46.狂瀾怒涛


 経過した時間など、覚えておくことはできなかった。
 ただ、辛い時間が無限とも思える中で今尚続いている。事実はそれだけ。
 不は負にあらず、マイナスではない。それは決してプラスでもなく、不は0であった。
 身体に入り込んでくるのは闇だけではなかった。まるで秤を調節しているかのように、光も入ってきた。だがそれはすぐに消え、闇が現れ、また光、闇。叩いては起こされ、救われては突き放され。それは螺旋のように続き、感じるのは苦痛。いや、苦痛さえも感じなくなっている。光と闇、もはやどちらも求めていないからだ。
 ただの、からっぽだ。幸なく、希望なく、意志なく、光と闇ですらない。それが意味する事は、何かしらの媒体であろうか。
 食事も睡眠もろくに与えられず、自由という言葉がこの世界に存在しているのかさえ疑った。
 そしてその疑いは、真実なのではないだろうか。
――神は信じる人を見捨てない。教会でよく使われる言葉だ。
 もし神が存在しているというのならば、なぜ助けてくれないのか。
 もし神が存在しているというのならば、それは邪神なのではないか。
 もし神が存在しているというのならば、人間を救うべきではないのか。
 もし神が存在しているというのならば、悪夢から解放してくれないのか。
 もし神が存在しているというのならば、人は苦痛を感じないのではないか。
 もし神が存在していないというのなら、全てに納得が行く。
――空ろ。


 イサたちがエシルリム城の門前に立った時には、既に夜という名の闇に支配されていた。
 エルフ二人を除く全員は、彼らが所有する秘薬を飲んでいる。ラグドよりは疲れていなかったとしても、三日ほど歩き通しであったため、皆も万全の状態にしておこう、ということだ。秘薬は数少なく、その場で調合なりをした影響で今の時刻になってしまったが、どうせ忍び込むには夜が最適だ。
「でも、どこから入ろうか」
 昼間と同じく番兵が立っており、入ろうとしたら道を塞がれる。残念なことに、今もイサたちの顔を知っている兵ではない。
「正面からでしょ」
 イサの問いに答えたのはリシアだ。夜目の利くエルフは城の周囲を見渡して結論を出した。
「正面って――」
「忘れたの? アタシたちの魔法」
 イサが言い切る前に、リシアが遮って指を振りながら言う。
「あぁ、さっきのやつね」
 キラパンを人の目から隠すために使用した姿隠しの結界魔法(レムスオール)。それを使えば、衛兵たちの目を盗んで城に入ることなど造作もない事だ。リィダがこの場にいたら、兵の隣を歩く時にけつまずいてぶつかる、なんて場面も想像できるのだが彼女はここにいない。
 キラパンが言うには、危機に陥っていることは間違いないらしい。彼はかつて、同じ予感をした時、リィダは退治に向かった盗賊崩れに逆に捕らわれていたらしい。それと同じ、もしくはそれ以上の嫌な予感がする今、リィダの安全性は失われているのと同等である。
 レムスオールを使い、目の前を素通りしても気付かれず、イサたちは易々とエシルリム塔城に侵入することができた。
 問題は、何処にリィダがいるかだ。
「こっちだ!=v
「こっちだ!」
 何処を探そうか相談する前に、二人が――いや一人と一匹が走り出す。キラパンはリィダの微かな匂いを追っているのか、ハーベストは勘で走っているのか、彼らは全く同じ方向に向かい始めた。
「ハーちゃん! あんまし遠くに行くと魔法範囲から外れちゃう!」
 慌ててリシアがハーベストたちの後を追い、イサたちもそれに続く。
「なんかあの二人……似てるよね」
 ムーナの評価に、イサは頷いた。
「きっと二人ともリィダのことが好きなのよ」
 だからといって居場所が解るというのもどうかと思うが、手掛かりがない以上は彼らの跡を追うしかない。途中、エシルリム兵とすれ違ったが、まだレムスオールは持続しており、気付かれることはなかった。
 分かれ道などがあったとき、前を走る二人はまるで打ち合わせていたかのように同じ方向に曲がる。もしハーベストが魔物になったら今のキラパン、キラパンが人間になったら今のハーベストのようなものを容易に想像できるから面白い。
