39.侵入試験


「終わった、の……?」
 イサはまだ信じられないといった顔で聞いた。
「えぇ。終わりましたよ」
 さも当然というように答えたのはラグドである。
「だ、だって! そんなの聞いていなかったよ」
「いつになるかは分らないので、常時警戒するようにとは言われていました」
「なんで起こしてくれなかったのよー!」
「そんな恐れ多いことできませんよ」
 今にも噛み付きそうな勢いで迫るイサに対して、宥めるように対応するラグド。駄々っ子と悟りきった大人のように見えるのは何故だろうか。
「楽しみにしてたのに……」
 今度は泣きそうになりながら訴える。
「……訓練にはなりました。他の兵士達も良い経験ができたと思います」
 そんなイサとは無関係に、淡々と報告を済ませた。だからイサがむくれてしまったのも当然のことであり、腹いせにラグドに飛び掛ろうとしたのも、感情が先走ったということだ。しかしあっさりと躱されてしまったものだから、本気で泣きかけたのは秘密にしてほしい。
 終わった、というのはウィード城を会場にした盗賊ギルドの入門試験である。
 試験内容は、受験者がウィード城に忍び込み、指定の品を盗んでいくという言わば借り物競争のようなものだ。ウィードの兵士に捕まった者、盗めなかった者は失格となる。
 ギルドに対して、イサの父親であるウィード王が体裁を気にしたために、わざわざ風磊探求の旅を一時中断したのだ。どうせだから自分の手で盗賊の一人や二人を捕まえてみたいと思っていたイサだったので、落ち込んでしまうのも無理はないことかもしれない。
 まだ未練があるのか、まだ何かを言いかけたイサに、別の人物から声がかかる。
「残念そうですねぇ、イサ様ぁん」
「サラ……?」
 白衣の天使として有名な、というのは彼女の自称で、サラことサーライブ・リカバーはウィードの『風を守りし大地の騎士団』医務士団団長でありながら変わり者として有名である。
「どうしたのだ、こんな所で」
 ラグドもあまりいい相手ではない人物と遭遇してしまったなと落胆したのも、彼女が男を実験台としか見ていなかったりするからで、どうも苦手意識を持ってしまうらしい。ラグドの騎士団団長という立場上、医務士団とは関わりが深いため、何かいろいろあったのだろうか。
「こんな所で? それはあんまりねぇ。ここは食堂よ、私がいても良いじゃない」
「……そうだったな」
 ラグドが溜め息交じりに言ったのも、彼女の言う通りイサと彼がいる場所が食堂であり、そんなことを忘れてしまうほどサラに気を取られてしまったからだ。
「それにしても、私も残念でしたわ。女盗賊が一人もいなかったんです。あわよくば捕まえてこっそり専属の盗賊になって貰おうと思ったのに」
「堂々と言うべきことではないな」
 うんざりとした顔でラグドが口を挟む。
 彼女が変わり者として噂されるのも、こうした会話がそこここに筒抜けになっているからだろう。
「こうなったらイサ様で我慢を……」
「え?」
 サラの目が怪しく光る。
「よせ」
「い〜い〜え〜〜。ムーちゃんもいないしぃ、最近は欲求不満だしぃ、頂いちゃおうっかなぁ〜」
 サラの笑みが段々と怪しくなっていく。黒い笑みとはこうしたものを云うのだろうか。
「主君を何だと思っているのだ」
「女の子。キャハ、言っちゃった〜♪」
 何故か頬を朱に染めて照れるサラ。
「お前は……」
 ムーナがいないことが、どれだけ大変なことかが今のラグドは悟っているに違いない。サラは唯一、ムーナに頭が上がらないような素振りを見せるのだ。完全に、というわけではないが、ムーナは間違いなくサラ暴走の歯止めになっている。そのムーナが今は特別休暇中で港町アショロへ赴いているものだから、サラはやりたい放題ということになるのだ。
「まぁそれは冗談として……」
 本当だろうな、と疑いながらもラグドは椅子に座りなおした。
「ラグド騎士団長。ウィード王がお呼びです」
 肘をテーブルにのせ、組んだ手に顎を乗せて寛いでいる状態で、微笑みながらサラは真剣な声を出した。あくまで声だけが真剣だったので、危うくラグドが聞き逃すところであった。
「何故それを早く言わない!」
「私にとって女の子といちゃいちゃするほうが大事だからよ」
 これは真面目な表情で真面目な声。何か間違っている。しかし何故だろうか、この時のサラには信念さえ感じられた。
「なんでサラがそんな伝言を預かっているの?」
 イサの疑問も当然で、普通なら近衛兵か側近の者たちが迎えに来るはずだ。
「定期健診のついでですよ」
「あぁ……」
