36.風磊影響


 イサたちの帰還。
 このことはすぐにウィード王の耳に届いた。帰ってくるのがいつになるか分らなかったために、帰還の無事を祝う宴会などは開かれなかったものの、イサたちにとってもそちらのほうが気楽であった。
「ふむ、風魔石はベンガーナにはなく、エシルリムか……」
 報告を終えて、ウィード王は一息つくと残念そうに言葉を漏らした。ベンガーナとの戦いが魔物の陥穽であったために、イサたちを危険な目にあわせてしまったことを悔やんでいるのだろう。とはいえ、『風磊』の探求で危険がつきまとうのは当たり前だが、その辺りは親の心境というものがある。
「ともかく、その国に行かないと何も分らないと思うの」
 イサの言葉通り、魔道国家エシルリムはウィードと関係が何一つないために、誰でも知っているような噂くらいしか情報がないのだ。現地に行かなければ、得るものは何もない。
「いや、少し待て」
 許可を貰おうとする前に、ウィード王がイサよりも早く言葉を出した。
「え?」
「しばらくの間だが、城に留まってくれ」
「どうして」
「公務で、だ。盗賊ギルドとの合同試験が間もなく開始される。その場に王女が不在というのは、どうも居心地が悪くなるそうでな」
 イサはすっかり忘れていたが、ウィード城そのものを使い、盗賊ギルドの入門試験が行われる。盗賊ギルドと友好関係を築いている以上、その場に王女がいないのは相手の不信を買うかもしれない。とはいえ、言ってしまえば、単に体裁を気にしているだけのだ。
「……それじゃあ、試験終了後に出発するわ。これでいいんでしょう?」
 イサは嫌そうな顔をしたが、留まることを認めたようだ。
「うむ。あぁそれとムーナ」
「はい?」
 唐突に呼ばれて、また何か手紙を届けて来いと言われるのかと思いながらムーナは顔を上げた。
 しかし、今度は仕事ではなかった。
「お前には、特別休暇を与える」
「はーい。って……はいぃ?!」
 一度は返事をしたものの、すぐに内容に気付いて声を荒げた。
「いきなり何ですか。特別休暇って……」
「特別休暇とは『風を守りし大地の騎士団』の団長のみに与えられる特殊休養期間。ただの休暇とは違い、身体に負担のかかる訓練及び研究が禁じられる安静休養で、王命令でしか与えられない休みのことだ」
 隣からラグドが口を挟むが、そんなことくらい知っているよ、とムーナに睨まれてしまった。
「伝書鳩が届いておってだな」
「誰がそんなもの書いたんですか……」
 言いかけて、ハタとムーナは言葉を切った。思い当たる節があったのだ。そんなことをするのは、リィダくらいしかいない。そういえばあの後、伝書鳩の書き方を教えてくれと頼まれたような、そうでないような。
「ともかく決定事項だ。安心しろ、『風磊』の探求が再開する頃にはその期間を解いてやるつもりだ」
「ありがたいような、ありがたくないような」
 まだ不満顔のムーナはとりあえず納得したようだ。
「うむ、それではしばしの間、みなは休息を取ってくれ」
 王の言葉を最後に、それぞれ解散ということになった。


 それぞれベンガーナに行って思うことがあったのだろうか、気が付けばバラバラに行動していた。ムーナは何となく歩いていたのだが、その後ろをとぼとぼとリィダがキラパンをつれて一緒に歩いている。
「だけど、どうしたもんかねぇ……」
 特別休暇を与えられたからには、魔法の研究も訓練も禁じられている。魔道書をめくるぐらいなら大丈夫なのだが、それ以外にすることが思いつかないのだ。
「ごめんっす、姉御……。でも、少しでも休んでもらいたくて」
 もうばれてしまっていることに、さすがのリィダも気付いたのだろう。申し訳なさそうな顔でムーナを見ている。隣にいるキラパンは理由を知らないので、なんだか不満そうだ。
「いいよ。アタイのことを思ってのことなんだろ。責めるわけにゃいかないよ」
 リィダは、ムーナの身体のことを知っている。そのせいでいつしか余計なことをしでかすのではないかと多少不安に思っていたが、まさかこうにも早く行動に出るとは思いもしなかった。それでも、自分を気遣ってくれるこの不幸少女が、どことなく嬉しく感じた。
「せっかくだから、アタイの別荘にでも一緒に来るかい?」
「別荘っすか?」
「そ。アショロに作っておいたんだ。もしものためにってね」
「もしもってどういう場合っす?」
「今みたいな場合だよ」
 やれやれとため息をつきながら、ムーナは歩く向きを変えた。とりあえず、イサたちに一言伝えておかなければ、あとで散々怒られるかもしれないからだ。広い城内、イサが行く場所に大体の見当はついていた。


