31.五百年前


「ダメぇ。ベホマでも光の波動でもダメだよぉ」
 ホイミンの声はいつものように気楽ではなく、珍しく困惑しているようだ。それもそうだろう。外傷を完治呪文(ベホマ)で癒してもムーナは意識を取り戻さず、続けてイサがムーナの携帯している『栄養剤』を飲ませたがやはり反応はなかったのだ。
「とにかく安静にできる場所に……」
 いくらなんでも、闘技台の隣ではゆっくりと休む事はできないだろう。
 イサの言葉を待っていましたとばかりに、ベンガーナの救護兵が到着してムーナを運び込もうとした。
「姐御……。ウチ、付き添ってくるっす!」
 誰に了解を得たつもりなのか、返事も聞かずにリィダは駆け出した。
「アンタが行くならオレも!!」
 と、何故かハーベストまで付き添いに。
「ちょっと、ハーちゃぁん」
 そのハーベストについて行くつもりなのかリシアも駆けだし、居心地が悪くなったのかすぐにヴァンドも後を追った。
「どうしたのかな、ハーベストったら」
「どうしたのでしょうなぁ」
 イサとラグドが、同時に首を傾げた。ともかく、『風雨凛翔』でこの場に残ったのはイサとラグドとホイミンだけで、あとはカエンがいるだけである。
 審判が注目を引かせるように咳払いをして、副将戦を始める、と宣言した。ムーナのことが気にはなるが、仕方なくラグドは闘技台にあがった。
「負けることは許さないからね」
 背中にイサからの言葉が投げられ、ラグドは不敵の笑みを浮かべて言葉を返した。
「御意!」

 先鋒はウィードの勝ち、次鋒、中堅と続けて引き分け。今は一勝零敗ニ分けなので、ここで勝ってしまえばウィード側の勝ちが決定する。ラグドは負けるわけにはいかなかった。
 目を閉じて――とはいっても髪の毛が鼻先まで伸びているので目を閉じたかなど皆知らない――、息を吸い込む。
「おぉぉおおおぉおおおお!!」
 気合いの声をあげると、その闘気は空気を振動させ近くにいた審判が身震いし、闘技台に近付いていたイサの頬がビリリと震えた。ラグドの雄叫びを聞いただけで、相手は怖気付くかもしれないほどだ。
 その肝心の相手とやらは、茶色のローブを纏い、静かに立っていた。ラグドの気合い声だけでローブが揺れるが、それ以外は全く持って静かだ。静か過ぎる。
「……」
 ローブを脱ぎ払うと、そこには老人が立っていた。白い髭が胸元まで伸びている、ただならぬ雰囲気を漂わせる老人だ。その皺だらけの顔の奥には、鋭い眼光があった。イサは、闘技台の外から遠巻きに見ているはずなのに、その目を見た瞬間に足が竦んでしまった。
 ラグドが『動』で相手を震わせるならば、向こうは『静』で相手を竦ませるようだ。まるで逆の存在だ。
 当の対戦者となるラグドはどう思っているのだろう、とイサは視線を転じさせる。そこには、変わらず自信に満ち溢れたまま立っているラグドの姿が見受けられた。どうやら、相手のことをそこまで考えてはいないらしい。……しかし、それはイサの独断であった。