 言われて納得する。そういえば、サラはウィード王の専属医でもあるのだ。とはいえ、さすがに王様相手には妙な薬の実験を試したりしないので、ウィード王も一応安心している。
「謁見の間だな?」
 ラグドが確認して、サラが頷く。慌ただしく立ち上がり、食堂を出て行こうとするラグドをぼんやり見ていたイサだが、すぐに妙な視線を感じた。
「……私も行こうっと。じゃあね、サラ!」
 妙な視線、というのは当然サラのもので、本当にイサに襲いかかりそうだったのは確認せずとも理解できた。あれ以上その場に留まっていたら、イサがサラのランチになり兼ねなかったのだ。
「まぁ、いいけどね」
 ラグドを追って食堂から出て行くイサを見送って、サラはぽつりと呟いた。自分のところへ相談しにきたのを忘れたかのようにイサは回復しているようだ。医者としても、それは喜ばしいことである。
「でも……」
 既に他の兵士たちが出入りしている食堂出入り口を見ていたサラの目が細められた。
「惜しかったなぁ……」
 あのままイサが留まっていたら、本当に頂いてしまうつもりだったのだ。


「追試、ですか?」
 ラグドが訝しそうに聞き返した。
「追加試験のことも、略せば追試になるか。だが、お前の思っている追試は追試験だろう」
 ウィード王の言葉にラグドが首をひねる。どう違うかが分らない上に、何故それを自分だけに言うのかも分らないのだ。隣にいるイサもどういうことなのかさっぱり分らず、しかし何か面白そうなことがあるとは感じ取っていた。
「先日行われた盗賊ギルドの『入門試験』は終了した。だが、今回は『昇格試験』なのだ」
 今からそう遠くない時期に、ギルドの人間が盗賊から暗殺者へ昇格した。とはいえ、それはまだ正式なものではなく、対象者に秘密裏に命を下し、それが実は昇格試験であることを隠して実行させるのだ。これは対象者も知らない事実であり、ただの初仕事として任命される。
「ちょうど入門試験が終了し、またウィード城に侵入する口実ができるということだ」
 入門試験は、ウィード城内にある指定された物品を盗むものであった。もちろん、全て偽物(ダミー)が置いてあり、それを盗むことに成功すれば合格ということになる。
 そして盗賊ギルドが提案し、ウィード王が合意した口実。
 それは、入門試験にて『風神石』のダミーを盗むべき人間が、間違えて本物を盗んでしまったということにし、それを元の場所に戻す。これが昇格試験の内容である。
 ウィードの兵士たちは一度盗みに入られたので、盗賊の実際の手口は大体掴めているだろうし、今回は一人で狙われる場所も特定されている。入門試験の時よりも警備が厳重になり、入門試験ではみすみす盗賊を逃してしまった兵士たちもいるので、彼らの士気も上がっているだろう。
「とはいえ、さすがに兵士たちを総動員したら何かおかしいと思われるかもしれない。そのため、『風を守りし大地の騎士団』の騎士団のみで警備することになった。ラグドよ、お主をこの警備隊長に命ずる」
 まだ呆けて聞いていたようなラグドだったが、ウィード王の言葉でハッとした。
「解かりました。やりましょう」
 任命されたからには確実に遂行する。ラグドが警備していた一帯では、盗賊を数人見事に捕まえたとかなんとか。
「風の精霊力を制限して、ルーラとキメラの翼を使用不可にしておく。あっさり逃げられることはないはずだ」
 ウィード王家の力。それは風の精霊を従えさせるもので、ウィード王はそれを完全に使いこなすことができる。死と守りの嵐(デス・バリア・ストーム)を管理してもいるうえ、ウィード城内での範囲なら風の精霊力を制限することも可能だ。
「そしてイサよ」
 話の内容を興味深げに聞いていたイサにウィード王が声をかける。
「なに、お父様?」
「三日後、ウィード国外に行ってみぬか?」
 唐突に聞かされたウィード王の言葉を理解するのに、イサは何秒間費やしただろうか、
「え……えー!? お父様が? 『国外に行ってみないか』って!?」
 混乱でもしているのか、聞いた言葉を繰り返しながら、今一度何を言われたのか確認しようと努める。あれだけイサが外へ出て行くのを快く思っていなかったウィード王自らが、そんな発言をしたのだから、驚くなというほうが無理な話だ
「でも、なんで!?」
「ふむ……。ちょっとした有利条件(ハンディ)でな。実は、お前がお忍びで三日後に何処かへ行くという事でデス・バリア・ストームの風を一時止める、ということになっておるのだ」
 イサの驚きが一気に冷めたのは言うまでもないことである。
 もちろんイサは反対し、このことはただの情報としか伝えられなかった。


 そして三日後。