 ムーナがリィダを連れて歩いているころ、イサは城の外にある高台に来ていた。そこに、ぽつりと、しかし綺麗な石が立てられている。その石の周りには花が飾られており、石には文字が刻まれている。

 ――親愛なるコサメ、ここに眠る――

 コサメの遺体は全て業火に飲まれたものの、遺骨がいくつか発見された。それを集めて、壮大な景色が眺められるここに埋めたのだ。その上に立てた墓石は、目立たないながらも立派なものだ。
「ただいま」
 墓石の前に座って、イサは呼びかけた。今は亡き、人生で最初の友人に。
「ベンガーナに行ってきたんだよ。ベンガーナっていう所はね……」
 イサは覚えていること、見てきたこと、聞いたこと、体験したこと、感じたこと、全てを語った。
 コサメはイサの冒険の話が大好きだった。イサもコサメにそれを語る一時は、今までの人生の中で一番楽しかったものだ。
 だから、今でもそのことを忘れずに行っている。
 ベンガーナでのことを一通り話し終わると、イサは背後に人の気配を感じた。足音も数人分聞こえる。
「やっぱりここにいたんだねぇ」
「ムーナ……」
 そこにいたのは、リィダとキラパンを引き連れたムーナだった。
「特別休暇貰ったんでしょ。どうするの?」
「うん、ちょっとアショロでのんびりしてるよ。その間、リィダとキラパン借りてくよ」
 借りていくとは行っても、リィダが勝手についていくだろうし、関係上キラパンも共に行くことになる。
「そっか。わかった」
 それだけ言って、イサも立ち上がった。
「あ」
 座っていたのを急に立ち上がったためか、ふらりと倒れかけてしまった。
「大丈夫かい? アタイみたいにぶっ倒れるんじゃないよ?」
 本気とも冗談ともとれないことを言って、ムーナがからからと笑う。
「うん、もう大丈夫」
「ホントに?」
「ホントにぃ」
「そいつはよかった。それじゃね!」
 用件はそれだけだったのだろう。くるりと踵を返して来た道を戻る。リィダもぺこりと頭を下げて、すぐにムーナの後を追うように歩き出した。
 それを見送った後、イサはふと墓石のほうに目をやった。
 風が一筋、流れる。
 感傷に浸っていたのだろうか、イサには幻ながらもコサメがそこに居るように見えた。
「大丈夫?=v
 幻のコサメが語りかける。あの時と同じように。
「大丈夫だよ」
 少し強い語気で返してしまった。それは同時に自らの言葉を否定するのと同じだった。
「嘘ばっかり。ちゃんとサラ先生に診てもらったほうがいいよ。あんまり心配かけさせないでよね=v
「……」
 イサは答えなかった。素直にうんと言えなかった。うんと言えば、今の自分を認めてしまうことになるから。何とも無い、大丈夫……そう信じていたい。そう思い込んでいたい。しかしそう思っている時点で、結局認めていることと同じなのだ。
 コサメはそれ以上、何も言わなかった。幻のように見えていたコサメの姿も、見ることはできなかった。


 夕日が昇る頃、ウィード城は夕焼けに照らされて独特の美しさを見せてくれる。朝は朝の爽やかさ、昼は昼の涼しさ、夕方は夕方の物淋しさ、夜は夜の静けさを表すような姿に見えるのだ。
 イサは夕日が見えるようになるまでずっと考え込んでいた。散々迷った挙句、無意識のうちに足は動いていたのか医務室の前に来ていた。そこの扉を開ければ、医務士団が何人か控えており、団長のサラがいるはずだ。
 ここまで来て、また迷いが生じた。そのために、扉に手をかけるが、開くまではせずに手を引いてしまい、また入ろうとして手をかけるがすぐに引いてしまう。そんな独り芝居が行われているうちに、扉越しに声が聞こえて来ていた。
「オレは訓練中の打撲の治療を受けに来たんですよ! なんでそんなやたら怪しい注射なんですかー!」
「新薬ができたのよ! 打撲にも効くと思うから試してみるの」
「ぎゃー!」
 そんな男兵とのやり取りが行われていたり、
「キャー! あたしは花粉症の薬を貰いに来たんです! なんで脱がせるんですかぁぁ!」
「いいじゃない! 私と抱き合えば花粉症も虫歯も治るわよ!!」
「イヤァァ!」
 こんな女の人とのやり取りが行われているのを聞いて、サラはいつも通りだなと思うしかなかった。それと、サラが何人もの患者を相手にするほど、自分は優柔不断にここで留まっているのだと軽い自己嫌悪に似た感情にも陥った。
 いい加減に扉を開けて入ろうとした途端、背後に気配を感じた。ムーナとは違った意味でよく知っている気配。
「イサ様?」
 そこにいたのは、幾つか傷跡が見られるラグドであった。

