29.死龍激突



 その光景を、誰もが手に汗を握って見ていた。
 繰り出される攻撃を躱し、受け流し、そして反撃に出る。その攻防が、まさに光の速さとも言える速度で行なわれているのだ。カエンとルイス、互いが格闘系なので、両の拳と脚で互角の戦いを繰り広げていた。それでいて両者の実力が生半可ではないので、つい見ている側が興奮してしまう。

「でも、おかしいよね」
 その攻防を見ていたイサは首を捻った。
「気付きましたか、イサ様」
 隣で見ているラグドも気付いたようだ。
「うん、殺気がまるで感じられない」
 カエンの攻撃と、ルイスの攻撃。両者とも当れば一撃必殺の威力を秘めているほどであるのに、それはまるで遊んでいるかのようだった。もしカエンだけがそれをやっているのならば相手がそれほど弱いのだな、と思ってしまうだろうが、ルイスも同様に殺気がないのである。戦っているというよりも、じゃれあっているようにさえ見える。
 その証拠となり得るかどうかは分からないが、カエンは武闘神風流の技を一つも使っていない。それでなくても、カエンの拳には一発で大岩を砕くこともできるし、人一人気絶させることも簡単だろうが。
「やっぱり、知り合いなのかねぇ?」
 カエンがいきなり次鋒戦に出ると名乗りあげたことからして、ルイスのことを知っているのではないだろうか。イサは、ムーナの言葉が正解のように思えてならなかった。

 そしてイサたちの予想は当たっていた。
「久しぶりだな」
 カエンが言う。
「あぁ、久しぶりだな。君が生きていたとは驚きだよ」
 ルイスがにっこりと笑いながら、拳を突き出す。
 それを軽く受け流しながら、カウンター。
「それはこちらも同じことだ」
 数歩下がってルイスはカエンのカウンター攻撃をかわした。
「君も、この世界にいたんだね」
 軽く助走をつけてルイスが蹴りを一発。一寸ほどの間合いを見切ってカエンはそれを避ける。
「あの時……」
「あの時、火山の火口に落ちたのは僕も覚えている。その先は、君も同じなんだろう。気がつけば、この世界にいた」
「俺はこの世界で生きる為に戦い続けた。お前は?」
「僕も同じさ。強さを求めて、手に入れた。君も若さが保たれているところを見ると、この一七年間と半月、肉体に老衰はなかったのだろう」
「……あぁ、この奇異な状態に不安もあったが、使えるうちは使っておかないとな」
「ハハ! それにしても、随分と性格が変わったな。昔の君は、もっと無鉄砲で、表情も明るかった」
「お前も、だ。昔のお前は、もっと物静かで、表情が少なかった」
「一七年間で性格が逆転したのかなぁ」
「そうかもしれないな」
「もし、子供たちが無事に生まれていて、昔の僕たちの性格に似ていたら?」
「さぞ不思議がるだろうな」
「それもそうだ! 姿は似ているかもしれないが、性格が逆なら首を捻るぞ、きっと!」
 などと再開した親友同士のような会話をのほほんと進めているが、その間にカエンは三九回攻撃を仕掛けて、ルイスも軽く四十回は攻撃を繰り出していた。観客やイサたち、審判にすら聞こえないほどの声で話していたので、周囲はその攻防に固唾を飲んで見守っていた。完全に両者の実力が拮抗しているので、勝敗の想像さえもできないのだ。
「だが、何故ベンガーナなんかにいる?」
「僕は強者と戦えるというだけでこの決闘に参加したのさ」
「……あの黒ローブの素顔は見たことがあるか?」
「いや、ないね。僕らはこの決闘の前にローブを手渡されて姿を隠すように言われたんだけど、あいつは最初からローブで全身を覆っているよ」
「そうか……」
「さて、まだ話がしたいけど……」
「あぁ、そろそろ……」
 二人の攻防は更に加速し、それがもう限界なのではと思えるほど絶頂に達した瞬間。
「「決着といこうか」」
 二人の声が重なると同時に、二人の拳が同じ所に向い、両者の拳同士がぶつかり合った。それまで止まることなく続けられていた激しい攻防は、それを合図にやっとのことで一回目が終わったようだ。両者が後ろに跳んで間合いを取る。一度集中して、なにかしら仕掛けるのだろう。

