32.地龍奥義


「……!」
 レイゼンは確かに言った。
 ラグドことを、五百年前に消えたグランエイス国の王子であると。
「……パトリックス王が盛った毒の影響で、セルディウス王子は記憶を失っていたのだよ。心当たりがあるだろう」
 ラグドは昔のことを話したがらない。だがそれは違う。
 知らないのだ。約一五歳あたり以前の記憶がない。
 だから話そうと思っても話せるわけがないのだ。
「さて、そろそろ我輩も正体を明かそうか。我輩レイゼンは、虹の天翔翼&寞R士団長よ」
「お前が……?」
 ラグドは、ふと幻を見た。何かが折り重なるような影。それは昔の記憶か、レイゼンらしき人影が目に映る。
「忠誠心だけなら、騎士団長にも勝っておるかもしれぬ。いや、実力をも我輩は超えた。五百年前の騎士団長は、我輩が殺したのだからな」
「なに!?」
「当然であろう。セルディウス王子が生きている、このことをきゃつは一人だけの秘密にしていた。誰にも悟られまいと。むろん、我輩にもだ。だがな、それがどれだけ重い罪か! 王子生存、この報告だけでグランエイスは堕ちることなどなかったのだ!!」
 先ほどのラグドの激昂よりも激しい、老人とは思えない声で怒鳴る。とはいえ歓声の怒号も一層に激しくなっていたので、ラグドにだけ聞こえる程度までかき消されたが、迫力だけならラグドを上回っている。
「我輩が騎士団長から王子生存の言葉を聞いた時は、全てが終わってしまった後だった。グランエイス城は陥落し、民も散り散りになり、秩序なき混沌とした大陸と化してしまったデザラウトは最早立て直しなどきかないほどだった。王子が生きているとわかってさえいれば皆は希望を見い出し、このようなことにはならなかったのだ!!」
 怒鳴りながらも、レイゼンは泣きそうだった。それは血涙を流しそうなほどの怒りから来るものであり、悲しみと怒りが入り混じっているものだ。
「我輩は復讐を誓ったよ。グランエイスを見捨てたセルディウス王子をこの手で殺すとな。まず騎士団長を殺し、星霊山へ赴き、星の精霊にセルディウス王子と同じ時代に送ってくれと頼んだ。そしてこの五百年の時を超えたのだ。その時には我輩も多少落ち着き、もしかしたら王子はその血筋から一国を預かる身になっているやもしれぬと期待したよ。そしたらどうだ! この時代でセルディウス王子をようやく見つけたと思ったら、ラグドと名前を変え、王になるべき男が、ウィードの騎士団に甘んじておるではないか。グランエイスを導くべき男が、他国に忠誠を誓っているなど許されるはずがない。だからこそ、我輩は復讐の誓いを確かなものにしたのだよ。グランエイスを裏切った貴様への復讐を!」
 この男、狂っている。国を想う気持ちが歪んでしまったのだろうか。
「……だが、お前の話では俺がそのセルディウス王子であるという証拠など――」
 心のどこかで、しかしラグドは認めていた。幼き記憶の中、自分は砂漠の国にいた。それは明瞭な記憶ではないものの、レイゼンの言葉一つ一つが身体に染み込んでくるようなのだ。それでも否定したいのは確かであることに変わりない。
「ふん、証拠か。貴様が先ほど見せたではないか!」
 レイゼンが地を蹴る。『静』を保ち続けていた彼が『動』に移る。攻撃に転じたのだ。
「(来る!)」
 迎撃しようとしたラグドは、レイゼンの槍の構えや振り下ろすタイミングに戸惑う。
「これは?!」
 目にも止まらぬほどの五連突き。
 なんとか鎧に当てるなり槍で受け流すなりで直接的なダメージは防ぐが、心に隙が出来た。
「岩砕槍、だと!?」
 ラグドが最初に放った技と全く同じであった。いや、その速度はラグドをも凌駕している。
「次だ」
 反撃するまでもなく、レイゼンの攻撃は素早くラグドを捕らえる。
 レイゼンは砂塵の槍を頭上で大きく回転させ、遠心力を利用して突きを放った。慌てて防御するも、その威力にラグドの巨体が弾き飛ばされる。
「岩閃発破まで……」
「貴様はこれを『我流』と言ったな。それは違う。これは立派な虹の天翔翼≠ェ誇るグランエイス槍殺術だ。これこそ、貴様がセルディウス王子であることの証拠だ。記憶を失っても、騎士団長から習った技を身体が覚えていたのだろうな」
「く……」
 ラグドの使う槍術は、誰も真似する事ができない。また、ラグドは正規のウィード槍殺法を体得しているが、我流のほうが使いやすく威力も高いし、何か不思議な感じがするのだ。その不思議な感じというのが、失った記憶の故郷に対するものだったとしたら。