 やがて幾度かすれ違っていた兵士もいなくなり、細い通路の螺旋階段を下り始めた。自動移動装置はなく、延々と地下に続いているあたりどうにも怪しい。壁自体が微量な発光をしているのか、松明がない割に階段は明るく、そのような怪しげ階段を下り切った先は、一つの扉があった。
「……気をつけろ」
 ヴァンドが警告の声を出すが、何に気をつければいいのか……。扉に気をつければいいのだろうか、それとも別の何かだろうか。リシアがお喋りである分、このエルフは口数が少なく、最低限のことしか言わなかったりする。
「あら? ヴァンド、なんでレムスオール解いちゃったの?」
 自分たちでは確認できないが、どうやらヴァンドが姿隠しの結界魔法を解除したらしい。
「俺じゃない。勝手に解けたんだ。だから気をつけろと」
「えぇ!? そういうこと早く言ってよー!」
 ぷぅ、とリシアが子どものように頬を膨らませる。
「そんなことよりこの扉だ! 開かねぇぞ!!」
 ハーベストが扉を押したり引いたり持ち上げたり下げたり横にしたりとしているが、扉は一寸も動いていない。その扉は随分と古びており、赤褐色の錆がその年月を物語っている。ここ何十年と開けられた様子はない。
「開かない扉の向こうなんかに、リィダはいるのかねぃ」
 ムーナの言葉は、キラパンとハーベストの行動を疑うものではなく、リィダの安否を気遣うものだ。扉が開かない事に焦って苛立っている二人を押しのけて、彼女は扉を調べ始めた。手で触ったり、こんこんと叩いてみたりと、様々な方法を試みては考えたりしている。
「……うん、こりゃ結界魔法の一種かな。それも、超強力なやつでさ――」
「ヴァンド! リシア! なんとかできねぇのか!!」
 ムーナが言葉を続けようとしたのを遮って、ハーベストが二人を振り返る。もしかしたらハーベストは、リシアから変な影響を受けているのではないだろうか。
「だめねぇ。結界魔法の一種であって、結界魔法にあらず。その子が言いかけたみたいに、魔法というかトラップに近いものなの。合言葉か何かがあるはずなんだけど、誰も知らないわよねぇ」
 さすがにリシアはムーナが言いかけたことが解っていたみたいで、彼女の途切れた説明を補足した。
「だったらぶっ壊してやる!」
 魔法ではできないということだけを理解したのか、ハーベストは鋼の剣を召還し正眼に構えた。
「……誰か来ます!」
 ラグドの声に、全員の息がぴたりと止まる。そのため遠くから足音が少し聞こえてきた。
 レムスオールが何故か使えなくなってしまっている今は、あっさり見つかることは必至。
 それでいて扉は開かないのだから、逃げ場は無い。
「どうしよう」
「どうしようって言われても……魔法で眠らせる?」
 見つかったとしても、先に魔法をかけてしまえば少しは時間が稼げるというものだ。とりあえず、ムーナは催眠呪文(ラリホー)を使うべく精神力を高めた。
「でも、こんなところに普通の人が来るのかな?」
 イサの疑問も最もで、捕らわれているだろうリィダがこの奥に、そしてそれを助けるべく侵入したイサたち。いくらエシルリムの兵士といえども、こんな誰も知らないような場所に来るとは思えなかった。
 足音は次第に大きくなり、そして一人の人間が下りてきた。
 ムーナがすかさずラリホーをかけようとしたが、その人物を見て思わず動きを止めてしまう。
「お前たちは……!」
「く、クレイバーク陛下?!」
 エシルリムの兵士でもなく、ラキエルペルでもなく、エシルリム王クレイバークその人が、階段を下りてきたのだ。
「守護神様の護衛たちではないか。何故ここに……いや、そうか。やはり……」
 クレイバークはイサたちの無断侵入を咎めることなく、一人で納得してしまった。
 説明を請う前にクレイバークはずかずかと皆の間を割って扉の前に立った。
「……どうやらラキエルペル殿に騙されていたようだよ。皆が、な……」
 扉に手をついて、彼はかすれた声で言った。謁見の間であった時に比べて、十は老けた感じさえ見受けられた。
「この扉は王家に伝わる言葉で開く……」
 そしてゆっくりと言葉を紡いでいく。古代語のような、日常語のような、ともかく其の言葉の意味を理解することはできなかった。だがそれも関係ない。今は過程より結果だ。
 扉は、開いた。