 ラグドと居合わせてしまったからか、イサは戸惑っていたわりにすんなりと入室できた。
 それを見たサラの顔がぱぁと明るくなり、鼻血でも噴出しそうな勢いで恍惚の笑みを浮かべながら飛びついてきた。
「イサ様ぁぁん!」
 来るとわかっていたことなので、イサはすんなりとサラの抱擁を回避。ラグドも反射的に距離を取る。下手をしたら注射器を投げつけてくる場合もあるかだ。
「今日はどうしたんですか。私との愛を深めに来てくれたのですか?」
 最初の飛び付きを回避されてもサラの勢いは止まることはなく、せめてこの時まではムーナがいてほしかったと心の底から思った。
「私はちょっと相談に来ただけ。それより、ラグドのほうが治療を受けに来たみたいだけど……」
「いえ、所有していた傷薬が切れてしまったので補充を頼みに」
 確かに、傷跡が見られるとはいえラグドほどの人物なら放っておいても大丈夫な程度だ。いちいち治療を受けていたら、毎日お世話になることになってしまうだろう。
「そう。それじゃあはいコレ」
 サラがラグドに差し出したのは、何故か湯気が出ている粉末薬。
 はっきり言って怪しい。
「なんだそれは……」
「傷薬よ」
「俺が貰いに来たのはいつものだ。薬草をすり潰し、アモールの水で固めた……」
「それに改良を加えたのがコレよ。さぁ今すぐ試しなさい!」
 他の兵士ならば悲鳴をあげて逃げ出しかねないが、ラグドはさすがに動じずに冷静な判断を下した。
 ため息一つつくと、「他の医務士に頼む」と言ってその場から離れたのだ。サラに頼んだ時点で間違いだったと思うのだが、それは成り行きというもの。サラのほうといえば、実験相手に逃げられたのが悔しそうだったが、その分はイサで満足しようという目つきに。
「そ、そういえばラグドってなんだか今日だけでやたら傷が増えてたねぇ」
 何か話題を振らないと、サラが飛びかかってきそうなので、咄嗟に思いついた疑問を口にした。
「あぁ、それでしたら」
「(え、知ってるの?!)」
 ずっと医務室にいたはずのサラが、イサの疑問に答えようとしたので驚いて叫びそうになってしまった。
「やたらと訓練を張り切っていたんですって。おかげで巻き込まれた兵士がケガをしたりなんたりで医務室に来る兵士は絶えなくて……絶えなくてウフフ」
 何やら妄想でもしているのか、たくさん実験できたことが嬉しいのか、途中から理由の説明ではなくて自分の世界に入り込んでしまっている。
「って、そういえばイサ様は相談事でしたね」
「え、あ、うん……」
 妄想街道一直線状態のサラは少し放っておこうかと思った矢先に話題を振られ――まるでサラが心を読んでいるのかのような正確さだった――、イサは曖昧な返事を返した。
「イサ様も女の子ですものね。いろいろと気になることが出てくる年頃の身体ですもの、私が手取り足取り丁寧に教えて差し上げますよ」
「違う違う! そういうことじゃなくて!」
 サラが何か勘違いしているようで、イサは顔を赤くしながら慌てて否定した。
「えー、違うんですか?」
「違うわよ!」
 チッ、という舌打ちが聞こえたのは幻聴であることを、イサは信じ込もうとすることで十数秒を費やしたとか。