 ラグドは混乱しそうな気持ちを必死に沈めようとしていた。
 何故かあの老人を見た瞬間に、全身の血が逆流しているような感さえあったのだ。それは、相手の鋭い眼光に竦んでしまったからではない事くらい、よくわかっていた。それなのに、身体は震えそうになり、自分の頭は何かを思い出そうと勝手に働いているのだ。
「我が名はラグド=ゼウンディス。負けは許さぬと主君より命じられているのでな、悪いが勝たせてもらう!」
 自分に言い聞かせるように声を張り上げ、闘いにだけ集中すべく、「構え」の号令も無しにラグドは、武器仙人より譲り受けた『地龍の大槍』を召還した。審判が慌てて手を挙げる。
「副将戦。ベンガーナ、レイゼン。ウィード、ラグド=ゼウンディス。両者、構え!」
 ラグドはそのまま地龍の大槍を構え、レイゼンという名の老人はラグドと同じく槍を召還した。砂塵の槍という、『伝説級』に部類される逸品だ。
「始め!」
 号令と共に、ラグドが突進を仕掛けた。その巨体や重そうな鎧からは信じられない、まるで俊敏魔法(ピオリム)でもかけたかのようなスピードだ。対して、相手のレイゼンは動かない。
「我流ウィード槍殺法――『岩砕槍』!」
 目にも止まらぬ五連続の突きがレイゼンに襲いかかる。ラグドの連携技は、秘奥義の『岩龍爆極槍破』以外ならば単体で繰り出すことができる。岩塵槍から岩砕槍へ繋げないと技が発動しない、ということはないのだ。
 レイゼンは、しかしラグドの五連突きを見事にかわした。素早さそのものを武器としているイサでさえ完全回避はかなわなかった攻撃を、この老騎士は全て完全回避したのだ。これにはラグド自身や、見ていたイサも驚いた。全て紙一重でかわされ、それでいて相手は慌ててよけたという風ではなかったからだ。

「――なるほど」
 戦いを見ていたカエンがぽつりと呟く。
「なるほどって?」
「相手のレイゼンという男。攻撃が届くまで『静』を保ち、完全に見極めることにより完全な回避行動を取っているようだ。今のラグドは完全な『動』、それに対して向こうは完全な『静』というわけだ」
 見れば、ことごとく回避しているレイゼンは全て紙一重だ。だが、その紙一重でもかすり傷一つ負っていない。
「でも、あれだけだったら向こうは攻撃してこないんじゃ……」
「そうだ。完全な『静』でいるからこそ、あの完全回避を成功させている。攻撃という『動』に転じたときは、ラグドに勝機があるだろうな」
 それでも、相手は『静』のままだ。ラグドの攻撃が凄まじく、回避しかできない、ということのようではない。まるで、ラグドの攻撃を延々と見続け、観察しているようでもある。相手の力量全てを見極めようとしているのだろうか。
「なにか意味があるのかしら」
「……さあな」
 イサが呟いた質問に対してカエンが無愛想に答える。
 先ほどまでの好青年のような雰囲気は何処へやら、いつもどおりのカエン師匠に戻っている……。

「『岩閃発破』!」
 地龍の大槍を頭上で大きく回転させ、遠心力を利用して突きを放った。しかしそれもレイゼンは紙一重で躱す。最小限の動きで最大の回避運動をしているのだが、それでも相手は老人だ。スタミナで勝負するなら、ラグドには自信があった。レイゼンの言葉を、耳にするまでは――。
「……『我流』、か。笑わせてくれる」
 攻撃の嵐の中、レイゼンが嘲笑を浮かべて言葉を発した。試合開始から閉口していた彼の意外な言葉に、ラグドが眉をひそめる。もちろん、攻撃は続けるが、やはり一撃も入らない。
「我輩を貫くこともできぬとは。どれ、ここは昔話でもしてやろう」
「なんだと!」
 挑発だろうか、攻撃が当たらないことに苛立っていたラグドはやや冷静さを欠いていた。だからといって、相手の動作が変わるわけでもなく、攻撃も相変わらず入らない。
 カエンとルイスの時と同様、というわけではないが、レイゼンが一方的に話を始めた。これを始終、ラグドの攻撃を回避しながらなので、彼は彼で相当な実力者なのだ。それも、ラグド以上の実力といっても良い。
「――昔々、南大陸ヴァーロスの第二大陸デザラウト。そこには立派な騎士団を抱える強大な国家があった……」
 レイゼンは、ラグドの猛攻を全てかわしながら、おもむろに過去の話を始めた――。