 扉は消失し、人一人が通れるほどの通路となった。それを潜ると石造りの玄室があり、広い部屋いっぱいに広がる魔法陣が、薄く明滅していた。その中心にいるのは尊大な杖を持ち、豪奢な服に身を包んだ中年の男性――ラキエルペルだ。
 王家しか知らぬはずの言葉を知っており、この部屋の主であるが如く、そこに佇んでいる。
「リィダ!!」
 ムーナの悲鳴に近い声で気付く。目立つ格好のラキエルペルに目が行ってしまったが、そのさらに奥。壁に鎖で繋がれたリィダがうな垂れていた。
 しかし彼女はムーナの声にすら反応をみせない。目は開いているが虚ろで、空虚のまま虚空を見つめ、口は半開きで唾液が垂れ流しになっており、さながら廃人のようであった。
「リィダ! リィダ!!」
 イサは彼女のもとへ駆け出そうとするが、魔法陣から先へは行けなかった。
 結界でも張ってあるのか、どうしても阻まれてしまう。
「これは……どういうことだ、ラキエルペル殿!!」
 クレイバークの激昂に、ラキエルペルは薄く笑った。
「これはこれは、皆様お揃いで」
 ラキエルペルは道化じみた仕草でお辞儀をした。それは決して相手に敬意を示すものではなく、悪意の塊でしかない。
「今宵、究極の魔法がこのルビスフィア世界に復活致します。ごゆるりとご見学ください」
 頭を下げたまま、ラキエルペルは言葉を続けた。
「……をした」
「?」
 イサは思わずぞっとした。隣から、恐ろしいほどの殺気を感じ取ったからだ。その発生源は、ハーベストとキラパンだ。
「お前は、リィダに、何をした、って言ったんだ」
 今にも飛びかかろうとしているのを必至に堪えて、言葉を区切りながらも繰り返す。
「クク……なぁに、不の力を溜め込んでやったまで。全てを無にしてやったのだ! 今は思考、意志、記憶すらも無であるだろう。何も感じることのない、生贄の人形として最適な素材となったのだ」
「なんて酷いことを……」
 リィダのされたことに検討がついたムーナは、さすがに目すら笑っていなかった。
「お前、リィダの師匠じゃなかったのかよ! なんでそんなことを!!」
「ふん……お前は道具を使う時に、道具が可哀相とでも言うのかね?」
 その言葉に、キラパンとハーベストが駆け出した。怒りに身を任せ、雄叫びを上げつつラキエルペルに突進してゆく。しかし魔法陣の中に入る前に結界に阻まれ、無色の壁に激突した。それでもなお、前に進もうと二人は力を込める。
「無駄だ」
 ラキエルペルの愉快そうな声は、不快でしかない。怒りを増長させるだけだ。
「こんな、ものぉぉ!!!」
 ハーベストの剣が、赤黒く光りだした。色が違うだけで、武具変換(ウェチェンジ)の光と似ている。
「お、ぉおおおぉぉぉおおぉ!!!」
 鋼の剣が、別の剣へと変わる。そのまま結界を切り裂き、キラパンとハーベストは歩を進めた。
「なんだと!」
 これにはラキエルペルも予想外であったらしく、狼狽しつつ身構える。
「あの剣は……」
「あらハーちゃんってば、あんなに怒ってるのねぇ」
 ヴァンドが驚愕じみたものの、リシアは客観的に感想を述べる。
 ハーベストの今持っている剣を、イサたちは見た事がない。『伝説級』の武器ではあるだろうが、どこか禍々しい。剣の柄には何か文字が刻んであるらしく、鍔にも同じ事が言えた。
「ふん!」
 ラキエルペルは気合を一声しただけで、キラパンとハーベストは見えない力によりはじかれてしまった。しかしすぐ立ち上がるところをみると、そこまで強い衝撃ではなかったようだ。
「――あれは『伝説級』呪いの武器、崩壊刀『屍魄(しはく)』。全てを崩壊に導く、強力な剣だけど……使う本人の魂すらも崩壊に導くのよねぇ」
 軽い口調で、リシアが彼の武器を説明した。
「使う本人の魂すらって……危ないじゃない!」
「だから呪いの武器なんだって」
「今までハーベストが使った事はあるのか?」
 ラグドの問いに、リシアは首を横に振った。
「知らなーい。無いんじゃないかしら、アタシたちがあの剣について知ったの、ベンガーナで調べものしているときだったし」
 武具召還には本人の知識も関係してくる。もしかしたら、その崩壊刀の存在を知ったことと、今の怒りのせいであの剣を生み出したのかもしれない。
