45.疑惑浮上


 部屋で待機させられ、ただ待つ時間だけが過ぎて行く。
 城下町を見てみたい、と兵の一人に申し出てみた所、やはり外には出してもらえなかった。待機させられている客室は豪華で、山育ちであり野宿が染み付いているリィダにとっては違和感があり、むしろ居心地が良いとはいえないものだ。
 ともかく暇を潰そうとキラパンに話しかけようとするが、彼はふかふかなベッドを陣取って、その感触を楽しみながら眠りについている。時たま人間のような素振りを見せるこの魔物は、どこかその姿が様になっていた。
「あぅ……暇っすぅ……」
 ついには愚痴の独り言が出てしまい、せめて城内を見学させてもらえないか聞こうとした、その時である。
 開こうとした扉が勝手に開かれた。この扉は内側から引く形なので、室外から誰かが入ってきたのだ。ノックもなしに入ってくるとは失礼千万。着替えなどしていなくてよかった、と妙なことを考えてしまった。
「お師様?!」
 入ってきたのは、豪奢な服を纏ったラキエルペルだ。心細い中、少しでも知っている人物の登場に安堵する……ということができなかったのは、ラキエルペルが相変わらず好感の持てない笑みを浮かべているからだろうか。
「さっそくで悪いが、ついて来てもらおう」
 相手の意見を無視するような言い草だ。立場的には、魔法王国に必要な守護神とやらと、その国の宮廷魔術師。礼儀を尽くすのはもちろん後者のようにも思えるが、もと師匠である彼にそのようなことをされると鳥肌が立つかもしれない。もしかすると、それを思ってラキエルペルはあえて粗暴な口調で話している可能性もある。
「(考えすぎっすかねぇ……)」
 よく考えると、自分の師が、そこまで配慮のある人間とは思えなかった。ここ数年は会っていなかったが、その間に性格が改善されたのだろうか。そこまで考えると、やはり考えすぎであることに気付く。
「あの、キラパンは……?」
 ベッドで眠っていたキラーパンサーは、未だに静かな寝息を立てている。
「心配ない。お前さえいれば大丈夫だ」
 やはり、何も変わっていない。彼にはキラパンのことなど眼中に無いのだろう。それほどまでに今から起こり得る魔法に対する興味が大きいらしい。全てはこの国のため、と言えば聞こえは多少いいものの、リィダの目には、この男は自分のためにしか行動していないようにしか思えないのだ。
「ほれ、早く来い」
 ラキエルペルがすぐに部屋を出て、リィダを促す。仕方なく彼女はそれ従い、一歩を踏み出した。なんとなく、この部屋を出てはいけない気がしたのは、これまでの不幸人生で培った野生の勘だろうか。
 部屋の前にいた衛兵は、いつの間にかいなくなっていた。


 部屋を出てしばらく経つのに、兵士の一人も見かけていない。それどころか、他の人間というものを全く見なかった。警戒態勢にあるらしいこの城内で、ここまで人気がないのは薄ら寒く感じた。
 何となく、もしかしたら今はこの城の中で自分と師匠の二人だけしかいないのでは、という考えさえ浮かんでしまう。そしてそれが正しいように思えてくるから困ったものだ。
「あのぉ……どこまで行くんすか?」
 ラキエルペルの後を歩いているリィダは、気付けば階段を延々と下りていた。自動移動装置を使わず、ただ狭い通路の螺旋状階段を下りている。
「もう少しだ」
 先ほど同じ質問をした時、今と同じ答えが返されている。
 目的地までがもう少しなのか、それとも違う何かがもう少しなのか。それが解らなくなるほど、ラキエルペルの口調は妙なニュアンスを含んでいた。
 また同じ答えだろうな、と思いつつも三度目の同じ質問を口にしようとした時だ。
 階段の終わりが見えた。
 階段を下りた先には、一つの扉が迎えてくれた。頑丈な扉であることは解るのだが、見れば所々が錆びている。もしこれが魔法のかかっている扉だとしても、それが錆びるということは相当な年月の間、手入れされていないのだろう。あまりにも古いものだということが一目瞭然である。