 ――南大陸ヴァーロスは大きく三つに分かれている。その中の第二大陸デザラウトは、砂漠地帯で有名である。昔はその砂漠地帯を治める大きな国があった。名前を、グランエイスという。
 しかし、その栄光の国と呼ばれるほどだった大国は、今より五百年も前に滅亡することになった。

 五百年前の当時、グランエイスを治めていたのは王である。しかしこの砂漠の国は代々名にパトラと付く女王が治めていた。パトラール、レムパトラ、クインパトラ、パトラディーネ、リパトラナ……。だが、この代に王家に女児はおらず、世襲制であったこの国では男児が王となったのだ。これは、グランエイスにとって異例であり、この時を境目にして全てが狂った。
 王の名前はパトリックス。そのうえ、パトリックス王の子供にはまたもや男しか生まれなかったのだ。民はもちろんのこと、国全体が望んだ女児は、正妃との間に生まれなかった。そう、『正妃との間には』なのである。
 パトリックス王の息子の名はセルディウス。パトラに関するような名をつけられもしなかった王子である。
 また、パトリックスは好色家であった。今まで女王の世代であったために、城に仕えているほとんどが女性であった影響なのかもしれない。ともかく、パトリックスは権力を利用して何人もの女を抱き、自らの欲求を満たした。その中で偶然というべきか、女児を生んだ者がいたのだ。パトリックスは意外な事実に笑みを浮かべたらしいが、問題が一つだけ残っていた。

 正妃との間に生まれた子こそが、王家を引き継ぐこと。

 これは絶対の決まりであったのだ。今回のことを例外として、これを無視してもいいのではないかと思うだろうが、グランエイス国そのものの絶対的なことである。ただでさえ王が男であるという異例に、この例外までをも認めることはできなかったのだ。根本的な考えとして根付いているため、変更などもできない。
 そのことを語り、王の側近たちは幾度も尋ねた。
 これが認められる条件は無いのか、と。
 側近たちは素直に無い、としか答えなかった。
 セルディウス王子が、王位を継承する前に亡くなり、さらに正妃の命も無くなれば、女児を生んだ女を正妃に迎えることはできるだろう。だが、女児には既に名前が付けられており、その女児は『パトラ』の名がついていないために、女王としては成り立たない。
 側近たちは、例え正妃と王子を殺しても無意味だ、という意味で言ったつもりだった。だが、パトリックス王は、国の掟に執着するあまり、そのことに気付かずにいた。

 グランエイスの問題はややこしくなる一方であった。
 デザラウトを治めるのはグランエイスであるものの、それに反抗する蛮族が絶えないのだ。蛮族との争いは絶えず続いていた。大規模な戦いは行われずとも、その争いは終わる気配を数百年見せていない。
 グランエイスが誇る騎士団虹の天翔翼≠ヘ無敗であったものの、それ以上に蛮族の数が多かった。デザラウトを治めている、とはいえ、グランエイスの治めている場所はデザラウト大陸の五分の一程度に過ぎないのだ。
 民たちが立て続けの異例に不安がったためか、蛮族との戦いは日々激化する一方。それに加えて、王位の問題である。もともと、女王ではなく男の王になったという事だけで、国を離れて蛮族と手を組み、グランエイスと敵対している民も多くいた。
 パトリックスが王となったという事実だけで、グランエイスは揺らいでいたのだ。
 そのため、王子のセルディウスは命を狙われる可能性があった。それを恐れ、最も信頼のおける者――虹の天翔翼≠フ騎士団長のもとへと預けられていた。そのせいだろうか、パトリックス王はセルディウス王子を毛嫌いしていた。一四歳であるにも関わらず文武両道、性格もよく、皆から好かれていたが、それに比べてパトリックス王は勉学も武術も不得意であり、性格も良いとは言えず、民からの支持もそれほどではない。この差に嫉妬してか、パトリックスはセルディウスが自分の子供であることを疑いすらしていたのだ。
 やがて、事件は起こる。

