47.封滅魔法


 ざざん、ざざん。
 ――ここは、どこだろう。
 ざざん、ざざざん。
 ――私は、どうしたのだろう。
 ざざん、ざざんざん。
 ――私は、私は……。
 ざん、ざざざん。

 つい先ほどまで、エシルリム地下室でラキエルペルと戦っていたはずだ。
 ラキエルペルは究極魔法マナスティス・ムグルを完成させ、発動させた。
 するとどうだろう、親友であるコサメの姿になったではないか。
 あれは変化呪文(モシャス)幻影呪文(マヌーサ)とは違った。
 魂そのものが、コサメであった。外見がコサメであり、中身もコサメであったのだ。
 でも、ならばどうしてだろう。何故コサメは、自分を殺そうとしたのだろう。
 あれがラキエルペルだから。当然だ。コサメの魂を複製して、己に変えた。でも、でも……。

「――さん! ――サさん!」

 遠くから聞こえる声。違う、近くから聞こえる。いや、それも違うような。
 戸惑うのは、この場に距離という概念が存在しないから。
 ここは波でしかない。なにかの奔流の一部でしかない。それでも距離は存在しない。

「――の声が――っか?」

 声? 何の声がどうしたのだろう。
 だけどその声は、その優しい声には、聞き覚えがある。
 声は女性だ。そう、今では大切な仲間の、彼女の声だ。
「イサさん! ウチの声が聞こえるっすか?」
 リィダ……。不幸の少女。
「――うん、聞こえる」
 イサはこの場に来て、初めて言葉を出した。それは口で語っているのではない。ここでは口がないからだ。何も視えない。それは目がないからだ。だけど、そこに何があるのかを全て感じることができる。
 今、イサは魂だけの存在となっていた。それは近くに在るリィダにも同じ事がいえる。
「あぁよかったっす。イサさんがこっちに来た時は驚いたっすよ」
 屈託の無い笑み――表情は存在しない、顔が無いから。だけども彼女は笑っていた。
「リィダ、あなた……!」
「ここに来てから、全部知ることができたっすよ……。ウチは、大丈夫っす」
「『ここ』って、どこなの?」
「ウチにもよく解らないっすけど」
 魂のみ存在する場所だ。常人ならば入ることができないだろう。リィダは絶望という名の闇の奥底に入り込んだからか、イサはコサメの姿をしたラキエルペルに致命傷を与えられたからか。
 知りたい。ここがどこなのかを知りたい。
 そう思った途端に、この場所そのものが応えるように波の流れが変わった。
 それは映像であり、記憶の断片だ。薄靄のかかった、流れてゆく過去の記憶。
 ラキエルペルの、過去だった。