 ふと、開かずの扉という怪談を思い出してしまったリィダは急に踵を返して逃げ出したくなってしまった。しかし後ろを見たところで、階段があるのみ。もしかしたらこの階段のせいで怪談を思い出したのだろうか、と下らないことを考えてしまった。
「この中だ」
 ラキエルペルは扉に手をかけ、ぶつぶつと何かを唱え始めた。やはり魔法がかかっているのだろうか、しかし開錠呪文(アバカム)を唱えているのではないようだ。
 扉は唐突に、『消失』した。
 まるでそこに扉がなかったかのように――いや、扉を付け忘れたように通路がぽっかりと出来ている。
 それを潜ると石造りの玄室があり、広い部屋の床いっぱいに魔方陣が薄く描かれていた。
 しかし、それだけだ。だだっ広い部屋に、ぽつりと二人の人間しかいない。
「あの、これは……って――うわぁぁっ!」
 何を思ったのか、ラキエルペルはリィダを投げ飛ばした。見かけによらず力があるのか、それとも何かしらの魔法でも使ったのか、ともかくリィダは宙を一回転して壁に叩きつけられた。うまく受身を取れていたのか、痛みに気を失いかけるだけで済んだ。もしかしたら気絶していたかもしれないし、下手したら打ち所が悪くて死んでいたかもしれない。昔の自分なら、不幸の名の下、打ち所が悪く、首の骨が折れていたということさえ考えられる。
「やはり、不の力が明らかに減っているな」
 まるで軽い実験を試したかのような口調だ。そのためだけにリィダを投げ飛ばしたのだろうか。
「これでは足りないな……」
 ラキエルペルが右手で指をパチンと鳴らすと、先ほどまで無かったはずのものが、唐突に現れた。リィダが叩きつけられた壁の部分に、罪人を捕らえて置くような手枷と鎖が出現したのだ。その手枷は意志があるように、リィダの両腕を掴む。
「ふぇぇ?! な、なんすかコレぇ!」
 リィダの狼狽を無視し、ラキエルペルは、懐からペンダントを取り出した。不気味で、見ていて気のいいものではない。
「なぁに、恐怖、悪夢、悲哀……ともかく不の合成力をお前に流し込むだけだ」
 そうして、ラキエルペルは喉の奥でくつくつと笑った。身動きのできないリィダの首にペンダントをかけ、ぼそりと何かを呟いた。もしこれが何かしらの魔法アクセサリーならば、その言葉が鍵となり何かしらの力が働くのだろう。何か、何かの……。
 その途端、リィダの身体に『闇』が入り込んだ。星々と共に見せる安楽なる闇ではなく、恐ろしく凍りつくような闇。それが体中に入り込み、リィダの身体そのものを犯してゆく。
「お師、様……?」
 リィダの声は震えていた。声を出すだけで辛い。
 何かの間違いではないかと、嘘であってほしいと……期待を裏切るように、ラキエルペルは去って行く。以前のほうがまだ優しかった気がする。いくら何でも、ここまでするような人ではなかったはずだ。しかし、去って行く。リィダを残し、助けもせず。
 悲しきかな。イサたちがエシルリムに帰還するのは、これより四日も後のことである。
 ――絶望。


「どういうことなの!」
 今にも衛兵を殴り飛ばしそうな勢いで、イサは問い詰めた。しかし相手の反応は一行に変わらず、同じ言葉を繰り返すのみである。
「現在、エシルリム城内は警戒態勢にある。何人たりとも通すわけにはいかぬ」
 これの一点張りだ。
 イサたちがシャンパーニの砦へ向かい、そこから脱出した先はエシルリム南東のナジミの洞窟であり、そこから帰還して一息ついたころだ。エシルリム全体が浮かれている、究極の封印魔法の解明。そのこと自体は別に構わないし、魔王復活の今時代なのだから歓迎すべきだろう。しかし、解明が行われていたのは伝説上の封印魔法『マジャスティス』ではないらしい。
 イサたちがシャンパーニの砦地下で見た壁画に記されていた、かつてエシルリムを分断大陸へと変貌させた破壊の究極魔法『マナスティス・ムグル』こそ、エシルリムが追っていた魔法であったのだという。
