35.決闘終了


 視覚は、はっきりとしていた。だから映像としては覚えている。
 悪魔神官アントリアが焦っている表情も見て取れたし、聖なる風の龍に喰われる瞬間も見えていた。ただ、何を言ったのか、何を聞いたのかはおぼろげにしか覚えていない。いや、全く覚えていない割合のほうが大きい。
 それと自分の動作もよく覚えていない。何をどうやってあの力を使ったのか、まるで覚えていないのだ。
「まぁ、だいたいそんな感じ」
 イサは頭痛のする場所を押さえて、アントリア戦の詳細を語ろうとしていた。しかしやられそうになったこと、風神石を飛龍の風爪にはめる所までは覚えているのだが、それ以降は曖昧であった。
「それで、ぶっ倒れたんすか?」
「アタイみたいだねー」
 からからと笑うムーナ。冗談らしい冗談に聞こえないのは、彼女が回復魔法でも意識を取り戻さなかったこともあるのだろう。イサとしてはつられて笑うことはできなかった。
 ――ここはベンガーナ城の医務室。ラグドの話では、イサは『神極・風死龍』を放った後に倒れてしまったらしいのだ。意識が回復したころは、丸一日が経過しており、日も高く上っていた。
 あの大将戦の結果は分からずに終わった。
 審判も殺され、この決闘自体が魔物の陥穽だったのだから、結果も何もあるわけがない。
 そう、魔物と言えば、観客席を埋め尽くしていた多数魔物……。そのほとんどは、『神極・風死龍』の餌食となっていた。龍はアントリアを喰らった後、周囲の魔物の殲滅にかかり、それを成した。狂気に溺れた人間たちは無事で、彼らは何も覚えていないらしい。
「ベンガーナ王が、謁見の間に来てほしいと仰っていましたよ」
 言伝を聞いていたラグドは、もうすっかりと体力を取り戻していた。ムーナはまだ上手く動けないし、リィダはそれについているし、ハーベストたちは何処かへ行ってしまうしで、ラグドが色々と頑張ってくれていたのだ。
「それじゃあ、行こうか」
 ベッドから降りると、まだ上手く立てずに数歩だけよろめいてしまった。
 心配そうな顔をする皆に、大丈夫だよ、イサは笑いかけた。
「あんまり、無理すんじゃないよ」
「うん。大丈夫」
 ムーナの忠告に、素直に頷いてイサは歩き出した。


「本当に、申し訳ないことをした……」
 ベンガーナ王の第一声は、それだった。決闘開始前に見せていた傲慢っぷりは何処へいってしまったのか、すっかり意気消沈して、枯れ果てたような声だった。見ているほうが痛々しく感じてしまう。
「わしは、魔物の言葉に踊らされていた。あの男の――魔物の言うことならば何でも信じていた。やめろと自分に言い聞かせても、身体は勝手に動き、脳は勝手に考える。信じてもらえぬだろうが、な……」
「いえ、そのようなことは……」
 イサはこの王が哀れに思えていた。同時に、魔物に対する怒りの感情も膨れていく。ベンガーナ王は、軍事国家の王でありながら温和な性格なのだ。それが、魔物に操られてしまい、今回のような結果を生み出した。
「いくら詫びても、詫び足りぬ。許して欲しいなど、言える立場ではない」
「許すもなにも、ベンガーナ王には罪などありません。罪があるのは、悪魔神官アントリアです。陛下が気に病むことはありませんよ」
 少しでも罪悪感から抜け出せるように、説得するように話し掛けるが、ベンガーナ王は一向に顔を明るくはしなかった。
「詫びの印として、何かを送りたいのだ。何か欲しいものを言ってくれぬか? できる限り揃えさせよう」
 お金、となるとイサたちには不要だ。何かしらの装備、となるとこれも充実している。
「イサさん、イサさん」
「なに?」
「風魔石が欲しいって言わないんすか? 貰ってないんでしょう?」
 それは無理だろう。アントリアの作戦なだけあって、風魔石がこの国に在ることは嘘であることに間違いはないのだ。
「……察しがついていると思うが、我が国にはあなた方が探している風魔石はない。だが、在り処ならば……」
「え!?」
「あの神官が言っていたのだ。風魔石は魔道の国に在る、と……。わしの考えだが、魔道国家エシルリムのことだと思うぞ」
 風魔石は魔道の国……そして魔道国家と言われるエシルリム。確かに関係がありそうだ。
「ありがとうございます。そのことだけで、私たちにはこの上ない褒美となりましょう」
 最後に形式的な挨拶をかわし、謁見の間を出ようとして、イサは足を止めた。他の皆は前を歩いており、イサが立ち止まったことには気付いていない。
「どうしたのだ?」
「ベンガーナ王……」
 振り返り、一礼する。
「罪を償いたい気持ち、充分に分かります。ですから、この国を素晴らしいものに導いてください。それが何よりも大切なことだと思います」
 この国が魔物に支配されていたため、国全体が重苦しくなっていた。兵士の大半も殺されているのだろう。だからこそ、この国は立ち直らなければならない。そのために必要なのは、皆をまとめる王だ。その王がいつまでも悔やんでいては、この国は本当の意味で解放されない。
「……うむ。全力を尽くそう。――ありがとう」
 王に、笑顔が戻った。
 この国は、もう大丈夫だろう。


