43.洞穴巨竜


 エシルリムはその国中心に、それぞれ古い建物や迷宮(ダンジョン)が存在している。
 北にあるシャンパーニの砦。南西にあるアープの川。南東にあるナジミの洞窟。
 南にあるガルナの山。北西にあるデモンズの遺跡。北東にあるライドンの森。
 その一行は、ライドンの森から唐突に現れた。
「森と森を繋ぐ、か。エルフの移動手段ってすげぇーな」
 緑豊かな森には似合わない、しかし溶け込んで見える赤い髪の少年は、仲間の二人に対して素直な感想を送った。
「褒めてもなにもでないぞ」
 わかっている、とでも言うかのように少年は微苦笑を浮かべた。
 彼の名はハーベスト=カエイル。
 伝説の狩人、ベクチャイルマン=カエイルの正当な子孫であり、彼の仲間は二人のエルフである。
 男がヴァンド。女がリシア。
 この三人がルームロイ大陸エシルリム地方に訪れたのは、ちょうどイサたちもルームロイに足を踏み入れた頃であった。
 彼らは、ベンガーナで『あること』を調べた後、エシルリムへ行き先を決めていた。
 実際は半年ほどかかる移動を、たった数週間で終わらせてしまうあたり、ハーベストが感心するのも当たり前だ。
 とはいえ、それでなくとも彼らは通常に歩いても移動速度は一般とは比べ物にはならない。
 だかこそ、実際は数日ほどかかる移動を一日で済ませることも可能なわけであり、
「お、アレだな」
 簡単に目的地につくということだ。
 ハーベストたちは、彼が『アレ』と称したものの前へとやってきた。
 巨大な洞窟の入り口は、全てを飲み込む怪物の口のようにさえ見える。
 エシルリム南東に在る、ナジミの洞窟である。
「待て、誰か――」
「誰か来るわよ。ハーちゃん、気をつけて」
 ヴァンドが言いかけた言葉を、リシアが遮って最後まで言い切る。エルフである彼らにとって人間の気配に対して敏感なので、ハーベストより先に気付くことができるのだ。
 その気配は、洞窟の奥から感じるらしい。ハーベストにもそれが解る距離になると、用心のために鋼の剣を召還した。
 気配が近づくにつれて、足音が響く。三,四人であることは間違いないようで、もしかしたらこの中を攻略している冒険者なのかもしれない。
 続いて、話し声も聞こえる。エルフ二人組みはもちろんのこと、ハーベストも耳は良い方である。反響して聞き取りにくいが、やはり冒険者のようだった。
「ムリムリ。ちょームリぃ」
 最初に聞き取れたのは、女の声だった。
「リーダー助けてくれぇ、レムティーがまだ文句言ってるー」
「だからリーダーっていうのはやめてくれないか……」
 男が二人。
「それよりレムティー。まだ始まったばかりですよ」
 女がもう一人。
「でぇ〜もぉ〜、数が多すぎだよー!」
 愚痴をこぼしながら最初に洞窟から出てきたのは、神聖の杖を持った女性だった。その後から出てくる人間は、共通のローブを纏っているものの装備が違う。
「ってあら?」
「だぁもう、今度はどうしたレムティー……っておや?」
「君たちは?」
「どなたですか?」
 四人の視線を受けて、ハーベストはどうしたものかと頬を掻いた後、一つの行動を取る。
「オレはハーベストだ!」
 どなたと聞かれたからには自己紹介。後ろに控えているエルフ二人は呆れたようだし、向こうも反応に困っている。互いが理解しあうには、まだそれなりの時間を要しそうである。