 かつて大陸を崩壊に導いたほどの究極魔法の再現などあってはならない。
 もしかしたら伝説が歪曲して伝わっているのかもしれないと思い、真偽を確かめにエシルリム城へ急いだのだが、門前で足止めを食らってしまった。
 数日前に訪れた時とは違う衛兵で、もしあの時と同じ人間ならばイサたちの顔を覚えていたはずだ。しかし今日の衛兵はやたら頑固であり、イサたちが何を言っても通してくれないようだ。せめて、あの時の兵の名前だけでも解っていれば、確認を取ってもらえたかもしれない。だが今となって悔やんでも、もう遅い。
「私たちはリィダの知り合いなの! 彼女が危険な目にあっているかもしれないのよ」
 これが最も危惧していることだ。破壊的な究極魔法を復活させるための守護神という扱いは、決して良いものではない。
 守護神の扱いを受けているはずのリィダの名前を出すことで、少しは戸惑うなり確認を取ってもらうなりを期待していたのだが、それは効果を表さなかった。
「貴様らのようなやつが守護神様の知り合いだとぉ? 守護神様は偉大なる神の使い。人間以上のお方だ。そのようなお方に、たかが冒険者の知り合いなどいるものか!」
 自分の考えを頑固に信じきるタイプだな、とイサは思い、これ以上の談判は無意味とも判断した。この調子では、イサたちが何を言っても通してはくれまい。ここで衛兵を殴り飛ばして城内に無理やり侵入、などという考えも浮かんだのだが、如何せんイサの立場がある。
 もしイサがウィードの王女と知られたら、ややこしい問題が勃発するのは間違いない。イサがいずれは王位を継承するかもしれないのだから、いわば国の看板のようなものだ。それが「仲間が心配なので衛兵ぶん殴って無断で城に入りました」などという行為をすれば、例えそれがエシルリムを救う形になったとしても禍根を残すことになる。
 かといってここであえて王女の身分を明かし、城へ入る許可を願うのはまた別問題が発生するだけだ。
 改めて、イサは王女という立場を呪った。ばれなければ良い、という問題ではないのがまた辛い。
 仕方なく、イサとホイミンとムーナの三人はラグドが眠っている宿へ戻ることにした。
 酒場で同じく話を聞いたハーベストとリシアとヴァンドの三人には事情を既に話しており、彼らは彼らなりに情報を集める事を買って出てくれた。イサたちが城へ入ることに失敗した場合は宿へ戻ることになっているので、もしかしたら彼らは既に待っているかもしれない。
「キラパンがいるから、大丈夫だとは思うんだけどねぃ……」
 確かにそうだが、ムーナの顔は強張っていた。これでは安心するどころか不安感を駆り立てられるだけだ。
 宿に戻ると、やはりハーベストたちは戻っていた。ただし、食堂のテーブルを一つ陣取って神妙な顔つきをしており、あまり良い話は聞けなかったのだろう。
「オレが聞いた話はほとんど同じだった。『封印魔法』に『マナスティス・ムグル』に『守護神』に……。ともかく城下町の人間が知っているような話題じゃ、解決策にはなりそうもねぇや」
 情報収集を得意としている分、目ぼしい情報が入ってこなかったのを不満に思っているのだろう。どこかつまらなさそうだ。
 ハーベストたちも特に戦果はなく、やはり城に入らなければ進展はないように思えた、その時である。
 ハーベストが不満を更に言い募ろうとしたが、不意に目を細めて席から立ち上がった。エルフ二人も同じ行動を取る。
 それからすぐ後だ。
 外から、賑やかな喧騒とは異なる悲鳴が聞こえたのは。


 表に出ると、多くの人間がひしめき合い、混乱状態になっていた。何かから逃げている者、訳がわからずに呆然としている者、様々だが逃げている人間が圧倒的に多い。そして、彼らは口々に叫んでいる。
「魔物だ!」
 他にも何かを叫んでいるようだが、それは聞き取れなかった。しかしイサたちにとってはその一言で充分だ。どのような魔物かは解らないが、もしかしたら異常発生したリザードマンがエシルリム内に侵入してきたのかもしれない。
