4.森林妖精



 息を潜め、感覚を研ぎ澄まし、獲物を睨み据える。標的は、真っ白で美味そうな野兎。下手をすれば今日も木の実。上手くいけば今日は兎鍋。久しぶりに、豪華な食事にありつける。
 あと少しだ。あと、少し。
 当の野兎は、何かを感じ取ったようにピクリと顔を上げて周囲を見渡した。それから、何も無かったせいか、また姿勢を戻しそこらを跳ね歩く。
「今だっ!」
 少年の大声に驚き、野兎はビクリと一瞬動きを止める。その一瞬だけで充分である。仕留める一瞬と同じ瞬間なのだから。
 剣を抜刀すると同時に斬りつけ、相手の動きを封じる。まだ殺しはしない。なるべく新鮮なままで食べるためには、なるべく傷つけずに動きを封じる必要がある。
「頂きぃっ!」
 赤い髪が、木の合間を踊り出た。赤い髪を無造作に伸ばした少年は、まだまだ幼い年頃である。その見た目は十歳程度だろう少年は、兎の耳を強引に掴み上げて掲げて見せた。
「よっしゃ! 晩飯ゲットぉ!!」
 幼いはずの少年の瞳は、どこまでも力強さを秘めていた。
「……けど、足りねぇ」
 今日の飯はありつけた。だが、足りない。これだけでは、満足できない。狩人の名にかけて、一流の狩人を目指すには、兎一匹では満たされない。食べるためではない、狩人の名誉のために、狩りたい。
「……エルフ……どこにいやがるんだ!」
 その少年の名は、ハーベスト。ハーベスト=カエイルと言った。


「カエイル?」
 旅の扉を抜けて、エルフの森周辺まで瞬間移動したイサたちは、既にエルフの森へと入っていた。
「えぇ、なんでも一流の狩人だったとか」
「だった、って……?」
「私が話を聞いた頃には、既に他界してらしいのです」
 ラグドが話している人物の名前はベクチャイルマン=カエイルという、ウィード出身の狩人のことである。エルフの森へと赴き、そこで狩りの腕を鍛え上げ、いつしか世界一の最高の狩人とさえ言われている。
「ベクチャイルマン殿は、あの武器仙人の師匠だったとかいう噂もあります」
「へぇ〜」
 ウィードと武器仙人の間柄は、かなり友好的だ。真相は誰も知らないが、なんでも現ウィード王が遠征中に危機に陥った時に若い頃の武器仙人が助けたとかなんとか。
「その人ってさぁ〜。ミスリルドラゴンも斃したよね〜〜」
 くるくる回転しながらアハアハ言っていたホイミンだったが、いつの間にか回転を止めて会話に参加していた。
「ホイミン。お前、何故そのことを……?」
「魔物たちの間じゃ有名だよ〜。ミスリルドラゴン……ゼルファーディア様が人間に斃された〜って」
 魔界人という名も、単なる飾りではないようだ。この間の抜けたホイミスライム、阿呆でバカだが、一応知識があるらしい。
「ゼルファーディアって? ミスリルドラゴンのこと?」
「うん、そうだよ〜」
 人間たちがミスリルドラゴンと呼び、魔界の住人がゼルファーディアと呼ぶ。その魔物は、魔王ジャルートと同じくらいの力を持つと言われていたドラゴンの中のドラゴンである。まぁ、ベクチャイルマンに倒されたのだから、知名度は下がる一方だったが。
「ここで、そのベクチャイルマンって人が修行したんだぁ……」
 イサは周囲をくるりと見回した。そんな歴史があるこの森を、あらゆる角度から見てみたかったのである。緑一辺倒だが、一言に緑と言っても様々で、飽きることがない。だがそこに、一瞬だけ違う色が見えた。
「ラグド、ホイミン!」
 風の爪を両手に素早く装備して、姿勢を屈める。イサの独特の戦闘態勢である。
「どうしました?」
「なにか、来る!」
 ホイミンは不思議そうに周囲を見渡し、その間にラグドは槍を召還した。大地の槍と呼ばれる、グラウンドスピア。地面に突き刺すだけで、思いのままに大地を操れる『伝説級』の代物だ。
 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。それほど、周囲は静寂なのだ。
 数秒が過ぎた。
 何も来ないのか、とそろそろ警戒を解こうとしたのと同時である。
「おらぁっ!!」
 頭上から、赤い髪の人間が降ってきたのである。
「上?! ――『閃風砲』!」
 イサが扱う武闘神風流は、風の力を使うものがほとんどだ。魔法ではないが、魔法的作用を及ぼすものもある。イサの振るった腕の軌道から、風の衝撃波が空中を飛ぶ。それを身に受けて、踊り出てきた少年が真上に吹き飛ばされた。
「これくらいで――!」
 持っていた剣が、光輝いて形が変わる。それは、弓矢となっていた。
「ウェチェンジ……? 冒険者?!」
「ウィンド・アロー!」
 上空に浮き上がった姿勢のままで、少年は弓矢を放った。
「くっ!」
 ラグドが素早く武器を変える。巨大な槍は、巨大な盾へと変化。この盾、グレイヴシールドは真上に翳すと、三人を庇えるほど大きな盾だ。それを頭上にやり、矢を受け止める。
 矢の衝撃が、盾を持つラグドの腕を何度も痺れさせる。
「……これは、精霊力か?」
 ただの弓矢ではない。矢を受け止めたときに、なんとなくだが確信できた。
「たぶん、矢にバギの呪文を乗せて撃ってるんだわ」
 全員を庇える分、頭上の様子がわからないので盾を素早く槍に戻す。
「さっきの子は――?」
 上空にはいない。
「おぉぉ!」
 上でも、下でも、後ろでも、横でもない。正面。その少年は前から攻めてきたのだ。手に持つものは、剣に戻っている。
「くっ!」
「イサ様?!」
 爪で刃を受け止め、押し合いが続くかと思われたが、少年の鋭い目がいきなり変化する。
「あれ? エルフじゃねぇ?!」
「……え……?」
 イサと同じ――いや、それよりも小さい背の少年の眼は、さっきとは全く別人のようだった。