「お前は絶対に許さねぇぇ!!」
 果敢にも再び攻めるハーベスト。彼一人にラキエルペルの相手をしてもらうわけにもいかない。結界が破られた今なら、魔法陣の中に入れるはずだ。イサたちもそれぞれの武器を振りかざし、ラキエルペルに向かってゆく。
「方々! 手加減は無用、そやつを止めてくだされ!」
 クレイバークは言いつつ、炎の塊を飛ばした。火炎球呪文(メラミ)だ。魔道国家として名高いエシルリムの王自身、優れた魔法の使い手であるらしい。
 しかしクレイバークの放ったメラミの火炎球はラキエルペルの身体に触れることなく、薄い光の壁にぶつかった途端に跳ね返された。軌道は駆け出したイサとラグドの中心に落ちる。
「うわ!」
 なんとかそれを避け、ラグドはそのまま踏ん張ったようだが、着弾の爆風で身軽なイサは飛ばされてしまった。
 ラキエルペルは続いて小さな火球を連続で放ち、ハーベストとキラパンを迎撃する。
「こんなもの!」
 キラパンは炎をまともに受け床に転がるが、ハーベストは崩壊刀を振り回し、向かってくる火球を全て打ち落とした。
「――愚か者め」
 ラキエルペルの言葉が合図であったかのように、魔力が吹き荒れた。それは見えない力そのもの。体制を立て直したイサたちや、魔法を使うべく精神を高めていたムーナ、リシア、ヴァンドもろとも、皆が何かに殴られたかのように吹き飛ばされて壁に激突した。
 リィダの話では、ラキエルペルはそこまで強い魔道士ではなかったはずだが、床の魔法陣が何かしらの作用を及ぼしているのだろう。ラキエルペルは、確実に足元の魔力を使いこなしている。
「く、ククク……期は熟した。邪魔さえしなければ苦しまずに済むというのに」
 何とか皆が立ち上がろうとする中、ラキエルペルの声が嫌によく聞こえた。
 見れば、リィダも薄くぼんやりと光に包まれている。それは床に描かれている魔法陣にも同じ事が言えるので、ついに究極魔法が姿を現そうとしていることを誰もが悟った。
「……おぉ、感じるぞ。究極の力が、今ここに在ろうとすることが!」
 吹き荒れた魔力は、渦を巻いてラキエルペルに収束してゆく。
 世界全体に存在しているはずの精霊たち全てが飲み込まれていくような錯覚がした。むしろこの玄室が別世界のように居心地が悪い。感じるものは無。あるとすればそれは零という不。この玄室自体が鳴動しているような気さえしているが、あくまでそれは感覚のみだ。
「やめなさい! それは、ルームロイをかつて分断大陸にしてしまった悪夢の魔法なのよ!」
 イサが説得を試みてみるが、まず無駄だろう。おそらく、ラキエルペルはそのことを既に知っているだろうから。
「……封印より解き放たれ、生まれ出でよ、究極魔法マナスティス・ムグル=v
 返答さえせず、ラキエルペルは呪文と唱えた。


 激しい閃光と共に、再び強い衝撃で吹き飛ばされてしまった。先ほどよりも強い衝撃はイサたちから数秒ほど意識を奪い、それが覚醒するころには閃光も収まっていた。究極魔法を使われ、身体が無事であるとは思えなかったが、幸い、五体は満足に動くようだ。
 立ち上がり、部屋の中央に視線を向ける。そこには、未だ一人の中年の魔術師が佇んでいた。ただし、先ほどと違う点が見受けられる。それは、濫染色の光を纏い、寒気がするほどの強大な魔力を孕んでいることだ。
 先ほど同色の薄い光に包まれていたリィダは、今は光に包まれておらず、目を瞑っている。どうやら悪夢からは解放されたらしいが、それが定かであるかは確かめようが無い。
「おぉ見よ! 力が、わしに集まっておる!!」
 態勢整えきれていない今に追撃されてはたまらなかったが、ラキエルペルは手にした力に酔い痴れ、そこまで頭が回っていないようだ。いや、それとも究極魔法を手にした今なら、それさえ見逃しても些細な事でしかないのだろう。
「……まだ、魔法が完全に発動したわけじゃないみたいだね」
 もしルームロイを分断大陸にした魔法ならば、使われた時点でこの大陸は消失していたかもしれない。それがないところを見ると、ムーナの言うとおり完全に発動したわけではないはずだ。
 だから、次に取るべき行動は一つ――ラキエルペルを倒す。
「覚悟しやがれぇぇぇ!」