「リザードマンじゃないみたいだね」
 イサの考えを見透かしたように、ムーナが自らを納得させるように言った。確かに、リザードマンならば外から来るはずだ。しかし逃げている人間たちは明らかに城を中心とした中枢部から外へ逃げようとしている。つまり、元から街の中に入り込んでいたでもしない限り、リザードマンがそのような場所に現れるのは不可能なのだ。
「まさか……!」
 元から街の中にいた魔物だとしたら。先ほどの会話からもあったせいか、イサとムーナは同時に顔を見合わせた。
「魔物だ! 魔物だ! キラーパンサーだ!」
 二人の考えを肯定するかのように、殺戮の魔豹と恐れられる魔物は姿を現す。全身は血で濡れており、それは『彼』自身のものなのか、それとも他人なのか。ともかく傷を負っているのは確かなので、確実に何割かは彼の血であろう。
「キラパン! しかもすごい傷!!」
 イサが駆け出そうとしたのを、ムーナが押し留めた。
「ムーナ?!」
「今ここでこっちからキラパンに近づいたら、変な疑いがかけられるかもよ」
「でも! 怪我をしているんだよ!!」
 放っておけない、とムーナの手を払ってイサは再び駆け出そうとした。しかしそれをまたも止めたのは、リシアだった。
「人間ってややこしいのよねぇ。このまま行ったら、仲間の魔物じゃなくて、魔物の仲間ってことにされちゃう」
 リシアが立ち塞がるその先に、ヴァンドが立っていた。何やら言葉を紡いでいるところを見ると、魔法を使うつもりなのだろう。
 キラパンはイサたちの姿を見つけると、自らの身体など知ったことかと言わんばかりに駆け出した。人間たちは恐れ、道を開けて行く。
 そして一瞬のうちだった。周囲の人間たちは、キラーパンサーが唐突に消えたのを見たのだ。先ほどの混乱が嘘のように、幻であったかのように、戸惑いつつも呆然としていた。

「『レムスオール』っていう姿隠しの結界魔法よ。音も外部に漏れないの」
 今ここに、先ほどまで恐れていたキラーパンサーが荒々しい呼吸を繰り返しているのに、周囲の人間たちにはそれが見えていなかった。何も無い虚空を見やり、キラーパンサーが何処へ行ってしまったのかを慌てて見回している。
「ともかく場所を移しましょう。ここじゃ満足に回復魔法もかけられないでしょう」
 いくら姿が見えずとも、そこに存在しているのだ。下手をしたら誰かにぶつかってしまうかもしれない。
 人気の少ない場所へキラパンを誘導し、ホイミンにベホマを唱えさせた。金色の光が溢れ出し、キラパンの傷をみるみるうちに癒して行った。
「いったいどうしたの、こんなに傷だらけで。それにリィダは?」
 問いかけるが、答えは返ってこない。それもそのはずである。主人であり、通訳役でもあるリィダが、この場にはいないのだ。エルフであるヴァンドかリシアとは話ができるのでは、と思ったのだが、不思議とそれができないらしい。本人二人も首をひねっている所を見ると、原因は不明だ。
「ホイミン……!=v
 キラパンはホイミンに向かって低く唸った。
「あぅ〜。恐いよぉ、どうして睨むの〜?」
 ホイミンは相変わらず能天気で、あははと笑っている。
「冗談やっている場合じゃねぇんだ! リィダが危ない。頼むから、オレの話をこいつらに言ってくれ=v
 キラパンは、人間に例えるなら苦虫を百匹ほど噛み潰したような苦渋の表情を見せた。
「……うぅ、うん」
 こくり、とホイミンが頷く。そのままホイミンはイサたちを振り返った。
「キラパンがねぇ、僕に通訳してくれって言ってる〜」
「え、ホイミンってキラパンの言葉が解るの?」
「そうみた〜い♪」
 今の今まで、ホイミンがキラパンの声を聞いている素振りは一度も見せなかった。しかし、そこはホイミンなのだからまあいいか、という結論に至る。それになにより、リィダのことが心配だ。