「俺の名前はハーベスト。ハーベスト=カエイルだ」
 先頭を歩きながら、彼は名乗った。今では、すっかりと歳相応の表情を見せている。
「私はイサ。イサーリン=ラウ――あ、いや、ただのイサよ」
 今は冒険者なので、身分を明らかにするわけにはいかない。そういう区切りをつけておかないと、どうなるか解かったことではないのだ。
「我が名はラグドだ」
「僕ホイミン〜」
 身分を偽っても、ラグドはいつもの鎧――つまりウィードの『風を守りし大地の騎士団』団長専用の鎧を纏っているので、あまり隠しても意味がないかもしれないが、この少年は全く何も気付かなかった。
「……カエイル? カエイルって、確か……」
 ハーベストの姓名を聞いて、イサは同意を求めるようにラグドを見た。
「お主、もしやベクチャイルマン=カエイルの……」
「んあ? ベクチャイルマンなら、俺の爺さんだったかな? いや、曾爺さんだっけ? ん〜、親父ってわけねぇよなぁ」
 とりあえず、血縁なのは間違いないらしい。
「でも、どうして私たちをいきなり襲ったの?」
「へへ、悪ぃな。実はお前等をエルフと勘違いしちまって……」
 エルフにも色々あるが、イサたちはどこからどうみてもエルフには見えない。
「勘違いとは……何か、我々に勘違いになる要因でもあったのか?」
「ん〜。強いて言うなら、俺の直感だ」
 彼の言い分なら、ハーベストは直感だけでウィード国の王女を襲ったことになる。今は別に王女ということを知らしめることはしないのだが。
「っと、着いたぜ。ここが俺の寝床だ」
 大木をくりぬいて作ったのだろう。中には木製の寝台、獣の毛皮で作った布団。中央には何度も火を起こした痕跡、その他様々なものがおいてあり、生活するには充分なものがあった。
「へ〜」
 イサは慣れた王宮より、こうしたアウトドアな生活を好んでいる。何度もこっそり城を抜け出し、山で野宿した時さえあった。
「勘違いで襲った礼だ。兎鍋作るから、待っていてくれよ」
 実際の年齢を聞くと、イサと同じ年齢らしい。それでもイサと身長が変わらないので、男ということだけあって余計幼く見えるのだろう。イサの周囲には背の高いのが多く、同年代でこれくらいの身長がいる、という事実だけで彼女は気分がよくなったらしい。