「……なんか、楽しそうっすね」
 途中で会話をすることさえままならずに見ていたリィダが、ふぅと息を漏らしながら呟く。カエンは戦闘狂というわけではないが、彼女の言う通り楽しそうだった。
「うっはぁ、あいつらって強いんだな。オレ、一度手合わせしてみてぇ!」
 ハーベストが目を輝かせてカエンとルイスを交互に見やる。
「やめておけ」
「そうそう、ハーちゃん、絶対負けちゃうわよぉ?」
「うーん。やっぱそうかぁ」
 ヴァンドの言葉にリシアが便乗し、それに素直に納得するハーベスト。思ったよりも、自分の実力と相手の実力をしっかりと区別できるようだ。彼のことだからどんな相手にでも勝負を挑みそうだが、強い相手は強いと認めているようだ。
「殺気が……」
 つ、とイサの背中に嫌な汗が流れた。それは観戦に集中していたラグドも同じなのだろう。むぅ、と唸っている。
カエンの目つきが変わっていたのだ。先ほどまでと違い、どこか冷たい表情。それはイサの知っている、カエンが本気を出した時のものだった。
「たぶん次で、師匠は技を何か出すよ」
 ただの攻撃で全く互角だったのだ。技を繰り出すことによって、勝敗が決まるだろう。それに、カエンが放つ武闘神風流は、技の威力自体が低いとしても一撃必殺の威力にもなる。
「どんな技を出すと思う?」
 ラグドを挟んでの位置にいるムーナが、イサに聞いた。
「わからない。でも私だったら、まず『颯突(サクヅ)き』とかで相手に傷を負わせることを最優先するけど……」
 師匠は何考えているかわからないからやっぱりわからない、とイサは付け加えた。
 やがて、イサの言う通り何らかの技を放つためか、カエンは片腕を上空に向ける。すると、そこで強大な『気』が渦巻き始めた。何か、大技を出すつもりなのだろう。気合、殺気、闘気、魔力、その他諸々がカエンの周囲で渦巻いているのだ。
「あれは!」
 イサの目が驚きで大きく見開かれた。
 カエンの周囲で渦巻いていた気は、風と同化して形を作る。目で確認できるほどの巨大な型が完成。
 巨大な、風の龍。人工とは言え、最強と謳われる龍。
 そして、それが炎に包まれた。武闘神風流の『攻』の最終秘奥義、『風死龍(カザシリュウ)』を改良したという、カエンの最強奥義――。
「『風火轟死龍(フウカゴウシリュウ)』?! いきなりそんな大技を!?」
 颯突きなどの技で少しずつ攻めるよりは、一撃で全てを吹き飛ばすつもりなのだろうか。半年前に、イサはそれを風死龍で破ったものの、カエンの風の力を自分が吸収したからだ、と後で教えられていた。それがなかったら、確実に負けていただろう。
 それに、あの時の風火轟死龍よりも、今の龍は尚大きい。もしかしたらあの時は無意識に手加減していたのかもしれないし、半年の間で更に修行を積んだのかもしれない。イサは、カエンに少しの傷でも負わせたことを今になって疑ってしまった。
「……なるほど。それが君の必殺技ってところかい。なるほど、君らしい炎の龍だ」
 ルイスが不敵に笑う。
「それじゃあ僕もお見せするよ」
 そう言って、ルイスは腕を空前に突きだし、そこに何かがあるように虚空を掴む。
「――我が声に応じる全ての精霊よ、我が思いの力となりて、形を成せ!」
 そして詠唱。
「……精霊魔法か?」
「いいや、似ているけど違うよ。僕のは、精霊の力をそのまま闘気に変換して――」
 ルイスがカエンと同じように片腕を上空に向けた。
「形を作る!」
 観客席から、おぉと歓声が溢れる。カエンの風火轟死龍で興奮していたのが、さらに大きくなったのだ。
 見ていたイサたちも同じである。
「水の……龍?」
 幻ではないかと不安になり、イサは何度も目を瞬かせる。しかしそれによって見えているものは消えるわけではない。カエンとルイスが互角とは分かっていたが、まさか技まで似ているとは思いもしなかったのだ。
「『水死龍』さ。どうだい、僕の龍は?」
 にこり、とルイスが笑うが、カエンと同様に目には殺気がこもっていた。
「……俺の『風火轟死龍』は、風、気、炎の三属性。お前の水死龍とやらは水と気の二属性だろう。三と二では、分が悪いぞ、ルイス!」
「ハハハ! 単純計算ではそうなるけど、試してみたらどうだい?」
「いいだろう」
 二人が同時に、腕を振り下ろして龍を操る。
「『水死龍(スイシリュウ)』!!」
「『風火轟死龍』!!」
 龍の咆哮が、闘技場に轟き渡った。
 二匹の龍は、かつてカエンとイサが『風火轟死龍』と『風死龍』をぶつけ合った時と同様に、本物の龍が暴れ戦っているようだった。その爪で相手を引き裂き、その牙で相手を喰らい、その巨体で相手を吹き飛ばす。だが、水死龍と風火轟死龍が触れ合うたびに、白い煙のようなものが吹き荒れた。
「あれは――?」
 カエンが眉をひそめるが、その正体に素早く気付く。水蒸気だ。ルイスの水龍が蒸発しているようだが、それ以上にカエンの炎龍の威力が衰える速度は大きい。
「しまった!」
「僕の勝ちだ、カエン!!」
 ルイスの声に呼応するかのように、水死龍の龍が一しきり大きく吼えた。
 その途端に、爆発音にも近い轟音を立てて龍が弾け、それが霧のようになった。
「――相殺? 違う!」
 霧の奥底からルイスの『水死龍』が現れた。威力は落ちただろうが、まだ龍の形を保っていられるほどの力を持っている。それが、一直線にカエンへと向った。
 続いて、もう一度轟音。