 それは、レイゼンの言葉が、全て正しいということになる。

「さぁ、行くぞ!」
 レイゼンが再び攻める。
 ――カエンは言った。レイゼンが『静』から『動』に移った時、それはラグドにも勝機が訪れるということだと。
 だが実際はどうだろうか。勝機どころか、ラグドは押され始めたのだ。
「(動きを封じねば――)」
 防戦になりつつ状況を不利と判断して、ラグドは地龍の大槍を握る手に力を込める。相手の突きをかわし、その一瞬をついて攻撃に転じた。
岩塵衝(がじんしょう)!」
 レイゼンの足元に槍を突き立てる。大地の精霊に干渉し、地面を爆発させる技だ。
「愚か者め」
 しかし期待した効果は得られず。確かにいつも通りに技を放ったはずだが、地面は爆発するどころか、うんともすんとも言わなかった。ただレイゼンの嘲りだけが聞こえてきた。
「そんな――!」
 大地の精霊が存在していない? そんなはずはない。天空ならともかく、立っているのは地表だ。いくら闘技台が作られたものとはいえ、それくらいで大地の精霊が消えるはずはない。
「岩塵衝とは、こうやるのだ!」
 レイゼンがラグドの足元に砂塵の槍を突き立てる。地面が爆発し、ラグドの巨体が宙に浮く。大地の精霊による力は確かに発揮された。大地の精霊が存在しないということは、やはり有り得ないのだ。
「岩砕槍!」
 再びレイゼンの岩砕槍。五連続の突きがラグドに襲いかかる。
「ぐ!」
 動けないラグドに直撃するが、またも鎧のおかげで致命傷には至らなかった。だがしかし、その衝撃は確実にラグドの身体を蝕み、体力を削って行く。  さすがにラグドの巨体は延々と宙に浮く事はなく、次の技が繰り出される前に着地した。その瞬間を狙われるだろうとすぐさま迎撃態勢を取る。それは予想通りで、レイゼンの砂塵の槍が眼前に向っていたのを地龍の大槍で受け止めた。
「(レイゼンの岩塵衝は成功した。ならば何故、俺の岩塵衝は――!)」
 考える暇など与えられるはずがなく、レイゼンが再び攻撃に転じる。
「だったら、これでどうだ!」
 レイゼンの鋭い攻撃を上に弾いて起動を反らし、弾いた反動を利用して地龍の大槍を再び地面に突き立てる。違いは、岩塵衝は片手に対して今度は両手で槍を握っている。
「『岩震縛烈(がしんばくれつ)』!」
 大地を一瞬で何度も振動させ、相手の足を一時的に使い物にならないようにす る技。
 今度こそ、と思いきや、これもまた手応えが無いことはすぐに解かった。
「岩震縛烈か。その技をも極めていたようだが――だが甘い!」
 レイゼンが気後れしていたラグドの足元目掛けて、両手で持った砂塵の槍を突き立てる。
 一瞬、ただの激しい振動としかわからないが、それ以上の事態が己の下半身に起こっている。それは使い手のラグド自身がよくわかっていることだ。抜け出す方法は、ない。時間が経ち、やっとのことで動けるようになるのだ。
「『岩閃発破』ァ!」
 頭上で砂塵の槍を大きく旋廻させ、そのまま鋭い一閃突きを放つ。動けず無防備になっていたラグドは、その一撃をまともに受けてしまい、数メートルを一気に吹き飛ばされた。
 そのまま倒れることはまだなかったものの、それよりもショックが大きい。レイゼンから聞かされた話に加え、自分の技が発動しないのだ。しかもレイゼンの技は同じものであるのにも関わらず発動している。
「(まさか――!)」
 ラグドの脳裏に一つの考えが浮かび、地龍の大槍をちらりと見やった。
 『龍具』の複製品であるこの地龍の大槍。武器仙人が作ってくれたものだが、どうしても疑ってしまう。グラウンド・スピアには大地の精霊に干渉するという能力が槍自体に備わっていた。砂塵の槍も同様である。しかしこの地龍の大槍はどうだろうか。『龍具』にはそれぞれ特性というものがあると聞いた。ならば、その特性の一つに『大地の精霊への干渉』が含まれていないとしたら?
 もしそうだとしたらただの槍で地面をつついているという道化まがいのことをしているにすぎない。
「(武器が、武器がグラウンド・スピアでさえあれば勝てるというのに!)」
 大地の精霊に干渉することのできるあの槍であれば、レイゼンよりも早く技を決めることができたのだ。相手は見た所、ラグドのように重くはないので、連携に繋げることができれば自分の勝利は確実であるはずだった。
「(武器が――)」
 武器変換(ウェチェンジ)を行なっている暇はない。いや、グラウンド・スピアを召還する要領と同じように地龍の大槍を召還しているのだ。いわば、グラウンド・スピアが地龍の大槍に変化しているのと同じだ。同じ武器を呼び出すことは出来ない。
 ラグドは急いで立ち上がり、すぐにまた攻撃してくるだろうレイゼンに備えようとした。だが――
「ぐっぁ!」
 いきなりの吐血。すぐに動こうとしたため、また混乱のために、自分の負ったダメージの深さに気付いていなかったのだ。鎧には大きな亀裂が走り、その衝撃は鎧を超えてラグドの身体に深刻なダメージを与えていた。
 そして予測していなかった自分の吐血に油断した。レイゼンが間合いの中に迫っていたのだ。
「これで終わりだよ、セルディウス王子。いや、ラグド=ゼウンディス!」
 レイゼンの構えは、あのラグドに恐怖心を植えつけた。レイゼンが先ほどまでに放った技は? ――岩塵衝、岩砕槍、岩震縛烈、岩閃発破だ。その中の岩震縛烈はあってもなくても『あの技』を出すことに支障はないが、それはラグドに対する皮肉のようなものだったのだろう。
 そしてレイゼンは言った。これで終わりだと。それは、終わりにするほどの一撃を放つということ。そのことに気付いたラグドは間合いから離れようとするが、まだ岩震縛烈の影響で足が動かず、また岩閃発破のダメージが大き過ぎて動けない。
 だからこそ、ラグドはその技の直撃を受けることになる。
「『岩龍爆極槍破』!!!」
 ラグドの我流ウィード槍殺法の秘奥義。そしてグランエイス槍殺術の秘奥義でもある技。