 とはいえ、キラパンも全てを知っているというわけではないようだった。
 まず四日前、イサたちが風魔石を追って出立した後のことだ。キラパンはリザードマンとの戦闘による疲れを癒すため、ベッドの一つを陣取って眠っていたらしい。そして起きたのは、丸二日が経過した後だった。明らかに異常な睡眠時間であり、それは自然ならざることだ。何かしらの魔法か、薬を盛られたのかもしれない。
 ともかく目が覚めるとリィダはおらず、ただ何か嫌な予感が胸を抉るように渦を巻いているだけだ。部屋を抜け出そうとすると、扉ごと壊すほどの勢いだったにも関わらず、扉は開かなかった。窓から外に出ようにも、いくらなんでも飛び降りたら致命傷になる高さにその部屋はある。しかたなく扉を破壊するために、幾度も扉相手に攻撃を加えた。壁に穴を開けようとしたが、それすら叶わなかった。まるで牢獄にいる気さえしてきたが、つい先ほど、積もった塵が山となったか、扉の破壊にようやく成功したのだ。
 しかしその途端、エシルリムの兵士に襲われるようになった。魔法の攻撃を受け、剣や槍や弓などによる激網を潜り抜けて、現状に至る。
 キラパンの話は、リィダの安否を疑うどころか不安を確かなものにしたに過ぎない。
 もはや、リィダには誰もついていない。かつての師、ラキエルペルがいるらしいが、それでは安全といえないだろう。
「やっぱり、城に行くしかない!」
 リィダの安全は完璧に保障されていない。危地に立たされているのと同じと判断していいだろう。
「ラグドはどうする?」
 ムーナの問いに、イサは答えにやや詰まった。彼の戦力は大きいが、今は休ませたい。
「今回は、ラグド抜きで……」
「イサ様!」
 出し抜けに自分の名前を呼ばれ肩がびくりと震えた。それが寝ているはずのラグドの声だったのだから、驚き感は倍増だ。
「……」
 ヴァンドが聞き取れないほど小さく何かを呟くと、ラグドにも皆の姿が見えるようになったようだ。
「やはり、ここにおられたのですね」
 彼は既に鎧を纏って、武装していた。
「どうして……!」
「外で大騒ぎされては起きて当然でしょう。それから、イサ様の気配を追ったのです」
 犬じゃあるまいし、と心の中で思ったがそれ以上に、ラグドに対してやや呆れてしまった。
「起きて大丈夫なの?」
「ご心配ありません」
 茶色い髪がぼさぼさに伸びているため目元が確認できないのだが、恐らく目の周りに隈でも作っているのではないだろうか。それほどまでに、彼の顔にはまだ疲労感が残っていた。
 それを見かねたのか、ヴァンドが懐から綺麗な水が入った小瓶を取り出しラグドへそれを差し出す。
「飲め」
 不審がったラグドの言葉を制するように、彼は短く言った。そう言われては逆らうこともできず、ラグドはそれを一口で飲み干した。すると色濃く残っていた疲労が、ラグドの顔からすっと消えてしまった。
 エルフが所有する秘薬の一つに、疲労を完全に回復させるものがあると聞いたことがあるので、もしかしたらその類なのかもしれない。
 万全状態になったラグドに事情を話し、『風雨凛翔』とハーベストたちは、仲間を救うためにエシルリム城を目指す。
 気が付けば、もう夕暮れだった。


 ――周囲には誰一人としていない。この部屋にいるのは、自分だけだ。
 それもそのはず、そのための命令は自分が下したのだ。
 エシルリム王クレイバークは、玉座に座って考えに耽っていた。目を閉じ、己の奥底と対話するかのように静まり返っている。
 クレイバークはただひたすらに考えていた。
 内容は、復活しつつある究極の封印魔法だ。
 それが復活するのはエシルリム全土の願いであり、歓迎すべきことだ。だが、果たして今のままで本当に良いのだろうかという気持ちがある。己に流れるエシルリム王家の血が、何かを警告しているようさえ思えてくる。
 その感覚は、日が経つにつれて強くなっていた。あえて玉座に座ったのもそのためであり、数多い先人の王たちの魂の声が聞こえてくるような気がしたからだ。