「それじゃあ、出発は明日。各自、今日は自由行動。解散!」
 ベンガーナの宿屋。今から帰るには微妙な時間すぎるし、宿でじっとしているのもつまらない。ということで自由時間を作り、それぞれこの国を観光することになったのだ。
「姐御ぉ。ちょっといいすか」
「ん〜? なにさ」
「いいから、付き合ってほしいんす」
 ムーナが返事を返す前に、強引にリィダが引っ張って行く。珍しいこともあるものだな、とイサはその光景を眺めて、彼女らが見えなくなると、さて自分も出発と部屋を出て行く。
 この国ではウィードでは見る事の出来ないものが多くあるので、好奇心が刺激され、どこに行こうかと考えただけでイサはわくわくしていた。隣にはホイミンもついており、端から見ると、風船を持ってはしゃいでいる子供にしか見えない。
「まずは武器屋でいろんな武器を見て、次に道具屋でいろんな道具を見て、防具屋でいろんな防具を見て、服屋でいろんな服を見て……」
「イサ様見るばっかりー?」
「いいのよ。見るだけならタダだし。買う必要があれば、買うかもしれないけど」
 愛用している武闘着がアントリアと戦ったときにボロボロになってしまったため、新しいものがほしいとは思っているものの、城に変えれば同じものがあるので、新しい服への興味が薄くなってしまうのだ。
 街中を見て歩くと、ちょうど旅人向けにできているのだろう。やたらと店が多い。
「イサ様ぁ、銀細工だよ、銀細工ぅ〜〜♪」
 ホイミンがふわりふわりとシルバーアクセサリーが並んでいる店に近付く。ホイミンが惹かれたのがわかるくらいに、それは精巧にできているものが多く置いてあった。
「うわぁ。ウィードの職人だったら、こんなにはできないかもね」
 城の皆が聞いたら怒るかもしれない。
「あ、ねぇねぇイサ様、あっち行ってみよ〜」
 なんだかホイミンにエスコートされている感じで戸惑いはしたものの、楽しいので良しとする。一緒にはしゃぐと、このホイミスライムは何故か和むのだ。
 ホイミンが向った先はケーキ屋だった。
「ってことで、ボク、イチゴのショートケーキが食べたいなぁ〜」
「あのねぇ……」
 そういうことか、とイサはホイミンの両頬を引っ張った。イサを財布代わりに連れまわそうとしていたのだ。
「うん、まぁ、でも……」
 イサとしても、甘いもの大好きな十三歳の女の子である。並んでいるケーキの数々に、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「まぁいいわ。イチゴのショートケーキね。あ、すいみません、そのイチゴのショートケーキと、チョコレートケーキと、チーズケーキをください」
 ……ホイミンの注文よりも増えていた。


「どうぞっす」
「あんがと」
 リィダに手渡されたコーヒーは湯気が立っており、こぼしては大変と慎重に受け取った。季節は夏になっているが、この北大陸では寒さを感じることはしばしばある。その上ベンガーナ国自体が魔物に支配されていたため、雰囲気が寒々しいのだ。
「それで、話ってなんだい? キラパンもつれてこずにさ」
 ムーナが座っていたベンチに、リィダが隣に座る。彼女の言う通り、今はキラパンさえ宿屋で待機させている。キラパンは不服そうだったが、主人の言う事に渋々従っていた。
「……」
 ――沈黙。
 リィダが何かを言いかけるが、すぐに中断してしまったのだ。
「アンタから言ったんだよ、アタイに話があるって」
「……そうっすね……」
 リィダは熱いであろうコーヒーを一気に飲み干して、ムーナを見る。
「ウチ、ベンガーナの医務士さんから聞いたっす。姐御の身体のこと……」
「!」
 ムーナの細い目が、一瞬だけ大きく開かれた。それほど驚いたのだろうか。
「……そうかい、アンタは聞いちまったか……」
「姐御! どういうことっすか!!」
 リィダが普段からは考えられないほど激昂したためか、ムーナの顔からいつもの笑顔が消える。そのためか、いつものムーナしか知らないリィダは悲しげな表情で彼女の視線を受け止めた。その状態がしばらく続き、端から見れば睨み合いをしているかのようだった。
「……いろいろと、あったんだよ」
 一息ついて、ムーナがぽつりとそれだけを言った。
 それでは納得ができず、リィダが口を開こうとしたのをムーナが制止させる。
「一つ聞くけど、アタイを信じてる?」
「そりゃ、もちろんっすよ」
「だったら……これはお願いだけど、そのままアタイを信じてくれないかい?」
「でも――」
「大丈夫。アタイは死なないさ」
 そう簡単にはね、と心の中で付け足しておく。
「……わかったっす……」
 渋々頷き、ベンチから立ち上がる。そしてムーナの真正面に立った。
「約束っすよ」
「あぁ、約束だ。あとこれ、誰にも言うんじゃないよ?」
「……約束が二つに増えたっす」
「これは命令さ」
 皮肉めいた口調に、二人は笑い出した。