 やがて無音。無音とはいえ、観客席からの歓声はもの凄いものだが、ルイスにはそれを雑音と見なして聞いていなかった。

 水死龍は闘技台もろとも破壊し、それが土煙のように吹きあがったのだ。霞がかかったような状態から、やがて煙が消えて行く。審判も固唾を飲んでそれを見守っていた。ルイスが平然と立っているのは確認しているし、最後にルイスの龍がカエンに襲いかかったところまでは見ていたのだ。これでカエンが戦闘不能ならば、勝負有りの判定を下さなければならない。
「……なるほど、少し甘く見ていたようだ」
 カエンの、平然とした声が聞こえてきた。
「なに?」
 まだしつこく残っている土煙が、風の渦によって弾き飛ばされた。そこにいるのは紛れもなくカエンである。
「『鎧風纏』……。風を纏い、鎧とする『守』の技だ」
 やがて風が薄れ、無傷のカエンが姿を見せた。見た目は無傷とはいえ、ダメージを負っている。それはカエン自身も、ルイスにもすぐにわかった。
「試合続行!」
 審判がまだ戦えると見なして、続行の判断を下す。
「……それじゃあ、僕の最強奥義をお見せしよう。次こそ、最後だ」
 ルイスが今度は両腕を前に突き出した。
「――我が声に応じる全ての精霊たちよ、我が思いの力となりて、我が力の限りを尽くす形と成れ!」
 先ほどと似た詠唱を繰り返し、そして両腕を上空に向ける。
 先ほどと同じように、龍が出現する。しかし、水死龍よりも尚巨大で、水の龍がベースになっているものの、至るところに電撃が走っており、収まりきれない雷がバチバチと放電している。
「君が三属性の龍を最強とするなら、僕も同じさ。さっきのは水と気の二属性だったけど、今度のこれ――『水牙雷死龍』は、水、雷、気の三属性だ。もちろん、水死龍よりも強い! さぁどうする?」
 諦めても良いんだぞ、と言いたげにルイスが笑った。