 他の医務士から傷薬を貰ったラグドを加えて、イサはゆっくりとベンガーナでのことを話し始めた。イサが覚えていない部分はラグドが補足し、サラは何度も頷きながらそれらを真剣に聞いてくれた。
「それで、ずっと身体がだるい感じがする、と?」
「うん……」
 ベンガーナでのことは話し終わり、いよいよ本題。
 イサはアントリア戦後、目が覚めてからずっと不自然な身体に戸惑っていた。だるい、という表現が近いのだが、それとはまた別のなにか。どれだけ休んでも元に戻らないのだ。
「そのようなこと、何故言ってくださらなかったのですか」
 ラグドが憮然とした表情で文句を言う。
「なんだか、怖かったの」
「怖かった?」
「風神石を飛竜の風爪にはめた以降の記憶がないけど、そうなる直前に感じたの。『自分が自分ではなくなる』ような感じに……」
 その事実をイサは認めたくなかった。
 この事実が気のせいであってほしかった。
 そのため仲間に相談することも憚られたのだ。
 サラにこのことを相談しようとしたのも、彼女はただの医学医術ではなく、魔法的医学にも長けている。何か似たような事例や、心当たりがあるのではないかと思ったからだ。
 サラは軽くうなりながら考え込んで、しかしすぐに顔を上げた。
「ラグドさん、イサ様が風神石を使用した状態はどのようでしたか。あなたなりの言葉でいいので表現してみてください」
 サラのまともな言葉に戸惑いながらも、ラグドは先日の様子を思い起こした。
「なんというか、特別な威圧感を感じたような。それに、言うなれば神々しいものだった」
 早々に忘れられるものではなかったが、鮮明に覚えていられるほど長い時間ではなかった。そのためにラグドの答えは曖昧で、イサはどうも実感がわかず、本当にそうだったのかと疑いすらもした。それに対し、質問をしたサラは真面目な顔で何か納得したように幾度か頷く。
「やはり普通に考えて、イサ様に『風の神』が乗り移ったみたいなものと考えるべきでしょうね」
「風の神……四大精霊のウィーザラーのこと?」
 ウィード城では風の精霊を崇拝している。その大元である風の大精霊ウィーザラーは、ウィードに眠るとされており、詳しいことは王族や騎士団の団長クラスくらいしか知らない。
「もともと風神石はウィーザラーの力を秘めた石とも云われていますからね。これは私の仮説ですが……本来なら風神石の力を引き出せば、ウィーザラーと融合に近い形で一時的に力を得るはずなのです。しかし、イサ様は自分が自分ではなくなる感じになって、記憶もなくなっている」
 こくりとイサは頷いた。
「それはウィーザラーの膨大な力がイサ様に大きな負担を与え、本来融合するものが乗っ取られてしまった。イサ様はまだ十五にも満たない女の子ですから、ウィーザラーの力は大きすぎた……。簡単に言えば、容量不足で不祥事が発生したということですね」
 簡単に言えば、とサラは言ったものの、果たしてそれが簡単になっているのかどうかは疑問である。
「それじゃあ、私がもっと強くなれば風神石を使いこなせるの?」
「いえ、どうでしょうね」
「え?」
「あくまで私の仮説です。他にも風神石を使えばかなりの反動が出るだけかもしれない、という仮説もありますからね」
 確かにサラの言うとおりだ。もう二,三日休めばまた元気になるかもしれないし、妙な感じというのも、力の使用が初めてだったが故に戸惑っていただけかもしれない。
「仮説はあくまでも可能性であり絶対ではありません。仮説が正解であるという可能性も否定しませんけどね」
「えぇとそれじゃあ結局……」
「私なら『風神石を使うことを控えてください』って言いますね。ねぇ、ラグドさん」
「う、うむ……」
 サラの言葉は、今まさにラグドが言おうとしていたものだった。
「強い力は身を滅ぼす、かぁ」
 どこかで聞いたことのある台詞を、イサはぽつりと呟いた。
「ともかく、もうしばらく安静にして、また三日後くらいに来て下さいね」
「うん、わかった。ありがとう、サラ!」
 なんでもう少し早く相談しなかったんだろう、今のイサはそう思っていた。
 先ほどまで、自分を認めるのがあんなにも怖かったのに。きっと一度認めてしまえば、自分なんてものは怖くないのだろう。それにあのサラも真剣に聞いてくれた。いつの間にか元気付けられ、それで元気が出たのが嬉しかった。
 身体の無気力に似た妙な感じは、少しずつ薄れていっていた。

「……それにしても驚いたな。サラも、たまには真面目な顔で真剣は話をするのか」
 元気よく飛び出していったイサを見送って、そろそろ自分も退場しようとしたラグドがサラにそう言葉を洩らした。
「……」
「? サラ?」
 サラが俯いて震えていたので、泣いているように見えたのだ。
「お、おい!」
「フ、フフフフ」
 泣いているように見え……あれ。
「……さ、サラ?」
「三日後で約束しちゃったぁ。今日は唐突で準備できなかったけど、次に来る日は解かっちゃってるもんねぇ。イサ様が来るんだから、たくさんたくさん準備しなくちゃ♪」
「……」
 先ほどまでのサラはどこへ行ってしまったのか。今から三日後の妄想で勝手に歓喜に打ち震えている。そんなサラを見て、ラグドはなんだか情けなくなってしまったとか。

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