「あれ?」
 ホイミンと余分に買ったケーキの取り合いをしているうちに、何処かの広場に出てしまった。その広場の隅で目立たないように立っているラグドを発見したのだが、あの巨体なのでイヤでも目立っている。明らかに不自然だし、人目を避けているようにしているようだが、逆にそれが怪しく映ってしまう。
 そのことも不思議に思えたのだが、より不思議だったのは彼が自分についてきていなかったことだ。ラグドの性格なら、何処であろうとついて来るはずだし、今まではそうだった。そのために一種の開放感があったものの、物足りなさもあった。
「ラーグード〜!」
 ケーキの箱を持ったまま駆けだし、そのイサにホイミンがついて――というよりイサの持つケーキの箱を追いかけて――ラグドのもとへ走る。
「イサ様……」
 振り返ったラグドは、何処か元気がなかった。
 そういえば、副将戦の途中から様子がおかしかった。副将戦の相手、レイゼンから何かを言われたのは確かだが、ラグドの精神を揺るがすほどだったのだろうか。副将戦が終わった時に、彼はそのことについての追及を拒むようなことを言っていた。
「どうしたの、こんなところで」
「少し考え事を……」
 しどろもどろと言うラグドの姿は、こちらはこちらで普段からは考えられないような貴重なものだ。
「ふーん。考え事で思い出したんだけど……」
 言いかけたイサの手から、ケーキの箱が奪われる。
「残りのケーキ、ボクのぉ〜!」
 ホイミンが取ったが勝ちかというように、上空へあがる。いつもラグドの腰までくらいしか浮遊していないホイミンだが、建物の二階程度まで一気に行けるようだ。確かにこれでは手が出せないが、『風連空爆』を放つ事で打ち落とすことも可能だ。しかしそれではケーキもろともダメになってしまうし、ここはホイミンに譲ろう。惜しかったな、チョコレートケーキ……。
「……まぁ、それでさ」
 会話が中断されたが、すぐに話を戻した。
「ラグドは、私とアントリアの会話、聞いていたよね。あれ、どう思う?」
 大将戦であの場にいたのは、カエンとラグドとホイミンである。レイゼンとは違ってアントリアは喋りたい事を包み隠さず語ったものだから、当然聞いているはずなのだ。ホイミンは当てにならないし、カエンは現在行方不明である。
「どう、と言われましても。魔物の言うことなど、気にする必要はありません」
 ウィード王家の力は、神の力ではなく魔性のもの。アントリアはそう言った。
 イサ自身、そう考えたことがあるのもまた事実。
「それに私は、ウィード王家の力は、神々が人間を守るべく貸し与えてくれたものだと思っています。どれだけ時が経とうと、恐れられることはありません」
「そう、かな」
「そうですとも」
 ラグドの言葉は確信に溢れたものであった。いつものラグドだ。例え確証がなくても、彼の言葉は信じられる気がしてくる。
「ん、ありがとう」
まだ少し残っていたわだかまりがなくなったような気がして、イサは素直に礼を言った。勿体ないお言葉です、というラグドは、自分にとって必要な存在なのだろう。これで彼も彼の悩みを打ち明けてくれれば嬉しかったのだが、ラグドのことだからそれはないだろうと諦めた。