 ラキエルペルはエシルリムに生まれ、両親は戦士と踊り子であった。魔道国家なるエシルリムとて、全てが魔道士であることはない。
 二人の子供ならば、剣と舞の二つを兼ね備えた舞の剣士(ソードダンサー)になることを期待されたが、惜しいことにラキエルペルには剣を操れるだけの腕力や体力はなく、舞うだけの俊敏さや軽やかさは無かった。
 その祖父に当たる人物が考古学者であったがためか、本を読むのが好きで魔道士を目指そうとしていたのだ。
 両親は、我が子が望むのならばそれも良いと魔道士の道を認めてくれた。
 だが、魔道士育成の塾さえも在るエシルリムにおいて、ラキエルペルは決して優秀ではなかった。本が好きであることと魔道士の実力は比例することが、ないとは言えないがそれでもダメな人間もいる。
 魔法に明け暮れ、しかし同期の人間に劣り、後輩にさえ打ち負かされる始末。魔道に限界を感じたラキエルペルは、居場所を失ったように落ち込み、やがて皆の前から姿を消した。
 両親は早死にし、ラキエルペルが一人になっていたことも関係したのだろう。友と呼べる人物、師と呼べる人物、そのような人間が誰一人としていなかったのだ。それに加え人に疑うことをよく知らなかったため、騙され、資産を失い、路頭に迷った日もあった。
 それからのラキエルペルは、世界の汚い面だけを見てしまう日が続いた。
 エシルリムほど大きな都市になると表裏が激しい。そして運悪く、ラキエルペルはその『裏』を彷徨い続けたのだ。死んだほうがまだマシだったかもしれないと思い、だが死ぬことからも逃げ出し、ただ生きていた。独学でありながらも魔道を細々と続け、ようやくそこそこの魔法を極める頃には既に中年男性ほどの年齢になっていた。
 そんなある日、ラキエルペルのもとに一人の女性がふらりと舞い降りる。
 リィダ=アシュリル。不幸の女神に微笑まれた少女。
 冒険者ギルドに斡旋してもらった魔導師、ということで彼女はラキエルペルの所へ来た。
 運悪く、書類を間違えていたということに気付かずに……。
 だがラキエルペルはリィダを手元に置き、魔法を教えた。
 時には、リィダを売り飛ばそうとしたり、いかがわしい店に放り込もうとしたりしたが、それはラキエルペルなりの『教え』であった。彼は世界の、エシルリムの『裏』を見つめてきた。だから、その裏が存在する事、そこへ来てはいけない事、自分を大切にせねばならない事を、遠回しながらリィダに教えていたのだ。彼自身、不器用な教え方だとは思っていた。
 彼は――リィダが思っているほど悪人ではない。心の奥底は善人であり、あえて悪を演じ、闇の存在を警告していたのだ。
 リィダがラキエルペルのもとを逃げ出した時、追うこともできたが彼はそうしなかった。教えることは全て教えたからだ。彼女が扱える呪文は初級ばかりだが、一度は全ての魔法に関する知識を教えた。それに加え、悪という存在も……。
 それに満足したラキエルペルは、また一人で生活を始めた。
 そんなある日、彼のもとへ一人の妙な人間がやってきる。
 それは人間ではなく、魔物だ。だがそれにすぐ気付かなかったラキエルペルは、魔物のたった一言に魅入ってしまった。

 エシルリムに眠る究極魔法を、手にしてみたくはないか?

 その言葉にラキエルペルは心を奪われたのだ。この時を持って、ラキエルペルは欲望に忠実は人間と化してしまった。悪人を演じるのではなく、演じていたはずの悪人そのものが己となってしまった。かつての弟子であるリィダを利用することも厭わず、演じていた欲望に忠実な人間になったのだ。
 欲しい物は全て手中に収め、酒に溺れ、女を抱き、気に入らないものを排除する。
 いつしか、そこにかつてのラキエルペルは存在しなくなっていた。
 魔物が用意したのは、エシルリム国王に取り入るための道具だ。それは解読済みの魔道書であったり、王たちを信じ込ませるための手順が書かれたものであったり。
 全ては、計画通りに進んでいる。
 今こうして、究極魔法を手にしたのだから……。


「お師様は……あの頃のお師様は、本当はウチのことを気遣ってくれてたんす」
「うん。そうみたいだね」
 しかし今は、過去の彼ではない。あからさまな悪意の塊に隠れた優しさを持つラキエルペルは、もはや存在しない。魔物の誘惑に屈し、その身を魔に捧げ悪魔と化した男が、今のラキエルペルだ。
「止めないとね!」
 もともと究極魔法は阻止するつもりだったが、今の記憶の奔流を見てその決心は一層強まった。
 イサの魂が、金色に輝きだす。それは生命の輝きだ。
 意識が遠のき、この世界から離れようとしていた。