 ――オオオォオォォオオォオォン――

 大地龍の咆哮。それは闘技場にいた誰もが、いや、闘技場の外でも近くにいたら聞こえていた。大地の龍が宿った槍での一撃は、まさに一撃必殺と名乗るに相応しい威力を持って、放たれた。

 ラグドはその一撃を受け、抵抗することもできず、闘技台からも弾き飛ばされ、観客席との隔たりにある壁の一部をぶち壊してようやく止まった。一瞬の出来事で何がどうなったのかわからない者が多かったが、壁を背にして気を失ったラグドと、彼の鎧がほとんど崩れ落ちている事と、ラグドの身体の大半が彼の血で染まっていることを確認したら、ただ『もの凄い一撃』を受けたのだということだけはわかった。

「勝負有り。勝者ベンガーナ、レイゼン!」
 怒涛の歓声が場内を揺るがす。
 しかしその怒号のような歓声も、イサの耳には入っていないようだった。
 ラグドが負けた。そのことが信じられないでいた。これが夢であるというのなら、それは喜んで受け入れたい。だが、現実であり悲しくも受け入れなければならない。最強の騎士として誇りに思っていた仲間が、倒されたのだ。
「……イサ」
 カエンの沈痛な声が、現実を物語る。これは全て事実であり、夢や幻ではないということ。
「ラグド!」
 カエンに呼ばれたことなど忘れたかのように駆け出した。ホイミンの触手の一本を引っ張りながら走り出したのだが、ホイミンの方はさすがに自らが回復に赴こうとしていたのか、この扱われ方に少々むくれているようだ。とはいえ、傷だらけで気絶しているラグドを目の前にすると、さっそく自分の使命を果たすべく触手に金色の光りを宿らせる。
 ラグドの容態はひどいものだった。全身はボロ切れのようになり、血で汚れていない個所を探すのが面倒な状態だ。イサ自身、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないと思うと身震いをしてしまう。
「う……」
 ホイミンのベホマで傷は塞がり、ラグドが小さな呻き声をあげる。どうやら気が付いたらしい。
「イサ、様……。申し、訳……ありま、せん……」
「ラグド……」
 ベホマは傷を治すことはできても、体力まで回復することはできない。喋るのが精一杯なのだろう。後は休むことでしか回復はできない。
「……イサ。お前の立場として、言う事があるだろう」
 いつの間にか隣まで来ていたカエンがイサだけに聞こえる程度の声で、囁くように言う。不思議と、五月蝿いこの場内であっても師匠の声はすんなりと聞こえた。イサはその言葉に重々しく頷いて、ラグドの真正面に立つ。
 相変わらず背を壁に預けたままのラグド。ただ、己の主君が目の前に立っていることに感付いたのか、顔だけはあげてイサの方を向く。その無造作に伸びている髪に覆われて目を見ることはできないが、彼の視線は間違いなくイサに向いていた。
 イサは一度目を閉じ、深呼吸。もう一度目を開けた時、そこに『イサ』はいなかった。
「……ラグド、私はあなたに言いましたね、「負けることは許さない」と。あなたは勝負に負けました。しかし勝負は常に勝者か敗者のみ。負けることもあるでしょう。だから、あなたが負けたことをとやかく言うつもりはありません」
 それは冒険者のイサではなく、ウィード国王女『イサーリン=ラウ=ワイズ=ウィード』としてのイサ。