 ――朝。恐らく、朝。
 目が覚めた頃には、体中が痛かった。それもそうだろう、野宿などでは柔らかい草の上などで寝ていたものだが、今日は石畳である。昨日の疲れは取れたが、別の意味で既に疲れてしまった。
 目を開けても、昨日のレミーラの証明はとっくに消えている。暗闇だったので判断しにくいが、天井を見上げると、薄っすらと明るい。外の光が上の部屋の差し込んでいるのだろう。
「ふ、ぁ〜あ。おはよ……」
 ごそごそと衣擦れの音が聞こえ、ムーナがまだ眠そうに起き出した。目覚め一番の仕事が明かりの魔法なのだから、彼女が不満を言いつつも精神を集中させる。
「だけど、これからどうしようか?」
 ぼんやりと明かりが浮かび、昨日の壁画が見えるまでに室内は光で満たされた。起き出しに見て気持ちが良いものではないので、壁画から目を離しながらイサは当然とも言える疑問を口にした。脱出できるものなら昨日のうちに出ている。
「その事ですが……」
 着いて来て下さい、とラグドが歩き出す。どうやら昨晩のうちに何かを発見していたようだ。
 広い部屋になっているので端から端まで歩くのにもだいぶ時間がかかるが、城で暮らしている四人にとってはそこまで長い時間だとは思わなかった。
 ラグドが案内したのは、壁画と全く反対側の壁である。そこには、人が入れそうな扉にも見える、二つ隙間が存在していた。
「これ、外に繋がっているの?」
「そこまでは確認できませんでしたが、昨晩その片方からリザードマンが進入して来ました。何処かに繋がっているのは確かです」
 淡々とした説明に、ふ〜ん、と頷いたイサだったがはたと気付く。
「リザードマンが入ってきたの?!」
「はい」
「昨日?」
「はい」
「私たちが寝ている間に?」
「そうですよ」
 イサの連続した質問に、ラグドは全て答えた。いくら疲れが溜まっていたとはいえ、起きられなかったことが悔しくも、申し訳なくもある。この様子だと、ラグドは一睡もせずに見張りをしていたのだろう。
「まあともかく、行って見ようか」
 イサと違って大して気にしていないムーナの言葉に、全員が頷いた。


 奥へ進むと、移転呪文(ルーラ)による浮遊感覚に似た、しかしどこか違う感覚に全身が包まれた。身体が飛ぶというよりも、意識そのものが漂う感じ。これと同じものを、イサは経験したことがある。あれはまだコサメが生きていた時だ。魔霊病を治すために、パデキアの花を取りに行くべく赴いた星降りの山。その際に使用した『旅の扉』と、全く同じ感覚だった。
 旅の扉独特の、青と銀の渦は見えなかったが、何処かへ移動しているということは理解できた。そしてその感覚は、唐突に終わる。
 最初にイサたちを向かえたのは、湿った嫌な空気だ。暗さは大して変わらないが、どうやら洞窟の中らしい。後ろを見やると、先ほど入ったものと似た空洞がここも二つ存在している。
「うへぇ、何なんだいここは?」
 密閉された部屋の次はじめじめとした洞窟の中。ムーナが不満を洩らすのも最ものことである。それでなくても、この辺りは妙に生臭い。
 とりあえずここでもリレミトを試してみたが、やはりここでも効果が発揮されないようだ。
 仕方なく、洞窟であるからには出入り口があるはずだ、という結論に至り、洞窟内を探索することになった。
 しかし右も左も解らぬというのはこういうことを言うのか、この洞窟の通路は広いうえに道も多岐にある。どこをどう進めばいいのか、全く解らないのだ。下手に動けば、この洞窟にも罠があるかもしれない。カンダタが最近に仕掛けたような罠ではなく、古代に仕掛けられた天然の罠だ。
「あっちの方がおもしろそう〜♪」
 どうしようかと迷っていた中、ホイミンがパーティを離脱して勝手に動き出す。
「ちょっと、ホイミン!」
 単独行動は危険だと説得するが彼は気にした様子も無くふよふよと、多数の中にある一つの道へと入っていく。慌てて全員がそれを追いかけた。
「何考えんだかねぃ」
 ムーナの問いに答えられるものはいない。
 ホイミンは唐突に周囲を驚かせる言動をする時がある。
 もしかしたら、このままホイミンについていけば出口に辿り着くのかもしれない――と、一瞬でも思ったイサは後悔した。