 一時的にデス・バリア・ストームの風が止み、受験者はウィード国内へ入っているはずだ。
 相手は夜中に忍び込んでくるだろうから、と今日ばかりは徹夜をする意気込みで、イサも警備に参加した。今はすっかり夜になり、星空が見える中、イサはラグドと共に城壁付近の内庭を回っていた。
「しかし、今日のうちに忍び込むとは限りませんよ」
 最初はただの様子見に来るかもしれないし、いつ来るかなどは全く解かっていない。解かっているのは、宝物庫に忍び込まれることと、相手がウィード国内にはいるということ、それから相手は一人というが、仲間を呼ぶ可能性というのもある。受験者はこれが試験であると知らされていないので、どんな手段を使ってでも成功させてくるだろう。
「なんとなく、もうすぐ来そうな予感がする」
 こうした勘は大抵当たる。というのはイサが思っていることであり、実際は半々の五割確立だ。
「城下町で一騒動あったらしいので、慎重になっていると思いますがねぇ」
「え、なにそれ?」
「いえ。今日来たという冒険者風の男が酒場で喧嘩をし、魔法を使って酒場もろとも吹き飛ばした、というような報告があったので……」
 実際は、とある冒険者が仲間内で口喧嘩したのがエスカレートし、街中で閃熱光呪文(ベギラマ)をぶっ放した、というのが正確なものである。噂というのは尾鰭がつくもので、ラグドの所へ報告が行った時は被害状況が三倍になっていた。
 しかし、そんなことがあっては騒ぎが忘れられるまで身を潜めているかもしれない、事実、そうした報告により騎士団以外の警備状況がやや厳しくなっているのだ。
「あーあ、それじゃあ今日は本当に来ないのかなぁ?」
 せっかく徹夜するつもりだったのに、と残念そうに首を振りながら、何気なく城壁に沿って草木を見やった。夏らしい若葉の草木は、夜の闇に溶けて昼間では味わえない雰囲気をかもし出している。
 そこに、明らかに不自然な色を発見した。
 何かが発光しているような、蛍の類にしては不自然すぎる光。
 それに、全く隠しきれていない人の気配。隠れようと努力はしているらしいが、ここまで丸わかりの気配というのも珍しい。そして、普通の兵士などだったら、わざわざ隠れている必要はない。ならば何故隠れるのか。見つかったら困るからだ。つまりそこにいるのは――。
「敵襲ぅぅぅーーー!!」
「イサ様、号令が違います!」
 ツッコミを入れる場所が正しいような正しくないような。
 襲ってもいないのに敵襲はないだろう、と今頃相手は思っているかもしれない。
 ともかくイサの号令を聞いた兵士たちがぞろぞろと集まり出してくる。
「イサ様はお下がりください」
「え、ちょっと……!」
 お下がりください、と言いつつも、ラグドはイサの小さな身体をひょいと持ち上げ後退し、一般兵士たちに任せる。
「騎士団長は兵士たちを指揮することが課せられています。イサ様も、指揮をやりたかったのでしょう?」
 わざとか、素でそう思っているのか、勘違いのラグド。イサとしては自分で相手を捕まえたかったのだが。
 そのことを言おうとしたイサの言葉が、ある妙な音で遮られる。

 ――バコッグヒャビビグルキョキョカカカジュァツポニュァァッゴブハァグフッボズガァァァ

 何がこんな音を出すのか、音の元は侵入者から遠く離れた所からで、兵士のほとんどがそちらの方を向いている。イサやラグドでさえ、何をどうしたらこんな音が聞こえてくるのか興味があった。
 しかし、目先の侵入者が先である。離れた場所に気を取られていたとしても、二,三人も回せば充分だろう。
「……む、向こうだ!」
 数人の兵士が口々に言いながら向かう。大半は残ったので、侵入者がいるだろう茂みを包囲することができた。
 あの妙な音は侵入者の仕掛けだろう。じっと警戒していたところ、もう大丈夫だろうと思ったのか、一人の男が茂みから顔を出す。
「出てきたな!」
 兵士の一人が言うが、イサたちからの場所では確認できない。どんな人物なのだろう。
 兵士の一人が詰問したらしく、侵入者が何かを言ったらしいが、これもイサとラグドのところまで届くことは無かった。相手も何人か出てきているようだが、こう暗くては人数も数えきれない。
「うわあぁ!」
 何人かの兵士が一斉に狼狽する。見れば、赤い炎が彼らに巻きついているではないか。発火ではなく、魔法的な現象だ。しかし、その炎は兵士たちを本格的に焼かず、大したダメージにはなっていないようだ。もしかしたら幻覚なのかもしれない。
「冒険者がいるの?!」