「私が言いたいのは、あなたは勝負の最中に取り乱し、挙句の果てには負けそうになることを武器のせいにしていましたね」
 見透かされていたな、とラグドは苦い思いで下唇を噛みしめる。
 思っていることが表にでるほど、それほど、自分の感情が混乱していたのだ。
「相手が何を言ったのか、私には聞こえませんでした。あなたが動揺するなど、余ほどの事だったかもしれません。だから私もそれについては追求しないつもりです。しかしラグド、あなたは敗因を武器のせいにした。それは、ウィードの誇り高き『風を守りし大地の騎士団』の騎士団長としてあるまじき行為。そのことだけは、許せません。今後はそのようなことがないよう改め、精進に励みなさい」
 ――沈黙。
 長い沈黙だった。ラグドは心の中で泣いていたかもしれない。涙を流していたかもしれない。実際に涙は流れなかったが、実際に彼は泣いていなかったが、この沈黙の間はそうであるとしか思えなかった。
「御意……」
 搾り出すように、しかしはっきりと。ラグドは答えた。今できる、精一杯の答だ。
 それを聞いて、イサはもう一度目を閉じながら頷く。
 また目を開けるころには、そこにあるのはいつもの、冒険者としてのイサである。
 この勝負はラグドにも大きな心の衝撃を与えたはずである。そのラグドを立ち直らせるには、これが一番だった。だから、イサはあえて嫌っている王族としての自分になり、彼を叱るような形で励ました。ラグドの特効薬としてよく効くからであり、それは実証されることになる。
「(そうだ。過去の俺がどうであろうと、何者であろうと、俺はイサ様に槍を捧げたウィード騎士だ――)」
 レイゼンに言われたことが事実であろうとなかろうと、今の自分に、これからの自分に何の関係もないのである。
「イサ様、一つお聞きしてもよろしいですか?」
 まだ動けないが、普通の会話ができるまでには回復したらしい。
「いいよ。なに?」
「私とレイゼンの会話。本当に何もお聞きしていないのですか?」
「うん。小さすぎて何も聞こえなかった。ラグドが怒鳴ったときはびっくりしちゃったけどね。いったい、どういう話をしていたの――って、それは聞かないほうがいいか」
 イサは勝手に納得するが、ラグドとしてもありがたかった。迷いを吹っ切ったとしても、進んで話したい内容ではないからだ。だからイサの考慮が嬉しかった。ラグドはわずかに微笑み、しかしその笑みはすぐに消える。
 視界に、視線の先に、老人の姿が、レイゼンが立っていたからだ。
「……」
 イサはラグドのほうを向いたままだ。レイゼンには気付いていない様子。まるで時が止まったかのようで、そこにはレイゼンとラグドの二人しかいない空間となっていた。カエンでさえ気付いていない。
「今はまだ殺さぬ。しかし覚えておけ。我輩はまた貴様の前に現れる」
 それだけを言い残し、消えた。ルーラやキメラの翼を使用したように飛び去ったのではない。その場から消えたのだ。
「それじゃラグド。私、行って来るね」
 イサの言葉にはっと気付いてイサを見上げる。先ほどのレイゼンは幻聴が幻覚だったのだろうか。長い時間のように思えたが一瞬の出来事だった。
「……お気を付けて」
 今のラグドにはそれしか言えなかった。イサは頷いて、闘技台にあがる。
 五月蝿い歓声が、更に大きくなった。

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