 セルディウスの一五歳の誕生日。その日の儀式を持って成人と認められ、正式な王位継承権が送られる。しかし、パトリックスは既に決めていた。正妃と王子を殺して、妾腹の王女を女王にすると決めていたのだ。代々伝わってきた国の伝統を守ろうとするがあまり、自身の子に手をかけたのだ。
 成人式の大半を終えて、盃を交わした。この盃を交わすことにより、王子は成人として認められる。そのことを利用し、パトリックスは盃の中に毒をいれた。
 数日間、セルディウス王子は生死をさ迷い、更に数日後、死去の報告がもたらされた。それと同じ時期に、正妃の死も報告された。同じような手を使い、王自身が手にかけたのだ。
 パトリックス王は喜んだ。あとは何としてでも、妾腹の王女を女王に仕立て上げれば、この国の繁栄は約束されたものと信じ込んでいたからだ。毒殺された両名は、蛮族の仕業ということにすれば民の蛮族に対する敵対意識が高まるだろう。騎士団は数を増し、デザラウト大陸を完全に制圧できるかもしれないと考えていた。
 だがパトリックス王の思惑は外れ、揺らいでいたグランエイスは一気に傾くことになる。

 毒殺された両名は、蛮族の仕業であると発表したにも関わらず、民はそれを信じていなかった。パトリックス王がセルディウス王子を嫌っていたのは誰でも知っていたし、何より王子は民に好かれていた。故に、パトリックス王が犯人であると主張したのだ。それが原因となり、暴動が起きた。更には虹の天翔翼≠フ騎士の大半が王に愛想をつかし、離れて行った。
 それに乗じたのが蛮族たちである。
 蛮族側に、王に愛想を尽かしたグランエイスの民もいたことから、この暴動を機にグランエイスを攻め込んだのだ。
 グランエイスは大混乱に陥り、国が堕ちるのはそう遅くはなかった……。 


「――何故だ。何故そのような話を俺にする!」
 いい加減に苛立ちを隠せなくなったラグドが激昂する。ライオンですら震えあがらせるような声に、しかしレイゼンはそれに動じず、目にはラグドよりも殺気がこもった。
「ここまで話して、まだ思い出せぬか」
 その言葉に、ラグドはギリと歯軋りをした。レイゼンから嘲笑うかのように言われたからであり、何か忘れていた事を思い出そうとして思い出せないからだ。レイゼンに言われた通り、何かを思い出そうとしているが思い出せないので苛立っている。
「ならば直接言おうではないか」
 レイゼンは砂塵の槍をラグドにつき向けた。
「死んだと報告されたセルディウス王子は生きていたのだ。虹の天翔翼°R士団長の保護のもとによってな」
「!」
「そのまま騎士団長はあえて王子生存のことを隠し、王子を他国へと逃がした」
「それは――」
「それは、遥か北の国。場所は『星霊山』。今の時代では『星降りの山』と呼ばれているがな。病み上がりだったセルディウス王子を特殊なキメラの翼でその山へ運び、星の精霊に願ったのだ。安全な時代へ送って欲しいと。グランエイス王家の血を絶やさぬために!」
 星降りの山の、星の精霊。その精霊は願いを叶えると云われており、ラグドは実際に見たわけではないがイサたちが出会い、パデキアの花――星聖蒼花を入手してきたあの精霊だ。
「我輩も驚いたよ。いくら安全な場所と時代と願っても、それは数年後の他国かと思っていた。しかしどうだ。五百年後の、風の大国ウィードに飛ばされていた」
「俺は……」
「ここまで話せば充分だろう。なぁ、セルディウス王子?」
 レイゼンのラグドを見る冷たい目には、言葉では言い表せない憎悪心が含まれていた。

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