「へぇ。ねぇイサ、あんたこれをどう見る?」
 ムーナの問いに、イサは困ったように首を振った。
「師匠はきっと、『風火轟死龍』以上の技は持っていないと思うの。それはさっき破られているから使わないとして……でも、まだ手はあるわ」
「あるの?」
「……うん。『守』の最終秘奥義、『風王鏡塞陣(フオウキョウサイジン)』」
「あぁ、イサがやれといわれてやらなかったヤツか」
 彼女に悪気はないものの、ムッとしたイサだが、事実なので反論はしない。
「あれは相手の技が魔法やエネルギー体とかで、それでいて相手の技が強ければ強いほど真価を発揮するはずなの。マホカンタにも似ているけど、倍化させて打ち返すから相殺さえできない場合があるから……。今、相手のあれが最強技だったとすれば、『風王鏡塞陣』で確実に勝てる!」
 まだ成功した試しはないが、その特性はカエンに教わっていた。それに、カエンならば失敗するということもないだろう。イサは、今度ばかりは自分の予想通りになるだろうと思っていたが、その期待は裏切られることになる。

「(……『風王鏡塞陣』を使えば、確実に勝てる。だが……)」
 カエンはルイスの上に佇む水牙雷死龍を見やって、歯軋り一つ。
「(久しぶりに、ルイスに会ったからか。少し、昔の俺に戻ったようだ)」
 昔は、戦闘となれば攻撃一辺倒であった自分。それがこの世界に来て変わった。防御の技を自ら編み出し、それを昇華させて『守』の秘奥義にまで至った。それを使えば、ルイスには勝てるだろう。
 しかし、試してみたかった。自分の攻撃がどこまで通用するのか。遥か昔のように。守りではなく、あえて攻撃で立ち向かいたかった。そして、自分を否定する要素はないのでそれを実行する。
「……」
 カエンは右腕を肩の高さまで上げて、集中。

 ――おぉぉおおおおぉぉぉん―――と、風の龍の産声。

「『風死龍』? そんな、『風火轟死龍』でさえ破られたのに!」
 イサはカエンがそこまで予想外なことをやってくれるとは思っていなかったので、声がつい高くなってしまった。
「……いや、なぁんか違うよ」
 ムーナの言葉を証明するかのように、彼は左腕も肩の高さまであげる。
 そして、またもや風の龍の産声。
「風死龍が、二匹!?」
 信じられない光景をイサは見ていた。一匹を操るだけで気を失うイサなのに、師匠のカエンは二匹を操り平然と立っている。
「……イサ、覚えておけ。お前は炎の技が使えないため、『風火轟死龍』は無理があるだろうが、これならば可能のはずだ!」
 肩の高さまで上げていた両腕を、上空に向ける。それを合図に、二匹の風死龍は同化し、一体の、更に大きな龍となった。
風死龍や風火轟死龍よりもなお大きな風の龍と、ルイスの水牙雷死龍。ここまできたら怪獣大戦争のようだ。
「それは――?」
「行くぞ、ルイス!」
「!」
 カエンの龍に気を取られたルイスだが、カエンの言葉で持ちなおす。
 二人の呼吸が同じように行なわれる。二人の動作が同じように流れる。同じタイミングで、それぞれの奥義を放った。
「『雷牙水死龍(ライガスイシリュウ)』!!!」
「『真極・風死龍』!!!」
 二匹の龍が咆哮をあげて、互いを喰らいはじめる。
 水雷龍の片腕が風で弾け飛び、大風龍の牙が雷と水により折れた。
 龍の大戦が続き、少しずつ互いの龍は小さくなっていった。それでもお構いなしに攻撃のみを繰り返す姿はまるで本物の怒り狂った龍のようだ。
 見守る中、とどめの一撃とばかりに互いの龍が今までにない大きな咆哮を上げる。
 その巨体で、最後の突進をしかけた。

 残ったのは、残響音のみだった――。

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