溢れ出てくる疑問はあるが、そんなことはどうでもいい。どうでもいいで済ませられるほど、今は男の口から聞かされた事実の方が衝撃的であった。
「……なるほどね。イサ、アンタは残っときな」
「うん……」
 魔霊病を作り出し、コサメを苦しめた元凶。その元凶に出会ったり、マナスティス・ムグルの影響で彼女の姿と相対したりと、今回はよほど彼女との縁があるようだ。
「そんなら、そろそろ……」
「あぁ、ちょいと待ちな」
 今度はムーナが男を引き止めた。なんね、と振り返った男に対して、ムーナはおもむろに呪文を唱える。スカラと、ピオラと、バイキルトの三つの魔法だ。続けてイサにも補助呪文をかけるが、シャンパーニ砦地下のようにバルキリー・ウィングかと思いきや翼は生えていない。
「まだ発動してないよ。合言葉があるから、それを言ったらバルキリー・ウィングが発動するよ。……たぶん」
 そのたぶんというのをやめてくれ、と文句を言う前に、ムーナは自分が担当する魔力塔へ向かうべくルーラを唱えようとしていた。ラグドを送ったりイサに魔法をかけたりと、予想以上に魔法力を消費しているのか、彼女の顔色は一層悪く見えた。
「あぁもう見てられんね」
 男が、器用に指をパチンとならすと彼から魔力の光が飛び出し、ムーナに纏わりついて消えてゆく。
「これは……」
「魔力分与魔法マホイミ=Bお嬢ちゃんなら知っとろうもん」
「……過剰回復呪文じゃないだろうね」
「まさか!」
 笑い飛ばして、男はさっさとルーラを唱えて南西へ向かった。マホイミは二つの効果があり、他人の魔力を分け与える効果と、過剰回復で生命活動に異常をきたせる効果があるのだ。あの男が使ったのは前者のようで、そうでなかったらムーナは今頃立ってはいられなかったかもしれない。
「なんなんだかね、あいつは……」
 言って、ムーナも中断していたルーラを唱えて南へ向かう。イサはそれを見送り、合言葉を心の中で暗唱した。これで合言葉を忘れるなり間違えるなりすれば、ムーナに申し訳ない。
「……そういえばホイミン、どこ行っちゃったんだろ?」
 後は皆を信じて時期を待つだけという状況になって初めて気付く。そうえば逆ソーメン流し移動作戦の時に、一緒に移動しなかったような。
 能天気なのんびり者の彼は、今どこで何をしているのやら……。


 北――シャンパーニの砦をラグドは前にしていた。
 魔法で送ってくれたことには感謝しているのだが、不完全な魔法であったのか着地は地面に叩きつけられたような衝撃であった。バシルーラの応用なのだから、これが当たり前なのかもしれないが。
 ともかく魔力の塔を封じねば、と急いで魔法装置を探そうとしたが砦に入った途端、誰かがうつ伏せに倒れているのを見てしまった。
「どうした?」
 放っておく事もできず、身を起こしてやるとラグドは声こそあげなかったが目を見張った。
 倒れているのは、風魔石を盗み、自分らを罠にはめたカンダタであったのだ。
「ぅうん…………」
 呻き声をあげながら、カンダタが薄っすらと目を開ける。
「どうしたのだ」
 ここが彼の根城だということは解っている。だがこうして倒れているからには、彼の身に何かあったのだろう。
「……どうしたも、こうしたも、ねぇや。いきなり地震があってよ、大広間の中央に魔力が立ち上りやがったんだ。驚いてるうちに、わけわかんねぇ騎士に……」
 言い終わる前に、カンダタは再び気を失った。もしかしたら相手がラグドだということにすら気付かず、反射的に質問に答えたのかもしれない。
「……騎士……?」
 ともかくカンダタを楽な格好にさせ、放置することに。介抱したいのは山々だが、今はそれどころではない。場所は恐らく、前にカンダタと相対した部屋だろう。気になることもあったので、ラグドは急いで大広間の中央とやらに向かった。
 そして、気になることは的中した。
 前にはなかった魔法装置らしきものがそこには存在し、そこに佇むは一人の年老いた騎士。
「……レイゼン!」
 高齢の、古代の騎士は静かに佇んでいた。