「イサ様!」
「イサ!!」
 唐突な惨事に、二人は叫んだ。ラキエルペルは究極魔法『マナスティス・ムグル』を発動させ、コサメの姿となった。その姿に惑わされ、少女を守ろうと突出したイサの背を、コサメ――の姿をしたラキエルペルは杖の先端で貫いたのだ。
 イサはラグドとムーナの声に反応せず、ぐたりとその場に倒れこむ。
「ホイミン!!」
 完治呪文(ベホマ)を使えるはずのホイミスライムをムーナは呼び、すぐに手当てするように命じようとした。したのだが……。
「って、あれ? ホイミンはー?!」
 ホイミンが、いないのだ。あのスライムに触手が生えた、間の抜けた顔をしたホイミスライムが。
「回復なら自分に任しときんしゃい!」
 その代わり、見たこともない男が背後に立っていた。クレイバークでもなければ、エシルリムの兵隊でもない。誰だろうと首を捻る間もなく、男から金色の光が溢れた。ベホマ特有の光だ。
 光はイサに纏いつき、傷が塞がり肌に血の気が戻った。まるで回復されていることを気付いていたかのように、唐突に彼女は目を開ける。
「ありがとう!」
 気付いたコサメの姿をしたラキエルペルの追撃を恐れて、イサは礼を言いつつ跳ね起き、間合いから離れた。
 迂闊に近づけないことを悟ったのか、ハーベストとキラパンとラグドは威嚇するように武器を構えたまま動かないでいる。だからイサは安心できる距離まで離れると、ラキエルペルに言葉で当たることにした。
「もうやめなさい、ラキエルペル。死者の魂を冒涜してまで、悪夢の力に拘る必要などあなたにはないでしょう!」
 現実世界にとってはほんの一瞬だったが、その一瞬の間に、あの空間でイサはラキエルペルの全てを知った。彼が持っていた記憶を共有したため、マナスティス・ムグルの効果も既に知っている。
「死者の魂を冒涜ってことは……やっぱり?」
 検討がついていたのか、ムーナが訊ねた。彼女が言わんとしていることを理解できたので、イサはゆっくりと頷いた。
 マナスティス・ムグル。それは漂う魂を捕らえ、その力と姿と記憶を己の物にするのだ。捕らえた魂と全く同じ姿になり、全く同じ力が加算される。だからひ弱なコサメの姿でも、信じられない腕力を持っているのだ。
「……この力は基礎にしか過ぎない。応用すれば、更なる高みに登ることができる」
 コサメの姿、コサメの声のまま、ラキエルペルは邪笑を浮かべた。
「コサメを……コサメの魂を冒涜するようなことはやめて!」
 イサの激昂に、コサメの姿をしたラキエルペルはふんと鼻で笑った。
「ではこいつでどうだ?」
 姿がまた変わる。それは人一倍大きな身体となり、肌は紫と緑に染まり、口は耳元まで裂け、その腹には何か生き物でも住んでいるかのように膨れあがる。
「アントリア!?」
 かつてベンガーナで戦ったアントリア。死して尚イサを見守っているコサメと違い、死して尚イサを殺そうとしていたのか、あまり魔物の魂に周囲を漂われているのは気持ちいいものではない。
 悪魔神官の魂を取り込んだと思いきや、別の姿へと変わる。それは巨大なボストロールであったり、キメラであったり、リザードマンであったり、アームライオンだったりする魔物だ。姿を変えては別の魔物に変わり、また変わる。
 その中には、人間も含まれていた。ハーベストがベンガーナで戦ったゾウシーク、ムーナが戦ったライザス、見た事のない騎士……もはや漂う魂ではなく、周囲の人間の記憶にある者達の魂を吸収しているようであった。
「「「応用、第一段階だ」」」
 声が幾つも重なり、最終的な姿は歪なものだった。肉塊から手足がまばらに飛び出し、その数は両手両足ではなく、七本の腕や九本の脚であり、腕に足がついていたり脚から手が生えていたりとしている。毒々しい紫色、顔らしきものが辛うじて肉塊の上に乗っかっている。
 合成怪獣という言葉が頭に浮かんだが、かつて戦ったキメラを思えば、あれのほうがまだ可愛い。
「第一段階って……まだ増えるらしいねぇ」
 ラキエルペルの今の姿を見て目を逸らしそうになったムーナは、げんなりした顔つきで呆れていた。だが、その呆れは戦慄に変わる。
「――ってぇまさか応用って!!」
 いつものエネルギー切れの時とは違う意味で、彼女の顔色は悪い。ラキエルペルの最終目的が推測できたのだろうが、イサには検討もつかない。
「「「そうだ。精霊界の精霊を捕らえ、我が物とする」」」
 精霊は魂と似たようなものだ。漂う魂を捕らえる魔法ならば精霊を捕らえ、自らに融合させることも可能だろう。
「「「闇と焔の精霊ダルフィリクを、我が力に!!」」」
 幾重にも響くラキエルペルの高笑が轟く。耳に悪影響としか思えない残響に、思わず皆は顔をしかめる。エルフ二人など、思わず耳を塞いでさえいる。
闇煉獄の精霊(ダーク・フレア)を!? ふざけたこと言うんじゃないよ!」
 魔道士なだけあって、その精霊は畏怖たるものだ。クレイバークもラキエルペルの口から出た言葉に慄いている様子だ。
「お嬢ちゃん!」
 ホイミンがいない代わりにベホマを使った男が叫んだ。
 最初は誰の事か――あえて言うなら、そう呼ばれるべきはイサかと思っていたので――解らなかったが、どうやらムーナのことを言っているらしい。
「お嬢ちゃんって……アタイはこれでも――!」
 文句が言い終わる前に、何かを一冊投げ渡された。反射的に受け取り、ムーナは改めてそれを見た。
「これは!」
 それは、古びた本であった。