 先代の王は、時期を見極め引退しクレイバだークに王位を授けた後、老衰で崩御した。もしその先代の王――クレイバークの父が生きていたならば、今の状況をどう考えただろうか。
 究極の封印魔法の研究は先代から続けられてきている。いずれ現れるかもしれぬ、強大なる魔に立ち向かうために。しかしその魔法の追求は容易なことではない。十何年という単位で研究してきた割には、魔法の名前さえ曖昧であった。
 そこに現れたのが、今やエシルリム宮廷魔術師の地位にあるラキエルペルだ。
 彼は難解な古文書の謎を解き明かし、次々と研究の成果を見せた。
 彼の突然の出現は、エシルリムにとって大きな利益になったのは確かだ。今までに無い魔法の力を操り、発展させた。そもそもこの城に備わっている自動移動装置(エレベーター)の仕組みでさえ、根本的な部分は誰一人として知らなかったのだ。それを、ラキエルペルは一人でまとえあげてみせた。
 もし自動移動装置が壊れたとしても簡単な修理は以前までできていたが、基盤となっている仕組みは解らず、完全停止している装置も少なくなかった。だがラキエルペルのおかげで、仕組みを細部まで知ることができ、この城はかつての完全な状態で稼動している。
 材料さえ揃えば、自動移動装置を自ら作ることも可能となる技術が、今やこの国にはあるのだ。
 そして、究極の封印魔法である。
 彼がその研究に携わった途端、研究は劇的な変化を見せた。今まで滞っていた難解の研究は、次々に解明されていったのだ。魔法の正式名称、その意味、効力、利害、必要な準備、何から何までラキエルペルが解明して見せたのだ。まるで、何もかもを最初から知っていたかのように。誰かに教えられていたことをそのまま話していた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)かのように。
 彼は当初から、宮廷魔術師を志願してエシルリム城に登城した。誰に推されてでもなく、唐突に現れたのだ。調べてみると、エシルリム国内で魔道師をやっていることは間違いなく、だが良い評判は全く聞かなかった。
 そのような魔術師が、国家に関わる――話をやや大袈裟にすれば世界に関わる研究に携わっているのが、クレイバークは気になった。
 そもそも、今のエシルリムの状態は混乱していると言ってもいい。
 リザードマンが異常発生し、宝物庫が攻められ、そして究極の封印魔法が姿を現そうとしている。リザードマン異常発生は最も信頼の置ける冒険者『マナ・アルティ』に任せた。そこまではまだよかったが、その次は宝物庫に侵入者だ。犯人はカンダタと見て間違いないが、リザードマン異常発生の影響で浮き足立っていたエシルリムの兵士たちは、さらに混乱することになった。いつも以上に忙しく動いている兵士、新たなに所属場所を変更させた兵士……自動移動装置の復旧で警備する場所が増大したため、兵士たちは分散に近い形で城内の警戒に当たっている。
 これでは、何かが起こった時に一つの場所に集結するのは難しくなっているのだ。
 ここまで考えると、どれもこれもが一つに繋がっているのかもしれない、とさえ思えた。誰かがエシルリムを陥れるために暗躍しているのではないだろうか、それはもしかしたら内部にいるのではないだろうか。
 疑い始めると、次々と不穏な点をあげることができた。
 守護神リィダにしても、ラキエルペルが言い出したことであり、誰もその言葉を疑いはしなかった。そして今、彼女の姿は見えない。ラキエルペルは儀式のための準備を誰もいない場所で行っている、と告げていたが果たしてそれが真実だったのだろうか。
 気が付くとなんでもない。
 エシルリム王クレイバークは、ラキエルペルを疑っていた。
 だが、その疑いは最早、遅いものだった……。

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