「あぁもう、不満を言うのも疲れちゃったよ……」
 ムーナがうんざりとした声でため息をついた。
「この洞窟って、もしかしたら巣なのかなぁ?」
「その可能性は大きいですね。これだけの数ですし、卵も幾つか見られます」
 イサが眺めながら呟いた問いに、ラグドが答えた。
「いっぱいだねぇ〜♪」
 この場所へ連れてきた張本人であるホイミンは、何故か楽しそうに言った。
 イサたちが見る先には、数多くのリザードマンたちが徘徊していた。ラグドの言う通り、イサの身長よりも大きな卵がそこらに散らばっている。
「ねぇ……思ったんだけど、もしかしてここを通るの、ホイミン?」
「えへへ〜」
「えぇ!? 嫌だよ、アタイは。あんだけのリザードマン、相手にしたくないよ」
 ここが本格的な巣であるならば、外にいるリザードマンよりも数が多いのかもしれない。それでなくても卵が置いてあるのだから、リザードマンたちは外敵に敏感になっているだろうし、卵を守るべく死に物狂いで襲ってくるだろう。そんな中を通り抜けたいとは、誰も思うはずが無い。
「レムオルは? 姿隠しの呪文の」
「たぶん無理。見えなくなったとしても、すぐに気付かれるよ」
 案を出しては否定し、案も尽きたころ、またもやホイミンが何も言わずにふらりと単独行動を取った。
「どうしたの?」
 ホイミンが向かったのは、リザードマンの集団の方向でもなく、イサたちが通った道でもなく、また別の通路だ。
「誰か、泣いてるよ」
「え?」
 訝しんで耳を澄ましてみたが、時折、コォォォという風の音が聞こえるばかりだ。
「風の……音?!」
 確かに泣き声にも聞こえるが、それは風の音だ。そして風が吹いている方向といえば、外に繋がっているはずである。
「行ってみましょう」
 ラグドにも聞こえたのだろう、先立って歩き出す。この場であれこれ悩むより、少しでも見出せた希望にすがって行動を移すべきだ。

 コォォォォ、コォォォォォ。

 歩くにつれて、風の音は大きく、そして長く聞こえるようになってきた。
 どれくらい通路を進んだのかはよくわからない。かなり歩いたようにも、短距離を歩いたようにも感じられる。もしかしたら、感覚を鈍らせる仕掛けでもしてあるのかもしれない。
 そんなことを考えているうちに、通路は唐突に終わった。
「…………!」
 それを見て、イサたちは思わず息を呑んだ。
 出た場所は、巨大な空洞だった。天井は遥か高く、むしろ見えないほどだ。ここから他にも通路が伸びており、もしかしたらここが全ての道から繋がる中央地点なのだろうか。おそらくこの多岐の通路の一つも、先ほどの大群リザードマンの場所に通じているのだろう。
 そして、その大空洞の四割を占めている物体。大空洞の半分ほどを占めるのだから、それの大きさは凄まじいものだ。
 それが何であるかは、すぐに理解することはできなかった。ただひたすら大きな物体が存在しているという事実のみ、受け入れることができた。

 コオオォォォォ、コオオォォォォ。

 先ほどから聞こえてきている風の音が、ここでは最も大きく感じられる。

 コオオォォォォ、コオオォォォォ。

 風の音と共に、目の前にある物体の壁が緩く動いた。
「……竜……?」
 誰が最初に発した言葉なのかさえ解らないほど、イサたちは混乱していた。
 彼女らの目の前に在る壁は、巨大な竜であったのだ。
 その巨大さは、今まで見た魔物のどれよりも大きい。星降りの山で戦った巨大ボスとロールでさえ、これと比較すれば小型になるのではないだろうか。
 先ほどから聞こえる風は、この竜の呼吸音なのだろう。規則正しく、そしてゆっくりと長く吐き出される。この竜の一呼吸の間、イサたちは何十の呼吸をしているのだろうか。それほどまでに差があるのだ。
 竜は目を閉じているが、もしも瞼を開けたとして、その瞳の大きさとラグドの身長が同じくらいなのでは、とさえ感じられる。
「倒したほうが……いいのかな?」
 冷静になって事実を受け止め、改めて考える。巨竜の近くには、竜の卵らしき物が数多く並んでいる。もしエシルリム地方でのリザードマン異常発生の原因がこれだとしたら、その根源は断つべきだ。
 しかし今のままでは根拠が無く、どうしたらいいのか解らずイサはとりあえず戦闘態勢を取った。
 目の前に在るのが魔物であって竜である以上――さらに卵を守っているのであれば――、竜が襲い掛かってくる可能性を考慮して身構えただけだ。何が起きても対応できる自衛のつもりだったが、傍目から見たら、それは今にも無防備な竜に挑もうとしているように見えたかもしれない。
 だから――。
「やめろぉぉ!!!」
 だから、ハーベストが何も知らずにイサを止めようとしたのも、当然といえば当然だったのである。