「なんか難しい話はわかんねぇ! けどお前はリィダに酷いことしたんだ! だから倒す!!」
 変形し、もはや原型が何かわからないほど歪な姿になったラキエルペルに怯んだものの、ハーベストは崩壊刀『屍魄』を振りかざし、果敢に攻めだした。「考えなしの直球バカ!」というリシアのなじりも無視。確かに作戦も無しに先ほどから突進しているだけだが、どうにもそれ以外に思いつくことがないのだ。もしかしたら崩壊刀が既に持ち主の思考を崩壊に導いているのかもしれない。
「「「じ ご す ぱ あ く ! !」」」
「な!?」
 腕――らしきものにエネルギーが溜まり、それは地獄の雷となって打ち出された。それだけを見るなら、ライザスが使っていたものと同じだ。どうやら、彼はベンガーナの魔物の軍勢に取り囲まれ命を落としていたらしい。
 ジゴスパークの雷は、しかしハーベストの崩壊刀により『崩壊』した。凝縮されたエネルギーは霧散し、何事も無かったように溶けていく。
「こいつはすげえや!」
 勝ち誇った笑みを浮かべ、ハーベストはラキエルペルを崩壊刀で貫いた!
 一瞬ほど遅れて、キラパンが別のラキエルペル(・・・・・・・・・・)を噛み砕く!
「気をつけて! マヌーサラッドよ」
 リシアの警告により、ハーベストとキラパンはその場から飛び退いた。予想した通り、別のラキエルペルが死角から二人に襲いかかる。リシアのおかげでそれを迎撃する事に成功し、態勢を立て直した。
 マヌーサラッドはハーベストが戦ったゾウシークの技だ。彼も死んでしまい、ラキエルペルに酷使されている。かつてはハーベストが一瞬で葬り去った技だが、ラキエルペルの使い方が上手いのか完全に騙されていた。
 玄室の魔法陣内は、魔物に成り果てたラキエルペルで埋め尽くされそうになっていた。マヌーサラッドは実態ある幻を生み出す魔法だ。ゾウシークは十一人に増殖していたが、ラキエルペルはそれ以上であることの目算がつく。
「邪魔すんなぁぁぁ!」
 苛立ったハーベストが叫び、数多くのラキエルペルに立ち向かおうとした矢先、背後から異質な光が迸る。
「ムーナ!?」
 警戒し様子を見ていたイサが、背後を確認すると同時に光の根源がムーナである事に驚いた。ラグドも急な事態にどうすべきか悩み、盾を構えているだけだ。
「これが……この魔書の力かい?」
 光の発生源はムーナであるが、更に詳細を言うなら彼女のもつ本から光が溢れているのだ。
 ――魔書とは、ムーナのような魔道士が読む魔道書とは違い、書物に呪文そのものを封じ込め、所持者の意志により発動させるものだ。キメラの翼と似たようなもので、本を媒体に魔法を使う。現在では失われていた技術だが、かつてこの魔書は数多く使われていたらしい。
 そしてその一冊が、ムーナの手元で光を発している。今こそ使命を果たさんとでもいうかのように、その輝きは活き活きとしていた。所持者の手元を、狂わせるほどに。
「強すぎるよ! いくらアタイでも、制御が……!」
 できそうにない、と続けようとして歯を食いしばる。むやみに喋って集中力が途切れれば、それこそ魔書の魔力が暴走するかもしれないし、なにより今の状況を覆させるのはこの魔法しかないだろう。
 ラキエルペルのマナスティス・ムグルは時間をかければかけるほど危険なものになっていく。最終的には魔王精霊ダルフィリクの同化まで本当にやりだす可能性はあるし、現時点で苦戦は明らかだ。
 今諦めれば全てが終わりになってしまう。そのようなこと、望んでいない。できる力がそこに在るのに、しないのは恥だ。
 そう自分に言い聞かせて、ムーナは魔書に秘められた魔力を導いた。強大な魔法が封じられているそれは、膨大な情報量を孕んでおり、魔書を通してそれは所持者の脳内に入り込んでくる。
 エシルリムが国の総力をあげて解明に成功しなかったほどの魔法が封じられている、魔書に秘められている情報量に、苦痛で顔を歪ませながらもムーナは魔龍の晶杖をラキエルペルへと向ける。左手に持った魔書から、右手に持った杖へと魔力が伝わった。
「(イサにだって風死龍が扱える。ラグドは岩龍爆極槍破……アタイだって、アタイにだって……!)」
 イサとラグドのそれが映像となって思い浮かんだ。走馬灯なんかじゃないだろうね、と自分自身に皮肉を投げかけた。
 今から使う魔法は竜の魔法。竜に認められた者にしか扱えない魔法だ。
「(いい加減、目ぇ覚ませ! アタイの中の竜!!)」
 ムーナが薄っすらと目を開ける。滅多にみない彼女の綺麗な瞳は、ラキエルペル全体を捉えた。