 そして、夜。
 兎鍋を突つきつつ、イサたちとハーベストは座談を楽しんでいた。
「なんでハーベストはエルフを狩ろうってしてるの?」
「ベクチャイルマンが有名な狩人ってことは知ってんだろ? それで、さ。俺は、いつかあの人みたいな狩人になりたい。いいや、なってみせる! そのためには、エルフを狩って、有名になるんだ。第一段階としてな!」
 上を見上げ、ハーベストは右手を掲げる。その手を握りしめた。強く、とても強く、彼の決意の強さの表れであるかのように。
「しかし、エルフはその名の通り妖精。狩ったら、どのような天罰があるか解からぬぞ?」
 ラグドは食事中でさえ鎧を着込んだままだ。実はこの鎧、ほとんど重さがなく、また熱も篭もらないし動きやすいのであえて外す必要がないのである。寝る時はさすがに外すが。
「世間には知られてないけどな、ベクチャイルマンは過去に一度エルフを狩ったらしいんだ」
「そんなバカな! ベクチャイルマン殿は、純粋で、エルフを狩るなどという愚行はしないはずだ!」
「……ベクチャイルマンの日記にあったんだよ。一言だけ『今日、エルフを狩った』ってな。つーか、遠まわしに俺の行動を愚行とか、純粋じゃねぇって言ってなかったか、今……?」
「ム……すまん」
 別にいいけどよ、と鍋の中身がなくなったからかハーベストはその場に寝転がった。と思いきや、規則正しい寝息が聞こえるあたり、その場で眠り込んでしまったらしい。

 ――。
「……眠ったのか?」
「らしいわね」
「どうする?」
「どうする、ですって?」
「他の人間だ。今出て行けば、鉢合わせだぞ」
「いいんじゃない? 悪い人じゃなさそうだし」
「リシア。少しは人間という種族を警戒しろ」
「あらヴァンド。別にいいじゃない」
 ――。

「あれ……?」
「どうしました、イサ様?」
「ん。いや、なんか気配が……」
 上を向くと、天井は思ったより高い。そこに何かが潜めるようなスペースは存在しないので、気のせいかと焚火のほうを向き直った。
 しかし、今先ほどまで身体を温めていた炎が消えていた。水をかけた様子も無く、まるで最初から火などついていなかったかのように。イサが頭上を見た一瞬後に、その火は消えていたのだ。
「これは……」
 ラグドが立ちあがって、警戒態勢を取る。続いて、イサが風の爪を両手に填めた。
「あ〜、ちょっとちょっと。ねぇそんなに警戒しないでよ」
 向かってきたのは攻撃でも殺気でもない、ただの陽気な女性の声だ。
「え?」
「こっちには戦う気は無いわよ」
 すっかり辺りは暗くなっているが、しかし家の前に立っている人物は何故かくっきりと姿が確認できる。身体自体が、薄く発光しているように見えるのは、目の錯覚であろうか。長身で、白い肌、金色の長い髪、左右で色の違った瞳、そして人間よりも尖った耳。
「あなたは……いえ、あなた達は?」
 最初は気付かなかったが、呼びかけた女性のすぐ後ろに、一人の男性が立っている。青墨色の髪、同じ白い肌、長身の女性よりも高い身長、左右で色の違う瞳も共通であり、尖った耳も、また。
「あ、アタシたち? アタシの名前はリシアル=サーベルティ。リシアって呼んでね」
「俺の名は、ヴァウンディル=シーボレドゥ。……ヴァンドだ」
 家に踏み込みつつ、彼女等は自己紹介。名乗ったとろこで、イサたちは警戒を解いたわけでなない。
「そう警戒するな。……兎は旨かったか?」
「……ほぇ?」
 警戒という言葉を忘れ、ヴァンドと名乗った男性の言葉に対し、イサは何とも間の抜けた答えを返した。
「俺達は本来、肉は食わないから味は解らないが……。こいつに狩らせているんだ」
「どういう、ことだ?」
 さすがにラグドはまだ警戒態勢を解いていない。いつでも武器を召還できる状態だ。
「話せば長くなるか短くなるか……。例え短くとも、お前達人間には長く感じるかもしれんな」
「……お主等、まさか?!」
 ラグドが警戒を解いて、驚愕の表情で――髪のせいで解かりづらいが――聞いた。
「あぁ、俺達は――」
「んふ♪ エルフなの♪」
 ヴァンドの台詞に、リシアが続いて言った。

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