 崩壊刀『屍魄』を振りかざし、ハーベストが一番に仕掛ける。その隣にはキラパンも牙を剥いて走り出していた。それを援護するために精神を集中させる魔法使いたちを背に、イサはあえてラキエルペルに向かわず、リィダのもとへと駆け出した。
「えぇい! 鬱陶しい愚者どもめ!!」
 ラキエルペルが持っていた杖を地面に突き刺すと、そこから閃光が走った。次いで、爆発。
 爆裂呪文(イオラ)は玄室にいるもの全てに影響を及ぼし、ムーナたちはまたも呪文の詠唱が中断されてしまった。だがハーベストとキラパンは受身を上手く取り、再び地を蹴った。ラグドは冷静に物事を見極めようとしているのか防御しながら様子を見ている。
「おぉおおぉぉおおぉ!!」
 ハーベストの目は、怒りに狂っているというだけではない。充血でもしているのか、異様に赤く見えた。呪いの剣、崩壊刀『屍魄』の影響なのだろう。
 ハーベストの一閃が、キラパンの爪が彼の身体に届く前に、その姿が薄っすらと揺れるように消えた。
「マヌーサ!? いつの間に!」
 幻影呪文の詠唱をしたようには見えなかったし、その素振りすら判断はできなかった。もしかすると、閃光で目が眩んだ時に、既に術を放っていたのかもしれない。
「偉大なる魔法に楯突こうとするとは……だが、それもお終りだ。わしには、既に見えているのだよ。時空を彷徨う、霊魂の姿がなぁ」
 言って、ラキエルペルは片手で空を掴み、拳を胸元へ引き寄せた。藍染色の光が、一度強まる。
「なんだ、と……?」
 お構いなしにまた斬りかかろうとしたハーベストが躊躇したのは、光が収まったラキエルペルの姿を見たからだ。それは、まだいたいけな『少女』の姿だったのだ。ハーベストよりも同じか、それ以下か。彼は、なんとなくだがその少女を見た覚えがあった気がした。だから、動きを止めてしまったのだ。
 それどころではなかったのが、『風雨凛翔』のメンバーである。皆は目を見張り、有り得ない事実にわなわなと震えていた。
「……ちくしょう知るかよ!」
 不本意に止めてしまった攻撃を再開させるべく、叫ぶことで迷いを振り切りハーベストは刃を少女に向けて突進した。キラパンも同様である。
 刹那、ハーベストよりも速くキラパンよりも疾く、二人と少女の合間に影が躍り込んだ。
「やめて!」
 それは翠髪の、飛竜の風爪を装着した少女――イサだ。
「どけよ!」
 ハーベストの声に、そしてキラパンの咆哮に対して、イサは必死にかぶりを振った。
 それから、ぎこちない動作で首をその少女に向ける。イサの顔はひどく歪んでおり、ラグドやムーナも同じである。少女――儚げな少女、薄水色の髪の少女、可愛らしい顔立ちはしかし寂しげだ。その少女を、イサたちは知っていた。ハーベストは一度見た事あるくらいだろう。
「……コサメ…………」
 かつて魔霊病なる悪病に倒れたイサの親友。
 それぞれが苦い思いを味わったあの日の苦痛が蘇るようだった。
「イサ……」
 コサメが名を呼ぶ。その声も、振る舞いも、全てコサメそのものだ。
「……どけよ」
 ハーベストが再度、警告する。
「そいつはラキエルペルなんだぞ! お前は、見かけに騙されてるだけだ!!」
 その通りだ。イサにもそれくらいは理解できている。しかし、身体が勝手に動いてしまったのだ。助けられなかった、救う事ができなかった、大切な、初めての友達。それが斬られるのを黙って見過ごすことは、イサにできなかった。
「でも、ダメなの! だって、コサメは……アッ!」
 自分で何を弁解しようとしたのか、すぐに思い出せなくなった。コサメが、その小さな身体では信じられない力でラキエルペルの持っていた杖を持ち上げ、それでイサの背を貫いたのだから。
「イサ様!」
「イサ!!」
 ラグドとムーナの声が、だいぶ遠くに聞こえた。意識が遠のく。
「ありがとうイサ。あたしを、庇ってくれて」
 それはあの時と変わらぬ笑顔で、それはあの時と変わらぬ声で、しかし手にはイサの血で濡れた杖を持ち、それはなおも濡らし続けている。
「コ、サ…………」
 最後まで少女の名を呟くことは叶わず、イサはその場に崩れ落ちた。
 どろり、と血が溢れた。

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