「――全てを無に返せ! 封滅魔法マジャスティス!!」

 ――オォォオオオォォォオオン!

 竜の咆哮。魔龍の晶杖から、詳しく言えば魔書から飛び出た無色の竜は、澄んだ咆哮と共に魔法陣を消してゆく。マヌーサラッドの効果が消え、ラキエルペルは本物一体となった。だがいくらマジャスティスとは言え、マナスティス・ムグルを全て消し飛ばすことは叶わず、ラキエルペルは魔物のままだ。
「う、ぉぉおおぁあぁ!?」
 だが、行動を停止させるには役に立ったようだ。悲鳴をあげ、動きがやたらと鈍っている。
「今!」
 イサが一番に引き裂き、ラグドが槍を打ち込み、キラパンが食い千切り――。
「!!」
 ハーベストが、一刀のもとに両断を成した。

 勢いをつけすぎたのかハーベストはそのまま転がり、しかし崩壊刀は手放さない。
 ラキエルペルといえば、イサたちからの攻撃は特に痛痒を受けた様子は無く、主にハーベストの攻撃が効いていた。現に、イサが攻撃した箇所は自動修復したが、ハーベストにやられた傷は修復するどころかそこから溶け出しさえしている。
 それでもまだ死んでいないのだから、魔物というよりただの怪物だろう。
「ハーちゃ〜ん! もう一回行けー!」
 リシアが声援を送り、呼ばれた本人は震えながらも立ち上がった。崩壊刀が持ち主の精神を異常にさせているのか、ハーベストの最後の気合声は、獣の雄叫びに近かった。
 彼がラキエルペルに最後の一撃を叩き込むのと同時に崩壊刀を消したのは正しい判断であった。あれ以上使い続けていたら、そのまま味方に斬りかかっていたかもしれない。
 それからしばらくは、沈黙が続いた。
 不吉な脈動を感じることは、もうない。ラキエルペルが消滅すると共に、マナスティス・ムグルの魔法も消えたのだ。
「…………終わった、ね」
 全員がその場にぐたりと座り込んでしまった。張り詰めた空気が、その一言で緩んだからだ。そんな中、ハーベストだけはふらつく足でリィダを迎えに行った。魔法の手錠は消えており、彼女は壁を背に眠り込んでいる。もう悪夢の幻覚は見ていないのだから、良い夢を見ていることを祈る。
「……どうやら、私よりあなた方が状況を把握しているようだ。我が国への災厄を防いでくれた英雄達よ、どうか話を聞かせてほしい。そのための場は設けるゆえ」
 クレイバークはもともと確信があってこの部屋に来たわけではない。その疑いは実物となったが、それを詳しく知っているのはイサたちだ。
 エシルリム王の言葉に、全員が軽く頷くと共に一つの要求が脳裏に浮かんだ。
「少し休ませてくれ。こいつらは、そうとう疲れているようだ」
 レムスオールが使えなくなって以来、ほとんど出番のなかったヴァンドが皆の代弁役を果たした。
 気が付けば、ムーナに魔書を渡した男はいなくなっていた……。


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