 北東――ライドンの森。
「行くぞ」
 ハーベストを先頭にして、彼の言葉に二人のエルフは頷く。
「あぁ」
「えぇ」
 いつもむくれっ面のヴァンドはともかくとして、珍しくリシアまでもが怒りの表情を露にしていた。そして、ヴァンドはヴァンドで、彼はいつも以上に不機嫌そうな顔をしている。
「森が悲しんでいる」
「魂が叫んでいる」
 エルフ二人には人間に聞こえない何かが聞こえているらしい。その哀しみと怒りは、ハーベストにも伝わっていた。


 北西――デモンズの遺跡。
「というわけでー。なんか魔物を倒して装置を壊したらいいみたいだよ」
「おいおぃレムティー、それマジな話か?」
 レムティーの話は極端すぎて、どうしても疑いたくなる。
「ちょーマジ。ねぇリーダーなら、わかってくれるよね?」
「だからリーダーっていうのは……。でもそうだな、うん……それしか今はやれそうなことがないね」
 『風雨凛翔』とエルフ二人を引き連れた戦士にナジミの洞窟で出くわして、リザードマン異常発生の原因が増殖装置にあったことを知った。そのために、『マナ・アルティ』は他にもそれらしいものがありそうなデモンズの遺跡を調べようとしていたのだ。
 調査に取り掛かろうとした途端に、地震が起きて黄金の魔力の塔が立ち上った。
 どうしようかと途方に暮れていたさっきとは違い、今は明確な目標がある。
「急ぎましょう。なんだか、恐ろしい力を感じます」
 レヴィナは口元が震えていた。彼女の言葉に、アールスは頷き、全員に号令をかける。
「よし、行こう!」


 南東――ナジミの洞窟。
 男は……銀髪の男は、黙々と魔法装置に向かっていた。
「(とっとと片付けて、イサ様の支援に行ったほうがよかよねぇ、やっぱし……)」
 ネクロゼイムのことだけを考えていたのか、無意識に魔法装置を守護していた魔物を斃してしまっている事に、気付いていなかった……。


 南西――アープの川。
「……悪かったな=v
 唐突にキラパンがそう言ったので、リィダは目を丸くした。
「どうしたんすか? 今日食べたものが不味かったんすか?」
「バカ! ……そうじゃねぇよ、ただ、すまないと思っている。お前は俺の主人(マスター)なんだ。それなのによ……=v
 今まで謝るような機会がなかった。いくらホイミンを除く誰にも言葉が通じなくとも、キラパンは人目を気にしていたようだ。
「もう済んだことっす。それに今は……」
「あぁ。あの野郎の計画をぶっ潰してやろうな=v
 彼はネクロゼイムのことを知っているようだが、それを追求するのは後回しだ。
 ちょうど魔力の塔を守護しているであろう魔物がリィダたちを見つけ、襲い掛かってきたのだから。
 魔物は、紫色の鱗を持つ翼の生えたドラゴン――紫鱗の翼竜(アンドレアル)だ。
「……飛ぶ奴が相手か。分が悪いな=v
 舌打ちしながらも、キラパンは果敢にもアンドレアルを迎え撃った。


 南――ガルナの山。
 いちいち山登りをしている場合ではないので、目視できる範囲で魔力を吹き出している装置があるであろう場所を見極め、あとはルーラの応用でそこまで飛ぶ。
 目算にしては上出来で、ムーナはちょうど魔法装置の前に降り立つことができた。
「なんだ君か……」
 ムーナは魔法装置の前に降り立ったが、そのさらに前、ムーナと魔法装置の間に、もう一人の人間の姿があり、彼はそこに座っていた。
「……ありゃま。アタイの相手、あんたなのかい?」
 軽く驚いただけというのは、彼女もどことなくのんびり者だからであろうか。
「そうなるね」
 長い青色の髪が魔力の渦によって巻き起こされる風でなびき、整った顔立ちは美形という言葉が当てはまる。
「予定ではカエンが来ると思っていたのになぁ」
 ベンガーナでイサの師匠カエンと戦ったルイスが、笑みさえ浮かべながら残念そうに言った――。


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