「あー! 見つけた!」
 唐突に声をかけられたが、その声が親しみのある声だったのでさほど驚かなかった。
 二人のエルフを引き連れた、赤髪の男――ハーベストが軽く走りながら寄ってきたのだ。
「上であのホイミスライムがふよふよ飛んでるの見つけてよー、ここら辺にいると思ったんだ」
「どうしたの?」
「ちょっとな、一足先にお別れさせてもらうぜ」
 悪く思っていないのか、すまないが等の一言も無しにハーベストはそう言った。
「それはいいけど、なんでまた急に」
「急に……? あのなぁ、丸一日暇だったんだぞ、オレたち」
 そういえばそうだ。
 イサは一日ほど意識が回復しなかったし、ムーナもそれに近い状態にあった。イサにはラグドとホイミンがつき、ムーナにはリィダがつきっきりだった。唯一無傷余裕で勝利したハーベストは、暇をどうするか悩むほどだったのだ。
「それに、ベンガーナにはいろいろと調べ物をしにきたついでに、お前たちに手を貸したんだ。それで調べ物の用件も済んだし、次の目的地に行くんだ」
「次の目的地って?」
「ん〜、まぁいろいろだな」
 はぐらかそうとしているのか、本当にいろいろで何処に行くかはまだ具体的に決めてないのか、とにかくイサは追求しないようにした。
「わかった。いろいろと助かったわ、ありがとう」
 手を差し伸べて、握手をかわす。
「おう。そんじゃ、あのリィダってやつによろしく言っておいてくれよな!」
「えぇ。……え?」
 なんでリィダに、と聞く前に、ハーベストは元気よく走り出していた。急いでいるというわけではなく、有り余る力を発散させているような感じだ。そのハーベストを、ヴァンドとリシアの二人が飛ぶように追いかけていく。三人の速さは相当なもので、しばらく見送るまでも無く見えなくなってしまった。
「そういえばムーナが運ばれる時……」
 ラグドが呟いた言葉で、イサもそういえばと思い出す。中堅戦でムーナが意識不明になり、医務室へ運ばれる時、リィダはもちろんのことハーベストも付き添っていた。あれはムーナに付き添ったというより、リィダについていったのではないだろうか。
「でも、どうしてかな?」
「あの者はよくわかりませんので……」
 ラグドにとってハーベストは掴み所が難しいためか、困った顔で返答した。
「そういえば、カエン師匠もどこに行っちゃったんだろ?」
「それも、わかりませんね」
 ラグドの話では次鋒戦でカエンと戦ったルイスと再び戦いながら何処かへ行ってしまったらしいが、いつまで経っても姿を見せないとなると不安になってしまう。カエンはイサの知る限り最強の人間なので、普段は無事であることを疑ってはいないが、相手はそのカエンと引き分けたルイスである。さすがに不安もよぎる。
 その不安を増長させるかのように、カエンはついに出発前になっても姿を見せなかった……。

 翌日、ムーナが移転呪文ルーラを使い、一瞬でウィードへと帰還する。  たった数日しか滞在しなかったというのに、なんだか長い時間を過ごしたような気がするのは、気のせいだろうか。


 ――誰かがルーラを使用したのだろう。光となって飛んでいく現象は、他にはキメラの翼を使用すること等が考えられるものの、緑色の魔法粒子が細かく飛び散っているところを見ると、道具を使用してからの移転ではないことがわかった。
「ウィードの方向……イサたちか」
 カエンは大岩に背を預けて、飛んでいく光を見ていた。
 ベンガーナ郊外の、人里から離れた一帯。そこは爆撃地区であったかのように、大地はぼろぼろになっていた。強い力と力が幾度もぶつかりあったのだろう。大穴が開いていたり、地面がいくつにも割れていたりしている。
「にしても、ルイスのやつ……」
 吐き捨てるようにカエンは呟いた。彼の身体は重症とも言える傷を多く抱えており、それは決して古いものではない。水膨れが目立ち、また火傷も多い。
 周囲にその傷をつけた本人はいない。いつの間にか消えていたのだ。それなりに相手も消耗しているし、カエンの攻撃も何度か入ったため、続けていれば同時に倒れていたかもしれない。
 そうなる前にルイスは引いたのだろう。
「まだ、足りないということか」
 カエンは強さを求めた。それでも、まだ上がいることを思い知らされた。強く、もっと強くならねばならない。
「けどな、お前みたいにはならない」
 ルイスは闇の力に頼った。その結果、闇を利用するつもりが闇に支配されてしまったのだ。
 体力を回復させる意味でも、カエンはもう一度少し眠ることにした。どうせ眠るなら、目が覚めれば夢であってほしかった。親友が、闇に飲み込まれたという事実が……。
「ばかやろう」
 それは寝言だろうか、意識的にだろうか。どちらにせよ、その小さな呟きは大きな親友に向けられたものであった。

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