 魔法使いか何かがいるということは、冒険者かイサと同じ魔物殺(モンスターバスター)としての力を持っているはずだ。偽者であろう炎のおかげで、なんとなく侵入者の影が見えた。大きな斧を持った男のようにも見えたが、確認し終える前に逃げ出した。
「追わなきゃ!」
 イサが叫びにも似た声で言った事を、ラグドは冷静に兵士たちへ的確な指示を出す。どうやらその辺り、イサは指揮官には向いていないようだ。
「しかし、魔法を使う相手ですか。皆、魔道士団との合同稽古で何度か手合わせをしたくらいしか経験がないはずです。少々厄介ですな」
 魔法使いの戦いは千差万別である。ムーナのように接近戦でも魔法を行使する者もいれば、結界を使用したりする者、幻覚魔法を主にする者をいる。『風を守りし大地の騎士団』の魔道士団では、どうしても統制を取ることが目的とされ攻撃パターンが一体化されやすく、騎士団の魔法使いに対する戦闘の経験は乏しいのだ。
「だったら私たちの出番じゃない。相手が冒険者である以上、闘っても文句はないでしょ」
 うきうきとしながら、イサは期待の眼差しをラグドに向けた。
「闘うって……。素手で、ですか?」
「へ……?」
 言われて、両手を確認。そこにあるべき手甲と、その手甲から伸びる凛々しい爪はどこにもなく、そこにはただ少女らしく柔らかそうな手があるだけだった。
「ああぁあぁぁ! 飛竜の風爪、部屋に忘れてきちゃったぁーー!」
 冒険者との戦闘になるとは想定していなかったので、部屋に置き去りにしたのを今思い出したイサは、心の底から驚いたのか激しく狼狽した。武闘を主にするイサは素手でも闘えるといえども、相手は兵士たちを怯ませるほどの実力者のようだ。素手では心もとない。
 今から取りに行って間に合うはずもなく、とにかく侵入者を見失わないことを優先すべく彼らを追いかけた。なんとか追い詰めたものの、冒険者たちの抵抗が激しいのか、兵士たちは攻めあぐねているようだ。イサとラグドの場所からでは、暗くて現状が把握できない。
「仕方ありませんな」
 ラグドが地龍の大槍を召還する。自分が出て侵入者を仕留めることに決めたらしい。イサも行きたいのは山々だが、素手ということを自覚しているのでそれも躊躇われる。せめて侵入者の顔だけも拝んでおこうかとラグドの隣を駆け出そうとしたところに、間の抜けた声がかけられた。
「イ〜サ〜様〜〜♪」
 聞き覚えのある声。風雨凛翔の回復役にして魔界の男(オス?)。ホイミスライムのホイミンである。
「ホイミン?! あなた、今まで何処にいたの?」
 ベンガーナから戻ってきて以来、イサはホイミンと会うことはなかった。今まで城の中を自由気ままに移動していた彼なので大して気にはしていなかったが、こうも会わないとムーナ達と一緒にアショロに行ったものと思っていた。
「えへへ〜。そんなことよりぃ〜」
 答えをはぐらかして、ホイミンは触手をイサの前に差し出した。その触手からぶらさがっているもの――。
「飛竜の風爪! 持って来てくれたの!?」
 風磊が入るらしい窪みのある手甲。それから伸びる雄々しい爪。龍具の複製品である飛竜の風爪が、ホイミンの触手にぶらさがっていた。もちろんのこと、今は風神石が外されている。
「ありがとう、ホイミン!」
 飛竜の風爪を装備して準備万端。これで闘える。
「って、あれ?」
 装備するのを待っていたラグドと共に、改めて侵入者たちのもとへ向かおうとしたところ、信じられない光景を目にした。
 美しく輝く水に侵入者たちが包まれたかと思うと、それはあっさりすぐに消えた。
 キメラの翼やルーラは使えないはずで、その消え去り方も前二つとは異なっていた。むしろ、『旅の扉』に飛び込んだ時のようなワープに近い。近いというよりも、ワープそのままだ。
「あ〜もう! 逃げられちゃったじゃない」
「そうですなぁ」
 イサが悔しがるが、ラグドはあくまでのほほんと答えた。
「せっかく追い詰めたのに」
「結局、あの者たちは何をしに来たんでしょうな?」
「私が知るわけないじゃん」
 イサがふてくされるのも当然で、ようやく闘えるように準備できたのに相手に逃げられたこともあるからだ。それにラグドの疑問も最もで、侵入したわりには何もしていかなかったのだ。途中から仲間が抜け出して宝物庫に向かったようには思えなかった。いや、もしかしたら発見前に仲間が宝物庫に赴いていたのかもしれない。一瞬ではあったが、城の兵士の格好をした男が一人、侵入者たちと一緒に消えていったようにも見えたからだ。
 そしてその憶測は正しく、宝物庫には無事に風神石の代理石が返却されていた。

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