 イサたちは唐突な出現を見せてくれたハーベストに驚き、またハーベストもこちらの行動を勘違いしていたため、互いが落ち着くまでに少しの時間を要した。落ち着いたら、その次にやるのは当然、それぞれの事情説明である。
 イサたちは、風魔石を探求しにエシルリムまでやって来た事、風魔石がカンダタに盗まれていた事、それを追ってエシルリム北のシャンパーニの砦に乗り込んだ事、そこで落とし穴の罠にはまって、脱出手段らしき場所に飛び込んだらこの洞窟に来た事、勝手な単独行動を取るホイミンを追いかけるうちにここまで来た事、そして巨竜に威圧され、自衛のために身構えた事を話した。
 なるべくかいつまんで話したつもりだったが、今思えばエシルリムに来てからは何かと忙しく、どうも長くなってしまった。
 そして今度はハーベストたちの番である。
 ハーベストたちが、もともと何か目的があって旅をしているということは、ベンガーナで別れ際に聞いている。しかしその目的というのが何なのか聞いていなかった。
 とりあえず彼らが話してくれたのは、その『目的』のためにエシルリムまで来た事。そしてここ――ナジミの洞窟に来た事だ。
「そういや、途中で魔道士四人組に会ったんだけど、お前ら知らない?」
 ハーベストの言葉に、最初は誰だろうと思ったがすぐに思い出す。東大陸最強の冒険者『マナ・アルティ』である。そういえば、彼らはもともとリザードマン異常発生の原因を調べているのだった。もし、この巨竜がそれに関与しているのだとしたら、ここを調査するのは当然のことである。
 ハーベストの話によると、『マナ・アルティ』はナジミの洞窟が怪しいことまでを調べ、いざ洞窟内に入ってみたらリザードマンがうじゃうじゃ……とのことらしい。
 この洞窟では、シャンパーニの砦地下と同じく精霊魔法の威力が著しく低下し、魔法を主とする『マナ・アルティ』にとってそのペナルティは厄介なことだ。それでも戦えることは戦えるのだが、魔道士なだけにあって体力不足はどうしようもない。
 卵を守るべく外よりも凶悪になっているリザードマンの大群を突っ切る自信もなく、撤退するはめになったそうだ。
 その際にハーベスト一行と出会った、ということらしい。
「って……ちょっと待って。あなた達が通って来た通路って、そこよね?」
 イサが指したのは、方向感覚があっていれば、先ほど目にしたリザードマンの大群場所に繋がっている通路である。
「そうだけど」
「なんで無事なの?!」
 さも当然、とでもいうように言われたので、逆にイサが狼狽してしまった。
「それは――」
「それはねぇ、アタシのおかげなのよ!」
 ヴァンドが言いかけたのを遮り、リシアが胸を張って笑う。ヴァンドは寡黙な印象があるのだが、もしかしたらリシアのせいかもしれない……。
「エルフっていうのは生まれながらにして精霊魔法の使い手でね、アタシはその力をより強く受け継いでいるの。それでアタシが最も得意なものは結界魔法なのよ。そしてその結界魔法の一つである――」
「あぁ、そうか! 『メダパマニック』だね!」
 リシアの言葉を遮って、今度はムーナがぽんと手を叩く。彼女はふと思い出して口に出したつもりだが、結果的にはリシアの会話を邪魔したことになる。見れば、彼女は不満顔だ。ならば自分でもやるなよと言いたい所だが、今はそれよりも気になることがある。
「メダマ……パニック?」
「違うよ『メダパマニック』。自分にその結界を張り巡らせることで、相手に自分を味方と思い込ませるものなんだよね」
「へぇ、人間の割には意外に知ってるのねぇ」
「いろいろ調べているうちに、ね……」
 リシアの素直な賞賛に対して、ムーナは曖昧に答えて肩をすくめた。
「ともかくそれ使って、リザードマンたちのど真ん中を堂々と歩いてきたわけ。仲間が歩いているのを、いきなり襲い掛かったりしないでしょ」
 そりゃそうだ。
「だいたいは解ったけど……それでハーベスト、あなたこんな所に何しに来たの?」
 最も解らないのはそこだった。彼らの旅の『目的』が何なのかも解らないが、こんな辺鄙な所にわざわざ赴くなど、尋常な事ではないような気がしたのだ。
「ん〜……ちょっと、な」
 そう言って、彼は歩き出した。
 眠っているであろう、巨竜に向かって……。


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